Mareka&Junji北海道ツァー2013

もう何年ぶりだろうか、この函館を訪れるのは。

70年代から最も好きな町だった函館から今回のツァーは始まった。しかし、この町に於いて感慨深いのは僕だけではない。日本各地を移り住んだ希花にとっては、最も長く住んだのがこの函館だ。

ある意味、故郷と言えるかもしれない。

午後4時。気温は10度ほど。東京を出てきた時、24度くらいあったのでかなりの気温差だ。

今日はRINKAの小松崎さんの紹介で、米田さんという方がセッティングしてくれた“g”というお店でのライブ。

小雨がパラついて寒々として、どこかアイルランドを思わせる。いや、それだけではない。人の数もそう感じさせるのかもしれない。

gに到着するとマスターと奥さんが気持ちよく迎えてくれた。生音でも、音響を使っても、どちらでも対応できるようにしておいてくれたので、いろいろ試した結果PAを使わせていただくことにした。

結果的にはマスターの言う通り使って良かったくらいに沢山の人が集まってくれた。

今回もバンジョーを借りてしまったが、鈴木一彦さんという人(本人は用事で来られなかったが、深浦さんという人が重いのに持ってきてくれた)の初期のスクラッグス・モデルで、しっかりしたいい音のバンジョーだった。とても助かりました。ありがとう。

音楽会もとても熱い気持ちになれて、打ち上げも楽しくツァーの初日にふさわしい一日となった。

みんなに別れを告げて外へ出ると、北国の冷たい風が吹いていた。

 

函館2日目は 朝市で海鮮丼を食べた後、希花想い出ツァーに僕と米田さんも参加。希花の住んだ家と、バイオリンの発表会で無謀にも小学1年生でありながら“ツィゴイネルワイゼン”を弾いたという想い出の公民館へ。

昨夜のライブにはなんと、その時の演奏を見た、という人が来てくれたのだ。

米田さんの計らいで、係の人も快くホールを開けてくれたので、20年ぶりにもなるだろうか、ステージに上がって写真を撮った。おそらく、希花のLetter to Peter Panというブログに掲載されるだろう。

米田さんにはここで別れを告げて、希花の通っていた幼稚園へ。カトリック教会の中にある白百合幼稚園だ。僕はナターシャー時代にここの教会を見学したことがある。もちろん希花が生まれるよりもずいぶん前のことだ。

僕もカトリック系の聖母幼稚園というところに通っていたので、それなりに幼少のころの思い出としてはダブっている部分があるかもしれない。

そして、さらに希花のバイオリンの先生のところへ。僕は終始小さくなっていた。なんかとてつもないエネルギーの人だったので…。しかし、この先生だったから1年生の希花に、無謀にも“ツィゴイネルワイゼン”を弾かせてくれたのだろう。ありあまる冒険心で、なんでもやってみなさいと言いながら基本を教えてくれるタイプの人だ。

先生に別れを告げてから、昨夜のライブに来てくれた柴田さんという方が経営している“カリフォルニア・ベイビー”というお店へ。

ずいぶん前からあるお店らしく希花のお母さんもよく知っていたらしい。そればかりでなく、函館の有名のお店のひとつらしい。そしてこれまた驚くことに、柴田さんもまた、ナターシャー・セブンはよく聴いていたということだ。

晩ごはんをご馳走します、というお言葉に二つ返事で乗っかってしまった。

連れていって頂いたお寿司屋さんは、クルクル回転するところではなく、柴田さんの同級生が握る函館でも最も美味しい店のひとつらしい。

いか、うに、あわびなど、クルクルまわるところでは一切食べないものから、絶品のまぐろや白身、やはりこれは芸術だ。見かけも味も芸術だ。爆発だ。

横に若い女の子がふたり入って来た。今風の、それでもどこか上品な子たちで、ガイドブックに美味しい店の紹介として載っていたので秋田からやってきたそうだ。

なんと、彼女達は秋田大学医学部の3年生だったので、先輩である希花の話しを興味深く聞いていた。僕らも彼女たちの解剖話しに寿司を食べながら耳を傾けた。

カウンターの中ではおやじさんが魚の解剖をしていた。てなわけないか。

とにもかくにもこんなに美味しい寿司に巡り合ったのも久しぶりだったので、本当にラッキーだった。

それに、次来た時にはカリフォルニア・ベイビーで演奏させていただくこともお願いしてしまった。

柴田さん、ありがとうございました。

 

