広島、長崎からもう75年

毎年この時期になると、特に日本人としては今一度考えるべきことが大切になる。

先日、原爆の開発に携わり、実際に投下の映像を撮ったアメリカの科学者が、被爆者との対話で「パールハーバーが全ての始まりで、私も多くの友人を失った。謝罪をしなければいけないのはあなたたちの方だ」と言っていた。

被爆者の心は完全に踏みにじられたことだろう。

もし、彼が「私は謝らない。なのであなたたちもパールハーバーについて謝る必要はない。これは「軍」というものが犯した罪で、私たち科学者もあなたたちと同じでその犠牲者だ」くらいのことを言える人間だったら良かったと思うのだが、つくづく「Me First」の国だ、ということを再認識した。

ただ、国や文化が違うとそこには相いれない考え方の違いが生まれることはよく分かっている。

原爆投下はある意味「人体実験」としての目論見があっただろう。

8月6日まで、しばらくの間広島への空爆が無かったのは原爆によってどのくらい市街が破壊されるかを観測する為だった、という記述があるが、そこには人命、というものは無視された作戦があったのだろう。

考えていなかった、と云うよりは無視だ。まるで今の政権と一緒だ。

2016年の5月27日、オバマ氏が広島を訪れたことについて書いた覚えがあるが、単なる記憶の中の1ページに過ぎないような気がする。

なにも変わっていないどころか更にひどい世の中になっているが、それはもしかしたら、コロナと云うものが無かったとしても同じかもしれない。