よく晴れている。きっと京都はかなり寒いだろう。
実際、京都に長いことすんでいた僕には、2月の京都は、ミネソタの冬に相当するくらいの寒さだということが良く分かっている。
因みにミネソタはアメリカでいちばん寒いところだ、と言われ、道端には凍りついた犬の糞が落ちている、と言うネタを話すコメディアンがいた。
そんなことはどうでもいいが、あのころに比べれば僕も歳をとっているし、ましてやお寺の本堂でのコンサートともなれば、僕らだけではない。お客さんも、いや彼らはじっとして聴くのだし、もっと寒いだろう。
でも、「あー、あのめっちゃ寒かったコンサートね」というくらいのもののほうが記憶には残るかもしれない。
そんなことを考えながら新幹線に揺られていると、関ヶ原のあたりで突然の雪景色が目に飛び込んできた。しばし一面の銀世界を眺める。
ところがトンネルを抜けるとそこは雪国ではなかった。またしても気持ちのよい快晴に恵まれている。
時間通り、無事京都に着き、法然院に向かうと、なんとも風情のある細雪というのだろうか、小さな雪の華が京都の街並みを包み始めた。
法然院に着くと、あちらこちらにストーブが用意されていていたが、本堂は広くてさすがにあまり効いていない。
「法然院職員です」と自己紹介してくれた“木戸さん”(僕らにはどこからみても柔和なおぼうさんだった)が寒い中、いろいろと案内をしてくれる。
椅子を並べ、座布団を並べ、様々な用意をしていたら少しは体が温まってきた。でもやっぱり足元が寒い。
ひろいひろい部屋を行ったり来たり、ながーい廊下を走るが、やはり足のうらは氷のようにつめたい。
おぼうさんはえらい!頭も寒いだろうに。
準備も整い、まだだいぶ時間があるので、せっかくだからお庭を見せて頂こう、という話しになり、希花さんが「あ、そうだ。谷崎潤一郎のお墓があるんだ」というので、そこをめがけて散策することにした。
なんという巡り合わせだろうか。また“細雪”がちらついてきた。
さて、今日のコンサートのタイトルは“愛蘭(アイルランド)と和の音楽”。和の音楽にそんなに精通しているわけではないが、アイルランドの音楽から、和のテイストのあるものや、僕らがいま創りつつある日本語の歌と(民謡も含めて)アイリッシュ・ダンス・チューンとを合体させたもの、それらを15セットほど演奏した。
もっともっとアイルランドと日本の文化の共通点や違いなどをお話しするつもりだったが、とにかく寒くて口は回らないし、演奏しているほうが体も温まるし、後片付けもあるし、なんて考えながら、僕らにしてみれば“あっという間に”終わってしまった。
でも、なかには寒くて早く家に帰りたい方もいたかもしれない。トイレにも行きたくなるし。
そんな中で、いつもいつもコンサートに来てくれるだけでなく、CDの販売や受付、後片付けまで手伝ってくれる往年のファンのひとたち、げらさん、おたやん、ななこ、いねこ、わたる君。
そして、わざわざ伊吹薬草の里からCD販売のために駆けつけてくれた“おけいはん”もちろんみんな入場料を払ってのうえだ。ケチな僕にはなかなかできないことだ。
それに、今回はお客さんみんなが、後片付けを手伝ってくれた。椅子を運び、座布団を運び、もうせんを丸めて運んでくれて、あっという間に片付いてしまった。
春日井のハンマーダルシマー奏者である高橋さんは、金髪にちょい戻りした奥さんと、“洛庵”の丸尾さんはひときわ優雅なマダムたちと、奈良の谷口君、埼玉の高見さん、犬のあきよしくん(人間ですが)他にもいっぱいのひとが忙しく動き回ってくれた。
京都造形芸術大学の学生さん達。彼らは、僕が常日頃からお世話になっている、かの詩人“佐々木幹郎”さんの弟さん“佐々木葉二教授”の教え子たちだ。
そうしてみんなに支えられ、僕らは生かされているんだなということを、またひと際心から感じることができたのは、この場所を提供していただいた法然院の貫主様のお力添えがあってのことです。貫主様のお母様にも感謝です。
たくさんの命が生まれ、たくさんの命を愛する。そしてその中で生かされている今の自分。そんなことを感じながら、さらに自分の与えられた使命にむかっていかなければいけない。
希花と創り出している今の音楽が、僕にとってはその全てかもしれない。みなさん、本当に、本当にありがとう。
最後にこんな話をひとつ。希花の弟さんがある時こう言ったそうだ。「おねーちゃん。京都に行ったらすごくいいお寺があるからそこのお庭をみてきたらいいよ。“ほうぜんいん”っていうんだけど、超きれいだよ」
よーく言って聞かせておきます。(希花談)