ディ・ダナンの録音を初めて聴いたのがいつだったのか、という記憶はあいまいだが、恐らく、ボシー・バンドと同時期だったと思う。
フィドルとブズーキの絶妙な音色に心が躍ったものだ。
1986年、サン・フランシスコで初めて彼らの演奏を生で見る機会にめぐまれた。
そのときのメンバーはフランキーを筆頭に、アコーディオンがマーチン・オコーナー、ボーランがもちろんリンゴ、ひときわ大きな図体のアレック・フィンがブズーキ。そして、なんと、ドロレス・ケーンとメアリー・ブラックがいたから驚きだ。
実際にはフランキーとアレック、リンゴ、そして女性シンガーが二人いた、という記憶しかなかったのだが、後にフランキー自身からその時のライブ録音の音源をいただいて初めて、そうか、そりゃすごかったことは当たり前か、と思ったものだ。
永年にわたるアイドルのひとり、フランキー・ギャビンとステージを共にしたのは、2002年頃。
パディ・キーナンとのトリオで、コメディアンともとれる話術と共に繰り出される音の嵐はまさに、猛スピードで突進する野獣だった。
それだけではない。実に繊細な音選びのセンスはクラシックやジャズのバイオリン弾きからも聴いたことが無い独特な音使いだ。
音楽というものを熟知しているリズム感覚、和声感覚。どんな音に対してどんな音で反応すべきかを体で瞬時にして感じ取る感性。
そして、エンタテイナーとしても味わい深いステージ運び。
彼の自宅に行くと、ローリング・ストーンズからジョージ・ブッシュまで、彼を囲んで歓談する写真が、ところせましと飾られている。因みに家はゴルフでもできそうなくらい広い。
ステファン・グラペリもいた。
彼のフィドルを見たステファン・グラペリが言ったそうだ。「カーウォッシュでも行って洗ってきたらどうだ」
確かに松脂を目いっぱい塗って弓まで真っ白になった彼のフィドルからは、やはり彼でしかあり得ない音がいっぱい飛び出してくる。
僕の横でフランキーがすっ飛ばし、パディ・キーナンがパイプを自在に操る。
こんなことがあっていいのだろうかと思えるくらいのシーンだ。
ツァー中、ヴァージニアのフリーウェイを走っていた時のこと。パディがもう限界、と訴えた。
「仕方ないな。路肩に止めるからそこでして来い」とフランキー。
すっきりしたパディが車に乗り込みいざ再出発。まだ4時間ほどかかりそうだ。
5分ほど走った時パディが小さな声で言った。「携帯が無い…さっき落としたかも」
「どうする?」フランキー。
「戻らなけりゃならないだろうな」と僕。
「……」パディ。
しかし、どこを見ても全く同じ景色。さっきのところがどこなのかさっぱり見当がつかない。
それらしいところに止めて草むらを探ってみる。また少し歩いて探ってみる。
かれこれ20分程探したが、見当たらない。
「行くぞ、コンサートに間に合わない」とフランキー。
車に乗り込んだパディが間もなく叫んだ。「あった!椅子の下だ」
「お、おまえ!!!」僕とフランキー。
会場に着くとダービッシュのみんなが心配して「おー、遅かったなー」
「いや、なに。つまらんことで遅れた。ごめん」
ただひとり、あっちを向いて小さくなって、一生懸命パイプのチューニングに精を出すふりをするパディ。
その日のコンサートでもフランキーはすっ飛ばし、パディがうねる。
フランキーのけん引力は他のフィドラーの追従を許さない。
事実、マーティン・ヘイズとフランキーのジョイントを聴いたが、どんなフィドラーもマーティンのペースに引っ張られるのに、その時は明らかにフランキーがリードしていた。
マーティンですら、最も尊敬するフィドラーのひとりとして彼の名を挙げているのだ。
彼についてはいろいろなことを言う人がいる。でも、僕にとってはいい友人だ。そして、ミュージシャンとして、是非、みんなに聴いてほしい人の一人であることは間違いない。