2月8日から今日まで…

何とも訳の分からないタイトルだが、つくづく自分の事を考えてみると、70歳記念コンサートは2月8日に決めて良かったな、と思う。

日にちを考えていた頃(2019年の春~夏頃)に、2月のはじめは雪が降る、という見通しもあった。

事実、2014年の希花さんの国家試験は同時期で大雪が降った。しかも2週連続だったと記憶している。

しかし、諸々の事情でその日になったのだが、既にクルーズ船の話は出ていたと思う。

僕はいち早くアルコール消毒を楽屋に持ち込んでみんなに使ってもらっていた。

厚生労働省はそれ以後も公共交通機関での帰宅を促していた。

コンサートは皆さんのおかげでとても良いものが出来たと思う。進ちゃんも京都から、金海君も静岡から駆けつけてくれて昔と今を演じることが出来た。

あと2週間遅かったら開催自体どうなっていたか分からなかったが、そんな時点でも政府はのんびりと、財務局員の自殺の真実を隠すことに明け暮れていたようだ。

3月に入ると僕らはバードランドと陽の当たる道の2軒のお店での演奏をお願いしていた。

悩みに悩んだ末、開催していただいたが、やはり来ることができなかった方もいた。

僕等も手洗いにはかなり気を使い、マスクを付けて行った。ただただ、お客さんの無事を祈るばかりだった。それはお互いの為に。

政府は考えているふりをしてまだのんびりと国民の税金で美味しいものを食べていた。

3月の半ばに沖縄に行く予定があった。勿論、音楽会もあったが、メインとしてはアイルランドで知り合った友人に会うためでもあった。

彼はアイルランドの日本大使館でコック長を務めたあと、沖縄にお店を構えて頑張っている人だ。

会いたかったが、今回は取りあえず動くのを止めておいたし、彼の方も厳しい状況になりつつあったし。

首相夫人は桜を見に行ったり旅行をしたりで楽しく国民の税金を使っていた。ま、多少語弊はあるかもしれないが、この際お許しください。

4月半ばには京都や大阪、そして鳥取の友人も訪ねる予定でいたが、さすがにここまでくると僕らにも想像はついていた。

僕等の想像とは裏腹に、政府は「まだぎりぎり持ちこたえている」などとうつつを抜かして、国民の税金でヘラヘラ日々を過ごしていた。

医療関係者に襲い掛かる恐怖、などというものには眼も向かなかったようだった。おろかにもほどがある、というところだろうか。

さて、今現在4月も後半。ここまでくると先が全く見えないことが分かる。

アメリカで暮らしていた時、真夜中に黒人街を通り抜けて仕事から帰ってくる毎日だった。

人種によるどうのこうのではないが、やはりいつ襲われるか、という気持ちは普段の生活の中でも緊張感としてぬぐわれないものがあった。

それは昼間の街歩きでも同じだった。

日々、ベトナムからの難民と共に、或いは命がけで不法入国してくるメキシコ人たちと仕事をし、日本はとても平和に見えていた。

何故、日本の総理大臣ってあんなにころころ変わるんだ?と問われて、えーっと今誰だっけ?としか答えようがなかった。

今、数日に一度近所に買い物に出ると、なんと緊張感の無い国民だろうか、と感じてしまう。

政府に緊張感がないからだろう。一体、政治家と云うのはどれだけ私腹を肥やしたら満足するのだろう。

毎日、テレビで今日は何人が感染した、と云っているが、一体、何人調べてそのうちの何人が感染したのかが知りたい。

1000人中の100人と100人中の100人では状況が違うはずだ。

疑問は絶えることなく続くが、この状況も絶えることがないかもしれないのだ。少なくとも今しばらくは。

5月には宮津の世屋高原と鳥取に行く予定だったが、効力の少ない緊急事態宣言というもので、こちらも先に延ばした。

そして様々な土地で皆さんとお会いして直接お渡ししたかった「in New Shoes」

おかげさまで順調に皆さんのお手元に届いていることは皆さんにも、そして郵便局の人達にも大感謝です。ありがとうございます。

未だに政治家の毅然とした誠意ある顔と云うのが全く見えてこない。どこに隠れているんだろう。

そんなことでいつまで続くか分かりませんがどうか皆さん、お身体に気を付けてお過ごし下さい。