もうここ数年間、続けてきた年末の誕生日コンサート。
静岡は僕が生まれ育った町。
歩いてみるとずいぶん変わったが、あ、ここ、覚えている!というようなところも見つけることができてなかなか面白い。
なので、一日早く行く。
それだけではなく、高校時代の友人たちに会うのも楽しみだ。
この町でフォークソングに目覚め、友人たちと寝ても覚めても語り合った(寝ていたら無理か)そんな時代を想い出させてくれる。
そしてそんな仲間とすっかり仲良しになった希花さんもご機嫌に美味しいお刺身をいただき、美味しいお酒をいただいて僕らの昔ばなしに耳を傾ける。
中には最近癌の手術をした人や、友人がコロナで厳しい状況になってどうしたらいいか、とか、そんな人たちの話し相手も務めてくれる。
そして彼らも必ずコンサートには来てくれる。
場所はお決まりのセレンディピティ。岩堀君のお店だ。
大変な2年を乗り越えて、3年目の希望的な要素が見つからなくて困っている、という話も聞いた。
本当に大変だと思うけど、今回もここにみんなで集まることが出来た事は彼に感謝だ。
頑張ってね、と口で言うのは簡単だが、とにかく健康で無理しない程度にやれることをやっていけばいいと思う。
みんなの嬉しそうな顔は岩堀君と共にいつまでも存在しているのだから。
誕生日当日、京都に向かう。
ここもいつもの都雅都雅。広瀬さんのお店だ。
ここは僕が少しの間大学に通い(?)また別な友人が一杯出来た街だ。
思えば18年、この街に住んだ。
ここも多くの様変わりをみせているが、あ、ここで省悟とお茶を飲んだとか、ナターシャーのファンの子のまだ小学生だった妹さんを肩車して歩いたあれは、確か熊野神社のあたりだったな、とか、そんな想い出がよみがえる京都は、僕にとって第2の故郷と云える。
都雅都雅にも友人がいっぱいかけつけてくれた。
今回は静岡でも京都でもまず、僕の生い立ちみたいなものを作文にした文章を希花さんに読んでもらってから音楽に入る、というスタイルを試してみた。
どちらも僕にとっては生まれ、そして育った場所だ。
これからも年の終わりはこうして過ごしたいと思っている。
今回、特に感じたのは、2年もの間、例え少しだけ会えたとしても、できるだけ長居しないように、できるだけ距離を保って、などとこんなにも長年の良き友人達にもそんなことを考えなくてはならない世の中というものが一体いつまで続くんだろう、という事。
しかし、そんな中でも足を運んで会いに来てくれる人たちがいることは本当に嬉しい。
そして勿論、そんな場所を提供してくれる広瀬さんの様な方がいることも嬉しい。
静岡の仲間たち、そして京都の仲間たちが、また、この2日間に足を運んでいただいた方達ができる限り健康を保ってくれることを願っています。
2021年大晦日、さて、世界はどうなっていくのでしょう…。