2014年 アイルランドの旅〜ジョニーの家〜

6月28日(土)晴れ  今日も涼しい風がふいている。昨夜のうちにそこそこ雨が降ったようだ。

今日からしばらくジョニー“リンゴ”マクドナーの家に泊めてもらう。ゴルウエイから車で20分くらい。オランモアーの一角、静かな住宅街に彼の家はある。

今晩はゴルウエイのパブでフィドラーのローナンとバンジョーのブライアン、そしてジョニーと僕らでのセッションをやる。

ローナンも若手の良いフィドラーだし、ブライアンもディ・ダナンのキーボード兼バンジョー奏者として活躍した人だ。

セッションの途中でジョニーに電話が入る。

このセッションの後、10時からスピダルというところでジョニー・コノリーのセッションに来てくれ、という話だ。

ゴルウエイの中心部から西に40分ほどだろうか。ジョニー(リンゴ)は僕らにも誘いの言葉をかけてくれた。

ジョニー・コノリーは有名なアコーディオン奏者で、父親の同じジョニー・コノリーというメロディオン奏者と共に有名な音楽家だ。

少し早い目に9時40分くらいにパブに入る。

小さな街並みの中に4軒ほどのパブがみえる。外はまだ明るい。しばらくするとふたりがやってきた。

ジョニーが僕らを紹介してくれた。今日はジョニーが3人もいてややこしい。もう一人スティーブというアコーディオン弾きも現れた。50代はじめくらいのこの人も普通にアコーディオンを操る。かなり上手い人だ。

そして、ジョニー(息子)の方はかなりのテクニック。目を閉じてひたすら弾きまくる。父親のジョニーはテクニックもさることながら、にっこりしてかなり渋い味を持っている。

超一流のセッションという雰囲気だ。そこに一人ビールを持った老人が来てセッションを聴いている。みんなの知り合いのようだ。

どこかで見たことがあるかもしれない。う〜ん誰だったかな、と思いながら彼らの会話に耳を傾けていると、盛んにチャーリーと呼んでいる。

もしかしたらあの人かもしれない。一度サンフランシスコで顔を見たくらいの感じで会っているあの人かもしれない。

希花に「多分彼はあの人だよ。試しにあれ、やってみてくれ。12PinsとKilty Townのセット」といってみる。何故ならば有名な、あのチャーリー・レノンのセットだからだ。

始めようとして、息子のジョニーに曲を告げると、老人の方を向いて「チャーリー・レノンセットだ」という。すると彼は嬉しそうにうなずいた。

チャーリー・レノンだ。間違いなく彼だ。フィドラーとして、ピアニストとして、また作曲家としてアイリッシュ・ミュージックの世界に現存する伝説の一人だ。

希花にとってみても、会うことは叶わなかったかもしれない人物が目の前にいて彼女のプレイをじっと聴いているのだ。しかもかなり最初のほうから。

チャーリーはとても喜んでくれた。やっぱりスタンダードといわれるものをきっちり覚えておくことは大切なことだ。

チャーリーに訊いてみた。「サンフランシスコにはいつ頃行きましたか?」すると彼は「そうだな。随分前だったなぁ。90年代の半ばだったかな」「そのときあなたはプラウ・アンド・スターズに寄りませんでしたか?」「うん、行ったよ。そういえばセッションをやってたなぁ。君か?」

あの時、ジャックがチャーリー・レノンだ!と言った記憶はかなり鮮明にのこっていたのだ。

その時もカウンターでビールを飲みながらにこにこして聴いていた…ような気がする。

今度はどこで、いつ会えるだろう。

家に戻った時には、もう2時を回っていた。しばしジョニーと紅茶を飲みながら歓談し、4時近くになってベッドに入った。

チャーリー・レノンは超大物だった。でも気がつかなければ、少し上品な単なる飲み客にしか見えなかっただろう。

くわばら、くわばら…。

 

6月29日(日)薄曇りながら大体晴れ。 後快晴。

日曜日。8時半までセッションもないので、キンバラという風光明媚な街に行ってみる。

パブの前にジョニー・モイナハンが座っていた。アイリッシュ・ミュージックにブズーキを初めて持ち込んだ人だ。

この街にも有名なミュージシャンが沢山住んでいる。セッションも行われているが、今日はとことんゆっくりすることに決めているので、3人でお茶をのみながら美しい景色を楽しんだ。

10時になっても日本の夏の午後6時くらいかな、まだ明るい。時間の感覚が次第になくなってきている。

 

 

6月30日(月)快晴。気温は20度くらい、とラジオで言っていた。

絶好の洗濯日和だ。

今日は夕方からクレアに行って地元のクレアFMに出演する。ジョニーと、もうひとりConor Keaneというアコーディオン奏者が一緒だ。

彼らは最近新しいアルバムを出した。その宣伝も兼ねてのラジオ出演にぼくらもゲストとして出させてもらう。

Conorとは去年どこかのパブで一緒に演奏しているし、ラジオのパーソナリティとは随分前に会ったことがあるらしい。

クレアにはアンドリューを筆頭に知り合いが多くいて、どこにいっても「よ、久しぶり」と言うような人がいっぱいいる。

お顔は覚えていますが、お名前だけが♪とはよく言ったものだ。

ぼくらが出番を待っていると、ご機嫌なコンサルティナが聴こえて来た。マリー・マクナマラの新しいアルバムがかかっている。

クレアの、タラの景色が浮かんでくる。

僕らの出番がやってきた。まず、彼らのニュー・アルバム“Rough &Ready”の紹介から彼らの生演奏。

Conorは実に良い演奏家だ。ジョニーとはArcadyのころからの付き合いらしい。

素晴らしいリズムがスタジオに充満する。

おしゃべりがあって、ジョニーが僕らをしょうかいしてくれる。ラジオで、あるいは公共の場でしゃべるのは難しいことだ。3〜4分の質疑応答のあとぼくらも1セット演奏した。

そして最後に4人でジグを演奏して無事終えた。

スタジオの外に出るともう夜の9時半過ぎているのに、まだ全然明るい。一路ゴルウエイに向かうが、フリー・ウエイに全く車がいない。

対向車線は時々走って行くが、ゴルウエイ方面には最初の30分位、前を行く車も追い越して行く車もいない。

空がオレンジ色に染まっている広大なクレアの夕暮れを独り占めしているようだった。

明日から友人のアパートに引っ越しだ。ゴルウエイの中心にある便利な場所で、しばらくはそこを拠点にして動く。

2014年 アイルランドの旅〜一路ゴルウエイへ〜

6月23日(月) またまた快晴。ゴルウエイに向かうバスの中でテリーから電話がかかる。もうここまで来るとお構いなしに話してしまう。

アイルランドではどこでも携帯の着信音が聞こえてきて、結構な大声で話している人が多い。それにくらべれば僕の声なんて小さい方だろう。一応は気を使っているし。

来月少し時間が出来たらゴルウエイに出てくるということで話を終えた。僕らは彼を日本に呼びたいのだ。コンサルティナの神様のひとりである彼はとても素朴な人で本当の本物のトラッドミュージシャンだ。

日本のアイリッシュ・ミュージック愛好家たちがどれだけ興味を示すか分からないが、彼らが最も聴かなければいけない人のひとりであることは確かだ。

3時頃ゴルウエイに着いた。少し風邪気味なので今日はゆっくり休むことにする。このところ寒すぎる。

30度にもなるところから、夜になると15度を大幅に下回っているだろう場所に突然身を置いているので体が付いて行けないのだろう。やっぱり歳かな、と思いつつも希花さんも風邪っぽいようだ。

無理も無いかもしれない。まぁ、希花さんに診察してもらうよりは、葛根湯でも飲んで早く寝た方がいいだろう。

来月に入ったらいろいろと忙しくなるので今のうちに体力温存で行こう。

6月24日(火)快晴。 朝5時をちょっとまわったところ。夕べ10時少し前には深い眠りに就いたので4時頃にはもう目が覚めた。外はもう明るい。そういえば、昨晩眠りに就いた時も明るかった。

少し曇っているようだが、今日の文章の頭の部分にも、快晴、と書けるようになるのか、それとも今日くらいは雨に降られるか…どうだろう。

果たして…快晴。

昼前に楽器屋へ行って5弦バンジョーをゲット。これからの仕事で使えるようにすこし良いものを手に入れたが比較的、いや、かなり安かったので大満足。

それからコーマックと落合って仕事の話をして、なんやかやくだらない話もして、ショッピングストリートを歩いていると、どこかからオールド・タイムが聴こえてくる。

見てみるとフィドル、ベース、ギターのトリオだ。5弦バンジョーもある。ギブソンのスクラッグス・モデルだ。

Nobody’s Businessを一曲聴いたところで尋ねてみた。「バンジョーを弾かせてくれ」快く受け入れてくれたのがいかにもアメリカ人らしい対応だった。バージニアから来ているらしい。

すでに沢山の人が聴いていたが、予想のできない展開で、あっという間に黒山の人だかりができた。

やっぱりブルーグラスはなんとなく陽気で人々の興味を引くらしい。彼らもなかなかに良いグループだった。

さて、この国で晩御飯になにを食べるかということを考えるのは、なかなか難しいことだ。

「美味しかったね」「また来ようね」というような日本のコマーシャルにあるような言葉を交わすことは先ず無いとみていい。

こういう物が美味い、という味覚はいったいどこからくるのだろう、と思わせる料理がほとんどだ。

結局、フィッシュ・アンド・チップスで済ませるのが一番安くてお腹に溜まる。そしてほとんどどこも同じ味だ。

そういえば東京のどこかで「東京一美味しい本場の味」と詠ったフィッシュ・アンド・チップスを出している店があったなぁ。

本場の味ってどんなもんか知らないのかな。

日本の食文化は偉大だ。

6月25日(水)曇り。また早く目が覚めたので6時から散歩に出た。少し歩くとGalway Bayに出る。

初めてBreda Smythに連れて来てもらった時も今日のようにどんよりした天気だった。

これから7月に入ると少し雨も多くなるのかもしれない。そして8月半ばにはもう夏が終わる。その頃になると、上着なしでは歩けないこともある。

やはりそういう気候だから、がっつりとしたものを食べなければいけないのだろう。

「旨味」などという概念がないのもうなずける。

午後1時半、アイルランドらしい雨が降って来た。ある意味これでなくちゃ、という感じだ。

びしょびしょに濡れたソフトケースのギターをかついで、走るでもなく行き交う若者、雨にうたれたテイクアウトのピザを食べながら歩いている女の子。どこまでもワイルドだ。

これから先はこんな天気が続くだろう。それでも降ったり止んだりすることがほとんどだ。

通りをぶらり歩いているとアコーディオンが聴こえてきた。覗いてみるとアンダースともう一人、バンジョーの二人だけでやっている。

アンダースは奥さんが「まよさん」という日本人のフィドラーで、今日はいらっしゃらなかったが、奥さんの里帰りも兼ねて日本で演奏したりしている、日本でもよく知られているカップルだ。

アンダースはゴルウエイのセッション・ホストの一角を背負っている。ミュージシャンの数が少ないセッションは、全ての音が聞こえてとてもいい。まだまだ早い時間だったので、それが良かったのだ。

6時〜8時くらいのセッションではそういうことが結構ある。特にギタリストやブズーキ奏者がもうひとりいて、たいして理由の無いコードを感覚で入れられたりするとお手上げだ。

また、そういう人に限ってなかなかやめてくれないのだ。

8時にセッションが終わった。みんなに挨拶をして出てくると、そうだ、思い出した。

すぐ裏手の教会、セント・ニコラス・チャーチでコーマック達がコンサートをやっているのだ。今日は彼を含めた5人のミュージシャンによるライブ・レコーディングが行われているはずだ。

少し覗いてみることにした。

50人ほどのお客さんに囲まれてシリアスに録音している。セント・ニコラス・チャーチは素晴らしく美しい音をプロデュースしてくれる。

ピアノ、コンサルティナ、フィドル、パイプ、そしてブズーキの音が、自然のリバーブでお客さんを包んで、なんとも荘厳な雰囲気だ。

この教会では去年に続き、ぼくらも何度か演奏する予定になっている。

久しぶりに12時をまわるまで徘徊した。

6月26日(木)朝のうち雨。現在10時。もう晴れて来ているが安心はできないだろう。

外からはかもめの鳴き声がひっきりなしに聞こえる。ゴルウエイもダブリンも同じだ。

街のいたるところをカモメが飛び交い、そして歩道を歩いている。車の行き交う通りを早足で渡るかもめ。変な奴だなぁ。飛んだ方が早いんじゃないかな、と思ったりして。

午後6時。またアンダースの軽快なアコーディオンが聴こえて来た。今日は8時からバージニアの連中の演奏を聴きにいくのでそれまでセッションに加わらせてもらおう。時間的にはちょうどいい。

セッションを終えてコーマックのアパートの隣にあるモンローズというパブに行く。

彼らともうひとつのバンドとのコンサートがここであるのだ。

彼らの演奏はいかにもアメリカらしい、様々な音楽をミックスしたものだった。ブルーグラスあり、スウィングあり、ヨーデルあり、30年代のデイブ・アポロンのロシアン・ラグはなかなかきまっていた。

かなり楽しいバンドだった。

そして、次に登場したグループは5人編成の、これもなんと説明していいだろうか。スライゴーのフィドラーを中心にして、フラメンコ・ギターのスナフキンみたいな奴から、マンドリンを巧に操り、チェロやキーボードを弾く女の子、一見今にも死にそうなギタリスト、それとベース。中近東ものあり、アイリッシュあり、スパニッシュあり、ボーカルもそれぞれ味があって実に上手い。ゴルウエイもさすがに音楽が盛んな都会だ。さしずめボストンのような、と言えるだろうか。

戻って来たのが12時少し過ぎた頃。眠っていたら3時半にジョニー“リンゴ”からメッセージが入った。

明日、いや、もう今日だ。6時からセッション・ホストをやってくれ、という内容だ。去年一緒にやった、Mick Connollyとの4人。もちろんオーケーしたがさすがに眠たかった。

これからはこんなシチュエーションも増えてくるだろう。しっかり健康管理しておかないと身体が持たない。

6月27日(金)晴れ

6時。セッションがスタートしたが、間もなくしてクリーナ(コーマックの妹)から電話があった。

コーマックが飲み過ぎて演奏ができないから教会でのコンサートを急遽手伝ってくれ、という。

セッションは8時まで。コンサートは8時から。ファースト・ハーフを別なミュージシャンでやってもらって、2部を僕らということにしておけば余裕がある。

1部はコンサルティナの名手、カトリーンだ。ダンスもこの上なく上手い。因に希花がコンサルティナで弾いている「Sunday’s Well」という曲は彼女の演奏から覚えたもので、彼女のオリジナル曲だ。

因に、今回これを希花がフィドルで演奏したことをいたく気に入ってくれたカトリーンが演奏のもようを彼女のフェイス・ブックにのせてくれた。

僕らは2部を30分ほどやって、最後にお決まりのマイケル・コールマンセットで終えた。

50人ほどのお客さんも結構楽しんでくれたようだ。

そのあと、また近くのパブでショーン・トリルのコンサートをやっている。僕は15年くらい前に彼と、パディ・キーナンとで廻っていたことがあるので、挨拶に出かけた。

彼の歌は超一流だ。高田渡か、ギターがもう少し上手い高石ともやというところだ。

一緒にやっていたころ、僕は彼のギタリストでもあった。歌に沿ってギターを弾くのはとても気持ちのいいことではあるが、難しいことでもある。彼は僕のギター・プレイをとても気に入ってくれていた。

クレアに住んでいるとのこと。またフィークルで会う約束をして別れた。帰りしな、コーマックが現れて盛んに「ごめんなさい」といいながら、僕らにビールをおごってくれながら、また飲んでいた。

懲りない若者だ。でもこれくらいの方が面白い。

2014年 アイルランドの旅〜ダブリン〜

6月20日(金)ダブリン到着 午後7時。こんなに都会の飛行場なのに、滑走路をうさぎが走っている。

気温17度。まだお昼のように明るいが、さすがに疲れた。

早いとこB&Bに入って寝るか、と思った通り爆睡。

 

6月21日(土)快晴 同じく17度くらい。

8時からゆっくり朝食を取る。今回はアイリッシュ・ブレックファーストではない。それでもハムやチーズ、それにパン、トマトなど、あとはシリアルや定番のミルクティーでお腹いっぱい。

できるだけ沢山朝のうちに食べておけば節約できるだろう。

今回のダブリン滞在は、今まで何故か素通りしたトリニティ・カレッジの見学を主な目的としている。

やはりアイルランド文学の重鎮、栩木伸明氏の影響であることは確かだ。素晴らしいオールド・ライブラリーとケルズの書、そして最古のアイリッシュ・ハープとされるブライアン・ボルーのハープにため息がこぼれる。このあたりは筆舌に尽くしがたいので、やっぱり一度みておくといい、なんて「今まで素通りしていたのによく言うよ」って言われそう。

楽器屋さんも一応一巡りしてから、ダブリンに住む石川ようへい君と落ち合い、マーケット・バーという素晴らしく広く美しく、それでいてとてもカジュアルなレストランで美味しい食事と楽しい会話に時の経つのも忘れた。

今、そしてこれから自分のやりたいことに真剣に向き合うことを常日頃忘れずに、そして、そのために最大限の努力を惜しまず突き進む立派な若者だ。

彼と別れたのが10時頃。今日は夏至。まだまだ明るい。

 

6月22日(日)快晴

陽に当たると暑く、日陰に入るとかなり寒い、という困った気候。今日はセント・パトリック教会とクライストチャーチの見学。苦労した結果、希花さんの押しの一手でクライストチャーチのミサは見学できた。

そして、もともと西洋人はこういう和声で育って来ている、ということを再認識させられる素晴らしい音楽を聴くことができた。

ダブリンも他にいろいろ観るところがあるんだ、とB&Bの若い兄ちゃんが地図を見ながら事細かに教えてくれたが、何せあとがいろいろあるし、やっぱり観光をする気は起こらない。

それでもいつかはダブリン周辺も見てみたらいいかもしれない。僕らの知らないアイルランドがまだまだあるだろう。

夜、すぐ近くのパブでフィドルとギター・ボーカルのデュオを聴いた。いかにも都会の人達を楽しませる力強い演奏だった。

丸太ん棒のような腕と、ビヤ樽のような体でひたすら弾きまくるフィドラーも実につぼを心得ている良い演奏だ。

弓はプラスティックを使っていると言っていた。彼くらいガンガンに弾くと、いくら毛があっても足りないらしい。

ギターの方は、少し前に見たバンジョーとギターのデュオとあまり変わりはない。上手いが全て同じ感じで弾く。パブというところで飲み客相手にパブソングを歌い、リールやジグを伴奏すると結局そのようになるのだろう。僕の感覚では、それは誰にでもできて、誰とも変わらないサウンドになってしまう。

難しいところだ。しかしなかなか良いデュオだった。自分たちとは違う方法を取るいい演奏家達からも何かしら吸収できるものがあることは確かだ。

明日からゴルウエイ。

まだ雨には降られていないが、西の方はどうだろう。

アイリッシュ・ミュージックのレパートリーについて

しばらくIrish Musicと題して自分たちのレパートリーを、主にセットを中心に書いてきたが、そろそろ何を書いたか記憶が無くなってきた。勿論、調べてみればいいのだが…。それに、単独ではまだまだ多くの曲を演奏している。

が、この音楽でおもしろいところは曲の組み合わせだろう。ティプシー・ハウスで一緒にやっていたジャック・ギルダーはとてもセンスが良かったと思う。よく、ドキッとするような曲の組み合わせを考えてきた。

サンフランシスコの人気バンドであったティプシー・ハウスはダンスの伴奏バンドとしてもよくいろいろな場所によばれて行った。

そんなときも150人を超えるダンサーズから雄叫びが起こったものだ。曲が変わった瞬間に「ワーッ!」という声が起こる。

それは、やっぱりいいセットのなせるところだ。

だが、曲によってはいつ変わったか分からないくらいによく似た曲をセットとして作ることもある。

これはこれで、演奏する側にとっては結構いい感じに乗ってくることがあるものだ。メロディの関連性などを重視することもよくある。

中には昔からこれの次はこれでしょ!みたいに決まっているものもあるので、そのあたりは常に古い録音に耳を傾けている必要がある。

それを知らずに、やれケルティックだ、アイリッシュだ、とやっていると完全に底の浅さが見えてしまう。

先日、高橋創君のお父さんと久しぶりにお会いした。創君の近況も含め、彼のリムリックでの苦労話もいっぱい聞かせてもらった。

特に印象に残っているのは、世界中からアイリッシュ・ミュージックを学ぶために来ている同年代の若者たちが、時間の許す限り古い録音に耳を傾け、彼ら自身の考え方と、先人たちが残してくれたものについて、また、外国人である彼らがなぜここまで来てこの音楽を学ぶのだろう、という悩みも含めて、一日中討論をしている、ということ。

とても興味深く、確かに僕がアメリカで持っていた悩みにも共通するところだったかもしれないからだ。

アンドリューのバンドの一員としてツアーに出ていたときも、また、ケビン・グラッキンに「アイルランド人にアイリッシュのギターを教えてやってくれ」と言われた時も、自分はアイルランド人ではないのに何故ここまで来てしまったのだろう、とよく悩んだものだ。

そんな時やっぱりパディー・キーナンとの出会いがなにかひとつヒントを与えてくれたのかも知れない。

古い古い録音で誰がどんなふうに演奏していたかをしっかりつかんでいたら、後は自分にしか出せない音を出したらいい。

ギタリストというのは、特にこの音楽では新しいものだし、一見トラッドという線からは少し離れているようだが、それだからこそ、いい加減ではいけないのだ。創君もそういう現場で切磋琢磨してこのたび立派に卒業することとなった。

今、かれは自分の音を創り出している。パディーにも「自分にしか出せない音を出すんだ」という助言をもらっていた。あれはもう、4年以上前のことになる。

トラッドを勉強し続けてきた彼も、自分の音を出すミュージシャンになってきたのだ。

まずは卒業おめでとう。先にこれを言わなくちゃいけなかったのに。

アイリッシュ・ミュージックは非常に可能性のある音楽かもしれない。かっこよくすればいくらでもかっこよくなる。取りあえず「恰好」だけは。

僕がかたくなにレパートリーにこだわるのは「恰好だけ」になりたくないからだ。

しばらくアイルランドに行くのでこのコラムはお休みになってしまうかもしれないし、向うで書く時間を見つけることができれば書くかもしれない。

ひょっとしたら明日またとつぜん何か閃いて書くかもしれない。暑さのせいでもないだろうけど、何がなんだかよく分からなくなってきたのでこの辺で終わりにしよう、と思いつつ

とに角、Irish Musicその…は行き詰ったわけではない、ということを言っておこう。

Irish Music その68

 

The Acrobat   Hornpipe

  • The Acrobat

B♭で弾く珍しい曲だ。これもかなり昔から知っていた。たしかナタリー・マックマスターあたりがよくやっていたかも、ということを頼りにした。フルートでの演奏も聴いたことがあるかもしれない。マット・モロイかな。これも希花さんによく合いそうな曲という観点から選んだ”

La Coccinelle   Bourree

  • La Coccinelle

Jean Blanchard作。西海岸では人気の高い曲で、かなり前からダンスの伴奏曲として演奏していたが、こんなタイトルとは知らなかった。とても親しみやすい曲だ”

Crested Hens  (Waltz)

  • Crested Hens

“多くの人はSolasのスロー・バージョンで聴いているかもしれない。いい曲だが同じようにはやりたくなかった。スローだとちょっと演歌みたいに聴こえてしまうからだ。

Gillies Chabenatという人物の作で詳しく言うとワルツではなく8分の3拍子のこれもBourreeということだ。僕はあるていど早いテンポで演奏した方が好きだ。フレンチ・フォークダンスと解釈したらいい”

Mareka&Junjiと栩木伸明さん

読売文学賞の栩木伸明先生とのコンサートが5月23日にある。僕らにとっても新しい試みだ。

栩木さん、と僕らは呼んでいるが、それほどに親しみやすい人で「教授」「先生」「学者」というところとは別に僕らと関わってくれる。

それは勿論、彼がアイルランド文学に精通していながらも、音楽にとても精通しているからだろう。それも僕がよく言う「とことんトラッド」に。

伝承音楽を身体の中に入れてしまった文学者として面白い話、興味深い話がいろいろ聞けるだろう。

でも、あれもこれも話してもらう時間もないだろうし、まず第1回目ということで、次の課題も残しておこう、と考えている。

僕のアイリッシュミュージシャンとしてのキャリアは、あのTullaから始まった。アンドリュー・マクナマラのリズム、彼の家の窓から眺めた緑の大地にシトシトと落ちる雨、小高い丘には沢山の十字架が並び、行きかう人はみな顔見知り。

そんな小さな町から習った音楽の魅力を栩木さんは痛いほど良く知っている。毎年アイルランドに同行する内藤希花も何故かこの音楽に魅せられてしまった一人だ。

Tulla Ceili Band直属のアンドリューと共に過ごし、Mr.Fiddleのフランキー・ギャビン、Mr. Bodhranのジョニー・リンゴと過ごし、Mr.Uilleann Pipesのパディー・キーナンとの演奏を経験してしまったらもう後には引けない。また、Begley一家はこの音楽をどこに向けて演奏するのかを教えてくれた大切なファミリーだ。

僕らはそんな音楽を演奏する。栩木さんはどんなお話をしてくれるか、今から楽しみだ。

ヴァイオリンそしてフィドル

僕らの世界ではその違いと、全く同じものである、という認識はもう当たり前のことである。

が、相変わらずクラシックの世界では全くの勘違い、というか相手にもしていないのか、画一的な認識しか持たれていない。

ずっと前の話になるが、確かナターシャー・セブンのある曲の録音の時に弦楽四重奏の人達を呼んだ。

そのうちの一人が「あー、カントリーね。こういう風に弾くんでしょ」と言って、ヴァイオリンを胸に当ててズーチャカズーチャカと弾いて見せた。

彼にとってのフィドルとはそういうものである。が、あれからすでに40年も経っている。それなのに、なんとか太郎という人が、あるクラシックの専門誌で、アイルランドに行った時の話をしておられて、彼らは顎あてを使わない、てなことを言っていた。

確かに僕もそういう人たちを見ている。テネシーやヴァージニアで90歳を超えたくらいのじいさんが、歌を歌いながら、ステップを踏みながら胸に当てたフィドルをズーチャカズーチャカと弾いていた。

しかしそれだけではない。おそらく日本のクラシックの人達のほとんどは他の音楽分野に極端に疎いのだろう。

マーク・オコーナーやマーティン・ヘイズは人類史上稀にみるフィドラーといえるだろう。また、フランキー・ギャビンの、あの独特な、多分クラシックからは考えられない音色から生み出される、とてつもなく細かい音の嵐はどうだろう。彼自身「楽譜は読めないから歌って覚えた」と言っている。

眼のみえないマイケル・クリーブランドの、握りしめた弓からとんでもなく早いフレーズが限りなく送り出される様はあっけにとられてしまう。

もう、フィドルってこんな感じだよね、なんていってられない。フィドルはブルーグラスにおいてもアイリッシュにおいてもその音楽の核だ。

しかし、僕の使っているピックは100円(108円か)だが、弓は、僕のギターが軽く5本は買えるほどのものから、50本ほど買えるものがあるというから呆れてしまう。

宮崎勝之

宮崎勝之が逝った。僕自身そんなに永く、また深い付き合いではなかったが、二人のあいだに歴史は奇妙な展開を見せてくれている。

僕がバードランドというグループを組んでいた頃(発起人は末松君)80年代中ごろにさかのぼる。

ちょうど僕が抜けた直後、末松君が見つけてきたメンバーが、誰あろう宮崎君だったのだ。なので当時の僕には面識がなかった。

時は経って、90年代も半ば、僕はアイリッシュのギタリストとして、サンフランシスコを拠点に活動していた。

当時、よく通ったレコーディング・スタジオのことは前にも書いたかもしれないが、オーナー兼エンジニアーのデイブ・ウェルハウゼンは元フルタイムで活動していたブルース・ハープの名手。

それがある時、ビル・モンローの歌とマンドリン・プレイを聴いて「これこそブルースだ」と、心にとてつもない衝撃が走ったそうだ。

彼は早速マンドリンを手に入れた。アメリカ人のやる気になった奴はおそろしい。そのブルース・フィーリング溢れるプレイは決してテクニカルではなかったが、とても40過ぎから始めたとは思えないものだった。

僕が坂庭君を紹介した時も、セッションに行こう、と彼を連れ出して夜遅くまでコイン・ランドリーでセッションをやってきた。

僕は行けなかったので「どうだった?」と訊くと坂庭君は言った「デイブってやつは本当にブルーグラスが好きなんだなぁ。歌にもマンドリンにも味があって。よくわからなかったけど、帰り道、盛んにブルーグラスの中のブルースを熱く語っていた」

そんな彼がある日こう言ったのをよく覚えている「ジュンジ、ミヤザキってやつ知ってるか?あいつは相当なもんだな。実にうまい。このアメリカのどのトップ・プレイヤーとも肩をならべてるじゃないか。俺は彼のプレイが大好きだ」

その頃、長年の友である坂庭君からすでに紹介されていた僕にとっても、宮崎君はアメリカでもトップ・マンドリン弾きのひとりである、という認識はあった。

デイブという男はフィーリングをとても大切にする。一番大事なのは心だ。心がどう弾くかで決まるんだ、といつも言っていた男だ。そんな奴が宮崎君のマンドリン・プレイにとことん惚れてしまったのだ。

マンドリン1本というのは移動には便利だろうが、実際にはなかなか難しいものがあっただろう。

そんな中でも日々音楽会のやって行き方を模索していたに違いない。55歳というのは若すぎる。

まだまだ普通に生きることもできただろうし、更に円熟したプレイを聴かせてくれることもできただろう。

彼、ピックくらいは持って行っただろうか。

ザ・ナターシャー・セブン 2014年4月26日

 去年の9月から7か月ぶりのナターシャー・セブン。今回はあの頃のフォークを歌う、という名目だったが、やはり彼はOne and Onlyだ。僕も随分楽しませていただいた…だけではなく、勉強にもなった。

1964年からフォークソングを、バンジョーを始め、71年に彼と出会って、それまでのアメリカン・フォークや大学時代のブルーグラスとは一味違うものを求めていた。

考えれば出会うべくして出会ったのかもしれない。

驚いたことに、初めて買ったレコードが同じ、ピート・シーガーのカーネギー・ホールでのライブ盤だったということもステージ上で判明。

いや、なかなかいないはずだ。

高石さんはますます元気。他人の歌を歌ってもやはり高石さんで、しかもその解釈の多様さ、深さに脱帽だ。

僕も久しぶりに「3つの箱」と「This Island」を歌った。久しぶりに「Dixie Break Down」も弾いた。

最後に本当に久しぶりに「ヘイ・ヘイ・ヘイ」も僕のバンジョー1本で高石さんに歌ってもらった。

基本的に僕は、歌う人やリード楽器の人のために最善の音を出すのが一番好きだ。彼が気持ちよく歌え、お客さんとのコミュニケーションが計れるようにステージを支えていく、それが自分の持ち味だとも思っている。

来年、一応最後と考えている5回目があるはずだ。その時までお互い元気でいよう、ということで別れたが、いつかまたひょっこり一緒にやることがあるかもしれない。

彼のエネルギーは止まるところを知らない。僕も今やっているMareka&Junjiを相方が医者として独立するまではやり続ける。日本やアイルランドで。

それからのことはその時考えたらいいのだ。高石さんはそんなエネルギーを僕にも、そして皆さんにも与えてくれる「最後のフォーク・シンガー」だ。

シェィマス・ベグリー、テレビに出る

“ユーは何しに日本へ”にシェィマス・ベグリーが引っかかった。コーマック出るかな、出るかな、と思って観ていたら、少し前の収録で、こりゃ次回だな、と思っていたらなんと、シェィマスが出た。“しぇー”だ。どこまでも人騒がせな一族だ。

Irish Music その67

The Jig of Slurs     Jig

  • The Jig of Slurs

“古いスコットランドのジグ。キーはDだが、BパートでGに転調する。そしてエンディングはEmだ。相当前から演奏していたが、最近になってまた思い出した”

 

Humours of Kinvara   Reel

  • Humours of Kinvara

“古いスコットランドの曲をPaddy Kellyがとても乗りのよい曲に書きかえたと言われている。Man from Bandoranというタイトルでも知られているが僕らは“その34”にあるWithin A Mile ..の代わりにこの曲からセットに持っていくことの方が最近は多い。基本的にはキーオブDといえるかもしれないがEからスタートする変わった曲だ”

 

Brendan McMahon’s/John McFadden’s Favourite   Reel

  • Brendan McMahon’s/John McFadden’s Favourite

“この曲は様々な伴奏者がどんなコードを弾くか聴いてみたいものである。AパートのスタートはEmしかり、Gしかり、相手の好みに合わせる。しかしながらBパートにいくとどうだろうか。もしAパートをEm中心でいったら、もし、G中心でいったら、どういくのが妥当だろうか。僕はCmaj7/Bm7/Am7/Bm-Emといくが、これは非常に目新しいコードだけに(特にこういった曲には)できるだけ自己主張は避ける。メロディーを引き立たせる、ということだけを考える。勿論、常にそこは最も大切なところだが”

  • John McFadden’s Favourite

“出だしはなんと“その8”のMaudabawn Chapelに似ていることか。多くの人が録音しているが、あまりセッションでは登場しない”

 

The Nine Points of Roguery    Reel

  • The Nine Points of Roguery

“7つの大罪プラス2、という変わったタイトル。曲も変わっている。この後は何を持ってきてもいい。だが、どちらかというとマイナーの曲より明るいもののほうが合っているかもしれない。基本的に3パートだが、いろんなやり方があって、それはそれで面白い。多分に北の方の曲だと思える”

Irish Music その66

 

The Flying Pig/Tell Her I Am  (Jig

  • The Flying Pig

The Kingというタイトルが一般的なようだが、僕はこのタイトルが好きだ。ところが最近、この曲がFlying Pigだという根拠はどこにもない、という説を見つけた。しかし、ともかくこのタイトルを見たとき、ピンク・フロイドのコンサートを思い出した。何万人もの観客の上をピンクの巨大な豚のアドバルーンが飛ぶのだ。その昔、彼らのジャケット写真で使用するつもりだったが、風に飛ばされて空港が閉鎖されるという事態に発展してしまった。それでも翌日の新聞記事のトップを飾るなどの一大宣伝効果はあったようだが、結局ジャケットは合成、ということになってしまったそうだ。その豚を会場で使うことを考えたのは素晴らしいことだ。そういえば昔、宇宙戦艦ヤマトを飛ばしたグループもあったなぁ。話は戻るがこの曲はやはりThe Kingと呼んだほうがいいかもしれない”

 

  • Tell Her I Am

“僕らは2人ともあまり好きではない曲だったが、前とのつながりがすごくいいので選んでみた。古い曲で好きな人は多いようなので、知っておく必要は充分あるし、何度も演奏していると、なかなか味のある曲だと思えるようになってくる”

 

O’Carolan’s Ramble to Cashel    O’Carolan

  • O’Carolan’s Ramble to Cashel

“数あるキャロランのレパートリーの中でもかなり好きな曲だ。僕はJody’s Heavenでも録音し、アイルランド移民たちが集まるコンサートでもよく演奏したものだ。勿論、もとはハープの曲だが、これはギターにアレンジするのが良いと考えた。いつごろ、どこで聴いたか全く覚えていない。今ではよくフィドルとの演奏もするが、それでも限りなく美しいメロディだ。希花はハープでも演奏している。Cashelはいろんなところにあるが、これはCo.TipperaryCashelだろうか”

 

Margaret’s/My Bonnie Lies Over the Ocean    Waltz

  • Margaret’s

Pat Shuldham作の美しいワルツ。多くの人はAly Bainの演奏で聴いているだろう。

キーはAがノーマルだがDGで演奏されることもある”

  • My Bonnie Lies Over the Ocean

“世界的に有名なスコティッシュ・フォークソング。ビートルズではじめて聴いたかもしれない”

St Patrick’s Day

  セント・パトリックス・デイでした。絶対にパレードに参加したり、緑の服を着たり、自称アイリッシュ・バーに行ってギネスを飲んだりはしません。アメリカでは毎年、アンドリュー・マクナマラがふてくされて演奏していました。アイリッシュはこの日一段とバカ騒ぎをするもんだ、という勘違いの下に緑のコスチュームで現れるアメリカ人に4文字言葉でつぶやきながら。

あるいはお金持ち相手の大パーティで、ダンサーズやシンガーを交えた演奏。正直、お金にはなったし、1週間でレストランワークの2か月分は稼がせてもらったのでそう悪くはない。

トラッドのミュージシャン達にとってはいつもと変わりない演奏をして、いつもと変わりなく飲んで過ごせればそれでいい。

でなければ、家でゆっくりしているほうが良い。

そんなセント・パトリックス・デイでした。   

Irish Music その65

Colonel Fraser’s    Reel

  • Colonel Fraser’s

“魅力的な曲だが、パイプかフルートに適した曲だ。パディ・キーナンとはよく一緒に演奏したが、これも基本的には5パートからなる曲だ。全ての曲に於いて同じことが言えるが、ギタリストも正確にメロディを把握する必要がある。この曲は極端な話、GDだけでもいける曲なので全ての音使いを明確に区別しておかなければならない。理由のない和音は使いたくない。シンプルなだけにその辺のことをきちんと考えなければいけない曲は他にも無数存在する。Colonel FraserLeinsterにいたイギリス人の地主、ということだ。そして、当時の旅人パイパー(Travelling Piper)にとても親切にしてくれて、あるパイパーに新しいパイプをプレゼントしてあげた。すると彼が感謝の気持ちでこの曲を作った、というストーリーがあるそうだ。Colonel Fraserが馬に乗っている姿を見て書いたと言われている”

 

The College Groves     Reel

  • The College Gloves

“これも上記の曲と同様、魅力的な曲だ。8パートある、と言っていいのだろうか。最初Aパートを繰り返す以外はBCDもすべてのパート、おしりの2小節が違うので、4パートとは言えなかったのだ。ちなみにそのおしりの2小節はB,C.D共に同じメロディだ。これはフィドルにいい曲だと思う。1700年代後期から1800年頃のスコットランド音楽のコレクションに既に登場しているという古い曲だ”

 

Lord McDonald’s      Reel

  • Lord McDonald’s

“有名なMichael Colemanの作といわれる。これは4パートと言えるだろう。そのむかし、ピート・シーガーのバンジョー演奏で覚えた曲とほとんど一緒だ。その曲はLeather Britchesという。既に「その27」で書かれているが、その時はほとんどLeather Britches(Breeches)として扱っていたのでここでも取り上げてみた。尚、コールマン作と言われているが、起源はこれもスコティッシュから来ているらしい。それで、ブルーグラスなどでもLeather Britchesとして演奏されていることに納得がいく。ナイス・フィドル・チューンだ”

 

Stoney Steps          Reel

  • Stoney Steps

“初めて聴いたのはFrankie Gavinの素晴らしくスピード感あふれる演奏だった。キーはDだが、上記の3曲同様、コードは極端にシンプルだ。こういう曲では最も基本的な和音を使いながら、ビートで構築していくべきだろう。合いもしないコードをいろいろ使ってみるべきではない。ベースランは有効に使える”

Irish Music その64

The Hills of Tara   (Barndance)

  • The Hills of Tara

“実に可愛いメロディの曲だが、いろんな謂れがある。またの名をPearl O’Shaughnessy’sともいうが、彼女はスコットランド生まれのフィドラーでPaul O’Shaughnessyの母親だ、ということだ。更にPearl O’Shaughnessy’sというほとんど同じメロディをもった曲もあるが、こちらのほうは4パートあるそうだ。そしてさらに、それは2パートずつに分けて、2曲のセットとして特にDonegalあたりで演奏されることがよくあるそうだ。さらに他のタイトルとして、Fred Pidgeon’s#2というのもあり、彼自身はScotch Polkaとよんでいるというレポートもある。いずれにせよ、事細かにこういうことを調べてくれる人がいることは非常にありがたい”

 

The Flowers of Edinburgh     Hornpipe

  • The Flowers of Edinburgh

“これはホーンパイプだが、なぜかバーンダンスとしても登録されており、そしてリールで演奏する人もいる。確かにどのリズムで演奏してもいい曲だ。メロディも美しい。聞くところによると、スコットランドではリールとして、アイルランドではホーンパイプとして考えられているらしい。1740年頃には記録が残っているというから諸説あるだろう”

 

South Wind   Waltz

  • South Wind

“この曲を美しいと思わない人はいないだろう。ただあまり初心者向きでほとんどやらなくなっている。おそらくギタリストにとって非常に美味しい曲であろう。僕は、長年のアイドルの一人、John Renbournと同じフェスティバルに出ていたとき、この曲を食い入るように聴いた。美しいという言葉以外なかった。作者はFreckled Donal MacNamaraというCo.Mayoの人でホームシックから生まれたメロディ、ということだ。1700年代の話”

 

Josefin’s    Waltz

  • Josefin’s

“日本では、この曲を聴いてアイリッシュに興味を持った人が多くいるらしい。Dervishの演奏で有名になったが、作者はRoger Tallrothというギタリストで、スウェーデンのVasenというグループのメンバーだ。Dervishの録音でも確か一緒に演奏していたんじゃないかな。Dervishは初期の頃から一緒に出演することも多く、この曲もよく聴いていた。Vasenはこの曲以外にも素晴らしい演奏が多く、日本でも沢山のファンがいるようだ。ちなみに、作者は姪の洗礼を祝って書いたそうだ”

「アイルランドモノ語り」栩木伸明さん

 長年にわたり、アイルランド音楽にも鋭い観察力と、深い知識をお持ちの栩木伸明さんが、第65回読売文学賞、随筆・紀行賞を受賞された。

今回、その授賞式にも出席する機会に恵まれ、2次会では、栩木さんの希望もあり、僕と希花でお祝いの演奏をさせていただいた。少しでも栩木さんが、過去数年間に渡って出会ってきた本物のトラディショナル・アイリッシュ・ミュージックの風を、この日のお祝いとして彼に送ることが出来れば、という思いで…。

皆さんも是非「アイルランドモノ語り」を手に取って読んでください。

栩木さん、おめでとうございます。

アイリッシュ・ギター

わざわざこのタイトルにする意味はないのだが、最近いろいろなギターに遭遇する機会に恵まれている。

そのひとつ、ローデン(アイルランド製)のシダートップで、サイドとバックがハカランダ、という素晴らしいものがあった。ハカランダは希少価値だ。

ローデンは‘93年ごろから一番気に入っているものだ。最初に手に入れたものは、大きなサイズのスプルース・トップでマホガニーのサイド&バック。ほどなくして、同じスプルース・トップのインディアン・ローズウッドの物を中古で手に入れた。それが今日までの自分の一番のお気に入りだ。しかし、‘60年代からの憧れは、なんといってもマーチンだった。恐らく僕らの世代はほとんどの人がそうだったろう。

ジャカジャカと弾きたい人はギブソンだったり、他にも、ジョン・デンバーが好きだったらギルドとか、フェンダーに至ってはエレキ以外、ギターとは認められなかった。

どこかの音楽雑誌で、ある人の使用ギターとしてフェンダーのアコースティック・ギターが載っていて「音楽仲間の誰もが欲しがるもの」と書いてあったが、僕らは「金もらってもいらん!」と言っていたものだ。

当時、僕らにとってギター(スティール弦)といえばそれくらいしかなかったのかもしれない。そしてマーチンを手に入れ始めて、様々なモデルを試した。

そして、最終的に‘93年ごろから、もうずっとローデンだ。今回見たものはハカランダなので、非常に高価だ。これでトップがスプルースだったら、もう少し高いかもしれないし、思わず手が出たかもしれない。

しかし、シダーという材質は僕には不向きではないかと感じた。それはやっぱりずっとマーチンで来ていて、スプルースというものの音色に自分が慣れているからだろう。

それと実際に今、シダートップのマホガニーというものもひとつ所持しているが、突き詰めていくとやはり、スプルースとローズウッドというのが自分にとってベストと考える。

ハカランダのモデルを見たとき、ちょうどフィンガー・ピッキング・スタイルを追求している若者が2人いたので、実際に彼らに弾いてもらって、正面から音を聴かせてもらった。

僕にとっての選ぶ基準は、どのようにアンサンブルに溶け込んでいくか。それが最も重要なポイントだ。

彼らに弾いてもらって、このギターは楽器自体、自己主張の強い楽器だと感じた。すごくいい音だし、弾きやすさも抜群だが、ピエール・ベンスーザンをはじめ、彼らのようなスタイルを好きな人に譲ったほうがいいような気がした。

そうして考えてみると、今巷にはフィンガー・スタイルの、いわゆる“アイリッシュの曲もできます”というギタリストのためのギターのほうが圧倒的に多いような気がする。

値段もどんどん高くなって、仕事としてあっちこっち持っていくにはちょっと怖いような物が多い。

結局、コレクターや、家で一生懸命フィンガー・ピッカーのコピーをする人で、更に、お金のある人のところに行ってしまうようにできているのかもしれない。

アンドリュー・マクナマラやブレンダン・ベグリー相手に20時間も弾き続けるにはかなり勇気がいる。ローデンもそんな値段のものになってきている。

アイリッシュではギターというものの演奏価値はほとんどない、といっても過言ではない。

だからこそ、僕は曲目もメロディーもできる限り覚えるようにしている。徹底的トラッド重視だ。そのうえで、自分が体験してきた様々な音楽の要素を取り入れる。

それでリード楽器のトップたちが「じゅんじのギターは他の誰とも違う。彼に任せておけば間違いない」と言ってくれるようになったのだから、結局、価値は自分で創り出したのかもしれない。

それには自分自身の感性を最大限に引き出してくれる“道具”も必要だ。そしてその道具はそんなに高価でなくてもいい。いや、高価でないほうがいい。

昨今のように高価にならざるを得なかった理由の一つは、フィンガー・スタイルの人達のニーズにもよるものだろうか。彼らの要求はとことんシリアスだ。

そして、他の楽器とのバランスは保てなくても、そのもの自体が一発入魂であれば事は成り立つ。

だが、僕の求めているものは、あくまでもアンサンブルに適し、そして、フィンガー・ピッキングでもそれなりの味がでるものだ。

数千にも及ぶ楽曲のそのストーリーを汲み取って、一曲一曲に最適な伴奏が出来るように導いてくれるものだ。また、その要求にも応えてくれるものだ。

また、それが真のアイリッシュ・ミュージックに於けるギター・スタイルだと思うのだ。

あと何年生きるか分からないけど、そのあいだにどれくらいのギターと出会い、今使っているものと同じくらいの素晴らしいギターに出会うだろうか。

ちなみに、先に書いた今使っているものは、ローデンのSE-Ⅱというモデルで、このギターがアイリッシュ・ミュージシャンとしての自分の地位を不動にしてくれたものだ。

そろそろすこし休ませてあげたい気もしてきた今日この頃だ。そうして気を使ってあげれば「いや、俺はまだまだいけるよ」という声も聞こえてきそうな気がして頼もしくなることも事実だ。

Irish Music その63

Music on the Wind/Kerry Jig   Jig/Slide

  • Music on the Wind

“1972年にLucy Farrによって書かれた、というのが有力な説としてあるが、ほとんどの人はArty McGlynnNollaig Caseyの演奏かFisher Streetの演奏でBrady’sというタイトルを記憶しているはずだ”

  • Kerry Jig

“スライドだが、ジグという名称が付いている。書いたのはLucy Farrだ、という説もあれば、もっと古い文献に登場している、という事実もあるようだ。Arty達は上記の曲と共にBrady’s setとして録音を残している”

 

Fairies’ /The Stack of Barley   Hornpipe

  • Fairies’

“この曲もDick Gaughanのギター演奏で覚えた。とても親しみやすく、可愛らしい、題名にぴったりの曲だ”

  • The Stack of Barley

The Little Stack of Barleyというタイトルでも知られている、とてもよく演奏される曲だ”

 

The Liverpool/Dunphy’s      Hornpipe

  • The Liverpool

“これもかなりポピュラーな曲。Bパートのメロディがとても好きだ”

Dunphy’s

“上の曲と同じ、あまりにポピュラーな曲で特筆すべきことはない。これらの曲は基本的に覚えておきたいものである。といいながらそんな曲はまだまだ数知れずあるのだが”

 

 

 Night in That Land   (Waltz

  • Night in That Land

Johnny Cunningham作の美しいワルツ。急に想い出したのだが、彼とステージで一緒にやったことがあった。随分前のことなので、メロディも一部しか憶えていなかったので、一生懸命探しているうちにこのタイトルを見つけた。なんかNightが付いたんじゃぁないかな、という記憶だけを頼りにして。彼が亡くなって、Phil Cunningham主催の、彼を偲ぶコンサートでもこの曲でギターを弾いたが、こんなに美しい曲を想い出して本当に良かったと思っている。尚、この曲はワルツというよりもエアーだと言えるかもしれない。彼が生きていたら「どちらのほうがいい?」と訊いてみたい。僕らはエアーかな”

 

Irish Music その62

Lead The Knave/Alice’s    (Reel

  • Lead The Knave

Arty McGlynnの、素晴らしいサーフ・ギターによる演奏が一際冴えわたる録音が残されている。作者は彼だという人もいたが、1909年にはすでに存在した曲だ、というので、間違いなく彼の作品ではないだろう。The Old Time Wedding というCape Brettonの曲と共通点がある、と言われる。他のタイトルはJohnny From Gandseyと言うらしい。僕らは独自のハーモニーを付けている”

  • Alice’s

Frankie Gavin作の素晴らしく「のり」のいい曲だ。僕らはEmBmのふたつのキーで演奏する”

 

The Plough and The Stars/The Star of Munster      Reel

  • The Plough and The Stars/The Star of Munster

Larry Redican作のこの曲はGmajでやる人とFmajでやる人がいるが、わざわざFmajというキーがあるくらいだし、オリジナルはFmajなんだろうか。ずっと前にSanta Cruzのラジオ局でAndrew MacNamara&Gerry O’Connorと出演した時、この曲をやっている最中にフィドルの4弦が切れ、Andrewはそのまま表情も変えずにアコーディオンを弾き続け、Gerryは、あっという間に張り替えてまた弾いていた。おっと、コラムのジェリー・オコーナーのところでも書いたか。何はともあれ、この曲にまつわる一番の思い出なのである”

  • The Star of Munster

“この音楽を始めた頃のほとんどの人が手掛ける曲だろう。親しみやすく、また、弾きやすい曲の代表格かもしれない。ほとんどはAmで演奏されてきたが、ある時くらいからGmが流行り始めてきた。マーティン・ヘイズあたりの影響もあったのかな。いつごろだったろう、イギリスから遊びに来ていたBrian Kellyという若いバンジョー弾きが、見事にGmで弾いて、今やGmの曲と言ってもいいくらいだよ、と言っていた。前夜、ご飯もたべず、全く寝ずに酒とセッションに興じていたせいか、僕がオーダーしてあげたピザを3人前くらい物凄い勢いで食べたかと思ったら、具合が悪くなってあげてしまったが、顔を洗ってすぐにバンジョーを弾き出した。強烈な印象を残していった若者だった。そんな彼もまだ少年のようだったが、今ではすっかり大ベテランだ。曲の方だがあまりにポピュラー過ぎて、この頃は僕らも演奏することがあまりないが、いい曲であることは事実だ”

Irish Music その61

Butterfly    Slip Jig

  • Butterfly

“初めてBothy BandLPレコードを買った時、なんと悲しげな美しいメロディだろう、と思ったものだ。1975年頃のことだ。whistle playerであるSean Pottsの作だといわれるが、どうだろうか。FiddlerであるTommy Pottsの作ではないか、という人もいる。因みに、彼らは一族であるので、最終的にはSeanの作品(トラッドをベースにした作品かも)にTommyが少し手を加えたのではないか、という見解が一番妥当かもしれない。なにはともあれ、Bothy Bandのアレンジは他に類を見ないほど美しいと僕は思う。この音楽をよく知っている人にも、全く知らない人にもその美しさが胸に響くような曲だ”

 

The Night Before Poor Larry Was Stretched     Slip Jig

  • The Night Before Poor Larry Was Stretched

“なんとも奇妙なタイトルだが、Martin Hayes の演奏まで聴いたことがなかった。そんなにポピュラーな曲ではないようだが、実にシンプルで美しい曲だと思う”

 

The Monk’s     Jig

  • The Monk’s

“またの名をSonny Brogan’s Fancyという。Arty McGlynnの演奏から学んだが、多くの人が録音している、有名な曲だ。僕らはこの後「その59」で出たPaddy Fahey’smajorで持ってきている”

 

The Cuil Aodha/The Piper’s Chair     Jig

★ The Cuil Aodha

“これは随分前から知っていた曲だが、このタイトルでしか知らず、とても読めなかった。どうやらCo.Corkにある地名らしい。Cooleaという村であるらしいのだ。2000年頃、Terry Binghamと録音したことがあるが、とてもいいフレーバーを持った曲だ”

  • The Piper’s Chair

“前の曲とセットでTerryと録音した時、彼は曲目を知らなかったので、クレジットにはGun Ainmと書かせてもらったが、後になってこのタイトルであることを知った。ブルーグラスのマンドリン奏者であり、僕のレコーディングのエンジニアーであったDave Wellhausenはこの曲がすごく気に入っていた。余談だが、Daveは元ブルース・バンドのハーモニカ奏者で、ヨーロッパ・ツアーなどもしていた人だったが、ある時何を思ったか、突然ブルーグラスに魅せられてしまった。特にBill Monroeに傾倒して、ブルース・フィーリング溢れる演奏を得意としていた。もしかしたら、かなりブルージーな曲かもしれない。僕らも大好きな曲だ”      

最終章 アー・ユー・オープン?

