スーザン・マッケオン& ジョニー・カニンガム

1999年、2月頃のある朝、いかにも都会の人らしい、とても綺麗な英語で電話がかかってきた。

「じゅんじ?わたしはスーザン・マッケオンといってニュー・ヨークを拠点にしているシンガーなの。今、フィドラーのジョニー・カニンガムと一緒に“ピーター&ウェンディというショーの音楽を担当しているんだけど、今度カリフォルニアのバークレイで、そのプロジェクトをメインにしたコンサートを企画しているの。あなた時間ある?」

あまりに突拍子もないことだったので、とりあえず一度会うことにしてみた。ジョニー・カニンガムは“シリー・ウィザード”というバンドで馴染みはあったが、スーザン・マッケオンに関しては全く初めてのひとだった。しかし歌い手としてはかなり名の通った人らしい、ということを数日中に知ることとなる。

参考までに“ピ-ター&ウェンディ”を観に行く。

それは人形劇と実際の人間による劇が一緒になったもので、勿論話は有名なピーターパンの話だ。

音楽は素晴らしく、歌も演奏もとてもレベルの高いものだった。

時折組み込まれているフィドル・チューンもテクニカルで味のあるジョニー・カニンガムならではの素晴らしいものだった。

自分にとっても、これは初めての経験になる。シンガーのバックはさんざんやってきたが、いつでもインストゥルメンタルとは比較にならないほど難しいものである。

僕が彼らのコンサートに参加するのは2週間先。

スーザンがCDを3枚渡してくれた。一枚は“ピーター&ウェンディだが、あとの2枚は彼女のソロ・アルバム。

どちらも素晴らしく、力強い歌声で、トラッドあり、新しい作品ありで聴きごたえのあるものだったが、その中からも数曲やりたい、と言う。

“ピーター…”は物語に添って歌い、演奏されるものなので、ひとつひとつの楽曲は短いが、その中から20曲はやらなければならない。

他のアルバムからの曲と合わせると、27~8曲は覚えなくてはならない。

これは大変なことだ。今日から寝ずに頑張らなくては…。

とにかく一度はリハーサルが出来るか?と尋ねると、じゃ1週間後に会いましょう、ということになった。

そして1週間、僕は殆どの曲を完璧と思えるくらいに覚えておいた。

ダウンタウンの、とあるホテルの1室で彼らとリハーサル。

「あっ。全然問題ない。いけるいける」と軽く言うスーザン。まるで子供のおもちゃのようにフィドルを操るジョニーも「いいねぇ」とにっこり。

初めて目の前で聴くジョニー・カニンガムのフィドル・プレイ。

何とも説明のしようが無い。僕のまわりは、そのほとんどがアイリッシュだが、彼はスコティッシュだ。

すでに良く知っているアラスデァ・フレイシャ-ともまた違うスタイルだ。

リハーサルは40分ほどで終わった。こちらにとっては準備万端というわけではないが、やるしかない。

当日。ところはバークレイのフレイト&サルベイジという有名なコーヒーハウス。キャパシティは100人くらいだろうか。すでに定員をはるかに超えた人でいっぱいである。

始まる前、客席をひとりでうろうろしていると、おじさんが声をかけてきた。

「じゅんじ!今日はいいぞ。このシンガーは素晴らしいぞ。君も聴きに来たのか」僕は軽く「うん」と言っておいた。

元々彼らふたりでやるつもりのコンサートだったので、僕の名前はアナウンスされていない。このおじさんびっくりするだろうな。

僕らは最初から3人一緒に出た。

まずスーザンが僕のイントロで歌い出す。ジョニーのフィドルが美しい音色で絡んでくる。

そして軽々と強烈なスコティッシュ・チューンを弾く。そこにギターをのせていく気持ちの良さは筆舌に尽くしがたい。

さっきのおじさん、嬉しそうに見ている。「俺、じゅんじの友達」って顔に書いてある。が、僕はよく知らない。

2時間ほどのコンサートは大成功のうちに幕を閉じた。

それから4年ほど経ったある日。ジョニーが死んだ。46歳、心臓の病気だったらしいが。

3歳年下の弟フィル・カニンガムが追悼コンサートを主催した。そこに僕はいた。

コンサート終了後、楽器を片づけに楽屋に入ろうとしたら、フィルが、ひとり泣いていた。部屋に入ることは出来なかった。

スーザンとはまたどこかで会うだろう。そしてジョニーの想い出話に花を咲かせよう。