彼女との出会いはもうかれこれ15年くらい前のことになるだろうか。当時、アンドリュー・マクナマラ&ロハウンズのフィドラーとして、よく西海岸を訪れていた。
ロハウンズはギタリストが、ケヴィン・ホーク、ピアノとバウロンにジミー・ヒギンズ、それにアンドリュー。ブリーダはフィドルとティン・ホイッスルを華麗に操る金髪美女だ。
特にティン・ホイッスルにおけるテクニックには目を見張る、いや、この場合、耳を疑うほどの、というべきだろうか。
セッションになると、よく僕の横に座り、「じゅんじ、次はこの曲やって」と次から次へと演奏を続けた。
そんな彼女がラス・ヴェガスでロード・オブ・ザ・ダンスの一員として出演していた時、僕は日本へのツアーに誘った。
当時、UCLAで医学コースも取っていた彼女だったが、喜んで承諾してくれた。
日本では彼女のことを知る人は少ないが、その風貌と圧倒的技量で強烈な印象を与えること間違いなしだ。
7月中旬、到着した彼女はエンジの皮ジャンを着ていた。「暑くないの?」と訊くと、「ラス・ヴェガスよりましよ」とほほ笑んだ。
実際、その年の夏は少し気温が低めだったらしい。
丸5日間ほどの滞在予定だったが、ボストン・バッグの中には靴が5足。さすがにショー・ガールだ。
彼女のティン・ホイッスルにおける“マホニーズ”から“スワロー・テイル”そして恐るべきスピードでたたみこむ“ジェニーズ・チキン”のセットは圧巻だ。
若いころ、シェーマス・イーガン(ソーラスのマルチ・プレイヤー)といつも1位、2位を争っていた、というだけあって信じられないテクニックだ。
フィドルの腕も確かだ。
突然「じゅんじ、これやろうよ」とスロー・エアーの“クーリン”をやり出したり、出演間近の楽屋でも次から次へと曲を提示してくる。
大阪と東京ではパブでも演奏した。
さて、大阪でのことだが、少し横道にそれるとはいえ、とても大事な経験をしたので書いておこう。
彼女を連れて大阪の繁華街を歩いていたら、ヴァイオリンを沢山飾ってある楽器店を見つけた。
じっと眺めている彼女をうながして少し寄ってみることにした。
中はさほど広くないが、いかにもクラシック専門店という雰囲気でフィドル、おっと失礼、ヴァイオリンが超高級品から低価格のものまできれいに並べられていた。
店主らしき60代半ばくらいの78%くらいはげたおやじが威厳を保ちながら、ものめずらしそうに近寄ってきた。
「あ、ちょっと見ているだけです。アイルランドのミュージシャンで…」
次の瞬間おやじから驚きの一言。
「あー、アイリッシュ・ミュージックね。あんなのは音楽じゃぁないですよ」
僕はすかさず言った。
「あっ、分かった。こんなやつが音楽について語ったりするから日本の音楽シーンはいつまでたっても駄目なんだ。こんな楽器屋が日本に存在することは世界規模の恥だ!」
彼は、もし僕が世界的指揮者である、サー・サイモン・ラトルの友人だと知ったら土下座して謝るだろう。
サイモンはよく家に遊びに来ては、子供たちと楽器をいじってあそんでいた。僕のギターと一緒に笛なんか吹いたりして。
音楽を心から愛している者、そして真の音楽家には、あの店主のような程度の低い人間はいないだろう。
ブリーダの話に戻ろう。
やはり、ステージ・ワークは抜群だ。踊りながら弾くのはロード・オブ・ザ・ダンスだけ。しっかりと背筋を伸ばし、曲が終わってからのお辞儀も美しいのだ。
大阪のパブでは休憩時間にポール・ダンスまで披露してくれた。勿論のりにのっての悪ふざけの一環で。
素晴らしいミュージシャンであり、れっきとしたお医者さんであり、最近は強い母親にもなったと聞いた。