日本食、それもすし、刺身に代表されるように、とりわけ生魚を食するような文化に、アメリカの人達が接するようになってから、すでに随分時は経っている。

それでも、何度もいうようだがアメリカという国は想像するよりもはるかに大きい国だ。

テキサス人はナイアガラの滝を見て、これくらいの水道漏れはテキサスじゃぁしょっちゅうだ、なんていうし。ま、これはアメリカンジョークのひとつだが。そういえば、アイルランド人を小ばかにしたジョークにこんなものがあった。

“ある時、テキサスを訪れたアイルランド人(特にケリーの出身)にテキサス人が言う。「どーだ、広いだろう。あの地平線のかなたまで行くのに車で3日もかかるんだぞ」

アイルランド人は胸を張って言う「そういう車だったら俺達も持ってるぞ」

ポーランド人は最後にアメリカに渡ってきた移民として、いまだに「ポーランド人が電球を変える時は6人必要だ。一人が電球をつかんで、残りの5人が彼の乗ったテーブルを回すんだ」などと言われる。ちなみに、このジョークはどこの国の人達にもつかわれているようだが。

日本人の目が吊り上っているのは「Oh,No! Rice again」(またお米?)と、がっかりして頬杖をつくから、らしい。米を食べる民族は自分達より劣っている、ということなんだろうか。

人々がいろんな文化を持ち込んでは、それぞれにアメリカ人となっていく。

それでも、アメリカ人としてひとくくりにはできない文化の違い、しいては価値観の違いというものをいたるところで経験する。

単にレストランという仕事場でも、従業員でいえば、東洋系、ラテン系、南太平洋、その他、お客さん側でいえば、プラス、白人、黒人、中近東など、本当に沢山の異文化と接することになる。

印象深い話をいくつか書いておこう。特にこの文章を書こうと思ったきっかけになったようなお話しから。

ランチタイムが11時半から始まり、お昼休みと同時にまかないを食べた後、店の電気を消して1時間ほど、ほとんどの従業員は昼寝をする。それぞれに、椅子を並べてベッド替わりにして、休むのだ。

ただ、ドアのカギはかけない。何故ならば、そのあいだにも食材の配達が来たりすることもあるからだ。

もし、危険な地区にあるレストランだったら、カギは必ずかけるべきだろうが。

ともかくそんな風に休んでいると、入り口の方で声がする。

Excuse Me, Are You Open?」ふと見ると白人の若い男が立っている。「まだ開いていますか?」と聞いているのだが、はっきり言って“見てわからんか”と思うのだ。

どこの世界に、電気の消えたレストランで、従業員みんなが寝ているままオープンしているレストランがあるだろうか。

多分、日本人だったら状況を見て判断するだろう。ひどいのになると、寝ているのをわざわざ起こし「Are You Open?」なんて言うやつもいる。「クローズのサインが見えなかったのか?」と聞けば「But,Door Is Open」ときたもんだ。こちらも負けじと「お前のためじゃぁない」と言ってしまいそうだが、こんなことでいちいち頭に来ていられないくらい、こういったことが頻繁に起こるので、こっちも知らんふりすることに慣れてしまう。

つくづくよく言われる“Me Firstの国だ”ということを実感してしまう。私がなにをしたいか、私がなにを言いたいか、それがまず第一、と考えるのだ。少なくともアメリカでは。実際、幼稚園などでよく見かける光景だが、ひとりひとりに「今日、あなたはなにをしたいか」と訊く。子供たちもそれに対して、はっきりと自分のしたいことを言うようになるのだ。  いかにもアメリカの教育らしい。 

人種の多様さも類を見ないだろう。

同じジェイウォーク(横断歩道のないところを横切る行為)をしても、前を行く白人はお咎めなしだが、有色人種は罰金のチケットを切られる可能性がある。

ロサンジェルスのロドニー・キングの事件(1991年)を覚えているだろうか。黒人が白人警官にボコボコにされた事件だ。Curfew(戒厳令下の夜間外出禁止)という英語を初めて知ったのもその時だった。

ベトナム戦争から戻って、未だにジャングルでの恐怖から逃れられない、というやつも沢山いた。

そういえば、エディという男がいつも同じところに立っていた。首からぶらさげた大きな紙にはこう書いてあった。

「私はエディといいます。元空軍のパイロットですが、ベトナムから帰ってきて仕事がありません。どうか助けてください」

道の反対側にマイクというやつが立っているが、彼の掲げているボードにはこう書いてある。「僕はマイクといって、エディの弟です。兄貴はベトナムから帰ってきて毎晩うなされています。仕事もできません。どうか兄貴を助けてやってください」

日が暮れると、仲のいい兄弟は集めた小銭を数えてどこかに帰っていく。

いろんな人生があるものだ。

9・11からも随分時が経った。朝、銀行に行って「アー・ユー・オープン」と言っても返事がなく、ドアも閉まっていたので、変だな、と思っていたら大変なことが起きていた。

テレビではアナウンサーが血相を変えて盛んに「カミカゼ攻撃を受けた!」と言っているが、ちょっと違うだろう。日本人としては手っ取り早くカミカゼなどと言ってほしくないのだ。

こちらはこちらで、まだなんの声明も出ていないのに「こんなことするのは中近東のやつに決まってる」と言ってしまう。だがもし、中近東で寿司屋をやっていたら、彼らのうちの誰かは愛すべき常連客だったかもしれない。

そして、冷めた意見を持つ高校生くらいの子供たちは「アメリカが今までに中東にしてきたことを考えれば当然の報いだ」と言う。

中止になったプロレスの中継でも、レスラーがそれぞれ強いアメリカをアピールし、犠牲者を追悼した。彼らはまるで俳優のようだった。

初めの日は、東で起きたことが、会社の休みにつながった、という理由か、公園でバレーボールなどを楽しむ人たちも見た。それだけ広い国なのだ。

しかし、2日、3日と経ってくると、それだけ広い国が全て葬式のように沈黙に包まれた。とにかく多くの市民が死んだ。まぎれもない戦争だった。やがて、道のいたるところに自動小銃を持った軍人や、民間兵が立った。町はまだ静まり返っていた。

そして、もう少し経つとそれは明らかに変わってきた。

「アメリカは屈しない!今こそ立ち上がる時が来た!」フリーウェイにも、バスの車体にも、ビルディングにも、町のいたる所に看板が立てられた。

ヴィンさんの言うように、明らかに人々の結束が高まった。決してすばらしいことではないのだが。

ミネソタの田舎では狭い一本道をアーミッシュが馬車で行き来していた。また、同じ道をヘルス・エンジェルスが隊列を組んで颯爽と走っていた。

そんな、全く違う意識を持った人たちも口々にUSA Stands!と叫んでいた。

そういえば、こんな看板もあった。「America Open Business!

「アー・ユー・オープン?」と聞く必要はなさそうだ。

 

すしの話から始まって、様々な民族にまつわるほんの少しのストーリー、そして、アメリカという国のほんの一部を書いてみた。

 

 

「アー ユー オープン?」第11話 宮崎県人

 お客さんも従業員も、多国籍で、毎日同じ仕事をしているレストランに於いても、日々様々なことが起きる。

 ニュー・ヨークから流れてきた、ある日本人シェフ。宮崎県出身だが、もうアメリカがかなり長いせいか無国籍人という感じ。

 彼は自分のことをこう言っていた「わたし、ニュー・ヨークで交通事故やっちゃいまして、その時しこたま頭を打ったせいか、あれから変になりました」

 そうでなくても十分変わった人だった。アメリカが長い、といえども宮崎弁は全く抜けていない。なのに、語尾にOh Yeah!などと付く。

 久しぶりに日本に電話して友達と話しても、宮崎弁の中にOh Yeah!を連発してしまうそうだ。

 レストランという仕事は一日がとても長い。それだけに彼の信条は“できる限り早く帰る”ということだ。

 お客さんが次から次へと入ってこようが、お構いなしに片付け始める。閉店15分前にはもうほとんど片付いている。

 しかし、それも段々エスカレートしてきて、気がついたら30分前には大体の掃除も終わってほとんど片付いている。

 「さぁ、とっとと帰りましょう。こんなところに長い時間いたら、ますます頭がおかしくなりますよ」

 10時閉店のレストランの料理人が10時15分には店を出る、なんていうことはありえないことだ。しかし、それは非常に嬉しいことなのだ。

 ほとんどのレストランでは10時から後片付けを始め、それから食事をして…というのが当たり前で、店を出るのはどうしても11時をまわってしまう。それを彼は「時間の無駄だ」という。

 カレーなどを作っても、どこかのこれ見よがしのレストランのように、何時間も煮込んで、などと言うのはガス代と時間の無駄だ、と切り捨てる。「こんなものは30分で充分ですよ」とことん陽気な慌て者である。

 昼寝中に火事のサイレンが聞こえたりすると、脱いでいた靴をしっかり両手に握りしめて一目散に出ていく。そして暫くすると「いやー、ちょっと遠いからやめておきました」なんて言いながら戻ってくる。

 ちょっと暇になると「さぁ、みんなでベトナム踊りを踊りましょう」と言ってわけのわからない創作ダンスを踊り出す。マイクがいやそうな顔をして見ている。

 トイレから出てくると、なぜか長く切ったトイレットペーパーを両方の手で振りながら「チャイニーズ・ダンスです。さぁみんなで踊りましょう」と言う。ハリーがいやそうな顔をして見ている。

 彼はしかし、とても頭がいい。おかしくなったといえども、素晴らしく才覚がある、と思われる。抜群の英語力で、業者とのやりとりも流暢だ。Oh Yeah!も堂にいったもの。一応日本における英語教師の資格をもっている、と聞いた。

 そんな彼が作る“まかない”がこれまたユニークだ。3日に一度は“ひやじる”。初めて見たときは“猫のごはん”かと思ったが、これがなかなか美味い。

 しかし他の従業員からはかなり評判が悪いときている。彼がひやじるの用意を始めると、他の従業員達はあわてて自分で何かを作り始める。それが、ウエイトレスやウエイターでさえも。

 ある日、閉店間際になって“すきやき”の注文が入った。「ありゃー、めんどくさいですねー。せっかく片付けたのに。あっ、白菜がない。ちょっと冷蔵庫行って持ってきてください」

 誰かが叫んだ「白菜、もうありませんよ」彼が言った「えーい、それじゃぁレタス持ってきてください」

 目の前に出てきたレタスをザクザクと切る彼は、笑いを抑えきれない様子でこう言った。「レタスのすき焼きかぁ。まじーだろうなぁ。クックック」

 アメリカが長くなるとこんなものだ。

 お客さんにも変なのがいっぱいいる。「今日は野菜のやきとりにしようかしら」串に刺さっているものは全部やきとりだと思っている。これなんかは勘違い、覚え違いだが、こんな人もいる。「酢の物ちょうだい。あ、わたし海藻嫌いだからわかめは入れないで」そういう彼女の箸には食べかけの海苔巻が挟まっている。

 「日本人の舌は特別です。これだけ繊細な味覚を持っている民族は、地球上どこを探してもいないですよ。だけど、ここはアメリカなんだから、ある程度の基本的なことさえ押さえておけばどんなに改良してもいいんです。なにもここで頑なに伝統を守る必要はありません。臨機応変、それが一番大切です」

 宮崎弁で熱く語る彼。今頃どこかで新メニュー“レタスのすき焼き”なんていうのを売り出しているかもしれない。ひょっとすると“ひやじる”も。

 

「アー ユー オープン?」第10話 スージーさん

 スージーさんというのはアメリカ人ではない。生粋の日本人だ。長崎で生まれ、アメリカ兵と結婚して渡ってきた人だ。

だが、もう国籍はアメリカなので「アメリカ人ではない」というのは間違いだ。

戦後間もなくのアメリカと日本の両方を見てきた人だ。特にアメリカで苦労を重ねてきた、と言えるだろう。

彼女は、いい時代のアメリカのことも良く知っている。「ダウンタウンを歩くと、男の人はみんな帽子をちょこっと外して挨拶する。あの頃はそれが普通だったのよ。今のアメリカにそんな人はいない。国をあげてよその国のお節介ばかり。自分の国が唯一の正義だと思っている。結局、自分たちが作り上げた難民を沢山受け入れてこの有様よ」

彼女はもう20年以上日本に帰っていないらしい。ここで犬と暮らして充分幸せだけどいよいよ歳がいったら故郷の長崎に帰ろうと思っている、とも言っていた。

そういえば、あの日、疎開先で木登りをしていたら物凄い閃光を見たそうだ。それが原爆だったなんて、後から知ったらしい。

本当なら被爆者として扱われてもおかしくないはずだったのに、戦後のどさくさの中でアメリカ兵と一緒になってしまった、と言う彼女の話の数々は、俗にいう戦争花嫁(あまりいい表現ではないが)の真実に満ち溢れていた。

やがて、離婚後に知り合い、ずっと人生を共にしてきたブラッキーさんとの死別(カナダ国籍の元軍人)、そして最愛の“はじめちゃん”(愛犬。弟さんの名前を付けたようだ)との別れ、そんな辛い時を経た後、意を決して日本を訪問することを決めた。なんでも25年ぶり、ということだ。さぞ、胸が高鳴っただろう。

「東京に着いて、飛行機を乗り継いで、ちょうど朝日に輝く富士山が見えた。とても美しかった。思わず涙がこぼれたわ。あー、わたしの故郷だ。本当に戻ってきたんだ、という実感がわいてきたの。でもそれと同時にこれから先、もし日本に帰って来ても、もう自分の居場所は無いような気がした。多分富士山を見るのもこれが最後。やっぱりわたしはアメリカで死んでいくのかしら」

久しぶりの彼女の日本訪問は、祖国への別れの挨拶となったようだ。

「アー ユー オープン?」第9話 勘違い、そして聞き違い

  先に登場したケンの場合もそうだが、聞き違いや勘違いと言うものは、移民には避けては通れない道だ。しかしそれも勉強のうち。

 笑える話もあるが、笑えない話も、いや、時が経てば大抵のことは笑えることなのだが、悲惨な結果を招くこともある。

 ここでは笑える話だけを…。

 フランス人のお客さんが来て「サヴァ」これはフランス語での挨拶なのに、早速“サバ”を握って出してしまった寿司職人。

 日本で「はぃ、すみません」と言ってすしを出してきた寿司職人。常に「ソーリー」といいながら出していた。

 ある日のこと、お客さん同士が喧嘩を始めてしまった。仲裁に入った女性も手に負えなくなったのか、急いでキッチンに駆け込んできた。そして言った。「Call Cop!」(警察を呼んで!)ちょうど日本から来たばかりのウエイターが一目散に奥からあるものを持ってきた。「はい、コールド・カップ」よく冷えたグラスだ。

 女性はしばらくポカンとしていたが「Forget it!」(忘れてちょうだい)と言って出ていった。

 日本から若い女の子が寿司職人を目指してやってきた。彼女も英語は苦手だったが、実戦で鍛えようと、自らすすんでカウンターに立った。

 そもそも彼女が来た理由は、この店に長くいた日本人の「のりさん」が他の店で働くことになり、その後釜として、ということだった。

 ある日、よく来るゲイのカップルがカウンターに座った。ふたりとも50代半ばくらい。ちょうど彼女の真ん前あたりに座ったその二人。カリフォルニア・ロールを作る彼女の動作を、寄り添って穴のあくほど見つめていた。

 カリフォルニア・ロールは裏巻きだ。まず海苔いっぱいにしゃりを乗せ、パッと裏返す。そうすると海苔が上に来る。そこにカニとアボカドを乗せ、くるりと巻く。巻かれた表面はもちろん、しゃりとなる。海苔が隠れてしまう。これが裏巻きだ。

 それを見たカップルが目をまん丸くして言った「Wow! Where Is Nori」(海苔はどこにいったの?)

 彼女が慌てて答えた「Nori working another Restaurant」(のりさんはよそのレストランで働いている)

 カップルはキョトンとしていた。

 Salmon Roeというものも結構聞き取りにくい。鮭の卵だから「いくら」なのだが、サーモンを巻くのか、Salmon Rollだと思ってしまうことがある。

どうしても知っている日本語を使いたがるお客さんが、「いくら」と言うので「いくら」を出すと、お勘定だったり、英語は英語で「How Much?」と言えば「ハマチ」と聞き違えたり、鯖は英語で「Mackerel」(マカローというような発音)マグロに聞こえたりもする。

日本語を無理に使いたがったり、すこしは知っているというところを見せたい人もたまにいる。

あるおじさん。入ってくるなり、まずすんなり座らずに、ネタケースを端から端まで見つめて歩く。

そしておもむろに座ってこう言う「ヒリャーメ ウスジュクーリ」ヒラメのウス造りか。なかなかできるやつだな、と勘繰る。

その“ヒリャメ”を一口頬張り、満面の笑みで言う「ウ~ン、オイシーイ」更にネタケースを眺め、今度は「タイ ウスジュクーリ」ほう、なかなか詳しいじゃないか。白身はウス造りに決めているらしい。

再び一口頬張り「ウ~ン、オイシーイ」半分ほど平らげ、そしてまた一言。

「マグロ ウスジュクーリ」」

多分、魚と言うものは、特に刺身は根本的に口に合わないのだろう。彼らにはやっぱりハンバーガーの方が口に合うはずだ。

人生最後に何が食べたいか。おそらく彼らはステーキか何かだろう。決して刺身ではないはずだ。

こんな話もある。

営業が終わって店を出ると、一人の黒人が立っていた。見るからにホームレスとわかる男だった。そして、弱弱しい声でこう言った。「Help me please, I’m hungry」本当にお腹が空いていそうだった。そこで、持って帰るつもりだった余った寿司(海苔巻の類だったが)を見せてあげた。男は箱の中を覗き込み、また弱弱しい声で、しかしきっぱりと言った。「Oh!No Thank You,Man」これは勘違いでも何でもない。明らかに食文化の違いだ。

「アー ユー オープン?」第8話 ケンとトム

ケンとトムは兄弟で、ベトナム生まれの中国人だ。とても良く仕事をするこの二人、ケンはすし職人、トムはウエイターだ。

トムはウエイターという仕事を得たが、ベトナム語と中国語以外は分からない。しかし、ほどなくして“ウエイターの鑑”とまでいわれるようになるのだ。天性のものを持っていたのだろう。

手際の良さ、接客態度、すべてに抜かりがない。言葉が分からないのに、人々の求めているものが何であるか分かるのだから大したものだ。

同じようにケンもだれにでも好かれる男だったが、こちらのほうはベトナム語と中国語のほかに英語もそこそこ達者だ。気遣も素晴らしく、この兄弟はどういう育ち方をしてきたんだろう、と思わせる。

それでも他のベトナム人の例と同じ、大変な苦労を強いられてアメリカに渡ってきたに違いないのだ。

国境を渡って中国からやってきた、という話も聞いたような気がするが定かではない。いずれにせよ、そんな苦労に比べたら、アメリカで慣れない仕事に従事することくらいなんともないのだろう。

ケンの英語はそこそこだと言ったが、中国人独特の発音で何度も聞かなければわからない時がある。

おそらく、ネイティブな人達には想像がつくのかもしれないが、それはたどたどしい日本語で話しかけられた時の我々と同じことだ。

「ケン、ヘレンは元気か?(ヘレンはケンの女房)」するとこんな返事が返ってくる。

「ヘレンはチポエで働いている」

チポエというのはどこかのレストランかと思い、どこの何料理を出す店か再三問いただしてみるが一向にらちが明かない。

そのうち、その“チポエ”なるものがTriple A(トリプル・エー)という保険会社であることが判明。かかること5分ほど。

「ソシェカップ」「ケン、サケカップならウエイトレスに言ってくれ」お酒のおちょこのことを酒カップと呼んでいたが、ケンはそれを求めているように聞こえた。

そして、何度も何度も「ノー、ノー。ソシェカップ」と言う。更によく聞いてみるとこう言っているのだ。

Soft Shell Crab」これは殻がやわらかい脱皮したばかりの蟹のことで、フライにして食するととても香ばしくて美味しい。

中国人の英語というのは分かりにくいと思うが、我々のも大したことはない。英語圏の人からすれば同じようなものかもしれない。

中国人の素晴らしいところは臆面もなく言葉を発するところだ。そこに躊躇する気持ちは全くない。

ある意味アメリカ的だ。いや、大陸気質と言えるだろうか。

ある時、お客さんが尋ねた「ドゥ ユー ハブ エダマメ?」しばらく迷ってケンは答えた。

「ノー、バット ウィー ハブ アマエビ」当時まだエダマメをおいていなかったレストランでケンが絞り出した答えがそれだったのだ。彼にとっては発音が似ていたのだろう。とに角答える、という姿勢は素晴らしいものだ。

トムのたどたどしい英語と一生懸命笑顔で応じる接客態度、ケンのひたむきな頑張りは誰からも好かれていた。

 

 

「アー ユー オープン?」第7話 ユーセフ

  ある日、モロッコ人の若者、ユーセフという男が仕事を求めてやってきた。非常に感じのいい青年だが、経験は全くない、と言う。そのうえ、英語は全く話せない。フランス語だけ。

 取りあえずキッチンに案内して、いろいろな作業をやらせてみることにする。見た感じに違わず、とても真面目な態度だ。

 ところが、未経験ということもあり、包丁の持ち方すらわからない。もちろん菜箸などというものにお目にかかったこともないらしい。

何故、そういう人がレストランでの仕事を求めるのか理解に苦しむところだが、その昔、誰かの書いた本で、正確には覚えていないが「全てはディッシュ・ウオッシャーから始まった」という、移民の話があった。レストランというのが一番手っ取り早いことは確かだ。食事も付いているし、特に言葉というものの壁がある場合には。

 いくつかの調理場における基本的な仕事で彼を試してみるも、まるで話にならない。皿洗いもやらせてみるが、来年までかかりそうだ。(因みにその日は大晦日ではない)仕方がないので、ダイニングへと彼を連れて行った。

 言葉がダメなので、ウエイターは無理だ。残るはバス・ボーイ(テーブルを片付ける役)しかない。

 比較的楽な仕事なので、少し説明して後は任せておいたが、これが悲惨な結果を招くこととなる。

 ほどなくして、ウエイトレスがすっ飛んできた。そして「お客さんが怒って帰っちゃった」と言う。その理由を聞くと驚愕の事実が浮かび上がった。

 ユーセフがテーブルの上のお客さんの食べ残しを食べながら片付けている、ということ。さすがに驚いて、彼を呼び注意するも「Why?」の連発。

 Whyはフランス語でSorryではないだろう。

結局、彼には何が悪いのかわからないようだったが、もしかしたら彼の生まれた国では普通に行われている行為なのかもしれない。しかしいい加減な憶測は誤解を呼ぶ。彼が特別だったのかもしれないのだ。

 とにかく即刻辞めてもらったが、次の朝、またやってきて「Help Me」とくいさがった。その気丈な姿勢はとても大切だが、自分に向いている仕事を探す努力を惜しまないことも大切なことだ。 

「アー ユー オープン?」第6話 ハリー

 とにかくよく働くハリーは中国人のおばちゃん。本名は難しいが、シト・ビクシャというような発音をする。シトは司徒と書くらしいが、ビクシャというのは美になんだか見たことがない漢字がついていた。あまり、聞いたことのない名前だ。陳さんとか、廣さんとかいうのはよく聞くが。

それはともかく、40キロに満たない華奢な体で重いものでも「エイヤー」と持ち上げる中国雑技団みたいな人だった。

 ご主人はどこかのチャイニーズ・レストランで働いているそうだ。元は学校の先生だったが、文化大革命の最中、英語の本を持っていたことを理由に投獄されたことがある、と聞いた。

 見るからに頭の良さそうな、そして人も好さそうな初老の男性だ。中国人を絵に描いたようなルックスにも何故か好感を覚える。

 毎日、小さな赤いオンボロ車でハリーを迎えに来る。彼も疲れているのだろう。大体は車の中で静かに目を閉じている。

 そこに仕事を終えたハリーが乗り込む。ご主人はむっくり起き上がって、おもむろにカセット・テープをセットする。ボリュームを上げ、自分が指揮者になったようなつもりで両手を高々と上げ愛する女房に向き直り「いいだろう、この音楽」しかしハリーの反応は冷ややかだ。「そんなことどうでもいいから、早く車を出してちょうだい。私は疲れてるの」

 ご主人は隊長にでも怒られたかのように慌ててエンジンをふかす。

 確かに彼女は疲れているはずだ。聞いたところによると、朝7時から朝食を提供するレストランで働き、10時から2時までここで働き、2時半からチャイナタウンで働き、6時にはまたここに戻ってきて10時まで働く。それを週に6日。掃除、洗濯は夜12時から、残った家事は日曜の午後。晩には家族のために晩御飯もちゃんと作るそうだ。それに、驚いたことには、日曜の朝ならまだ働きに出てもいい、と考えているらしい。

 彼女に限らず、中国人の、特に女性はよく働くようだ。知る限り、男性はわりと多趣味だったりして、生活をエンジョイしている人も多いが、女性はかなり現実的で、働けるだけ働いてお金を作る、ということを人生の目的としている人が多い。(ような気がする)

 だが、決してつらいとは思っていないのだろう。働くことを楽しんでいるようにもみえるのだから。

 わき目もふらず働く彼女にマイクや他の従業員はよくイタズラをしたものだ。

 ランチタイムの一番忙しい時間に、親子丼、かつ丼など、丼もののために用意されている卵をすべてゆで卵にしておく。3つも4つもいっぺんに入るどんぶりのオーダー。

 ハリーは一目散に作り始め、頃を見計らって卵を割る。「Oh My God!」という声がキッチンに響き渡る。2回も3回も続くと叫び声が変わる「アイヤー」「アイヤー」

 いい加減に気がつけばいいものをあまりに一途過ぎてなかなか気がつかない。

 彼女は真っ赤になって怒っている。卵に向かって。

 ある時、近くの空き地で煉瓦を拾った。それはすり減った砥石を修正するのにちょうどいい、もってこいの大きさだ。

 いつも砥石を水につけてあるバケツの中に一緒に入れておいたが、ハリーが一生懸命、その煉瓦で包丁を研いでいた。あまりの一途の姿になにも言えなかった。

 ハリーはよく言っていた。日本人は刃物を研ぐのが好きなのか?と。彼女は言う。「昔、日本兵がそうやって刀を研いでは中国人を試し切りしたものだ。日本兵のことを“鬼子”と言うの知ってる?(“こいつ”と発音する)私のおばあちゃんは日本兵に捕まって金歯をむりやり抜かれた」

 彼女は思うに中国人の代表のような存在だった。

 まず、けたたましく、やかましいのだ。それも広東語の独特の響きなのかもしれないのだが。

確かに中国人のおばちゃんと携帯電話というのは地球上最悪のコンビネーションだ、といわれていた。特に広東語。

 そのあまりにも周りを気にしないおおらかさ(?)は中国4000年の歴史の重みから来るのだろうか。

 同じ中国語でも北京語は少しソフトに聞こえる。中国には数知れないほどの言語がある、と言われているが、中国人向けのテレビを見ていると確かに、必ず字幕が漢字で表示されている。

 大きく分けても広東語と北京語では、書き方は同じでも読み方は全く違うのだ。そこに更に台湾語や上海語などがあるし、もしかしたらまだ発見されていない言語も存在するかもしれない。

 ハリーに訊いてみた「日本人は漢字を忘れたら平仮名っていうのを使うけど、中国人の場合はどうするの?」彼女、胸を張って「私たちは忘れない」中国4000年の歴史の重みだ。

 地球を滅ぼすことのできるのは中国だ、と言った人がいた。もし中国人がみんなで手をつないで一斉にジャンプしたら地軸がゆがんで地球はお終い、らしい。

 なんの根拠もない説だが面白い。最近の中国に於ける大気汚染を見る限り、もしかしたら、という気になってくる。

 そんな事とは関係なく、今でもハリーは中国人代表として働き続けていることだろう。あるいは、さすがにもうリタイヤして、チャイナタウン辺りで麻雀でもやっているか。

「アー ユー オープン?」第5話 再びマイク  

 さて、またマイクの話に戻るが、ある日のこと仕事が終わると玉突きに行こう、と彼が言う。 

たまにはいいか、と思い、いざダウンタウンへ出かける。彼がよく出入りしているバーなんだろう。入り口に玉突き台があり、10人ほど腰かけられるカウンターがその横にあり、奥のほうにテーブル席が3つか4つ。よくある“どうでもいい”ようなバーだ。客はそこそこ入っているが、ほとんどが東洋系だ。

 マイクは、フィリピン人が溜まっている玉突き台を意気揚々と目指してハスラー気取りで歩いて行った。やがて相談もまとまったらしく彼らは仲良くゲームを始めた。…かのように見えたが、ほどなくしていやな予感が的中した。

 マイクが相手のフィリピン人に激しい言葉を浴びせている。相手も声を荒げた。と、次の瞬間、マイクが手に持ったキューを高々と振り上げた。

 相手もすかさず応戦。仲間も加わる。瞬く間にバーの中は西部劇で良く見かける乱闘シーンさながらとなる。ただ違うのはカウボーイ同士ではなく、フィリピン人と居合わせたベトナム人の壮絶な殴り合いだ。

 誰かがフラフラとジュークボックスに近寄る。そして意を決したようにコインを入れた。流れてきたのは、イーグルスの“Take It Easy”実にぴったりだ。

 ビールを片手に観戦するのに出来すぎているシチュエーションだ。気がつくとマイクは店の外、大通りの真ん中でフィリピン人に馬乗りになられ、しこたま殴られている。

 そこに警察の登場だ。15~6人の屈強そうな警官がワゴンから連なるように飛び出してくる。

 マイクを殴っていたフィリピン人はすでにどこかに消えてしまっている。警官が横たわっているマイクを蹴飛ばしている。もちろん右手は腰の拳銃をいつでも抜くことができるように用意されている。

 しばらく警官に問い詰められていたマイク。顔は血だらけでかなり腫れ上がっているが、顔見知りとの単なる喧嘩だ、と作り笑顔で答えている。

しかし、驚いたことに店にはもう新しい客が来て、酒を飲んでいる。すでに営業が再開されているのだ。

 窓は割れ、椅子の破片などが散乱しているのに。こんな場所ではよくあることなんだろうか、店も慣れたもんだ。

 帰りのタクシーの中でマイクが泣きながら言った「俺はフィリピーノが大嫌いだ。やっとの思いでフィリピンに着いた時、あいつらに牛か豚のように扱われた。あいつら俺たちのことを人間だと思っていないんだ」

 やっとのことで彼のアパートに戻った時、時計の針はもうすでに3時を回っていた。泣きながら眠りについたマイクに何が起ころうと、ベトナムで何人死のうと、時は流れていく。

 やがて、マイクの体に異変が起きた。

 ほどなくして、食道がんの診断を受けることとなり、レストランの近くにある大きな病院に入院することが決まった。

 見舞いに行くと、マイクではなく本名で入っている。フン・タン・ウィンはどうスペルするのか、正確にどう発音するのか、こちらも受付嬢もわからない。

困っていたところに点滴を引っ張ったマイクが、トイレに行きたかったんだろう…フラフラと歩いてくるのが見えた。そしてやっとのことで、無事彼の病室に入ることが出来た。

「どうだ?」と尋ねた後、彼が言ったことを生涯忘れることができない。

「ベトナムじゃ毎日のように俺の目の前で沢山の人が死んだ。小さな子どものころから人間の頭が吹っ飛ぶのを見た。内臓が飛び出しているのにまだ生きて助けを求めているやつもいた。そんなこと、どうってことなかったんだ。おれは死ぬなんてこと何とも思わなかったはずなのに、今はなぜかすごく怖い。できれば助かりたい。今にも死にそうなやつをさんざん見殺しにしてきた俺でも助けて欲しいと思ってるんだ。

俺、なんのために生まれてきたんだろう。でも、ベトナムに生まれたこと、決して恨んではいない。すごく美しい国だ。帰りたいなぁ。どうせ死ぬんだったらベトナムで死にたい。そうだ、俺が帰ったら遊びに来いよ。楽しいぜ。毎日釣りして、酒飲んで。いろんなところに連れていってあげるよ。必ず来いよ。約束だ」

「わかった。お前も必ず良くなれ。約束だぞ。でも、もう玉突きには行かないぞ」

そう言って別れてから2週間ほどして彼がフラっとやってきた。そして本当に嬉しそうに言った「ベトナムに帰るんだ。もう発つから。いろいろ有難う。遊びに来いよ。いいな?」

抱きしめた彼の体は驚くほど小さくなっていた。

それから2か月ほどしたある日、ベトナムから手紙が届いた。マイクの姉からだった。それは、彼とはもう2度と会うことが叶わない、という知らせだった。

 

「アー ユー オープン?」第4話 ヴィンさん

もうひとりベトナム人のお話し。

 やはり50代半ばの彼は唯一の楽しみが“宝クジ”。毎週2回ある当選者番号の発表時間が迫るとそわそわしてくる。

 それは午後8時だ。5分ほど前になると「さぁ、写真を撮ってくれ」と言って、天ぷら鍋の前、エビを高々と菜箸で持ち上げ、腰に手を当て、胸を張ってポーズを取る。そしてこう言うのだ。

「ノーモアてんぷら!さよならレストラン」それから、ポケットに入っていた宝クジを握りしめ、全神経をラジオに集中させる。

 だが、数分後にはうなだれていつものようにてんぷらを揚げる彼の姿がそこにある。愛すべき人だ。

彼は言う。「私は子供4人と女房を連れて、横になるスペースも無いボートに乗ってきた。それはそれはきつかった。私たちは、弱って死んでいった奴を海に放り投げた。できることはそれしかなかったんだ。だんだん人が減っていって、やっとスペースが出来た頃、フィリピンに着いた。あの戦争で全てを失ったけど、幸いにも一番大事なもの“家族”だけはかろうじて残った。ひどい経験だったけど、私はこう思うんだ。戦争は悪いことと決まっている。それは誰もが知っていることだ。でも、時として戦争というものは民族にパワーを与えることになる。日本人からは民族の結束が感じられないし、なんとしても生き抜くだけのパワーも感じ取ることができない。車や電化製品は素晴らしいけど。

ベトナムではああして戦争が起きて、おせっかいなアメリカが首を突っ込んできてあんなことになったけど、おかげで私たちはなにものにも屈しない精神を持つことになった。

 それと、もうひとつ。本当に大切なのは教育だ。教育さえちゃんと行き届いていれば、もしかしたら戦争じゃなく、もっと他の方法で民族の真のパワーを示すことができるかも知れないんだ。私はこれから学校に通って勉強しようと思っている。いくつになっても勉強はしなくちゃぁな」

 ヴィンさん、当分宝クジは当たりそうにないが、それでもそれなりの幸せは自らの手で勝ち取っている人だ。

「アー ユー オープン?」第3話 フン・タン・ウィン

ベトナムからやってきた男、マイク。本名はフン・タン・ウィン。年齢不詳、彼自身にもわからないようだが、多分25歳くらい。

 小さな漁村で生まれ育った彼にはベトナム戦争のさ中、何の苦労もなく育っていた日本の若者たちとは全く違う人生があったようだ。

 ある日、彼が子供の頃、ベトコン(ベトナム・コミュニスト)が来て、村の大人たちを彼らの目の前で殺していった。彼ら子供を広場に集め、大人たちが次から次へと撃たれていくのを見せられた、というマイク。

 彼の唯一の楽しみはギャンブル。負けても負けても懲りずに続ける。一晩で1か月分の給料を使い果たしても、借りたお金でまた出かけていく。

 彼はまた、よくベトナム料理のお店にも連れて行ってくれた。それも、いわゆるレストランと呼べるようなところではなく、屋根はあれど、壁はあれど、ほとんど屋台に毛が生えた程度の(もちろん毛は生えていないが)ところだ。

 ベトナム語以外は全くと言っていいほど通じないだろうおばちゃんたちが、何やら甲高い声で話しながら料理をしている。

 「彼女たち、北の出身だ」マイクは言う。なんでも南の人のほうが低い声でソフトに喋るそうだ。

 そして、出てきた料理は確かに、これぞベトナム料理、といえるものだった。いくつかのベトナミーズ・レストランにも出向いたことはあったが、そんなところのものよりも見た目は悪く、量も多く、しかし味は良かった。

 はっきり言って、ベトナム料理の味が分かるのか?と言われれば、そこはそれで微妙だが、マイクに言わせると、これこそが真のベトナムの味、いわゆる家庭料理ということだ。

 ここで料理を作っているおばちゃんたちにも、僕ら戦後生まれの日本人には想像できないほどの強烈な体験があるのだろう。

 当時「プラトゥーン」という映画が来ていたが、ここのおばちゃんたちはみんなその映画に出てくる農村の人達のようだった。

 しかし、どこの国でもおばちゃんというのは強いものと決まっている。

マイクにとっては、ここのおばちゃんたちと会話して、彼女たちが作った料理を食べて、ビールを飲んでいる時が本当に平和なころの故郷にいるような感覚になれる時間なんだろう。そんな幸せな時間は彼には沢山はなかったのだろう。

 マイクがベトナムを出てきたときの話

 「俺たちは漁師だったから海に出るのは簡単だった。いつものように漁に出かけるふりして舟を出したんだ。やつら(ベトコンの沿岸警備兵)気がつかずに手を振っていた。あいつらはトビウオと同じくらいバカだ。そして、俺たちはフィリピンを目指した。ところがとんでもないミスを犯したことに気がついた。水だ。水を積んでくるのを忘れたんだ。おれたちもトビウオ並みだった。フィリピンまで5日間。喉がカラカラだった。もうちょっと長くかかっていたら、多分ダメだったなぁ。水は本当に生きていくために必要なものだ」

 彼らはそれでもやっとの思いでフィリピンに到着。そしてアメリカに来ることができたそうだ。

 そして更に「初めてニュー・ヨークに着いて、ある看板を見つけた時には一目散にその店に入って行ったよ。Hot Dogって書いてあったんだ。おなかの空いた俺達にとっては、やったぁー、犬が食えるぞ、ってね。それくらいの英語は読めたからさ。でも実際に出てきたものは見たこともない奇妙なものだった。そういえば、キャット・フードの缶詰をそうとは知らずに食って、アメリカにはまずい食べ物があるなぁ、と思っていたころもあった」

 マイクの話の全てが、戦後の復興も進んでいた日本に生まれ、なんの苦労もしなかった身にとっては驚きの連続だった。

 マイクの他にも、コト(あるいは、ホトと発音するのか)という名のベトナム人がいた。彼はマイクよりも更に若く英語はまるきりダメだった。

 マイクが聞いた話によると「あいつのボートではみんなが死体を食べていたらしい。あいつは食ってないっていったけど、じゃぁどうやってここまで生き延びてきたんだろう」

 日本の大学生たちが反戦歌に耳を傾け、戦争反対!と大きな声を出してみんなで歌っていた頃、僕らよりずっと若い彼らはそれどころではない、壮絶な経験をしていたのだ。

 もう一人、年老いた皿洗いのおじさんがいた。

 南ベトナム解放軍の兵士だった、という彼。全くしゃべることがなかったので名前も知らなかったが、長い間ジャングルの中で数々の戦闘場面を潜り抜けてきたらしい。鋭い目をしていた。

 他にも、みんながミセス・ホートと呼んでいた、元はサイゴンのお金持ちだった、とても教養のある50代の女性がいた。

 マイクを自分の子供のように思い、自分たちの家の一部屋を彼に与えていた。

 本当の名前は“キム・チー・リー”というが、フランス語とベトナム語しか喋らないご主人、ミスター・ホートが、彼女よりも一足先に働きに来ていたとき、彼女の名前を尋ねたが、一向にらちがあかないので、ま、いいや、ミセス・ホートでいこう、という話になったのだ。    彼らは、アメリカ兵とベトナム人との間に生まれた孤児を養子にすることで比較的スムーズにアメリカに渡ることができたそうだ。

 この人からも想像をはるかに超えた話を聞くことが出来た。

 「私たちのボートは迷うことなく目的地(おそらくフィリピン)に着けたけど、そうでない人達は何日も漂流する。そこへ出てくるのが海賊。だいたいタイの漁師だけど。そうなると悲惨ね。まずわが子を殺して海に放り込む。あいつらに連れていかれて売り飛ばされるよりはまし。それから自分も死ぬ。私たちもそれなりの覚悟はできていたけど、幸運だったわね」

 同じ時代に生まれた、同じ人間なのに、どうしてこの人たちはこんな経験をしなければならなかったんだろう、と思わざるを得なかった。

「アー ユー オープン?」第2話 フェルナンド

彼の名は、フェルナンド・カサレス・ロハス。カビアが連れてきた若者はまだあどけなさが残る17歳の少年だった。

カビアとは正反対でおっとりした性格、日本語はまるきりしゃべらないし、英語もほとんどダメなのだが、どこか好感の持てる少年であった。

やはり第一印象というのか、それは大事だ。しかし、この一見おっとりした少年は、充分第二のカビアとしての素質を持っていることに、後から気付くこととなる。

他にもヒスパニック系としてはグァテマラ人やエル・サルバドル人などもいたが、みんな真面目だった。

カビアの穴埋めというのは彼にとっても容易なことではなかったはずだ。

しかし、そんな彼もやはり天性のものを持ち合わせていたのだろう。徐々に頭角を現すまでになっていく。

スペイン語まじりで少しだけ知っている英語を駆使して一生懸命に訊ねてくる彼に対して、日本語まじりのスペイン語で答える。とても奇妙な師弟関係だ。

言葉が通じない、というのも悪いことばかりではない。何故ならば無駄話の時間が減るからだ。

フェルナンドもだいぶ慣れてきたころ、日本からとても大きなニュースがとびこんできた。

昭和天皇が危ないという、そう、あの昭和の最後のころだった。

日本人の従業員たちは、来る日も来る日も一様に新聞を読んでは、いったいどうなるんだろうか、下血というのはなんて読むんだろうか、などと話し合ったものだ。

そんな日本人たちのやりとりを見ていたフェルナンド。てんぷらを揚げる手を休め「アミーゴ、いったいどうしたんだ?」と訊いてくる。

このメキシコの片田舎の少年に、日本の天皇陛下のことを話しても無駄ではないだろうか。しかし彼も興味津々だ。

意を決して訊いてみた「Do You Know Japanese Emperor?」すると彼がきょとんとした顔をして答えた「てんぷら?」

説明は必要ないだろうが、敢えて言うと「エンペラー」と「テンプラ」の発音が彼には区別がつかなかったのだろう。

なんともかわいいやつだったが、そんなフェルナンドも結婚を機にやめていった。

カビアやフェルナンドとはそれからも個人的によく会っていた。

カビアは、いったんメキシコに戻ったが、風の便りでふたたびアメリカに潜入した、と聞いた。潜入とは一般的に不法入国のことだが、彼らにとっては当たり前のことらしい。よく聴いていた“ロス・ディアブロス”というグループの歌で突然叫び声から始まる歌があった。何と言っているかといえば「移民局に気を付けろ!」だそうだ。

そんな歌、日本には無いはずだ。

また、カビアはこう言っていた「本当に怖いのは移民局のパトロールではなく、森を抜ける時に出くわす蛇だ。パトロールなんて、捕まれば追い返されるだけ。またいつでもチャンスはある。でも蛇はマジやばい」

ある日、新聞にとても興味深い記事が載っていた。

“メキシコからの不法移民の、とある事柄が今、問題となっている。彼らは何人かがまとまってアメリカのハイウェーを渡る。それはほとんど夜も更けてからであることが多いのだが、必ずといっていいほど最後尾の数人が車にはねられる。それは彼らのほとんどが田舎の、それも極度に貧しい地方の出身者で、アメリカのハイウェーでのスピード感覚を理解していないからだ”

そんな記事だったが、カビアたちは若いし、もう慣れたものでちょっとしたピクニック気分だったようだ。

生まれたところ、住むところが違えば苦労の種類も本当に違うものだ。

ところで、ある日、フェルナンドには日曜の朝、黒人街ちかくの、とある公園に行けば会える、という情報を手に入れた。

彼はそこで仲間たちとバスケットをやっている、という話だ。行ってみると、まるで映画のシーンのように、ラテン系、ヒスパニック系や黒人の少年たちがサンサンと輝く太陽の下で遊んでいる。そして、その中に女房らしき女性と抱き合っている彼を発見。相変わらずトロ~ンとした眼で女房を紹介してくれた。「ロサ・マリアだ。アミーゴ」16歳だという。

彼らの生きていく“力”はストリートから生まれるのだろう。英語のスラングでいう

Street Cred”という、学校で学ぶことのできないものだ。

彼らがよく言う「アミーゴ」という言葉。直訳すれば“友達”“同志”みたいな意味だが、彼らは、会った時、別れる時、また、それ以外の時でも必ずと言っていいほどこの言葉を口にする。

それは民族同士のつながりの深さを感じさせるものだ。いいものだな、と感じる面もある。日本人だったらいちいち「おはよう、友達よ」「また明日、同志よ」なんて言わないだろう。

ちょっと話はそれるかもしれないが、黒人がよく「man」という言葉を語尾につけているのを聞くことがある。

それは彼らの奴隷制度時代の経験からきている、という説がある。彼らの祖先が奴隷としてアメリカに連れてこられた頃、どんなに大人の男であろうと、ひとりの男として、しいて言うならば人間、あるいは人類(mankind)として認識されなかった。一般的に“boy”と呼ばれていたそうだが、青二才、若造、ましてや未熟者などという意味もある。

そんなことから「我々も人間である。一人の男だ」という意識が生まれ、お互いを「man」と呼び合うようになった、という。

いずれにせよ、民族のつながりというものは、その民族が他からの強烈な抑圧を受けたり、なんらかの、自国がひっくりかえるような出来事があればあるほど強くなるような気がしてならない。

そして、そんなことを強く感じさせてくれる人たちがまわりに沢山いたことも事実だ。

「アー ユー オープン?」 第1話 カビア

多くのレストランにおいて、営業時間の設定としては午前11時半オープン、ランチタイムを経て午後2時に一旦クローズ、そして午後5時に再びオープン、午後10時まで営業、というのが普通だ。

もちろんお店の諸事情や、ロケーションなどにより、多少の違いはあるが、ほとんどの日本食レストランがそのようになっている。

 従業員(料理人)は仕込みのために10時までには店に入るが、その瞬間から多種多様、大小取り混ぜた問題が起こる。

 「アミーゴ、かあちゃんが病気だから今から国に帰る」たしかこの間かあちゃんが死んだって言ってたけど。

急に、というのは困るが、しかし、これなどまだましなほうで、何も連絡がないまま消えてしまうメキシコ人(何もメキシコ人に限ったことではないが、圧倒的にメキシコ人に多い)それも、若い子に多い。その多くは友達からの情報で、もっと給料のいいところがみつかったとか、あるいは仕事に飽きたり、とかいう理由だ。

まぁ、日本の若者にも起こり得ることかもしれないが、それでも日本人の場合は突然消えるというケースはまず無いと見ていい。

あとは、移民局の強制検査が入って、有無を言わせず連れていかれる、というケースもあるだろう。

あるいは、賭け事に負けた金がたまりにたまって払えなくなり、殺されないために姿をくらます、といったケースもある。

これなどは中国人やベトナム人に比較的多い。

とにもかくにも、ここでは一人のメキシコ人の若者を紹介することにしよう。

カビヤ・ロドリゲス・ゴメスという25歳の男。入ってくるなり「おはよーございます。カビアと申します。仕事を探しているのですが。おにーさん、仕事ありますか?」

それはそれは驚くほど流ちょうな日本語をしゃべる。

因みに、カビアという名前。実際には「カ」と「ハ」の中間の発音だ。Javierと書く。「日本の方にはとても難しい発音だと思います。だからどちらでもいいです」と、更に流ちょうな日本語が続く。

日本食レストランでの経験も豊富で、会話の端々にその働きぶりを伺わせる言葉が飛び出す。

「冷蔵庫見せてください。えーっと…。はい、わかりました。ランチタイムのコンビネーション、こちらでは何のすしを付けますか?刺身はナンカンデスカ?一番忙しい時で何人ぐらいのお客さんが入りますか?-あぁ、それなら私ひとりでも大丈夫です。100人くらいなら問題ありません」

実際、よく働く男、カビア。

メキシコ人のよくあるパターンとして、友人あるいは親せき縁者一同が狭いアパートに同居し、先に仕事を見つけた奴が同じ店にそのうちの一人を紹介する、というのがある。これも労働条件が良ければ、の話だが。カビアのアパートにも7~8人いたが、名前がほとんど“ホセ”だった。

それはともかくとして、店の経営者には気を付けなくてはならないことがあるのだ。それは、そのようにして、次から次へと同じ民族で固めていくと、それが例え友達同士、親戚同士でなくても、やめる時には一斉にやめてしまう、という現象だ。

そうなると残された人は悲劇極まりない。しかし、そんなことは日常茶飯事、どこのレストランでも一度や二度は経験していることだろう。なかにはしょっちゅうそんな目にあっているレストランもあるが、その場合、店側になにか問題があるのかもしれない。

カビヤは遅刻もせず、せっせと働いたし、仲間を引き入れることもなかった。

当時ちょうど、リッチー・バレンスを題材にした映画「ラ・バンバ」が上映されており、1時間に一度はラジオから「パラバララ・バンバ~♪」と、陽気な音楽が流れてきていた。

