20年

2023年。12月がまたやって来た。

大学の時から、考えてみるに18歳からの親友、省悟が亡くなってもう20年が過ぎる。

美空ひばりも石原裕次郎も大体同じくらいの歳で亡くなっている。

省ちゃん、どちらも好きだったなぁ。

10年ひと昔、と言うけど、もうふた昔だ。

考えてみれば僕とは正反対といってもいいくらいの性格の違いがあった。

唯一の共通点は音楽のセンスだったかもしれない。

音楽という全体像ではなく、そこにある「センス」というところだ。

ひとつの音、コード、リズムを聴いて、これだ!と感じるような感覚。

こればかりは生まれつき、というところに左右されるのかも知れないが、これが本当に大切なことだと感じる。

いくら気が合っても、いくら同じタイプの音楽を好んでいても、えも言われんセンスと言うものが合致しないとなかなか難しいものがある。

音楽では本当に大切だが、最近、息子がこう言っていた。

「省ちゃんはいつもびしっと決めたファッションだったけど、親父は適当だったなぁ」

小さい時からよく見ていたもんだ。

本当にあらゆる面で違っていた、ともいえる二人だった。

ホテルの朝食はいつも和食だった彼。僕は洋食。

服屋、靴屋には必ず入っていく彼。僕は外で待つ。

虫歯だらけだった彼。歯医者に行ったことがない僕。

髪の毛が薄くなってきた、と悩んだ彼。髪の毛が多すぎて困る、と言った僕。

「いやなやっちゃなぁ!」とよく言っていた。

それでも、二人の共通点は甘いもの好き、かな…いや、そこでも和ものが省ちゃん、洋ものが僕だったか。

煎餅が好きだった省ちゃん「バリバリっと硬い煎餅食べたいなぁ」とよく言っていた。

ケーキだったら柔らかいのに。

今でこそ、僕も饅頭は大好きだけど、あの頃は饅頭の省ちゃん、ケーキの僕だった。

「お前、そんなにケーキが好きだったらケーキ屋になったら?毎日お店のケーキ食べて、今月はけーき(景気)が悪いで!ってなことになるで」なんて言っていた。

僕がダメで彼が好きなものってあったかなぁ。

基本的に僕にはダメなものがあまりない。省ちゃん、エビとか蟹、怖がったなぁ。

それとコンニャク。「味せんやろ」と言っていたが確かに一理あるかも。

あ、そういえば僕は若い時、そば屋さんの出汁の匂いが苦手だった。省ちゃんが「お前、変わったやっちゃなぁ。このええ匂い分からんか?」と言っていたなぁ。

そんな事をしょっちゅう想い出すが、僕もそろそろ終活に入らねば、と最近つくづく考えるようになった。唐突かもしれないが彼よりも20年も余計に生きているので。

健康状態は至って良好だが、これをキープしていくことを考えなければいけない。

また、息子との会話だが、彼ももう45歳。少しはそういう話を…というか、トレーナーである彼にとって、高齢者の顧客も多いせいか、如何に健康体を保ったまま最期を迎えるか、という話に於いても少しは真剣に語り合えるようになってきた。

ついでに死後の世界は僕には分からないが、そんなものが存在するかどうか疑問である。

しかし、彼は「そうでもないらしい。あるみたいよ」と言う。

前に書いたが、彼の友人のモン族の人からの言い伝えだが、僕ら凡人は、何とでも云える、と思ってしまう。

しかし、どうやら、会ったこともない故人の容姿から服装まで全て見えてしまうらしい。そこにいる、と明言する相手は息子の古くからの知り合いで5年ほど前に亡くなった知る由もないはずの人だというが。

過去500年の生まれ変わりも分かるという。

そこら辺はどこまで信用していいのか分からないけど、かなりの信ぴょう性がありそうだ、とも言っていた。

信じるか信じないかはあなた次第、の世界かな。

だとしたら省ちゃん、どうしているだろう。

まだ歯医者さんに行っているかなぁ。それか、もうバリバリと煎餅を食べているかも。

さて、世界情勢に眼を向けてみると…まるで救いようのない世の中になってきた。

いつも想い出してしまうのが「アメイジング・グレイス&チャック」だ。

今、大谷が「世界が平和になるまで野球はや~めた!」と言い、トラウトもジャッジもやめて、レブロン・ジェイムスも八村も…あの悪名高きバッハも、平和のための祭典だからや~めた!と言い、KポップもJポップも、テイラー・スウィフトもみんな何もしなくなったらどうなるんだろう。

温暖化対策なんかも取沙汰されているが、いくら頑張ってもあっちこっちで爆弾なんか落としたり、ミサイルをアホみたいに打ち上げたりしていたら、それだけでも無意味だろう。

そんな事を考えている間に、今年も終わってしまい、また変わり映えのしない一年がやって来るだろう。

ある意味大きく変わらない、というのは平和な事ではあるが、もういい加減、大食いとかいうのはみっともないから止めた方がいい、と思う。少なくとも世界が平和になり、ちゃんと子供たちに食糧が行きわたるようになるまで。

政治家は相変わらず金に眼がくらんで、挙句の果てに白々しい嘘をつくか、なにも言わないか…そりゃ「はい。やりました」なんて言うわけがない。

やっぱり「嘘つきは泥棒の始まり」ではなく「嘘つきは政治家の始まり」だ。

そんな中、最近のニュースで嬉しかったのは周庭さんがカナダに居る、という事。良かった、良かった。

結局、何をやってもどれだけ頑張っても、どれだけ自分を犠牲にしてもバカには通じない、という事だろうか。

良かった、と喜んでばかりはいられないが、とに角、周庭さんの安全と幸せを祈るだけだ。少なくともそれくらいしか僕らに出来ることはない。何とか無事に生活できるようになる方法はないのだろうか。

世界中、こんなところに産まれさえしなければ、と思える場所が至る所にあるように見えるが、それって単なる運だろうか…。

忙しくもないのに、何となく心情だけは忙しいような気がする12月。

母を失ったのも12月。省ちゃんも12月。そして僕が産まれたのも12月。ありゃ、周庭さんも12月生まれだ…関係ないか。そんなこと言えば高石さんだって12月。

自分のことを思うと、来年は生きているだろうか?なんて、段々そんな事を考えるような歳にもなってきた。

それでもまだまだ健康ではあるので、このままの状態で最期を迎えられたらいいかな?と思っている今日この頃。

あまり長生きはしたくないのも事実。

ところで、お気に入りのGold Tone12インチのバンジョーはかなり優れもの。

これが出てきてからは重いバンジョーはケースの中で眠ったまま、という困った状況だ。

久々に重いギブソンを引っ張り出してみたけど、音もでかいし、重いのでどうしても軽いものに手が行ってしまう。

それでも満足する音なので、時代は変わったなぁとつくづく感じる。

軽いバンジョー、省ちゃんに見せてあげたいけど、あいつ金が好きだし、これで金色のものがあったら…なんて言うだろうか。値段上がるでぇ。

いろいろ想い出したり考えたりしているうちに12月も走り去ってゆく。

そして、また1年、また1年…20年もあっという間かな。