2012年アイルランドの旅 ~8月7日 タラ~

8月7日 曇り

今日は一大イベントが待っている。この地に最初に訪れた時から必ず通っているパブ“マッカーサー”通称“フランの店”に行くことだ。

来年になると生きているかわからない高齢のフランが、夜10時半頃開ける店だ。昨夜ミノーグスの帰りに外からフランがいるのは確認しておいた。

法律上12時過ぎに店に新たなお客さんを入れる事が禁じられているので、窓越しに「明日来るから」と言った。

温度差でくもったガラスをゴシゴシしながら合槌をうっていたフラン。ちゃんと覚えていたかな。

「昨日、きてくれたな」ちゃんと覚えてくれていた。まだしっかりしたもんだ。足を痛めて少し入院していたらしいが、相変わらずピシッと決めたスーツがかっこいい。

アイルランド最高のギネスを2杯オーダーした。ここまでギネスは極力控えてきていた。彼の注ぐギネスを今日まで待ちわびていたからだ。

カウンターでお金を払おうとすると「いいから一杯やってくれ」という。僕はとことん希花に自慢して「どうだ。これがギネスだ。他と違うだろう。この道60数年の匠の技が生きているんだ」と言うと、希花も「うん、確かに美味しい」と言って、「でも悪いから何か他のものもオーダーしよう」と言う。

それじゃぁ何か頼んでおいで、と促すと、カウンターの奥でフランがヌッと立ち上がった。

希花が言った「ワン・ホット・ウィスキー」フランがグラスをおもむろに“二つ”用意した。

そして出てきたものがウォッカとウィスキー。

確かに言葉は似ている。しかしフランのホット・ウィスキーは注文があるとおもむろに湯沸かし器に水を注ぎ、じっとお湯が沸くのを待ち、ウィスキーと混ぜて終わりなのでそんなに匠の技は生きていない。

なのでそれはそれでいいとして、希花のおかげでウォッカまで飲むことになってしまった。

来年また来るから元気でいてね、とフランに別れを告げて店を出ると、ほとんど電気の無い広大な土地に沢山の星が降りそそいでいた。

2012年アイルランドの旅 ~8月6日 タラ~

8月6日 曇り

エニスを出てアンドリューの家があるタラに向かう。ひたすら寒い。そして、何年も変わっていない景色が広がる。

まるで故郷に帰ってきたようだ。僕にとってのアイリッシュ・ミュージック発祥の土地である。

アンドリューが彼のセコンドカーであるメルセデスベンツを軽快に飛ばしながら言った。「今晩ポーラック(バンジョー)がミノーグスで集まろう、と言ってきている」彼の言葉はいつでもセンテンスが短い。余計なことは言わない。

僕も「オーケー」と答えた。

ミノーグスはあの伝統のバンド“タラ・ケイリ・バンド”発祥のパブだ。

8時過ぎ、出かけていたアンドリューから電話が入った。「ポーラックがミノーグスで待っている。おれも後から行く」

店に行くとポーラックがすぐに言った「なんか飲むか?」みんな先ずそう訊く。

僕はカールスバーグ、希花は最近のお気に入り、ホット・ウィスキーをもらった。そして彼が言った。

「もうすぐミーブ・ドナリーもやってくる」

クレアーのフィドラーでアメリカやヨーロッパでもかなり名の通った女性だ。僕も一度

だけアメリカで会ったことがある。

かくしてまたまたセッションの始まり。途中からアンドリューもやってきて1時半過ぎまで続いた。

次から次へと運ばれてくるギネスやホット・ウィスキー、それに大量のサンドウィッチまで。全部オーナーの計らいだ。

アンドリューが言っていた。「最近、ここ10年くらい、このタラですらもなかなかトラッドが聴けないようになって来た。寂しいもんだ」

僕らはこの地に、久々にトラッドの風を運んできたのかもしれない。

2012年アイルランドの旅 ~8月3、4、5日 エニス~

8月3日 曇り

ドゥーランを出てエニスへ。

コンサルティーナをコーマックから買うことが決まったので、その旨を伝えにカスティーズに行ってみると、ありゃ、僕らが一応ホールドしておいてくれ、と頼んだはずのものが無い。

「あれ、売れたよ」と何事も無かったように言うジョン。結果的には問題ないが、僕らはパウロにあれだけ念をおしておいたのに、と取り合えず不満をぶつけた。

日本ではなかなか考えられないことだ。

夜はいくつかのセッションを見学してから、オールド・グランド・ホテルのパブで演奏している、ブラッキーたちのセッションに出かける。

バンジョーのカロル、ブズーキのショニー、フィドルのジョン・ケリーなどと、生きのいいセッションを楽しみ、1時半ころB&Bに戻る。

アイルランドのセッションとしては比較的早く帰れたほうだ。

 

8月4日 曇ったり降ったり。

B&Bで一緒に泊まっているドイツ人、フランス人、アメリカ人などと、ワインを飲みながら一日ゆっくりする。

たまにはこんな日もあっていいだろう。

 

8月5日 曇り時々晴れ。

夜7時からブラッキーのセッションを覗き、久々にブズーキのシリル・オドナヒューにも会い、渋いヴォーカルを聴かせて貰った。

9時からはまたブローガンズでジョセフィンのセッションがある。待っていると、パウロがやって来た。あっ、まずい!と思ったのだろうか。なんとなく存在を打ち消すように

していた。それでもちゃんとセッションには参加していた。

10年以上前にエニスで会った、“フー”こと赤峰君も来ていていろいろ昔話に花が咲いた。アンドリューもカウンターで飲んでいたが、いつの間にか出ていったらしい。パウロもいつの間にか、いなかった。

2012年アイルランドの旅 ~8月2日 ドゥーラン~

8月2日 曇り時々晴れ、そして時々雨。

午前10時、ダブリンに向かうパディをマクガンズで見送って、少し昼寝。夜はテリーとクリスティとドゥーランから車で30分ほどのリスドゥンバーナでセッション。

また2時頃になる。

2012年アイルランドの旅  ~8月1日 ドゥーラン~

8月1日 晴れのち雨のちくもり

すぐ隣のホステルの談話室で練習させてもらっていたら、パディから電話が入った。今ディングルからダブリンに帰る途中だけど、僕らがドゥーランに来ているし、久しぶりにドゥーランに寄ってもいいな、と言っている。

是非そうしてくれ、という話になり3時過ぎに来ることが決定。

去年、なかなか連絡が取れなくて、同じ時期アイルランドにいたのだが、会うことが出来なかった。

とても楽しみだ。

3時半。パディから電話がきた。マクガンズにいる、と言う。すぐ近くのパブだ。てくてく歩くと、ちょうど時代劇のさびれた茶屋で浪人が茶をすすっているような、そんな雰囲気でパディが一杯飲んでいた。

見渡す限り広がる山、そして山。その真ん中に一本だけ続く道。遠くには牛や羊が何を考えているのか、ジーッとしているのが見える。

時折通る車、そしてトラクター。店の前に張り出したベンチに腰掛けて、長いコートに帽子といういでたちで佇む男。

どこから見ても絵になる。

再会を祝して、僕らも一杯。その後、何も無いドゥーランだが三人で散歩に出ることにした。

 

 

 

 

 

 

そこで僕は人生初体験をすることになる。

数日前から、とある民家の前庭にロバが佇んでいた。そのロバを入れて写真を撮ろうと、パディがカメラを構え、僕と希花が石塀にもたれかかったその時、突然ロバが僕の腕に噛み付いた。

緑の服を着ていたので草と間違ったのだろうか。ロバは肉食ではないはずだ。結構痛かったが、あまりのおかしさに3人で大笑い。



←いたそう 

 

 

 

まれか大笑い→

青あざは1週間くらい残った。

 

 

夜はマクガンズでパディとセッション。といってもパディはパイプを持って来ず、最近凝っているバンジョーだ。しかし、兄であるバンジョー弾きの、今は亡き ジョニー譲りのいい感じで音を奏でる。

 

9時半過ぎからバンジョー弾きのケヴィン・グリフィンと若いフィドラーも加わった。その後、近くのフィッツ・パトリックというパブでエニスから来ている若者テクニシャン3人が演奏していたことを知っていたので、もうとっくに終わっていることは承知の上でテクテク歩いて出かけた。

ロバはもう眠っているかな。

パブに着くと3人のうちパイパーであるブラッキー・オドンネルが僕らを今か今かと待ち構えていた。

パイパーにとっては神様であるパディーが来ている、という噂は彼らにも届いていたようだ。

さっそくセッションしよう、と、どぎついブラッキーのパイプがうねりまくる。ここではパディもブラッキーのパイプを借りて円熟した音を聴かせてくれた。

 

結局4時まで演奏しまくった。

帰り道、ロバを見たが「あ、俺が噛んだ奴が歩いてる」というような目つきでこちらを見ていた。まだ痛かった。

 

 

2012年アイルランドの旅  ~7月31日 ドゥーラン~

7月31日 小雨。

お昼のバスでドゥーランに向かう。またしても雨に見舞われるドゥーランだ。宿泊先のB&Bに着いても誰もいない。

屋根のないところで雨も降るし、お向かいさんのドアを叩き少しの間雨宿りをさせてもらった。

やがて、おばちゃんが帰ってきて一件落着。

今日もテリーとのセッションがある。クリスティ・バリーもいる。そこにちょっとだけ見たことのある人が入ってきた。「やぁ、ジュンジ」まただ。いつだったか、どこでだったか、と思いを張り巡らせていると、テリーが初めて飛行機に乗って西海岸にやってきた時、あれは‘99年頃、アメリカで会っているのだ。