 彼らのヒーローだ。ラジオのボリュームを最大限に上げ、大きな声で一緒に歌いだす。そして「さぁ、おにいさんも一緒に歌いましょう」しまいにこちらまで歌詞を覚えてしまう。

また、それだけではなく、一緒に出掛けることも度々あった。

一旦レストランがクローズした昼休み、彼らの聖地である、通称“ミッション・ディストリクト”めがけて。日本人向け観光ガイドブックには絶対に近づかないように注意書きがなされているところだ。

どこの町にも、ある一定の民族が多く固まって暮らしている地区がある。ここはヒスパニック系の地区だ。バスの中はスペイン語しか聞こえてこない。

まして、2時を少しまわると、子供たちの学校が終わる時間になる。小・中・高生たちがなんの秩序もなしにがやがやと乗ってくる。

ダブダブのジーンズにダブダブのTシャツ、顔のいたるところにリング、そんな男の子や女の子たちをいっぱい乗せたバスは奥地へ奥地へと進んでいく。

やがてひときわにぎやかなバス停に降り立つとそこはもうメキシコさながら。歩道の脇にはウイスキーの瓶と一緒に寝転がっている人。他人の車の上に乗ってチェーンを振り回して遊ぶ不良少年たち。

ソンブレロを被りギターを抱えた少年たちもいる。彼らはレストランに入って行って、歌を唄いながら小遣い稼ぎをしているのだ。日本でいう“流し”みたいなものだ。

「ここには俺だって夜は来ないぞ。いつ何時ピストルの弾が飛んでくるか分からないし、ディスコなんて行けば絶対喧嘩になる。喧嘩になったら間違いなく銃だ。命がいくつあっても足りゃしない」

地元の人間でないと足を踏み入れることができないような、小さなメキシカンのファスト・フード店で、タコスとハラペーニョをあてにコロナビールをラッパ飲みしながら彼が言った。

そんなカビアも、いったん国へ帰ることになった時、彼は律儀にもひとりの若者を紹介してくれた。

 

~プロローグ すし、そして寿司職人~

プロローグ  すし、そして寿司職人。

  すし、それは日本の食文化を語るうえで、その中心ともなり得るものだろう。しかし、専門的、学術的な見地からの解説は、その筋の専門家の方々にお任せすることにして、ここでは、海外に存在する日本食、あるいは日本食を提供するレストランに従事する人たちに関する、日本では、まず遭遇することがないような様々なお話しを書いていきたいと思う。

また、日本食なるものに馴染みのなかった人たちが、いかに日本食レストランでふるまうのか、非常に興味深いお話も出てくる。

今や、日本食も世界各地に浸透している。それが「まさかこんなところですし?」と思わざるを得ないところであっても。

殊に、これから語ろうとしているアメリカでの日本食は、すでにブームというものも通り過ぎ、深く庶民の間にまで根付いている部分もある。

日本食については、様々な書物でも紹介され、各メディアなどにも露出度は高く、俳優、歌手などの、いわゆる外タレさんたちも「日本食はお好きですか?」と問えば必ずと言っていいほど「Oh!yeah,I love SUSHI!」または「Sake!my favorite」というようなお決まりの台詞が返ってくる。

もちろん「嘘でしょ」というつもりもないし、確かに彼らにとっても、そして、かくなる僕たち日本人にとっても、すしや刺身というものは特別に魅力的な食べ物であることは否定できないだろう。

しかし、ものによってはもう芸術の域を超えている感もあるほど、どこか敷居が高く、あまり軽々しく語れないものである、というような思いも多少は持ち合わせている。

そして、それは事実、長年アメリカという国で寿司職人として従事したことによって更に気づかされた一面でもあるのかもしれない。

アメリカでは、多少素人でも立派に寿司職人としてまかり通ってしまうことも決して不可能ではない。

それでも、人々の健康にまで影響する仕事。それなりの注意と努力は必要だ。

話題のレストラン、ということで参考のために出向いた寿司屋では、若い白人のおにいさんが、今でいう「イケメン」でしょうか、アロハシャツにブルージーンで「らっしゃ~い」と、いいながら不器用な手つきで、すし(みたいなもの)を握っている。

どこかしら「スシドナルド」といった感じだ。

フロンティア精神というものを充分理解しているつもりだったが、なぜか「すしをなめてかかっているんじゃないだろうか」と、心の中で疑いを持ってしまう。

そうかと思えば、入った途端に、何か異様とも思える緊張感と重圧を感じる寿司屋もある。そこには、その筋の人も顔負け、というような風貌の職人が(もちろん日本人)黙々と握っている姿がある。

この人、なぜアメリカで寿司屋なんかやっているんだろう?と首をかしげたくなってしまうのだ。

でも、東洋の神秘みたいなものが好きそうな白人にはいかにも受けがよさそうなのも否めない。

又、中国人経営の食べ放題を売りにしているレストランでは、さまざまな国籍の老若男女が、皿の上にすしを乗せ、その上から焼きそばを盛り、さらに焼き飯や鳥のから揚げなどを乗せてあっちへ行き、こっちへ行きしている。もはや、すしは潰れて原型をとどめていない。

そんな不届き千万なお店も大繁盛なのだ。

このようにして、今やアメリカのどこへ行っても日本食を食べることが出来…と言いたいところだが、実際はとんでもなく広い国。すし、刺身などという言葉すら知らない人たちがいることも忘れてならないことなのだ。

特に南部の奥深くではそんなことは当たり前のことだが、大都会ですら、黒人の子供たちの「すしってチャイニーズ?」「うん、そうだよ」というような会話も耳にしたことがある。

想像をはるかに超えた広い国である。

寿司職人としてアメリカに渡った人は数知れずいる。また、アメリカでの生活手段として寿司職人になっている人もいる。そのほうが圧倒的に多いかもしれない。

頭は角刈り。一見渋い菅原文太みたいな寿司職人。コムデギャルソンのロングコートに身を包み、ブランド物のバッグを大事そうに抱えてオープン前のレストランに入っていく。

あのバッグの中身はやなぎ刃と出刃かな、なんて思うと笑えてくる。

向うは向うで、あいつも流れの寿司職人か、という顔をしてチラ見していく。

外国人の寿司職人(と呼べるのかどうかわからないが)も多少はいる。前出の白人の若者しかりだ。

単にお金になるから、とか、もてる、とか、理由は様々だ。

知る限り、中国、韓国、インドネシア、ベトナム、モンゴル…他にもいたかもしれないが、やはり顔は東洋系か、全くかけ離れた白人か、だろう。

中近東、アフリカ系はちょっと躊躇してしまう。人種に対して差別意識は全くないが、やっぱりその辺は難しい。

アメリカという国では、人種によってものの考え方、価値観の違いというものがどんな時でもついてまわる。

体験しなければ理解できない話、思わず笑ってしまう話、涙なくしては語れない話、そんな人々との出会いの話をこれから少し書いてみたいと思う。

Irish Music その60

Glen Road to Carrick/Pipers on Horseback/McGovern’s Favorites   Reel

  • Glen Road to Carrick

Donegalの曲だ。僕は初期のセッションで覚えた。僕らは6パートで演奏するが5パートの人もいるようだ。その場合最後の2つのパートはよく似ているので、6パートのうちの5パート目を省き、僕らがやっている6パート目を最後の5パート目にして演奏するようだ。あー、ややこしい。セッションで出たら要注意だ”

  • Pipers on Horseback

The Fare-haired Lassというタイトルのほうが有名だろうか。あるいはMick’s Jig Away The Donkeyか”

  • McGovern’s Favorites

“終わりの部分が少し変わった譜割りになっている。いろんなやり方があるだろうが、僕らはPaddy Killoranの古いNY録音から学んだ”

 

The Connaught Heifers/Corney is Coming    Reel

  • The Connaught Heifers

“僕はこのセットをSeamus Ennisの録音から学んだような気がする。耳にしたのは初期の頃San Joseに住むパイパーのDave MacCortからかもしれないが。ちなみに彼と、スコット・レンフォートとの3人でSilver Spireというバンドを組んでいたこともあった。庭でトウモロコシやじゃがいもを栽培していたが、何故かキノコだけは食べたくない、と言っていた。あれは一種の“カビ”だと力説していた。曲は、単純だが、とても印象深いメロディだ”

  • Corney is Coming

“この2曲はパイプ・チューンと言えるかもしれないが、単純でありながら、いわゆる「らしい」と言えるメロディで大好きだ。このセットは通常のリール・テンポよりも少しゆったりしたほうがいいだろう”

 

Her Long Dark Hair Flowing Down Her Back  Hornpipe

  • Her Long Dark Hair Flowing Down Her Back

Junior Crehanの作だが、本当のタイトルを書くべきかどうか悩んでいる。とりあえずこれだ。Flowing Down Her Back and the Colour of Her Golden Hair was Blackという、とんでもなく長いタイトルだ。しかし、こんな風に言う人はいないだろう。非常にトラッドの香りがするいい曲だ”

Irish Music その59

Leaving Brittany/George Peoples’     Waltz/Reel

  • Leaving Brittany

“これは素晴らしい曲だ。作者はJohnny Cunningham。彼の死には本当に驚いた。確かに体はどこか悪そうだったが、たかだか1時間弱のリハーサルでも強烈な印象を残し、本番ではそれに輪をかけてエネルギッシュな演奏を展開した。作曲者、編曲者としても一流であり、また、誰からも好かれる人だった”

  • George Peoples’

Seamus Gibson作、ということだが、ほとんどSharon Shannon以外では聴いたことがない。素晴らしくドラマチックな曲である。僕らは初期の頃からこのセットをよくやっている”

 

Paddy Fahey’s/ Rakes of Clonmel/Princess Nancy      Jig

  • Paddy Fahey’s

“これはMajorでもMinorでも演奏されるし、Martin Hayesと初めて演奏した時には、どちらもごちゃ混ぜにしてやっていた。3度さえ抜いておけばこちらはどうってことないが。いずれにせよ、どちらで演奏してもきれいなメロディだ。このセットでは、僕らはMinorでやっている”

  • Rakes of Clonmel

“2パート?または3パート?本当は3パートらしいが、僕らは2パートでやることが多い。これは僕の意見だが、3パート目はなくてもいいメロディのような気がするから。おそらくFrankie Gavinもそう思って2パートにしているのだろう。いずれにせよ、3パート目もある、ということは覚えておいたほうがいいことだ。セッションで出た時も、どちらでやるかあらかじめ訊いておいたほうがいい、と思うし”

  • Princess Nancy

Liz Carrollが、友人であるNancy Leoniのために書いた、とされる曲。美しく、親しみやすいメロディだ”

Irish Music その58

Finberr Dwyer’s/Dr.Gilbert/Malbey Shuffle    Reel

  • Finberr Dwyer’s

“若いアイルランドのバンジョー弾きの演奏で覚えた曲。彼はKevin Griffinから習った、と言っていたが、もともとはFinberr Dwyerの作と思われる。彼のアコーディオン演奏では聴いたことがあるのだが”

  • Dr.Gilbert

“とても美しいメロディの曲だ。有名でセッションでも度々登場する。元はフレンチ・カナディアンの曲をMichael Colemanがこの名前で録音したそうだ”

  • Malbey Shuffle

Diarmaid Moynihanの作。この曲を初めて希花に教えたとき、「あ、これ好き」と言ったのをよく覚えている。実はこの曲は僕も大好きだ。非常に単純なメロディだが音の進行がとてもいい。この人はCalicoのパイパーで数多くの名曲を書いている”   

 

Callaghan’s/The Flowing Tide   Hornpipe

  • Callaghan’s

“あまりポピュラーな曲ではなさそうだが、AパートもBパートもいいメロディだと思う。ティプシー・ハウスでも長いこと演奏してきたが、他の人で聴いたことはほとんどない”

  • The Flowing Tide

“僕はDick Gaughanのギター・アルバムから習ったが、かなり有名なホーンパイプで演奏している人も多い”

 

Celanova Square      Jig

  • Celanova Square

“またしても、Diarmaid Moynihanの作。これは実に単純だが、たまらなくなるようなメロディの曲だ。どう説明したらよいかわからないくらいに、同じようなメロディが繰り返し演奏されるが、気持ちが高揚するような曲である。コード楽器の人のセンスが問われるものでもあると思う。F#mの曲だが、Dmaj7しかり、Bmしかり、でもF#mでありたい、というような、気持ちの中で「このコードを使うのは今でしょ!」という強い気持ちと「今じゃないでしょ!」という強い気持ちと、「何故今使うのか。何故今使わないのか」という理屈がきっちりしていないと、単なる無意味な伴奏になってしまう危険性がいっぱいの曲だ”

Irish Music その57

Julia Delaney’s/Bobby Casey’s/Mother’s Delight/Glencolmcille    Reel

  • Julia Delaney’s

“これもある意味、初めのころに習う曲の一つかも知れない。とてもいいメロディだし、いろんなテキスチャーを組み込める曲だ。パイプ以外の楽器にはもってこいだ、と言われている”

  • Bobby Casey’s

Port Hole in the KelpともFarewell to Camden TownともいわれるBobby Caseyの数ある作品のひとつ。とても親しみやすいメロディだ”

  • Mother’s Delight

“いろんなキーで演奏する人がいるかもしれないが、僕らは基本的にDmだ。最初のコードはF。この曲で思い出すのは2013年の夏、Galwayでバッタリ再開したKyleが、その昔、どういうコードを使ったらいいか訊きに来たことがあったが、その時、この曲の分析についていろいろな話をしたことだ。「AパートはFからC,Fに戻ったら今度はC7、勿論Cでもいいがその7thの音はともすれば大切な響きをもたらす。気がつく人は1000人に一人くらいだけど。そしてBパートはセクシーな感じを出すために思い切り切なく弾く」こんなことを話したことがある。とてもいい曲だ”

  • Glencolmcille

“前の曲からこの曲につなげるやり方はJack Gilderから頂いたが、数あるセットの中でもとびぬけて優れているチェンジだと思う。前の曲のテキスチャーを損ねずに突然世界観が変わる、なんとも心憎いメドレーになる。いつだったか、フィークルで結構凄腕の、北からやってきたフィドラーがこの曲を弾いて、希花が後を追いかけた。終わってからおじさんが「なんだっけ?これ」希花が「Glencolmcille」おじさん「おー、そうだ。そういえばGlencolmcilleだ。良く知ってるなぁ。あんまり弾くやつはいないぞ」確かにあまり聴くことはないが名曲だと思う。ちなみに、聞きなれない名前だが    Co.Donegalにある小さな村、といっていいのかな、町といったほうがいいのかな。とに角ここから先は大西洋が広がっている「北の果て」といえるかもしれない”

Irish Music その56

White Petticoat      Jig

  • White Petticoat

“とてもモダンなメロディだが曲は古い。ただし、Solasがやって有名になったかもしれないので尚のことモダンに聴こえるのだろう”

 

Stan Chapman’s     (Jig

  • Stan Chapman’s

“ケイプ・ブレットンのフィドラーJerry HollandによってStan Chapmanのために書かれた曲”

 

The Miller’s Maggot   Jig

  • The Miller’s Maggot

“ここまでは3曲別々に書いてみたが、これらはSolasのファースト・アルバムのセットからだ。かなりいいセットだが、このままやるとSolasになってしまうので敢えてばらして書いてみた。他にいいセットを組んでみよう。3曲ともいい曲だ”

 

The Lark on the Strand/The Humours of Glendart Jig

  • The Lark on the Strand

“僕はだいぶ前にDaleから習ったが、希花もよく知っていたので、時々弾いている”

  • The Humours of Glendart

“映画「ハリー・ポッター」でもウエディングのシーンで使われていたほど有名な曲だ。決して素晴らしいものでもないし、初心者向きでもあるが、ある意味乗りやすい曲かもしれない。僕にとっては‘70年代初期のPlanxtyの演奏が印象深い”

 

The Humours of Ennistymon     Jig

  • The Humours of Ennistymon

“すでに「その46」のLuck Pennyのところでタイトルだけは書いているが、特別には触れていなかったのでここで。またの名をCoppers and Brass(2パート)という。2012年にフィドル講師のBrendan Larrisseyが「タイトルを忘れた」と言っていたが、すかさず僕が「エニスタイモンじゃないか?」と言って驚かせたのを今でも覚えている。そんなことがよくあると、歴戦の勇者である相手にも認めてもらうことができる”

WIND 2 (ウィンドⅡ)主催コンサート

ウィンドⅡと聞いて随分懐かしいと思われる方もおられると思います。僕と坂庭君との音楽会の企画をはじめ、ずっと僕らの支援に、わが身の忙しさも顧みず、走り続けてきてくれた人たちです。

色々な別れもあり、現在残っているお二人、古川さんと村松さんが今回、大宮にてコンサートを企画してくれております。

 当日は、僕らの音楽の大きな幹となっている、アイルランドの風景をみながらのお話しを一部に、そして2部に演奏を、というちょっと変わった企画です。

 国の歴史や政治的背景などの話は、その筋の専門家に任せて、僕らは地元の演奏家、そして地元から世界に飛び出していった演奏家、そしてその家族や、彼らの生活そのものを見てきた、そんなお話を沢山するつもりでいます。

 普段の音楽会とは一味違ったものになるでしょう。また、終了後、皆さんと一緒に軽いお食事をする時間も設けてあります。お時間の許す方たちの御参加をお待ちしております。

2014.3.9(日) Open13:30 Start14:00
大宮「清水園(しみずえん)」2F 『ベルディ』 http://www.shimizuen.co.jp/
【さいたま市大宮区東町2-204】JR 大宮駅東口より徒歩 10 分。駐車場有。
前売 ¥3,500 当日 ¥4,000

Irish Music その55

 

The Blarney Pilgrims/Helvic Head   Jig

  • The Blarney Pilgrims

“パディ・キーナンが必ずやっていた曲だ。映画「タイタニック」でも演奏されていたかな。有名なトラッド曲である”

  • Helvic Head

“5パートあるこのジグ。Yellow StockingともThe Kittenともよばれるスリップ・ジグによく似たメロディが存在する。そのメロディはどちらかといえば「その4」で登場したThe Humours of Whiskeyのほうが似ているだろうか。しかし、ところどころこの曲に近いのだ。なのでどちらかというと“構成が”というべきだろうか。Jody’s Heavenでも録音したことがあるが、大好きな曲だ。ギタリストにとっても5パートというのは、非常に考えるに値する”

 

Sliabh Russell    Jig

  • Sliabh Russell

“確かパディはこの曲から上記の    The Blarney Pilgrimsに行っていたかもしれない。Amで演奏されるとてもいい曲だ”

 

The Butlers of Glen Avenue  (Jig

  • The Butlers of Glen Avenue

“これは曰くつきの曲だ。タイトルは多くの人がChristy Barry’s#2ということで覚えている。確かKevin Crawfordがそのタイトルで録音していた。ところが、作ったのはバンジョー弾きのTony Sullivanということだ。Christyとのセッションに向かう途中、テリー・ビンガムにこの曲のことを話したら「その曲はやらないほうがいい。沢山の人がChristyと一緒になるとこれをやりたがるけど、書いたのはTonyだ。非常に複雑だ」と言っていた。#2というくらいだから#1があるのだが、あまり好きな曲ではないので省略する。この辺は希花とも意見が合う。そして#1だがこれもChristy Barryとして伝わっているが、やはり他で演奏されているのを‘79年ころに聴いたことがある、という人もいる。その人曰く…Mary Begleyという人から習ったが、彼女はSean Coughlanというアコーディオン弾きからこの曲を習ったそうだ。SeanChicagoに住んでいたことがある。ChristyChicagoにもNew Yorkにも、アメリカのいたるところをツァーしているので、彼からSeanが学んだことも考えられるし、またその逆もあるだろう。この答えはもしかしたら、Seamus BegleyBrendan Begleyが知っているかもしれない。こんなことばかり調べていると頭が痛くなるが、とても面白い”

ちょっと一休みして食べ物の話

食べるもので、基本的に好き嫌いは無い。よっぽどの“ゲテモノ”か、そこまでいかなくても生の肉とかは嫌だが。魚醤も少しなら入っていても大丈夫。フォアグラは食べない。馬刺しには手を出さない。生ハムにも手が出ない…してみると結構食べないものもあるなぁ。  

家では子供のころから、白米には必ず麦が入っていたし、週の半分くらいは玄米だった。それでは聴いてください「麦と兵隊」(何それ、という冷ややかな声)

なので、今も玄米は大好きだ。野菜も何でも食べる。基本的に歯が丈夫なせいか、なんでも美味しく食べることが出来るのは本当に有難いことだ。

大学の時は合宿中に(産大ブルーリッジ・マウンテン・ボーイズ)朝からお茶碗10杯のごはんを食べた記憶がある。

よく食べたほうかもしれないが、若いときには誰でも結構食べることができただろう。とに角、何を出されても失礼の無いように少々味の合わないものでも食べることが出来た。

今でもそうだが、いかんせん、量は減った。当たり前のことかもしれないが、打ち上げでせっかく美味しいものを出してもらっても「あ~、あと35歳若かったらなぁ」と思うことがよくある。

人間は食べずに生きていくことが出来たらどんなに楽だろう、と思うことがよくあった。そうすればトイレも必要無いし…てなことを真剣に考えたこともあったが、親せきや友人が集まったら「何食べよう」ということはとても大事なことなので、やっぱり人間の最大級の欲求であり、楽しみなことなのだろう。

書くほどのことではないくらいに当たり前田のクラッカーだ。(再び何それ、と冷やかな声)

料理の世界も少しは経験した。生魚ってあんまり好きではなかったが、寿司シェフもやった。

そんな僕なので、アメリカ人は基本的に生魚なんて好きではないはずだ、ということがよく分かる。「今日は暑いから素麺。今日は寒いから鍋にしよう」おせち料理から始まり、七草粥を食べたり、季節や催事ごとでそれぞれ工夫を凝らした食べ物を食べるのが日本人。

「おい、今日は暑いからホットドッグとビールだ。今日は寒いからホットドッグとビールだ」というアメリカ人とはわけが違う。

どこで覚えたのか鯛もヒラメも「薄じゅく~り」なんて言い、果てはマグロまで「薄じゅく~り」なんていう人たちだ。

「ケッパ巻き。海苔抜き」「うなぎ、皮抜き」なんじゃそりゃ。

きっと生魚は彼らの味覚の中にはないはずだ。僕らでもホットドッグやハンバーガーが1週間、朝、昼、晩と続くとワンとかモーとか、いや犬ではないか。

結婚式のギグで、どんなに素晴らしいケータリングが来ていても、結局家に帰ればお茶漬けを食べてしまう。

料理が素晴らしければ素晴らしいほど…。

そんな風に、歳と共に日本人としてのベーシックな食べ物をよく食べるようになってきた。漬物や味噌汁、魚も刺身でも、焼いても、そして煮ても。若いときは絶対にすき焼きだったが、今は水炊きのほうがいい。

それでも、まだ相変わらず結構な頻度で食べられるものもある。あんどーなつやビーフシチュー、正月の伊達巻。あーもう終わってしまった。

おせちには、栗きんとんと伊達巻だけあればいい。毎日が正月だったら伊達巻が毎日食べられる。

なんだか言いたいことがなんなのか自分でもわからなくなってきたが、とに角好き嫌いを言うのは良くない、ということ、なんでも美味しいと思っていただきましょうということ、それから、少々無理しても出されたものは有難く平らげるくらいの強靭な精神力と胃袋を持ちましょう、ということです。

皆さんもLDLコレステロールには十分気を付けながら、楽しい食生活を送ってください。なんかまた伊達巻が食べたくなってきた。子供の頃は「イタチマキ」だと思っていたけど…。

Irish Music その54

Drowsy Maggie/Farewell to Ireland  Reel

  • Drowsy Maggie

“これはアイリッシュ・ミュージックを始めた人なら必ず最初のころに演奏するものだ。そのうち、あまりポピュラー過ぎて、3年もするとほとんど演奏しなくなるだろう。もちろん人によって違うだろうが。例えば、「アイルランドの洗濯娘」とか「ケッシュ・ジグ」とか、同じような曲が存在する。セッションでもテリー・ビンガムやクリスティ・バリーが、そんな曲を書いたリクエストの紙を丸めて捨てていた。この曲も間違いなくそんなうちのひとつだ。映画「タイタニック」でも3等船室で演奏されていた。僕らの感想は「あ、やっぱりこれかよ」だ。そして、面白い話がある。

以前一緒にやっていたフィドラーのローラ・リスクがジョン・ウェイランのバンドでどこかの大きなフェスティバルに出演したとき、タイタニックで演奏したあのバンドも出演していたそうだ。ローラ曰く「今までに聴いたバンドの中でも最も下手くそなバンドだったのに、CD売り場には長蛇の列が出来ていた。あたしたちなんて見向きもされなかった。じゅんじ、どう思う?」そんなもんだ。分かるような気もする。

話はそれたが、この曲、いろいろなバージョンがある。普通は2パートで演奏されるが、ティプシー・ハウスではJoe Cooleyが創ったと言われている3つ目のパートを演奏していた。AパートはEmBパートはD、そしてCパートでBmにいく。これで演奏している人は他に知らない。Joe Cooleyは一時、サン・フランシスコに住んでいたので、ジャックはそこから学んだのだろう。もしかしたら偶然にも気まぐれに一度だけやってみたのかもしれないが、なかなかいい。尚、Drowsy Maggieとしてもうひとつ明らかに違うメロディが存在する。明らかに違う、と言っておいて何だが、これはほとんど曲の進み方が同じだ。Donegalバージョンと言えるだろうか。因みに2パートだ。ところで、最近になって3パート目を創った人物はJoe Cooleyではないという有力な話を知った。1931年にFrank O’Higginsという人物が既にこのパートを録音しているらしい”

  • Farewell to Ireland

“これもややこしいものだ。よく演奏されるFarewell to Erinとは違う曲。ただし、このErinとはアイルランドのこと。そちらはAmで演奏される。「その40」にすでに登場している。こちらはDで演奏される全く別なメロディだ。さらに調べていくと、同じDの曲で少しメロディが違うFarewell to Irelandも見つけることが出来るが、こちらはバージョン違いだろうか。それにしてはだいぶ違うような気もするが”

Irish Music その53

Sailing into Walpole’s Marsh/The Duke of Leinster Wife   Reel

  • Sailing into Walpole’s Marsh

“なんとも厄介なタイトルだ。それに、出だしがCastle Kellyという曲にそっくりなため、よく聴かないとこれを演奏しようとした人の気持ちを台無しにしてしまう。Castle Kellyと大きく変えるためには、ギタリストが頭をD7に切り替えることかもしれない。もちろんAmでもいいが、この曲に関してはCastle Kellyとほとんど同じメロディ(Aパートの最初の4小節だけ)でスタートするので、僕はD7にしている。このようにそれぞれの曲がよく似ていてもキャラクターが違うのだ。だからこそギタリストも何百通りもの組立が必要になってくる”

  • The Duke of Leinster Wife

The Ladies Pantalettesというタイトルのほうが一般的かもしれないが、僕は長いことこちらのタイトルで知っていた。1856年には採譜されているというクレアー・チューンだ。尚The Duke of Leinsterという曲もとてもシンプルで有名だが、これとは全く違う。「その49参照」

 

The Moving Bog/The Green Fields of Rossbeigh   reel

  • The Moving Bog

“こちらも「その49」に単独で登場しているが、とても面白い曲だ。何かの後でひっつけても、突然出てもなかなかに味のある曲”

  • The Green Fields of Rossbeigh

Kerry Reelとも呼ばれている、セッションでもよく登場するポピュラーな曲だ。RossbeighというところはCo.Kerryの美しい海岸線として有名であり、ディングルの対岸に位置するところだ”

 

King of The Fairies     Hornpipe

  • King of The Fairies

“とても美しいメロディで、単独で演奏してもいいかな、と思う。そんな意味では、「その18」にあるThe Rights of Manと同じテイストの曲だ”

 

Taylor’s Twist/Lad O’Beine’s     Hornpipe

  • Taylor’s Twist

“あまりポピュラーな曲ではないかもしれないが、いいメロディだと思う。Tommy PeoplesLiam O’Flynnの演奏で知られる”

  • Lad O’Beine’s

“これはEd ReavyLadのために書いた、とされるが、彼のつけたタイトルはO’Beine’sではなく、O’Beineだという人がいる。この辺になるとESLEnglish Second Language)の我々にはその違いは大きいのか小さいのかわからない。メロディは大好きだ”

Irish Music その52

The Killarney Boys of Pleasure/The Reel With The Birl    (Reel

  • The Killarney Boys of Pleasure 

“そのむかし、僕が加入する前のティプシー・ハウスのテープで聴いたのが最初なので、おそらく‘91年くらいだろう。彼らはスロー・リールでやっていたが、確かに通常のリール・テンポで演奏するよりも趣がある”

  • The Reel With The Birl

Aパートは有名なDrowsy Maggieによく似ているが、Bパートにくると明らかにメロディが変わる。確かFrankieがこの曲をDrowsy Maggieとして録音していたが”

 

The Ruined Old Cottage in the Glen/Miss Ramsey  Reel

  • The Ruined Old Cottage in the Glen

“オニールのコレクションによるとLovely Mollyという曲がこれに当たる。ずっと前にどこかでマット・モロイとアーティ・マグリーンの演奏を聴いてからずっと気になっていた曲。AパートとBパートのテキスチャーの違いが大好きな曲だ。

  • Miss Ramsey

“僕らはCalicoというバンドの演奏から学んだ。かれらは独特なバージョンで演奏しているが、いや、パートの順番が独特であって、メロディは、ほぼくずしていない。落ち着いたいいメロディの曲だ”

 

The Whistler of Rosslea/The Road to Glountane      Reel

  • The Whistler of Rosslea

Martin Hayesの演奏で知った曲だが、Ed Reavyの古い曲だ。とても好きだった曲なので、マーティンと初めてのステージでこれが出た時には気持ちが高揚した。何も言わず突然これを弾き出した時のことはまだ覚えてる。そのまま、今僕らがやっているのとは違うConner Dunn’sという曲に入った。それはCDと同じだったが、いよいよ乗ってきて、そのまま何も言わずBoys of Ballysadareに突入。あまりに乗りすぎたので、珍しく弓を滑らせて、僕のほうを見て「しまった!」という顔をして笑っていた。だが、このセットが終わるとショーの途中にも関わらずオーディエンスが全員立ち上がったくらいの白熱した演奏だった”

  • The Road to Glountane

Terry (Cuz)Teahan’sとしても知られている。長いことホーンパイプだと思っていた。少しゆっくり目にやるといい感じの曲だと思う。そんなことでホーンパイプだと思っていたのかもしれない。彼は幼くして父親を亡くしたが、残されたフィドルやフルートを姉たちが演奏しているのを聴いて育った、という、いかにもアイルランドの家族らしい話も、彼のチューン・ブックのなかで知ることができる”

Irish Music その51

The Bunch of Green Rushes    reel

  • The Bunch of Green Rushes

“とても変わった出だしの、特徴のある曲だ。2パートの場合もあるが、おそらくは後からもう一つパートが付け加えられたのだろう。古い曲だ。29で登場したKylebrackのセットの3曲目に持ってくるといいかもしれない。

Derry Craig Woods/The Cottage in the Glen    Reel

  • Derry Craig Woods

Father Kelly’sとも呼ばれるこの曲。これだからアイリッシュ・ミュージックはやめられないという代表のような曲だ。初めてやった時のこと。2パートめに差し掛かった時、待てよ、どこかで聴いたことがある、と思った。Father Kelly’sと呼ばれる2パートの違う曲に2パート目がほとんど一緒なのだ。でもGから演奏すると片方はAmになるのに対してこの曲はAmajorでないといけないのだ。ほとんど同じメロディだが、C♮かC♯の違いだ。全然違うのだ。そして更に3パート目がやってくる。まさにこういう曲に初めて出会ったとき、ギタリストはどう反応するか…腕の見せどころではある。因みにNollaig Caseyはこの曲でもAmにしている。そんなこともあるのでギタリストとしてはまず、3度を無視してみるのも方法のひとつだ。僕は初めての人と演奏するときには常に相手の出方を伺ってきた。相手が一番気持ちよく演奏できる方法を選ぶのがコツだ。当たり前のことだが。

  • The Cottage in the Glen

“またの名をTommy Cohenともいい、Coen’s Memoriesともいう。Emの美しい曲だ。

初めて聴いたのはDe Danannだったかもしれない。それならばもうずいぶん前、70年代かな。人によってAm Gmの演奏もある。どのキーでもメロディの美しさが十分引き立つ名曲だ。

ブルーグラスとアイリッシュ、新年の雑談

  少し前から、ブルーグラスとアイリッシュは本当に似て非なるものと実感している。

文献によると、ブルーグラスとは、アメリカのアパラチア南部に入植したスコッツ・アイリッシュ(現在の北アイルランド、ウルスター地方にスコットランドから移住した人たち)の伝承音楽を基盤として1945年にビル・モンローが創り出した音楽、とされている。

確か、彼のブルーグラス・ボーイズが初めて来日した時のこと。ショーも半ばに差し掛かり、何かリクエストがあるか?と彼が言った。

日本の人たちは奥ゆかしいので、僕の聞く限りではだれも何も言わなかったのだ。すると彼が計ったように「Oh!Danny Boy…. Danny Boy!… Good」といって勝手に歌い始めた。

元々北アイルランドのデリー州の曲だし、彼の歌いたかった歌であったのだろう。

又、彼のペンになる曲には、その名もズバリ「Scotland」という曲もある。僕は常々、ブルーグラスは多くの面においてアイリッシュよりもスコティッシュに近いな、と思ってきた。もちろんスコットランドとアイルランドの音楽には類似点も多いが。

技術的にではなく、ブルーグラスとアイリッシュの違いを一番顕著に感じたのは、なんといっても初めて接したセッションでのことだろうか。

ブルーグラスのセッションは雰囲気がとことん明るく、アイリッシュのそれは、これでもかというくらい暗かった。というかシリアスだった。

ブルーグラスでは歌の間奏で自分の番がまわってきたら、どんなリックを弾こうかと考え、インストではどんなふうにアレンジするかを常に考える。今度は君の番だよ、みたいな譲り合いの明るさがセッションにはある。そして、この音楽はひとりでは成り立たない。最低4人いる。ま、グリーン・ブライヤー・ボーイズは3人だったが。

アイリッシュは一人でも成り立つ。ギターの場合はギタリストにとっては美味しいエアーやジグ、ホーンパイプなどのセットや少しのリールを弾けば、それはそれで成り立つ。他のリード楽器において伴奏は必要ない、ともいえる。

勿論、一人だけのシンガーとしても成立する。そんな意味ではやっぱりこれは民族音楽そのものだ。ブルーグラスはひとつの音楽形式といえるだろう。

更に、ここ数年のブルーグラスには、ジャズやスウィングの要素と、特にフィドルはひたすらブルース・フィーリングが要求されてきた。スタッフ・スミスやパパ・ジョン・クリーチ、果てはジャン・リュック・ポンティなども随分ブルーグラスに影響を与えてきた。そういう意味でブルーグラスのセッションではテクニックを学ぶ、歌を歌う、コーラスを付ける、ということが目的となる。

勿論そこにはプレイヤー同士の情報交換もある。そこら辺はアイリッシュのセッションでもただひたすら暗いわけでもない。

話し合いも大切な要素であるし、歌も物凄く大切だ。

問題は楽器演奏。ここにブルーグラスのプレイヤーが入るとお互いに悲惨なことになる。そのことはさんざん書いてきている。

アイリッシュのセッションでは知らない曲が出たらひとつひとつの音を注意深く聴く。そして地方によってバージョンもリズムの取り方も変わってくる。そして合奏し、また学ぶ。   

ブルーグラスでは知っている限りの音楽要素の中から特別なリックを展開する。僕が最近注目していることはブルーグラスという音楽の難しさと、アイリッシュの一見、だれにでも出来ますよ、という雰囲気だ。本当は何百年もの歴史のなかで生きてきたとんでもない音楽なのだが。

先にブルーグラスにはジャズやスウィングの、そしてブルースの…ということを書いたが、もちろんアイリッシュでもそれらの知識はないよりもあったほうがよいだろう。

ところが、アイリッシュでは(特に日本では)クラシック的要素があまりに強すぎる。クラシック畑の人達が、美味しそうな曲を選んでは、「アイリッシュの…」と言って演奏する。僕にしてみればとてもアイリッシュとは言えない。単なるバック・グラウンド・ミュージックか、いわゆる勘違いだけなのだ。

また一方、すぐにドラムスやキーボードと共にアイリッシュ的、という雰囲気だけで演奏をしたがる人がいる。

メロディ、フォーム、和声、リズム、全てを無視したものをアイリッシュと称し、単なるイベント音楽と勘違いする人もいる。

そういう人たちの中に、純粋にトラッドをしっかり踏まえている人がなかなかいないのは、日本では仕方のないことかもしれない。

ブルーグラスはたかだか70年くらいの歴史のなかで、アメリカでも日本でも(もちろん他の国でも)飛躍的発展を遂げてきている。

僕の知る限り、ブルーグラス・ボーイズからフォギー・マウンテンボーイズ、バンジョーでは、スクラッグス・スタイルの確立、ドン・レノやエディ・アドコックに代表されるシングルストリング奏法、ビル・キースのメロディック奏法、ジェシー・マクレイノルズのマンドリンでのクロス・ピッキング、クラレンス・ホワイトに代表される、ブルージーでロック・フィーリング溢れるギター奏法、そして、70年初頭のニュー・グラス。この辺からスゥイングやジャズ、また、ロックの影響をごく普通に取り入れるミュージシャンがたくさん出てきた。

そして、過去に聴いたことのなかった音楽、デビッド・グリスマン・クインテットの出現はショッキングな出来事だった。

フィドルも大きく分けてテキサス・スタイルとヴァージニア・スタイルからジャズやオーケストラとの共演までもブルーグラス・プレイヤーがやるようになってきた。

それも、どうみても田舎から出てきて、そんなに多くの音楽知識を得られる環境に育たなかっただろう人まで、実に多くの演奏者たちが素晴らしい音を奏でている。

初めてJ.D.Croweが来日した1975年、一緒に来ていたジェリー・ダグラスのことはまだ知る人も少なく、トニー・ライスが盛んに「ジェリーに拍手を」と言って彼を盛り上げていた。確かにドブロが入っていることでセルダム・シーンのようなサウンドだったような記憶はあるが、その彼が今では一流プロデューサーであり、超一流ドブロ奏者だ。あの時彼はまだ19歳であり、トラッドをしっかりと追従する若者であった。

ブルーグラスにはあまり馴染みのない人達にも是非クリス・シーリーのマンドリン・プレイは聴いてほしいし、マーク・オコーナーの美しすぎる心のこもったテクニックを肌で感じてほしい。

マイケル・クリーブランドの強烈なプレイはクラシックのバイオリン奏者の耳にどう聴こえるのだろう。

ブルーグラスのフィドラーにマーティン・ヘイズやフランキー・ギャビンのプレイはどう聴こえているのだろう。

平塚研太郎がマーティン・ヘイズを見て、ボウイング(弓使い)がことごとく逆でなんだか気持ち悪いくらいだった、と言っていた。

アイリッシュのテナー・バンジョーを見た古橋一晃君が「僕はギターを始めたころ、ピッキングがよくわからなくてこんな風に弾いていたけど、ブルーグラスとは全然違うんですね。あのままやっていたら、もしかしたらアイリッシュ・ミュージシャンになっていたかも」といっていたことと共通しているようだ。

アイリッシュは様々な観点から特殊な音楽だ。セッション自体にしても、生活、文化そのもの、といえるかもしれない。ブルーグラスはアメリカという“ごちゃ混ぜの国”で発展してきた独特な音楽のひとつ、といえるだろう。

どちらも日本では、ケルトっぽいとか、カントリーっぽい、という表現でそれなりに重宝されているようだ。

随分前に、有名な“つんく”がブルーグラスのことを「日本人にはとても難しい音楽です」と評していたが、この人意外とよくわかってるじゃん、と思ったものだ。

最後に、ノエル・ヒルの有名な言葉を書いておこう。

「アイリッシュ・ミュージックには全てがある。エアー、ジグ、ホーンパイプ、リール。音楽に必要なもの全てが揃っている」

2013年 年末、年の瀬、師走

いろいろな言い方がありますが、とに角今年一年、お世話になった皆様に感謝いたします。

 

正月を京都で過ごした2013年。今年もあまり力まず、今まで通りにやっていこうと、特に心に誓うこともなく、京都の冷たい空気を体に受けていた。あの時から、もう1年が過ぎようとしているなんて。

 誰もが言うように「歳取ると時間が早く過ぎていく」というのは、どうやら本当のようだ。おそらく、希花さんと僕では3倍くらい違うのだろう。

 聞くところによると、彼女は15時間くらい眠れるらしい。それにひきかえ、僕は6時間がいいところだ。朝、4時、5時には眼が覚めてしまうことがよくある。

 それで結局、昼寝はするのだが。(しかし、希花さんの場合は15時間寝ても昼寝はするそうだ)

 そのうえ、歳取るといろんなことに文句が言いたくなってくるらしい。 携帯を見ながら歩いているやつには「前を見て歩け」と言いたくなってしまう。

 自転車がすぐ横“すれすれ”をなにも考えずに通り過ぎていけば、こけろー!と念力を送るが、なかなかこけてくれない。

 国会に高価な吉野家ができたと聞けば、お前らそんなところでこれ見よがしに食ってる場合じゃないだろう、と言いたくなるし、その借用書は…と見るもの全てに文句が言いたくなるのは歳のせいもあるだろうか。

 どうせ何も変わらないだろうし、と言って選挙に行かないのもよくないだろう、と思って投票してみれば、なにも変わらないどころか悪くなる一方だ。

 なにかあって今の地位を追われても、どこかにぶらさがっていれば何もしなくても十分お金は入るし、都合よく目立たなくなる。

 おっと、これからはあまりこういうことを言っているとやばくなるかもしれない。放射能はコントロールされている、と言っているが、本当にコントロールされているのはアホな国民だ、と独裁者は考えているようだし。

 

話は変わって、来年早々3月末頃にコーマック・ベグリーがまた来たいと言っている。前回見ることができなかった桜を今回は期待しているようだ。

 あとはジョニー・リンゴとアンドリューが一緒に来たがっている。この夏、クレアーとゴールウェイで一緒にギグをした。

 弟分のアンドリューはさらに磨きがかかってきたようだ…いろんな意味で。リンゴは愛すべき好人物だ。

 彼らのことも考えてみたいが、こちらもアイルランド行きは真剣にかんがえなくてはならない。

 91年のアンドリューとの出会い、マーティン・ヘイズとのギグ、トニー・マクマホンとのツァー、フランキー・ギャビンとパディ・キーナンとのトリオによるツァー、それらの集大成をまたやってみてもいいかもしれない。

 時代は変わったし、ギタリストもいろいろ多彩になってきている。しかし、まだまだ僕自身のスタイルは、それはそれで成り立っているということがここ数年の間で実感できた。と同時にこれからのMareka&Junjiの活動のことも考えなくてはならない。他にないものを創り上げていくために更に努力していかなければ。

 基本的に、アイリッシュ・ミュージックの知識を広げていきながら、自分達なりの音を創り出していく考えは変わらないし、そんなにいろいろなことができるわけでもない。

今年は、自分たちのレパートリーを整理、確認するうえでIrish Musicというコラムで演奏曲目を掲載してみた。豊富なレパートリーと、各曲目に関する歴史的背景などを模索することは大切なことの一つであるし、アイルランドのセッションに於いても一目置かれる存在となりうる。そのうえで、それまで演奏されてきたものと一味違うものを出すことが僕の信条だ。

2014年はどういう年になるだろう。

ありちゃんも、イサトさんも「64歳って体の調子の分かれ目だよ」と言っていた記憶がある。

健康には気を付けているつもりだし、うるさいのが近くにいるので、大丈夫だとは思うが、なんとか元気でいたいものである。

皆さんもどうか元気で新しい年を迎え、元気で新しい年を過ごしてください。

また、どこかでお会いしましょう。

 

追伸:2013年初頭のMusic in the Airそして10月発売になったThe Rambler.これらのCDをご購入下さった方々に感謝いたします。

なかなか各地に出向いていくことが出来ず、ネットでの販売も多くありました。中には返信がうまくいかずに御迷惑をおかけした方もおられると思います。また、ご注文されてから音沙汰がなく、こちらからご案内のメールをお送りしても連絡がつかなかったケースもございます。僕自身コンピューター世代ではないのでよくわからない部分も多々あります。

もしかしたらメールが届いていないのではないか。迷惑メールに入っているのではないか。あるいはライブ会場で購入されるチャンスもあったので、もうネット上では必要なくなったのではないか、返信は不必要とお考えになっているのではないか、等々いろいろ考えてしまいます。

しかしながら、これからもネットでのCD販売を続けていくことに変わりはありません。不具合が生じることもあるかもしれませんが、そんな時にはご一報下さるとありがたく思います。

勿論、ライブ会場でもご購入いただけます。お気軽にお声をおかけください。

おかげさまでThe Ramblerも好評発売中です。重ねてお礼を申し上げます。

Irish Musicその50

Casadh An Tsugain  (Set Dance

  • Casadh An Tsugain

    An Suisin Banという曲だが訳すとWhite Blanketとなる。最初この曲を見つけたとき、どこかで聴いたことのある曲だと確信した。そこで思いだしたのが70年代によく聴いていたBothy Bandのレコードだ。Micheal O’Domhnaillの何とも言い難いほどの素晴らしいボーカルで聴いていたものだ。しかし、セット・ダンスとしてはあまり馴染みがなかった。どこかで聴いたような気もするが。そこで、僕らは彼のボーカルのスタイルからセット・ダンスに持っていこうと考えた。スローで演奏すると、とても美しいメロディがひきたつし、そのあとのセット・ダンスもうんと可愛らしく聴こえてくる”

 

The Coolin/An Chuilfhionn March  Air/Polka

  • The Coolin

    “古いエアーで元々ハープ曲らしいが、僕はBreda Smythから習った。確か、元の大阪サンケイ・ホールの楽屋で急に「これやろうよ。とても有名な曲で、最近みんながやっている」と言って弾き出した。出番の5分ほど前だった。フィドルで弾いても、ギター曲にアレンジしても素晴らしい曲だ。有名な曲なので僕もメロディは知っていた。彼女はこの後The Boys of Malinに持っていった”

  • An Chuilfhionn March

    “多くの人の間で、MarchなのかPolkaなのかが討論されている。僕は多分Tina LechからPolkaとして習った、という記憶がある。もちろんMarchとして演奏する人もいる。メロディはとても可愛らしく、どちらのリズムで演奏しても楽しくなるような曲だ。

    これは、まさしくThe Coolinのメロディをもじったものである。Coolinのアイルランド語表記もAn Chuilfhionnである。もちろん多くの例にもれず沢山の別なタイトルも存在するが”

 

Above and Beyond/Mickey Callaghan’s Fancy    Slow Reel/Hornpipe

  • Above and Beyond

    Diarmaid Moynihanが両親のために書いたとされる非常に美しいリール…と呼ぶよりエアーといったほうがいいかもしれない。彼はCalicoというグループのメンバーであり、又いい作曲家でもある。彼らのCelanova Squareというアルバムは僕のお気に入りの一枚だった。日本のわらべ歌にも通じるところがあるような抒情的なメロディだ”

  • Mickey Callaghan’s Fancy

“この曲はアンドリューのお姉ちゃんであるMaryさんがよくやっていた。僕らもFでやったりGでやったりするが、CalicoのセットとしてやるときはGで演奏する”

Irish Music その49

前回と同じコンセプトでKey of GReelを掲載してみる。

The Swallow’s Nest

  • The Swallow’s Nest

    Paddy O’Brien作のとても美しいメロディを持った曲だ。僕は若いフルートとフィドルのデュオで聴いてからとても好きになった”

London Lassies

  • London Lassies

    “またの名をLondon Lassesといい、フルート奏者に好かれる曲だと言われている”

The Moving Bog

  • The Moving Bog

The Moving Bog of Powelsboro という曲らしい。普通、僕らはThe Moving Bogと呼んできたが、同じタイトルで、もう少し有名な曲がある。これは魅力的なメロディを持った曲だがあまりポピュラーではなさそうだ”

Maud Millar

  • Maud Millar

    “これも同じタイトルで違う曲がたくさんある。こちらのほうはI Wish I Never Knew Youというタイトルのほうで知っている人のほうが多いかもしれない”

Flagstone of Memories   

  • Flagstone of Memories

    Galwayのフルート奏者Vincent Broderickの作。Paddy Keenanのスピード感溢れる演奏が耳に残る”

Ladies Pantalettes

  • Ladies Pantalettes

    “とても古いCo.Clareの曲で、またの名をThe Duke of Leinster’s Wifeといい、長いことこちらのタイトルで知っていた。これはなにかの後で持ってくるほうがいいかな。僕らはSailing Into The Walpole’s Marshという曲の後で演奏する”

Garrett Barry’s

  • Garrett Barry’s

    “これはFで演奏する人もいるようだ。アコーディオン奏者John Williamsのアルバム中、Eoin O’Neillのブズーキ・プレイが印象的で大好きな曲のひとつになった”

The Morning Star

  • The Morning Star

    “これは‘92年のMartin Hayesの印象が強すぎる曲だ。Fで演奏する彼のスタイルが官能的すぎる。もちろん70年代のBothy BandにおけるPaddyのパイプから始まるセットも魅力的だが。とても美しいメロディだ”

Miss Johnson

  • Miss Johnson   

    “これは有名なリールだが、Miss Johnstonとも呼ばれる。またMiss Johnstone’sというジグもあり(詳しくはHop Jig だという人もあり、Slip Jigだ、という人もいる)メロディはとてもよく似ている。どういう経緯でそうなったのかはよくわからない。元々はスコットランドの曲らしい”

Trip to Birmingham

  • Trip to Birmingham

    “またの名をJosie McDermottというが、僕はこちらのタイトルで覚えていた。おそらく‘91年ころにDavey McNevinの演奏で聴いたものだろう。それから何回か、クレアーのケイリ・バンドで聴いた。あまりやる人はいないようだが、結構有名だし、いい曲だと思う”

Irish Music その48

今回はkey of DReelを何曲か取り上げてみる。他の曲とのつながりとしては、いろいろと考えられるが、取りあえず単独でメロディを知っているものの中から。セットとして「これしかないでしょう」というものもあるし、差し替えてもいいものもあるし、たまには気分を変えるために別な曲を頭に持ってきたり、様々なやりかたで練習をする。なかには、知っているけど好みの関係上レパートリーには入れていない、という曲もあるし、やたらと羅列したりはしないつもりだ。

Love at the Endings  (Reel

  • Love at the Endings

    “比較的遅い時期のEd Reavy Tuneということだ。僕はよくアンドリューと一緒に演奏した。覚えやすいいいメロディだ”

Jim Kelly   (Reel

  • Jim Kelly

    “この曲は長いことDick Sherlock’sというタイトルで知っていたものだ。他にもいろいろとあるが、A Night in EnnisというタイトルでバンジョーのKevin Griffinが録音している。このタイトルはいいなぁ”

The Cameronian     Reel

  • The Cameronian

    “これは元々key of Fで書かれたThe Cameronian RantというScottish Tuneだと云われている。セッションなどでも好まれるいいメロディの曲だ”

Lucy Campbell’s     Reel

  • Lucy Campbell’s

 “これも、元はScottish Tuneということだ。StrathspeyMiss. Lucy Campbellとも呼ばれる。Campbell Soupというのはアメリカのニュージャージー州にあるが、もとはスコティッシュ系の人が立ち上げた会社だろうか。僕はその本社があるカムデン(キャムデンと呼んでいた記憶がある)という街でコンサートに出演したことがある。Mick Moloneyと一緒だったと記憶しているが”

