時差ボケから解放されてまた、考え事

やっと時差ボケが解消されてきたようだ。というか今年はちょっとパターンが違った。

戻ってきたその晩はぐったりと寝てしまったが、次の日くらいから、夜中の1時頃眼が覚めて朝まで寝付けない、という状態が続いた。

やっぱり歳取ると時差ボケも遅れてやってくるのか…。

2011年から5年連続で希花と一緒にアイルランドに行っている。

最初の年は希花をいろんなミュージシャンに引き合わせることで、僕が90年代初頭からどっぷり浸かってきたこの音楽が、どういう生活から、どういう感性から生まれてきたかを身体で感じてもらう、というのが目的だった。

実際、僕も84年のカーター・ファミリーとの生活で、真剣に取り組むには彼らの生活に入っていくのが一番だろう、と感じたからだ。

その上で自分の感性を合わせていくことが必要になってくるのだ。

フランキー・ギャビンと家でゆっくり食事をし、音楽や生活の話をし、近所を散歩し、演奏し、アンドリューの家で、なかなか出てこないシャワーに苦戦しながらも、買い物に行って食事を作って、夜中まで演奏しに出掛け、ブレンダン・ベグリーの家でいやいや寿司を作らされ、ボートに乗せられて大西洋のはるか沖まで連れていかれ、無事戻ってきた喜びを噛みしめてキッチンで演奏し…等々、こういうことがいかにこの音楽を演奏するうえで大切なことか分かるには10年やそこらの経験では無理かもしれない。そういうことは後から感じることだろうし。

とにかくいろんな人と演奏をして、いろんなスタイルを学んで、迷いに迷った方がいい。

20年や30年ではなかなか人に教えるなんてことのできない奥深い音楽なのだ。

2012年からはセント・ニコラス教会のトラッド・コンサートのレギュラー演奏者として迎えられている。

ここでは有名無名を問わず、きちんとこの音楽に取り組んでいる者しか演奏することが許されない。

ここで演奏できるというのは限りなく光栄なことだ。同じ時間、街のあちこちでセッションも行われている。

もちろん騒がしいパブでのセッションもアイルランド音楽のひとつの姿だが、歴史ある教会でのきちっとしたコンサートもいいものだ。

この曲にはこういう謂れがあって、何年の誰それの録音ではこのように弾かれたが、後年、誰それによってこう弾かれている、というような説明もきちんとできなければならないし、究極、自分が好きなのは前者のほうだが、後者のこの部分の音使いはなかなか言えてるかもしれない、などとレパートリーについてもこと細かに考えておかなければならない。

そのためには数限りないアイリッシュ・ミュージックに耳を傾けなければならないし、様々なジャンルの音楽も聴いていたいものだ。

しかし、フィドラーは大変だ。今回だけでもBrid Harper Yvonne Kane Eileen O’Brien

をはじめとする名フィドラー、偉大なフランキー・ギャビン、そういった人物たちと、ともすれば仕事まで入ってきてしまう。

これは正直、心から楽しめるものではないだろうな、と思う。

ブルーグラスからオールドタイム、果てはスウィングまで登場することもある。そうなると、

Gid Tanner & Skillet Lickers もKenny Bakerも Papa John Creachも聴いていなければならないし、もちろんMichael Colemanも、そして自分を見つけていかなければならないし、人に教えている場合ではない。

少し無理させ過ぎだろうか。でもそれがきっと一味違うフィドラーとして、あるいはトラッドに真面目に取り組んでいるフィドラーとしてアイルランドでも通用する存在になれるということなんだろう。

アメリカでも経験していることだが、日本人としての珍しさなんて、もってせいぜい6か月くらい。

まだまだ奥深いアイリッシュ・ミュージック。