5月2日。函館に別れを告げて、一路八雲へ。八雲では国柄さん夫妻が待ってくれている。もの静かなご主人と、いきのいいおかみさんとの絶妙なコンビだ。

そして、向かう先は今金(いまかね)。「いまでしょ!」と言われれば「いまかね?」と答えたくなってしまう。

場所は法林寺というお寺だが、ここの住職さんは僕の大学時代からの友人の阿知波君。女優の阿知波悟美さんのお兄さんにあたる人だ。

ここで住職をしながら、歌も歌い、地域の活動も行い、とても忙しくしている人だが、今回、無理を言ってお願いした。

着くなりいい香りがして、こだわりの阿知波君が「地元の野菜と、ルーからも手作りのカレーを作ったから打ち上げで食べましょう」という間もなく、「いや、食べたい。いつ食べるか。今でしょ!」と僕。「いまかね?」と阿知波君。

お腹も満たされて、いざコンサート。阿知波君やご家族、そして彼の友人たちが頑張ってくれたおかげで、いっぱいの人が集まってくれた。

2部で羽賀君(漢字がこれで合っているかな)というギタリストをよんで一緒に演奏したが、彼はいいタッチで絶妙なタイミングを持つフラット・ピッカー。

トニー・ライスをこよなく愛していることがよく分かるが、彼らしさも備わった、実に音楽を心得た演奏を聴かせてくれたことに正直おどろいた。

農業を一生懸命やりながらブルーグラスを追求するその姿は、それだけで充分美しいものだった。素晴らしい音楽をありがとう。

打ち上げもカレー以外にも美味しいものがいっぱいで、阿知波君のクローハンマー・バンジョーと楽しい歌も聴けて本当にいい一日だった。

5月3日、国柄さんの車で苫小牧に向かう。途中色々な処に寄った。

映画「幸せのパン」のモデルになったというパン屋さん、同じく洞爺湖畔の古民家カフェ。そうそう、湖畔に佇んでいた白鳥を撮影しようと近づいた国柄さんが、あわや噛みつかれそうになっていた。ドゥーランのロバを想い出した。

そして、苫小牧の会場である、岡林さん経営のお菓子屋さん“ポム・メリィ”へ。国柄さん夫妻とは一旦ここでお別れして、また札幌で会うことになった。

苫小牧には、とことん楽しい“トゥレップ楽団”がいる。一見もの静かで、こだわりがかなりありそうな、ホィッスルの滝さん、このバンドの楽しい部分を一手に引き受けているギターとボーカルの中原さん、そしてなかよしバンドの柱となっている高橋さん。

彼らは永遠の少年バンドとして歌い続けてくれるだろう。

ここでも、連休中というきびしい時にもかかわらず、多くの人を集めていただいた。バンジョー弾きの長谷川さんも、素晴らしいプレイを聴かせてくれた。

北の地の人達はブルーグラスにせよ、アイリッシュにせよ真面目だ。トゥレップ楽団は、その真面目さと底抜けに明るいエンタティメントが彼らの魅力かもしれない。

その夜も、ありとあらゆる種類のお酒を飲んではしゃぐ彼らは、まるで少年のようだった。(少年は飲まないが)

希花は12時半で沈没。僕は1時半だったが、彼らは4時近くまで盛り上がったらしい。

 

5月4日、高橋さんに案内されて、ウトナイ湖でバード・ウォッチング。そして江別の、前回もお世話になった、おそるべきオート・ハープ夫妻の渡辺さん宅へ。

今回は奥さんもインフルエンザにかかっていなく、前回よりもパワー・アップして旦那さんに指図していた。そして、それに嬉しそうに答えるテリーさん(通称)がなんとも微笑ましい。

夕食に高橋さんも交えて、車で50分ほどのところにポツンと、いや、そうはいえない、とんでもない広いスペースにある、建物自体もとんでもなく大きなレストランに連れて行ってもらった。

これっていったいどこなんだろう、と思うくらいの広大な土地で、知らなければ絶対に来ることがないだろう、そしてお客さんの入りようから見て、いかにも美味しそうな所だ。

地元の、というか、すぐそこで採れた米や野菜を使っているというところだろう。

僕たちは途中小樽でトーン・ポエムの堺さんを訪ねて、彼を待っている間に、えも言われん“地方のスナック”みたいなところで軽く食事をしてしまった。

スパゲティに味噌汁が付いていた。希花の辛子明太子スパゲティはやたらと多く、だんご状態、高橋さんのカルボナーラには真ん中に生卵が乗っていて、ハムとピーマンがなんとも和風だった。

