ジョン・ヒックス

日本のアイリッシュ・ミュージック愛好家たちには殆ど馴染みのない人物だろうが、かなりの腕前を持つギタリスト兼シンガーだ。

もし、知っている人がいるならば、おそらく“リア・ルクラ”というバンドに於ける短い期間での活躍からだろう。

僕が初めて彼に会ったのは、その“リア・ルクラ”結成よりも随分前のことだ。正確には覚えていないが、95年頃だったろう。

イギリスから若いギタリストが来ている、という噂を聞いてパブに出かけてみると、ハンフリー・ボガードのような帽子を深ぶかと被った男がギターを弾いている。

弾いているギターはローデンの、サイドとバックがマホガニーのカッタウェイの物だ。そして弾いている曲は、名曲“Jenny’s Welcome to Charlie”

見事な3連符をいいタイミングで次々と入れている。当時、まだアーティ・マグリン以外では聴いたことのないスタイルで、しかもこの目で見るのは初めてのタイプのギタープレイだった。

次に演奏したのはアーティ・マグリンの“Brady’s Jig”

まだ20代前半の力漲るプレイには圧倒的存在感があった。顔面にいくつかのピアスをほどこし、いかにも当世の若者風情であったが、なぜかすぐに仲良くなった。

当時、アイリッシュ・ミュージックの中に於いて、僕のようなスタイルでギターを弾く人間が西海岸ではいなかったので、向こうも知っていたようだった。

よく「じゅんじ。ギター2本というのもなかなかいいぞ!」と言って、なにかと一緒にやりたがったものだ。

ほどなくして彼は“ティプシー・ハウス”のギタリストになった。それと同時にジャック・ギルダーのアパートに居候していた。

その当時の話をジャックがよくしてくれたものだ。まったくタイプがちがうふたり。

初めてジャックが彼のためにパスタを作ってあげた時のこと。馬のようにがっついて、あっと言う間にたいらげた彼にジャックが訊いた。

「どうだった?」彼が言った。「何が?」

おっとりとした性格のジャックにとって、彼との付き合いは結構疲れたらしい。おそらく彼がティプシー・ハウスに在籍したのは3カ月かそこらだった。

そして僕がティプシー・ハウスのギタリストになった。

その間も暫くはアメリカを放浪していた彼から一枚のCDが届いた。それが“リア・ルクラ”だった。

かなりアレンジをほどこした“Paddy Taylor‘s”のギターソロから入る。アルバムの1曲目からすべてがパワー全開のサウンドだ。

特筆すべきはShane Brackenというコンサルティーナプレイヤーの音使いだ。見事な和声感覚と独特なフレイジングに度肝を抜かれた。

聴いたこともない音使い、いや、それが最も大切なことのひとつかもしれない。彼のプレイには間違いなくそれがあった。

マンドリンのDeclan Corryもグループのサウンドを独特なものへと導いている。フィドラーのTricia Huttonもいい音を絡めている。

ただ、これだけのメンツが揃ったバンド、しかもジョンのいけいけぶりではバンドとして長続きさせるのは結構難しいのではないか、と思ったが、そんな心配もよそに2枚目のアルバムも届いた。

それからほどなくして、やはりグループとしての活動はストップしてしまったようなので、実際に生で彼らの演奏に接したことはないが、多くの人に強烈な印象を残しているに違いない。

ジョンひとりだけでも他に類をみないほどのギタリストだ。先日、マンドリンのデクランと会った時に彼の消息を訊いてみた。

元気でやっているようなのでまたいつか会えたらな、と思っている。

少しは大人しくなったかな。

いやいや、彼のあのやんちゃぶりがあの独特なギタープレイに反映しているかと思えば、あのままでいて欲しいという気持ちもある。

彼ほど的を得たことをズバッと言う男もなかなか気持ちいい。最近、たいしたことの出来ないプレイヤーが、ネット上で匿名で他人の批評をしたり、というケースをよくみかけるが、ジョンに限ってはそんなことはない。

いや、いい耳を持っている、いいプレイヤーにはそれは考えられないことだ。

ジョンもそんなうちの一人だ。