Jenny’s Wedding   Reel

  • Jenny’s Wedding

    “素晴らしくスピード感あふれる曲だがBパートがどこにでも存在しそうなメロディで時々わからなくなりそうだ。パディ・キーナンの演奏がすきだ”

The Trip to Durrow   Reel

  • The Trip to Durrow

    “僕は本当に初期のころにこの曲を一生懸命覚えた記憶がある。そういう意味では比較的初心者でも取っつきやすい曲かもしれない。Durrowは、ちょうどアイルランドの真ん中あたり、Co.Offalyにある小さな村のことだろうか”

Irish Music その47

The Scotsman Over the Border/Paddy Fahey’s   Jig

  • Scotsman Over the Border

    “キーオブDのとてもいいJigでティプシー・ハウスでもよくやった曲だ。希花もずっと前から知っていたようなので急きょレパートリーに取り入れた”

  • Paddy Fahey’s

    “数ある彼の作品の中でもあまり知られていないかもしれないが、ストックトンズ・ウィングがよくやっていた記憶がある。特にBパートのメロディが美しくて好きだ。僕らはこの後で「その3」にあるMcIntyre’s Fancyを持ってくる”

 

Log Cabin/Shoemakers Daughter/The New Copperplate/The Old Copperplate  Reel

  • Log Cabin

    “いい曲だが、意外と録音している人は少ないようだ。僕はDe Danannの古い録音から学んだ。The Little Thatched Cabinというタイトルで録音を残している人もいる”

  • Shoemakers Daughter

    “これは有名なEd Reavy の曲だ。ジョディース・ヘブンでも録音した。

  • The New Copperplate

    “特になんの変哲もないような曲だが、やり方によっては趣のある曲だ”

  • The Old Copperplate

    “これはほとんどの場合前曲とセットで演奏されるが、このタイトルでありながら、こちらのほうが後からできた曲のようだ”       

 

今回はこれだけ。そろそろ今年も終わりなので、大掃除もしなければいけないし、なんとなくせわしくなってきた。因みに、僕は「お掃除フェチ」かもしれない。いつも思うが掃除機のコードをしまうと何故途端に残ったごみを発見するのだろう。それはまるで、自分の並んだレジだけがいつまでも進まない、ということによく似ている。さっきまでスイスイ進んでいたのに、なんて。

そんなことを僕はJapanese Murphy’s low(マーフィーの法則)と言っていた。別に日本に限ったことではないが、僕がアイリッシュ・ミュージックをやっていることを知っている白人たちには結構受けたものだ。寿司を食べているとシャリだけが醤油にボトンと落ちる様なとき、そんなことを言っては笑わせた。この法則のことを知らない方はネットなりで調べてみると面白いかもしれない。

何はともあれ、いろんなことをしなくてはならないので、少しペース・ダウンするかもしれないし、何故か急に書き始めるかもしれない。年末とはかくも忙しいものか。

Irish Musicその46

Palm Sunday/Merrily Kissed The Quaker    (Slide)

★  Palm Sunday

“この曲をJigと考えるかSlideとするかでとても悩んだのだが、結局Slideとして載せた。おそらくメロディ・ラインが非常にSlideっぽくて、少し早めに演奏すればそう聴こえてくるだろう。Slideは、またの名をSingle Jigともいう。普段僕等がJigと呼んでいるのがDouble Jigと、まぁ、この辺はダンスをする人のほうが詳しいかもしれない。勿論スピードも、拍の取り方なども違うものだ。PolkaやSlideは僕等のレパートリーとしては非常に少ない。だが、Kerryに行けば否応なしに演奏することになる。ベグリー家の生活のリズムはまぎれもないPolka&Slideだ”

★  Merrily Kissed The Quaker

“この曲はJigだと思っている人も沢山いるだろうが、実はSlideなのだ。Andrewにいわせたら「どっちでもいい」かもしれない。確かに彼はダンサーズが要望すれば、どんな曲でも頼まれたリズムで弾く。とことん知っていて、そのうえで遊び心満載の彼のプレイがとても好きだ。それはさておき、この曲は、たしか‘81年頃に誰かが僕に、あるテープをくれたことがあって、その中に入っていた記憶がある。それはPlanxtyの演奏だった。以来お気に入りの曲ではあったが、一般的に初心者受けする曲、というイメージが強くあってあまり演奏したことは無い。果たして前曲との組み合わせもいいかどうか分からないが、僕等のレパートリーとしては数少ないSlideを取り入れてみた。…Quaker’s Wifeというタイトルでも知られている”

 

The Luck Penny   (Jig)

★  The Luck Penny

“上記のセットのPalm SundayをJigと捉えたら、次の曲はこれでいってみようか、と思ったもの。3パートのとてもいい曲だが、Humours of Ennistymonまたの名をCoppers and Brassという曲にメロディも構成もよく似ているので、時々頭が混乱する。余談だが2パートだとCoppers…3パートまでやるとHumours…という話しだ”

 

 

Ned of the Hill/Munster Bacon/Scully Casey’s  (Waltz/Jig)

★  Ned of the Hill

“これは、Sinead Lohanの唄で聴いて、長い事大好きだったメロディだ。コンサルティーナを手に入れた希花にちょうどいい曲だと思ったのでJigのセットのあたまに持って来た。Bパートになると、どうしてもHector the Heroのメロディが浮かんできてしまったが、それもその筈。今一度Sinead Lohanを聴き直してみると、この歌がそのままHector…に入っていたのだ。確かに良く似ている”

 

★  Munster Bacon

“可愛いメロディの曲だ。僕はGearoid O’hAllmhurain(彼をステージ上で紹介した時、何と発音したらいいか分からず困ったものだ)の演奏で長い間気にいっていた。Munster Grassというタイトルでも知られている。因みにJody’s Heavenはこのタイトルを使っていたかな”

★  Scully Casey’s

“1981年のKevin Burke & Jackie Dalyのアルバム「Eavesdropper」に入っていた美しいジグ。僕はこのLPレコードを古着屋さんのレコード・コーナーで「1ドル」で買った記憶がある。中には「その11」に出てきたBlackbird(Hornpipe)も入っていて、シンプルで素晴らしいアルバムだった。AmのJigこれも希花のコンサルティーナのレパートリーになっている”

Irish Music その45

Sweeney’s Wheel/The Otter’s Holt (Reel

  • Sweeney’s Wheel

Jackie Daly作のこの曲は長い間知っていたけど、すっかり忘れていた。ひょんなことからPatrick Streetの昔の録音物で見つけ、思い出したものである。この音楽に詳しい人なら、いかにもJackie Dalyらしいと思える作品だ。オリジナル・キーはBm

  • The Otter’s Holt

Junior Crehanの作。彼の母親が庭でコンサルティーナを弾いていたら、小川から、かわうそが出てきて聴いていた、という本当の話を題材にして作られたらしい。そういえば、ずっと前、フィドラーのPat O’Connorが自分の生い立ちを話してくれた時もそんなことを言っていた。彼の場合は、月夜の晩にフィドルを弾いていると、野うさぎがいっぱい出てきて聴いていた、というセロ弾きのゴーシュみたいなお話しだった。いずれにせよ、この音楽はそういう音楽である。20年ほど前に、バークレイのソングライター兼シンガーである、ダニー・カーナハンが見事に10拍子にアレンジして一躍西海岸で大流行したものだ。ダニーは僕と組んでいたハンマー・ダルシマーのロビン・ピトリーの元旦那で、グレイトフル・デッドのナンバーを巧みに生かしたアイリッシュ・スタイルのバンド「Wake the Dead」のリーダーであった人だ。尚、僕らはこの曲の代わりに「その34」にあるTear the Calico/Longford Tinkerのセットを持ってくることもある”

 

The Geese in the Bog/Gander in the Pratie Hole/Cook In the Kitchen    Jig

  • The Geese in the Bog

“このセットはティプシー・ハウスから受け継いでいるものだ。キー・オブCの珍しいジグで、これは3曲がストーリーとして組まれている。先ず「沼地のがちょう」だ”

  • Gander in the Pratie Hole

Ganderはやはり「がちょう」だが、この曲での真意はわからない。“間抜けもの”という意味もあるので、なんとも言えないが、「がちょう」とすると、なんとなく沼地にいた「がちょう」が穴に逃げ込んだ、というストーリーが作れる”

  • Cook in the Kitchen

“そして、結局捕まって料理された、という独断と偏見による解釈が成り立つ。あくまで作り上げたストーリーなのであまり真面目に反論されても困るのだが、いいセットだと僕は思う”

Irish Music その44

Tone Jacket   Reel

  • Tone Jacket

“作曲者についてはこのようになっている。Connie O’Connell, a fiddler from Kilnamartyra, Co. Cork. 非常に美しい、しかも覚えやすいメロディーライン持った曲だ。僕らはこの曲を「その32」で掲載したGneevgulliaの前に持ってくることもある”

 

London Lasses (Reel)

  • London Lasses

 “この曲はTone Jacketの次の曲として持ってきて、2曲だけのセットとしてもいいかもしれない。セットを考えるのもなかなか難しい。この2曲は出だしが似ていて、音の進行に関連性があるので選んでいるが、たまに度胆を抜くような曲のチェンジも面白いことがある。と同時に全く合わない曲というのもあるから尚面白いのだ”

 

Sligo Maid/Silver Spear  Reel

  • Sligo Maid

“これは有名な曲のひとつだ。ギター・コードについていろいろ取沙汰されているが、僕はAmから入り、BパートでCを頭に持ってくるやり方が好きだ。実際にはメロディーとの組み合わせでC13thになるが、もしかしたらD7でもいいかもしれない。しかしかなり違う趣になる。ギタリストは要注意だ”

  • Silver Spear

“これも超有名な曲だ。出だしのメロディーはちょっと「お馬の親子」に似ているが、そうならないように演奏することを心掛けなくてはならない。もっともアイルランド人はそう思っていないだろう”

 

Irish Musicその43

Humours of Castlefin/The Templehouse   (reel)

★  Humours of Castlefin

“このセットはTony MacMahonとNoel Hillのアルバムで1曲目に入っていたもので長い間お気に入りだった。まだトニーがアンドリューの伯父さんだということを知らなかった頃からだ。今でも覚えている。彼がバーのカウンターでギネスを飲みながら「トニー・マクマホンのプレイはどう思う?」と訊いてきたので、僕はすかさず「ノエルとのアルバムで聴いている。素晴らしいプレイヤーだ」すると言葉少ないアンドリューがこう言った。「My Uncle you know」

後にトニーとツアーをするようになったのはアンドリューが彼に「ギタリストが必要だったらじゅんじに頼め」と推薦していたからだと知った。さすが親族だけあって性格もよく似ているし、どちらも超Aクラスのアコーディオン奏者だ。曲の方はEagan’sとも呼ばれているが、どのEaganだろう。彼等はダブルでやっているが踊りの為だろうか。普通はシングルみたいだ。でも僕等はダブルが気に入っている”

★  The Templehouse

“この2曲を演奏していると、本当にクレアーの景色が浮かんでくる。トニー、そしてノエルとの演奏、アンドリューとの日々、朝から晩までクレアーのリズムをアンドリューの家で体に入れていたこと。朝起きると咳が聞こえてきて、飲みに行くか、というお誘いがかかる、そんな日々が走馬灯のように浮かんでは、また消えていく。僕の大好きなセットを今、希花が弾いている。きっと彼女にはあの、辺り一面真っ暗な村に夜10時半過ぎると、ポッと灯りが灯るフランのパブが見えているだろう。あの傾いた狭いパブが。このようなトラッド・チューンがこの上なく好きなのだから困ってしまう”

彗星

今年は彗星の当たり年だった、ということで、つい最近もいくつかの彗星が観測できたようです。

そこで思い出したのが「百武彗星」

1996年の3月(調べてみてわかったことですが)、僕とジャックとデイルの3人、そうです「ジョディース・ヘブン」でストックトンという街に演奏にでかけました。

ストックトンはジャックの生まれ故郷。サン・フランシスコから東へ約130キロ離れた小さな街です。

因みにストックトンは静岡市と姉妹都市関係にあるそうです。お茶とみかんはないだろうけど。

その街にあった、これも小さな「Blackwater Café」そこで僕は「ティプシー・ハウス」のメンバーとして‘95年の確か9月にデビューしたのです。1曲目は「Providence」だったと記憶しています。

それからほとんど月に一回のペースでこの小さな街に出かけ、この小さなコーヒー・ハウスで演奏して来ました。

‘96年の3月はシアトルからデイルを迎えての、この地区での初めてのジョディース・ヘブンのお披露目だった、と記憶しています。

9時から始めたライブを11時頃終え、ジャックの古いボルボに乗り込んで帰路に着きました。

その時だったか、彼らの会話に吹き出しそうになったのを覚えています。

ジャック「お米を美味しく炊く方法を知ってるか?」

デイル「さぁ、知らないな」

ジャック「米を洗うんだって」

デイル「へー」

僕「はっはっはっ(笑っている)」

二人「何がおかしいんだ?」

僕「だって、当たり前すぎて」

そんな会話から、今日のあの曲は…などの話し、次はあれやろう、これやろう、とわいわい言いながら、真っ暗な田舎道を走っていました。

田舎道というよりも山道と言った方が妥当かな。とにかくその日、百武彗星が最も地球に接近する、などと言う事はとっくに忘れていました。

カフェを出てから1時間ほど経った時。突如として目の前が明るくなりました。真っ暗な丘とも山とも言えるその陰から百武彗星が顔を出したのです。

尻尾がキラキラと輝いて、とてつもなく大きな光の塊がゆっくりと動いています。「ジャック、山の上に登ろう!」僕とデイルが叫びました。

ジャックも一目散にアクセルを踏みます。

彗星はいつものジャックくらいゆっくりと動いています。そしてジャックよりも大きな体で沢山の子分の星を引き連れて、悠々と空の散歩を楽しんでいるようです。

僕等はしばし、誰もいない真っ暗な山の上から宇宙の神秘を見つめていました。時間にして20分くらいだったかな。

そして、段々小さくなっていく彗星の後を追うようにして帰路につきました。

これが、僕にとって今まで見た一番大きな星でした。おそらくこれからもあれだけ大きな彗星を見ることはないかもしれません。

Irish Music その42

The Humours of Tulla/ Skylark/ Roarin’ Mary/ Swinging on the Gate/

Rakish Paddy/The Chicago/The Gooseberry Bush/Janine’s/

Richard Dwyer’s/Dougie MacDonald’s/Kit O’Connor/Tommy Peoples/

Tom Ward’s Downfall/Hunter’s Purse/Dinny O’Brien/Fox Hunter’s  (Reel)

 

この長いセットはずいぶん前に冗談のようにして作ったものだ。これだけの曲を途切れなしにリールのセットとして考えてみた。

やってみたらなかなか繋がりが良かったような気がする。

★  The Humours of Tulla

“僕はBattlefield Bandの演奏からこの曲を知ったが、後にアンドリュー・マクナマラとよく一緒に演奏したものだ。このあとの2曲共にタラ・ケイリ・バンドのおきまりセットである”

★  Skylark

“メロディが美しく大好きな曲のひとつだ”

★  Roarin’ Mary

“大体これまでの3曲はセットで演奏されることが多い。ジョー・クーリーをはじめ、クレアーのお決まりでもある。僕はアンドリューからとことん仕込まれたリズムが大好きだ”

★  Swinging on the Gate

“Katherine Brennan’s Favoriteという同じメロディを持ったホーンパイプがあるが、僕はずいぶん前にブルーグラス・バンドで聴いたことがあったが、それはリールだった”

★  Rakish Paddy

“ずいぶん有名な曲で、映画「タイタニック」の中でも主人公達が急いで船に乗り込むシーンなどにふんだんに使われていた。元々はスコティッシュ・チューンで3パートのものあり、4パートのものあり、挙句の果てに6パートのものも存在するらしいが、僕は2パートで充分のような気がする”

★  The Chicago

“この曲も80年代からストックトンズ・ウィングでよく聴いていた曲だ。ただ、メロディラインがあまり好きなタイプの曲ではないが、非常にポピュラーだ”

★  The Gooseberry Bush

“この3パートのリールは大好きだ。ギタリストにとってもなかなかにおもしろい。それぞれのパートに深い味わいがある”

★  Janine’s

“Jim Sutherlandよって書かれたGmのエキサイティングな曲。僕はDeclan Coreyから習った”

★  Richard Dwyer’s

“これは別なタイトルもありそうだが、僕はブリーダ・スミスに教わったこのタイトルを使っている”

★  Dougie MacDonald’s/Kit O’connor/Tommy Peoples

“この3曲はすでに「その38」に掲載されている”

★  Tom Ward’s Downfall/Hunter’s Purse/Dinny O’Brien

“この3曲も「その24」に掲載されている”

★  Fox Hunter’s

“これは「その20」で出ているが、このセットを考えた時にはGで1回、Aで1回、Gに戻って1回、さらにAで2回やった。これはアンドリューお得意のやり方だ。このセットで最初からFox Hunter’s以外の曲を2回づつやると、約22分になる“

Irish Music その41

今回は、僕等が練習している時、わざとよく似たものをセットとしてではなく、ただくっつけて弾いてみたりする曲をいくつか載せてみた。適当に崩すわけにいかない厳しさを覚えるために、僕等はよくこういうことを練習の時にやってみたりする。あんまり似ているのでギターも気を付けて弾かないと違いが出ない。

まずキーオブDのポピュラーな曲3曲から。

Providence    (Reel)

★  Providence

“Michael ColemanとLad O’Beineがロード・アイランドからニュー・ヨークに向かう汽車のなかでこのメロディが浮かんだという。ちょうどプロビデンスに差しかかった時、あるいは目的地がプロビデンスだったか。しかしこの曲を書いたのはCo.Mayoのフィドラーで殆どをニュー・ヨークで過ごしていたJohn McGrathだ。そしてもともとは彼の出身地であるRossportの名前を付けてRossport Reelと呼んでいたそうだが、コールマンが付けたこのタイトルのほうが有名になってしまった”

 

Dowd’s No9     (Reel)

★  Dowd’s No9

“SligoのフィドラーJohn O’Dowdの作品といわれている。他に8作品あるかどうかは定かでないらしいが、この9番は有名だ。DervishのSeamus O’Dowdはひ孫に当たるということだ”

 

The Cedars of Lebanon    (Reel)

★  The Cedars of Lebanon

“Sean Ryan(Offaly)の作。ずっと好きな曲だったが、タイトルを忘れていたところ、Doolinのセッションで最初にテリーが弾いたことによって、全てが蘇った”

 

 

Ah Surely!     (Reel)

★  Ah Surely!

“Seamus Tanseyのライナーによると、かなり古い曲で、書いたのはSligoのフルート奏者Willie Sneeという人物らしい。この曲はGで演奏されるのでまだこんがらからなくて済むが、前の3曲とひっ付けたりすると、時々Bパートがどうなるか忘れてしまいそうになる。多分“その13”に登場したGeorge White’sあたりと一緒にやると、もっと分からなくなる危険性もある。他にもすでに登場しているBucks of OranmoreとLast Night’s Fanなんて一緒にやったら分からなくなりそうだし、そういう曲は数限りなくあるので、それはそれで面白い”

サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

奇跡の再会から2年。今回はメールで数回のやり取りをしていたので、20日午後5時に会場であるミューズ川崎に向かう。

サイモンは僕と希花に大きなハグをしてくれて「よく来てくれた。今からリハを見てくれ。君たちの席も用意してあるぞ。ところで元気か?」と本当に気さくに接してくれる。

僕みたいに昔から気軽に付き合ってきた人間とは気楽に話せるのだろうか。いや、彼は誰にでも愛嬌があって結構気を使わせない人なのかもしれない。

しかし希花にしてみたらこれは夢のようなことかもしれないのだ。ベルリン・フィルのリハーサルを、しかもサイモンが「僕についておいで。どこに座ってもいいぞ。全部君たちの席だ」と笑いながら言ってくれる。そんなことが実現するなんて考えてもみなかったはずだ。

コンサートはやはり素晴らしかった。隣には彼の奥さんと8歳の男の子。客席の人達は誰もが陶酔して聴き入っている。とはいっても僕はあんまり詳しくない。オーケストラの指揮者ってよくわからないのだ。

演奏者たちの素晴らしさはわかる。

ともあれ、指揮棒を振っているサイモンを見るのは初めてだった。すしを食べながら無邪気に遊んだり、僕のギターやバンジョーに合わせて机を叩いたりしている姿くらいしか知らなかったのだ。

希花はさすがにオーケストラ経験があるだけに、サイモンの素晴らしさが良く分かるようだ。勿論団員たちの素晴らしさも。

サイモンは夜の飛行機でバケイションに飛び立って行った。その前にありがとうを言って、再会を約束した。

「今度はもっと時間をつくってゆっくり会おうな」サイモンはそう言って沢山の人に囲まれて去っていった。

「クラシックをやっていたら叶わなかったようなことがアイリッシュをやっていてどうして…?」と前回そう言った希花の言葉が蘇った。

 

Irish Music その40

Cooley’s/Bantry Bay (Hornpipe)

★  Cooley’s

“Paddy O’Brien作のホーンパイプだがJoe Cooleyがとても気に入って演奏していたのでこう呼ばれている。とてもいい曲で僕等のお気に入りでもある”

★  Bantry Bay

“The Little Stacks of Wheatと呼ばれることもあるが、それはそれでちがう曲が存在する。それというのもPaul BradyとAndy Irvineのアルバムでこうクレジットされているから、らしい。まぁそこそこあることではある”

 

Tom Billy’s/The Castle/The Cliffs of Moher/Farewell to Erin  (Jig/Reel)

★  Tom Billy’s

“De Danannの演奏で70年代から大好きだった曲。3パートをどういう風に弾き分けるか、ギタリストにとっても非常にきめ細かい神経が必要なおもしろい曲だ”

★  The Castle

“Sean Ryanというタイトルのほうが一般的かもしれない。前の曲からこの曲にチェンジする時がとても好きだった。De Danannのセットだ”

★  The Cliffs of Moher

“クレアー・スタイルの有名な曲。一時リールとして演奏することが流行ったりしたこともあった。

★  Farewell to Erin

“僕等はここからリールに突入。名曲中の名曲かもしれないが、ギタリストが最も気を付けるべき曲のひとつではないかと思う。4パート全てが違うのだ。いや、ほとんど同じだ。だからこそ違うのだ。なんだか「バカボンのパパなのだ」みたいだが、こういう曲でギタリストがどう弾くかを聴いてみると、その音楽に対する理解度が解ってしまう。全ての音の進行、そしてリズム、どこをとっても興味深い、やりがいのある曲だ。長い曲だが、もし4回、5回やるとなると、どうするか…。マーティン・ヘイズと二人で5回以上やったことがある。彼が異常に乗ってきて止まらなかったからだ。そのようにリード楽器奏者を高揚させていくのも面白い”

 

追加:The Castleの後でThe Nightingaleという同じくSean Ryanの曲を持ってくるのが一般的でポピュラーなセッションでのやりかたかもしれない。そんなことも知っておくと便利だと思う。

アイリッシュ・ミュージック ギター・スタイル 代理コード

日本語でいうと代理コードとなるがsubstitution chordといわれるもので、この音楽ではあまりいい意味では使われない。

メロディをよく聴かずに自分のためにだけギターをかき鳴らすタイプの人達がよく犯す間違いだ。

ジョン・ヒックスくらいでないとなかなか言ってくれないが、もし良く分かっていないのなら、アイリッシュ・ミュージックに関わるべきではない。

リード楽器の演奏を注意深く聴きながら、この音に対してはこの和音を使うべきではない、これは許されるだろうが彼(彼女)は好きだろうか、などと考え、相手の出方を見る。

先日、久々にデイル・ラス、そしてトム・クリーガンのトリオで演奏したが、半分ほど知らない曲や、聴いたことはあるけどやったことが無い曲、というものがあった。

そんな時はひたすらよく聴くのだ。例えばAパートを聴きながら彼らのリズムと音の進行を聴く。もし、聴いたことのない曲だと、Bパートで5度にいく可能性もあるし、更にCパートもDパートもあるかもしれない。とても危険だ。

ただほとんどの場合Bパートを聴けば、その次にどういうメロディがくるかの予想はつくが、多くの人はこういう時、訳も分からず代理コードを使ってみたりする。

和音(コード)は、使ってみたりしてはいけないのだ。

そこに確固たる理由がなければいけないのだ。

僕はKid on the Mountainという曲の4パート目にAmを使う。キーはEmだ。これは普通のチューニングでは得られないDADGAD独特の響きを利用する。

しかし、今回のトリオではパイプがいる。その場合ドローンが存在するから、もしかしたらAmが邪魔になるかもしれない。ただ、ここでAmを使うことで4パート目からぐっと違う世界に持って行くことができる。もしここでEmを使うならばビートの打ち方を変えたほうがよいかもしれない。その方が曲にメリハリがつく。

そんなことをこの曲が始まった時から考える。

僕はほとんど全ての曲でこんなことを考えている。

今回のMorning DewではA7(代理コード)は使わなかった。いつもは3回目に使うが、このトリオには合わないかもしれない。そう思ったら自分の満足のために使うべきではないのだ。

とことんEmで彼等と共通の世界を創り出す。そのことに専念すべきだ。

日本で人気のあるギタリストはジョン・ドイルとドナウ・ヘネシーだろう。彼等はとてもいいギタリストだが、なぜか彼らをフォローしている人達の多くが勘違いをしている。

彼らのスタイルは決して代理コードいっぱいの適当ギターではない。ひたすらかっこいいが、実によく計算されている。

ギタリストはギターを置いて、今一度Michael Coleman  James Morrison  Seamus Ennis  Patrick Touhey  Paddy Killoran  Joe Cooleyなどの演奏に耳を傾けるべきだ。

Irish Music その39

Paddy Mills’ Fancy  (Reel)

★  Paddy Mills’ Fancy

“この曲にもいろいろなタイトルが付いているが、どれも彼の名前から始まる。それはDelightだったりSpecial Dreamだったり、そんな意味ではまぎれもなく彼の作品だ。なんかいいメロディ、ついつい弾きたくなるような曲だ。僕等はよく「その26」に登場したThe New Mown Meadowの前にやっている”

 

My Love is in America/Heathery Breeze  (Reel)

★  My Love is in America

“とても古い曲で、かつ、とてもよく知られた曲だ。2002年くらいにMick Moloneyとのコンサートで演奏したことがあったが、これとColliersという曲とは余りにもよく似ているのでわざと二つを一緒に演奏した。その時はダブル・バンジョーだった”

★  Heathery Breeze

“元々のタイトルはHeathery Braesではないか、と言われる。Braesは丘や堤の斜面、あるいは側面、という意味がある、主にスコットランド地方で使われる言葉らしい。

僕はこの後で「その12」に登場したCongressを持ってきて録音したことがある”

 

The Long Drop/The Guns of the Magnificent Seven   (Reel)

★  The Long Drop

“シアトルのフィドラーRichard Twomeyという人によって書かれた曲、ということだが、僕はRandal BaysとJoel Bernsteinの素晴らしい演奏でよく聴いていた。Joelは「その19」に登場したThe Messengerの作者。JoelとRandalは共に僕の大好きなミュージシャンだ”

★  The Guns of the Magnificent Seven

“これは言わずと知れた(と言っても、僕等の世代には)荒野の7人という映画のタイトルだ。ジョン・スタージェス監督の名作で、元々はクロサワ作品「7人の侍」を真似て作った映画だ。いつも、7人は誰が演じたかな、と考えてしまっていたけど、今のネット社会なら何の問題も無く解決してしまう。だから良くないのだろう。一生懸命探しに出かけたり、考えたりしなくてもいいわけだ。曲の方は映画とは無関係だがFintan McManusというフルート奏者によって書かれている。尚、このタイトルを付けたのはSeamus Eganだという説があるが、彼のバンジョー・プレイは絶品だ”

Dale Russ Tom Creegan Junji Shirota

Dale Russ  Tom Creegan  Junji Shirota

3人による関東での演奏が終わりました。下北沢ラ・カーニャ、越谷おーるどタイムに出向いていただいた皆さんに感謝いたします。

60年代、この目でみることが叶わなかったミュージシャンたちが来日すると、学校を休んでまでも並んで見に行った。聴きに行くというか、見に行くというか…。

70年代でもそうだった。刺激を受けたかった。自分の求める音楽を少しでも体に感じたかった。

今、海外からミュージシャンが来てもよほどコマーシャルに乗っていない限りなかなか集まってもらうのが難しい。

そういえば今、ポール・マッカートニーも来ているし、来週はサイモン・ラトルもやって来る。

デイルはやっぱり素晴らしいフィドラーだ。ジョディース・ヘブンで一緒に回っていたころを想い出す。

トムとはシアトルで一度会っただけで、一緒に演奏したことはない。だが、僕にとってはそんな経験は当り前のことだった。

二人はサファリング・ゲールで長いこと一緒にやっているので、そのサウンドに合わせていけばいい。そんな気持ちで挑んだ。

奇しくも横浜でフィドルを持ったひとりの男性が僕を呼びとめてこんなことを言ってくれた。

「まるで会話をしているようにギターを弾くんですね。こういう演奏を聴くのは初めてだった」

それこそが僕の求めるアイリッシュ・ミュージックに於けるギターの当然の役割である。

初めて一緒に演奏するトムの紡ぎ出す音の一つ一つ、体から生まれるリズムを感じながらどんなコード、どんなビートで彼の世界を共に表現するか、そして時として聴こえない音を創り出す、時として勝負を挑む。デイルとトムとの音楽による会話、というものが少しだけでも出来たことが、今回僕にとって嬉しい事だった。

ラ・カーニャの岩ちゃん、それからおーるどタイムの椋野さん、企画をしてくれた高橋さん御夫妻、ありがとう。

Irish Musicその38

Dougie MacDonald’s/Kit O’Connor/Tommy Peoples’  (Reel)

★  Dougie MacDonald’s

“多くの人はSolasで覚えた曲だろう。その昔James KellyとZan MacLeordのアルバムにも入っていたそうだが記憶にない。それくらいSolasの演奏が印象深いものだったのかもしれない。作った本人はBroadcove Bridgeとよんでいたそうだが、何故か彼の名前がタイトルとして浸透している”

★  Kit O’Connor

“この曲に関してはなんの情報も得られなかった。ただかなり前からアメリカの西海岸では演奏されていたもので、ティプシー・ハウスのレパートリーでもあったものだ。確かにみんなこのように呼んでいたが、それも明確なことではないかもしれない。とてもいい曲だが、以後誰かが演奏しているのを聴いたことが無い”

★  Tommy Peoples’

“トミー・ピープルスという名が付いているが、彼の作品ではないそうだ。アイリッシュではよくあることだ。Jenny Nettle’s FancyとかPaul Montague’sとも呼ばれている。 Bmで始まるAパートが特に美しい”

 

Cape Breton Fiddlers’ Societys’ Welcome to the Shetland Islands/The Contradiction/

President Garfield’s (Reel)

★  Cape Breton….

“いい加減にしてくれというくらいのタイトルだ。それにいい加減にしてくれというくらい別なタイトルも存在する。Shetland とCape bretonが逆になったものもある。作者はShetlandのWillie Hunterだ。70年代に持っていたスコティッシュ・フィドル・オーケストラのアルバムでよく聴いていた曲”

★  The Contradiction

“とても歴史の深い、そして超絶テクニックが必要な曲だ。1800年頃William Marshallによって書かれた、とされている”

★  President Garfield’s

“元々はホーンパイプ。だが、前の曲からのチェンジがとてもかっこいいのでこれを持って来てみた”

 

Irish Musicその37

Miller of Droghan/ Music in the Glen  (Reel)

★  Miller of Droghan

“スロー・リールという感じで演奏しても趣のある美しい曲だ。僕らはGで演奏するが、僕は敢えて2フレット目にカポをして弾いている。そうすることによってサビのEmが俄然生きて来る。コードに含まれる音の配列を考慮に入れてみるとそういうことがよくみえてくるはずだ”

★  Music in the Glen

“セッションでもよく登場するポピュラーな曲。前の曲同様にスロー・リールとして演奏しても趣がある”

 

The Hawk/MacArthur Road/Sitting on the Throne (Reel)

★  The Hawk

“これはもともとホーン・パイプとして知られているが、Beginishの録音ではリールとして演奏していた。それがずっと頭から離れなかったので、いつのまにかリールだと思ってしまった。更にShetland Fiddlerという曲がソースになっていると思われるので、その辺からも混乱していたのだが。どちらにせよBパートのメロディが印象深く、どうしてもレパートリーに取り入れたかったものだ”

★  MacArthur Road

“Dave Richardsonのペンになる曲。この人Key of Eの曲が好きなのかな。因みにCalliope Houseがそうだ”

★  Sitting on the Throne

“James Kellyのペンになる非常にエキサイティングな曲。出だしから他とは少し違うテキスチャーをもった面白い曲だ”

 

Dublin Reel  (Reel)

★  Dublin Reel

“セッションでもよく登場する人気の高い曲。3パートで一般的にはKey of Dだが、Gで演奏する人達もいるようだ。この曲を僕等は34で出たGlass of Beerの前に演奏することもあるので、敢えて1曲だが載せておいた”

 

Irish Music その36

Pigeon on the Gate/Trim the Velvet (Reel)

★Pigeon on the Gate

“Kevin Burkeで聴いて以来、何故かこの音楽の代名詞的な曲だと感じてしまうくらい大好きな曲だ。この曲に関してはギターはあまり小細工せず、メロディーに忠実に伴奏したいと思ってしまう。何度も登場するが、東京のフィドラー“モハーさん”が久しぶりに見せてくれたKevin Burke とMicheal O’DomhnaillのOhio Universityでのライブは穴のあくほど見つめたもので、この曲から入る最初のセットで、もう胸が締め付けられ、身動きができなかったほどだ“

★  Trim the Velvet

“なんといってもMichael Colemanの演奏だろう。個人的に好きなのだが、決してスーパー・プレイではないし、どう聴いても上のCのノートは可哀そうなくらいに外れている。しかし彼のプレイを聴いてニュー・ヨークのアイルランド移民たちが涙を流したということがよく分かる。僕らでさえ涙なくしては聴けないものだ。希花にもずっと弾き続けてもらいたい曲のひとつだ”

 

Flatbush Waltz/The Shepherds Dream/Onga Bucharest  (Waltz/Reel)

★  Flatbush Waltz

“ブルーグラス・マンドリンの異端児Andy Statman作のいかにもユダヤ音楽らしいメロディだ。彼はクレズマー音楽の管楽器奏者でもあり、また、普通のブルーグラス・マンドリン奏者が使わない、ティアー・ドロップ型の丸穴タイプを使っていたが、その独特な音色と独特なリックは言葉で表すことが難しかった。マイナーの美しい抒情的なメロディをもった曲だ”

★  The Shepherds Dream/Onga Bucharest

“De DanannがJewish Reelとして演奏していたものだ。2曲セットなのでこのように表示したが、これもAndy Statmanの曲らしい。1987年のDe Danannの録音では正式なタイトルは記載されていなかったが、その演奏は凄まじいものだった。僕は1986年にアメリカで彼らの演奏を見ているが、その時にも既にレパートリーに入っていた最も印象深かった曲のひとつだ。マーチン・オコーナーのアコーディオンとフランキー・ギャビンのフィドルが強烈にすっ飛ばす。僕等は多分、2011年の10月くらいからこの曲をレパートリーに取り入れ出した。二つの楽器が絡む様をフィドルひとつで表現してくれ、というのは無謀ではあったが、見事に自身のレパートリーとして成り立っている。これにはメアリー・シャノンも、張本人であるフランキーも度肝を抜かれたようだ。You Tubeに初めて希花とフランキーをひき合わせた時にこの曲を演奏している画像がのっているが、フランキーも久しぶりなのに、強烈なハーモニーですっ飛ばしてくれた。この曲をフィドルだけで弾くのは希花くらいだろう。アイルランドでも他の人の演奏で聴いたことは無い”

Irish Music その35

March of The King of Laoise  (Jig)

★ March of The King of Laoise

”そんなによく演奏する機会はないが、希花のハープに於けるレパートリーのひとつだ。スコットランドが起源の曲。僕はよく結婚式で、ハーピストやフルート奏者、パイパーなどと一緒に演奏した。単純だが、美しい子守唄のようなメロディで少し眠たくなるような曲だ”

 

Chanter’s Song/The Maids of Mitchelstown  (March/Reel)

★ Chanter’s Song

”ずいぶん前にKim Robertsonのハープ演奏で聴いたことがある。幻想的なメロディのとても好きな曲のひとつだ”

★ The Maids of Mitchelstown

”この曲はなんといってもThe Bothy Bandだろう。初めて彼らのアルバムを手にした頃から、完全に彼らの世界に入り込んでしまった珠玉の演奏だった。普通はリールとして捉えられるのだが、彼らはスロー・リールにアレンジしている。そしてそのアレンジが他に無い斬新なものであり、また素晴らしいものだった。あまりに彼らのイメージが強すぎて普通に演奏しても他の曲に聴こえてしまうくらいだ”

 

John Nee’s/The Gravel walks  (Reel)

★ John Nee’s

”またの名をHarvest Moonといって、Paddy O’Brienによって書かれた曲だ”

★   The Gravel Walks

”おそらく最も有名なセッション・チューンのひとつだろう。初心者にもそんなに難しい曲ではないと思うし、非常に”のれる”タイプのものでもある”

 

The Golden Keyboard/The Reel of Rio/Dublin Porter  (Reel)

★   The Golden Keyboard

”Martin Mulhaireの作。よくジャック・ギルダーがフルートで吹いていたので、なんとなくフルートにぴったりの曲だな、と思っていたがフィドルでもバンジョーでもとても奇麗なメロディが引き立つ曲だ”

★ The Reel of Rio

”Sean Ryan作のポピュラーなセッション・チューン。リオはリオ・デ・ジャネイロのことらしい”

★    Dublin Porter

”ダブリンに着くとついつい口から出てしまうのがこの曲。でもアイルランドのポーターなんて、どこに荷物を持って行かれるか分かったもんじゃない。何はともあれ、むかしから大好きだった曲。随分古くからあるメロディだと思うが”

Dale Russ&Tom Creegan来日

Dale Russと Tom Creeganがやってきます。

関東ではギターを城田純二が担当します。

 

Tom  Creeganとはシアトルで数回会った記憶があります。個人的に良く知っているという仲ではありませんが、イーリアン・パイプスの名手として西海岸を中心に、長年に渡り活躍している人物です。

Dale Russはご存知、僕とともにJody’s Heavenで活動。97年に全世界アイリッシュCD製作部門に於いて3位を獲得しました。

彼が元々ブルーグラスのギタリストであったことも、僕にとっては偶然の一致でした。

アメリカで最も素晴らしいアイリッシュ・フィドラーの一人、という彼とグループを組んでいた僕にとっても、懐かしい音を紡ぎだせそうです。

また、長きにわたって活動を共にしているDaleとTomのコンビも聴きのがすことができません。

詳しくはこのホーム・ページのLive Sheduleをご覧ください。

Irish Music その34

Brown Coffin/Rodney’s Glory  (Hornpipe)

★  Brown Coffin

“1898年出版の書籍にはThe Factory Smokeというタイトルで掲載されている、ということだが、Martin HayesはこのBrown Coffinというタイトルを使っていた為に、多くの人はこのタイトルで知っている”

★  Rodney’s Glory

“古くはディビッド・ブロンバーグのギター演奏で覚えたホーンパイプ。セット・ダンスというカテゴリーにも入ると思う。前の曲とのつながりは、ちょっと似すぎていて混乱の素となる可能性があるが、どちらも美しいメロディだ”

 

Tear The Calico/The Longford Tinker   (Reel)

★  Tear The Calico

“Rip The Calicoともいう曲。いいメロディを持ったスピード感あふれる曲だ”

★  The Longford Tinker

“ほとんどJenny Dang The Weaverというスコットランドの曲と一緒だ、という説がある。確かによく似ている。このセットはティプシー・ハウス時代によくやったものだ”

 

The Green Groves of Erin/The Jolly Tinker  (Reel)

★  The Green Groves of Erin

“ボシー・バンドの幻想的なキーボードのイントロが好きで、1975年くらいから大好きだった曲”

★  The Jolly Tinker

“5パートあるこの曲はギター奏者にとっても考えるのにもってこいの曲だ。各パートごとに独特なテキスチャーがある素晴らしい曲だと思う”

 

Within A Mile of Dublin/The Glass of Beer/Dick Gossip’s  (Reel)

★  Within A Mile of Dublin

“やはりBarney McKennaの演奏が最もよく聴いたものだろうか。フランキー・ギャビンが猛烈なスピードでやっていたものもあった。東京のフルート奏者Mr.Slainteはこの曲の後にTyrone Ashplantを薦めている。確かに一理ある”

★  The Glass of Beer

“僕等は敢えてこれをもってきたが、これはとても楽しい曲だ。多くの録音が残されているが、僕はストックトンズ・ウィングのライブ盤でよく聴いていた”

★  Dick Gossip’s

“これも僕等は敢えてBパートから入っている。そうすることによって前の曲とのつながりがとてもエキサイティングに聞こえる。これは見事なチェンジだが、このアイディアはジャック・ギルダーからいただいた。因みにタイトルだがThe Castleとしても知られている”

Irish Musicその33

The Mullingar Races/Maple Leaf/Five Mile Chase  (Reel)

★ The Mullingar Races

”思えば、希花に最初に教えたセットかもしれない。この曲の出だしのメロディが好きで、よく頭に浮かんでいたからだ。ずっと前、Mullingarを通過した時もついつい口からこのメロディがでてきたものだ。トラッドらしい大好きな曲のひとつだ”

★  Maple Leaf

”Darach De Brunという人物が、自身の結婚式の為に書いた、という曲。ダブリンのMaple Hotelで行われたので、この名前にしたそうだ。Aパートは美しい。Bパートは単純といえば単純だが、このEmで始まる曲、ほとんどEmでしかないのだが、BパートはAm始まりでもいいのではないか、と思う。ただし同じAmでもこのコードの響きはDADGADでないと出ないものかもしれない”

★  Five Mile Chase

”1886年頃のコレクションにも登場するくらい、古い曲だと言われる。この3曲のセットは昔から好きでよくやっていたものだが、希花ならすぐ把握できるだろうと、これを選んだ。とにかくトラッドを沢山覚えて欲しい、という僕の願いの最初のセットだったが、これから先が希花にとって大変だっただろう”

 

The Cat in the Fiddle Case/Gypsy Princess (Barn Dance)

★  The Cat in the Fiddle Case

”次のアルバムのタイトルはこれで決まり…かな。The Sessionのサイトにコメントを送っている、Mr.Gian Marcoの作。本名かペンネームかはわからないが、彼にお礼を言いたいくらいにとてもかわいらしい曲だ”

★  Gypsy Princess

”コーマック・ベグリーがよく弾いていた曲。もともとニュー・オーリンズあたりのケイジャン音楽だという説もある”

Irish Music その32

Hand Me Down The Tackle/Cooler’s Morning Dew  (Reel)

★ Hand Me Down The Tackle

”初めて聴いたのは、もしかしたらNoel Hillの演奏だったかもしれない。アルバムではPure Dropとクレジットされていた。他にもTom Steeleというタイトルで知られている。結構気持ちよく音が飛んでいて、いい曲だ。僕らはこの後に以下の曲をもってきたが、その音のつなぎがとても気に入っている。確かアコーディオンのJohn Williamsがライブで、別な曲だったが同じつなぎをやっていた”

★ Cooley’s Morning Dew

”これは有名なMorning Dewと考えていいだろう。変な言い方だが、Morning Dewという曲自体、様々なやり方がある。Bパートから入るのが非常におしゃれな時もある。このCooleyのバージョンはそれに似ている。いずれにせよこの上ない名曲で、どのようにもアレンジでき、またかっこよくすることができる。多分若者達はこういう曲にパーカッションやチョッパーベース、キーボードなどが入ればもっとかっこよくなる、と思うだろう。しかしこのようなシンプルで美しい曲をまず、いかに基本的に演奏するかがとても大事だと僕は思う。機会があれば、ケビン・バークとミホー・オドンネルの演奏を聴いてみるといい。胸が痛くなるほどの感動を覚えるはずだ”

 

The Maid Behind The Bar/Gneevgullia/Miss Brady’s

★ The Maid Behind The Bar

”ブルーグラスでもたまに演奏される。70年代によく演奏したBilly in the Low Groundはほとんど同じ曲ではないか、と思われる”

★  Gneevgullia

”変わったタイトルだが、Co.Kerryにある小さな村の名前らしい。非常に美しいメロディの3パートのリールだ。アイルランドでもよくセッションで登場する。またThe Pride of Rathmoreというタイトルでも知られているそうだが、こちらもRathmoreというちいさな場所の名前であり、双方はとても近いところに存在するということだ ”

★ Miss Brady’s

”コードはAから入り、すぐにDにいき、そしてBパートはEmになる。こちらのパートを先にもってくる人もいる”

Irish Music その31

Faymoy Lasses/Bunker Hill/John Dwyer’s (Reel)

★  Faymoy Lasses

“誰がいつ頃書いた曲かはっきりしたことは分からないが、1907年にはすでに楽譜として出版されているので、トラッド扱いにしてもいいだろう。AパートはEm BパートはGで、特に出だしは“3連符の天国”といわれる”

★  Bunker Hill

“これも前の曲と同じく1907年には採譜されているものだ。このセットはDale Russが好んで使っていた。

★  John Dwyer’s

“前の曲とのつなぎはAndrewから頂いた。とてもつながりが良く、彼のいたずらっぽい顔が目に浮かぶようだ”

 

Drunken Sailor  (Hornpipe)

★  Drunken Sailor

“美しい5パートのホーンパイプだ。昔からとても好きだったので、希花が大好きな曲だと聞いた時には驚いた。それなりに弾くにはとても難しい曲だと思う。テクニックではどうにもならない曲のひとつだろう”

DADGADはレイジー・チューニングか?

