サウンドメッセ2012大阪
中川イサトさんとのジョイントコンサートを控えて、台風がもうすぐやってきそうな大阪に新幹線で向かう。
会場に着くとおびただしい数の楽器が並んでいた。僕は、長年使っているローデンの特約店であるギタープラネットのブースを目指していたが、入ってすぐシーガルギターの塩崎さんと再会。ちょっと前に四国にも行ったのだが、会えずじまいで、そっくりな息子さんとはじめてお会いする奥さんとも挨拶を交わし、また会場を進んでいった。
いろんな楽器に目移りしながらもやっとギタープラネットのブースに辿り着く。カントリー好きの(見た感じ)僕よりだいぶ年上の(見た感じ)おじさんがマーティンを試奏している。
少し話をするとやはり往年のカントリーファンで久々にマーティンを買おうかな、と思っているらしい。
ローデンもいいギターですよ、と暫く話をしながら軽く薦めておいた。でもあのおじさんはやっぱりマーティンだろうな。
僕と希花とでブースで30分ほど演奏をした。集まってきたギャラリーに楽器店のマネージャーである小山さんが流暢に話しかける。
演奏のあとは、しばし自由時間。あっちこっちのブースを見て回る。懐かしい人にもずいぶん再会した。
ナターシャーが始まったころ、愛知県に出かけて行った時に出会ったオールドタイミーバンド“チキンパイ”の斎藤君。70年代半ばからのカスガ楽器の良質のバンジョーやマンドリンはこの人の功績だ。
それに、京都でバンジョーのネックを作ってもらったり、インレイを作ってもらったりと、いろいろお世話になったギター製作家の占部さん。今はウクレレ製作家として世に名が知られている。
プー横町というレコード屋さんの松岡プーさん。僕はそこで、ボシーバンドのライブ盤を74年ころに買っているのだ。
つい先日、岡崎で出会ったノブギターの山本君とも出会った。
まだまだ懐かしいお顔と再会したが“お顔は覚えていますが、お名前だけが想い出せない”とはよく言ったもんだ。
有山じゅんじの家族とも再会。
懐かしんでばかりはいられない。イサトさんと打ち合わせをしなくては。ふと見るとイサトさんが外でディック・ボークと煙草を吸っている。
簡単に「こんなんしよう、あんなんしよう」と打ち合わせをしてからまたブラブラする。
さて、いよいよ本番だ。いねこさんとわたるくんも京都から駆け付けてくれている。
なにせギター好きの集まる場所だ。いつもとは少し雰囲気が違う。ローデンの宣伝もしなくては…などと思いながらもどうしても話は脱線してしまうが、ここは大阪だ、ということを忘れてはいけない。笑いのレベルは半端じゃない。でも、その辺はイサトさんがちゃんとフォローしてくれるだろう。
僕と希花はとことんアイリッシュ。イサトさんはいつもながらのしぶいフィンガーピッキングを聴かせてくれる。
客席では有山じゅんじがハープに食いついている。実は出番前にすでにハープに眼を付けていた有山が、最も似合わないこの楽器を抱えてにっこりしている写真がある。チョーキングするんじゃないかとびくびくしていたが、そうするまでもなく、ハープですら有山サウンドになってしまう。不思議な男だ。
コンサートが終わってからは食事会というか、懇親会というか、おおきなパーティに参加。
ザビエル大村君や、中国でのイサトさんの活躍を支えた弱冠19歳の方矢君などと楽しい話しに花が咲いた。
アコースティックギターマガジンの相川さんや、日本屈指のバンジョー弾き、有田君や
クロサワ楽器の福岡さん、実行委員の家城さん、もうあげたらきりがないくらい、沢山の人との出会い、再会があった。
僕と希花とは夜行バスで戻るので(結果的に台風の影響を受けずに帰れることとなった)
よそで2次会に参加する中川一味(中川家ではない)と共にパーティを失礼させていただいた。
ザビエル大村君がツアーガイドよろしく、僕のバンジョーを背負ってみんなを先導してくれた。おかげで迷うことなくバスディーポまで辿り着けた。
沢山のミュージシャン、そしてそれを陰で支えてくれる人達、そして、今回のサウンドメッセのスタッフすべてに感謝いたします。
どうも有難う。
日曜日、台風で大変だっただろうけど、来てくれたお客さんにも、スタッフのみなさんにも、それはそれで想い出深いものとなってくれたらいいな、と願っています。