フォークソング考 2

いろいろ考えていたら、想い出したことがあった。ひとつにまとめられたらいいのだが、記憶と言うものはそう一度に蘇ってこない。

80年代後半に、ある新聞記事が載っていた。見出しはこうだった。「Where Have All The Folk Songs Gone」ジョーン・バエズがインタビューに答えていたものだった。

最近、そういう名目でいろんなシンガーが出演しているコンサートがあるようだ。日本でも「懐かしのフォークソング」のようなタイトルでコンサートが開かれている。

だが、フォークソングも80年代にはほとんど消滅したといっていいのかもしれない。それは本国アメリカに於いても、だ。

60年代から70年代にかけては、よくニューポート・フォークフェスティバルのライブ盤を聴いたものだ。

そしてその頃最も深く感銘を受けたのはDoc Watsonの演奏だったかもしれない。そんな昔から歌い継がれているものや、フィドル・チューンなどに興味が湧いた。

やがて、ブルーグラスの世界に入っていくと、自然とフォークソングから離れていったが、何かの本でジャニス・ジョップリンもうんと若いころはストリートでオートハープを演奏していたり、フォギー・マウンテンボーイズと共にツァーに出ていたり、という記事を見て面白いなと思ったものだ。

アメリカでのフォークソングの成り立ちは日本のそれとは全く違うものだった。僕らは訳も分からず、恰好だけは真似てみたし、音楽も真似てみた。

今、アイリッシュ・ミュージックに深くかかわっていると、本当のフォークミュージックというものはどのように伝承され、その中からフォークソングなるものがどのように生まれてきたのか、ということがよくわかる。

フォークソング~ブルーグラス~カーター・ファミリー~アイリッシュ・ミュージック、この流れは僕にとってごく自然なものだった。

まずフォークソング。1964年頃、ギターを初めて手にしてフォークソングを始めた。それから数々の歌が反戦歌、反社会的な要素を含んだ歌だと知った。もちろん、アイルランドあたりからやってきた歌が沢山あることも知った。

そしてブルーグラス。フォーク時代からバンジョーを担当していた僕にとっては、この世界に足を踏み入れたことはごく自然な成り行きだった。

それからカーター・ファミリー。カントリー・ジェントルメンや、キース奏法などを追及していたものの、古いスタイルの演奏にはかなり興味があった。ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズからチャーリー・プールなどの録音をよく聴いていた。そしてカーター・ファミリーにも行きついた。そういえばフォギー・マウンテンボーイズのカーター・ファミリー集というアルバムもあった。

最後にアイリッシュ・ミュージック。1991年、タラ・ケイリ・バンドからのアンドリュー・マクナマラとの出会いにより、この世界に入る。

そして、彼らの生活や音楽を体験することにより、これが本当の意味でのフォークミュージックである、と感じるようになった。

ここアイルランドやスコットランド、イングランドから渡ったフォークミュージックがアメリカでフォークソングを産む基となった、という誰でもが知っているだろうことを身体で感じることとなる。

やっぱり僕にとってフォークソングというのは60年代から70年初期にアメリカで歌われていたものだけを指す。あるいは、日本全国に存在する我夢土下座のような人たちが歌っているものか。少なくとも、この日本で売れているものでフォークソングと呼べるものは存在していないような気がする。

もちろんいい歌は沢山ある。が、それらをフォークソングとして扱うには無理がある。少なくとも僕にとっては。

おそらく最初の記事「Where have all~」を書いた記者もそのような気持ちから本物のフォークシンガーと言える人達にインタビューしたものだろう。

今、様々な問題が提議されている中、フォークソングというものはまた生まれてくるだろうか。そしてそれらは(古いものも含めて)どう評価されていくだろうか。