DADGADのことをLazy Tuningと呼ぶ人が多くいるようです。特にアイリッシュの伴奏としての使用に限ってですが。

ピエール・ベンスーザンやアル・パトゥウエイ(日本語表記はわからないが、ワシントンDCではよく彼と一緒にステージをやったものだ)等の演奏には当てはまらない言葉です。

なにはともあれ、初めてランダル・ベイズに会った時、彼が冗談でLazy Tuningだよ、と言っていました。しかし、彼のギター・プレイにおける余りにも美しい音使いを聴く限り、それは謙遜による冗談でしかない、ということはすぐにわかります。

マーティン・ヘイズとランダル・ベイズによる‘92年のファースト・アルバムは今でも僕のフェバリットのひとつです。もちろんケビン・バークとミホー・オドネルも。

たまにリード楽器の人がギタープレイヤーに関してLazy Tuningの使用者として揶揄するのには勿論ギタリストの方にも責任はありますが、おそらくそのようなリード楽器の演奏家たちの音楽知らず、というところによるものでしょう。

確かにギタリストにとって、アイリッシュ・ミュージックに於いては、いくつかのノーマルなコードさえ知っていればカポタストを使うことによって、大体の曲は解決できてしまう部分もあるでしょう。

多くのDADGADによる伴奏者を聴いてきました。そんな中で、本当に音楽を理解している人が少ない事には驚きます。教育的なことだけではなく、感覚的な事に於いても、ですが。

勿論、音楽理論というものはある程度必要だと思いますが、それを大きく膨らませる感性というものが絶対的に大切なことだと思います。

何千という曲の伴奏をする時、その感性というものが必要不可欠なものとなります。

僕が初め、セッションにバンジョーを持って参加していたころ、数人のギタリストがいました。たまにはギタリストがいないこともありました。

そんな時は「ここでこういう風にベースが動いて行って、次の曲に行った時に気持ちを開かせるといいな」などと思いました。

また、ギタリストがいる時には「そこでその和音はないだろう。その3度の音はミュートした方が効果的だろう。ここで分数コードからルートのベースに持って行ったらいいのに」などと考えだすと、メロディが弾けなくなってしまうのです。

そこで「…なら僕が責任を持ってギターを弾こう」と思い立ったのがきっかけでした。最初の頃、ジャック・ギルダーがあらゆる曲を弾いて(吹いて)僕を試しました。よく覚えているのがPinch of Snuff Party Version,Curlew,Old Road to Garry,など。どれも当時はあまり聞き覚えのない曲ではありましたが、注意深く聴いていると大体の予測はついたのです。

これが、いわゆる理論と感覚の両方を目いっぱい使う、ということだと思います。すでにDADGADを使っていましたが、ジャックはそれまでのギタリストでは聴いたことのないコード感覚に惚れ込んでくれたようでした。

今でも覚えています。彼の家に招待されて「ジャニス(彼の奥さん)これこそ俺が見つけた今までで最高のギタリストだ」と嬉しそうに語る彼を。ジャックはクラシックからエジプシャン・ミュージックなどを経験し、少しだけジャズ・ピアノもたしなむような男でした。

アイリッシュ・ミュージックに於いては再三登場しますが、意地悪なくらいきっちりしています。

そんな彼だからこそ、音楽というものをよく捉えて僕のギタースタイルを受け入れたのだと思います。

このようにリード楽器を演奏していても、常に注意深くその和音の構成などに耳をかたむけることはとても大切です。

リード楽器奏者にそれだけのふところがないと、ギター奏者の音を聴きわけながら演奏するなどということはできないだろうし、結局そういう人達が「ギターは楽だ。曲を知らなくてもなんとかなるから」などという、頓珍漢なことを言ってしまうのだろう。

ギタリストが音楽をよく理解していないと、単調なものになってしまいます。そしてとことんトラッドに精通している必要もあります。勿論バウロン奏者も。伴奏というものはそういうものです。

Irish Music その30

Humours of Tullyknockbrine/Maire Breathnach/A Punch in the Dark  (Reel)

 

★   Humours of Tullyknockbrine

“De Danannがずいぶん前にThe Rat in the Thatchというタイトルでやっていたが、いかにもフランキーが好きそうで、彼の音が聞こえてきそうな曲だ。

★    Maire Breathnach

“僕等はSolasの演奏で覚えたが、彼らはAパートとBパートを逆さにして録音したようだ。確かにそのアレンジは一理あるような気がする。また、タイトルだが、Branohmという登録もある。ただし、このタイトルで少なくとも2曲あるし、#1#2とよんでもいいのかも知れない。本人に会った時、訊いてみればよかったが、こちらは本人とは認識せずに一緒に弾いていて、上手い人だな、と思っていた。失礼”

★    A Punch in the Dark

“BanjoのGerry O’Connorが書いた曲。ずっと前、Lunasaと一緒にフェスティバルに出ていた時、彼らがメドレーでこの曲に入った時、ギターのDonoghが絶妙なコードを弾いた。それは多分にベースのTreverとの音の組み合わせだったかもしれないが、とても印象的な音使いだった。後年、彼に会った時、その話をしたが、彼のコード・ワークにも独特なものがある。Donogh と僕、そしてDennis Cahillはいつもフェスティバルで一緒だった。Gerry O’Connorとも一緒になり、両親を紹介してもらったりしたもんだ”

 

 

Johnny When I Die /The Humours of Lissadel/The Connemara Stockings (Reel)

 

★   Johnny When I Die (Bury Me in Kerry)

“Jody’s Heavenでもずいぶんやった曲だ。Johnny When You Dieとも言うし、ここに書いたようにBury Me in Kerryが付いたりもするし、全然違うタイトルで呼ばれることもある。しかし、実際にKerryにいるとその気持ちは分かるような気がする”

★   The Humours of Lissadel

“前の曲との繋がりがすごくいい。Dale Russから習った”

★   The Connemara Stockings

“この曲は The Reel Of Mullinavatという曲にとてもよく似ているが、あまりそれについて語る人はいない。僕の知る限りでは東京のフルート奏者Mr.Slainteくらいかな”

Irish Music その29

John Brosnan’s/The Crock of Gold  (Reel)

★   John Brosnan’s

“Co.Kerry 出身のアコーディオン奏者John Brosnanが1974年に書いた曲。コーマック・ベグリーが彼のアパートのキッチンで練習していた時に曲名を尋ねた。BパートがちょっとCongressのAパートに似ているが、さほどにこんがらからないのはBパートがお互いにそっくり、というわけではないからだろう”

★   The Crock of Gold

“1920年にCo.Galwayで生まれたフルート、パイプ奏者Vincent Broderickによって書かれた曲とされている。シングル・リールという人もいるが、ダブルで演奏する人も多い”

 

Up Sligo/The Golden Stud   (Jig/Reel)

★   Up Sligo

“80年代、よくStockton’s Wingで聴いていたセットだ。驚いたことにCape Breton

のフィドラーMike McDougallという人の書いたIngonishという曲らしい。Michael ColemanやKevin Burkeの演奏でもよく知られている。

★   Golden Stud

“Maurice Lennon作のスロー・リール。Paul Rouchが書いたという人もあれば、同じグループのKieran Hanrahanが書いた、という人もいる。いずれにせよ、シンプルで美しいメロディを持った曲だ。僕等はこの後、Morning Dew/Jenny’s Chickenをひっ付けて最近レパートリーに取り入れている”

 

The Kylebrack Rambler/Paddy Fahey’s#1 (Reel)

★  The Kylebrack Rambler

“Finber Dwyer の作になるとても魅力的な曲だ。かなり前ティプシー・ハウスのフィドラーPaulがよくやっていたのを覚えていた”

★  Paddy Fahey’s#1

“数多い彼の作品のなかでも、最も有名な曲かもしれない。前の曲との繋がりはスムーズ過ぎて変わったことが分からないかもしれないが、テンポが絶妙に合う”

瀬戸内寂聴さんと会う

突然ですが、9月15日、寂庵に於ける寂聴さんの法話を聴いて、そのあと僕と希花とで少しだけ演奏させていただきました。ぼくら二人合わせた年齢よりも多い、という寂聴さん。声の張りもさることながら、お話も面白く、お元気そうで驚きました。

衝撃の出会いでした。嬉しかったので、まーるい頭をなでなでさせていただきました。有難うございました。

Irish Music その28(27の続き)

★  Miss MacLoeod’s

“これはひょっとすると、高校時代から知っていた曲だ。多分ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズが演奏していたものを聴いたのだろう。フォークソングをやっていたあのころは、勿論キングストン・トリオや、ブラザース・フォア、ピーター・ポール・アンド・マリー、その他あらゆる情報にアンテナを張り、そのルーツなどを紹介する、ニュー・ポート・フォーク・フェスティバルの録音などにも興味を持った。ドック・ワトソン、クラレンス・アシュレィ、モリス・ブラザース、カーター・ファミリーなどに加え、ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズは衝撃的だった。彼らのレパートリーに多く、アイリッシュやスコティッシュの曲が含まれていることはまだ知る術もない時代だった。Miss MacLeod’sはもともとスコティッシュ・チューンのようだ。そちらのバージョンは確かにアイリッシュで弾かれているものよりアメリカで聴かれるバージョンに近い。アンドリュー・マクナマラはジョー・クーリーから習ったバージョンを弾いている。1923年のTom Ennisの録音では既にアイリッシュでよく聴かれるバージョンになっている。こんなことを頭に入れながら弾くのと、ただ弾くのとでは全く違う、と僕は思う。伴奏者も知るべきことだ”

★  Rickett’s Hornpipe

“Bill Keithのバンジョー演奏で70年代からよく知っていた。別名Manchester Hornpipeというもので、ほとんどアメリカン・チューンといってもよさそうだ。この手の曲は沢山ある。Fisher’s,Sailor’s,Soldier’s Joy,などアメリカで創られたものか、もともとあったものかを調べるのはおもしろい。尚、これらの曲をアイリッシュ・ミュージシャンが演奏することはまず無い。多分嫌っているのだろう。イギリス方面の曲だから、ともいわれているし、聴くに堪えないつまらないものだ、と酷評する人もいるくらいだ。そこら辺が特にアイリッシュ・ミュージシャンからすると、ブルーグラスなんてやっていられない、という話しにつながってくるのだろう。30年ほどもブルーグラスに関わってきてアイリッシュに移行した僕にとっては分からないことでもないが、スタンレー・ブラザースなんかを聴くと、アイリッシュと同じように胸が熱くなることも事実だ。

★  Mason’s Apron or Devil’s Dream

“驚いたことにDevil’s DreamはHornpipeとしても記載されている。勿論「Reelだと思った」という意見もあるのは、普通ブルーグラスではかなり速く弾かれることが多いからだろう。一方Mason’s Apronは2パートだけの場合もあれば、7つものパートを演奏する場合もある。ほとんどバリエーションとも言えるが…。とりあえず最初の2パートはほとんど一緒だと言える。ブルーグラスでは2パートだけで、それぞれが自分のソロが回ってきた時点でバリエーションを展開する。どちらにせよ、出どころはスコットランドだろうか。

Irish Music その27

今回はブルーグラス界でも比較的よく演奏されるIrish Tuneを集めてみた。その中には、70年代、80年代、ブルーグラスに夢中だった僕等が、IrishやScottishとは知らずに、或いは知っても、それはブルーグラスとして演奏していたものだ。

そんな曲が数多くある。

 

★  Cooley’s Reel

“初めてこの曲を聴いたのは、もしかするとCountry Cookingかも知れない。ギタリストのRuss Barenbergが弾いていた記憶がある。アイリッシュのセッションでは通常この後にWise Maidが来るが、ブルーグラスでは、それぞれが思い思いのソロを展開して1曲で終わるのが普通だ。まだ、若かった僕等はこれがJoe Cooleyの曲とは知らずにブルーグラス独特の通称“ドライブ”という感覚で弾いていた。70年代半ば頃ならきっと“スイング”感覚もあっただろう。後にアンドリュー・マクナマラと出会った時、彼は“Flow”という言葉を使っていた。“川の流れのように”というのだろうか。彼は美空ひばりを知っていたわけではない。

★  Blackberry Blossom

“これは初めてのナターシャー・セブンのLPで僕がソロのバンジョー曲として録音したものだ。アイリッシュにもブルーグラスにも同名曲があるが、これは全く違うメロディを持った曲だ。何故、この曲を選んだのかは理由がある。僕にとってはとても興味深い経験があるからだ。

それは、サン・フランシスコのプラウ・アンド・スターズという僕等のバンドのホーム・グラウンドでのセッションに於いてだった。いつものように僕とジャックとケビンがホストのセッションに、Fタイプのマンドリンを持った男が現れた。それだけで僕には、“あ、彼はブルーグラス畑の奴だな”という想像がつく。ジャックが尋ねた。「アイリッシュ・チューンは知ってるか?」すると彼が答えた。「よく知らないけどフェイクできる」彼は彼なりの解釈でアドリブできると言うのだ。ジャックはきっぱり言った。「NO FAKE!」

これはブルーグラスのセッションではない、と言う。少し険悪な雰囲気になったが彼は真面目な顔をしてしばらくおとなしくしていた。さすがに可哀そうに思ったのか、ジャックが「なんか知ってる曲があるか?」と聞くと「う~ん、そうだ。Blackberry Blossomなら知っている」と言って弾き出したのがブルーグラス・バージョン。始まったとたんにジャックが「ブラックベリー・ブロッサムはそれじゃない」とむりやり止めて、やにわにフルートを吹き始めた。明らかに違うメロディだ。僕も両方知っている。3回も4回も目をつぶって続けるジャック。終わってからあまりに可哀そうだったので「僕がギターを弾くからあんたブラックベリー・ブロッサム弾いたらいいよ」と言ったら、彼は喜んでブルーグラス・バージョンを弾いた。ジャックはもうバーの方でギネスを飲んでいた。「ごめんね。ここのセッションはきびしいんだ。メロディを正確に覚えないと参加できないことになっている。ブルーグラスのセッションみたいにフレンドリーではないんだ」彼はその1曲だけで、僕にお礼を言って帰っていった。僕にとっても想い出深い曲のひとつだ”

 

★  Pigtown Fling (Stoney Point)

“1962年 12月8日、カーネギー・ホールでのFoggy Mountain Boysのライブで“Fiddle&Banjo”というタイトルで演奏された曲だ。むかしはギターが入らず、ポーチなどでよくこんなかたちで演奏されたものだ、というような解説で、アイリッシュからするとBパートと言われる方から始まっている。アイリッシュ・ミュージックに関わるまで何も気にしていなかったのだが、(ましてや忘れていた曲だったが)ある時「あれ、もしかすると聴いたことがあるかもしれない」と思い始めてもう一度聴いてみると、明らかに同じ曲なのだ。ブルーグラス畑でもよく知られている曲らしい、と言うアイリッシュ関係者はいるが、それがFoggy Mountain Boysからなのか、それ以前なのかはわからない。どちらにせよ、ブルーグラス畑では多分タイトルはFiddle&Banjoになっているだろう。

★  Earl’s Chair

“時々ブルーグラス畑でも演奏されることがある、という程度の曲だがコード進行についていろいろ考えられるので面白い。この曲をセッションでやる時、先ず最初のコードを何にするか。Bm|BmかG|Gか。或いはBm|Gか。G|Bmといのはあまり良くないだろう。BパートではA/Bm|A/Bm|もありだがEm/Bm|Em/Bm|もありだろうし、Em/Bm |Em/D(F#bass)|もありだろうし Em/D(F#bass)|G6/Bm|A/G|D(F#bass)も面白いかもしれない。でも、そんな時考えるのがベースの進行だ。もし自分がこの曲でベースを弾いていたとしたら、いちばん気持ちよく進む音を選びたい。その上、あくまでリード楽器奏者のこだわりについても無視するわけにはいかない。究極のところ、いつも僕が思っているように、全ての曲のメロディを知らなければ、伴奏はただの迷惑になるだけだ。ブルーグラスは多分にジャズの要素も含まれているので、自分なりのリックも要求されるが、そこでもどれだけ基本のメロディを重視しているか、ということも見逃すことが出来ない。この、Earl’s Chairに於いてはブルーグラスの演奏家たちがどんなコード感覚の中でどんなリックを展開するか楽しみだ。そんな意味でこの曲を選んでみた。

★  Saint Anne’s Reel

“これはよくブルーグラスでも演奏されるフレンチ・カナディアン・チューンだ。アイリッシュのそれとは出だしが少し異なることが多い。カナディアン・フィドラーとして有名なJoseph Allardの1930年の録音を聴くと、ブルーグラスで弾かれるバージョンに近い。アイリッシュの曲よりスコティッシュやフレンチ・カナディアンの曲の方がリズムも含めてブルーグラスに近いような気がする。

★   Lord McDonald’s (Leather Breeches)

明らかにLeather Breechesという曲として、60年代からPete Seegerの演奏で聴いていたものだ。ブルーグラス・フィドル・チューンとしても、よく取り上げられる。単調な曲だが、深い趣がある。フレイリング・スタイルのバンジョーでもいいが、僕はよくPaddy Keenanと一緒に演奏した。こういう単調な曲では、どのパートを盛り上げて、どのパートでどういうテキスチャーで伴奏するか、メロディを聴きながらよく考える必要がある。伴奏者の真価が問われる曲のひとつかも知れない。

2013年 アイルランドの旅 フィークル~タラ(最終回)

8月11日 晴れ

今日こそはフィークルに行かなくてはいけない。もともとフィークルも大きな目的の一つだったのだが、他で沢山の仕事を得たので、結局最終日だけになってしまった。でも今日はアンドリューと一緒だ。きっといい一日になるだろう。P8110457

昼からRingoがCoole Parkに連れて行ってくれた。クールパーク(日本語表記)は自然保護地区に指定されている、素晴らしく広い公園だ。

元はグレゴリー邸と呼ばれていた個人の持ちものだった。W.Bイエィツや、ショーのサインが刻まれている「署名の木」は有名だ。P8110461

しばし、深い緑に囲まれる。サーッと雨が降り、そしてまた止む。全てがゆっくりと大自然の営みを楽しんでいるように感じる。

僕らも、マフィンと紅茶で時を過ごした。

 

 

そしていざ、アンドリューの待つフィークルへ。セッションは3時からだが、どうせそんな時間には始まらない。

アンドリューを探す。ちょうど日本人の女の人が二人歩いていたので「すみません、アンドリュー・マクナマラ見ませんでしたか?」と尋ねたが、なに、この人、というような顔をされた。彼女達何しにここまできているんだろう。

でも考えたら知っている可能性はごくわずかだ。無理もない。

僕らが演奏するPeppersというパブは、人、人、そしてまた人でごった返している。もちろん、このフェスティバルの間じゅうフィークルに4つしかないパブは大賑わいだ。

この1週間でこの村はもっているのかもしれない。

去年まで、僕等はフィークルでのフェス参加をメインにしていた。ここに来れば長年の友人達とも会えるし、クレアーという、音楽の聖地の伝承者たちとも演奏ができる。

しかし、今年は毎日のように演奏をお金にすることができた。これは正直素晴らしい事だと思う。お金をもらって演奏する、ということがどういうことなのかを40年の間学んできたのかもしれない。

セッションに出て、みんなと一緒に知っている曲を弾き、知らない曲を学び、というのもこの音楽の基本だ。

そんななかでも多くの人達、バンドなどがアイリッシュ・ミュージックを世に広めるために、或いは商売としながら世界の様々な場所に出て行っている。

どちらにせよ、基本、この音楽は伝承であり、伝統をきちっと守らなくてはいけない。そのうえで独自の音を提供するのだ。

それを心がけていると今回のように“トラッド・ミュージシャン”としてあちこちから声がかかる可能性が生まれてくる。

僕らもこの国でそんな存在になりつつあるのかも知れない。

アンドリューも一時期より更に激しく(いい意味で)なってきたようだ。やりたくないことを頑なに拒んできて、その結果爆発しているのだろうか。彼のプレイはおもしろい。ブルース好きのアンドリューはB.B Kingが顔でギターを弾いているのと同じように顔でアコーディオンをかき鳴らす。P8120472

まるでいたずらっ子のように「見てろよ、いくぞ!」というような合図を送り、強烈な不協和音を破裂させる。

そんなアンドリューの横でRingoがひたすら正確にリズムを刻む。時としてあまりに同化していて聞こえず、はっとした瞬間に“ドスン”とお腹に響く。P8120473

まさにDavid Lindleyと一緒に演奏した時のWally Ingramもそうだった。決して出しゃばらず、的確に音楽のハートを掴むのだ。

Ringoは7時くらいにGalwayに戻った。今年は彼にだいぶお世話になった。できれば、彼とアンドリューを一緒に日本に呼んでやりたいが、いいギグを見つけてやれることができるだろうか。

セッションが終わってもアンドリューは暫くここで飲んでいくようだ。僕等は彼の家の鍵をもらい、赤嶺君と一緒にフィークルを出た。

真っ暗な田舎道をひたすら走ると、タラのメイン・ストリートに出る。赤嶺君とも再会を約束してアンドリューの家に入って、暫しソファーで落ち着いてまわりを見回した。すると、不思議な感覚におちいった。

まるで故郷に帰ってきたようだ。1991年、この家から出てきた男と知り合いになり、2000年、この家で2週間過ごしながら、2人でアイルランド・ツアーをし、それから事あるごとにここに寝泊まりしている。

僕のアイリッシュ・ミュージックのルーツがここにある。

そして、今晩、ここに泊まることを決めたのにはもうひとつの理由があるのだ。それは、フランのパブに行くことだ。(2012年 アイルランドの旅 8月7日 タラ 参照)

彼も、もう13年来の顔見知りだ。必ず顔を見に行くことにしている。85歳にもなるし、いつまでお店があるかもわからない。

10時半、正装したフランが店を開ける。僕等が入っていくと「やぁ、よく来たね」とギネスをご馳走してくれるが、僕等はそんなに強くないので、これが限度だしお金は払うから、と言っても受け取らない。

遠く日本から来て、必ず健康でいるかチェックしにくることが彼にも嬉しいのかもしれない。

あと10年くらい続けて欲しい。そしたら、立派なお医者さんになった希花さんが付いてくれるだろう。

2013年のアイルランドの旅はこれでおしまい。明日ダブリンに戻って、それから日本に帰るのだ。

心の故郷、そして音楽の故郷、タラの夜空に星が光っていた。P8120474

 

2013年 アイルランドの旅 結局まだゴルウェイ

8月8日 晴れ

今日はOranmoreでMick Conneelyとセッションだ。この辺でも全アイルランドでも高名なフィドラーである彼も僕等とは初めて会う。

最初、希花に「君が曲を出してくれたらいい」と言っていた。初めて会う人がどれだけのレパートリーを持っているか分からないし、自分が出した曲についてこれなかったらつまらないからである。

Ringo,Mickそして僕と希花の4人だ。希花がキックオフをする。Mickが追う。Mickが始める。希花が追う。

そうこうしている間に「この二人は他の東洋人とは違う。アイルランド人よりもよく知っている」と、彼は矢継ぎ早に曲を出してくる。

そしてセッションが終わって、11時頃、「今からリンゴの家に寄るから少し俺のアイディアを希花に伝授したい」と申し出てきた。

チャンスだ。よっぽどの相手でない限りそんなことも無いはずだ。

1時間ほど、とても嬉しそうに希花にいろいろ教えてくれていた。こんなにいい経験はなかなか無いだろう。

有意義な一日だった。

 

8月9日 晴れ

今日はJohn Cartyのコンサートを見に行くのだ。その前に教会のすぐ隣にある、いつものパブTi CoiliでRingoとRonan(フィドラー)とのセッションがある。

John Cartyとも久しぶりに会う。そして彼のプレイはどこをとってもとことんJohn Cartyなのだ。

僕にとっても希花にとってもフェイバリット・プレイヤーの一人だ。

 

8月10日 晴れ

Ti CoiliでまたRonanとセッション。彼もいいフィドラーだ。

夜、フィークルへ様子を見に行く。いろんな人に挨拶だけして帰ることにした。すこし秋になったのだろうか。寒いと感じるようになってきた。

12時頃Ringoの家に戻ってきた。今日でゴルウェイとお別れだ。明日はフィークルに行ってそのままタラのアンドリューの家に泊まる。

そういえば、ゴルウェイでは昔の友達と会った。Kyleという奴で、サン・フランシスコで一緒にバンドをやっていた。彼はギターとブズーキとボーカルで、二人のフィドラーと、計4人で“Gnarly Pilgrims”というバンドだった。

もう15年ぶりにもなるだろうか。お互い驚きのあまり声も出なかったくらいだ。

なので、僕も日記に書き忘れていたが、衝撃的な再会だった。

こうして、音楽をやり続けていれば懐かしい友人たちと再会できる。日本でもアイルランドでも…。

2013年 アイルランドの旅 まだまだゴルウェイ

8月7日 晴れ

妹のクリーナの友人がふたりほど泊まっている。コーマックはコンサルティーナ講師として、昨夜一足先にフィークルに向かった。

2日ほど前から考えていたことだが、今日が水曜日、一日おいて金曜日にJohn Cartyのコンサートが同じ教会である。アンドリューとのギグが日曜だし、それまでに行けばいいだろう。唯、それにはホステルをキャンセルせねばならない。

しかし、この時期フィークルには沢山の人が行くので、ホステルも引く手あまた状態だろうし、そんなに問題はないだろう。

そんなことを考えながら顔を洗い、歯を磨いているとみんながおきてきたようだ。ふとみると、僕は個人的にはあまり知らないが、希花がよく話していたアンドレアという若者が布団の中で携帯を見ていた。

確か、3年前にフィークルで会った時にはまだ子供という感じだったが、わずか3年くらいで、もう立派な青年だ。いちばん変わる時期だろう。

マーティン・ヘイズ命、というようにマーティンそっくりに弾く少年だった。しばらく話していると希花も起きてきた。

そして…やっぱり誰だか分かっていないようだ。「アンドレアだってさ」というと「えっ、こんなに小さかったのに」と言って驚いた様子で腰のところに目安を置いた。

そんなわけはないが、それくらいにまだ子供というイメージだったのだ。彼女にとっては弟と変わりないくらいの年齢の男の子で、そんな感じがするのだろう。

しばし一緒に弾いたり、話しをしたりして時間を過ごした。

そして、今晩の教会でのコンサートの計画を練るために、ぼくらはまたMacに向かった。いや、それだけではない。

Wi-Fiをつないで、フィークルの宿をキャンセルせねばならない。悪いなぁと思いながら、明日から2日間だけのキャンセルを申し出ると、なんの問題も無くオーケーの返事が出た。        去年と同じ、そう、ぼくらの横で、オーダーしたものと同じ食事を2匹の犬が美味しそうに食べていたところだ。

犬もきっと「美味しいなぁ、彼らにもこの味が、この喜びが分かるかなぁ」と僕等をみていたに違いない。

さて、コンサートの時間だ。驚いたことに結構人が入ってきた。教会はすごく大きいが、コンサートをやるスペースは80人くらいがいいところだろう。それでもすでに60人は超えているようだ。

みたことのある男が入ってきた。そのむかしアンドリューのバンドでギターを弾いていたKevin Hughだ。見るからに、とてもいい人、という感じのおじさんで(といっても、ぼくよりかなり年下だろう)よく色々なことを話したものだ。

お互い15年ぶりくらいなので、再会を楽しんだ。もっとも彼はこの近くに住んでいて、僕の名前をみて来てくれたようだった。

僕らがファーストセットを担当。25分ほどで、美しいエアーあり、日本民謡あり、典型的なトラッドありで、やんやの喝采を浴びた。

休憩の間は、クリスというこのコンサートの世話係の人がみんなを連れて教会の歴史や、展示物などを見せるミニツアーを行う。

そしていよいよセカンド・セット。メアリー・バーガンとリンゴの登場だ。ティン・ホイスルとバウロンという組み合わせ。もちろんここは常にノー・マイクロフォンだ。

リンゴのバウロンは素晴らしい。彼が言うようにバウロン奏者は常に影の功労者でなければならない。それが本当によくわかるプレイだ。

メアリーのティン・ホイスルもさすがなものだ。コンサートは大盛況のもとに、最後は僕等4人でクリーナのダンスのバックを演奏。そして、無事終了。

リンゴもメアリーも僕等の演奏を、超一流のミュージックであり、本物のトラッド・アイリッシュだ、と評価してくれた。

とてもいい一日だった。

2013年 アイルランドの旅 まだゴルウェイ

8月5日 晴れ

バンク・ホリデイということで、町のあちこちが休んでいる。もちろんパブは開いている。

夜は教会でLaoise KellyとKathleen Maclnnesのコンサートがある。素晴らしいハーピストとシンガーのコンビだ。

僕らもビラ配りに参加。

そのかいあってか(?)会場はいっぱいの人で埋め尽くされた。ほとんどが観光客だろう。しかし名前のある人達だ。地元っ子も来ているにちがいない。

素晴らしくプロフェッショナルなふたりだ。聴いていて寒気がするような演奏と歌をたっぷり聴かせてもらった。

今晩はもうどこにも寄らずに帰ろう。気持ちのいい音楽の後はワインでも飲んでサッと寝るのが良い。

 

8月6日 晴れ

今日はフランキーの兄である、ショーン・ギャビンと待ち合わせをしている。

「フランキーにフィドルを弾くように薦めて、最初にあなたが持ってきた曲がBroken Pledgeだった、という話しは本当なの?」と訊くと、「あー、そんなこともあったなぁ」と、懐かしそうに微笑んだ。

ショーンもかなり話し好きだ。そして他のアイルランド人と同じ、次から次へとよく飲む。

そして「今からどこかセッションができるところに行こう」と僕等を彼の知り合いのパブに連れていってくれた。

彼は弟のようにスーパー・スターではないが、いいアコーディオン弾きだ。僕は2002年だったかな。トニー・マクマホンと一緒にツアーをしていた時会ったことがある。

その時彼はDe Danannのアコーディオン奏者だった。

想い出話しやこれからの話し等に華が咲き、午前1時半頃帰宅。もっとも待ち合わせたのが9時ころだから、そんなもんか。

明日はいよいよ教会でのコンサートだ。Mareka&Junjiという名の知れない東洋人のコンサートにどれだけ集まるだろうか。

それでも、メアリー・バーガンもいるし、いい経験になるに違いない。

2013年 アイルランドの旅 8月4日 快晴

今日はリンゴが僕等をコネマラに連れて行ってくれる、ということだ。「コネマラってどんなところ?」と希花が訊く。「うーん、何にもないところ」

実際、荒涼とした土地が広がり、奥へ奥へ行くとアイルランド語しか通じなくなってくる。P8050424

僕は10年ほど前に訪れたことがある。その時は、雨が降ったかと思ったら、瞬く間に陽の光が差し、そしてまた雨が降る。パノラマのような景色の中には人っ子一人見当たらない。

羊が道路わきにまで出てきて「バァァァ~」と鳴く。そんなところだったが、P8040388きょうは珍しいくらいの快晴だ。でも、おそらく景色は何一つ変わっていないだろう。

車の中でリンゴお気に入りの音楽を聴く。驚いたことに“ライ・クーダー”あり、“ザ・バンド”あり、オールドタイミーからブルーグラスまで、ほとんどぼくが聴いてきた音楽と一緒のものを好んで聴いているようだ。

若い人達とはなかなか盛り上がれない話題も、僕とならいっこうにとどまるところを知らない。P8040389

何故か去年、初めて会った時から僕と希花のデュオをえらく気にいってくれていた。多分、トラッドをリスペクトしている姿をわかってくれたのだろう。

「最近のバウロン奏者は曲も知らないで叩いている。そんなのはひとつの音でわかってしまうんだ。あ、こいつ他人の音聴いてないなって。お前のソロじゃないぞ。お前はなんでここにいるんだ。やめてしまえっていいたくなるよ」

バウロンという楽器で、その名を世界に轟かしている人だ。さすがに見る目が鋭い。やっぱり、リード楽器の人と同じように曲を知っている。P8050430

僕のやりかた(考え方)と一緒だ。

だいたい、曲を知らずに伴奏なんか出来るわけがない。希花も出来るだけたくさんの曲を覚えて、僕がどういう伴奏をつけるか聴きながら弾いたらいい、と僕は思っている。

 

そしてアイルランドに来たらその道のトップの人達からリズムを覚えたらいい。もちろんユー・チューブでもCDでも聴けるけど、生活と密着したリズムだ。

この厳しい自然の中から生まれた音とリズムをいっぱい体に受けて僕等は5時間ほどもコネマラに滞在した。P8050439P8040415

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今日はゴルウェイに戻ってアンドリューとセッションだ。僕がゴルウェイに来ているのでリンゴが呼んでくれたらしい。

そういえば彼のメールに“See u on Sunday”と書いてあった。だから今度の日曜日はまだクレアーにはいかないのに、って思っていたけどこの事だったんだ。

彼の文章はいつも短すぎて難解(南海)ホークスだ。

途中、リンゴが「そうだメアリー・バーガンの家がすぐそこだ。寄ってみよう」という。「こんど教会で一緒にやるし、挨拶できるからちょうどいい」と僕も大賛成。

ティン・ホイスルというとメアリー・バーガンだ。彼女も「最近の若い人は基本を知らずにやっているから、私たちがきちんとトラッドを教えてあげなくちゃいけない」と盛んに言っていた。

教会ではリンゴも一緒に出てくれることになった。

さて、8時。場所はいつものTi Coiliだ。「Andrew!」「Junji!」といつものように大声で呼び合う。

それから先はまた大爆発だ。僕と希花でアンドリューを挟み、希花の横でリンゴがバウロンを叩く。

とどまるところを知らない音の嵐が続く。

アンドリューと演奏するのはすごく好きだ。リズムがたまらない。リンゴは着実にバウロンを叩く。いい伴奏、いい音楽、まさにそのものズバリだ。

興奮もさめやらないうちに1時近くになってしまった。帰りにチキン・バーガーとガーリック・マッシュルーム・フライをテイクアウトしてしまった。

僕のコレステロールは?…先生。

それにしても最高の天気にコネマラ観光ができて、やっぱり僕は晴れ男かなぁ。因みにコネマラになめくじはいなかったので、今日は静かだった。

2013年 アイルランドの旅 8月1日、2日、3日 ゴルウエィ

8月1日 曇り

珍しく早起きしたコーマックがキッチンでコンサルティーナの練習をしている。

「いいリールだね。なんて言うタイトル?」「多分、Kit O’sheaだと思う」「次の曲は?」「これはJohn Brossnanだ」

そんな感じで2時間ほどがあっというまにすぎて行く。

少し降っていた雨もやんだようなので、外に出てみる。今日は特に予定もないので町の様子を見に行くが、この時期のゴルウェイは人でごった返している。

有名なゴルウェイ・レースもあるし、なんやかやフェスティバルが目白押しだ。

町は観光客や、大騒ぎの大好きな若者達でいっぱいだ。こんな日は部屋でゆっくり過ごすのが一番。

パディ・キーナンやジョニー”リンゴ”マクドナーからメールが入った。また忙しくなるかもしれない。

 

8月2日 晴れ

洗濯ものを持って、コーマックと一緒にランドリーに出かける。その後、妹と日本食を食べに行くけど一緒に行くか?と訊かれるが、

僕らはマックでいい、と、そこで別れる。

ついでにちょっとバスキングでもして洗濯代を稼ごう。ここでは20~30分やれば洗濯代くらいには十分なるし、その気になれば晩ご飯代にもなるが、

そこまでの気もないし、早々に引き上げてマックへ。

Wi-Fiがいちばんつながりやすくて長居できるのはマックだ。いろいろ調べなくちゃならないこともあるし。

今晩もゆっくりして今後の計画を練ろう。しかし、すぐ近くにCrainsというよく知られたパブもあるし、今日くらいは行ってみるか、と外に出る。

Crainsは町の喧噪とは少し離れたところにあるので、行きやすい。

店の前につくと2階からブルーグラスのようなサウンドが聴こえて来た。一杯の人をかき分けてのぞいてみると、見た顔がベースを弾いている。

ずっと前にロハウンズでアメリカに来て、その後デシャールやジョセフィン・マーシュ・バンドでも活躍していたベース・マン、ポール・オドリスコだ。

アイリッシュは勿論のこと、ブルース、ジャズ、ブルーグラス、それに渋いボーカルも聴かせるベテラン・ミュージシャンだ。

バンドも女性二人、男性二人、ギター、マンドリン、クラリネットなどを使い、コーラスがばっちり決まった、なんとも独特な音楽を聴かせてくれる。

みんながよく知っている曲などを、いっぱいのお客さんと一緒に歌い、やんやの喝采を浴びている。素晴らしいグループだった。

ポールとは12~3年ぶりの再会を祝して12時半頃帰宅するが、3時頃ブレンダンが来るらしい。くわばらくわばら、早く寝たふりを決め込もう。

 

8月3日 晴れ

夜中にブレンダンが来た形跡はなかった。ゆっくり眠れたようだ。それでも予定を変えた彼が現れたのが11時頃。そのままケリーへ向けて車を飛ばすらしい。彼の場合、すっ飛ばすという表現がピッタリかも。

僕らは今日、リンゴとのギグが6時からTi Coilisである。その前に昼飯でも一緒に食べよう、という話になり、Monroesという、ちょうどコーマックのアパートの隣にあるパブで待ち合わせる。

リンゴはとても面倒見がよく、日本人の多くはアイルランドに行ったら、まずリンゴに連絡したらなんとかしてくれると思っているらしい。

また日本の巷では、初めてアイルランドを訪れる若い人たちに、簡単に「リンゴとコンタクトを取ったらいい」という話まで出ているらしい。

実際には彼にとって少し重荷になりつつあるようだ。「なんとかしてあげたいが、見も知らず人に、今ダブリンに着いたけど迎えに来てほしい、などと急にいわれても困惑してしまうんだよ」

お人好しのリンゴだからこそ抱える悩みなんだろう。

そんな話をしている最中にフランキーが、これから会おう、とメールしてきた。

リンゴにその旨を伝え、6時にTi Coiliで会う約束をして、僕らはフランキーの指定したCrainsに向かった。

現ディ・ダナンのアコーディオン奏者も加わっての2時間ほどのセッションに興じ、6時からリンゴとのギグ。

カレーを食べて別れてから、帰り道にあるアイルランド語パブというコアなパブに寄る。今晩はここでもいいセッションがあるらしい。

若者たちのセッションだが、どうもアコーディオン奏者とブズーキ奏者とは12~3年前に一緒にやったことがあるということだ。

そんなに前だったら彼らはまだ少年だったのだろう。「日本人でこれだけのギターを弾く人はそんなにいないだろう。だから覚えているのさ」

確かにアイルランド人で信じられないくらいの演奏をする子供達はごろごろしている。

しばし、若者のパワーを体に感じて、12時半ころ帰宅。どっと疲れて爆睡。

2013年 アイルランドの旅 7月31日~ ゴルウェイ

7月31日 雨 肌寒い

朝、B&Bで少し音を出させてもらった。雨が降っているにも関わらず、乾いた張りのある音がするのはとても不思議だ。

11時45分のバスで2時頃ゴルウェイに着いた。これからしばらくはコーマック・ベグリーのアパートに泊めてもらう。

なめくじはいないだろう。一応、町のど真ん中だし。コーマックとも久しぶりの再会だ。日本でお世話になった、と感じているのだろう。いろいろ細かく面倒をみてくれる。その辺りもアイルランド人と日本人は似ているような気がする。

しばらくすると妹のクリーナが帰ってきた。僕等と入れちがいに出て行ったので、どこに行くのか訊いたら、泳ぎに行くと言っていた。雨の中を、だ。どうせ濡れるから、それに海の方が暖かいし、と言って出て行ったのだ。限りなくパワフルだ。いちばんブレンダンの血をひいているかもしれない。男ばかりのなかの兄弟のなかで唯一の女の子なのに。

次は一緒に行こうよ、と希花がさそわれたが、なめくじがいるかもしれないし、と訳の分からないことを言って断っていた。

夕方、パブを覗くとデクラン・コリーがやっていた。偶然入ってきたフランキー・ギャビンとも出会った。トイレを借りに来ただけだ。連絡をくれ。また一緒にやろう、と言って出て行った。

僕らも、このパブの裏にあるセント・ニコラス・チャーチで今晩演奏を頼まれている。正式には一週間後の水曜日に、僕等とメアリー・バーガンとのコンサートがあるのだ。

メアリー・バーガンはティン・ホイッスルの代名詞のような人だ。僕等にとっても共演できることは限りなく嬉しいことだ。

これもコーマックが設定してくれた。今晩はコーマックとクリーナの会にゲストとして演奏する。

素晴らしい音の響き。ステンド・グラスからこぼれる光。歴史のある建物の中で、観光客や地元のひとを対象に、夏の間、週3回、各地の有名なミュージシャンが演奏する。ここの牧師さんは、もとディ・ダナンとのツァーにも参加していた凄腕フルート吹きだが、全然そんなことを感じさせない。P8010350

おー、君たちか。よろしくね、と巨体で満面の笑みを浮かべてあっさりと挨拶してくれた。

ここではまた来週やるので詳しくはそのレポートの中で。

とりあえず、ゴルウェイ一日目はゆっくり過ごすことができた。

2013年 アイルランドの旅 7月28、29日、30日 Ennis~Doolin

7月28日 晴 Dingleを12:20のバスで、まずTra-leeに着く。そのころにはすごい雨。待合室のすぐ近くでコーヒーを買い、昨日買ったチョコレート・ファッジ・ケーキと一緒に食べる。あー、コレステロールが…。

ちょっとバスの乗り継ぎが悪く、6時過ぎにエニスに着く。

少しは休むつもりだったが、近くでジョセフィン・マーシュがセッションをしている。そこで、Brogansというパブだが、出かけてみよう。

ジョセフィンとイボンヌ・ケーシーが「あ、来た来た」と出迎えてくれる。15人ほどの質のいいセッションだ。

コンサルティ-ナを弾く小学生くらいの女の子も二人いる。ふたりとも、どこからみてもクレアー・スタイルをきっちり教わっている子だ。

そのうちの一人がディッパーというメーカーの素晴らしいコンサルティーナを持っていた。希花さん、早くも興味津々。なんでも、タッチが軽く、今彼女が使っているものより弾きやすいそうだ。もちろん彼女が使っているサットナーも超一流品だが、かなりパワーが必要な楽器らしい。

こうなるとマーチンを持っていた人がローデンを弾いてみて、これも欲しいな、と思うある種病気みたいなものだ。

でもその病気がどんどん上達していく結果を産むこともあり得る。そうでない人もいるが、彼女の場合、機会があったらどんどんアプローチしていけばいいと思う。

赤嶺君がブズーキを持って現れた。もう長くアイルランドに住む人だ。しばし楽しい話しに華が咲く。とても熱心で一途なひとだ。

結局、彼と別れたのが12時半頃。ジョセフィンもイボンヌもほかのメンバーもすっかり帰った後まで赤嶺君と話し、またフィークルでの再会を約束して別れた。

 

7月29日 晴れ後雨

Doolinに行く時は何故かいつも雨が降っている。それでも出るころにはあがったので、ラッキー。

お昼すぎに目指すMcGanne’sというパブ兼B&Bに到着。テリーが8時過ぎに寄ってくれるので、まず腹ごしらえ。

このパブのシチューは美味しい。パスタも。アイルランドでも数少ない“美味しい”と言える所だ。

夜はO’Connorsというパブで、クリスティ・バリー、ジェイムス(ラストネイム訊き忘れた)とテリー、という去年と同じメンバーによるセッションに参加。doolin

3人とも素晴らしいトラッド・ミュージシャンだ。

テリーはよくこう言う。「この世で本当のトラッド・アイリッシュをやる人間は数少ない。みんなすぐにかたちを変えたがる。今そこら中で聴かれるアイリッシュ・ミュージックは決して本物ではない」

そんな頑固な彼が、必ず僕等を呼んでくれると言うのは本当に嬉しい事だ。若い希花も、見せかけではない本物のアイリッシュ・ミュージックにどっぷりつかることができるのだ。

比較的早く、1時頃帰る。

 

7月30日 晴れたり雨だったり。

しかし、午前9時には晴れる。どうせまた降るかもしれない。晴れているうちに、テリーが薦めてくれたウォーキング・コースを歩いてみよう。P7300293

遠くにモハーの断崖が見渡せるパノラP7300289マのような風景をひたすら歩く。ゆったりした風を体に受け、彼らの音楽を生み出した全ての景色を見ながらのウォーキングは、本当にこの音楽が心の中に染みわたるような、そんな気がする。

1時間ほど歩き、少し休んでからまた同じメンバーでセッションだ。テリ-には本当に感謝している。

 

素晴らしい音楽を、体で感じることの大切さを、そして本当のトラッド・アイリッシュ・ミュージックを教えてくれる彼にまたフィークルで会う約束をして1時頃戻った。

明日からゴールウェイだ。

2013年 アイルランドの旅 7月25日~ Co.Kerry

7月25日 よく晴れていて涼しい。エニスを出て一路ディングルへ。“テスコ”というスーパーでブレンダンと待ち合わせている。

相変わらずパワー全開のブレンダンが「家にサーモンがあるからみんなで食べよう。みんなといっても、もう子供たちもそれぞれ違うところに住んでいるし、俺しかいないけど」と言う。

じゃあご飯でも炊いて久々に塩ジャケでも食べるか。すでに日本食が恋しくなっている。「内緒だけど、海で釣ってきたやつだ」と自慢げに話すブレンダンも、ずっと前からだが結構日本食には興味を示している。

寿司も作ってくれという彼の要望に応えたいが、まず安全性から確かめなくては。一応冷凍はしたようだし、見たところ大丈夫そうだ。後は購入してきた醤油と米酢。のりは彼が前に買ったものがあるといってだしてきたものが、“のり”とは言い難いものだったが、仕方ないだろう。これを使って得意のサーモン・スキン・ロールでも作ってあげよう。

しかし、問題は包丁だ。アイルランドのどの家庭でも、切れる包丁に当たったことは無い。それから最も大事な衛生面だ。

泥んこの靴のまま家の中に入ってダンスをする人達だ。

一応、まな板と呼べそうなものを熱湯消毒し、洗剤で洗って、さらに熱湯消毒し、サラも包丁も洗い直してからでないと病気にでもなったら 大変だ。

まぁ、彼らなら大丈夫だろうけど、なにせ食べつけない食材だし。P7270242

白身のチキンのピーナツソース和えと、じゃがいもとアボカドのサラダを添えて、それでも豪華な食事ができた。P7270256

今日7時半からDingleの楽器屋さんでコンサートをやるのだ。ダンスもあり、ブレンダンと長男ブリアーンとのデュオあり、店のおやじのアコーディオンあり、僕と希花の演奏ありで、約2時間。

30人ほどのお客さんだが、さすがに地元だ。拍手の大きさが日本での100人規模のコンサートくらいで、みんなにこにこして体を乗り出して、リズムを刻みながら聴いている。

ところで、店のおやじと一緒にフィドルを弾いたのが、かの有名なるフィドラー兼コンポーザーであるMaire Breatnachだと知ったのは次の日になってからだ。そのあとセッションにまで一緒に行ったのに。

12時頃、真っ暗なブレンダン家に到着。山に囲まれた牧草地のあちこちから羊の鳴き声がときおり聞こえてくる。家のあかり以外は辺り一面真っ暗闇だ。

外からブレンダンの大声が聞こえた。「おーい、ふたりとも出て来いよ。ドラゴンがいるぞ」

何事かと思って外に出てみると、つい2時間ほど前に暗くなった空に月があがり、浮かんでいる雲がドラゴンのような形をしているのだ。それでも段々崩れていくその雲を観て大笑いする彼はまるで無邪気な子供のようだ。

しばし、静寂と暗闇の中、空を見上げる3人。時計は1時をまわっていた。

 

7月26日 晴れ時々雨

8時半に起きてブレンダンが1時間ほど走ろうというので、勿論!と言ってついて行った。希花さんはまだ夢の中だ。

羊の糞を踏みながら、大西洋を見下ろす丘を越え、山を目指す彼はこのコースを走り慣れているのだろう。こちらにとっては山登りという感じだ。P7270239

よく晴れている大空と広大な大地。人ひとりいない草原とそびえたつ山。眼下には大西洋の波が岩肌にしぶきを当てている。

僕らの愛してやまない音楽が生まれたところだ。

 

戻ってきてシャワーをあびると、半ズボン一枚になったブレンダンが「さぁ、山に音楽を捧げるぞ」と言って、やにわにアコーディオンをかついで裏庭に座った。

ちょうど正面に山がある。そこに向かってエアーやポルカを弾くブレンダン。こんなシーンを見てしまうと、やっぱり生半可にこの音楽は出来ないな、と思ってしまう。

その騒ぎに希花さんも起きてきた。ちょうどよい。このシーンは絶対に見ておくべきだ。日本から来るアイルランド音楽を目指す人達の多くが触れることのできないシーンかもしれない。そしてもっとも大切なシーンのひとつだ。brendan

昼から3人でディングルへ出かける。コーヒー・ショップで地元の人達と会話に興じて家に戻り、晩ごはんの最中にとんでもない計画が持ち上がった。

3人でボートにのって海に出ようというのだ。ボートは庭に置いてある。よく観光地で湖に浮かんでいるくらいのおおきさの、もっと頑丈そうだがボロボロのやつだ。

どうやらそれにのって大西洋に出るらしい。P7270263

「ここに二人分ライフジャケットがあるから着けたらいい。じゃいくぞ」ちょいちょいと車に接続していざ出発。希花さん恐怖。

船着き場でウエットスーツを来た彼の友人が写真を撮りたいから一緒に乗せてくれるか、と尋ねる。プロのカメラマンらしく、水平線の写真を撮りたい、と言うのだ。

「3人乗りで4人乗った試しは無いけど…」といいながら小さくて細い希花を見て「大丈夫だろう。そのかわり絶対に立ちあがらないこと、重心は常に真ん中だぞ」と言って船を出す。

希花さんぴゃーぴゃー。ブレンダンは物凄い腕力で沖を目指す。「ブレンダン!もういい!ここで充分!もういい!」とひたすら叫び続ける声を無視して沖へ沖へと。そろそろ海も暗くなりかけているが、まだまだ美しい空と水平線がきれいに見える。波はそれなりにある。僕のうしろからぴゃーぴゃー声が聞こえる。

ブレンダンが糸を垂らすと、あっという間に30センチほどのたらが釣れた。慣れたものだ。さぁもっと行ってみよう、とブレンダン。ぴゃーぴゃーはさらに大きくなる。P7270278

カメラマンが希花に水平線を見れば絶対に酔わない、と教えてくれる。遠くに見える岩肌なんか見てると酔うから、とにかく水平線を見ていなさい、と。少しぴゃーぴゃーが治まった。

段々暗くなってきた。雨も少し落ちてきた。やっと帰る気になったブレンダン。船着き場に到着すると先ほど釣れた魚を不器用に3枚におろしアイスボックスに入れた。明日、娘のクリーナに会うからこれをクックして食べさせると言うのだ。良かった。これで寿司を作ってくれと言われなくて。

しかしこれもいい思い出になった。希花さんにもそうだろう。ここからも力強い音楽が生まれているのだ。

アンドリューからメッセージが入った。8月11日、フィークルのペパーズでギグらしい。彼のメッセージはいつも短い。

じゃ、その日か前の日に会おうぜ、と僕も短いメッセージを送って眠りに就いたが、まだ体が揺れているようだ。

 

7月27日 晴れ時々雨

11時からレコード店(前日とは違う所)でちょっとした店の宣伝を兼ねた演奏を3曲やってそれを撮影させて欲しいという店主のおばちゃんの要望があり、出かけて行った。

ちょうどエニスのカスティーズでの撮影のような、もうちょっとそれよりも店の宣伝ぽい感じだが。

11時からと張り切って言っていたおばちゃんは11時半になっても現れない。「いつもこうなんだよ」とブレンダン。そういえば彼は時間には正確だ。

やっと来たおばちゃん。「さぁ、始めましょう。タイム・イズ・マネーよ」ここはつっこむところだ。「あんたが言うか!」

無事終了のあと、今日は4時からシェーマス・ベグリーの息子でコンサルティーナ奏者のオーインとの演奏がSmall Bridgeというパブである。

そのあとはブレンダンの長男ブリアーンとオーインがシェアーしているアパートに泊めてもらうのだ。

コンサルティーナ、フィドル、ギターの三人の演奏は心地よい。オーインもかなりの腕前だ。3時間ほど演奏していい気持になり、戻ってから豚の生姜焼きを作って「トンとご無沙汰」なんていいながら食べて、気持ちよく寝ていたら、11時ちょっと前にブリアーンから電話。慌てた様子で「Mighty Sessionというパブに今から行って希花とふたりで演奏してくれ。今日オーインとやったところの隣だ。金はちゃんと出る。いますぐ行ってくれるか?」

慌てて「なんだかよく分からないけどギグらしい」と希花を起こした。歩いて10分ほどのところだ。雨が結構降っているがなんとかなる。

行ったパブは結婚式のアフターパーティでもしていたのか、30人ほどの若者が思い思いのコスチュームで大騒ぎしている。

バーテンダーに「おい、まさかここでやれっていうんじゃないだろうな」と聞くと「ま、ここでだ」と向こうも悪そうに言う。

「状況を見てから早く帰ってもいいぞ」というので「金は出るんだろうな」と確かめて取りあえずスタートする。

奥の30人程は大騒ぎしているが、手前の人達は興味を示してくれている。しかしこんな状況なのでオーナーが1時間で開放してくれた。それでもお金はちゃんともらえた。Co.Kerry最後の夜、またまたあまり出来ない経験ではあった。

2013年 アイルランドの旅 7月23日~24日 ダブリン~エニス

7月23日、くもり。気温16度。今ごろ日本はとんでもない暑さだろう。こうして時間はかかれども空を飛んで海外に来れるなんて、ライト兄弟に感謝だ。

ダブリン空港に着くと示し合わせた様にギターが出てこない。

去年と同じようにケース全面に大きく「DUBLIN」という紙を、ごていねいに裏にも表にも貼っておいた。

チェックイン・カウンターでも、乗り換えがあるので充分気を付けるように言っておいた。ただ、日本人相手なら間違いない事は分かっている。

飛行機の中では、さすがJAL系列だ。CAの人に事情を話すと、パリのドゴール空港に電話して乗り換え便を間違えないよう、パイロットから連絡を入れてくれる、という。

ここまでは日本人相手だ。

ここから先はもう人間相手ではない。

そこまでしてくれたのにやっぱり僕等と同じ飛行機には乗っていなかったのだ。猿なみだ。

だがダブリンの空港の荷物係の女性がとても熱心になってくれて、結局、僕らが移動するエニスに10時間ほど後にタクシーで届いた。

取りあえず、そんなこんなで疲れたのでその日は爆睡してしまった。

 

7月24日 エニス。雨。気温15度。

明日からDoolinに行くつもりでTerryと電話で話したが、彼は今Kinvaraというもう少し北のCo.Galwayに住んでいるという事だ。でもDoolinにはセッションで必ず出て行くから会えるらしい。

少し仕切り直しを、と考えていると誰かから電話だ。「おーい、じゅんじ。仕事だ。Kerryまで明日来い」ブレンダン・ベグリーだ。

ちょうどいい。今日が水曜日。テリーがDoolinで誘ってくれたのが月曜、火曜だ。それまでブレンダンのところに居ればいい。上手い具合に予定が立った。

こうなったら、少し楽器もひいておかなくちゃ、と思い、近所を見渡すと、むかしアンドリューと何度か一緒にやったキーランズというパブがある。たしか去年ジョン・キングとやったのもここだ。その時オーナーがぼくのことを覚えてくれていた。

よし、ここでやらせてもらえないか頼んでみよう、と思ったところ「おー、来たか。二人で好きなだけ飲んでいいぞ。そこのテーブルでやってくれ」

日本のアイリッシュ・パブの迷惑そうな対応とは違う。大体、飲み客にとって訳の分からないトラッド・アイリッシュが日本の場合迷惑なんだろう。アイリッシュ・パブなのに。

店に勤めている人もほとんどが“いけいけ、いぇいいぇい音楽”がいいのだろう。アイリッシュ・パブなのに。

8時から2時間ほどやらせてもらい、少しだけ飲ませてもらい(まだ時差ボケなのでご勘弁を、といって限りなく出てきそうなギネスを断った)そのままブローガンズにいくと、大きなセッションの中にオーイン・オニールとイボンヌ・ケーシーがいてにっこりここに入れよ、と合図をくれるが、あまりに沢山の人なのでひとまず挨拶だけにしておいた。

通りを歩いていると軽快なバンジョーの音が聴こえて来た。

窓越しに中をのぞくとこちらに気が付いたマーカス・モロニーが入ってこい、と首を振る。5~6人の質のいいセッションだ。

なんともうひとりのバンジョー弾きは前々から観たかったデシ・ケリハーではないか。それにフィドラーはシボーン・ピープルだ。こちらは希花のアイドルの一人。

それにサラ・コリーもいた。

1時過ぎまで一緒にやって、戻った。

みんな、いい友達だ。

旅の初めにふさわしい、いい音楽といい出会いがあった。

明日からCo.Kerryだ。

近況

暫し新しいCDの録音で忙しく、コラムもあまり更新していませんでした。おかげさまで形になりそうです。

今回はMusic in the Airでの、ギター、フィドル&ハープに加え、バンジョーもコンサルティーナもボーカルも、ちょっとだけマンドリンも入っていてにぎやかです。

