もうご存知の方が殆どと思われますが、僕はダドガドと呼ばれるチューニングを使っています。
DADGAD(6弦から)に調弦するこの方法を産んだのはデイビー・グラハム。
この調弦を僕は1974~5年ころからたまに使っていました。そして、アイリッシュ・ミュージックに本格的に関わり出した頃、ケヴィン・バークとミホー・オドンネルのオハイオ大学でのコンサートビデオを手に入れたことからお話しましょう。
ボシー・バンドの頃から慣れ親しんだサウンドを初めてフィドル&ギターというデュオで聴いたのです。
それはそれは美しいものでした。“ピジョン・オン・ザ・ゲイト”から“ラフティーズ”そして“モーニング・デュー”へと続く1セット目から胸の高鳴りを覚え、心が熱くなっていく感覚におそわれました。
特に、ミホーのギタープレイの美しさと的確さは、とても文章では表せないものがありました。
途中少しの間、彼がチューニングを始めた時、はッとしたのです。それは随分前に使っていたDADGADだったのです。
それから先はそのビデオを観ながら、彼がギター上にどんなアイデアを持ってフィドルとのコンビネーションを最良に、かつ最大限に生かしているかを考える日々が続きました。
彼が不慮の事故で亡くなる少し前、ゴールウェイでマーチン・オコーナーと演奏していたのをみかけました。
その時「あなたのギタープレイはアイリッシュ・ミュージックの至宝です」と声をかけると彼が言いました「君はパディ(キーナン)と一緒にやっている人だろ?」
‘92~3年頃、初めてマーティン・ヘイズとランダル・ベイズのデュオを目の当たりにした時もランダルのギタープレイに目が釘付けになりました。(以前95~6年頃と書いた覚えがありますが、彼らのアルバムが出たのが92年なのでその直後と思われる)
ランダルは僕に「DADGADとも言うけど、俺はレイジーチューニングと呼んでいるんだ」と笑いながら言っていました。
クラシック・ギターの心得もある彼のプレイには、ミホーとはまた違った美しさがありました。
ランダルはフィドラーとしても素晴らしい演奏を展開する人で、僕がシアトルに出かけた時は僕が彼のためにギターを弾くこともありました。
‘95年頃出会ったジョン・ヒックスも特筆すべきギタリストでした。アーティ・マグリンの影響を強く受けた後の、彼独特なスタイルには興奮したものでした。DADGADを駆使したフラットピッキングは未だ 健在のようで、彼のホームページに辿り着くと強烈な音のサンプルを聴くことができます。
DADGADを駆使したギタリストに関しては、勿論ピエール・ベンスーザンを語らずして成り立たないような気もしますが、そちらの方はフィンガーピッキング・ギタリストの皆さんにお任せします。
また別もの、と思うので。以前こんな体験をしたことで説明がつくと思います。
フィンガー・ピッカーの間では高名なトニー・マクマナスと、あるフェスティバルで一緒になった時のことです。
素晴らしく高度なテクニックを持ち、誰もが目を見張るほどのプレイを展開する彼に、シンガーであるショーン・トリルが突然伴奏を頼みました。
少しの間やっていたのですが、トニーはよく分からないと言って出て行きました。そして、ちょうどその時パディのギタリストとしてその場にいた僕に白羽の矢が立ったのです。
そして、そのままパディと3人でステージに上がりました。詰まるところ、伴奏というものは別ものです。特に歌の伴奏というものは。
その時の出演者は、ルナサ、ケヴィン・バーク、ディック・ゴーハン、マーティン・ヘイズとデニス・カヒル、トニー・マクマナス、チェリッシュ・ザ・レディース、パディ・キーナン、ショーン・トリル、そして僕。
これだけのメンツでのフィナーレは圧巻でした。
また、想い出したらいろいろ書いてみましょう。