岡崎、京都、そして大阪、 沢山の有難う

岡崎、京都、そして大阪、 沢山の有難う

3月17日、東京は朝から雨。こちらを出る直前、主催の深谷君から電話があった。「なんか大変な天気になっちゃって」僕は言った。「大丈夫。きょうはセント・パトリックス・デイ。アイルランドはよく雨も降るし、僕は究極の晴れ男だ」

果たして、岡崎に着くと、まだ雨は降ったり止んだり。でも会場へ着くころにはもうあがっていました。

長誉館という由緒ある酒蔵は、勿論、木造の素晴らしい建物でした。おかげで暖かい雰囲気の音楽会をつくれたような気がします。

深谷君には彼のバンジョー“ディーリング・ゴールデン・エラ”をお借りしました。有難う。深谷君のお仲間が一生懸命動いてくれました。マーマレードのサンドウィッチ、美味しかったです。控室替わりに使わせて頂いたサロンでのおはぎや、サンドウィッチも有難う。もっとお腹を空かせていくべきだった…。

コンサートで特筆すべきは、希花のいとこの、としや君7歳のタップ・ダンス。バンジョーとフィドルに合わせて見事なステップを踏んでもらいました。まるでアイルランドかアメリカ南部にでもいるかのような気持ちにさせられました。

随分遠くから来てくれた人達もいました。みなさん有難う。

 

翌朝、深谷君とお茶を飲んでしばし昔話(おじいさんとおばあさんの話しではない)に華が咲いた後、京都へ。

今日は、南海ホークスとナターシャー・セブンをこよなく愛する人、白波瀬さんの経営する“居酒屋ぴん”での音楽会。ひたすら熱くなりそうな予感。

2階満席のため、1階はスクリーンにてご鑑賞いただく、という初めての試みで、見えないお客さんたちに歌うプレッシャーなのか、最初から歌詞が分からなくなるが、そこはさすがにこういう場所。みんながすぐに歌ってくれる。

1階の奥では北山先生がお墓参りの後で、もうすでにできあがっている様子。1階と2階に別れての“Dueling Banjo”白波瀬さんが笑顔で歌ってくれた“わたしを待つ人がいる”希花のハープにのせてみんなで歌った“別れの歌”

京都産業大学ブルーリッジ・マウンテン・ボーイズの後輩、木内君が新しく手に入れたバンジョー、ソニー・オズボーン・チーフを使わせてくれました。どうも有難う。

げらさん、もう40年にも渡って支え続けてくれて、今回もいっぱい面倒を見てくれました。有難う。

おたやんも、いねこ、ななこ、ともこ、みんなちっちゃな子供の時からのいい友達です。有難う。

ぴんの若いスタッフもいろいろと有難う。“なにおかいわんや”で有名な“いわおか君”

ぬまさん、わたる君。もうきりがありません。

そしてなんといっても、来てくれて一緒に歌ってくれたみんな、どうも有難う。なかには来ることが叶わなかった人もいました。知っているだけでもお二人。ご冥福をお祈りします。

 

木内君の車で、京都産業大学へ。ただ単に、希花に僕らの母校を見せたかっただけですが。この食堂で省悟と出会った、とか、この噴水の脇でよく練習した、というような話しをして一路大阪へ。

場所は、木内君の計らいで、70年代に活躍したバンド“ロスト・シティ・キャッツ”のギター&ヴォーカルの今富君のお店“オッピドム”。

今富君とは恐らく40年ぶりにもなるかもしれないが、ビル・モンローと彼が並んでいる写真を見てあのころが鮮明に蘇ってきた。

この日も沢山の懐かしい顔に囲まれました。初対面の人達も、みんないい顔でした。大学時代、一緒にやっていた藤田君と伊藤君もかけつけてくれました。有難う。

天野しょうさんが忙しいところ、バラを一輪持ってきてくれました。さすがしゃれてるなぁ。有難うございました。

素晴らしいパイプの音色を聴かせてくれた鉄心さん、ハープを華麗に弾いてくれたみほさん、他にも、アイリッシュをこよなく愛し、演奏されている数人の方、どうも有難う。

今富君、久しぶりに歌も聴かせてくれて有難う。僕のリクエストに応えての“ブルー・リッジ・マウンテン・ホーム”心に染みました。

そしてナターシャー・コーナーで一緒に歌ってくれた仲間も有難う。

もう一人、忘れてならないのはキッチンでひとり黙々とお料理を作ってくれた平岩さん、どうも有難う。

僕と希花はこうして、本当のトラッド・アイリッシュとオールド・タイミー&ブルーグラスを演奏し、そして、ナターシャーの歌をこれからも皆と共に歌っていきます。

今回のツアーでお世話になった人達、もしお名前が洩れていたらごめんなさい。でも、お顔を見せて頂いた全ての方に感謝いたします。