ヴァイオリンそしてフィドル

僕らの世界ではその違いと、全く同じものである、という認識はもう当たり前のことである。

が、相変わらずクラシックの世界では全くの勘違い、というか相手にもしていないのか、画一的な認識しか持たれていない。

ずっと前の話になるが、確かナターシャー・セブンのある曲の録音の時に弦楽四重奏の人達を呼んだ。

そのうちの一人が「あー、カントリーね。こういう風に弾くんでしょ」と言って、ヴァイオリンを胸に当ててズーチャカズーチャカと弾いて見せた。

彼にとってのフィドルとはそういうものである。が、あれからすでに40年も経っている。それなのに、なんとか太郎という人が、あるクラシックの専門誌で、アイルランドに行った時の話をしておられて、彼らは顎あてを使わない、てなことを言っていた。

確かに僕もそういう人たちを見ている。テネシーやヴァージニアで90歳を超えたくらいのじいさんが、歌を歌いながら、ステップを踏みながら胸に当てたフィドルをズーチャカズーチャカと弾いていた。

しかしそれだけではない。おそらく日本のクラシックの人達のほとんどは他の音楽分野に極端に疎いのだろう。

マーク・オコーナーやマーティン・ヘイズは人類史上稀にみるフィドラーといえるだろう。また、フランキー・ギャビンの、あの独特な、多分クラシックからは考えられない音色から生み出される、とてつもなく細かい音の嵐はどうだろう。彼自身「楽譜は読めないから歌って覚えた」と言っている。

眼のみえないマイケル・クリーブランドの、握りしめた弓からとんでもなく早いフレーズが限りなく送り出される様はあっけにとられてしまう。

もう、フィドルってこんな感じだよね、なんていってられない。フィドルはブルーグラスにおいてもアイリッシュにおいてもその音楽の核だ。

しかし、僕の使っているピックは100円(108円か)だが、弓は、僕のギターが軽く5本は買えるほどのものから、50本ほど買えるものがあるというから呆れてしまう。