だが、名前が思い出せない。仕方がないので思い切って訊く事にした。「お名前は?」

「バリーだ。ステージネームは“ルカ・ブルーム”」どひゃー、ルカ・ブルーム。信じられない。そんな有名人まで知っていたっけ。

思わず希花に、あのトミー・ピープルズの時のように「おい、大変だ。ルカ・ブルームだって」と言ったが、シンガーとして高名な人で日本のアイリッシュ・ミュージックの演奏者たちにはあまり馴染みが無いかもしれない。

しかしその夜、歌をいっぱい唄ってくれた彼の人柄と力強い歌声に希花も完全にノックアウトされてしまった。

ニーヴ・パーソンズと共に今回の旅の大きな収穫のひとつだ。希花もこうしてどんどんいろんな人に自分の存在を示していけばいい。

因みにルカは、僕らが初日にダブリンでコンサートに行った、あの、クリスティ・ムーアの弟にあたる人だ。

2012年アイルランドの旅  ~7月29日、30日 エニス~

7月29日 朝のうち少し雨、その後晴れ。

エニスに向かう。

8時半頃から“オキーフス”というパブでセッションがあるらしいのででかけてみた。予定ではフルートのジョン・リンがホストのはずだが、アイルランドらしく、9時をまわっても誰も現れない。

ただ一人だけ暗そうな男がフィドルを持って来たので、セッションがあるのか尋ねると「うん」とだけ答えた。

そうこうしている間に見たことのある人物が入ってきた。ニーヴ・パーソンズだ。そしてニーヴとずっと一緒のギタリスト、グラハム・ダンも一緒だった。

もう一人再会を祝す人物に出会ったわけだ。

またしてもニーヴの素晴らしい歌声に酔いしれた。そして意外にも先ほどの暗いフィドラー(リアムというらしい)はとてもいいプレイを聴かせてくれた。

こういう人がどこにでもいる。一見そうは見えないのに…。アイルランド人にとっては僕らもそうだろうが。

 

7月30日 晴れ。

ジョセフィンから電話で、今日はブローガンズでフィドラーのイヴォンヌ・ケイシーとセッションをやるからおいで、という。

野菜サラダをうんと食べてからでかけた。そろそろ野菜が恋しくなっている。いも以外の。

2012年アイルランドの旅  ~7月28日 ゴールウェイ~

7月28日 晴れ。ゴールウェイに来てからはずっといい天気だ。

今日は希花が初体験をすることになっている。生牡蠣を食べるのだ。ゴールウェイに来たらやってみたいことのひとつであったらしい。

僕も決して自分からすすんで食べようとは思わないので、誰かが食べるのなら、ということで付いていった。

5時ちょっと過ぎにマクドナーというかなり有名なレストランに行くと、5時にディナーがオープンしたばかりなのに、もういっぱいだ。

その懸案の牡蠣については希花がまた何かにつけ話をするかブログにでも書くことだろう。

 

食事をしているとフランキーからテキストが入って、7時頃、クレインズというパブで一緒にやろうといってくれた。

忙しく飛び回って時差ぼけが完治しない中、それでも駆けつけてくれることに感謝だ。

 

そしてその日、奥さんであるシンガーのミッシェルも来てくれた。

それに、フランキーのお兄ちゃんであるアコーディオンのショーン・ギャビンも駆けつけてくれて、とてもいいセッションとなった。

ミッシェルの歌声は天使のようだった。

 

そのときの様子がYoutubeにあがっている。

http://www.youtube.com/watch?v=qGh4q-e-z5Y

 

 

 

2012年アイルランドの旅  ~7月25日、26日、27日 ゴールウェイ~

7月25日 晴れ

一路ゴルウェーへ。6時からデクラン・コリーのセッションだが、そのあと、8時からそのセッションのあるパブの裏手にある“セント・ニコラス”という教会でコンサートがあるのだ。コンサルティーナプレイヤーのコーマック・ベグリーがホスト役のそのコンサートは、週3回トラッド音楽が静かな教会の中でじっくり聴ける貴重なものだ。

実際、今回デクランのセッションでも、あまりにモダンでスピードも速く、それが結局はトラッドもよく分からないアイリッシュ音楽ファンに受けるためのものとして、この地でもてはやされているものの大半だな、という気がした。

コーマックは僕と希花をステージに呼び込んでくれた。とても生真面目な青年で彼のプレイからは彼自身の人間そのものが現れてくる。

「ところでコーマック。このあいだ僕の枕元で踊っていたのは君か?」

「いや、僕じゃない。でも全然覚えてない」そんな会話でお客さんも大爆笑。そして僕と希花の“フォギー・デュー”をはさんでジグとリールを演奏した。

そしてその日、コーマックが今オーダーしていてすでに4年経ったドイツ製の素晴らしいコンサルティーナの権利を、希花に譲ってもいいと考えている、という話を彼から受けた。

また、熱が上がった。まだ決まったわけではないが、うれしい悩みが増えたようだ。

 

7月26日 晴れ。

特になし。ただ、パブ“チ・コリ”の前で元ディ・ダナン、いや今の“オールド・ディ・ダナン”のジョニー“リンゴ”マクドナーと会って長話をする。

リンゴは今のディ・ダナンのことを“リアル・ディ・ダナン”と呼ぶ。フランキー・ギャビン以外のメンバーが彼と仲たがいして作ったバンドだ。

明日、バンジョーのブライアン・マグラーと一緒にセッションがあるから是非来ないか、と誘われたので、二つ返事でオーケーした。

明後日、フランキーと会う約束があることは黙っておこう。

 

7月27日 晴れ。窓辺にいると暑いくらいだ。

リンゴから再三電話が入り、6時半からチ・コリでセッション。ブライアンの素晴らしいバンジョープレイと希花のフィドル、リンゴのボウランに僕のギターというシンプルなトラッドセッションだった。

リノさんという名前の日本人の女の子のフィドラーも来た。元々ブルーグラスをやっていたそうだが、この人あとでびっくりさせてくれた。それは後に書くとして。

今日はまたコーマックの会が教会で8時から始まる。今夜はバンジョー弾きのポーラック・マクドナーと一緒だ。

ずっと前、アンドリューがベストバンジョープレイヤーと賞していた人だ。初対面だがとても気さくですぐに一緒に出演することになった。

それからは幾度となく共に演奏することになる。アンドリューとは大の仲良しらしい。

2012年アイルランドの旅  ~7月24日 ドゥーラン~

7月24日 くもりのち雨、のち、くもり。大体こんな感じである。

お昼からテリーが近辺を案内してくれた。朽ち果てた教会や、海の見える丘などを見ながらも音楽の話になる。

テリーはやっぱり根っからのトラッド・ミュージシャンだ。心に響いてこないものは音楽とは思わない。彼の音からは確かに人間の息使いが聴こえる。

帰りにすぐ近くのおじさんでコンサルティーナを2つ持っていて、最近、売りたいようなことを言っていたひとがいる、ということで、ある家に連れて行ってもらった。

そこは数多いB&Bのひとつで、なんと僕らが去年、飛び込みで見つけたのだが、部屋が空いておらず、親切にもいろんなところに電話して最終的にすぐ近くの宿を見つけてくれたところだった。

そして奥さんが電話をかけまくっている最中に、だんなさんがコンサルティーナを弾いてくれた、まさにその人のところだった。

テリーがちょいちょいと弾いてくれて、いい物だけど安くはないし(コンサルティーナという楽器自体、いい物はかなりの値段だ)ゆっくり考えたほうがいい、と意見を聞かせてくれた。

アップルパイとコンサルティーナの違いの分かる男だ。

一旦テリーと別れた後、ギタリストでシンガーのナイルからお茶でも飲みに来いよ、と電話が入った。

去年知り合った、日本人の奥さんがいるもの静かでやさしい人だ。ドゥーランの中心部から少し離れた家に着くと、ふたりの子供と奥さんが出迎えてくれた。ひとりはまだ生まれて間もないが、もうひとりはやんちゃ盛りの男の子だ。

美味しいキャロットケーキと極上のコーヒーでひと時を過ごした。奥さんももの静かな人でとてもお似合いの夫婦だ。

ふたりにお礼を言って別れた後、またテリーとクリスティとセッションに興じて1時半頃に眠りについた。

2012年アイルランドの旅  ~7月23日 ドゥーラン~

7月23日 朝から雨。

その雨の中、ボー(タイ人の名前)は朝早くからモハーの断崖を見るために出かけて行った。

僕らも同じ方向であるドゥーランに向かう予定であったが、僕らは昼過ぎに着けばいいので、ゆっくり食事をしてから出ることにした。

またコンサルティーナのテリー・ビンガムが待ってくれている。今日はオコーナーズというパブでクリスティー・バリーとのセッションだ。

エニスを昼前に出るバスに乗ると、途中、モハーの断崖を通る。雨と霧と風で一寸先も見えないくらいだ。ふと見ると、ボーが乗ってきた。

どうだった?と訊くと、やはり何も見えなかったので入場料も取られなかったそうだ。僕が初めてここに来たのは、‘99年頃。アンドリューが連れてきてくれた。その時は勝手に空いているところに車を止めて、柵も無い断崖絶壁に恐怖を覚えたものだ。そんな風に普通に立ち止まれる観光スポットであった。

