青春の光と影

先日、とある人の勧めで、ある映画の試写会に行った。

タイトルは「君が死んだあとで」

1967年10月8日、羽田闘争の際、山崎博昭さんが弁天橋で死亡した。映画は、彼のお兄さん、そして当時の仲間たち、友人たちに話を聞くドキュメンタリーだ。

僕が京都産業大学に入ったのは1968年だったが、そこは学生運動が無い大学として知られていたので学内はとても静かだった。

一方で、たまに同志社や立命といったところに出掛けて行くと、そこにはヘルメットをかぶり、角棒を持った学生達がうようよ居た。

そんな彼らを横目で見ながらバンジョーを持って歩いた。

高校時代にはフォークソングを歌い、その中にも反戦歌はあったにせよ、そのための集会などには興味が無かった。

そうはいえども、そういった運動を否定する気持ちもなかったので、彼等にはある意味一目置いていた感がある。

そんな僕なので、これは観に行ったらもっと深いところを知ることができるかな?と思い、何と休憩を挟んで3時間20分もあるものだったが、希花さんを誘って行ってみた。

3時間かぁ…と思いつつ、はっきり言って“寝ちゃうかなぁ”と思っていたが、最後まで寝ずに観ることが出来た。

ただ、あとちょっとの編集で30分位短くしたら、もう少し多くの人に観てもらえるのかな、とも思った。

それはそうとして、僕には“あの時代はみんな熱かったなぁ。中には山崎さんのように命を懸けてでも政治の悪の部分に(悪ばかりではないのかもしれないのであくまで“部分”ということで)立ち向かう勇気と知性を持っていた人達がいたけど、彼にしてもそこで死ぬとは思わなかっただろう。でも、死をもっても抵抗するくらいの思いを持っていた大学生がいたんだ”という、一種の自分には無かった才能を持ち合わせた同世代が近くにいたような親近感をおぼえ、なにか懐かしさと虚しさ、そして悲しさを感じた。

さて、希花さんの反応はどうであったか。

実はその辺りが一番知りたいところだった、というのも事実だ。

周りを見ても僕くらいか、その少し下、或いはその少し上という世代がほとんどだったので、それに内容も内容だし寝るのかな、と思っていたらしっかり観ていた。

そこで曰く「あれだけの熱い思いを持って突き進んでいった人達、行動力だけではなく、頭脳も優れた人達が、いま、どうしてそのまま日本を良くしていく仕事に就いていないんだろう。なぜ、ある時を境にみんな止めてしまったんだろう。そこには偉大な達成感があったんだろうか。それともこれ以上は無理、という敗北感だろうか。とにかくあれだけの人達がそのまま世の中を引っ張って行ければ今、少しは変わった世界になったかもしれないのに」

というようなことを言っていた。

勿論、ぼくらのように同世代の仲間意識みたいなものは無いし、熱き時代を語ることとは縁が遠い。しかし、希花さんにも彼らの熱い思いと、抵抗する力と頭脳を強く感じたドキュメンタリー映画だったのだろう。

弁天橋の事件も、首相のベトナム訪問を阻止する目的だったが、彼らの描いていた成功例は羽田空港に突入して飛行機を飛べなくすることだったのか、あるいはそれが出来なくても、強く反対の意思を表すことが目的だったのか…いや、やっぱり阻止が最終的に描いていたものだろう。

彼の死は結局のところ、うやむやにされてしまうのだが、それが政府、国家権力のありかたで、今もそこは全く変わりない。

同じように、彼らの運動は無かったものとして捉えているのが国家権力なんだろう。

存在すらも消してしまうような。

学生運動をやめた人達の中には、考えに考えた末、或いはずっと“もやもや”しながら、ある日突然、やめた、という人もいたようだ。

それは、まるでフォレストガンプが突然「家に帰る」といって足を止めたあのシーンと全く同じだった。

達成感と敗北感の挾間で何かがフッとふっきれたのだろうか。はたまた、次なる活動のビジョンが見えなくなったのか。

とに角、それまでとは全く違う世界が見えた、という話もあった。

この映画であの時代、60~70年代の事を語ってくれた人達は間違いなく、熱い心を持って力強く生きてきた人達だ。

そしてその中で仲間の死、それも権力の下に蓋をされてしまった死に対してはこのような形で語り継いでいくしかないのだろう。