そして、もうすぐアイルランドへ行くので、また暫くお休みしますが、帰ってきたらアイルランド紀行をお楽しみにしていてください。

帰ると同時に京都へ行き、それと並行してCDのジャケット製作にはいらなければなりません。

なので、更新も少しゆっくりになるかもしれませんが、気長におつきあいください。

そういえば、アイルランド紀行で想い出しましたが、週刊朝日で「司馬遼太郎の街道」という連載をやっています。そこに希花さんが登場します。こちらも“乞うご期待”です。

それでは、留守の日本をよろしくおねがいします。

Irish Music その26

The New Mown Meadow/The Bag of Spuds (Reel)

 

★  The New Mown Meadow

“O’Neillの本ではThreepenny Bitというタイトルで掲載されている。Bパートで転調するとてもエキサイティングな曲だ”

★  The Bag of Spuds

“この曲をくっつけたのは、サン・フランシスコに住むパイプ奏者のTodd Denmanだ。素晴らしい録音を古くからの友人であるDale Russと共に残している。この2曲のセットが入っているのは、消防士でフィドラーのBill Dennehyとのアルバム「Like Magic」だ。このアルバムでは、同時にGerry O’Beirneの素晴らしいギター・プレイも聴くことができる”

 

Byrn’s/Cronin’s (Hornpipe)

★  Byrne’s

“とてもポピュラーな曲で初心者向きでもある。むかし、De DannanがWill You Merry Meという唄とひっつけてやっていた。75年くらいのアルバムだったか”

★  Cronin’s

“Dennis MurphyかPaddy Croninで有名な曲。これも比較的初心者向きであろう。よく知られたメロディだ”

 

Poppy Leaf/O’Callaghans (Hornpipe)

★  Poppy Leaf

“あまり知られていない曲だが、美しいメロディだ。僕はKieran Hanrahanのプレイから習った。Brian Rooneyの演奏も素晴らしいというはなしだが、まだ聴いたことが無い。たしかFrankieもすごいスピードでやっていたと思う”

★  O’Callaghan’s

“Mickey Callaghan’sとしても知られる曲。BパートでEmにいくところが非常に魅力的な曲だ”

Irish Music その25

Killavil/Paddy Canny’s/Drag Her Round the Road/John Brady’s (Jig/Reel)

★  Killavil

“比較的有名なジグだ。Killavilは、かのMichael Colemanが生まれた場所。Co.Sligoにある”

★  Paddy Canny’s

“前曲とのつながりが良く、Tipsy House時代からやっていた曲で、とてもムーディな響きがある”

★  Drag Her Round The Road

“ジグからリールと、リズムが変わるが、音の関連性があるため非常にスムーズに繋がる。これもTipsy House時代から組んでいたセットだ”

★  John Brady’s

“僕らは最後にこれを付けてみた。Gの曲だが、頭からCで始まる。ただ最初の一発がCであるだけなので、そんな時リード奏者は伴奏者にCと伝えるがすぐにその次のGを把握するかが伴奏者の度量である。ましてや聴いたことが無かったりしたら、勘で行くしかない。しかし次のパートでは、もう勘では許されない。確固たる理由が必要となるため、曲の把握は即座におこなわなくてはならない。伴奏者の難しい、そしてやりがいのあるところだ”

 

Sgt. Early’s Dream/Blocker’s/Dan Breen/ Palmer’s Gate

★  Sgt. Early’s Dream

“いつ覚えたか定かではないが、多分Dale Russの演奏で聴いたのが最初だったか、それ以前から知っていた曲かもしれない。マイナー調のとてもいいメロディの曲だ。

★  Blocker’s

“これは明らかにDaleのセットで覚えた。この繋がりはとてもいい。ただ、これを書いたのはTipperaryのフィドラー、Sean Ryanで、オリジナル・キーはGらしい。その後なぜかFrankie GavinがDで演奏してからそのキーで知られるようになった、ということだが、僕らもDでやっている。とにかく前曲との繋がりがいいのだ”

★  Dan Breen

“West Clare Reelとしても有名な曲。僕らはAmとBmの両方でやっている。この曲に関して僕は、かの名曲「Summer Time」でよくつかわれるコード進行を利用している”

★  Palmer’s Gate

“LeitrimのJoe Liddyのペンになる曲。Darvishの演奏で有名かも知れない。Maj7thが多用できる若者向きの曲のような気がする”

Irish Music その24

Tom Ward’s Downfall/Hunter’s Purse/Dinny O’Brien (Reel)

★  Tom Ward’s Downfall

“Jody’s Heaven当時から演奏しているセットの最初の曲で、かなりポピュラーなものだ”

★  Hunter’s Purse

“これも、誰もが知っているくらいの曲だが、最も衝撃を受けたアレンジメントはギタリストのArty McGlynnによるものかもしれない。エレクトリック・ギターとパーカッションを駆使した独特なサウンドとリズムで、僕はこの音楽を始めた当初からよく聴いていた。Bパートのコード進行は今までに無かった独特なものだ”

★  Dinny O’Brien

“Co. Tipperary出身のPaddy O’Brienが父親Dinny(フィドラー)のために書いた曲とされる。ロビン・ピトリーも大好きだったとてものりのいい曲だ”

 

 

The Boys of the Lough/The Tap Room/The Galway Rambler (Reel)

★ The Boys of the Lough

“有名な曲だ。1930年代のEd Reavyのものが最も知られるかたちだが、他にもPaul BrockやThe Boys of the Loughの演奏で知られている。僕らは僕の以前のバンドである、

Tipsy Houseのアレンジからこのセットを演奏している。

★  The Tap Room

“Mary MacNamaraの演奏でよく知られるが、The Tap Room Trioの演奏が一番だ、という人も多い。僕は先の曲から2小節空けて(ギター)この曲に入るやり方を創り上げて大層受けたものだ”

★  The Galway Rambler

“この曲をひっつけたのは僕だ。先の曲からの音の繋がりはとてもスムーズだと思う”

Irish Music その23

Gentle Dentist (Reel)

★  Gentle Dentist

“この曲を覚えたのはHarry Bradleyの演奏からだった。ある朝Athenaから電話があり、今度、若いフルート奏者と一緒に行くからギター弾いてよ、と言ってきた。そしてやってきたのがHarryだ。30分ほど練習して、4日間のツアーに出た。彼らについてはコラムで既に書いている。最初聴いた時にはBパートの不思議な進行に耳を疑った程に変わった曲だ。希花も同じことを言った。レコ―デイングされたものはおそらくひとつしか存在しないくらいポピュラーではない。Desi Wilkinsonの作。アイルランドに親切な歯医者なんていない、という人も多いが…。僕は生れてこのかた、出来た虫歯は1本しかない。それもつい最近。そしてすぐに治った。Gentle Dentistは希花には必要な歯医者さんかもしれない”

 

70th Year (Jig)

★  70th Year

“これはかなり変な曲だ。CapercaillieのCharlie Mckerronのペンになる。以前レコーディングしたことがあったが、希花にこんな変な曲があるけど、何故か結構“くせ”になる、と言って教えたところ、やっぱり“くせ”になったようだ。Fから始まってBパートはDになる。おまけにメロディがなかなか考えられない進行で、これ以上変な曲は、なかなか存在しないだろう、と思われる曲だ。上記のGentle Dentistと合わせて変な曲を2曲掲載してみたが、どちらも僕らの頭の中から離れない。と言うことは、いい曲なんだろうか”

 

 

Humours of Ballyconnell (Hornpipe)

★  Humours of Ballyconnell

“いつどこで、また、誰が演奏していたか全く記憶にないのだが、変なメロディが長い事頭から離れなかった。そんなわけで僕らも音楽会では1回、あるいは2回くらいしかやっていない。しかし、これはトラッド好きにはたまらない変わったメロディ。常にレパートリーのひとつとして覚えておきたくなるようなものだ”

 

 

今回はあまり演奏したことがない、ちょっと変わった曲を掲載してみた。僕と希花は幸運にも音に関して好みが似ているので、変なのに好きになる曲、どうしても好きになれない曲、物凄く好きな曲、など、レパートリーも選びやすい。

レパートリーは多いに越したことはない。そして、それら全て正確に覚える必要がある。(あくまで僕の考え)その上、厄介なのがリズムだ。弾く人の出身地などによっても変わってくる。

最近思うことだが、これはもう生活のリズムだろう。幸運にも僕はアンドリューと寝食を共にし、パディ・キーナンやフランキー・ギャビンといったような超大物とかなりの間共にツアーをしている。あの面倒くさかったトニー・マクマホンとも何日も共に過ごして対等にやりあったし、彼らの生活のリズムというものも垣間見ることが出来た。

僕がアイルランドで希花にいろいろな演奏家を紹介するのも、ただただこの音楽を勉強するためだけではない。彼らの話しを聞いたり、一緒に食事したり、彼らの大切な自然の中を一緒に歩いたり、そういうことが大事だと思っている。

しかしここまでくるとちょっと可哀そうな気もする。深く彼等と付き合えば付き合うほど、この音楽の素晴らしさに惹かれてしまう。もっと簡単に気軽に楽しめれば良かったかもしれないのに。

でも、それはそれでいいだろう。希花も音楽に限らず適当な気持ちで物事に対処できない性格だし。

希花が生まれるよりはるか前、僕はヴァージニアで毎朝ジャネット・カーターの作るグレイビービスケットを食べ、ジョー・カーターと共に農作物を植え、川にボートを浮かべて晩ごはんのナマズを釣って、夜には村の集会に出て演奏した。

本当の意味でのオールド・タイム生活を垣間見たものだが、それはアイルランドでの生活とほとんど変わりはない。かけがえのない経験だ。

希花にも、もっともっと経験してもらおう。なめくじの一匹や二匹でピャーピャー言っているようでは…しかし、それでよく解剖なんて…と言うと、解剖でなめくじは出てこない、と言いやがるし、なかなか一筋縄ではいかないが、いいフィドラーになってほしいので我慢がまん。

城田純二ソロアルバム「Music From Distant Shore」 残りわずか

「Music From Distant Shore」

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2010年にリリースした城田純二ソロ・アルバムですが、残りわずかとなり、このホームページ上からの販売をいたします。

坂庭省悟との演奏でお馴染みのDa Slockit Lightのギター演奏からはじまる、全体的には

テナー・バンジョーのアイリッシュ・チューンがメインのアルバムです。

ベースに河合徹三さんを迎え、さらに珠玉の一曲として、パディ・キーナンがロー・ホイッスルを吹いています。アイルランドの至宝、パディ・キーナンをして「このトラックを俺のアルバムに入れたい」と言わしめた迫真の演奏が入っています。

また、彼の生い立ちの話しの中から生まれた、城田純二オリジナル曲、Paddy’s Napも収録しています。

オーダーはこちらのページから→10strings CDs

Irish music その22

Sailor on the Rock/Last Night’s Fun/Toss the Feathers(Reel)

 

★  Sailor on the Rock

“これは2001年にAndrew MacNamaraとレコーディングしたことのある、僕の大好きなセットの最初の曲。80年代にかなり人気のあった曲らしい。古くはEast Galwayの伝説的音楽家であるEddie Moloneyの演奏が有名だが、Frankie Gavinのそれは明らかに同じ地方の出であるEddieから習ったものだろうと言われている。因みに彼の息子であるSean Moloneyも演奏している”

 

★  Last Night’s Fan

“Joe Cooley’s #1ともKilloran’s Reelとも言われている、出どころが分からない曲だが、とても人気が高い”

 

★  Toss the Feathers

“様々なバージョンがある。最も有名なのはEmのバージョンだが、僕はそのBパートがあまり好きではない。Solasのバージョンもあるが、日本のプレイヤーたちにはこの二つが有名だろう。ここに登場するのはクレアーバージョンだ。最もすきなメロディ。この3曲をレコーディングした時Andrewはなにも言わずに目をつぶったまま弾き始めた。なにが出てくるかわからないままに進行していったが、キーはすべてDである。最後の曲を弾き始めた時、僕はまだこのバージョンをはっきり知らなかった。どこかで聴いたことがあるな、と思いながら弾いていて3まわり目くらいからToss the Feathersだと思ったものだ。Andrewと出会ってから9年目くらいの時。クレアのリズム、タラ・ケイリ・バンドのリズム、Andrewのたたきだすリズムは胸に響く”

 

 

Holly Bush/The Boy on the Mountain Top(Reel)

 

★  Holly Bush

“これも同じころTerry Binghamとレコーディングしたセットだ。Finber Dwyerの作。Terryのコンサルティ-ナ・プレイには心がこもっている。見た感じ、少し体重オーバーのシルベスタ・スタローンだが、めっちゃやさしい。彼についてはコラムの別な項目でも触れている。毎年アイルランドはドゥーランで一緒に演奏する希花も、最も好きなミュージシャンのひとり。シャイなわりに話し好きでもあるし、トラッドの本当の姿を音で教えてくれる素晴らしい演奏家だ”

 

★  The Boy on the Mountain Top

“この2曲のセットは何故か頭から離れない。いいメロディだ。この曲はもしかしたらフルート・プレイヤーに向いているかもしれないが、シングル・リールの美しいメロディをTerryが軽やかに聴かせてくれた。The Boy on the Hilltopとも言う”

 

 

The Cuckoo’s Nest (Hornpipe)

 

★  The Cuckoo’s Nest

“僕らはPaddy Keenanから習っているが、僕はブルーグラス時代、よく演奏した。あの時は今演奏している3パート目から入り(少しメロディは違うが)2パート目(ここも少し違う)を演奏した。その2パートの繰り返しだった。John HartfordやNew Grass Revivalで覚えたものだが、アメリカに渡って変化したものだろう。また面白い事にJackie Tarというタイトルも付いているが、僕らは全然違うJackie Tarをファースト・アルバムでレコーディングしている。もうなにがなんだかよくわからない、というところもトラッドの面白いところではある”

Irish Music その21

The Graf Spey/Paddy Fahy’s #25/Never Was Piping So Gay/Hut in the Bog

 

★  The Graf Spey

“1884年に出版されたScottish dance Collectionの中にThe Rothiemurchus Rantとして記載されている曲だろう、といわれる。かなり古い時代にアイルランドに渡ったスコットランドの曲のひとつらしいが、僕はクレアにいた時に最もよく聴いた曲だ。多くの人が何かあるごとに演奏していた。キーは普通Cである”

 

★  Paddy Fahy’s #25

“結構難易度の高い曲だと思うが、希花がとても上手く弾く。こういう曲を弾くと、どこかAthena Targisと似ている。かつての彼女の相棒、Laura RiskとAthenaをたして2で割ったような感じかもしれない。そう言えば、僕自身は希花のフィドル・プレイはNollaig Caseyの音に似ていると思っていたが、ある時ジョン・ヒックスが偶然にも同じことを言ったのには驚いた。みんな素晴らしいフィドラーだ。彼女たちに似ている、というのは大きな賛辞だ。若いうちはそんな風にいろんな人に影響を受けて、やがて自分のスタイルを見つけ出していったらいい”

 

★  Never Was Piping So Gay

“Ed Reevyの作。このタイトルはW.B YeatsのThe Host of the Airという詩の最後の一節から取っているらしい。これもかなり難易度の高い曲だと思う”

 

★  Hut in the Bog

“Paddy Killoranの作でOn the Road to Lurganだ、という説、更にキーはEmだ、という話があり、普通Amでやることが多いこの曲のことを調べていたら、どうやらThe Cashmere Shawlという曲ではないか、というところに到達した。ただ、この曲は長い事Hut in the Bogとして知っていたのだ。Andrewのバンドの一員としてツアーしていた時に彼から習い、「タイトルはHut in the Bogって言うんだ」と教えてもらった。アイリッシュ・チューンではよくあることなので、こんな風にいろんな角度から曲のことを知っておくに越したことは無い”

 

Letter to Peter Pan(Air)

★  Letter to Peter pan

“Liz Carroll作の美しい曲で希花のお気に入りだ。自分のブログのタイトルにも使っているくらいに好きな曲。確かにどこかメルヘンの香りがする”

 

Air Tune/MacLeod’s Farewell (Air/Reel)

★ Air Tune

“Liz Carrollの作。とてもきれいな曲で、単独でもいいが、僕らはそんなに速くないリールを後に持ってきている”

 

★  MacLeod’s Farewell

“多くの人がWedding Reelという名前で覚えているだろうが、それはLunasaの影響である。本当のタイトルはMacLeod’s Farewell (written by Donald Shaw)という。作者はCapercaillieというバンドのメンバーでキーはEで書いた、ということだが、Sean Smyth以来みんなDで演奏する”

Irish Music その20

The Oak Tree/The Foxhunter’s(Reel)

 

★  The Oak Tree

“僕がこの曲を初めて聴いたのは、おそらくDick Gaughanのアルバムだっただろう。スコットランドのシンガーである、彼のギター・アルバムだった。後年彼と同じフェスティバルに出演する機会があったので、ミーハーにも、少しだけお話させてもらったが、いかつい風貌から想像もつかないくらいに穏やかそうな人だった。美しいメロディを持った、3パートのリールで、多くの人が(しゃれではない)演奏している”

 

★  The Foxhunter’s

“これはThe Bucks of Oranmoreと共にエンディングに持ってこいの曲だ。GかAで演奏される。どちらで弾くのがよりよいか、という事に関する意見交換などもよくあるらしいが、Andrew MacNamaraとの演奏では交互にやった。それはそれは盛り上がるやり方だ。

フィドルではJames KellyやSean KeanがAEAEというチューニングで演奏するらしいが(勿論、キーはA)これはまるでBlack Mountain RagをAEAC#にチューニングする、ブルーグラスでの手方に似ている”

 

The Green Fields of Glentown/Tamlin/The Mouth of Tobique (Reel)

 

★  The Green Fields of Glentown

“初めて聴いたのはSilly Wizardのアルバムだったが、かれらは3パート目を抜かしていた。‘92年頃のことだ。セッションで弾いたら「あんた、Silly Wizardでおぼえたんでしょ」と誰かに言われたもんだ。Tommy Peoplesの作になるとても魅力的な曲で、典型的フィドル・チューンと言えるだろう”

 

★  Tamlin

“West Coast Seamus Eaganのバンジョー教則ビデオの最初の曲だ。彼はソーラスのSeamusとは違う。当時、オレゴンに住んでいたバンジョー弾きで、非常にパワフルなヒッピーである。Dale Russが最近、自転車に乗った彼を見たらしいが、あのぴちぴちのパンツだけはやめて欲しい、と言っていた。彼のことを僕らが呼ぶ時はこう呼ぶ。Seamus Reel Eagan。Reelを弾かせると、物凄く太い腕で、まるで大砲のような音量で、機関銃のように弾くからだ。Tamlinは初心者にもとても親しみやすい曲である”

 

★  The Mouth of Tobique

★  “この曲を初めて知ったのは、ジョン・ヒックスのプレイからだと思う。セッションでは大受けに受ける曲だ。作者は分からないが、カナダのTobique Riverというところで、Fiddlers on Tobiqueという集まりがあるそうだ。そんな意味でも典型的な、フレンチ・カナディアン・チューンのような気もするが、何故かTexas Quickstepというタイトルもついている。日本ではシャロン・シャノンの演奏で有名になった曲だろう。これをよく演奏していたころの彼女のバンドのフィドラーはAthena Targisだった。そういえば、彼女とあと数人の若者とセッション・サーフをしていたころから、彼女の得意曲だった”

Irish Music その19

Jug of Punch/Eddy Kelly’s (reel)

★  Jug of Punch

“この曲はかなり前にDale Russと演奏していたものだが、後年になって、John Williamsの素晴らしいアコーディオンプレイで聴いて以来、ずっと演奏している。もっとも彼はEmでやっていたが、オリジナル・キーはDmのようだ”

 

★  Eddy Kelly’s

“前の曲とのセットとして演奏する人が多い。EddyはCo.Roscommonのフィドラーで、この曲を1966年頃に10分ほどで書きあげた、という話だ。普通のリールテンポより少し遅いくらいのスピードが良い、という人もいっぱいいる。実際に美しいメロディを持った曲だし、それも確かなことだ。最初のころの録音物ではシングルで演奏されているのもそんな理由かもしれない”

 

Galtee Hunt/Stolen Apple (Set Dance/Waltz)

★  Galtee Hunt

“Clannadの演奏でかなり前に覚えた曲。ちょっと変わった拍数で覚えにくい曲である。

でも、なんとも言えない、初めはなんとなくダサいと思える曲でも、やりはじめるとくせになるような曲がたまにあるが、これもそのひとつかもしれない”

 

★  Stolen Apple

“Lunasaがやって有名になった曲。Slip Jigだという人もいるが、ワルツとして考えたほうが分かりやすいかもしれない。Grey Larsonによって書かれた可愛らしい曲。彼とはアメリカで一緒に演奏したことがあるが、セッションにヒョコっと現れて、「Hi, I’m Grey」

と言ったので「Hi, I’m Red, and This is Green」なんて言ってしまった。まさかGrey Larsonだとは思わずに。とてもいいフルート奏者兼コンサルティーナ奏者だ“

 

The Stage/The Messenger (Hornpipe)

★  The Stage

“僕自身はJames KellyやPaddy Glackinの演奏で覚えた曲。聴いたところ、かなり難しそうだが、希花がいい感じで弾いてくれる。日本ではあまり聴くことが無い曲だ”

 

★  The Messenger

“この曲はシアトルに住むJoel Bernsteinによって書かれた美しいものだ。Joelはシアトルに行くと、必ず一緒に演奏した仲だ。バンジョー、フィドル、コンサルティーナ、そして彼の代名詞でもあるハーモニカを全部自転車に積んでシアトル中を走り回ってセッションに出かける。そう、彼の昼間の仕事はバイク・メッセンジャーなのだ”

 

Jackson’s/Come West Along the Road (Reel)

★  Jackson’s

“Frankie Gavinの演奏で覚えた曲だが、本当にこのタイトルかどうかがわからない。しかも、2曲のメドレーであるが、ただJackson’sとしかクレジットされていない。しかし、フィドラーにとってはやりがいのある曲だと思う。

 

★  Come West Along the Road

“Gで演奏されることが多いようだが、僕らはAでやっている。Martin Hayesの演奏でもよく知られるポピュラーな曲”

 

Young Tom Ennis/Langston’s Pony (Jig)

★  Young Tom Ennis

“これは非常に変わったタイトルを持つ曲だ。このタイトルで知ったのはTony MacMahonの演奏からだが、本来はThe Banshee’s Wail Over the Mangle Pitという。Martin Hayesも不思議に思ってPaddy O’Brienに、一体このタイトルはどこから出てきたものかを尋ねたことがあるらしい。しかし、詳しい事はわからない。一説によると本来The Banshee’s wailらしいがPaddy O’Brienが後からOver the Mangle Pitを付け加えたようだ。どちらにせよ、多くの人にはYoung Tom Ennisのほうが簡単かもしれない”

 

★  Langston’s Pony

“古くはThe Moving Heartsの演奏で聴いた覚えがある。Moon Coin Jig という曲と、ある意味酷似しているので、メロディ楽器は大変だ。そういう意味でも伴奏者が曲を知らなければいけないことになる。同じような伴奏をしていたら惑わされてしまうだろうし、曲にも変化が出なくなる。こういう曲のひとつひとつの音にしっかり即した伴奏をすることが僕の信条だ”

思い出 ~プラモデル編~

多分、小学校の4~5年くらいから凝りだしたものだろう。子供のころ「丸」という本を読みあさっていた。丸は日の丸の丸だったろう。1948年から出版されていた月刊誌、ということだ。

激戦地から戻ってきた父親に色々なことを聞きながら…。彼は最初サイパン島に配属になった。もしそのままサイパン島にいたら、今の僕はいなかったかも。

ともかく、後にトラック島に配属が変わったそうだ。だから、なんとか生き残って帰ってきたが、かなりの激戦地であったことに変わりはなさそうだ。

戦艦大和がトラック島に寄港した時には、まるで山がひとつ増えたようだった、というような話しを聞いた覚えがある。

グラマンの操縦士の顔が見えるほどの至近距離での機銃掃射の話し等、子供の僕には実感のない、ただただかっこいい話しに聞こえたもんだ。

そんな中でプラモデルに興味を持ちだしたのは、やっぱり零戦からだろう。あの美しさはとても言葉では表せない。

世界的に見ても最も美しい飛行機のひとつだろう。僕がよく作ったのは日本のものでは隼、紫電改、アメリカものではP-51ムスタング、カーチスP-41、P-38ライトニング(山本五十六の搭乗機を落とした)他にはドイツのメッサーシュミット、フォッケウルフ イギリスのスピットファイヤー、そこら辺が戦闘機では圧倒的だった。

爆撃機でもっとも美しいものはB-17だと思うが、その思いは今も変わらない。因みにこの機はほとんどヨーロッパ戦線で使われたようで、僕の父のところにはB-25ミッチェルが来て雨あられと爆弾を落としていったそうだ。

僕らの家の隣はアメリカから来た宣教師さんで名前が“ミッチェルさん”だったが、“昨日の敵は今日の友”だ。

一日に数回プラモデル屋さんに行っては、いろんな縮尺のいろんな機種を買い求め、プラカラーもきっちり揃えて、先出の“丸”を見ながら、マークや数字も手描で細かく描いたものだ。

そのころから少しグラフィック・デザイナーにも憧れていた。プラモデル熱が冷めてきたのは多分ギターに出会ったころかな。

時は中学3年くらい。間もなくフォーク・ブームが押し寄せてくるころだった。

思い出 ~映画編~

しばらくアイリッシュ・ミュージックのレパートリーについて書いてきたが、そろそろ飽きてきている人もいるだろう。

まだまだあるが、ここらで一休みして、少したわいのない話でもしてみようかと思う。

久しぶりに生まれ故郷、静岡を訪れて様々なことを思い出した。映画に熱中していた頃、プラモデルに熱中していた頃、そしてフォークソングに明け暮れていた頃。

特に、子供の頃は映画が好きだった。初めて観た映画というのは、おそらくこれだったろう、というものを思い出した。タイトルまでは定かではないが「連合艦隊司令長官、山本五十六」というような感じ。

僕はまだ6~7歳だったと思う。

父に連れられて、近くの南風座という、かなり小さな映画館に行った。混んでいて後ろのほうで立っていた記憶がある。

そして、しきりに「どっちがいい人?どっちが悪い人?」と訊いていた。

それから後は、よく覚えていないが、とにかく洋画に移行するまでは東宝の怪獣もの、例えば「モスラ」「マタンゴ」勿論「ゴジラ」も。今思い出したが「日本誕生」なんていう映画も観に行った。それにご存知「月光仮面」この辺までが日本映画。

中学生くらいからはもっぱら洋画に走った。

はじめて観た洋画はジョン・ウエインの「荒鷲の翼」とかいう映画だったと思う。

それからはジョン・ウエインの映画に明け暮れた。戦争映画、西部劇、どれをとってもカッコよかった。

スティーブ・マクイーンもカッコよかったし。「荒野の7人」は最高だったし「大脱走」も素晴らしかった。

これを読んでいる人のなかにも懐かしいな、と思う人がいるだろう。

結局、そうした映画の影響でモデルガンやプラモデル、そしてブルージーンズなどにも憧れるようになった。

よくあるふつうの男の子像だ。

自分の中のベスト5くらいは挙げてみようかな。

古い映画だと

1 荒野の7人

2 史上最大の作戦

3 橋(ドイツ映画)

4 西部開拓史

5 ナバロンの要塞

新しいところでは

1 未知との遭遇

2 戦場のピアニスト

3 ET

4 AI

5 トップ・ガン

勿論、他にも想いだせばまだまだ出てくるだろう。

映画もお金がかかるし、時間もかかるのであまり映画館にも出向かなくなった。昔は2本立てや3本立てなんていうのがあって、休憩時間にはお菓子や飲み物を売っていた。

つまらない話で申し訳ないが、映画は今の自分を形成しているひとつの要素になっているものかもしれない。

次はプラモデルなんかについても書いてみたいが、そちらのほうは中川イサトさんには負けるかな。

Irish Music その18

Maid I Never Forget/JB’s/Lad O’Beirne’s(Reel)

 

★  Maid I Never Forget

“かなり前にArty McGlynnとNollaig Caseyの演奏で聴いていたものだが、僕らは

Padraig Rynneの演奏からレパートリーに入れている。Padraigはクレアー出身のコンサルティーナ奏者だが、2002年頃、Breda Smythと共に行ったGalwayのパブ・セッションで一緒に演奏したことがあった。若手ナンバーワンのコンサルティーナ奏者というふれこみ通り、素晴らしくテクニカルな演奏を聴かせてくれた。その時にはCherish the Ladiesのアコーディオン奏者Mary Raffertyとも久しぶりに演奏した  。大きなセッションだったけど、どこだったんだろう”

 

★  JB’s

“全く何の情報も得られないが、Padraigのセットから学んだ。とまで書いたところ、待てよ、他に調べる方法があるだろう、と思い情報をひっくり返していたら見つかった。その文献によると、James Murdoch Hendersonによって1932年頃に書かれた曲らしい。そしてJBとはスコットランドのフィドラー、James B Patersonという人のことだそうだ”

 

★  Lad O’Beirne’s

“Sharon Shannonの演奏でも有名だが、この3曲セットはPadraigのものだ。キーは何故か必ずF”

 

 

Cutting A Slide Reel(Reel)

 

 

★  Cutting A Slide Reel

“これは、Irish Musicその10の項目でGun Ainmとしておいた曲だ。(Road to Ballymacとのセット)95年頃、ジャックの家で教わった曲で、それから15年ほど経って、今度は僕が希花に教えた。Bパートがとても特徴あるメロディで、当時ジャックはPhil Cunninghamと言っていたような覚えがあり、正確なタイトルを知りたかったので、ジャックに電話したが、もう長年弾いていないので覚えていない。どんな曲だった?というので弾いて聴いてもらったところ、確かにPhilの曲だと思うけど調べておくよ、ということだった。数時間たってメールが入った。わかったぞ、Cutting A slide Reelだ。有難うジャック。タイトルの分からない曲もたくさんあるが、こうして情報をえられることはとても嬉しいし、とても楽しいことだ。アイリッシュという音楽をどういうかたちであれ、すこしでも自分たちの音楽の一部としてでも取り上げている人達は、タイトルを知ることや、古い録音に耳を傾けることや、いろんなバージョンを知ることに努力すべきだ”

 

 

The Rights of Man/Pride of Petravore(Hornpipe)

 

★  The Rights of Man

“あまりにも有名な曲だが、誰がいつごろ書いたものかは分かっていない。僕はその昔、1972~3年頃かな、Incredible String Band のRobin Williamsonの演奏で聴いたのが最初だと思うが、彼は3パート弾いていた。だが、それ以後他の人の演奏では3パート目は聴いたことが無いが、それはスコットランド・セッティングらしい。因みにナターシャー・セブンではそれをお手本にして録音したことがある。また、Lord Cedar Hillというタイトルの詩がついている、という話もある”

 

★  Pride of Petravore

“上記の曲とのセットを有名にしたのはDe Dannan。Rights & Prideという上手いネーミングで人々に知られている。イアンとシルビア(カナダのフォーク・デュオ)の1963年のアルバムでこの曲を取り上げていた、という話もあるが、もしかしたら高校時代、フォークソングに明け暮れていたころに聴いたかも知れない。Percy French(1854~1920)の詩で歌われることもある。因みにタイトルはEileen Oge(Young Eileen)だそうだ”

 

 

Lane to the Glen/Man of Aran/The Musical Priest(Reel)

 

★  Lane to the Glen

“Ed Reavy作の有名な曲のひとつ。僕はRandal Bayes&Joel Bernsteinの演奏から学んだ”

 

★  Man of Aran

“ダブリンのパイプ&ホイッスル奏者、Darach de Brunが、友人である同じくダブリンに住むアコーディオン奏者のTommy Walshの結婚のお祝いとして書いた、とされる。尚Tommyは、かの有名な曲Inisheerの作者である、ということだ”

 

★  The Musical Priest

“Bmのとても人気の高い曲だが、アイリッシュ・ミュージックを始めたばかりの希花さんは、ある人達が、半音高いアコーディオンに合わせてみんなが半音高くチューニングをしていることも知らず、Cmでコピーしてしまった。後に本当のキーはBmだと知ったわけだが、いっそのこと両方ともやろう、ということになり、僕らは両方のキーを交互に演奏する。今までに聴いたことのないフィドル・プレイだ。因みにフォギー・マウンテン・ブレークダウンの最初の録音は、やはり半音高いのだ。そうともしらない希花さん。G#というとんでもないキーで事もなげに弾いていたが、ブルーグラスのフィドラーも大したもんだ。こんなに難しいキーでこんなことやるんだ、と感心していたそうだ。彼女にとってキーというものはテクニック的なことでいえば、まったく関係ない”

Irish Music その17

Irish Musicその17

 

Red Crow/Darley’s/Big John McNail(Reel)

 

★       Red Crow

“AltanのMairead Ni Mhaonaighの作。初めて聴いた時、とても興奮したことをよく覚えているほどの名曲だ”

 

★       Darley’s

“1920年以前にフィドラーであり、バイオリニストのArther Darley(Donegal)によって書かれた曲だが、アルタンの二人(MaireadとFrankie Kennedy)の演奏で有名になった。彼らはRaddy Redicanから習った、ということだ。僕等はJohn Williamsの演奏を参考にしている”

 

★       Big John McNeil

“Peter Milneの作。典型的スコットランド・タイプの曲だが、僕は70年代からよく聴いていた。オールド・タイマーたちはよくSt. Anne’s Reelの後にこの曲を演奏するらしい。Jon Hicksが強烈なギタープレイを聴かせてくれたのもこの曲だ”

 

 

Swan LK 243(Waltz)

 

★       Swan LK 243

“美貌のハープ奏者、Catriona Mackay作の、この世で最も美しいと思えるくらいの曲だ。変わったタイトルだが、1999年に彼女がCutty Sark Tall Ships Raceに行った時に、この古い船であるSwan LK 243に乗った。その時の想い出をもとに書いた、と言われる。これは希花が僕に教えてくれたが、本当に美しい曲だ”

 

 

O’Carolan’s Concerto/Planxty Joe Burke(O’Carolan/Hornpipe)

 

★       O’Carolan’s Concerto

“特に好きな曲ではなかったが、Frankie Gavinと一緒にやってから何故か好きになった曲。日本のプレイヤーもよく演奏する比較的有名な曲だ”

 

★       Planxty Joe Burke

“Anamの演奏で初めて聴いたときはJoe Burkeの作品だと思ったが、考えてみたら自作のPlanxtyはおかしい。これはCharlie Lennonの作品だ。どこかバロック風の美しい曲だが、前曲のクラシック・フィーリングとよく合っていると思い、つなげてみた”

 

Irish Music その16

Down the Hill(Set Dance )/The Yellow Tinker/The Drunken Tinker(Reel)

 

★  Down the Hill

“James Kelly,Paddy O’Brien(Co.Offaly)の演奏で覚えた曲。長いことワルツだと思っていたが、いろいろ調べているうちにセット・ダンスということが判明”

 

★  The Yellow Tinker

“これはいかにも若者好みの曲だと思うが。文献からは作者などに行きあたらないので、トラッドとみていいかも”

 

★  The Drunken Tinker

“前の曲とはとても興奮を呼ぶつながりかたをする。決して誰もがやっているわけではないが、Tipsy Houseの当たりナンバーだった”

 

 

The Fly Fishing/Michael Tennyson’s/John Burke’s (Reel)

 

★  The Fly Fishing

“Jackie Dalyの作。Verena ComminsとJulie Langanのパブ・ライブで覚えた曲。アコーディオンとフィドルのこのデュオはとても優雅で、本物のトラッドを聴かせてくれたものだ”

 

★  Michael Tennyson’s

“別名Poor but Happy at 53というが、VerenaがMichael Tennysonから習ってこう呼んだらしい。実際の作者はダブリンのフルート奏者で1994年に亡くなったPaidi Ban O’Brien”

 

★  John Burke’s

“ Verenaの作品。フィドルではかなり音が飛ぶので難しいと思うが、希花の得意曲の一つとして存在している。この3曲のセットは彼女たちのものをそのまま頂いた”

Irish Musicその15

The Banks of the Ilen/The Scartaglen/Eddie Moloney’s Favorite(Reel)

 

★  The Banks of the Ilen

“Tipsy Houseでもよく演奏したセット。次の曲とは決められたように、誰もがセットとして演奏する。因みにHumours of Drinaghという曲もあるが、この曲のJigバージョンだ。

IlenはCo. Cork, Skibbereenを流れる川で、アイ・レンというような発音だ“

 

★  The Scartaglen

“Dennis Murphy とJulia Cliffordの録音で有名な曲”

 

★  Eddie Moloney’s Favorite

“ほとんどの演奏は上2曲で終わるが、Tipsy House3代目のFiddlerであったLaura

Riskが突然この曲を弾き出した。僕もジャックもそのアイディアの素晴らしさに感動したものだ。それ以後、この3曲はセットとして演奏することにしている”

 

 

 

The Rose in the Heather/The Banks of Lough Gowna(Jig)

 

★  The Rose in the Heather

“とても落ち着いたいいメロディを持った曲で、初心者にもとっつきやすい。こういう曲におけるギター・プレイがいちばん難しいかもしれない“

 

★  The Banks of Lough Gowna

“この2曲のセットはDale Russからいただいた。たまにこのセットのあとSaddle the Ponyにいくこともある。セッションでも比較的よく登場する”

 

Irish Music その14

Concert/Now She’s Purring/Ivy Leaf(Reel)

 

★     Concert

“Frankie Gavinが次の曲と共にConcert Reelとして録音を残しているので、混乱している人もかなりいる”

 

★     Now She’s Purring

“そういうわけで、こちらもConcert Reelだと思っている人がいるが、こんなタイトル、あるいはCallaghan’sともいわれている”

 

★     Ivy Leaf

“Micho Russellの非常に強いクレアー・アクセントからI Will Leaveだと勘違いしている人もいるらしい。まるでJody’s Heavenだ”

 

 

The Monaghan Jig/The Hungry Rock (Jig)

 

★     The Monaghan Jig

“Patric(Patsy)Touheyのパイプ・バージョンは圧巻だ。その昔、3パートで演奏されていたものを1921年のマイケル・コールマンのニュー・ヨーク録音で、彼が4パート目を作りあげたらしい”

 

★     Hungry Rock

“Liam Kelly(Dervishのフルート奏者)のペンになるとても難しい曲だが、とことんかっこいい”

 

 

The Humous of Tullycrine/The Garden of Daisies(Hornpipe)

 

★     The Humous of Tullycrine

“12~3年前、Terry Bingham,Andrew MacNamaraと共によく演奏した曲だ。Dm,Em,Gm,Amと、いろんなキーで演奏されるが、僕等はDmでやっている。あの時はAmでやっていて、しかも面倒くさがりやのAndrewはTerry’s Hornpipeなんていっていたなぁ”

 

 

★     The Garden of Daisies

“Padraig O’Mileadhaの作、といわれている。小節数からいって、セット・ダンスだと思うが、ホーンパイプとして扱っている書物もあるので、とりあえずホーンパイプにしておいた。僕等はPaddy Keenanから教わった”

Irish Music その13

George White’s Favorite/Lad O’Beirne’s/Sweeney’s Buttermilk(Reel)

 

★     George White’s Favorite

“非常にとっつきやすい、いいメロディだ。キーはGだが、多くの人はEminorから入る。

僕は過去、Michael O’Domhnaillで聴いたCmajor7のコードが好きだが、これは独特な世界観を持つので、相手に尋ねてからのほうがいいかもしれない”

 

★     Lad O’Beirne’s

“Co.Sligo出身のこのフィドラーはPaddy Killoran,Michael Coleman,Ed Reavyらと並ぶ人物だ。1911年に生まれ、‘28年にアメリカに渡ったが、いわゆるコマーシャル・レコーディングは残されておらず、ほとんどがプライベートなテープ録音だといわれている。

しかし、名曲をたくさん残している”

 

 

★     Sweeney’s Buttermilk

“Brendan McGlinchey作。こんな逸話が残されている。あるワークショップで一人の少年になにか弾くように促したところ、出て来た曲がこれだった。彼はすかさず「なんていう曲か知ってるか?」と尋ねたところ、少年は胸を張って答えた。「Sweeny’s Buttemilk」

彼はさらに質問した「誰が書いたか知ってるか?」少年は首を横に振った。彼は言った。「俺さ」少年のその時の驚きようと、目の輝きはこのワークショップでの語り草となっている。

因みに変わったタイトルだが、これは、彼の友人の一人であるSweeneyという男と彼とがバターミルクが大好物だったので出来た曲らしい…“

 

 

Dunmore Lasses/Sporting Paddy/Sean Sa Ceo(Reel)

 

★     Dunmore Lasses

“Tom Morrisonの1927年の録音ではAパートとBパートが逆に演奏されている。Chieftainsのアルバムでは普通のリールとして演奏されているが、Matt Molloyはスローで演奏している。Mick moloneyはMorrisonと同じ手法を取っている、など様々だが、僕等はA,Bと演奏している。イントロにスーパーギタートリオの地中海の舞踏のイメージを使わせてもらっている”

 

★     Sporting Paddy

“特筆するような情報はないが、とてもポピュラーな曲で200以上の録音が残されている”

 

★ Sean Sa ceo

“John in the Mistという英語のタイトルでも知られているこの曲は、DonegalのフィドラーであるNeillidh Boyleの作と言われているが、本人は、うんと古い曲で母から習ったと言っているらしい”

Irish Music その12

Morgan Magan(O’Carolan)/Shaskeen/Congress(Reel)

 

★  Morgan Magan

“クラシック・フィーリング溢れるこういう曲は僕らの最も好きな分野かもしれない。僕は多分アイリッシュを始める前から知っていた曲だ。アメリカの演奏家にも人気の高い曲だけに、様々な人が演奏していた”

 

★  Shaskeen

“めずらしく他の名前で呼ばれることのないとてもポピュラーな曲。前の曲と出だしが同なので繋げてみた”

 

★  Congress

“Gordon Duncanの作といわれるが、いや、もっとむかしからあったスコティッシュ・チューンだ、というはなしもあり、よくわからない。非常に“のり”のいい曲だ”

 

 

Lover’s Waltz(Waltz)

 

★  Lover’s Waltz

“2010年、電車の中でPaddy Keenanが「いい曲があるぞ。この間友達の結婚式で聴いたんだけど」と言って聴かせてくれた。「Jayなんとかっていうやつがつくったんだけど」「Jay Ungerか?」そう、メロデイの創り方が、かの名曲Ashokan Farewellによく似ていたのですぐに分かったのだ。Fiddle Feverは大好きだった。特にAshokan..の入っていたアルバムはジャケット・デザインからして、今でも最もお気に入りの一枚かもしれない。希花のフィドル・スタイルにもよく合っている曲だ”

 

 

Two Days to Go/Beaujolais in Boston/Jimmy’s Trip to Clonmel

 

★  Two Days to Go

“とてもセンスのいい曲を沢山創っているパイパー、Diarmaid Moynihanの作曲。

Deantaの演奏から覚えた”

 

★  Beaujolais in Boston

“この3曲はDeantaによって、セットで演奏されていたもので、とても気に入っている。

メンバーのフィドラーKate O’BrienとフルートのDeirdrie Havlinの共作、ということだ。

とても美しいメロディーで前の曲とも後の曲ともとてもつながりがいい”

 

★  Jimmy’s Trip to Clonmel

“北アイルランド出身のDeirdrieが父のJimmyとのアイルランドの旅を想い出して書いた曲。おそらくAll Irelandのフェスティバルに参加した時のことではないか、と思うが、この3曲のセットは希花の最も好きなセットのひとつかも知れない”

Irish Music その11

Blackbird(Hornpipe)/Gallagher’s Frolics/Winnie Hayes/Rolling Waves(Jig)

★  Blackbird

“Kevin Burke&Jackie Dailyでずっと前に覚えた曲。同名のホーンパイプがいくつか存在するので、またそちらもやってみたいと思っている。Set DanceのバージョンはPaddy Keenanで有名だ。また、Bothy Bandが同名のものをReelでやっているものもあるが、これも別物。Andrewがこんなホーンパイプはホーンパイプじゃぁねえ!と捨て台詞を吐いたが、自分の聴いたことのないものは認めない、という意固地さもまた彼らしい。でも無類のブルース好きだし、Deiseal(Cormac Breatnach牽き入る3人組のモダーンなバンド。94年と97年に素晴らしいアルバムを残している)の演奏もすごく好きなようだし。それでAndrewのバンド、The LahawnsにDeisealのベース・マンであったPaul O’Driscollが参加していたことにも納得がいく。

因みにPaulは現在Frankie Gavinのバンドにいる“

★  Gallagher’s Frolics

“The Clareというタイトルでも知られている。O’Gallagher’s Frolicsともいう。日本のセッションでもよく登場する、比較的ポピュラーな曲だ”

★  Winnie Hayes

“作者はわからないが、れっきとした個人名がついている。Micho Russellの演奏でも良く知られるようだが、それについての興味深い話しがある。MichoはClareのコンサルティーナ奏者Kitty Hayes(つい最近亡くなった)のご近所さんで、同じくご近所さんのWinnie(同じHayesだが親戚関係はないらしい)に曲を習っていた。それは40年代初め頃の話で、お互いに行き来があったなかで、Winnieという人物がいたわけだ。

因みにPackie Russell(Michoの弟でコンサルティーナ奏者)はKittyの結婚式で演奏したそうだ。1948年のことらしい。結局のところ出どころはわからないのだが、多分WinnieからMichoが教わったうちのひとつで、このタイトルがついているのだろう。Eminorで演奏する人も多い、と聞くが、僕らはAminorでやっている。

★  Rolling Waves

“僕らのバージョンはJohn Williamsから得たものだが、それにしてもRandal Baysのバッキング・ギター・スタイルはとても魅力的だ。Kevin Burkeの演奏でもポピュラーになった曲

Rolling in the Barrel/Lafferty’s/Lads of Laoise(Reel)

★  Rolling in the Barrel

“僕らはMartin Hayesの演奏からヒントを得ているが、かなり前からAndrewの演奏などでも聴いていた曲”

★  Lafferty’s

“Sean Ryan(Tipperaryのフィドラー)の作といわれるが、彼が作曲を始めるよりも、かれこれ20年以上も前にJames Morrisonが録音している、という説もあり、定かではない。タイトルも、どちらかといえばGlen of Aherlow(AhelowはSean Ryanの出身地)というほうが正しいという説もあるが、これに関しては明確な事実があるようだ。Paddy CannyとP J Hayesが録音した時のピアニストが最も好きだった曲ということだが、彼女の名前がBridie Laffertyという。そこで、Lafferty’s Favouriteなどと言われるようになり、この名前に変わってしまって一般的にはこう呼ばれるようになった”

★  Lads of Laoise

“古いスコットランドの曲でLads of Leithというらしいが、アイルランドで演奏されるようになって、このタイトルに変わったそうだ”

 

Irish Music その10

Bold Doherty/Cock and the Hen(Jig/Slip Jig)

 

★  Bold Doherty

“これは同名の唄をインストルメンタルにしたものだ。そのむかし、シンガーと一緒にやっていたもので、どこかで聴いたことがある、と思っていたら同じ曲だった。僕らは次の曲とのセットでJosephin Marshをフォローしている”

 

★  Cock and the Hen

“18世紀ころからある曲だ、といわれる。そのタイトルもDoodley Doodley Dankというややこしいものから、Joe Ryan’s,Cathal McConnell’sなど様々だ”

 

 

 

Return To Miltown/The Road To Ballymac/Gun Ainm(Reel)

 

★  Return To Miltown

“典型的Donegalチューンのひとつ。僕は92年くらいからScott Renfortの得意曲として一緒に演奏していた。DmからBパートでDmajorにいくのが印象的な曲だ”

 

★  The Road To Ballymac

“アコーディオン奏者のLeslie Creigの作。Jack Gilderから教わったが、最近Steph Geremiaという若手フルート奏者が演奏しているのを聴いた”

 

★  Gun Ainm

“アイリッシュ・チューンではタイトルの分からない曲をこのように呼ぶ。これは、上の曲とセットでティプシー・ハウスがよく演奏したので、Jackにいつか訊いてみよう。Bパートは非常に珍しい音運びで興味深い曲だ”

Irish Music その9

Boogie Reel/Splendid Isolation/Mrs. Lawrie’s(Reel) 

★  Boogie Reel

“John Nolan作。Terry BinghamはThe Durrow Reelというタイトルでやっていたが、これだけ作者もはっきりしている曲でも、伝わり方でこのように変化していくのは、この音楽の面白いところだ。BoogieというのはNolanのバンドのキーボード奏者のあだ名。僕らはJosephin Marshの演奏が気に入っている。もう、何年も前から演奏しているが、Bパートにブギーのリズムを使っているのは僕ぐらいかな。僕は90年初め頃、バンジョー弾きのSuzanne Cronninから教わった”

 

★  Splendid Isolation

“Brendan McGlinchey1973年の作、と言われるが、Kevin Burkeが1972年に、すでに録音している、という情報もあるので、71年から72年の作品ではないかと思われる。73年と言ったのは本人らしいが、多分記憶も定かではないのだろう。数多くの曲を作っていれば無理もないことだ。だが、作った経緯に関してはかなり明確だ。

アイルランド・ツアーを終えた彼は、ダブリンの空港でロンドン行きの飛行機を待っていた。2週間にわたるツアーでは、バンド・メンバーともさほどいい関係を保てず、ストレスを抱えたままコーヒーを飲んでいた。そんな時に、フッとメロディが浮かんだようだ。名作中の名作である”

 

★  Mrs. Lawrie’s

“同じくMcGlincheyのペンになる曲。2曲はセットで演奏されることがほとんどだが、こちらの方は、いつどのような経緯で作られたのかはわからない”

 

 

Sonny Murrey’s/Home Ruler/Kitty’s Wedding(Hornpipe)

 

★  Sonny Murrey’s

“別名Wicklow Hornpipe。SonnyはWest Clareのコンサルティーナ奏者である。

 

★  Home Ruler

“County Antrim出身のFrank McCollumの作”

 

★  Kitty’s Wedding

“これらの3曲はセットで演奏されることが定説”

 

Irish Music その8

Galway Reel/Beare Island/Maudabawn Chapel/Hunter’s House(Reel)

★Galway Reel

“これは間違いなくLarry Redicanの作だ、という人もあれば、Paddy Faheyだという人もいる。曲調から察するにFaheyではないと僕は思う。タイトルではIroning Boardという人もいる。少しトリッキーな曲だが、Liz Carollの演奏でよく知られるようになった。伴奏者にとっても面白い曲だ”

 

★Beare Island

Kevin BurkeのライナーではDale Russの曲だ、と書いてあったが、本人曰く、ずっと前にKevinに教えたことはあるけど、僕の書いた曲じゃない、ということだ。いろいろ調べてみるとRichard DwyerがFinber Dwyerの為に書いたFinber Dwyer’s Fancyという曲だという説が最も有力かもしれない。Key of Eだが BパートでEmになる魅力的な曲”

 