しばらくして、ユーロ圏に変わると入場料(たしか突然4ユーロだったと思う)を払うようになった。御土産屋もできた。柵もできた。そして今は6ユーロらしい。

お金をはらって怖い思いもしたくはないが、天気さえよければたしかに一見の価値は十分過ぎるくらいにある。

ボーは少しドゥーランを歩いてエニスに戻る、と言っていた。僕らはテリーと待ち合わせしてエニスタイモンという近くの町へ買い物に出かけた。

この辺では少し大きめの町なのでなかなかに大きなマーケットがあった。出入りする人がそれぞれに「やー、テリー」と声をかけていく。

いろいろ物色をしていると、とても美味しそうなアップルパイを発見。20cm以上の大きさもあろうパイがわずか2ユーロだ。まよわずそれをカゴの中に入れて他のものを見てまわっていると、希花が「あっ、こっちのほうが美味しそう」と別のアップルパイを見つけて叫んだ。

たしかに形は綺麗で上品だ。少し小さめではあるが同じ2ユーロ。テリーがジッと見つめてひとこと。「いや、こっちは形はいいけどリンゴの量が少ない」かくして最初のほうに決めたのだが、これが大正解だった。

味もよく、あふれんばかりのリンゴが入っていたのだ。アップルパイのちがいが分かる男、テリー・ビンガムだ。

夜、オコーナーズに向かうと、フィドラーのジェリー・ハリントンも来ていた。アメリカであって以来15年ぶりくらいだ。「やぁジュンジ」と独特なかん高い声が響いた。

ジェリーはかなり高名なフィドラーで、そのむかし僕が初めて会ったころには元ディ・ダナンのチャーリー・ピゴットと一緒にまわっていたはずだ。

ケタケタとよく笑う人だが、さすがに一人で弾いたエアーは胸に響いた。本当の本物だった。

2012年アイルランドの旅 ~7月21,22日エニス~

7月21日 めずらしくよく晴れている。

リムリックを発ってエニスへ。

バスにフィドルを持った東洋人の女性が乗ってきた。日本人でないことは明らかだが、どこの国の人だろう。むかし、アメリカに住んでいる日本人のフィドラーが言っていた。「僕ら、よく中国人に間違われますけど、中国人は自分の国の文化に誇りを持っているから、他の国の音楽なんかやらないですよ」もしかしたら一理あるかもしれない。

同じところで降りたので声をかけてみた。

タイ人でニュージーランドに住んでいるらしい。そして友人がやっているアイリッシュにはまった、ビギナーフィドラーだ。

宿泊するところが同じなので一緒に歩いた。僕らは着いたらすぐにカスティーズ向かった。やっぱりあまり長い間コンサルティーナを借りているのは心配なのでとりあえず返すことにしたからだ。

店に行くと、貸してくれたジョンはおらず、イタリア人のパウロというアコーディオン弾きが店番をしていた。

そこで、事情を話し、それでもまだ考えているから、誰か他に欲しいという人が現れたら必ず連絡をくれるように念を押しておいた。ジョンにも話しておいてくれる、ということで、しばしコンサルティーナとお別れ。

夜は久しぶりにケリーズというパブでアンドリューとの演奏を楽しんだ。

 

7月22日 曇り。夜から雨になる。

お昼、ホステルの台所を使って、フレンチトーストを作るが、火は弱いわ、フライパンは引っ付くわで、まるでスクランブルエッグのようなものが出来た。

それでも、アイルランド人の朝食よりはましかもしれない。

それから、近くのスーパーマーケットにでかけると、いたるところにアンドリューみたいな人がいる。

彼は典型的アイリッシュ顔かもしれない。あれもアンドリューみたい、あれもアンドリューみたい、あれ、あそこから歩いてくるのも…といっていたらアンドリューだった。

夜は購入した豚としょうがとしょうゆで“豚のしょうが焼き定食”を作った。あー、なんと素晴らしい味だろうか。しょう油は偉大だ。

ブローガンズというパブでジョセフィンとミックがセッションをするので、8時ころ街にでかけた。

セッションには例のタイ人も来た。やはり日本人の奥ゆかしさと違い、数少ないレパートリーを結構頻繁に弾いたりする。そうして数年後にはかなり弾けるようになるのかも知れないが、知らない曲にまで適当に参加されてしまうと、こちらのコード感覚に支障をきたす。気になって分からなくなってしまうのだ。

その日は、こちらに住む日本人のフルートを演奏する“ユカさん”ともお会いして、話が弾んだ。

ジョセフィンのセッションは彼女の人柄からとても人気があるそうで、僕らにとっても大好きなプレイヤーの一人だ。

2012年アイルランドの旅 ~7月19、20日 リムリック~

7月19日 曇り。相変わらず上着が必要なくらい涼しい。

お昼はゆっくりして、夜、ドーランズというパブに出かけてみる。地元の人が薦めてくれた、“音楽だったらここだ”という処。

中に入ると、華麗にアコーディオンを操る若者とフィドラーの女の子がいた。早速自己紹介して座ると、ジェリーからメールだ。「ドーランズというところに行くから来い」すかさず「今来ている」と文章を作った矢先、ジェリー様一行がエデル・フォックスの大きな話し声と共に入ってきた。

それから先は特筆すべきこともない。いつにも増して、ジェリーのフィドルがうねり、エデルの声とコンサルティーナが響き渡りる中、夜も更けていく。

しかし、みんな朝からかなりのスケジュールをこなし、教えられるほうだけでなく、教える側も疲れているだろうに、やはり強靭な体力と、これが生活、人生、その全てなんだろうな、と思わざるを得ない。

 

7月20日 くもり時々晴れ

今日はメヘルの最終日に行われるコンサートにジェリーが招待してくれた。会場では楽器を持った子供たちがいたるところで練習している。

ここで学ぼうとする子供たちはもうかなりの凄腕だが、いつになっても基礎というものを忘れることがない。だからこそ、こうして強化合宿に参加して、他のプレイヤーの演奏も聴き、普段会うことの出来ない伝説的な教師たちの指導を受けることがいかに大切か、ということも分かっているのだろう。

恐るべきガキ共だ。

この日、教師のひとりであるフィドラーのマナス・マクガイヤーを見た(聴いた)。ムーヴィング・クラウド以来の好きなフィドラーだ。

ジェリー・オコーナー、ちょっと体をこわし、大変だったらしいけどいつまでも元気でいいおじさんぶりを発揮して欲しい。

貴重な体験をありがとう。

2012年アイルランドの旅 ~7月18日 エニス~

7月18日 曇ったり降ったり…晴れたり。

サラと食事をして、庭に飼っているウサギたちを見に行く。12~3匹のウサギがまーるくなっていてとても可愛い。

そして、近くの史跡のような、しかし誰もいない処に散歩にいったら、牛と馬が会話していた。成り立っていたのだろうか。とにかくそんな風にみえた。

 

 

自分が生涯住めるとは思わないが、こういうところに身をおくというのは僕らのやっている音楽にとっても有意義なことだ。僕はナメクジの2匹や3匹、どうもないし…。

リムリックに到着すると早速ジェリーから電話が入り、9時ころにミュージシャン達が宿泊しているところに来い、という。

今、リムリックでは“メヘル”というトラッド音楽のいわゆるスパルタ合宿のようなものが行われていて、ジェリーをはじめ、名のあるミュージシャンが教師として集結している。

そして、アパートの一室で、フルートのアラン・ドハティ、コンサルティーナのエデル・フォックス、フィドルのゾーイ・コンウェイなどとみんなでセッション。エデルはほとんど喋ってばかりだが、弾き始めるとやたらと上手い。当たり前のことだが。とにかくこういう人たちとパブでのセッションではなく、個人的に会えることは希花にとっても貴重な体験になるはずだ。

2012年アイルランドの旅  ~7月17日 エニス~

7月17日 晴れ。珍しく汗ばむくらいの陽気だ。

今日は古い友人のサラ・コリーの家に泊めてもらうことになっている。それがどこなのか分からないが、エニスからそう遠くないところらしい。

夜9時に待ち合わせしているので、かなり時間がある。

去年、トミー・ピープルスに声をかけられたあの場所でバスキングでもして時間をつぶそう、ということになり、始めていると、よっぱらったおじさんが3人現れた。ふたりは楽器を持っている。アコーディオンとフィドルだ。

横に座ってしばらく聴いていると「入っていいか?」と言う。そして矢庭に弾き出すとこれまた単なる酔っ払いのレベルではない。

とことん力強くどぎついリズムでガンガン迫ってくる。フィドルのおじさんは鼻のあたまを真っ赤にして、農作業のあとの楽しみは酒と音楽だ!という、まさに生活に根付いた音を奏でる。いかにも、子供のころ納屋にころがっていたひいおじいちゃんのフィドルを触ってみたら面白かったので、そのままフィドラーになり、フィドルもそのまま使っている、とい感じだ。ただものすごく酔っ払っているので同じ曲を何度もやる。

アコーディオンのおじさんも眠っていたかと思うと、突然さっきやった曲を弾き始める。1時間ほど一緒にやると「これからすぐそこのパブでやるからかならず来いよ」と言い残してもう一人の友人かマネージャーみたいな人とフラフラ帰っていった。