僕のハムサンドには、なぜかパンの表側にべっとりとマーガリンが塗ってあった。ふとメニューに目をやると、沢山ある定食の最後に“ハムエッグ定職”というのがあった。

ここでこれを食べると仕事が見つかるのかもしれない。

とにかくそんなわけで、食事は少し遅い目の7時半からにしていただいたが、本当に美味しいお料理で、一体僕たちはお昼になにを食べたんだろう、と3人で小さくなったもんだ。

渡辺さんの家から50分ほどなので、みんな歳だし、食べたことを忘れて帰りにラーメンでも食べなきゃいいが…。

高橋さんとはここでお別れ。本当にありがとうございました。これからも中原さんと滝さんの面倒をよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月5日、泣いても笑っても北海道最後の公演だ。札幌の“レストランのや”前回は食事だけに寄らせていただいたが、今回はここで演奏させていただく。

RINKAのおふたりの演奏は、北の大地のにおいがする。ある意味これこそが生活に根付いた音楽といえるかもしれない。

星くんも実にシンプルに操さんをサポートしているし、操さんからはとことんトラッドの心を感じ取ることができる。

今日は操さんのご主人でバンジョー奏者として、またハンマーダルシマー奏者としても高名な小松崎健さんも、ブズーキとコンサルティーナの田澤さん夫妻もまん前にいる。

のやのご主人の川端さんはむかしからのナターシャーファンだったらしい。それにぼくよりもナターシャーに関して詳しそうな鈴木さんという人もいる。

僕らは北海道4か所で、お客さんを見ながら多少セットを変えたが、基本的にこんな曲をやりました、というところを最後に書いておこう。

 

Banks of SuirからOut on the Oceanこの曲のGからAに転調するやり方はPaddy Keenanから教わった。Eel in the Sink/MacFadden’s Handsome Daughter/Limerick LassesのセットはJody’s Heavenと僕ら自身のアイデアを合体させたもの。Mountains of Pomeroyから初恋La Partidaからスカボロー・フェアー、そしてThunder Head/Waterman

休憩をいれて、Minor Break Down/Mason’s Apron(Devil’s Dream) Foggy Mountain BDなどを国柄さんから貸して頂いたバンジョーで。この想いからJim Donoghue’s/The Road to Cashel/Neckberry, She’s Sweetest when she’s Naked, ハード・タイムスから最後は八戸小唄Reel Beatrice/Abbey Reel/The Mouth of Tobique, そしてRINKAのおふたりと一緒にTeetotalor’s/Virginia/Garrett Barry’s, 最後に僕らで別れの唄とFor Ireland I won’t Tell Her Name,

 

RINKAのおふたり、星くん、操さん、ありがとうございました。末長く心からの音楽を北の地に響かせてください。

北海道でお世話になったすべての皆さんに感謝します。裏方として働いて頂いたみなさん。かれらはその土地その土地でがんばってやっている音楽家の友人たちです。本当に人と人との繋がりを大切にしている人達だということが、伝わってきます。

僕らはファッションとしてアイリッシュ・ミュージックを考えることが出来ない。今回本当は青森に寄るつもりだったのだが、どうもその辺で納得がいかないことがあり、北海道に絞った。でもそれは結果的にはとても良かった。

僕は常々思う。この音楽は浮ついた気持ちでやってほしくないのだ。テクニックでもないし遊びでもないし、ましてや受け狙いのイベント屋ではない。

どんなにかっこいいことを追求してもいいが、その裏にどれだけトラッドをしっかり守れるかがこの音楽を演奏する資格となるのだ。

ギター奏者、バウロン奏者などの伴奏者はリード楽器奏者と同じ努力を惜しまなくてはならない。

Paddy O’Brienは3000曲が頭の中に入っていると言った。僕はその3000曲にそれぞれ違う命を吹き込むことができる、と言った。

RINKAの演奏には命を感じる。トゥレップ楽団の演奏には喜びを感じる。阿知波君の唄声には悲哀を感じる。どれも人生そのものだ。

そして彼らと繋がっている人達。北の大地のみんな、それぞれに素晴らしい生き方を僕らにみせてくれた。本当にありがとう。

追加:札幌の朝、起きたら左目の白い部分が真っ赤だった。そんなに飲んでもいないので単なる疲れだったのだろう。痛くも痒くもない。

一応まだ眠っていた女医の卵に相談するも、眼科の実習はあと2週間先ということでネットで調べてくれた。元に戻るまでに少し時間がかかるが、心配はないそうだ。

今日で3日目になるが、少しよくなってきた。早く本職のお医者さんになってもらわなくちゃ。