★Maudabawn Chapel

“Ed Reavyのペンになる最も有名な曲のひとつだろう。BパートはDrowsy Maggieのような出だしだ。Eileen Iversはエアーのようにして弾いているが、それほどに美しいメロディを持ったリールだ。Kevin Burkeでも有名だが、、1979年のEd Reavy本人の録音も残されている。Edは1898年にCavanのMaudabawnで生まれた。これはローカルの教会をモデルにした曲だ。彼は1912年にアメリカに移り、フィラデルフィアで1988年に亡くなるまで水道屋として働いていたようだ”

 

★Hunter’s House

“前の曲からの繋がりはThe Green Fields of Americaのレコーディングから学んだ。これもEd Reavy の有名な曲で、ただ単にReavy’sというタイトルでも知られている。

 

 

Master Crowley’s/Roscommon (Reel)

★Master Crowley’s

“いつ頃から演奏しているだろう。Joe Cooley生き写しの演奏をするPatricia Kennellyのアコーディオン・プレイにしびれたのはもう13年ほど前のことだ。別名(勿論いっぱいあるが)Miss Patterson’s Slipperとしても知られる。Begley家のみんなと演奏してからは、すっかり希花の得意曲となった。なかなか彼女のようなフィドリングはアイルランドでも聴けない”

 

★Roscommon

“よくMaster Crowley’s #2としてメドレーで演奏される。Andrew MacNamaraが2曲を交互に演奏したが、Brendan Begleyも同じことをやっていた。ふたりともやんちゃな性格だ。僕らもそのやりかたがとても好きだ”

Irish Music その7

Thomas’ Farewell/As the Sun Was Setting(Waltz set)

★Thomas’ Farewell

“読み人知らずだが、トラディショナルではない。美しいメロディを持ったワルツだが、あまり有名な曲ではない。キルフェノラ・ケイリ・バンドのレコーディングだけが唯一残されているというが、ティプシー・ハウスでは随分昔からやっていた。AパートとBパートのテキスチャーの違いはギタリストにとっても非常におもしろい曲だ”

 

★As the Sun Was Setting

“John Kirkpatrick作曲とされる美しいマイナー調の、どこかウエスタン風の曲だ。僕はデイル・ラスから習った” どこか日本人好みのメロディは、Aパートのウエスタン風からBパートの日本調ともいえる半音階の下がり方が印象的だからだろう”

 

 

Gold Ring(Jig)

★Gold Ring

“この曲には3つのバージョンがある。いや、それ以上かもしれない。パート数もいろいろだ。僕らは7パートでやっている。しかも、僕は勝手にパイプ・バージョン、フィドル・バージョン、そしてD Gold Ringと呼んでいるがDのもの以外はどちらもパイプで有名かもしれない。Seamus Ennis,Willie Clancy などで知られているので、やはりパイプ・チューンと言えるだろう。僕はDale Russと録音したことがあるが、これはThe Boys of the Loughのバージョンで、あまり知られていないものだ。整理するとKey of Gがふたつ、Key of Dがひとつ。ただ、Gの方のDaleと録音したものはKey of GだがDコードから始まる。Gold Ringを演奏するのならこの3つとも覚えておきたい。かわいそうな希花である。伴奏に於いても、7つもパートがあると、そのすべてのパートの音の動きを正確に把握する必要がある。それでないと単調な面白くない曲に聴こえてしまう可能性がある。因みにThe Broken Gold Ringという曲もあるが、これはDのバージョンの最初の2パートだけを演奏されるものだ。最後に面白い話をひとつ。Seamus Ennis曰く、この曲はアイルランドの妖精によって書かれた曲、らしい”

Irish Music  その6

Morning Dew/Jenny’s Chicken

★  Morning Dew

いつ覚えたか覚えていないくらい有名な曲だ。そのむかし、Stockton’s WingがGolden Studというセットの後半にちょっとメロディを拝借して使っていたような記憶がある。

以後、Dale Russのフィドル教則ビデオでリールのお手本として使っていたものをよく見ていた。その後ケビン・バークとミホーのビデオでも最初のセットの3曲目としてよく聴いたものだ。

基本Emで演奏したらよいのだが、Cmaj7, Am7,A7などを巧みにいれることによって変化がつくが、入れどころが微妙なニュアンスの違いを生む。トニー・マクマホンと演奏する時とマーティン・ヘイズと演奏する時とではギタリストの役割は違ってくるのだ。その辺が最も顕著に表れるタイプの曲かもしれない。因みにPaddy Cunnyは3つのパートの最後のパートから入るが、これもかなり効果的なやりかたかもしれない。

 

★  Jenny’s Chicken

“Michael Colemanによって一気に有名になった曲だ。ほとんどSleepy Maggieと同じ曲ではないか、と言う人もいる。この曲にいくにはBonnie Kateがベストだ、という人もいるが、ぼくらはMorning Dewからいくのがとても好きだ。そのむかし、スコットランドから来たLiam Whiteという、とても上手いとは言い難いギタリストがいたが、彼のアイデアのいちばん優れたものがこのセットを考えだしたことかもしれない。若手ばかりで、よくセッションに行ったものだ。Liam, Dana Lyn, Tina Lech, Ted Colt, Athena Targis当時、みんな若くて相当勢いに乗ったセッションを繰り広げていた。なかでは僕が一番歳寄りだった。40代後半だったかな。かれらは全員20代初めだった。そんななかで勢いと共に生まれたセットで、希花がその勢いを継いでくれている。

今日はこれだけ。しばらく北海道に出かけるので、帰ってきたらまた書き始めます。

Irish Music その5

Forget Me Not/Tripping Down the Stairs/The flowers of Red Hill(Reel)

★     Forget Me Not

“様々なタイトルで呼ばれている。この曲を初めて知ったのはDavey McNevin(banjo)

の演奏でキーはDだったが、多くの人がCで演奏するのを後々になって聴いた。タイトルもMartin RochfordやCrehan’s(僕はこれで知っていた)Larry Redigan’sなど。でもアイリッシュ・チューンではよくあること”

★     Tripping Down the Stairs

“Arcadyの演奏で聴いたものが最初だった。フィドラーがBrendan Larrisseyだということはまだ知らない頃だった。これはThe Green Hills of Tyrolというジグのリール版だと言われるがまさにその通りだ、と思う”

★     The Flowers of Red Hill

“De Dannanの初期のアルバムの中で(彼らのタイトルはThe Clogherだった)聴いたのが最初だろうか。それともBothy Bandが最初だったろうか。おそらく多くの人にはGerry O’connorのバンジョープレイが馴染み深いだろう。ほとんどのパートがAマイナーで解決できるが、それだけにギタリストにとっては、どのようにストーリーを作っていくかが大切になる曲だ”

 

Smiling Bride/The Handsome young Maidens(jig)

★     Smiling Bride

“Charlie Lennon作。題名どおり、にこにこしたくなる曲だ。

★     The Handsome Young Maidens

“これもCharlie Lennonの作品。この2曲は、ほぼ誰もがセットで演奏するものだろう”

 

The Eel in the Sink/McFadden’s Handsome Daughter/The Limerick Lasses(Reel)

★     The Eel in the Sink

“あまりポピュラーではない曲かもしれないが、Jody’s Heavenでの録音が残されている。その時に使ったアレンジ(Dm~Am)というのはとても気持ちのいい進行なので、僕らもこのアレンジでやっている。

★     McFadden’s Handsome Daughter

“3パートの綺麗な曲だ。これもとんでもない数の名前をつけられた曲だが、このタイトルで大体通じる”

★     The Limerick Lasses

“3パートで演奏される場合と4パートで演奏される場合がある。どちらがより一般的かということは難しい。僕は長い間4パートのほうで知っていたので、希花にはそちらのほうを教えたが、演奏者としてはこういう場合、どちらも知っておかなくてはいけない、というのが僕の考えだ。例え伴奏者でも”

 

Lord Gordon(Reel)

★     Lord Gordon

“5パートあるが、どこもかしこも似たり寄ったりで、つまらない曲だと最初は感じたが、長くこの音楽をやっていると、なんと美しい曲だろう、ということを感じてきた。おそらくメロディ楽器にとっては結構楽しめる曲かもしれないが、伴奏者には痛い曲だろう。事実、どういうコードを弾いたらいいのか分からない人がいっぱいいるだろう。しかし、メロディの美しさに気がつくと、これほどやりがいのある曲は他に類をみない。Michael Colemanの演奏が僕としては一番好きだが、彼がこんなに多くのバリエイションを創り出したらしい。

フィドラーにとっては永遠の名曲のひとつであろう。“

Dennis Doody’s/Tolka Polka/Tina Lech’s(Polka)

★     Dennis Doody’s

“Donal Lunnyのライブ・アルバムで覚えた曲。

★     Tolka Polka

“Donal Lunnyの作。普通に演奏しても結構トリッキーだが、彼らのバンドの演奏は更にひねっている。しかしそこがこの曲の特徴であり、かっこいいところなので、僕等は忠実に再現して演奏している。

★     Tina Lech’s

不思議なことにこのタイトルになっているTinaは友人から教わった、と言っている。彼女はボストンに住むフィドラーでヴェトナミーズの血をひいている。僕とデイナと彼女と3人で、ライス・パディという名前を付けて東海岸をツァーしたことがある。日本でもよく知られた曲で、希花も僕に会う前から演奏していたらしい。たまにGで演奏する人もいるようだ。因みに僕等はA。確かTinaはAでやっていたと思う”

 

Old Grey Goose(Jig)

★     Old Grey Goose

“Clareで毎日のように聴いていて、なんと美しい曲だろうと思ったものだ。こういうトラッドのなかのトラッドといえる曲はアイリッシュ・ミュージックをやる以上、必ず押さえておきたいものだ。Michael Colemanは6パートで演奏しているが3パートだけのバージョンもあるようだ”

 

Strayaway Child(Jig)

★     Strayaway Child

“Bothy bandの演奏で聴いてからずっと好きな曲だった。この曲との再会の話はコラムの2011年 アイルランドの旅~フィークル4~で既に書いた。Michael Gormanの作とも、Margaret Barryの作ともいわれているが本当のところはどうだろう。どちらにせよ彼らは夫婦だったようで、GormanのフィドルとMargaretのピアノでのデュオ録音が残されている。6パートの美しいジグだ”

 

An Paistin Fionn/Eamonn McGivney(hornpipe)

★     An Paistin Fionn

“同名のエアーも存在する。あまり聴くことがない曲だが、デュオを組んだ最初の頃からレパートリーとして取り入れている”

★     Eamonn MaGivney

“Keep Her Lit とJody’s Heavenでも手がけたJacky Tarとほとんど同じ曲だろう”

Irish Music その4

Chief O’Neill’s Favourite/The Galway Bay(Hornpipe)

★     Chief O’Neill’s Favourite

“おそらく、最も多くの録音がのこされているホーンパイプのひとつだろう。親しみやすいメロディと、Bパートで突然雰囲気が変わることで、人気があるのかもしれない。ところで、この人(オニール)は19世紀後半から20世紀に渡る頃のシカゴの警察署長だった人で、驚異的な記憶力で多くの曲を収集していた、とされる”

★ The Galway Bay

“Gマイナーで演奏されることが一般的なとても美しいメロディを持った曲。日本ではあまり聴くことがないが、実に多くの録音が残されている。Tommy PottsはDrunken Sailorを録音しているが、出だしはどう聴いてもこの曲だ。おそらくメドレーだと思うが、どちらもとても美しいメロディで希花のフェイバリッツでもある”

 

The Choice Wife/The Humours of Whiskey(Slip Jig)

★     The Choice Wife

“実に多くのタイトルを擁する曲でアイルランド語でAn Phis Fhliuchというらしいが、アメリカでもThe Choice Wifeのほうが一般的である。5パートの力強い曲”

★     The Humours of Whiskey

“ずいぶん前からとても好きだった曲。Altanで最初に聴いたかもしれないが、僕らのこのメドレーは実に気持ちのいい運びになっていると思う。Bmベースの曲だがEmで演奏する人も多くいるようだ”

 

The Twelve Pins/Kilty Town(Reel)

★     The Twelve Pins

“Connemaraの山の名称らしいが、Chalie Lennon作の素晴らしい曲で、日本の演奏家たちにはあまり馴染みがなさそうだが、希花のフェイバリッツのひとつ、ということだ。とても明るいメロディを持っている”

★     Kilty Town

“これもCharlie Lennonの作品だ。セットで演奏されることがほとんど。Frankie Gavinが素晴らしい演奏を残している”

 

Gypsy/Cavan Pothles(Tune)

★     Gypsy

“Lord of the Danceの中に登場した曲。Ronan Hardimanの作であろう。実際は管楽器で演奏されたものだったが、Gillian Norrisのとても官能的なダンスとともに、印象的なメロディであったので、これはレパートリーに入れない手は無い、と感じたものだった”

★     Cavan Pothles

“Donal Lannyの作になる非常にキャッチーな曲。どこから聴いてもスティングのあの名曲Englishman in New Yorkを素材にしているとしか思えないが、どうだろうか。Sharon Shannonのレコーディングを初めて聴いた時からそう思ったが、それはそれとしてかっこいい曲である。いかにも若者好みだが、ShannonもLunnyもれっきとしたトラッド・ミュージシャンでもある”

Irish Music その3

The Curlew/Paddy’s Trip to Scotland/Dinkey’s(Reel set)

★     The Curlew

“Josephine Keegan作のこの曲を初めて聴いたのは、まだこの音楽を始めたばかりの頃でAltanの録音からだった。メロディの美しさ、特にBパートの美しさは特筆すべきものだ。

アイリッシュ・ミュージックにのめり込んだきっかけともなった曲といっても過言ではない。コード進行も非常に興味深い”

★     Paddy’s trip to Scotland

“典型的なDonegalチューンといえるだろう。若い人たちのほとんどはDervishの演奏で聴いているが、僕はやはりAltanのバージョンが好きだ。僕はこの曲にテキサス・フィドル・スタイルの伴奏に使うようなコード進行を使っている”

★     Dinkey’s

“この曲を書いたのはFrancis Dearg Byrneだと言うひともあれば、彼はトラベリング・ミュージシャンであるDinkie Dorrianから習った、と言うひともいる。多分にCape bretonフィーリングに溢れる曲なので、どうしてもNatalie MacMasterやAshley MacIsaacの演奏が耳に残っている”

 

Bush on the Hill/Castletown Connor/McIntyre’s Fancy(Jig set)

このセットはyou tube上で僕らとFrankie GavinとがGalwayで演奏しているものが見れる。

★     Bush on the Hill

“とても幅広い音の動きをする人気の高い曲だ。アメリカではFool on the Hillと呼ばれていた頃がある。ご存知ブッシュが大統領だった頃、ビートルズの曲とかけていたのだ”

★     Castletown Connors

“Ned coleman,Tommy mulhairesなど多くの名前がある曲だが、前の曲からのつなぎがとても好きでくっつけてみた。

★     McIntyre’s Fancy

“Siobhan O’Donnelleの#2だ、という人もあれば、John Bradyの作だという人もいる。

どちらにせよ、いいメロディを持った曲で若い人にも人気がある。Bパートで僕が弾いているコード進行を使う人には会ったことがないが、これをアイルランドで弾くと誰もがにんまりとする”

Irish Musicその2

Mayor Harrison’s Fedora/The Humours of Westport/Bucks of Oranmore(Reel set)

★     Mayor Harrison’s Fedora

“3パートのいいメロディを持ったリールで、もう20年以上演奏している曲だが、驚いたことに3パート目を知らない人が結構いるようだ。

ドーナル・ラニー達が2パートだけでやっていたせいだろうか。

オニールのコレクションには既に存在している古い曲である。このモデルになったハリソンは1897年から1915年までシカゴのメイヤーであったらしい。ちょうどオニールがシカゴで多くの曲をコレクションしていた頃だ”

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Irish Music

今回から僕らのレパートリーについて詳しく書いてみよう。いつまで続くか、そして、

あまり書くべきこともないものもあると思うが、アイリッシュ・ミュージックに本格的に取り組みはじめてから23年あまり、希花とのデュオを組みはじめてから3年目、アイリッシュ・ミュージックのひとつの要素であるレパートリーの数もだいぶ増えてきた。

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ブルーグラス・ミュージック その3(ブルーグラス45とBOM サービス)

ブルーグラスファンなら、もはや知らない人はいないだろうこの会社は設立してからもう40年にもなるだろうか。

この、言うなれば超マイナーな音楽を、今日まで日本という国の中で紹介し続けた功績は偉大なものだ。

ものごとをやり続けることの大切さ、そして情熱を持ち続けることの大切さ、自分たちが愛して止まない音楽に対する飽くなき研究心を持ち続けることの大切さ、それらのことを、このBOMから学ぶことができる。

中心人物の渡辺兄弟。お兄さんの敏雄さんについては個人的にはあまり知らないが、弟の三郎は歳も同じだし、バンジョー弾きということで、すでに45年くらいの付き合いだ。

僕と省悟の“50・50”のビデオの中で、フィドルを弾いているのが彼。ブルーグラス45の初アメリカ・ツァーから帰ってきて「やっぱこの音楽はフィドルやで」と言ってフィドルばかり弾いていた時期があったことを想い出す。

それについては僕も同感だ。スコティッシュ、アイリッシュの流れを汲むこの音楽は正に“フィドル音楽”だ。

それはともかくとして、かなり昔のアルバムで彼はケイのバンジョーを持っている写真があったがいつか聞いてみよう。

ヘッドストックの部分にアメリカの国旗みたいな模様が入っていたと記憶している。

そして大塚兄弟。兄のジョッシュと弟の章さん。ジョッシュは生まれた時からジョッシュではないはずだが、もう40年以上ジョッシュとしてしか知らないので大したもんだ。

章さんにはアメリカで随分お世話になった。しかし関西の人はなんであんななんだろう。

電話してくる時も「角のそば屋です」などと言ってきたものだ。

非常にアグレッシブでエンタテイニングに満ち溢れた超絶テクニックのマンドリン・プレイは今も健在だ。

それに、フィドルの寥さん。ほとんど個人的には知らないが、東のジョー(ジョー・山本)西の寥、は当時日本のフィドラーの代名詞であった。

もうひとり、李さんという人がいたはずだ。かれらがブルーグラス45。60年代後半、日本が生んだスーパー・グループだ。

そのブルーグラス45での活躍を基に立ち上げた会社がBOMサービス。

ナターシャー・セブンからブルーグラスを知った人も、最近ブルーグラスを知った人も、アイリッシュ・ファンの人も、是非、彼らの心を感じてもらいたい。

ブルーグラス・ミュージック その2(ブルーグラス・バンジョー)

京都産業大学に入学して、すぐにブルーリッジ・マウンテン・ボーイズに入部(?)した。詳しくは軽音楽部だったかな。

先輩の酒井さんはフラムスのバンジョーを使っていた。時々、みんなで立命館大学に行って、サニー・マウンテン・ボーイズの練習を聴いた。

覚えている限りバンジョーは中さん、マンドリンが新谷君、ギターとボーカルが池田さん、フィドルが赤城さんだったと思う。ベースは亀井さんだったかな。

亀井さんは後に同志社のマリース・ロック・マウンテニアーズでベースを弾いていたような記憶がある。

マリース…もなかなかの面子だった。ギターとボーカルが田川さん(ギターのボディをくりぬいてホイールキャップをはめ込み、ドブロを作ってしまった人)マンドリンに伊藤さん、フィドルとバンジョーに“天才”石田じゅんじ、そしてベースがやっぱり亀井さんだったかな。

とにかく京都ではこの三つのブルーグラス・バンドが競り合っていたと思う。立命の中さんのバンジョーはやっぱりフラムスだった。

荒神口(当時、立命があったところ)のよしやという楽器屋に行くとフラムスが置いてあった。

お店の人に「立命でもこれ使っているよ」と言われたが、どこかドイツ製、というところがしっくりこなかった。

とはいっても、とてもじゃないがギブソンやベガなんて買えるわけがない。よく、梅田のナカイ楽器に、これ見よがしに飾ってある、マーティンD-28とギブソンF-5と、そしてあれは多分ギブソンRB-250だったのだろう。大学から直接、阪急電車に乗って観に行ったものだ。そう、ただ観るだけの為に。

そしてため息をついて帰ってくるのだ。

当時、関西ではフラムスが主流だった。あとは“ケイ”だったかな。この辺のことは以前にもコラムで書いている。

とにもかくにも頭の中は16分音符がいつもぐるぐる回っていた。バンジョーという楽器の魅力は、とくにブルーグラス・バンジョーの魅力はなんといっても、ごく小さな手の動きから生み出される、はっきりした大きな音と、目にも留らぬスピードで繰り出される音の嵐だろう。

手掛かりはレコードだけ。ドン・レノのグリーン・マウンテン・ホップ、ダグラス・ディラードのディキシー・ブレイクダウン、エディ・アドコックのブルー・ベル、ビル・キースのセイラーズ・ホーンパイプ、みんなみんなレコードを聴いて覚えた。

どんなに小さな音も逃すまいと必死になったものだ。少しでも彼らに近付きたくて、友人たちと「ここはこうだな。いや、こうかな?」と夜通し議論しては弾いたあのころは、やはりアンテナを全開させる能力を養う、ということに於いてはかなりためになったのかもしれない。

ブルーグラスはとてつもなく難しい音楽だ。一人ではできない。二人でもできない。三人いても足りない。4人からが初めてブルーグラス、といえるかもしれない。

グループのレベルがある程度揃っている必要もある。アンサンブルの妙というところは肝だ。少なくとも3人以上は唄えなくてはならないし、コーラスができなくてはいけない。

大体バンジョー弾きはバリトンだ。別に決まっているわけではないけれど、マンドリン弾きがテナーというのは、やはりビル・モンローの音楽だからだろうか。セイクレッド・ソングもアカペラでこなせなくてはならない。

バンジョーの話しに戻るが、最近つくづく思うことは、メロディック奏法は難しい、ということだ。

なんとなくロールでメロディを創り出していくものは平和な感じがする。すこしブランクがあってもリカバーできるが、メロディック奏法はイライラしてくる。右指はメロディに合わせて自由自在に動かす必要があるし、それに合わせて左指のポジションも考慮にいれなくてはならない。

ノラ、ビーティング・アラウンド・ザ・ブッシュ、トルコ行進曲…40年くらい前は事もなげに弾いていたが、最近思うことは、2つ以上のことをいっぺんに考えると頭が混乱する、ということだ。

この楽器は頭を混乱させるには“もってこい”のものだ。(多分コンサルティーナもそうかも)更に、ボケの防止には結構いいかも。とにかく一生懸命想い出すための努力をする、ということが一番大切だ、と女医の卵も言っている。

ま、そういったことは、久しぶりにバンジョーを引っ張り出して弾いてみた人にはよく分かるだろう。いや、僕だけかな。

なにはともあれ、魅力的な楽器である。その“とんでもない重さ”というところを除いては。

ブルーグラス・ミュージック

今まで、ほとんどをアイリッシュ・ミュージックについて書いてきたが、自分のひとつの歴史であるブルーグラスについてすこし書いてみよう。

バンジョーという楽器を始めたのはフォークソングからだった。1964年か65年くらいだったと思う。

ピアレスという日本製のバンジョーは確か15000円くらいで、当時としては目の玉が飛び出るくらいの値段だった。他にナルダンという会社のものもあって、12000円くらいだった記憶がある。

ピアレスのほうが、音にメリハリがあるような気がして、そちらを選んだのだと思う。なんといってもバンジョーなる楽器にそうそうお目にかかれる時代ではなかっただけに、よくは分からなかったのだが。

とにかくブラザース・フォアをお手本にしてポロポロと弾いていたが、幾つかの彼らのレコーディングで衝撃的な音を聴いた。

ダーリン・コリーという曲でイントロからずっと流れているバンジョーは明らかに違っていた。

解説には「ご機嫌なバンジョーはマイク・カークランド」となっていたが、どうも疑わしかった。

後にだれかが「あれは、グレン・キャンベルだ」と言ったり「エリック・ワイズバーグ」だ、と言ったりしたが、本当のところは僕には分からない。

そして、当時はそれがブルーグラス・スタイルのバンジョー・プレイだということも知らなかった。

それからキングストン・トリオを聴くと、もう少し音がバラけていて細かい動きをしているように聴こえた。だが、まだブルーグラスではなかった。

そしてその頃はアリアというメーカーのロングネック・バンジョーを使っていた。ロングネックはもちろん、ウィーバースやクランシー・ブラザース以来、ほとんどのフォーク・バンジョー奏者が弾いていたものだ。

ほどなくしてフォギー・マウンテン・ブレイク・ダウンを聴いたときの衝撃は、とても文章で言い表せるものではなかった。

これは間違いなく2~3人でよってたかって弾いているに違いない。あるいは回転数を間違えたか…、などと思ったりしたものだ。

大学に入学するすこし前にフォギー・マウンテン・ボーイズを東京まで観にいった。そうか、これこそがブルーグラスか。大学ではこれをやろう、と心に誓った。

そして、入学したその日からバンジョーを持って、構内を歩いたところ、数人の先輩と思しき人から声をかけられた。

京都産業大学ブルーリッジ・マウンテン・ボーイズの初代の人たちだった。バンジョーが酒井さん、フィドルが松井さん、ギターとボーカルが細谷さん、そしてベースが山本さん。マンドリンにあまり目立たない人があとから少しの間加わっていた記憶もある。

ビル・モンローはもちろんのこと、フォギー・マウンテン・ボーイズ、スタンレー・ブラザース、レノ・アンド・スマイリー、オズボーン・ブラザース、ジム・アンド・ジェシー、ジミー・マーティン、それらが人気だったあの時代。

アメリカ文化センターという、たしか四条烏丸あたりにあった場所で、毎月一回ブルーグラス・コンサートが開かれていた。

常連は、立命館のサニー・マウンテン・ボーイズ、同志社のマリース・ロック・マウンテニアーズ、そしてわが産大のブルーリッジだ。時々ブルーグラス45や、桃山学院ブルーグラス・ランブラーズなんかも来ていたかな。京都大学にもグループがあったなぁ。

産業大学では、僕がエディ・アドコック好きだったので徐々にカントリー・ジェントルメンのレパートリーが増えていった。

当時の僕のアイドルはエディともうひとり、ビル・キースだった。全く違うスタイルの二人だったが、エディのギャロッピングとシングル・ストリングの早弾きと、ビルの滑らかなメロディック奏法はどちらも魅力的だった。

とにかく来る日も来る日も、耳に入るものは全てコピーしまくった。まだ若かったから根気もあっただろうし、脳みそも柔らかかったのだろう。いちど聴いてすぐそれなりに弾いたりしたものだ。

楽譜があるわけでもない。実際に弾いているところが見れるわけでもない。頼りになるのは自分の耳だけだ。

そうして勉強もほとんどせず、大学時代を過ごしたが、以後、日本にも多くのブルーグラス・バンドが来日するようになった。

スタンレー・ブラザース、カントリー・ジェントルメン、ジム・アンド・ジェシー、デル・マッカーリー、ジミー・マーティン、ピーター・ローワン、J.D・クロウ、セルダム・シーン、ニュー・グラス・リバイバル、レッド・レクターや、ブルーグラスともちょっと違うけど、リリー・ブラザースも来ていた。もちろんビル・モンローもだ。

75年には衝撃のデビッド・グリスマンも。

ブルーグラスは徐々にその全貌を見せていった。本物のトラッドから、ニュー・グラスまで。

しかし、そのニュー・グラスの演奏者の誰もが、素晴らしいトラッド追従者であったことは印象的なことだ。

思うにブルーグラスの演奏家たちは、例えばバンジョー弾きは、アール・スクラッグスを出来る限り忠実にコピーすることから始まるような感があるし、フィドルはテキサス・スタイルにせよ、バージニア・スタイルにせよ、ケニー・ベイカーやテーター・テイトなどをとことん研究することから始まるような感があるし、マンドリンはやっぱりビル・モンローだろう。

歌とギターはレスター・フラットでドブロはアンクル・ジョッシュ、ベースはセドリック・レインウォーター、あるいはトム・グレイか…、もちろんあくまで個人的な見解だが。

それにひきかえ、アイリッシュはたとえば、クラシックをやっている人が興味を持ったら楽譜でも見ればその日のうちに弾くことが(吹くことが)出来るものだ。ところがそこが大きな落とし穴だ。

希花が研太郎に初めてあったとき、希花のブルーグラスをじっと目をつぶって聴いていた研太郎が「ブルーグラスはもっといい加減に弾いたらいいよ」と言ったのが印象的だった。

こう書くと、また誰かがこの言葉だけに反応して何か言いそうだが、僕にはその言葉の深い意味が凄くよく分かる。

希花のように、アイリッシュにおいて、どれほどにトラッドを体の中に入れなくてはいけないかを学んでいると、生半可なことは出来なくなってくるもんだ。

そこを敢えて「いい加減に」というのは、ジャンルの違いであれ、とことん体にその景色と音を入れてきた男が言える言葉だ。

だから、決してアイリッシュはいい加減ではいけなくて、ブルーグラスはいい加減でいい、などということではない。

彼の言葉の意味が分かるようになるには、おそらく何十年もの間、この音楽に身も心も捧げる努力を惜しまなくてはならない。

まだまだ若い希花のこれからの課題のひとつである。

また、研太郎はテキサス・スタイルとバージニア・スタイルの違いなども聴かせてくれた。

日本のブルーグラス・フィドラーの中でも、もっともブルース・フィーリング溢れる演奏をする男だ。

アイリッシュにもブルーグラスにもブルース・フィーリングは不可欠だ。淡谷のり子先生もそう言っていた…(?)ズロースの女王、と間違い表記されたこともあるらしいが。

ブルーグラスにおいては、70年代から始まったニュー・グラスの嵐、そして、80、90、2000年とずいぶん変わってきたが、若い演奏家たちがとんでもない音のシャワーを浴びせながらも、とことんトラッドもやってのける。

日本のブルーグラス演奏者たちにもそんな心意気を感じる。それはアイリッシュの世界よりも顕著かもしれない。

ルナサやソーラスは確かにかっこいい。しかし忘れてならないのは、かれらは一同に素晴らしい伝統音楽の継承者なのだ。

同じようにサム・ブッシュやトニー・ライスはめちゃくちゃかっこいい。だが、かれらは一同にビル・モンローの音楽を最も大切なものとしている。

日本ではアイリッシュよりもブルーグラスの演奏者たちのほうが、その辺の大切さがわかっているように思えてならない。

 

さて、84年、アメリカ大陸を横断したとき、いろんなバンジョー弾きやギター弾きに出会った。

ラマー・グリアーと会ったその日の昼に息子のデビッド・グリアーとも会った。まだ金髪のさらさらのロングヘアーをなびかせて、ディキシー・ブレイク・ダウンを猛スピードで弾いていた。

ラマー・グリアーのバンジョーは、驚くほどネックが細かった。

同じワシントンDCではセルダム・シーンの面々ともよく一緒に演奏した。もちろん大塚あきらさんのバンド“グラズ・マタズ”とも。

ナッシュビルではよく、ジェイムス・マッキニーという若いバンジョー弾きと会ってはセッションを繰り返した。

まだ若かった頃のベラ・フレックともステイション・インの前でジム・ルーニーなどを交えて立ち話に興じた。

ダグラス・ディラードとも会ったが、かなり酔っていた(彼が)。

ニュー・ヨークではパット・クラウドのバンドを見て首をかしげていたケニー・ベイカーの姿が印象的だった。

ブルーグラスは僕にとって今でも魅力溢れる音楽だ。自分が「これ凄い」と思い、影響を受けてきたブルーグラスを順を追って書いてみよう。

フォギー・マウンテン・ボーイズ、ブルー・グラス・ボーイズ、スタンレー・ブラザース、テネシー・カッタップス、バージニア・ボーイズ、オズボーン・ブラザース、ディキシー・パルズ、ニュー・イングランド・ボーイズ、グリーン・ブライヤー・ボーイズ、カントリー・ジェントルメン、ディラーズ、ニュー・シェイズ・オブ・グラス、ニュー・グラス・リバイバル、セルダム・シーン、

個人の名前を出したらきりがない。

だが、今自分も年とって「やっぱりいいなぁ」と思えるもののトップは、もしかしたら往年のスタンレー・ブラザースかもしれない。

アイリッシュ・ミュージックの真の姿を追い続けているうちに、本当に心あるブルーグラスを聴きたくなってきたのだ。

ネッシー・エクスペディション

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久しぶりにわくわくする気持ちでCDを購入した。試聴させていただいた彼らの演奏があまりに力強く、素晴らしかったからだ。

 

ネッシー・エクスペディションのそれは、1976年に録音されたものらしいが、勿論その当時も聴いていたものである。彼らは東京のブルーグラス・シーンでは、今もベテラン・バンドのひとつとして演奏している。

 

このアルバム、最初から度肝を抜かれる。そして最後まで、全27曲も入っているが、どれも力強く、ブルーグラスの魂であるハイ・ロンサムがひしひしと伝わってきて、本当に心からの感動を呼ぶ。

 

彼らの歌や演奏のテクニックもさることながら、やはりそういうところに目が(耳が)いきがちな若いころとはまた違う、彼らの“本気ぶり”にこちらも歳と共に気が付かされたのかもしれない。

 このアルバムのCD化を実現させてくれた皆さんに感謝すると同時に、情報が少なかったあの時代に、こんなに素晴らしい演奏を残してくれたバンド・メンバーにも、心からの「ありがとう」を言いたい。

Cormac Begley上陸

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バッグの中には3つのコンサルティーナ。ひとつはジェフリーの1700年代の美しい芸術品。ラチナルのバリトン、そしてサットナー。

着くなりホーンパイプ、リール、ジグ、ポルカと連発。若手の本格的トラッド奏者の演奏を間近で、しかもアコースティックで聴ける絶好のチャンスをお見逃しなく。

あなたの人生の1ページに、コーマック・ベグリーの本物のアイリッシュ・ミュージックを加えてください。

 

 

 

 

ザ・ナターシャー・セブンとその時代背景 7(最終回)

本当は最初に書くべきことかもしれないけど、敢えてこの最終回に書いてみようかな、という事柄からまず始めます。

高石氏が住んでいたところ、福井県、当時は遠敷郡名田庄村といっていたが、今は合併されて名前が変わっているそうだ。

初めて名田庄村を訪れた時、これから吹き始めるだろう新しい風をまだ感じることはできなかった。

大学にも、ろくに行っていない中途半端な学生気分だったのだろう。

でも、来る日も来る日も、近くのお不動さんの滝のところまで山道を歩いては、声を出して自然の中からかえってくる自分の声に耳をすませた。

今、演奏しているアイリッシュ・ミュージックも同じだ。自分の演奏は自然の中に溶け込んでいかなくてはいけない。それでこそ音楽を演奏している、といえることだ。多くのアイリッシュ・ミュージシャンから後に学んだことは、今思えば1971年から体の中にいれていたのかもしれない。

山の彼方からかえってくるカーター・ファミリーソングの数々。それに、バンジョーの小気味よい音も、マンドリンのトレモロも、ギターのベースランも、みんなみんな山の中に吸い込まれて、そうして、かえってくる。

フォークソングの真の姿がそこにあった。いや、全ての音楽の真の姿がそこにあった、と言えるだろう。

名田庄村から始まったザ・ナターシャー・セブン。世に名前が出てくると、普通の音楽に物足りなさを感じていた若者たちが、まるで名田庄村を聖地のように訪ねてきた。

確かに、その時代背景の中にあって、他に類をみないグループであった。本当に高石氏という稀有な存在がなかったら、僕らも開花しなかっただろう。

そして、数多くいたブルーグラスの演奏者たちのなかから、これはなにかを持っている、新しい風を起こすことができるかもしれない、と感じて僕らを起用してくれたことに於いても、並はずれた感性を持ち合わせていた、と思わざるを得ない。

実際、多くのフォークイベントにも参加したが、僕らのようなスタイルは皆無だった。そういう時代からずっと日本の音楽界に感じることは、誰かみたいなサウンド、というものが多すぎることだ。

ナターシャーの最初のころ、よく高石氏が言っていた。「お客さんは、アール・スクラッグスも、ジョン・マキューエンも知らない。知っているのは今目の前にいるあなただけだ」

そして、それはアメリカでアイリッシュを始めた時もずっと意識してきたことにつながっていった。

最近面白い話を聞いたが、ある友人のハーモニカ・プレイヤーの教室に、他でも習っている、という若者が訪れたそうだ。

そして、まず、なにか吹いてみてくれ、というと「オリジナルです」といって訳の分からないものを吹き始めた。そこで「例えば、ブルースのスケールのようなものはどう?」と訊くと「それってなんですか?」という答えがかえってきたそうだ。

他のところでは「まず、オリジナルを作れ、と教えられた」ということらしい。

オリジナルというのが、果たしてオリジナリティーだろうか。もちろん、僕にしても多少のオリジナル作品はあるが、それは当然のことだろう。

ナターシャーにもオリジナル作品は数多くある。

だが、音楽に於いて本当のオリジナリティーというものは、そのサウンドを聴いた時、他の誰でもない、という音を提供できるかどうか、ということだろう。

並みいるマンドリン弾きの中でも、サム・ブッシュの音は明らかに違う。デビッド・グリスマンもそうだ。ジェスロ・バーンズも。B・Bキングの歌とギターは…とにかく、音に歌に個性が溢れ出ている。

ザ・ナターシャー・セブンが1971年からずっと追い求めていたもの、そして数多くの人達を惹きつけてきた理由は、ザ・ナターシャー・セブンでしかない何かが確実にあったからだといえる。

‘84年までしか分からなくて申し訳ないが、井芹まこと(フィドル)蓑岡修(ベース)山本よしき(ベース)北村けん(ベース)金海たかひろ(マンドリン)伊藤芳彦(ベース)木田たかすけ(全て)兼松豊(パーカッション)進藤さとひこ(ベース)そして、大学時代からの無二の親友だった、坂庭省悟(いろいろ)これだけの人達が、ザ・ナターシャー・セブンとして一緒に唄い、演奏した。

今僕は、ナターシャーで得たお金には代えがたい財産と、新たな音楽パートナーとで、他の誰とも違う音楽を目指している。

同じアイリッシュを演奏していても、最もシンプルな「フィドルとギター」という、決定的に難易度の高い組み合わせをどう表現するか。

ナターシャーで唄ってきた歌を自分たちの基本であるアイリッシュ・ミュージックと、どう組み合わせて他と違うものを創り出していくか。

ピアノから音楽を始めて、かれこれ60年、今までに聴いてきた音楽、演奏してきた音楽をいかに自分のスタイルにしていくか。

まだまだ課題は山積みだが、ザ・ナターシャー・セブンで培ってきたものは、今また新たなパートナーと共に、自分の中でふくらみつつある。

高石ともや氏、そして、マネージャーであった故榊原詩朗氏に、そして僕らの為に働いてくれたスタッフの面々に、そしてもちろん、あの時代、どこにもなかったへんてこなサウンドを支持し、そして今でもその気持ちを変わらず持ち続けておられる皆さんに深く感謝いたします。

 

また、なにか思いついたら書きますが、ひとまずこれで終わり。

ザ・ナターシャー・セブンとその時代背景 6

グループも、もはや破竹の勢いで邁進していた。

思えば、結成当時は、高石ともや29歳、僕は21歳だった。すぐ後に高石氏が30歳になり、19歳の金海たかひろをメンバーに迎えた時、3世代揃ったバンドだ、と言っていた。

確かにほとんどのフォーク・グループが同じ世代で構成されていた事を考えると、それだけでも珍しい存在であったかもしれない。

そこにもってきて、他のグループが成しえない編成で(あくまで、レコード会社に所属するプロのミュージシャンという意味で)他のグループが取り入れることのない形態の音楽を演奏し、なお且つエンターティメント性溢れるステージ、ということになるとある意味最強だ。

しかも、意固地になって京都から全てを発信している。これは高石氏の素晴らしいこだわりであった。なにも全てが東京に行く必要はないのだ。

今でこそ当たり前の考え方だが、当時は少し名前が出るとみんな東京に移り住んだものだ。また、それでなければ仕事にならなかった一面もある。

でも、本当にいいものだったら別に東京にいなくたって、逆に東京のひとが聴きに来ればいいじゃないか。

毎年やっていた春、秋の昼下がりコンサートでは、修学旅行の学生たちがなにも気付かずに通り過ぎるのに、舞妓さん達が「あっ、ナターシャーがやったはる」と口ぐちに言って行くくらいだった。

かくして、京都をベースにした僕らを、京都の人達、また、特筆すべきは、高校生や中学生が厚く支持してくれた。驚くことに70年代中期には、京都のどの高校にも、ひとクラスに3~4人はバンジョー、マンドリンを持った子がいた。

そのうちのひとり、進藤さとひこが後のベースマンとなるが、最初はバンジョーを弾いていた。

どこから見ても育ちの良さそうな、か弱い中学生だった彼も、僕と省悟の“愛のムチ”で、驚くほどの成長ぶりをみせた。余計な部分でも…かな。

そして、‘84年に僕が抜けたあとも、彼は坂庭省悟とともにザ・ナターシャー・セブンの重要なメンバーとしてその地位を確立していった。

世の中の音楽事情は、というと、全てがデジタル化されてきたようで、どこか味気なかったような気がする。

それはなにも日本に限ったことではなかったが、日本ではフォーク・ソングというものが明らかに歌謡曲となっていった。

ザ・ナターシャー・セブン結成当時からよくイベントに一緒に出ていたフォーク歌手たちはいつしか演歌歌手となっていき、ニュー・ミュージックなどと訳の分からない呼び名で持て囃されていた。

もちろん、それで稼いでいるわけだし、お金は沢山作れるほうがいいだろう。だが、それがフォーク歌手と言われてしまうことが不思議だ。

僕にはフォークっぽいものや、ブルーグラスっぽいもの、それにアイリッシュっぽいものは馴染まない。

おそらく、ザ・ナターシャー・セブンが世に出た頃、ブルーグラスをこよなく愛する人達はブルーグラスっぽいものとして僕らの存在を嫌ったのだろうが、高石ともやは本物の筋金入りフォークシンガーだった。

彼はブルーグラスもオールド・タイムもフォーク・ソングも、すでに遥かに越えた彼独特の世界をその歌唱力に中に持っていた。彼は間違いなくパイオニアだ。

坂庭省悟はドック・ワトソンやクラレンス・ホワイトをこよなく愛し、フラットピッキング・ギターを弾かせたら、これまた坂庭省悟独特の世界でありながら、常に彼らのスタイルの研究に励んでいた。

そんなグループであったから、世の中がいくら変わってもそれまでの姿勢を崩すことはなかった。

それでも当時のレコード会社は売る気でいたんだろうなぁ。そのへんのことは僕にはよく分からないけど、そんな矢先にマネージャーが亡くなった。

1982年のことだった。思えば彼が、京都で音曲に親しんでいる若者たちの中から僕を選んでくれたのだ。

そんな意味では、僕にとってのザ・ナターシャー・セブンはその時に終わりをみていたのかもしれない。

ザ・ナターシャー・セブンとその時代背景 5

1975年初期になると、メンバーに木田たかすけを加え、さらにバンドとして厚みが増してきた。

木田たかすけは見事にそれまでのナターシャーサウンドに溶け込んでくれた。

もちろん、音楽に関しては何もかもお見通しの彼だったが、非常に寛容で、あれだけポップスの第一線で活躍していたのにブルーグラスにも鋭く反応してくれた。

彼はナターシャーに入るまでベースを弾いたことはなかった。なんの楽器でもそうだったが、「ちょっと待っててね」と言って、考え事をすること10分程。「よし、じゃぁいこうか」

どこかでイングリッシュ・コンサルティーナを買って来た時もそうだった。もちろん、流暢に弾くわけではないが、簡単な音階はアッと言う間に弾いていた。

ティン・ホイッスルの時もそうだった。手にして10分後にはレコーディングにまで使っていた。

「こういうもんは雰囲気だから」柔和な笑顔でいつもそんな風に言っていた。

かくして、歌い手として、またショーマンとしても超一流である高石ともや、フラットピッキング・ギターの名手でコメディ・センス抜群のハスキー・ボイス坂庭省悟、編曲家として高名であり、幅広い視野を持つ木田たかすけ、そして僕という、前代未聞の組み合わせのバンドが完成した。

ザ・ナターシャー・セブン第2期黄金時代の幕開けだ。第1期と第2期があまりに近すぎるような気もするが、細かいことは抜きにして…。

そしてこの頃になると当時の売れっ子バンド“ダウン・タウン・ブギ・ウギ・バンド”ともよくツァーをすることがあった。

一見(一聴)全然関係なさそうだが意外と共通点があった。ギターの和田は静岡市に住んでいたことがあるらしく、ローカルな話題に華が咲いた。彼が良く言っていた言葉を想い出す「フォークはいいなぁ。歳が言ってもそれなりに出来るし。でもロックはいつまでもやってられないしなぁ」体力的なことを言っていたのだろうけど、どうして、どうして、まだまだ現役だ。

宇崎さんはカントリーもこよなく愛し、“ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー”を僕らと一緒にやったりした。途中で何故か“月の法善寺横丁”に変わっていってしまうのだ。

鼻にティッシュ・ペーパーをいっぱい詰めて“ほうちょういっぽん、さらしにま~いて~」と唄う様は見事だった。

そんなふうにがっぷり組んでのジョイント・ツァーは結構続いたものだ。ダウン・タウン・ブギ・ウギ・バンドを聴きに来て、半ば事故のようにザ・ナターシャー・セブンという、海のものとも山のものとも分からぬグループを見てしまったおかげで、今もバンジョーを弾き続けているひともいる。

野球もそれぞれにチームを作ってやったものだ。

そういえば、ビル・モンローも野球チームを作っていたんじゃなかったかな。他にも松山千春チームというのもあったな。もちろんコンサートでもよく一緒になったものだが、野球での彼は、当時読売ジャイアンツにいた新浦から教わった、という“フォークボール”でバッタバッタと三振の山を築いていた。僕も2三振食らった。

そんな人達とのジョイントも、木田たかすけという有能なアレンジャーがいたからこそ、音楽的にも楽に物事が進んでいったのだろう。

1980年、バンドを離れて、再度アレンジャーとしてスタートしはじめていた木田たかすけが事故で亡くなった。

そのすぐ後、松山千春と野球をやった。 彼が僕の肩を抱くようにして言った「残念だったね。お互い頑張ろうね」

すでにバンドを離れていたとはいえ、木田たかすけは、それから先のザ・ナターシャー・セブンにも多大な影響を与え続けたメンバーだ。

ザ・ナターシャー・セブンとその時代背景 4

1974年になると月に20日も外に出ることもあった。それでも新幹線の連結部分では必ず練習に励んだものだ。

今だったら騒音防止法とかいうものがあるのだろうけど。それでもさすがにバンジョーは練習しなかったかな。

省悟と二人で、マンドリンとギターを出してビル・モンローの曲やドック・ワトソンの曲など、よく弾いていた。

青函連絡船の甲板でも弾いた。本当に疲れている時でも、いつもいつも「ここ、こうしようか」「このほうがいいんじゃない?」なんていいながらやっていたものだ。

そしてお互い家に戻ってからも、電話で「さっきのあれ、こうじゃないか?」なんていいながら、肩で受話器を抱えて弾いたものだ。

僕らはコンサートの中でも必ずそれなりの曲(漠然としたいい方だが。受ける受けない関係ないという意味で)を数曲やらせてもらった。

ビル・キース、デビッド・グリスマン、ダン・クレイリー、様々なインストゥルメンタルをやりながら、日本語のブルーグラスをつくりあげていった。

日本民謡もずいぶんやった。高石氏が持ってくる多くのアイディアを僕らがアレンジしてかたちにしていった。

それらのいくつかは、今でも演奏させてもらっている。どこへ行く時もその土地のことを意識する、というのは素晴らしいことだ。

そして、今、僕らがアイルランドで演奏する時もそういったレパートリーを持っていることが自分のアイデンティティ-を明確にする上でとても役に立つのだ。

去年(2012年)のアイルランド、フィークルのペパーズというパブでアンドリュー・マクナマラと演奏した時のことだ。

アンドリューは鉄砲獅子踊り歌が大好きで、もう随分前から(多分15年くらい前から)一緒にやっている。とても覚えにくい節回しらしく、4文字言葉を連発しながら練習に励んでいたものだ。

彼は必ず僕に、唄ってくれ、とせがむ。そして本当に嬉しそうにアコーディオンをかき鳴らす。

そして2012年の夏。午前3時頃、最後の曲でお開きになった直後、みんなになんでもいいから日本の古い歌を聞かせてやってくれ、とアンドリューが言った。

いろいろ迷ったが、僕は“そでやま節”を唄った。その時、パブが一瞬水を打ったようになってしまった。大体、歌が始まると礼儀として静かにするものだが、ほとんどの人達が、明らかに異文化に触れている不思議な感覚を味わっている、という顔をしていた。

1984年にジャネット・カーターと、ヴァージニアの小さな小学校を訪れた時、ジャネットの唄う“School House on the Hill”をそのまま日本語で「背よりも高い~」と続けた時の子供たちの驚き様は今でも鮮明に覚えている。

フィークルではその時と同じような感覚だった。

これらの歌は、もし高石氏の思い描くザ・ナターシャー・セブンをやっていなかったら自分のレパートリーには無かったものだ。

初代高橋竹山の元を訪れたのはいつごろだったか。76年のよいよい山コンサートで、竹山師匠をゲストとして呼んでいるし、その前にも75年には何度かご一緒させてもらっているので、74年くらいだったかもしれない。

僕と省悟の二人で青森の小湊という小さな町に降りたった。

当時、弟子をとらないことで有名だった竹山師匠の元に、拝み倒して弟子にしてもらったという、東京から来た18歳くらいの女の子がいたが、それが今の2代目高橋竹山だ。

僕はバンジョーを師匠に渡し、僕が師匠の三味線を弾かせてもらった。そこで津軽じょんがら節のセッションとなったのだ。

情けないことに日本人であるはずの僕でも、日本の民謡は覚えにくい。アイリッシュの曲だったら500~600、苦でもないのだが。

そうして3日ほど泊めていただいて僕らは北海道へと渡り、また演奏に出た。

時に、ザ・ナターシャー・セブン、もう京都では知らない人がいないくらいの、押しも押されもせぬ大スターだったが、地方に行けば誰も知らなかった。

また青函連絡船のデッキで練習をしたが、新しく津軽じょんがら節もレパートリーに加わっていた。

全てはザ・ナターシャー・セブンで得た大きな財産だと言える。

ザ・ナターシャー・セブンとその時代背景 3

1973年後半から坂庭省悟が加わった。クライマックスでさんざん売れた後、もうこりごり、と大学に戻った彼をまんまと引きずり込んだかたちだ。

彼との出会いについては、もう多くの人が知っているはずだ。京都産業大学で共にバンジョーを弾いていた。

彼は“ザ・マヨネーズ”というフォーク・グループ。僕はブルー・リッジ・マウンテン・ボーイズだ。

よく僕の部室に来ては一緒に弾いたものだ。彼もブルーグラス・バンジョーに大きなあこがれを抱いていた。そんな中で印象深かったのは、彼の弾く小気味よいリズム・ギターだった。

ちょうど映画“卒業”が流行っていて、主役のダスティン・ホフマンが赤いスポーツカー(発売されたばかりのアルファ・ロメオ・スパイダーらしい)を走らせているとガス欠になって、徐々にスローダウンして車が止まってしまう。

そのシーンでギターのカッティングが段々ゆっくりになっていくのを、ものの見事に楽しそうに再現していた。

アイビールックに身を包んだ彼は、まるで映画のシーンそのもののようにうれしそうに弾いていたものだ。

やがて音楽に関する熱い思いを語り合うようになる。

加茂川の河川敷で夜通し“Earl’s Breakdown”を弾いたこともあった。あの、エリック・ワイズバーグとマーシャル・ブリックマンのダブル・バンジョーのコピーだ。