完全に生活に根付いた音楽を目の当たりにして、さあ、あの酔っ払いたち覚えているだろうか、とパブをのぞくと、いたいた。テーブルには山のようなギネス、ウイスキーが見える。

「おっ!来た来た。なんか飲むか」と言ったかと思ったら、さっき何度もやったリールを弾き出して、早く楽器を出せ、と催促する。

結局、また2時間ほどつかまってこっちも酔っ払いとなったのだが、フィドラーはトニーという名前で、年のころは70半ばくらい。

希花に一生懸命なにか言っていたが、どうも結婚式のギグがあるから一緒に演奏できるか、ということだが、もしかしたら結婚しようといわれたのかもしれない。なんだか電話番号をよこしたが、いかにせん、コネマラというゲール語地域から出てきた半端でない酔っ払いのおじいさん、近くにいたアメリカ人ですらなにを言っているかよく分からないそうだ。

アコーディオンは、どうも“ジョン・キング”という、名のある人らしい。あとで色んな人に話して分かったことだが、とにかくよく飲む、それはアイルランド人ですら驚くくらいよく飲むベテランミュージシャンらしい。

後で会ったテリー・ビンガムが言っていた。「昼からかなり飲んで演奏しているのを見かけたけど、夜中に見に行ったらまだ飲んでいて、次の日の朝まだ飲んで演奏していて、夜、見たらまだ飲んでいて、次の朝まだ飲んで演奏していた。ウオッカのビンとウイスキーがいたるところに散乱していた。ありゃ只者ではない。一緒にいたフィドラーはトニーだろ。あのふたりの体の中身は全部酒だ」

サラと会うのはもう20年ぶりくらいだろう。アメリカ西海岸のバークレイ出身サラは、フィドラーだ。弟のデイブがバンジョーを弾くが、まだ彼らが10代のころから良く知っている。因みに今のご主人であるダミアンはフルート吹きだ。

家はエニスから車で20分ほどのところ、緑に囲まれた雄大な景色が広がる。

ここで2日とめてもらってから“ジェリー・フィドル・オコーナー”が来ているリムリックに行くことになっている。

ここがキッチンでここがシャワーよ、といろいろ説明してもらっているとき、希花がシャワー室にナメちゃんがいる、と叫んだ。

見るとナメクジが2匹ほど張り付いている。よっぽどびびったのか、今日一日だけにして何とか明日中にジェリーに連絡をとってリムリックに行くことにしたいと、懇願する。

ちょうど、サラが午後からリムリックに行くことにもなっているし、それはナメクジに感謝かもしれない。

しかしこれだから温室育ちは困ったものだ。

かくして希花はナメクジの恐怖におびえながらベッドに入った。僕はサラと昔話に花を咲かせてから眠りについた。

2012年アイルランドの旅 ~7月16日 エニス~

7月16日 朝からほとんど雨。

朝食を食べていたら、ラジオから聴いたような演奏が流れてきた。どう聴いても僕のギタースタイル以外の何ものでもない

よくよく聴いてみると、先日ミルタウン・マルベイでラジオ出演したときのものが再放送されている。

同じところに泊まり、朝食を共に楽しんでいた人たちにも「これ、僕たち」と思いっきり自慢した。

午後からカスティーズ(楽器屋さん)に出かける。

いろいろと物色していると、希花がコンサルティーナを見つけた。ラチナルというメーカーのセコンドハンドだがソフトでとてもいい音がする。少し触ってみると、かねてから持ち合わせていたコンサルティーナ熱に火がついた。決して安いものではない。それに本当に欲しいタイプのものでもない。が、しかし本当に欲しいものは今目の前にあるものの倍ほどの値段で、しかもオーダーしてから手元に届くまで、最低でも4年はかかる。

いろいろ考えていると、オーナーの一人であるジョンが「2週間持っていたらいい。いろんな人に相談するなりして、それから決めればいい」と、なんと貸してくれるという。

かくして、厄介なものをひとつ抱えてまた旅に出ることとなる。

2012年アイルランドの旅 ~7月15日 エニス~

7月15日 曇り。

ウノさんと上沼君と希花でエニスへ。上沼君はそのままゴールウェイに向かった。ジョニー・リンゴ・マクドナウにボウランの手ほどきを受ける約束があるらしい。僕らもゴールウェイに行く予定があるので、リンゴとは会うだろうし、日本に帰ったらまた、上沼君とも会えるだろう。

そして、今後はイギリスに住むことになるだろうウノさんとも、どこかでまた会うことができたら嬉しい。

みんなと別れて宿泊先に向かった。今夜はジョセフィンがブローガンズというパブでのセッションに誘ってくれている。

9pm,この人は珍しくほぼ時間通りにセッションを始める。さぁ、始めようとしたときギターをかついだ女性が入ってきて「ジュンジ、久しぶり。ニーヴよ」とおおきなハグをした。「ニーヴ・パーソンズ?」エドモントン・フォーク・フェスティバル以来だ。10年ぶりになるだろうか。

そしてその日、彼女はいっぱい歌を唄ってくれた。パブでは演奏の時には少々うるさくても仕方ないが、歌の時には静かにすることを要求されるし、またそれが礼儀でもある。

グラスを叩いたり、シーッとみんなで言ったりする。それでも気がつかず、あるいはおかまいなしにしゃべっているひとがいることもあるが、その時のニーヴはさすがだった。こう言ったのだ

「大丈夫よ。あたしが歌いだしたらみんな静かになるから」そして、アンディ・M・スチュアートの名曲“Where Are You Tonight”を唄いだした。凄い。一瞬にして騒々しかったパブを別世界にひきずり込んでしまったのだ。

「ジュンジ、一緒にギターを弾いて」と目で合図する。僕も大好きな曲だし、ディアンタというグループのメアリー・ディロンのレコーディングを希花に聴かせてからは彼女のフェイヴァリットソングでもあった。

僕とニーヴの間にはさまれた希花にとっても極上の瞬間だっただろう。

そして、またジョセフィンとミックとのチューンに入る。この日たまたま居合わせたお客さんにも素晴らしいひと時となっただろう。

普段ニーヴがひとりでフラッとパブに現れるなどあり得ない、ということなので、ジョセフィンが僕のために仕組んだサプライズだったのだろう。

感謝、感謝の一日だった。

撮影 ジョセフィン・マーシュ

2012年アイルランドの旅 ~7月14日 ミルタウンマルベイ~

曇っているが時々太陽が顔をのぞかせる。

前の晩からの大騒ぎで少々寝不足気味。ここでケリーの人たちと過ごすのだったら覚悟が必要だ。

今日は前日に会ったウノさんと、大阪の上沼君とでセッションに出かけてみよう、と相談がまとまっていた。

そして、どこに行こうかと話をしているところにジョセフィンから電話が入った。もし暇だったらヒラリーズというパブに行くから是非来てほしい、という。

ジョセフィン・マーシュは以前コラムでも書いたが、実にセンスのいい滑らかな音と抜群のリズム感覚と鋭いコード感覚を持ち合わせたプレイヤーだ。そして小柄でかわいくて、とてもいい人だ。みんなから好かれている。

そんなジョセフィンから再三誘われるということはとても光栄だ。ぼくはみんなを引き連れて一目散にヒラリーズに向かった。

ウノさん、上沼君、そして希花と僕がジョセフィンを囲んで後から数人の人たちが集まってセッションをしていると、またしても見た顔が驚いている。僕も非常に驚いた。その昔、サンフランシスコのプラウ・アンド・スターズのセッションによく来ていた牧師さんであり、フルート吹きのジョン・グリフィンだ。

ミュージシャンとしての付き合いではなく、それでもセッションではよくお話したものだが、そういえば97~8年ころからあまり見かけなくなり、誰かが彼はアイルランドに戻ったよ、と言っていた。

じつに彼ともそれ以来だが、全然変わっていないのには驚いた。めちゃくちゃにいい人だ。沢山のひとが見ている中、日本人4人がジョセフィンを囲んでいる様は他のパブとは異質に見えたのかもしれない。ジョンもそんな光景にふと、足を止めてみたら僕が居た、というところだろう。

嬉しい再会が沢山あったミルタウン・マルベイとも今日一日でお別れ。明日はエニスに向かうのだが、また帰ったらケリーの人たちが大騒ぎすることだろう。

だがそれは、予想をはるかに超える凄まじいものだった。

2時ころからポルカが始まり、数人が雑魚寝していたちょうど僕の枕元で、あれは4時ころだと記憶しているが、激しいステップを踏んでしばらくして出て行った奴がいた。あとで、あれはブレンダンの息子で、コンサルティーナの名手、コーマックだ、と言った人がいたが、彼のキャラではない。絶対にシェーマス・ベグリーの息子の、これまたコンサルティーナの名手、オーインにまちがいない。彼だったらやりかねない。

なにはともあれ、音楽はいくら酔っ払っていても大したものなのだ。ひとりの若者が僕の足元で携帯を握り締めて、そんな大騒ぎの中でいびきをかいている。それをみてもやっぱり白人はタフだな、と思ってしまう。

踊るアホウに寝るアホウだ。

朝方、ほとんど寝ていないはずのコーマックがコンサルティーナを練習していた。何度も何度も同じフレーズを続けていた。その真剣な姿はさすがに27歳という若さでありながら、この楽器のマイスターの一人として名を連ねているだけはあるな、と思わざるを得ない。同時に悪乗りして枕元でダンスをするようなキャラにもみえない。

