宮崎勝之

宮崎勝之が逝った。僕自身そんなに永く、また深い付き合いではなかったが、二人のあいだに歴史は奇妙な展開を見せてくれている。

僕がバードランドというグループを組んでいた頃(発起人は末松君)80年代中ごろにさかのぼる。

ちょうど僕が抜けた直後、末松君が見つけてきたメンバーが、誰あろう宮崎君だったのだ。なので当時の僕には面識がなかった。

時は経って、90年代も半ば、僕はアイリッシュのギタリストとして、サンフランシスコを拠点に活動していた。

当時、よく通ったレコーディング・スタジオのことは前にも書いたかもしれないが、オーナー兼エンジニアーのデイブ・ウェルハウゼンは元フルタイムで活動していたブルース・ハープの名手。

それがある時、ビル・モンローの歌とマンドリン・プレイを聴いて「これこそブルースだ」と、心にとてつもない衝撃が走ったそうだ。

彼は早速マンドリンを手に入れた。アメリカ人のやる気になった奴はおそろしい。そのブルース・フィーリング溢れるプレイは決してテクニカルではなかったが、とても40過ぎから始めたとは思えないものだった。

僕が坂庭君を紹介した時も、セッションに行こう、と彼を連れ出して夜遅くまでコイン・ランドリーでセッションをやってきた。

僕は行けなかったので「どうだった?」と訊くと坂庭君は言った「デイブってやつは本当にブルーグラスが好きなんだなぁ。歌にもマンドリンにも味があって。よくわからなかったけど、帰り道、盛んにブルーグラスの中のブルースを熱く語っていた」

そんな彼がある日こう言ったのをよく覚えている「ジュンジ、ミヤザキってやつ知ってるか?あいつは相当なもんだな。実にうまい。このアメリカのどのトップ・プレイヤーとも肩をならべてるじゃないか。俺は彼のプレイが大好きだ」

その頃、長年の友である坂庭君からすでに紹介されていた僕にとっても、宮崎君はアメリカでもトップ・マンドリン弾きのひとりである、という認識はあった。

デイブという男はフィーリングをとても大切にする。一番大事なのは心だ。心がどう弾くかで決まるんだ、といつも言っていた男だ。そんな奴が宮崎君のマンドリン・プレイにとことん惚れてしまったのだ。

マンドリン1本というのは移動には便利だろうが、実際にはなかなか難しいものがあっただろう。

そんな中でも日々音楽会のやって行き方を模索していたに違いない。55歳というのは若すぎる。

まだまだ普通に生きることもできただろうし、更に円熟したプレイを聴かせてくれることもできただろう。

彼、ピックくらいは持って行っただろうか。