彼は無類のリズムおたく。僕は無類のコードおたく。ちょうどいい組み合わせだった。

かくして、ザ・ナターシャー・セブンは、いわゆる社会派フォークシンガーとして突出した高石氏、エンタティナーとしての限りない才能を持ち、リズム感に優れた坂庭省悟、そして僕とで、他に類を見ない、それこそまわりのほとんどが、オリジナルで世に出るのが個性であり、売れることが音楽を目指す者の使命だと思っている中、トラッド志向を大切にした稀有な存在として日本のフォーク界に一石を投じたのだ。

僕に於いてはその信念は今も変わっていない。自分がもしブルーグラスを、アイリッシュを愛しているのなら、そしてそれらに生かされているのなら、どんな苦しみをもそれらの為に捧げたいし、今日よりは明日、そしてその次の日も研究を惜しむわけにはいかない。トラディショナルに身も心も捧げる者の宿命だ。

それは高石氏の提案した107ソング・ブックを見ても分かる通り、やはり元のかたちを知ろうとする気持ちが無ければ、うわべだけの新しいものになってしまう。

今、107ソング・ブックを読み返してみると、よくこんなものを作ったな、と感心させられる。

ラジオの深夜放送が終わってから、また、ツァーから戻ってきては、地味な糊づけをし続けた。来る日も来る日も。

くしゃみもできない。せきもできない。印刷屋に頼めば簡単なことを自分たちの手で作り上げたのだ。

もっとも、監修者の笠木透は、これしか方法は無いと言っていた。ぼくらは、じゃぁ仕方がないな、と彼を信じた。でも実際はもっと簡単にできる方法はいくつかあった、と後できかされたのだ。

でも彼曰く「苦労して作ったものほど愛おしいものは無い。この日々をわすれてはいかんぞ」

そうして出来た本をそれぞれに30冊ほど持って売りに歩いた。文字通り北は北海道から南は九州、沖縄まで。

自分たちの知らないところで、自分たちの作ったものが、知らない人に買われるよりも、買ってくれた人の顔を見て、話を聞いて、そうして世に送り出してあげようじゃないか、という考えだ。

なんでこんなことをしてまでも、という気持ちは正直あったが、その経験は音楽上でも生かされているだろう。

未だにそのころのザ・ナターシャー・セブンの思いを胸に抱いてくれている人達、共有してくれている人達が日本全国に一杯いる。そんな人達に感謝すると同時に、107ソング・ブック作りを提案した高石氏の音楽に対する一種生真面目さにも、そして製本のために苦労した仲間達にも、みんなに感謝だ。

ステージ作りに関しても、高石氏は他に真似のできないものを持っていた。もちろん、そこには僕と省悟という稀有な存在が必要不可欠であっただろうが。

間違いなく、ザ・ナターシャー・セブンの黄金期は1973年から始まっていたのだ。

ザ・ナターシャー・セブンとその時代背景 2

初めて高石氏と練習した曲は“Roll in my Sweet Baby’s Arms”だったと記憶している。そう、“あの娘のひざまくら”だ。

ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズや、バスター・カーター&プレストン・ヤングを参考にして、何度も何度もくりかえし歌った。

当時、まだ僕は日本語で歌う、ということ、特にブルーグラスではそのことに慣れていなかったので、なんか変だなと思ったことも事実だ。多分、大学時代にさんざん英語で歌っていたものだから、だろう。

もちろん、‘66年頃の“バラが咲いた”から始まった日本のフォーク・ブームだったし、いくつかのフォークソングは日本語でも唄っていた。高校時代のバンドではオリジナルもよく作ったものだ。

ちょっと昔話。最初に聴いたフォーク・グループは“ブラザース・フォァ”だった、と記憶している。

まだ小学生の頃、“遥かなるアラモ”という映画を観るために東京まで出かけて行った。その時Dm~Dmajorという進行で美しく唄われた“The Green Leaves of Summer”は後に僕がギターを手にした時の最初の課題曲だった。

やがて、バンジョーを手に入れると、その演奏技術がもう少し高かった“キングストン・トリオ”へと移行していったが…。

当時は“ハイウェイメン”“タリアーズ”“トラベラーズ・スリー”それに少しあとになって“モダーン・フォーク・カルテット”などをよく聴いていた。

余談だが、“トラベラーズ・スリー”のレコードジャケットを虫眼鏡で見て、バンジョーのピックの付け方を研究したものだ。

ナターシャーを始める少し前は“モダーン…”とブルーグラス、オールドタイミーをミックスしたようなバンドを作っていた。

その当時は、ジャンゴの“ホット・クラブ・オブ・フランス”もよく聴いていたうちのひとつだ。

“モダーン…”は当時のフォーク・グループでは珍しく、コーラスが“フォァー・フレッシュ・メン”ばりのジャジーなものだったが、かなり忠実にコピーした。

コーラスのパートひとりひとりの音階は面白いように飛んでいる。今までの僕らの常識では考えられなかった。高校時代から聴いてはいたが、正式にコピーし出したのは‘69年から‘70年にかけてくらいだろう。

京都産業大学ブルーリッジ・マウンテン・ボーイズで先輩と喧嘩してグループをぬけることになる前後かな。

大学では法学部(京産では別名“ぁ法学部”)に在籍していたが、ブルーグラスを演奏するために行っていたようなものだったので、将来何をするかも考えていなかった。

音楽で生活をすることも考えていなかった。もし、母親があんなに早く亡くならなければ確実にピアニストの道を選んでいただろうけど。

そんなときに高石氏と出会ったわけだ。あの娘のひざまくら~と唄いながら、変だなぁと感じつつも、これは面白いかも、って思っていた。

やがて三木トリローの“サン・サン・サン”や“近江の子守唄”などもレパートリーとして取り入れた。

もちろん“Foggy Mountain Breakdown”も。そして、日本語で唄う、ということにもだいぶ慣れてきた。

高石氏の歌は、人々の心の奥深くまで感動を与えるほどの魅力あふれるものであったし、僕も彼と出会ったことで音楽観が変化していくだろう予感がした。

いろいろ変わった人達とも共演した。イッセー尾方、ツノダヒロ、なぜかアイドル歌手の渋谷哲平と仲が良くなった。岩崎宏美とも仲良しだった。

小沢昭一、野坂昭如、永六輔、若林美宏(11PMのベッド体操の人)浅川マキ、などとも一緒に出演したものだ。

野坂さんが僕らの楽屋に来て「新人歌手の野坂です」とすっとぼけた挨拶をして出て行ったこともあった。

浅川マキさんと同じ楽屋になった時「あたしが化粧を落とした顔を観たのはあんたたちが初めてよ」とすごまれた。

若林美宏が突然ステージで素っ裸になったのには度肝を抜かれた。あれはどこだっただろう。渋谷公会堂だったかな。超満員のお客さんは一瞬言葉を失った。他の出演者もスタッフもオロオロするばかり。

しかし、あまり見事すぎて、そして自然発生すぎて、大胆すぎて何が起こったのか分からないくらいに時間が過ぎてしまった。“ワイルドだろぉ~”どころではない世界だ。

まだ初期の頃、僕らは高石氏の文化人としての活躍ぶりに目を見張るばかりだった。

ザ・ナターシャー・セブンとその時代背景 1

1971年、1月。高石ともや氏と出会った。ちょうど同じ時期、ブルーグラス45の2代目がアメリカ・ツァーをするので、バンジョーで参加して欲しい、という依頼があった、と記憶している。僕の記憶が確かなら、僕の代わりに黒川君というとても上手いバンジョー弾きが行ったと思う。

何と言っても、もう40年以上前のことだ。そうそう覚えていない。だが、この話はちょうどナターシャーをやり始めた頃にぶつかっている、という点に於いて、とても似た話しが僕にはあるので、確かである。

その似た話しというのは…ちょうどアイリッシュを始めた時、ピーター・ローワンから電話があり、新しいプロジェクトでバンジョーを弾いてくれないか、ということだった。

今はアイリッシュにぞっこんだから、と言って断った。1991年のことだ。

 

さて、ナターシャーの話に戻ろう。

みなさん知っているように、高石氏は当時、すでに高名なフォークシンガーであったが、やはり根っから音楽が好きな人である。

お金とかいうものにはかなり無頓着な人だ。名声というものはこの商売に関わる人にとっては魅力的なものだ。それは当り前のこと。

ただ、彼がキャリアを一旦捨てて、本当のフォークソング探しの旅に出たことが、後にナターシャー・セブンを生む事になったのだから、“富も名声も捨てて”という表現があてはまるのだろう。

事実、ナターシャーの初期「高石ともやは気が狂ったか」と評した人達もいたそうだ。そして、ブルーグラスを日本語で唄うという事に対しても「もうすでにブルーグラスではない」「ブルーグラスをバカにしている」などいろいろあったものだ。

だが、僕や坂庭君は気にもせず、高石氏の素晴らしいアイディアを追従しながら、とことんトラッドな20年代のスキレット・リッカーズやリリー・ブラザース、モリス・ブラザースなどにも聴き入り、自分たちなりにブルーグラスやオールドタイムも研究していた。

ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズもしかりだ。思うに高石氏も僕も坂庭君も、うわべの音楽が嫌いだったのだ。

ちょうど当時、ニッティ・グリッティ・ダート・バンドとクロスビー・スティルス&ナッシュ(ニール・ヤング加入前)のアルバムが出た頃で、たしか高石氏のお気に入りの二つであった。特に、ニッティ…ではフィドルとバンジョーのジョン・マッキューエンがひと際彼らの音楽にスパイスを加えていた。いや、カントリー・ロックの中にブルーグラス魂を開花させていた。それは、当時多く存在した、どのカントリー・ロック・バンドとも違うサウンドを生みだしていた。

そして、こんな音楽でありたい、というのが高石氏の口癖だった。

僕が当時良く聴いていたのは確かピ-ト・シーガーの“ウィー・シャル・オーバー・カム”というタイトルのライブ盤だった。なんか逆みたいだが…。そんなものをまだ、クライマックスで売れまくっていた坂庭君が加入する前に高石氏と二人でよく聴いたものだ。

そして、ある時アメリカから里帰りした元ブルーグラス45の大塚あきらさんとバッタリ東京駅で出会った。その時に彼が持って帰ってきたアルバムの中に“ニュー・グラス・リバイバル”のデビュー盤があった。

今のブルーグラスで一押しだ、という彼の言葉を信じて早速購入。そして、針を置いたとたん体中を稲妻が走ったようだった。火の玉ロックから始まったそのアルバムにはまさにぶっ飛んだ。

時に、ほとんどリアル・タイムで日本に到着したニュー・グラスの幕開けに、僕らも必死になって“ロンサム・フィドル・ブルース”をコピーし、演奏したものだ。

後になって、事実上のリーダーであるサム・ブッシュが参加していた69年頃のバンド“プアー・リチャーズ・アルマナック”を聴くことにより、彼の素晴らしいトラッド志向と限りなく幅広いアレンジ能力を知るのだ。

1972~3年。ナターシャー・セブン初期のこと。ほどなくして、ボシー・バンドやディ・ダナンのレコード盤と出会うことになる。

2月、3月のライブ予定

2月9日。名古屋のDOXYというお店に参ります。最近名古屋では5弦バンジョーがトレンディーだ、という噂を聞きました。そのむかし、パディ・キーナンとカナダのエドモントン・フォーク・フェスに参加した時、ティム・オブライエンとパディ・キーナンに囲まれてバンジョーを弾きました。アイリッシュとブルーグラスが、音楽の形として、だけではなく、見事に結びついていました。日本でもそんな風になったらいいなぁ、と思っています。

 

2月10日。鳥取に参ります。このデュオでは初めてです。ほとんどの人が初めて聴くスタイルの音楽になるかもしれません。主催の方々の熱い思いに応えるべく、いい音楽会にしていくことを考えております。

 

2月16日。京都の法然院に参ります。愛蘭(アイルランド)と和の音楽、というタイトルです。

アイルランドと日本の文化の違い、そして共通点など、音楽を通して感じていただきたいと思っております。

 

2月23日。東京の蒲田教会でコンサルティーナの若手ホープ、コーマック・ベグリーを招いてのコンサートです。彼の、この楽器に対する並々ならぬ情熱を目の前で感じ取ることが、そして彼のような若手ミュージシャンがいかにトラッドを大切にしているかを垣間見ることができる、またとないチャンスです

 

3月16日。南浦和の宮内家という一風変わった名前のお店に参ります。ここも初めてです。近郊の方、よろしくお願いします。

 

3月20日。横浜のサムズ・アップというところに参ります。ここも初めてです。その日は松田“アリ”幸一さんをゲストにお呼びしてアリます。数曲一緒にやってもらうつもりでアリます。僕らもデュオとしては初めての、「街の灯りがとてもきれいね横浜たそがれ」です。希花さんにはわからないでしょう。

 

3月23日。三島のVia701という、これまた初めてのところに参ります。静岡県人である僕からも是非よろしくお願いします。

 

3月24日。東京の大森にある“風に吹かれて”で松田“アリ”幸一さんとの、今度は横浜とは違ったかたちのコンサートを行います。恐らくレパートリーも3人の絡みも全く違うものになるでしょう。

 

3月28日。岡崎。3月29日。中津川アーニー・ホール。3月30日。常滑。この3か所はアリさんとのトリオです。

 

今現在このようになっております。また他にも小さな会があるかもしれません。その都度お知らせいたします。ライブスケジュールの方も合わせてご覧ください。

アイリッシュ・ミュージックに於けるギター(チューニング編)

ギターというのは完璧なチューニングをすることが非常に難しい楽器だ。では完璧なチューニングとは?

僕らは(僕と希花)チューニング・メーターというものを使わない。フィドルとギターが合っていればいい、という考え方だ。

彼女が442を出す。曰く、その日のコンディションで微妙な“違い”があるそうだ。そこに合わせる。

そしてギターに於いては、それぞれの弦の音程よりも、全体のバランスを整える。そのため、自分が使うギターの“くせ”というものは熟知していなくてはならない。

いつも思うがDADGADのチューニング方法では2弦の5フレット目と(D)と1弦の開放(D)の関係が非常に微妙だ。

それと3弦2フレット目の(A)と2弦開放の(A)そしてこれをクリアしてもカポタストを2フレット目にして弾くとすでに微妙な“ずれ”が生じている。

これはなにもこのチューニングに限って言えることではないが、特にこのようなほとんどオープン・チューニングと言えるものでは顕著に現れる。

僕は自分のギターの、6弦と2弦の“くせ”を把握しておく。6弦は重要だ。キーが変わって開放から7フレット目にカポを着けた場合、その距離は相当なものになる。

もちろん、曲によっては開放のままのAポジションのほうが曲の持っているニュアンス、そしてその曲のメロディーの進行状況に適している場合もあるが。

アンドリュー・マクナマラと初めて演奏した時から、次に出てくる曲のキーだけを直前に叫んでもらい、それに合わせてカポを移動する。

その時に“くるい”が生じていたら1秒以内に直す。まず6弦を直し、曲を把握しながら他の弦も直していく。これが大変だが、決して糸巻きで直していくばかりではない。右手でピッキングしながら特定の弦を抑えたりしているのだ。

気が付いている人もあまりいないだろうが、実に巧妙に細かい調整をしている。問題はまた元のキーに戻った時、それらの調整でバラつきが出ていないかということだ。そこも考慮に入れてチューニングをする。

それはレコーディング・エンジニアですらも気が付かないほどの巧妙さだ、と言えるだろう。

事実、ジョディース・ヘブンのレコーディングの時でもかなりの曲でカポタストを移動させ、調整しながら弾いていた。

因みにその時のエンジニアは、ウイリアム・コルターというサンタ・クルーズ・エリアきっての美しいギタープレイを聴かせるギタリストだったが、全てのレコーディングが終えた後、ネタばらしをすると、彼は本当に驚いていた。全く気が付かなかったそうだ。

なにはともあれ、ずいぶん前は僕もチューニング・メーターなるものを使っていたが、結局そんなものに合わせるよりは、微妙に違うその時の弦のコンディションだったり、体調だったり、その楽器の特性だったりに合わせた方が良かったりするものだ。それに、長いこと弾いていると、大体、弦の張り具合でも分かるものだ。

後はその時一緒にやる人と合わせればいいだろう。

それでも、ケースから出してすぐに弾ける、アコーディオンやコンサルティーナはいいなぁ。ハーモニカもだ。

ここ40年にわたる日本の音楽事情に思うこと

40年、とはいっても、結局こんなことを思ってしまうのはここ数年のことかもしれない。

70年代初頭から音楽を職業にしてきたが、自分の大切にしてきた希少なタイプの音楽に対する姿勢は崩すことが無かった。

それもグループ(ザ・ナターシャー・セブン)の姿勢であったことはとてもラッキーだったかもしれないし、時代背景というものも忘れてはならないことだ。

当時はもう名の通ったリーダーであった高石ともや氏が、すでにこの国の音楽に対する懐の浅さ、というものをいち早く感じていただけに、僕らは彼と共に他とは違うものを創り出すことができたのだ。

彼の残した功績は計り知れないし、そこに参加できたことは大きな財産であり、また誇りに思う。

最近、ネット社会になって他人の見解などを覗いてしまう機会も増え、また、何気なしにテレビなどを見てしまうと、ずいぶん“すっとんきょう”な意見を述べている音楽関係者もいるもんだな、と感心してしまう。

少し前に亡くなった横森良造さんのことを“アコーディオンという楽器に、ダサいもの、という観念を植え付けたひと”と評した音楽関係者がいた。悪気はないのだろうし、ツイッターという短い文章を作るものだったため、他にも言いたいことはあったのかもしれないが、困ったものだ。

思うことは勝手だが、その道60年にも及ぶ先人のことだ。やはりなにかしらフォローはして欲しいものだ。

また、最近テレビをみていたら、昔デビューしたことがある歌手、という女性が、ご主人のアコーディオン奏者を引き連れて、今一度唄いたい、ということで登場した。

歌もそこそこ上手く、ご主人のアコーディオンプレイもツボを得ていたものだったが、それを聴いたレコード会社のひとりが、こういったのだ。

「とてもよかったです。どこかアイリッシュな雰囲気がして」思わず「どこがや!」とつっこんでしまった。

アイリッシュ的、という言葉が流行っているのかな。あの業界では。

また、公開されたミュージカル映画“レ・ミゼラブル”を取り上げた番組で、かなりの枠を使って作品の素晴らしさを紹介していたが、ある著名人がこう言ったのだ。

「素晴らしい映画でした。涙が止まらなかったです。これを観た後、たまらなくカラオケに行きたくなりました」

番組の終わりに出たコメントで、すべてが帳消しになってしまった。

さらに、出演者が口々に「いいですねぇ、いきましょう。これからいきますか」

あきれてものがいえなかった。ま、そう感じたのも僕だけだったかもしれないし、あまり僕もそんなことに目くじらたてるのもよくないことだろうけど、いろんなところでこの国の音楽事情には失望させられる。

と、まぁ失望してばかりでは仕方ないので、わが道をひたすらいかなくてはならないのだが、支持していただけるひとたちのためにも頑張らなくてはいけない、と思う今日この頃です。

アイリッシュ・ミュージックと楽譜 2013年1月に思うこと

よく、「あの曲の楽譜ありませんか?」という質問を受けます。タブ譜もしかりです。ブルーグラスでバンジョーを弾いていた時にはタブ譜を読んだり書いたりしていました。実際にピート・シーガーの教則本にフォギー・マウンテン・ブレークダウンのタブ譜があり、それまでに弾いていたものと照らし合わせて弾いてみました。

後にアール・スクラッグスの教則本をみると、1小節目から右手の指使いが違っていました。そう言った意味ではタブ譜というものは参考になります。

しかし、もうそんなものを見ながら弾く余裕も、そんなものを書く根気もありません。当時、映像も何もなく、来日するミュージシャンを目の当たりにする機会も極めて少なかった為にしつこいほどに聴いてはコピーし、また聴いてはタブ譜をつくる、といった作業に明け暮れていました。

妥協は許されなかったのです。あくまで自分自身で、という意味ですが。

時は移り、あれからかれこれ45年ほど、うわー、すごい。(希花談)

今、アイリッシュ・ミュージックを演奏していて、よく楽譜のことを訊かれますが、そんな時僕は必ず「ないこともないけど、耳で聴いて体で覚える。もうこれしかないです」と答えます。

事実、The Sessionというサイトには数千にも及ぶ曲の楽譜が掲載されています。そしてその中のひとつの曲をとってみても、これまでに弾かれた数々のバージョンが存在しています。

僕がこのサイトを利用するのは、20年も前に演奏した曲の最後の小節を忘れてしまった、とか、タイトルの一部を忘れた、とか、そういった時ですが、それでもちょっと記憶とは違うバージョンが載っていたりします。

そんな時には、一旦楽譜をみてから、あの人はこう弾いてたな、とか、このほうが理にかなっている、などと考え、その曲に関する様々な意見や見解が投稿されているcommentsの部分を注意深く読みます。

一緒にやっていたジャック・ギルダーはこのcommentsの常連。

そしてとにかく弾いて弾いて弾きまくって自分の体の中に入れていく。それからそれらの音の進行に合わせたコード創りをかんがえる。

新たに覚えた曲などはそうしてものにしていきます。600~700もの曲を演奏していると絶対に忘れる。そのタイトルも、細かい部分も。

しかしながら、体で覚えたものは忘れにくいものです。それに引き換え、楽譜で覚えたようなものはいとも簡単に忘れてしまいます。

みんながそうではないのでしょうけど、少なくとも僕はそうです。

アイリッシュ・ミュージックはフォームとしてはとても簡単な音楽に聴こえるでしょう。しかしとても難しいものです。そして経験すればするほど、その難しさがいやおうなしに襲ってきます。

そして、その難しさが解ってしまったら…僕らが他人に教えるなんていうことは多分、100年早いことだ、と考えてしまいます。

今日もまたThe Sessionで曲を確認している。まだまだ習うべきことがいっぱいあります。

そしてまた、アイルランドで素晴らしい演奏家たちから沢山の曲を習ったり、想い出させてもらったり、結局死ぬまで習い続けるのかな。

最初、ティプシー・ハウスのメンバーとして迎え入れられた時、とりあえず200曲、彼らのレパートリーをきっちり覚えなくては、このバンドでアイリッシュ・ミュージックをやっています、なんて恥ずかしくて言えない、と必死になったものです。

その頃の感覚はいつまでも持ち続けようと思っています。

アイリッシュ・ミュージックにおけるギタープレイその2

久々にケヴィン・バークとミホーのデュオを観た。勿論ユーチューブで、だが。しかしながら、この映像についてはずっと心に残るものがあった。

本格的にこの音楽に取り組みだした1991年のころ、ホームスパンから入手したものだったが、友人に貸したまま今はどこにあるか分からない。

なにはともあれ、まだまだギタースタイルを模索中だった僕にとっては衝撃的なものだった。

ミホーの編み出す音は、どれもこれも完璧だった。フィドルとギターという最低限の編成で、いかに音楽を構成しているのか、穴のあくほど見つめ、寝ても覚めても、1曲目の“ピジョン・オン・ザ・ゲイト”から 最後の“フェアーウェル・トゥ・エリン”に至るまで、その全ての音のうねりが頭の中を巡っていた。

カポタストはゴムのものを使用し、まだクィックチェンジなるものが出る前だったのかもしれない。ほとんどが同じキーの進行で構成されていた。

余談だが、僕らがフォークソングを始めた頃、まだカポタストを手に入れる、という観念が無く、短くなった鉛筆に沢山の輪ゴムを絡ませて作ったものだ。それでも結構いけたもんだ。

そういえば、弦は針金を張ってみたこともあった。最低の音だった。もう50年近く前のことだ。

さて、話しを戻そう。ミホーは僕が最も影響を受けたギタリストの一人であることは間違いない。

もしかしたら、僕自身のスタイルはミホーと、もうひとり、ランダル・ベイズをミックスさせたもの、それからクラシック、大好きなジョー・パスなどが使うコード進行を取り入れたもの、ということが言えるかもしれない。

ジョン・ドイルやドナウ・ヘネシーなどは、90年代半ばにはもう同じ立場に立っていたので、さほど影響を受けた覚えはないが、どちらも素晴らしいギタリストだった。

勿論、去年来日したジョン・ヒックスも素晴らしいギタリストだ。だが、彼らも一様に口を揃えて素晴らしいギタリストだと絶賛するのがミホーだ。

フィドルとギター、という究極の組み合わせは、沢山の楽器を擁する編成のバンドと違って、ある意味とても難しい。

しかし、彼らの演奏は胸が熱くなるほど郷愁に満ち溢れている。それは民族の歴史であり、かれらを取り囲む自然であり、そういうものが音楽という媒体をとおしてひしひしと伝わってくるからだ。

僕らが生活の一部としているアイルランドの音楽。さらに今年からは心して取り組まなくては、という思いにかられる。

ユーチューブというものが果たしていいものかどうかはわからないが、こうして彼らの音を再び聴くことが出来た、というのはとても嬉しいことだ。アップしてくれたモハーさんに感謝。

阿佐ヶ谷バルト 坂庭省悟をうたう

ハープのイントロで始めた花嫁。僕の青春時代、多数のページを埋めた想い出にのせて全13曲ほどを唄いました。

最後のインスト“青春の光と影”まで、師走の忙しい時に来ていただいたみなさん、一緒に唄って頂いて心底嬉しかったです。

特に彼を偲ぶ、ということではなく、彼が愛した歌(他にも沢山あるが)を今のかたちに蘇らせるというのが、最大の供養かもしれない。

勿論、その中に彼が生きている。あいつの独特な声、独特な唄いまわしでないと雰囲気が出ない歌、心を揺さぶることができない歌、いっぱいあります。

それでもみなさんの温かい気持ちが僕を支えてくれました。多分、省悟も支えてくれていたのかもしれないし。

フォークソングもブルーグラスもアイリッシュも省悟にとっても、僕にとっても全て大切な音楽。

僕は新しいパートナーとこれからも本物の音楽を演奏し唄っていきたいと思っています。

店主の森谷君。こんな機会を与えてくれてありがとう。キッチンで忙しくしておられた中村さん、お疲れ様でした。ありがとう。

音響を担当してくれた横澤さんにはいつも最大の気配りをしていただいて感謝しています。

会うことが叶わなかった省悟の歌に絶妙に伴奏を付けてくれた若い希花に感謝。

一緒に唄って頂いたみなさんに感謝。

そして、坂庭省悟に。「ありがとう」

師走

そろそろ今年1年を振り返る時が来た。早いもんだ。歳をとると時間が早く過ぎていくようだ、と言う人がほとんどだ。

朝は早く眼が覚めるので、一日が長いようだが、気がついたらもう日が暮れそうな時間になっていることもよくある。

20代では、自分が60代になるなんて考えたこともなかった。とにかくバンジョーを弾きまくっていたものだ。

今のように便利な時代ではなかった。

レコード屋さんで同じ曲を何度もかけてもらい、頭の中で復唱しながらバスで下宿まで戻り、確かこんな感じだった、と何時間にもわたって弾き、また次の日に細かいところの確認のためにレコード屋さんに出向いてゆく。そんな毎日を過ごしていた。

めったにお目にかかれない外タレのコンサートではいつでも、どうやって弾いているんだろう、と興味津々だった。

よく覚えているが、ビートルズのヘルプで、かっこいいリードギターのリフのところを見るために一日中映画館にいたこともあった。それも3日間連続で。

結局、その部分はジョージ・ハリソンの手元がぼやけるような映像であったのだが…。

そんな風に、大きく分けると、フォーク、ブルーグラス、アイリッシュと演奏をしてきて今に至っている。

今年1年も沢山の人たちに支えられ、助けてもらって無事ここまで来れた。

音楽面でいえば、春には北海道でrinkaのおふたりの素晴らしい演奏に触れることが出来た。オートハープのご夫妻には驚かされた。

ひさしぶりに会った北のブルーグラス・フィドラーは、ただならぬブルースフィーリングを漂わせていた。

アイルランドでは各地で独特な演奏を繰り広げる人たちから沢山の刺激を受けた。やっぱり伝承音楽が好きだ。

イベントチックなものにしか興味が無い、と言った日本のアイリッシュ関係者がいたが、僕にはまったく理解できない。

選挙に当選しようと、軽々しい発言をしている政治家と同じレベルとしか思えない。

ところで、今ほど政治家というものがいい加減な存在だと思ったことは無かった。かといって、どうしようもないのだが。

いくら国民が反対しても、いつの間にか彼らの思い通りになっている。気がついた時にはそうなっているのだ。

先日、3・11関連の書物に触れたが、国会の廊下をギャラリーにして、写真展ができないだろうか。

政治家は毎日、震災で苦しんでいる人たち、ひとりひとりの顔を見るべきだ。街角でぎゃーぎゃーパフォーマンスしていないで、基本に戻るべきだが、その基本と言うものが無いのだろう。

間違いなく誰にでも人生の終わりが来る。60も過ぎると、あと20年くらいかな、なんて考えてしまう。

いや、もしかしたら1年先かもしれないし、40年も生きてしまうかもしれない。こればかりは自分でも分からない。

本当は音楽関連のことのみ書こうと思っていたが、1年が終わるということになると、いろいろなことが思い出され、まとまりのないものになってしまいそうだ。

しかし困ったことにこの歳になると、若いときにはとても言えなかった事や、決して言ってはいけなかったことなども、ついつい言ってしまって、若い人から煙たがられるものだ。くわばら、くわばら。

 

今年は秋がほとんどなかったように思う。季節では秋がいちばん好きだ。春もいいが、これから苦手な暑い夏が来ると思うとつらいものがある。

一時期、アラスカに住みたい、と思ったこともあった。それくらい寒い気候が好きだったが、最近は結構寒さも身にしみるようになってきたみたいだ。

大体、暑いだの寒いだの言い始めるのは年とった証拠らしい。確かに友人に出会ったときに「暑くなりましたね。寒くなりましたね」と言う挨拶は若いときにはまず交わさなかったものだ。

しかし日本の四季というものは素晴らしい。春の桜は誰にでも見せてあげたいし、紅葉に包まれてもの思いに耽るのもいい。

そうだ、京都へ行こう。なかなかに上手いキャッチコピーだ。

今年は京都でのライブが最後になりそうだ。63歳の誕生日。

一年の締めのつもりで書き始めたが、全く締まらないものになってしまった。またなにか思うことができたら書くことにしよう。

MUSIC IN THE AIR

Music in the Air出来上がってきました。とてもリラックスして聴けるアルバムだと思います。

行程のほとんどを自分たちでやったので、これからもっともっと勉強していかなくてはいけない部分もあります。

勉強は希花さんの得意とするところであります。僕の方は残り少ない人生を、現状維持していきながら、少し前へ進めたらいいな。

早々と次の事も考えていますが、ひとまず今回のMusic in the Airを聴いていただくと、僕らの音楽観が分かっていただけると思います。

僕らは二人とも、元はクラシック出身です。そのせいかどうか分からないけど、根本的に、美しい音楽、美しい音使いというものが好きです。

勿論、力強くも美しい、という言葉があるように、両方が揃ってこそ音楽、更に、人々が抱える喜怒哀楽を表現できれば、それこそが音楽、と言えるでしょう。

そして、ひとつひとつの音に理由がある。そんな音使いが二人とも好きなのです。なぜこの音を使うのか、ということは、なぜこの言葉を使うのか、ということと全く同じなのです。

そして、それがことさらに理屈っぽくならずに、ごく自然に打ち出せたら、本当に心からの音楽が演奏できるようになるでしょう。

そんな第一歩となるようなアルバムに仕上がったと思います。

僕達の音楽に耳を傾けてくれる全ての皆様に感謝いたします。

 

東京でのライブのお知らせ(詳しくはLive Scheduleをご覧ください)

12月8日

いつもの蒲田教会で、Mareka&Junjiのアイリッシュ・ミュージックをメインにしたコンサートを行います。

今回は事実上、2人による2nd albumの発表の場となります。

Music in the Airというタイトルで、美しく、やさしいメロディを揃えております。

新しい作品ではありますが、僕らは又、次のことを考えなくてはなりません。

8日のコンサートを、今と将来とを合わせて見つめられる、そんな場に出来るよう考えています。

 

 

12月15日

阿佐ヶ谷のバルトで城田純二、坂庭省悟を唄う、という会を店主である森谷君と企画いたしました。

僕にとってはこういう題目で初めてです。

あまり過去を振り返っても仕方ないのですが、彼は大学時代からの最も近い友人でした。

静かに彼の歌を唄います。いや、みんなも一緒にお願いします。

当日、内藤希花も参加いたします。

花嫁、初恋、別れの唄、一本の樹、心の旅、ハードタイムス、力をあわせて、旅立つ前に等、みなさんも練習しておいて僕を助けてください。

ほんの少しだけアイリッシュもやります。

彼ともよくアイリッシュ・チューンで遊びました。

企画して頂いた森谷君に感謝しています。

ジョン・ヒックス 次の土地へ

火曜日の夜、厳密には水曜日になったばかりのフライトで無事、タイに向けて飛んでいきました。

全く嵐のような男でした。

過去に、ジャック・ギルダーのアパートに居候していたことがあったので、今、僕の所にジョンがいるぞ、とメールしたところ、壊れそうなもの、大切なものは帰るまで別な処に保管しておけ、という返事が返ってきた。

まだ20代前半だった彼は破天荒の駆け出しだったのかもしれないが、今ではその破天荒ぶりにも磨きがかかり、なかなかの人間に成長していた。

10歳のころ「おれはヴァン・モリソンのギタリストになりたい」と母親に話したら、こう言われたそうだ。

「ジョン。あなたは誰のためのミュージシャンになってもいけない。あなたはあなた自身のために音楽をやりなさい。あなた自身になりなさい」

そうして15歳で家を飛び出し、世界各地で自分を磨いていったのだ。

だが、あまりに多くの納得がいかない事柄に接してきたせいか、語り出すと止まるところを知らない。結構理屈っぽくて面倒な男ではある。

多分、スケジュールがあまりタイトではなく、時間を持て余していたのだろう。とにかく毎日でもステージ上で音楽がやりたいのだ。

彼を呼ぼう、と決めた時、本当にちゃんとやってくるかな、ということがいちばん心配だった。

イタリアからやってきて、タイに帰る、というのも非常に面倒くさい。見た感じ、なんかやばいもの持っていても不思議ではなさそうだし。

そんなこともあり、スケジュールをあまり詰めなかった。そして、もうひとつの大きな理由が交通費と集客の兼ね合いだ。

いくら、素晴らしいミュージシャンでも大手の呼び屋さんがやるようにはいかない。おまけに、アイリッシュ・ミュージックに関わっている人達の動員が全く望めない、という考えられない状況。

さんざん言ってきたので、もうやめておこう。

来てくれた人達は、一様に度肝を抜かれたに違いない。熱い男がまだ少年の頃から探し求めてきた彼でしか聴くことのできない音だ。

希花に彼を紹介した時「呼ぼうよ」と強く求められた。他にも彼女が押している人物がいる。

僕はそうして、彼女に多くの凄腕ミュージシャンを紹介しているが、つい昨日、フランキー・ギャビンからオファーのメールがきた。

彼のフィドル・オーケストラの初代日本人フィドラーとして希花を起用したい、ということだ。

ジョンがそのメールをみて、「やれよ」というが、どうだろう。まだ勉学があるし。僕とジョンでメールをした。

「とてもありがたいが、まだ大学でのやるべきことが残っているので、今すぐにはできないけど、将来のために場所をのこしておいてくれるか?」という趣旨。

ジョンがいたおかげで、素晴らしい文章が送れたらしい。すぐにフランキーから返事がきた。「勿論、彼女の席は置いておく。時期をズラスかもしれないし」

いい話を受けるにはいいタイミングというのも必要である。

ジョンは言う。「アイリッシュ・ミュージックにおいてギタリストはどこまでも脇役だ。どんなに素晴らしくても、人々が相手にするのはリード楽器だ。だから俺はアイリッシュ・ミュージックからある意味さよならした。毎日まいにち同じような曲をやってはいられない。そしてアイリッシュ・チューンであってもギター一本で勝負するスタイルを創ったんだ」

彼の生き方の中では一理ある。

僕は言う「アンサンブルというのがとても好きで、アイリッシュ・ミュージックの中で独特なアンサンブルを創り出すこと、それを素材として自分なりの解釈を広げていくこと、そんなやり方に今は興味がある。希花との出会いでそれが実現している。少なくとも今は」

将来、彼女がミュージシャンとして大きく成長していけるよう、ジョンにも協力をお願いした。

語り出すと面倒くさいが、かなりインテリで、経験豊富な男だ。そしてギタリストとして飛び抜けていることも事実だ。

そうこう言っているうちにタイからメールがきた。

「いろいろありがとう。俺はいま短パンとTシャツに着替えたぞ」

だって。

ジョン・ヒックス ギター・クリニックAt ギター・プラネット

またしても気持ちのいいお天気にめぐまれ、ジョンを連れて僕と希花は一路お茶の水へ。

沢山のギターのなかから、特に僕もジョンも使っているローデン・ギターの選定をおこなうが、どれをとっても素晴らしいものばかりで選ぶのはとても難しい。

それでも僕とジョンで一本ずつ“これ”と思うものに、認定書を付けてくれた。是非トライして欲しいものだ。

さて、クリニックの方はというと、なかなか説明するのも難しいものだが、充分に彼の彼らしいギター・プレイを味わっていただいたものと思う。

お客さんの中に、アイリッシュミュージックを実際に演奏している人がひとりもいなかったことは残念だ。

僕は95年に彼のギター・プレイを聴いたことがひとつの飛躍の素となった。ショックだったのである。

これはいかん。いつまでも同じ所にとどまって、じぶんこそは、などと思っている場合

ではない。次にいかなくては、自分のスタイルを創り上げなければ、と必死になったものである。

ことさら、アイリッシュというカテゴリーをひとつの核としてこの東京でも活躍しているひとたちが、もしかしたら次のステップのヒントを得られるかもしれないチャンスを掴もうとしないことは重ねがさね残念でならない。

まぁ、諸々の事情があるだろうし、こんな歳寄りのたわごとはこれくらいにしておいて、この日のために多くの人が集まってくれたことを感謝いたします。

フラメンコギターを弾いている、という若者は、一番前で食い入るように、時に嬉しくて笑いが止まらない、という表情をしていたのが印象的でした。

店の前でぶらぶらしていたニュー・ヨークから来た、というおじさんも全く知らなかったはずなのに感激して最後まで聴いていってくれました。

昔からの友人である村松さんはぜーぜーいいながら(でもないか)「会社終わって間に合いそうだからすっ飛んできた」と言いながらやってきてくれました。

遠い新潟から駆けつけてくれた白井さん。ホワイティーと呼んでくれ、と、けったいなことを言っていたけど、すっかりジョンと仲良くなってしまい、かえりにはビールからラーメンに至るまで、全て僕らにご馳走してくれました。

今度また新潟に遊びに行かせてください。

お店のスタッフのかた。セッティングご苦労様でした。後片づけ、大変だったでしょう。

あんな感じで良かったのかな、と反省しておりますが、また是非よろしくお願いします。

ローデン・ギター、売れるといいですね。

ジョン・ヒックス 10/26

ジョン・ヒックス、やってきました。

「俺は誰のクローンでもない」という彼のギタープレイはますます凄い。さんざん弾きまくってもう眠りに入りました。

心臓が今でも高鳴りを覚えています。とても言葉では表せないけど、もしアイリッシュ・ミュージックというものに少しでも興味があったら、ノックアウトされてみませんか?

現在アイリッシュ・ミュージックを深く演奏している人も、これから演奏してみようかと思っている人も 今までのだれからも聴いたことのない、強烈な音が聴けることまちがいありません。

Jon Hicks来日

世紀のスーパーフラットピッキング・アイリッシュギタリスト

ジョン・ヒックスがとうとうやってきます。

あまり多くの公演はいたしません。世界を股にかけて活躍するジョンですが、恐らく彼のスーパーピッキングを目の当たりにする機会はなかなか無いものと思われます。

90年初頭、まだアイリッシュ・ミュージックのギタースタイルを模索していた頃、彼に出会いました。正直、やばい!と感じました。世界の大きさを知らされました。日本でアイリッシュ・ミュージックをこよなく愛し、また、演奏している人達にも、是非そんな感覚を味わってもらいたいものです。

公演予定はライブスケジュールにのっています。また彼については、このwebのコラムにも記事が載っています。お問い合わせは 10strings.j@gmail.com へ。

2012年アイルランドの旅 ~8月13日 フィークル、エニス  最終回~

8月13日 (最終回)  晴れて涼しい。

いよいよフィークルともお別れだ。そして僕らの旅もここが終わればもう終わったようなものである。

ホステルを出て、エニス行きのバス乗り場まで行く途中、ジョディス・ヘブンを見た、というアメリカ人の若者“ブレイク”と出会った。いかにもカリフォルニアの若者で、とても陽気な男だった。

去年、会った犬もいた。

コーマックとポーラックが千鳥足で歩いてきた。「今からペパーズでやるぞ。来るか?」さんざんやってきただろうに、場所が変わればまた別物なんだろう。

「いや、僕らはエニスに行くから、また来年やろう。元気でな」別れはつらいものである。

 

ジェリーも通りかかった。

フェスティバル自体も今日で終わりだ。また明日からは、みんな普段の生活に戻り、村は静かになるだろう。

しばし感傷に浸る…。

エニスに着くとブレンダン・ラリシーが待っていた。彼は僕らとちょっとしたビジネスの話もしたくて、なんか高級そうなホテルのラウンジで食事をすることにした。

ランチでサーモンのディッシュがあったのでそれにしたが、タルタルソースの乗ったサーモンは美味しかった。が、しかし、サイドにはマッシュポテトとフレンチ・フライ、そしてパテになったじゃがいも。それもすべて山のように付いている。もう、いもはこりごりだ。

ブレンダンは素晴らしいフィドラーであると同時に、音楽プロデューサーとしても高名なひとだ。

僕らが常日頃言っている、「何をやっても自由だが、基本、トラッドを大切にしなくてはこの音楽を演奏する資格は無い」という姿勢を僕らの演奏から感じ取ってもらったことは本当に嬉しい。

彼とのビジネストークはここでは書かないが、これからもいろんな意味で彼と関われたらそれは素晴らしい事だ。

日本に帰ってからも連絡を取り合う約束をして、僕らはそのままダブリンに向かった。

ダブリンには帰りの飛行機の関係上寄るのだが、いくつかの都会らしい音楽に触れることはできるだろう。

しかし、僕らはやっぱりシンプルでも心温まる田園風景が、羊が牛が、そしてロバが見えてくるような、そんな音楽に恋をしてしまう。

そして、そういう人達が世界中からやってきて、言葉も生活環境も全く違うのに、共に音を紡ぎだしていく。出会いと別れの真ん中に音楽がある。

今回の旅で出会った全ての人に感謝すると同時に、みんなが幸せに暮らしていって、またどこかで会えたら、それがなにより嬉しい。

 

2012年アイルランドの旅 ~8月12日 フィークル~

8月12日 曇り

とうとう、かなり疲れてきたみたいだ。昼過ぎまで寝てしまった。散歩しようと表に出ると、ジョン・キングとバッタリ。飲んではいるようだが、まだまだギネス50杯くらいだろう。会話も成立したし、しっかりしたもんだった。

空が暗くなってきた。ポツポツときた、と思ったら、次の瞬間バケツどころか海をひっくり返したくらいの雨になった。ほんの2~3秒だ。もし外で楽器でも弾いていたら片づける暇はなかっただろう。

ジョニー“リンゴ”から電話がかかった。フィークルに来ているんだけど、どこかで一緒にできないか、という。

雨も手伝って殆どのパブはもう人でいっぱいだし、セッションもホストが決まっていてなかなか場所がない。

ふとみると、モロニーズという、昨夜ジョセフィンと演奏したパブの裏庭なら屋根もあるし、今のところ空いているようだ。

すぐにリンゴに電話をすると、日本人の女の子を2人連れてきた。そのうちの一人は、ゴールウェイで出会ったリノさんだった。

彼女がおもむろに言った「すみません。神戸でバンジョーを弾いていた、三津谷って覚えてますか」

「あー、勿論。ロッコーマウンテン・ボーイズだったかな。当時評判のバンジョー弾きだったよ。すごく上手かった。どうして彼のことを知っているの?」

「あたし、三津谷の娘です」本当に驚いた。僕は多分、大学時代から知っていたはずだ。「たしか“三津谷組”っていうファミリー・バンドやってたよね」

「そうです、フィドルをやってました」

早速、希花と“ジェルサレム・リッジ”のデュエット。

三津谷君、またどこかで会えたら嬉しいな。

ホステルに戻ると、フィドラーのブレンダン・ラリシーから、また会いたいから連絡をくれ、とメッセージが入っていた。

明日エニスに戻るので、そこで会うことにしよう。

フィークル最後の晩、ショッツでゆっくりビールでも飲もうと出かけてみると、数人がセッションをしていた。

結局つかまってしまい、セッションに加わることになり、また3時過ぎに戻ることとなった。

 

2012年アイルランドの旅  ~8月11日 フィークル~

8月11日 曇り。いい風が吹いて涼しい。

ホステルのキッチンを使って豚の生姜焼きを作ってみた。醤油とはなんと偉大な調味料だろうか。

ごはんも炊いた。納豆でもあったらもっといい。

若い頃、初めてアメリカへ行った時には、2週間毎食ハンバーガーでもなんとも思わなかった。でも、40歳もこえた頃からやっぱりごはんが食べたくなった。

結婚式の仕事に出かけた時などは、どんなに手をかけたケータリングの食事よりもお茶づけが食べたかった。

そんな話をしながら食事を済ませ、9時からのジョセフィンとのセッションのために少し昼寝をすることにした。

これじゃあ太るだろうなぁ。

彼らとのセッションはいつでも楽しい。ジョセフィンはセンスがとてもいい。口でなかなか説明できないので、いつか日本に呼べたらな、と思っている。

終わってショッツで飲んでいると激しい雨が降ってきた。やっぱりアイルランドだ。でもあと少しでお別れかと思うと寂しい。

ジェリーがにこやかに言った。「忘れるなよ。来年は君達ふたりがここのセッションホストだ」

少し小降りになったので、ジェリーに別れを告げて店を出た。雲の切れ目から少しだけ星が顔をのぞかせていた。また3時過ぎていた。

2012年アイルランドの旅  ~8月10日 フィークル~

8月10日 晴れ。珍しくまだ暑い日が続いている。

朝、クラウスが、他の奴のいびきがうるさくて、トイレットペーパーを耳に突っ込んで寝たらどうもそのはしっこが詰まってしまったらしい、といって困っていた。

希ちゃん先生の出番である。さすがにドイツ人相手に「バカじゃないの!」とはいわなかったが、覗いても見えなかったので綿棒を渡していた。

昼からのチューターズ・コンサート(ワークショップでのインストラクターによるコンサート)を聴いてから、ブローガンズに寄ると誰も演奏していなかったので、僕と希花の二人で始めてしまった。

そこへ、続々とインストラクター達が入ってきた。

フルートのレオン・アグニューとタラ・ダイアモンド、そしてフィドルのブレンダン・ラリシー。超一流どころが、じっと僕らの演奏に聴き入っている。

そして、是非一緒にやろうじゃないか、と僕らを取り囲んだ。彼らのプレイは本物だが、こちらも百戦錬磨だ。いけ!希花!チャンスだ、と攻め立てる。

彼らは一同にぼくらの演奏を気にいってくれたようだ。3時間ほどのセッションがあっと言う間に終わった。

でも、本当は彼らがホストのセッションがそこで行われる時間だったようなのだ。そんなことになっていようとは知らなかったが、彼らもなにも言わず、僕らの演奏に耳を傾けてくれたのだ。

夜は9時からアンドリューとペパーズでセッションだ。今朝テリーから電話で、どうしてもダブリンに行かなくてはならないから、希花と3人でセッション・ホストをやってくれ、という旨の連絡が入った。

アンドリューは生粋のタラ・ケイリ・バンドのメンバーだ。この音楽のリズムを体で覚えるのには最適の相手の一人だ。

耳からやっとトイレットペーパーが外れたクラウスも希ちゃん先生にお礼を言ってフルートを気持ちよさそうに吹いていた。

またまたアンドリューが大爆発。

ホステルに戻ったら3時を少しまわっていた。

2012年アイルランドの旅 ~8月8,9日 フィークル~

8月8日 曇り。めずらしく暑い。

暑いとは言えども、たかが27~8℃。そんなことでへたっているアイルランド人に比べると、日本人は大したものだ。

一路フィークルへ。今日から5日間、ここでのフェスティバルに参加する。金曜日には、アンドリューとテリーとのギグ。土曜日にはジョセフィンとミックとのギグが控えている。

散歩していると、これから始まるこの村の一年に一度の大イベントのために来ている人達に出会った。

懐かしい人もいれば、初めて会う人もいる。

去年、同じB&Bに泊まっていたイギリス人の夫婦に会った。旦那さんがバンジョーを一日中練習しているのをにっこり見ていた奥さん。

二人ともちっとも変わらず、しばらく立ち話に興じた。最近はフィドルに凝っているそうで、一生懸命希花に質問を浴びせかけていた。奥さんはにこにこして彼を見ていた。

マーティン・ヘイズともしばらく立ち話をし、デニス・カヒルとも挨拶を交わし、道行く見ず知らずの人達ともすぐに友達になった。

とりあえず、今日は軽くセッションだ。ホステルのすぐ近くのパブのひとつ“ショッツ”で10時半頃から2時まで。(勿論、夜)

アメリカ人の若者が、「あっ、ジュンジ。ジョディース・へブンだ。俺の町に演奏に来た時に行ったよ」と陽気に話しかけてきた。驚いたものだ。

彼と、それからドイツ人のかなりの腕前のフルート吹き(クラウス)とのセッションは、パブのオーナーにも随分気に入られ、来年はここで君たちにセッションホストをやってもらう、とまで言ってくれた。

また楽しみが増えた。

ホステルに戻るとポーラックからメッセージが入った。たった今、着いた。ボーハンズ(4軒のパブのひとつ)でやってるから来い。

見ると8時頃入るはずだったメッセージが今ごろ届いている。ここでは電波もゆっくりだ。

僕の返事にしてもいつ届くか分からない。とりあえずメッセージを出して眠ることにした。

 

8月9日 曇り時々晴れ。今日も少し暑い。

結局ポーラックとも連絡が取れた。そして彼が言った。「今晩、アコーディオンのダニー・オマホニーと俺がやるんだけど、ギターを弾いてくれないか?」

勿論オーケーだ。

ペパーズで9時に始まったそのセッションは2時をまわってもますます白熱してくる一方。しかし、どこでも誰でもアイリッシュ・ミュージシャンはタフだ。

僕と希花と、前日に仲良くなったクラウスは3時を少しまわった頃失礼して10分程歩いたホステルに向かった。

あたりは見事に真っ暗だ。でもこんな時間に犬の散歩をしている人がいる。犬にもアイリッシュタイムがしみついているんだろうなぁ。

ホステルのすぐ近くのショッツを覗くと、本当はもう中には入れないはずなのに、店のオーナーである、ジェリーが気前よく中に入れてくれ、ビールをおごってくれた。

彼はいったいいつ眠っているんだろう。そして、後で聞いた話だが、ポーラックとダニーは朝8時頃まだ演奏していたらしい。