ミルタウン・マルベイで最後に見た素晴らしい光景はコーマック・ベグリーの真剣な眼差しだった。

2012年アイルランドの旅 ~7月13日 ミルタウンマルベイ~

今日は午後からブレンダンとラジオに出演して演奏することが決まっている。さらに、予てから連絡を取り合っていたジョン・ヒックスともどこかで会えるだろう。そして夜はジョセフィンと一緒。予定が山盛りだ。

ラジオはすべてがゲール語で進行している。僕と希花は何もわからず、ただすわってにこにこしているだけ。ブレンダンが曲目を言ってカウントを取って、Ukepick Waitzをまず演奏し、そしてまたにこにこして、Master Crowleysを演奏して15分の出演が無事終了した。

ブレンダンと別れてまた、ぶらぶらしているとカハル・マコーネルに出会った。少し立ち話をして別れると、通りをにこにこして一目散に渡ってくる奴がいる。その風貌を見て希花が「あっ、ジョン・ヒックス」と叫んだ。

実に17~8年ぶりだ。少しも変わっていない。どこかでやろう、と一緒に引き連れてきた仲間を一通り紹介してくれた。僕のほうも、いつも一緒にやっていて、どれだけ君の事を話しているか…といって希花を紹介。そして場所探しにあるきまわり、あるパブの裏手にあるパティオに落ち着いた。さすがに鼻が利く。

久しぶりに彼の凄まじいテクニックと、えもいわれぬタイミングでぐいぐい押してくる独特のギタープレイに酔った。

しかし、他の音にじっと目をつぶって、真剣に耳を傾ける姿はさすがに一流のプレイヤーである。自分の音だけを押し出してくるわけではない。日本のアイリッシュミュージックファン達が彼のプレイを生で聴いたことがない、というのは不幸だ。いつか是非日本の地を踏ませたいものだ。

4時間ほど彼と一緒に過ごした後、ジョセフィンとの待ち合わせの場所に行った。そして途中少し彼女の家に寄り、相方のミック・キンセラをピックアップして一路キルラッシュへ。すぐ近くよ、と言っていたが軽く一時間ほどすっ飛ばして目的地であるパブに着いた。

地元のフィドラーが3人ほど加わった一番いいパターンの落ち着いたセッションだ。ミックはコンサルティーナを弾きながら、ボブ・ディランのようにホルダーにセットしたハーモニカを吹いて歌を歌ったりする。

それにジョセフィンのアコーディオンが絡む極上の音楽を楽しんでいると、よく知っている顔が入ってきた。もちろん体も一緒だ。そしてその体全身で驚きを示した。こちらに長いこと住んでいるコンサルティーナのウノヒロコさんだ。

コンサルティーナという楽器に惚れて、アイルランドの音楽をこよなく愛し、とうとうアイルランドに来てしまったという、いつもにこやかでパワフルな人だ。

まさか僕らがここに居るとは思わなかったらしい。いい感じのテリー・ビンガム譲りのプレイを聴かせてくれた。

1時をまわったころブレンダンの家に戻ると、15~6人の若者たちが騒いでいた。みんなミュージシャンだ。ほとんどがブレンダンの娘やシェーマスの子供たちの友人や、そのまた友人達。困ったことにケリーから来ているらしい。ケリーの人間は疲れ知らずで朝までどんちゃん騒ぎをする。結局、寝る態勢にはいったのもつかの間、4時ころから一大ポルカ大会に何故か加わっていた。

2012年アイルランドの旅 ~7月12日 ミルタウンマルベイ~

今日もどんよりとして寒く、時折激しい雨が降ってはサッと止む。

朝、キッチンに行くとブレンダンがコーヒーを淹れていた。再会を祝し、コーヒーとポリッジでしばし歓談。今日は午前中アコーディオンのクラスがあるので、午後ちょっと先のベルブリッジホテルというところのロビーで待ち合わせることにした。

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2012年アイルランドの旅 ~7月11日 ミルタウンマルベイ~

ダブリンからリムリック/エニス経由で目的地へ。ブレンダンの末娘であるクリーナがモロニーズというパブで待ってくれている、ということだ。沢山の人で埋め尽くされた店の中に入るとまず、12~3人のセッションのかたまりの中に高橋創君の友人、リアムが巨体をゆらしてコンサルティーナを操っているのが見えた。チラッとこちらを見て首を一瞬斜めに倒す。アイルランド人独特の挨拶だ。こちらも同じようにして、挨拶を済まし、さらに奥へと進む。すると、パティオのようになった場所に7~8人のティーンエイジャーのセッションを見つけた。小学生くらいの男の子がアコーディオンを弾いているその隣にクリーナを発見。めでたく再会を果たし、一緒にいたシェーマス・ベグリーの娘のミーブとともにベグリー家に向かった。

街の中心部から車で5分ほどのところにベグリー家がある。途中、牛が並んでこちらを見ていたり、犬が飛び出してきて一緒に走ったり、アイルランドの田舎のどことも変わらない景色を通り過ぎて、広い広いベグリー家に到着。ブレンダンはまだ来ていない。とりあえず荷物を置いて再び街の中心部、セッションで盛り上がっているところに出かけるが、どこもかしこも人、人、人で都心並みだ。 続きを読む

2012年アイルランドの旅  ~ダブリン~

7月9日、気温16度、曇り。ダブリンに着いた。今回はスムーズに荷物が出てきた。コぺンハーゲン乗換えという、過去に経験のないルートを使ったため、心配はひとしおだったが、ギターのケースに大きく書いた“ダブリン、アイルランド”という紙を貼っておいたのが利いたのかも知れない。それでも違うところに行くようだったら、この辺の空港職員は日本の政治家並みだ。

なにはともあれ、今日は偶然にもダブリン市内で、クリスティー・ムーアのコンサートがあり、ゲストにマーチン・オコーナーバンドが出る、ということだ。

フィドルとバンジョーにカハル・ヘイデン、ギターはシェイミー・オダウドだ。シェイミーとは彼がダーヴィッシュにいたころから仲が良かった。 続きを読む

アイリッシュ・ギター

かねてから僕は、アイリッシュ・ギターなどという分野は存在しないのではないか、ということを言ってきた。

何故そう思うのかが、自分でもようやく分かりかけてきた。これは決して通常で言う”正しい意見”などというものではない。あくまで僕個人の見解なのだが。

音楽は結局のところ、好きか嫌いかでしかない。自分の見解がどこでもまかり通るはずはないのだから。

さて、いろいろ見てみると、アイリッシュ・ギターあるいはケルティック・ギターと言われているもののほとんどが、ロンドンデリー・エアーないし、サリー・ガーデン、ウォーター・イズ・ワイド、シーベッグ・シーモアといったスローエアーやバラッドを素材にしている。

そしてそれらを演奏する人たちはリールやジグ、ホーンパイプ、スライド、ポルカなど、いわゆるダンスのための伴奏などをしたことがないひとがほとんどだ。

だが、何故か彼らは”アイリッシュ・ギタリスト””ケルティック・ギタリスト”として名を連ねている。

彼らは一様に、実に素晴らしいテクニックを持った、フィンガー・ピッキング・ギタリストだ。オキャロランの曲や、美しいメロディを持った古くからのアイリッシュ、スコティッシュの曲は彼らにとっては、いわゆる”おいしいところ”なのだろう。

では、彼らに果たしてダンス曲の伴奏が出来るかどうか、と言う点においては微妙であるし、今まで見てきた無理な例というものも知っている。

アイリッシュ・ミュージックの伴奏におけるギターについては、よくこんなことを言う人がいた。「ウォッシュボード・ギターだ」どういうことか分かると思うが、いわゆるリズムだけを延々と奏でる(勿論スローな曲ではアルペジオやフィンガーを使うが)そういう人たちのことだ。

伴奏ではリズム感さえある程度あれば(今時の若い人たちはいいリズム感覚を持っていると思う)なんとかサマにはなる。

おそらく、フィンガーピッキングによる演奏ではかなりのテクニックが必要ではあるが、タブ譜なり、教室などである程度習うことが出来るだろう。しかし細かいテクニックはさほど要求されない伴奏のほうは何故かそういうわけにはいかない。

ある程度基本的なテクニックは、見たり聴いたりで習得することができるだろうが、メロディは自分で覚えなくてはいけないし、それを体の奥底まで入れなくてはいけないのだ。その上に各楽曲に最良の音使いを自ら選び出す。100曲なら100通り。500曲なら500通り。適当にやっていると先に言った「ウォッシュボード・ギター」になってしまう。

スローエアーやバラッドを演奏するギタリストのほとんどに僕が抵抗を感じているのは、たかだか50曲程度のスローエアーやバラッドをレパートリーに取り入れていることで、アイリッシュ・ギタリストという枠の中に名を連ねることだ。いや、彼らにとっては様々な音楽を追求するなかで出会った美しい音楽のひとつなのだろうから、彼らをひとくくりにしてアイリッシュ・ギタリストと呼んでしまうこの国の音楽事情が関係しているところなのだろう。くどいようだが、彼らは飽くなき探求心を持った素晴らしい音楽家たちなのだ。

しかし、ここまでくると頑固な年寄りのたわごと、と思われてしまうかもしれない。

そこで、僕が今まで関わりを持った、あるいは参考にしたギタリストの特徴などを書いておくので、これからアイリッシュ・ミュージックのギターを真剣に取り組んでみよう、と思っている方々にも参考にしていただけたら、と思う。

