彼女の名前は、トムシーナ。変わった名前だが、以前テレビのニュースで、イタリアの猫が莫大な遺産相続をした、というのがあった。その猫の名前がトムシーナだった。そういえば彼女、イタリア系だって言っていた。
仕事に行くトムシーナを見送って、僕らは少しB&Bで休んでからまたフィークルに向かうことにした。
午前11時。既に僕らはフィークルにいる。やっぱりのんびりしている場合じゃぁないのだ。
今日はお昼から、ワークショップで教えている面子が一堂に会してのフリーコンサートがある。
会場のまわりにはすでに沢山の人が集まっていた。中に入るとマーティン・ヘイズとケヴィン・クロフォードが立ち話をしていた。
どちらもよく知った仲だ。いいチャンスだと思い、まれかを真ん中に立たせて、スリーショットを撮る。ちょっとピンボケだった。
コンサルティーナ奏者の、ディンプナ・オサリバンが「じゅんじ、久しぶりね!」と声をかけて来る。彼女とは随分前にセッションで演奏したことがあった。
一生懸命マイクロフォンをチェックしているのはデニス・カヒル。彼が音響を担当しているのだ。
始まってしばらくすると、パット・オコーナーとケイト・マクナマラがやってきた。そして「じゅんじ、僕達の伴奏をしてくれるか?」
嬉しかった。またクレアのミュージシャンたちとステージで演奏することが出来る。セッションとステージは緊張感という点に於いて明らかに違う。
パットもケイトも超一流のクレア・ミュージシャンだ。簡単に打ち合わせをするとそのままステージへ。
いかにもクレア・スタイルのジグとリールのセットをひとつずつ。アンドリュー・マクナマラとの出会い以来、クレアのミュージシャン達とは随分一緒に演奏した。
オーディエンスの中には、マーティン・ヘイズやケヴィン・クロフォードも、ショーンライアンもいる。
至福のひと時を過ごした後、またセッションに出かける。その前にサンドウィッチでも食べておこう。でも、やっぱり醤油が恋しい。
さあ、そろそろアンドリューとテリーとの演奏の時間だ。テリーはもう来ている。ジュース片手にご機嫌さんだ。
最近はコレステロールを気にしてアルコールは飲まないようにしているらしいが、なかなか意思が強い。
例によってアンドリューが見当たらない。携帯にコールしてみると、別に急いでいる様子もなく、今、車を止める場所を探している、と言う。
アイルランド人って結構長生きのような気がする。あれだけ肉ばっかり朝から食べて、飲みまくって、煙草も吸いたい放題で、夜更かししていて、身体にいいはずないのに、じいさん、ばあさんがいっぱい夜遅くまで踊っている。
きっと、のんびりした生活を送っているから余裕で長生き出来るんだろう、なんて、みんながそうではないのかもしれないけど、一理あるような気がしてならない。
やっとアンドリューが来た。いつものようにぶっきらぼうな感じで、でも靴だけはぴかぴか光っている。
結構ダンディなのだ。出かける前は鼻歌を歌いながら、シャツやパンツにアイロンをかける。そして、念入りに髭も剃る。身体中いい匂いをさせてルンルンして出かけるが、どこか態度はぶっきらぼうだ。
でも、一旦音楽が始まってしまうと、特にそれが本当に自分の求める音だったりすると規制が効かないほど子供になってしまう。
僕と演奏するときはいつでもそうだ。嬉しいことだが、本当に楽しそうだ。
今晩はセッション形式で、アンドリュー、テリーと僕の他にも沢山のミュージシャンがいた。
アンドリューがマイペースで始めると、僕の横にいたフルート吹きの若者がフォローし始める。そこそこ上手いがやたらと音がでかい。その上、いろいろとやらなくてもいいことをやりたがる。
アンドリューはそういうのを極端に嫌う。そしてあからさまに態度に出す。僕の顔をじーっと見て、わざととんでもない音を出して、それも思い切り蛇腹を広げまくるロングノートだ。アンドリューお得意の技だ。
そして大声で笑う。例によってテリーは肩をすぼめてにやっとしている。アンドリューは10センチくらいに近付いてじーっと僕を見ている。
3時間程の演奏時間のうち、2時間50分はじーっと見ている。
最初、ギネスを啜りながら見ていたまれかに、知らないおじさんが「あのふたりはどういう関係だ?」と訊いてきたそうだ。
あまりにアンドリューの悪ふざけが強烈だったのか、若いフルート吹きは圧倒されていなくなったので、まれかを横に呼んで、さぁ、筋金入り、生粋のタラ・ケイリ・バンドを体感するチャンスだ、と背中を押す。
これこそが、アイルランドに来て彼女に経験してほしかったことだ。
あと一日。明日はまた一日中セッションをして、夜はブレンダン・ベグリーがファミリーと共にやってくる。
長男のブリアンはギター、次男のコーマックはコンサルティーナ、そして、今回、カフードは来ないが、妹のクリーナがフィドルを弾く。
帰り道、3年ほどアイルランドに住んでいるヴァイオリニストのゆきさんと一緒になるが、彼女、こてこての名古屋人。
友達に“フランシス・ダガン”というパイパーがいるけど、じゅんじさんが随分むかしに彼の家に泊まったことがあるっていう話を聞いた、と言う。
全く覚えがない。ところが僕は、ゆきさんのいう“ダガン”というのが名古屋弁の“だがね”に聞こえていたのだ。
よって“ダガン”というラストネームがもっと早く分かっていたら話は早かったはずだが。
そう。ダガン家はゴルウェイに住む家族で、元々長男のリアム・ダガンをよく知っていたのだ。
アメリカで知り合ったパイパーで、アイルランドに来たら是非、家に泊まってくれ、と言われていたのが、かれこれ10年前。
そして、ゴルウェイを訪れた時3日ほど泊めてもらい、その時彼の弟であるフランシスとも飲みにいったことがあった。
そればかりか、ダガン一族はそれぞれに素晴らしいミュージシャンだった。皆、他に仕事を持っているが、アイルランドの他の例にもれず、音楽の腕は確かだ。
10人程集まった親戚縁者、老若男女がフルート、バンジョー、アコーディオン、フィドル等、リヴィングであっさりと弾く。
そうか。そのフランシスだったら是非会いたい、と言うと、明日一日フィークルにいるから、ということで、明日昼にセッションをすることにした。
これで明日一日の予定も決まったし、ゆっくり寝るだがね。