70歳バースデイコンサート回想記

このコンサートについては既に翌日の2月9日に書いているし、今回のライブ盤でも少し書いているので、また別な見地から想い出してみようかと思います。

ライナーの中に収まりきらなかったことや、更に想い出したこともあるかもしれないので。

僕がピアノを弾き始めたのは4歳くらいの時。これは、6歳ではもう相当な和音オタクだったという記憶から逆算したものなので、正確ではないかもしれないけど。

その頃すでに先生の弾くオルガンのコードやリズムに耳を閉じていた記憶もある。

そんな自分が70歳になるなんて…。

60年代にフォークソングに、そしてブルーグラスに出会わなかったら、この70歳バースデイコンサートは無かったかもしれない。

静岡生まれの僕が当たり前に東京に出ていたら、なんて思うとやっぱり不思議。

当時、明治学院ということも考えていたけど、京都産業大学というところで推薦があるって聞いて、なんのためらいもなく「よろしくお願いしま~す」と言って入ったところで坂庭君と出会ってしまった。

当時まだ体育館の下にあった学食でのはなし。

それからは僕も忘れていることが多くあるのに、ファンの皆さんの方がよく覚えていることもあったりして、怒涛の70年代、ナターシャーセブンだったというわけだ。

坂庭君同様、高石さんとの出会いもよく覚えている。

なんか山男のような、雪男のような、或いは、なまはげのようないで立ちで、例のごとく恥ずかしそうに「高石です」と言って現れた彼は受験生ブルースで見た彼とは全線違っていたので僕はびっくり。

寒い寒い京都のマンションの一室でこたつに入り、なんとなく二人でギターを爪弾いているうちに今回もCDに、そしてライブ盤に収録されているDoc’s Guitarで話が決まった。

なので、これはナターシャーセブンの歴史を語るうえで欠かせない曲だろう。

しいては僕の70年、少なくとも50年ほどの歴史の中でも欠かせない曲のひとつであることは確かだ。

ライブ盤ではバンジョーでHome Sweet Homeをスタートにしている。コンサートでもこれでスタートしたが、僕にとってバンジョーと云うのはやはり自分の人生をより豊かにしてくれた楽器だ。

スヌーピーの漫画で、内容はよく覚えていないけど、誰かが何かで悩んでいたら、チャーリー・ブラウンか誰かが「そうだ、バンジョーを持たせたらいいよ!」って言っていたのをよく覚えている。よく覚えていないながらもその台詞は覚えている。

バンジョーを弾く者にとっては更に極めたくなるような台詞だ。

ライブ盤では進藤君の登場で「初めて来た街」にドブロを弾いてもらったが、彼はバンジョーに於いてもなかなかの腕前だ。

J・D・Crowe大好きな進ちゃんは中学生の頃からナターシャーセブンの周りを目立たない程度に慎ましやかにウロウロしていた。

やはりその辺はとても大事なところで、あまり度が過ぎると覇気がないように見えてしまうし、出しゃばり過ぎても(うざい奴)になってしまう。

また、そのどちらでもなく、常に視界の中に居ようとするやつもなかなかに困った存在だ。

彼の、その辺が実に見事だったのは、本当に良い家庭のなかで育ってきたからだろう。

そして今でも全然変わらない。

今回のコンサートでも実に巧みにヘルプしてくれて、面白いお話もしてくれた。古希にあわせて紫色のカポタストもプレゼントしてくれたし。

そんな進ちゃんとの楽しい時間もライブ盤としてよみがえっている。

さて、91年頃から怒涛の如く始まったアイルランド音楽の世界。

省ちゃんがPlough and StarsでTipsy Houseの演奏を聴いて「コリャ凄い!正に最高に自分を発揮した音楽、究極のものを見つけてしまったなぁ」と言っていたけど、確かにアメリカ中のアイリッシュ・ミュージシャンに知れ渡るくらいになった。

そんな音楽を内藤と始めたのが2010年の終わりころから。

「これは人々に聴いてもらわないと、この音楽の大きな損失になる」と背中を押してくれて始めてからもう10年近く。

近年、アイルランドでの演奏がメインになり、日本で演奏する機会も少なくなってきたが、

これからもどうなるか分からない。

今回は数曲、フィドル、ハープ、コンサーティナで活躍してもらい、評価の高いトークでも活躍してもらった。

行きあたりバッタリ的なところや、直感型のアドリブ、というところはなく、だれにでも分かり易く、且つ的確に要点を掴み、必ず時間内に納めるトークは業界でもなかなか評判がいい。NHKも顔負けだという業界人もいるくらいだ。

コンサートも終盤に差し掛かり、金海君を客席から呼び出した。

ライブ盤では彼の話も聞ける。そう、あのジャンボ・ギブソンの話。今見ても自分でもびっくり。

確か、まず黒く塗りつぶして、しばらくおいてゴールドのプラカラーでGibsonと書いたのだと思う。それもフリーハンドで。

僕は高校時代グラフィックデザイナーになりたかったのでそういうのはお手のものだった。

それにしても上手く書けている。

ジャケット写真で見ても(勿論、実物を見ても)正にGibsonだ。

よくずっと持ってくれていたもんだし、またよくこの日に持ってきてくれたものだ。

高校時代からのフォーク仲間、大学時代のMFQ仲間、そしてナターシャー、と考えたら55年くらい同じように音楽をやってきたんだな、と思うと、とても感慨深いものがある。

ライブ盤最後の「青春の光と影」にはそんな思いも込めて後からスタジオでマンドリンをかぶせてみた。できるだけ目立たないように。

それでも、彼みたいな音がちょっとだけでも聴こえたらいいかな、と思った。

そんな風にして出来たライブ盤はあの日の良い想い出となったことは確かだ。

アンドリューも呼びたかったけど、今年のこの状況を考えたら彼が来られなかったのには、それなりの大きな意味があったのだろう。

それと、省ちゃんも生きてくれていればなぁ、なんて思うけど、これからは旅立つ人も多くなるだろう。

このコンサートの後の金海君のように。

悲しいことは悲しい。でもこうして同じ時を過ごせて、それを形に出来たことはとても嬉しいことだ。

彼を静岡から連れて来てくれた奥さんと、僕も50年ぶりくらいにお会いした彼のお姉さんに感謝。

そして、このコンサートを企画、運営していただいた全ての方に感謝。

何度も言うように足を運んでいただいた方達にも大感謝。

更に、コンサートのライブ盤を手に取っていただいた方達にも感謝。

70年、長かったのかなぁ、短かったのかなぁ…。まだまだ、かな?