★Arty MacGlynn   「Lead the Knave」というアルバムではエレクトリック・ギターを駆使した、俗に言われる”サーフ・ギター・サウンド”(カリフォルニアだけかもしれないけど)で度肝を抜いた。ソロから伴奏まで、素晴らしく参考になること間違いなし。

★Michael O’Domhnaill   Bothy Band やKevin Burkeとのデュオで知られる今は亡き珠玉のシンガー兼ギタリスト。特にトラッドのフィドルプレイに対して、ギターはどうあるべきかを探り出すには最良の手掛かりとなる。

★John Doyle    Solasのギタリストであった時代から、おそらく日本では一番追従者が多い人であろう。抜群のリズム感覚とフラット・ピッキングでのリード、フィンガー・スタイル、そして歌、どこをとっても若い人なら確実にノックアウトされてしまうはずだ。

★Donough Hennessy     Lunasaのギタリストであった時代から上記のJohn Doyleと同じくらい人気は高かったが、珍しくベースの入ったバンドでこちらはどうしてもTrever Huchinsonのベースとの連携プレイから作り出されるサウンドが頭に残り、一人ではなかなかフォローできないものかもしれない。

★Jon Hicks     恐るべきハイ・テクニックのフラット・ピッカーであり、シンガーでもある。今年の始め、タイまでよく遊びにきているから呼んでくれたら日本まで行くぞ、とメールが入った。もし、日本のアイリッシュ、特にギタリストを目指す人たちが見たら、あまりに自由奔放なスタイルとトラッドを熟知したスタイルに圧倒されるだろう。

★Steve Boughman     日本の人たちには馴染みはないかもしれないが、中国語ぺらぺらの弁護士であり、優秀な伴奏者であり、高度なテクニックを誇るフィンガー・ピッカーだ。アンドリュー・マクナマラが初めて彼をセッションで見た時「ジュンジ、ファッキン・ジョン・デンバーがいる」と、けたけた笑いながらアコーディオンを弾いていた。確かに見かけは似ている。おっと、また脱線してしまった。

★Randal Bayes    フィドラーでもある彼は、クラシックギターからのアイデアを駆使した美しい伴奏を聴かせてくれる。そしてソロによるエアーなどでも美しすぎるほどのサウンドを聴かせてくれる。

★Dennis Cahill      彼のギタースタイルについてはMartin Hayesありき、というところでしか語れない部分もあるが、マーティンとやり始めた時から彼を見てきた僕にとって、あれだけタイトな伴奏をするようになるとは、正直驚いた。相当きっちりトラッドを勉強した上、自らのスタイルとマーティンの音の好みを究極まで突き詰めることで、そのすべてを把握できる伴奏者になったのではないかと思わざるを得ない。

★Daithi Sproule       彼のプレイに初めて接したのはLiz Carroll のアルバムからだ。その他Paddy O’BrienとJames Kelly とのトリオ、そしてAltanへとつながった。派手ではないが、素晴らしい伴奏者でシンガーだ。

他にも思い出せばきりがないかもしれないが、彼らの殆どは素晴らしいフィンガー・ピッカーであり、素晴らしいトラッド伴奏者である。その両方があって、初めて”アイリッシュ・ギタリスト””ケルティック・ギタリスト”といえるのだろう。

それでも、アイリッシュ・ギターという呼びかたには抵抗を感じている。

サイモン・ラトル

僕が語るのもおこがましいのですが、とても仲のいい超大物中の超大物です。クラシック音楽に興味のない方には馴染みのない名前かもしれませんが、現ベルリンフィルの首席指揮者で、芸術監督でもある人物です。

今までのコラムでも数回彼の名前は出しましたが、あらためて少しだけ書いておきます。

もう20年近く前のことになりますが、ひょんなことで2人の男の子を連れたもじゃもじゃ頭の男と友達になりました。

何故、彼がサイモン・ラトルという有名な指揮者であることを知ったかというと、多くの人が「昨夜のシンフォニーは素晴らしかった」と彼に声をかけていたからです。

そこで、音楽の話になり、僕の家にも遊びに来るようになりました。勿論、僕も彼の家に遊びに行ったりしていました。

2人の子供のベビーシッターをしたこともありました。

長男は少しコロンとしたサーシャ。当時で8歳か7歳くらいでした。次男は4歳くらいだったかな。エリオットという名前でした。

サーシャは既にピアノを弾いていたので、僕のギターと合わせ、そこに、幼少の頃はドラマーになりたかったというサイモンが打楽器で参加する、といったYouTubeにでものせたら大変な騒ぎになるだろう場面もありました。エリオットはお昼寝。

サイモンの仲のいい友達の中には、ボーイズ・オブ・ザ・ロックのアリ・ベインがいます。アイリッシュなんか音楽ではない、と言った”私こそ日本のクラシック音楽の発展を担う人物だ”とでも言いたげな、大阪の某クラシック専門楽器店のおやじと違い、とても幅の広い視野を持っています。

そんなサイモンも徐々に世界中に名が知れ渡る指揮者となり、あまり会うことができなくなりました。

 

2011年、サイモンがベルリン・フィルの指揮者として来日する、という話を希花から聞きました。彼女の母上もオーケストラでヴァイオリンを弾いている人。そういう人たちが知らないわけがありません。何としてでも行きたいから一緒に行きましょう、と誘われましたが、チケットは驚きの4万円。

もったいないからいい、と断っていましたが、発売当日、希花が電話の前で待機。いざかけてみるとなかなかつながらない。やっとつながったと思ったら、な、なんと、発売から2分で売り切れた、ということでした。正直、胸をなでおろしました。

当日、サントリーホールは日本公演最終日でした。希花が「もしかしたら会えるかもしれないから行こうよ」と言いますが、僕はそんな超大物だし、日本ではなかなかガードも固いだろうし、また別な機会でいいよ、と断りました。

しかしそこはさすがに、2浪してまでも行きたかった医学部にくいさがる人です。公演終了時間に合わせて連れて行かれてしまいました。

公演も終わり、多くのクラシックファンが会場から出てきました。僕は係の人にサイモンと会えるかどうか、事情を説明して交渉してみました。

やはりそれは無理だったので、もう帰ろう、というと、希花がオーケストラのメンバーらしき人たちに尋ねています。それでも「グッド・ラック」という返事しか得られませんでした。

まだ、たむろしていた数人の団員らしきひとたちの横を通り過ぎ、帰ろうとすると、ひとりの若者と目が合いました。どこからみても、ヨーロッパ人ではなく、アメリカ人という風情でした。僕は何気なしに「オーケストラのメンバー?」と訊くと彼が驚きの一言を発しました。

「ううん。僕はサイモン・ラトルの息子だ」ほんとうにびっくりしました。

「サーシャ?」「いや、僕はエリオットだ」なんという神様からの救いでしょうか。

「エリオット?僕だよジュンジだよ」キョトンとしていた彼が「ジュンジ!!」と叫ぶまでは、ほんの2~3秒しか掛からなかったのです。

当時、僕の腰くらいまでしかなかった彼も、もう180cmに近いくらいの大きさになっていました。約18年ぶりの再会です。通り過ぎてしまったら分かるわけがありません。

「これからパーティに行くんだ。親父もびっくりするだろうから一緒に行こうよ」僕は今一緒に音楽をやっている人だ、と希花を紹介して、エリオットの後について行きました。

20年ほど前は僕の後にエリオットが付いてきたものですが…。

 

会場に入るとタキシードとドレスに身を包んだ老若男女がシャンペンやワインを片手に談笑しています。焼酎など飲む人はいないようだ。

少しはましな格好をしてきたつもりでしたが、かなり場違いかな、と思わざるを得ませんでした。でもエリオットはジーンズにチェックのシャツ。そんな彼をアメリカ人と思ったからこそ声を掛けてみたのです。彼と一緒にいたらだれも文句はいわないでしょう。

しばらくすると、疲れきった表情のサイモンが多くの人に囲まれてやってきました。記者会見が終わったようです。

すかさずエリオットが「親父、ジュンジだよ」と紹介するとしばらく事情が呑み込めなかったらしく、息子と同じようにキョトンとしていましたが、周りの関係者も多いことだったので

静かに納得して2言、3言、言葉を交わすと、エリオットが紹介した希花とちゃっかりツーショットに収まってくれました。

あまり多くの人に囲まれて忙しそうなので、エリオットに「僕らはこれで失礼する」と伝え、アドレスや電話番号を交換して会場を出ました。

駅に向かいながら希花が言いました。「クラシックをやっていたらまず会うことなんか叶わなかった人に、アイリッシュをやっていて会えるなんてこんな不思議なことが世の中にあるんだ」

入ってきた電車に乗り込もうとした時、僕の携帯にメッセージが入っていることに気がつきました。聞いてみると、サイモンからです。「ジュンジ。帰ってしまったのか。後でゆっくり話をしたいと思っていたんだ。今どこにいる?」あれ、気がつかなかった、と思っていたところにまた電話が鳴りました。

「サイモン」「ジュンジ。話がしたい。戻って来れるか?」「うん、待っててくれ。15分位で戻る」このときの最初のメッセージは今も大事に残してあります。

 

