Mareka&Junji In静岡

やってきました。今度は僕の故郷、静岡。天気も上々。

まず、母校、城内小学校を見学。もう60年近く前のことだ。きっといろいろ変わっているに違いないと思いきや、あまり変わってはいなかったが、名前が変わっていた。それって充分変わっているうちに入るか。

ちょうど運動会らしきものをやっていて、細かいのが走りまわっていた。そして、そのすぐ横にあるのが、同じく母校、聖母幼稚園。

前回の希花の幼稚園と同じく、僕もカトリック系の幼稚園だったのは、なんとも偶然である。

駿府公園のわきにある二つの母校。あまりに昔のことで正直懐かしいという感じではなく、よその街に来たような気持ちではあったが、あ、この店まだある、あ、ここも、なんて、商店などを見るにつれ、少し懐かしさもこみ上げてきた。

駅ビルで焼きそばを食べてから、主催者の岩堀さんと合流。昔の友人だ。

彼と久しぶりに連絡が取れ、今回の静岡公演が決まった。とてもきっちりした人で、何度も何度もスケジュールを練り直し、その都度、こういうことになっていますという連絡をファックスやメールで知らせてくれていた。

そんな中で、仕事が終わったら静岡観光を少しして、食事に行きましょう、ということも連絡してくれてあった。

コンサートは翌日だ。

まず、登呂遺跡を見学。ここは小学校の遠足でも来たものだ。希花は初めてみる竪穴式住居に「わー、かわいい。今晩ここに泊まろう」と言うが、若者の素直な感想だろうか。

そのあと、日本平をドライブ。

そして、今晩のメイン、僕が友人たちと45年くらい通い続けた、今で言うと居酒屋のようなおでん屋さん、天野屋へ。

ここの黒はんぺんのおでんやフライは是非希花に食べて欲しく、岩堀さんにお願いしておいた。

高校時代から一緒にフォークソングを歌った仲間も呼んで、小さなパーティ。この次来た時にはまだこのお店あるだろうか。

前はおやじさんと、奥さん、途中から息子さんが入っていたが、今はその息子さんがひとりでやっている。

さいごに会ったのがもう25年くらい前なので、彼もいつまで続けられるかわからないが、できるだけながくやっていてほしい。

希花にとっては初めての黒はんぺんも、僕にとっては懐かしい味だった。

 

さて一夜明けて、いよいよ会場となるアイセル21というホールへ。

豊川からたけちゃんもかけつけてくれている。

会場には懐かしい顔、そして顔。もうみんなのことをかけばきりがないし、お顔は覚えていますが…のひともずいぶんいる。

まず、地元のバンドがふたつ演奏をする。

岩堀さんもマンドリンで参加しているし、旧友の富田君は相変わらず渋い声を聴かせてくれているし、藤本一平のベースもいかにもベースマンらしい演奏を聴かせてくれる。

彼とは大学でも京都で一緒にバンドを組んでいた仲だ。

そして、いよいよ僕等の番。

150人ほどの会場はいっぱいで熱気が伝わってくる。

Banks of Suirからそのまま朝の雨。Smiling Bride/ Fox Hunterのセットでアイリッシュを聴いてもらい、そのあとはいろいろ。

懐かしい気持ちもあり、それでも初めての人にも分かりやすいメニューを考えるのは大変だけど価値があることだ。

舞台というのはひとつひとつ違う。アイリッシュ・チューンと一緒だ。

最後の別れの唄では高校時代から一緒にフォークソングを唄っていた親友の三好君の顔が浮かんできて感極まった。(因みに彼はご健在で、会場にも来てくれていた)

そして、アンコールではみんなで、ナターシャー最初のマンドリン弾きの金海君も交えDay Break in Dixie, そして富田君の渋いボーカルでLast Thing on My Mind,最後にみんなで Foggy Mountain Break Down。

みんな素晴らしい笑顔で、おたがい、やっぱり生きていてよかったということが心底から確認できた。

希花と出会い、一緒に演奏し初めて音楽での生きがいを心から感じ始めている今、この時期にこうして、故郷で仲間たちと再会できたことの喜びを打ち上げ会場でもみんなに伝えたかった。

でも言葉が詰まってしまった。

みんな有難う。岩堀さん、PAの前田さん、沢山のスタッフのみなさん、そしてバンド・メンバーのみなさん、有難う。

お客さんも、沢山の知っているお顔。どうしても想い出せないお顔。失礼なこともあったかもしれません。でもまた戻ってきたいと思っています。

その時はこれからの新しい友人として迎えてください。希花共々よろしくお願いします。

 

 

 

 

同級生 関 孝さんからのバラの花束