「アー ユー オープン?」第5話 再びマイク  

 さて、またマイクの話に戻るが、ある日のこと仕事が終わると玉突きに行こう、と彼が言う。 

たまにはいいか、と思い、いざダウンタウンへ出かける。彼がよく出入りしているバーなんだろう。入り口に玉突き台があり、10人ほど腰かけられるカウンターがその横にあり、奥のほうにテーブル席が3つか4つ。よくある“どうでもいい”ようなバーだ。客はそこそこ入っているが、ほとんどが東洋系だ。

 マイクは、フィリピン人が溜まっている玉突き台を意気揚々と目指してハスラー気取りで歩いて行った。やがて相談もまとまったらしく彼らは仲良くゲームを始めた。…かのように見えたが、ほどなくしていやな予感が的中した。

 マイクが相手のフィリピン人に激しい言葉を浴びせている。相手も声を荒げた。と、次の瞬間、マイクが手に持ったキューを高々と振り上げた。

 相手もすかさず応戦。仲間も加わる。瞬く間にバーの中は西部劇で良く見かける乱闘シーンさながらとなる。ただ違うのはカウボーイ同士ではなく、フィリピン人と居合わせたベトナム人の壮絶な殴り合いだ。

 誰かがフラフラとジュークボックスに近寄る。そして意を決したようにコインを入れた。流れてきたのは、イーグルスの“Take It Easy”実にぴったりだ。

 ビールを片手に観戦するのに出来すぎているシチュエーションだ。気がつくとマイクは店の外、大通りの真ん中でフィリピン人に馬乗りになられ、しこたま殴られている。

 そこに警察の登場だ。15~6人の屈強そうな警官がワゴンから連なるように飛び出してくる。

 マイクを殴っていたフィリピン人はすでにどこかに消えてしまっている。警官が横たわっているマイクを蹴飛ばしている。もちろん右手は腰の拳銃をいつでも抜くことができるように用意されている。

 しばらく警官に問い詰められていたマイク。顔は血だらけでかなり腫れ上がっているが、顔見知りとの単なる喧嘩だ、と作り笑顔で答えている。

しかし、驚いたことに店にはもう新しい客が来て、酒を飲んでいる。すでに営業が再開されているのだ。

 窓は割れ、椅子の破片などが散乱しているのに。こんな場所ではよくあることなんだろうか、店も慣れたもんだ。

 帰りのタクシーの中でマイクが泣きながら言った「俺はフィリピーノが大嫌いだ。やっとの思いでフィリピンに着いた時、あいつらに牛か豚のように扱われた。あいつら俺たちのことを人間だと思っていないんだ」

 やっとのことで彼のアパートに戻った時、時計の針はもうすでに3時を回っていた。泣きながら眠りについたマイクに何が起ころうと、ベトナムで何人死のうと、時は流れていく。

 やがて、マイクの体に異変が起きた。

 ほどなくして、食道がんの診断を受けることとなり、レストランの近くにある大きな病院に入院することが決まった。

 見舞いに行くと、マイクではなく本名で入っている。フン・タン・ウィンはどうスペルするのか、正確にどう発音するのか、こちらも受付嬢もわからない。

困っていたところに点滴を引っ張ったマイクが、トイレに行きたかったんだろう…フラフラと歩いてくるのが見えた。そしてやっとのことで、無事彼の病室に入ることが出来た。

「どうだ?」と尋ねた後、彼が言ったことを生涯忘れることができない。

「ベトナムじゃ毎日のように俺の目の前で沢山の人が死んだ。小さな子どものころから人間の頭が吹っ飛ぶのを見た。内臓が飛び出しているのにまだ生きて助けを求めているやつもいた。そんなこと、どうってことなかったんだ。おれは死ぬなんてこと何とも思わなかったはずなのに、今はなぜかすごく怖い。できれば助かりたい。今にも死にそうなやつをさんざん見殺しにしてきた俺でも助けて欲しいと思ってるんだ。

俺、なんのために生まれてきたんだろう。でも、ベトナムに生まれたこと、決して恨んではいない。すごく美しい国だ。帰りたいなぁ。どうせ死ぬんだったらベトナムで死にたい。そうだ、俺が帰ったら遊びに来いよ。楽しいぜ。毎日釣りして、酒飲んで。いろんなところに連れていってあげるよ。必ず来いよ。約束だ」

「わかった。お前も必ず良くなれ。約束だぞ。でも、もう玉突きには行かないぞ」

そう言って別れてから2週間ほどして彼がフラっとやってきた。そして本当に嬉しそうに言った「ベトナムに帰るんだ。もう発つから。いろいろ有難う。遊びに来いよ。いいな?」

抱きしめた彼の体は驚くほど小さくなっていた。

それから2か月ほどしたある日、ベトナムから手紙が届いた。マイクの姉からだった。それは、彼とはもう2度と会うことが叶わない、という知らせだった。