会場に戻るとサイモン自ら出迎えてくれました。そこからはサイモン、エリオット、僕、そして希花と4人で1時間ほどワインを飲みながらゆっくり話をすることができました。

そして再会を誓うと、僕らは終電に間に合うように会場を後にしました。

僕が「良かった会えて。サイモンと友達なんて、でまかせだと思われてたかもしれないし」と言うと

希花が胸を張って言いました。「あたしの粘り強さと、じゅんじさんの運かな」

希花が興奮して実家に戻ると、母上が地団駄踏んでいたらしい…。

スコット・レンフォート&ロビン・ピトリー

時は’93年。サンタ・ローザを拠点に活動していたフィドラーの、スコット・レンフォートとのデュオを始めた。

当時、彼はまだサン・フランシスコの人気バンド「ティプシー・ハウス」に参加しており、ちょうど次期フィドラーのポール・チェィフィーと交代する頃だった。

ケビン・バークをこよなく敬愛するスタイルを持った彼のフィドリングは、ミホー・オドンネルとケビン・バークの演奏に心酔していた頃の僕にとって、あこがれだった。

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パトリシア・ケネリー

日本のアイリッシュ・ミュージック愛好家の間では全く馴染みのない名前だろうが、アメリカ西海岸きってのダンサーだ。

サン・フランシスコにダンス学校を持っていて、多くの生徒さんをかかえている。

僕も、セント・パトリックス・デイなどの大きなお祭りでは必ず、彼女の生徒さんたちのダンスの伴奏をした。

アンドリュー・マクナマラとのほんまもののケイリと、ほんまもののダンス。それが実に見事に決まる。

生徒さんは大人から子供まで、ほとんどが女の子だった。

おもしろいエピソードがある。

車の中にはパトリシアとアンドリューとジェリー・フィドル・オコーナー、そして僕と三人の女子高生。

僕らは今夜のフェスティバル会場に向かっている。

彼女たちが「ねぇ、じゅんじ。アイカップのスペルを言って」僕は迷うことなく「アイ・シー・ユー・ピー」と答えた。

彼女たちはキャッキャ笑う。お分かりかな。(ピーはおしっこのこと)いっぱいくわされたわけだ。

そんな彼女たちも、本番が始まると一流のダンサーとなる。

パトリシアも勿論のこと素晴らしいダンスを披露する。

 

ここらで本題に入ろう。

パトリシアはアコーディオンを弾く。そして、それは決してテクニカルではないが、アイリッシュ・ミュージックに精通する人々は

口々に”ジョー・クーリーの再来”だと言う。

ジョー・クーリーは一時期、サン・フランシスコに住んでいたが、その頃からパトリシアのプレイは評判だったらしい。

彼亡き後、今、最も忠実に彼のプレイを再現する人はパトリシアだと言われている。

彼女はセッションに現れてもほとんど弾くことがない。

でも、僕は必ず彼女にリクエストしたものだ。「パトリシア。マスター・クローリー弾いて!」

目を閉じて聴いていると、本当にジョー・クーリーが目の前にいるようだ。

パブは一瞬静まり返る。パトリシアが目で合図する。「じゅんじ。ギターを弾いて」

ジョー・クーリーのサウンドは永遠に生き続ける。

ミック・モローニ

前回、アイリッシュのギタースタイルについて書いていたとき、突然思い出したことがあった。

10年前、ニューヨーク郊外に住んでいたミック・モロニー宅を訪れた時のことだ。

その日は昼間、コロンビア大学でアイリッシュカルチャーについての講義を担当するミックとともにデモンストレーション演奏の後、

フィラデルフィアの教会で大きなコンサートに出演する予定であった。

ミック・モロニーといえば、あのグリーン・フィールズ・オブ・アメリカの主メンバーで、

シェーマス・イーガンや、アイリーン・アイバースと共に、素晴らしい音楽を聴かせてくれたものだ。

 

僕は、随分前に(おそらく1995年頃)サンフランシスコのケルティックフェスティバル会場で、ジェイムス・キーンとユージン・オドンネル、

そしてミック・モロニー、というトリオを聴いた。

勿論、シンガーとしての彼も素晴らしかったし、キルケリー アイルランドという歌は涙なくしては聴けなかった。

苦しかった時代の、アイリッシュ・ファミリーの数年の出来事を切々と歌い上げる彼の歌には、いたく感激したものだ。

それと同時に、えも言われぬリズムでテナーバンジョーを弾く彼のスタイルにも感動を覚えた。

彼のインストゥルメンタルアルバムは僕のフェイバリットのひとつで、留守番電話のアナウンスメントにも使っていた。

彼の家はアイリッシュ・ミュージックとカルチャーについての資料館のようなものだった。

ありとあらゆるSP盤、テープ、書籍。日本にいたらまず見ることがないだろうものが山積みになっていた。

僕らが生まれるよりも遥かに前からのものもある。

彼は、それらを次から次へと出してきては見せてくれた。

そして、少しふたりで練習して、大学へと向かった。

大学の講義については、「アイリッシュ・ミュージックにおけるギタープレイの真髄」というコラムで少し書いたが、

英語での質疑応答は大変だった。

でも、大分彼が助けてくれた。

 

そして、夜には大きな教会でベネフィットのコンサートだ。

300人ほどの、アイルランド移民や2世、3世たちが一堂に集まっている。

数人のフィドラー、パイパー、アコーディオン奏者たちとの演奏は、さながらグリーン・フィールズ・オブ・アメリカを彷彿とさせるものだった。

聴衆も大喜びの様子だ。

そして、彼と二人で弾いた「マイ・ラブ・イズ・イン・アメリカ」

さらに、大好きだった「キルケリー アイルランド」を彼の歌とギターに僕のギターもかぶせて演奏した。

それは、長年の夢のひとつが叶った瞬間の1シーンであった。

アイリッシュミュージックに於けるギタープレイの真髄

アーティ・マグリン、ダヒ・スプロール、ミホー・オドンネル、ザン・マクロード、マーク・サイモス、ジョン・ヒックス、ジョン・ドイル、シンガーとしても高名なクリスティー・ムーア、ポール・ブレイディー、アンディ・アーヴァイン、ジョン・レンバーン、そして、ドーナル・クランシー…。

名前を挙げればきりなく、影響を受けたギタリストが想い出される。他にも無名ではあるが多くの素晴らしいギタリスト達と共演もした。

そして、その誰しもが素晴らしいトラッドアイリッシュの継承者たちであった。

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アイリッシュ・ミュージックにおけるギタープレイ(DADGAD)

もうご存知の方が殆どと思われますが、僕はダドガドと呼ばれるチューニングを使っています。

DADGAD(6弦から)に調弦するこの方法を産んだのはデイビー・グラハム。

この調弦を僕は1974~5年ころからたまに使っていました。そして、アイリッシュ・ミュージックに本格的に関わり出した頃、ケヴィン・バークとミホー・オドンネルのオハイオ大学でのコンサートビデオを手に入れたことからお話しましょう。

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高橋 創

もう随分前のことになる。当時、まだ中学生だったひとりの男の子が両親に連れられて、あるいは両親が連れられてきたのか、兎に角アイリッシュスタイルのギターを習いたい、という理由で僕の元を訪れた。

特に音楽教育を受けたわけでもないようだったが、少しの弾ける曲にもセンスを感じたものだ。例えば“Shetland Air”などを隣の部屋で弾いているのを聴くと、CDから流れてくる、僕が録音したものと少しも変わらない。

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ジェリー“フィドル”オコーナー

アンドリューの紹介だったが、その昔ちょっとの間“スカイラーク”というバンドで一緒にやっていたことがある、と言う。

とてもひとなつっこい、いいおじさんという感じで、アンドリューと共に日本に来てもらった時も、すしや刺身を盛んにトライしていた。

アンドリューは一切、手を付けなかったどころか、寿司屋でスパゲッティはないのか、と不届き千万なことを言っていた。

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テリー・ビンガム

1999年、アンドリュー・マクナマラと共にカリフォルニアを訪れた彼。大の飛行機嫌いの彼にとっては長過ぎたフライトだったらしい。

這這の体とはああいうことを言うんだろう。まだ身体が震えている、と言ったが、一時間ほどでステージに上がらなくてはいけない。

とりあえずギネスさえ飲めば何事もなかったように回復することだろう。

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トニー・マクマホン

ある朝、枕元の電話が鳴った。出てみると、聞きなれたアイリッシュ・アクセントが耳に飛び込んできた。

「わたしはトニー・マクマホンといって、アコーディオン弾きだが、君はじゅんじか?実はカリフォルニアをツアーした後、日本に行くのだが、君が適役だと思って電話したんだ。いろんな人にギタリストは誰がいいか尋ねたら、みんな君の名前を出すんだ。どうだ、やってくれるか?日本での仕事は大使館主催のパーティ。わたしと君と、それからディ・ダナンが来る」

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ジプシー・スウィングからドーグへ

1969年か‘70年頃、昔のことで記憶は曖昧ではあるが(もっと昔のことで、よく覚えている事柄もあるくせに)当時、聴いている音楽の殆どがブルーグラスだった僕の耳に心地よく入ってきた音楽があった。

“ホット・クラブ・オブ・フランス”というバンドはギターのジャンゴ・ラインハルト、そしてヴァイオリンのステファン・グラペリが中心となるご機嫌なスウィングジャズだった。

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2011年 アイルランドの旅 ~ダブリン その2~

パディが紹介してくれたパブはスウィニーズという名前だった。かなり広いパブで、セッションは2階でやっているようだ。

恐る恐る2階へ上がってみると、いたいた。若手が4~5人。

ギターを持った男が「あ、じゅんじ。パディから聞いたよ。前に会ったことあるのおぼえてるか?」確かに見覚えのある顔だ。

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2011年 アイルランドの旅 ~ダブリン その1~

旅もそろそろ終わりに近付いている。ダブリンからティペラリーにいるパディ・キーナンに電話した。

2日ほど前、車が故障して、今いるところから動けない、と言っていた。もし行けるようになったら、ぜひ君達に会いたいからダブリンに着いたら電話してくれといわれていたからだ。

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2011年 アイルランドの旅 ~ゴールウェイ その5~

ゴールウェイ最後の日。ここからはもう日本に帰る日がせまってきている。ダブリンに寄るがあの町にはそんなに魅力を感じていない。

ニュー・ヨークほどエキサイティングな印象もないし、いうなればロス・アンジェルスみたいなものかな。

これも人によって違うから、ただ単に僕にとって、というだけで、本当は知らずして面白いことが沢山あるのかもしれない。

なんか食べよう、と歩いていると、いつも見かける小さな店だが“世界でいちばん美味しいフィッシュ・アンド・チップス”みたいな大それたふれこみのファスト・フード店が、今日は珍しく空いていた。
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2011年 アイルランドの旅 ~ゴールウェイ その3~

アイリッシュブレックファーストを食べながら、昨日のフランキー・ギャヴィンは凄かった、という話で充分盛り上がることができた。

今日はバスキングに精を出してみよう。この町ならやりがいがあるかもしれない。だがバスキングの場所を探すのもなかなかに難しい。

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2011年 アイルランドの旅 ~ゴールウェイ その2~

朝からどんよりした、いかにも少し北寄りの、肌寒ささえ感じるアイルランドらしい天気だ。そういえばアンドリューが言っていた。「アイルランドの夏は7月で終わりだ」

随分前は、よく北海道に行っていたが、あそこもこんな感じだった。特に秋の北海道の景色はたまらなく寂しかった記憶がある。

波に浮かんでプーカプカという南国とはぜんぜん違う音楽が生まれて当然だろう。

そういえば昔、ハワイの音楽にも憧れたなぁ。ギャビー・パヒヌイをはじめとするハワイアン・スラック・キーによるギタープレイにも影響を受けた。

パディ・キーナンの書いた“ジョニーズ・チューン”で僕がソロを弾くと、初めてそれを聴いたフランキー・ギャヴィンが「よ!ライ・クーダーじゅんじ!」と叫んだ。さすがに幅広いミュージシャンだ。ちょっとした音で僕がライ・クーダーの大ファンだということを見抜いてしまう。

ロバート・ジョンソン、B・Bキング、ジョニー・ウィンターからビリー・ホリディ、そのうえキング・クリムゾンやペンタングル。想い出せばきりがないくらい様々な音楽に影響を受けた。

そして、アイリッシュへ。
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2011年 アイルランドの旅 ~ゴールウェイ その1~

クレアから少し北、ゴールウェイに来ている。ここも観光客や学生が多い町だが、音楽はクレアにまけず劣らず、ひたすらに熱い。

まず、フランキー・ギャヴィンと連絡を取る。とても忙しそうだが、時間を作って会いに来てくれるそうだ。

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2011年 アイルランドの旅 ~フィークル その5~ 

もう書くこともあまり無い。今日もセッションだ。また、朝早くからバンジョーの音が聴こえてくる。

80年代、ヴァージニア州、ゲイラックスのオールドタイム・フィドラーズ・コンベンションを訪れた時、4日間で1時間程も眠らなかった覚えがある。勿論、若気の至りというか、若かったからできたことである。
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2011年 アイルランドの旅 ~フィークル その4~

朝、リヴィングに行くと、イギリス人のバンジョー弾きが今か今かと待っている。例によって、朝飯前のセッションが始まる。

横で聴いていたカメラマンが言った。「Strayaway Childっていう曲知ってる?」実に懐かしい曲だ。70年代、ボシーバンドでよく聴いていた。もう懐かしすぎてメロディが定かではないが。

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2011年 アイルランドの旅 ~フィークル その3~

彼女の名前は、トムシーナ。変わった名前だが、以前テレビのニュースで、イタリアの猫が莫大な遺産相続をした、というのがあった。その猫の名前がトムシーナだった。そういえば彼女、イタリア系だって言っていた。

仕事に行くトムシーナを見送って、僕らは少しB&Bで休んでからまたフィークルに向かうことにした。

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2011年 アイルランドの旅 ~フィークル その2~

朝食の前に、リビングルームで一緒にここに泊まっている人達としばし歓談をして楽しむ。一人は写真家で、この家に飾ってある数々の音楽家の素晴らしい写真は、彼が撮ったものらしい。

もう一人がイギリスから来ている、僕らが着いた時バンジョーを練習していた、50代前半くらいの人だ。

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2011年 アイルランドの旅 ~フィークル その1~

今日から4日間、カウンティ・クレア フィークルだ。勿論ドゥーランも同じカウンティなので比較的近い。

途中、モハーの断崖を通るが、もの凄い霧と強風で何も見えない。こんな時には絶対に近寄りたくないところだ。くわばら、くわばら。

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2011年 アイルランドの旅~ドゥーラン その2~

天気は上々だ。晴れ男としての面目は今のところ保たれている。とはいえ、ここは地の果てアルジェリア~…ではなく、アイルランドだ。山の天気のごとく変わりやすいのが常。

風も強く、肌寒いが、今ごろ日本ではみんな溶けているだろう。

 遠くにモハーの断崖が見える。高所恐怖症のまれかは近くで見たがらないのでここからでいいだろう。かく言う僕も無類の高所恐怖症である。3度ほど行ったことがあるがいつでもへっぴり腰だった。

2011年 アイルランドの旅 ~ドゥーラン その1~ 

この地をアイリッシュ・ミュージックに於ける聖地のひとつに挙げる人は、世界中に数多く存在する。

この小さな町で(というか、村落とでも言えそうなところ)毎夜音楽が演奏されている。それも上質なトラディショナル・アイリッシュ・ミュージックが。

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2011年 アイルランドの旅~カウンティ ケリー その3~

さあ、今日はディングルまで行ってバスキングをしてみよう。最初の日に寄った楽器屋のおやじに、いい場所がないか訊いてみてもいいし。

 朝食は庭でとれた野菜と、パンとコーヒーで充分。ここには24時間おなかを空かせたカフードがいるので、食べ物はなんでも揃っている。

それに、ブレンダンは日本食にとても興味があるので、有難いことに米や醤油、インスタントの味噌汁までおいてある。

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2011年 アイルランドの旅~カウンティ ケリー その2~

今日は特にやることはないが、夜にはまたケイリ・ダンスで演奏があるから一緒に行こうと言われている。

そして、そこには兄のシェーマスと、それからギタリストのドナウ・ヘネシーが来ると言う。

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ハリー・ブラッドリー&アシーナ・タルジス

日本のファンにはあまり馴染みのないコンビかもしれないが、それもその筈。彼らがコンビを組んでいたのは‘96年か‘97年頃のほんの短い期間だった。

アシーナはサン・フランシスコ出身のフィドラー。初めて彼女を見たのは、多分彼女がまだ17歳くらいの頃、メンドシーノという北カリフォルニアの小さな町で、ラーク・イン・ザ・モーニングという大民族フェスティバルの最中でのことだった。

若くてとびきり美人のフィドラーである彼女は華麗なる超絶テクニックで他を圧倒していた。

聞くところによると、スコティッシュ スタイルのフィドリングをアラスデァ・フレイシャーに師事したチャンピオンフィドラーらしい。
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キャサリン・マカヴォイ&メアリー・マクナマラ

メアリーは言わずと知れたアンドリュー・マクナマラのお姉ちゃん。初めてマクナマラ家を訪れた時、僕のために米を炊いてくれた。それとアイリッシュ・シチュー。シチューは何杯もおかわりした。米は日本人のようにはいかなかったのかもしれない。でも一生懸命考えて用意してくれたことを思うと、世界中にフォロワーがいるこのコンサルティーナ奏者も、いい主婦なんだな、と実感した。

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トミー・ピープルス

トミー・ピープルスが西海岸にやって来る。それは本当に久しぶりのことで、この音楽のファンにとっては長い間待ち焦がれていたものだ。

 パブのオーナーからの電話で僕がギターを弾くことになった。ふたりだけで、3時間近く演奏しなくてはならない。

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アイルランド音楽について 1

本格的にアイルランド音楽を演奏するようになってから20年の月日が流れました。実に多くの演奏家たちと関わり、数千曲にも及ぶ楽曲を演奏してきました。
そろそろ自分の思うことや、経験してきたことなどを書き残していってもいい時期にきたような気がします。
マーティン・ヘイズ、パディ・キーナン、フランキー・ギャビンなど、錚々たる顔ぶれとの知られざる話などもゆくゆくは書いてみたいと思います。次回、先ずはどこからこの音楽に入っていったかを、自己紹介なども含めてスタートしてみます。 続きを読む

Mreka & Junji「Keep Her Lit!」

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トラディショナル アイリッシュミュージックを基盤に、オリジナル作品、ブルーグラスなども収録した、聴きごたえある一枚。 スペシャルサイト おかげさまでCDは完売いたしました。ありがとうございました。