Mareka&Junji 今年最後のツァー 名古屋、米原

12月21日。ぐっと寒くなってきた日本列島、でも天気は上々。この日僕らはたけちゃんと待ち合わせ、一路名古屋へ。

今回は手嶋君が忙しすぎたため、田邊君という若者がすべて手はずを整えてくれていた。初めてのホールで5/Rという素晴らしい場所だった。

オーナーの伊藤さんがてきぱきと動いてくれてとても気持ちがいい。手嶋君も、やっと忙しさから解放されて今日の音響を担当してくれる。名古屋3

野口君(はとちゃん)と安藤さんを引き連れて西尾から機材を積んできてくれた。田邊君をはじめ、久野さんと平松さん。スタッフは以上かな。会館のスタッフのかたもおられました。みんな一生懸命になってくれて、本当に有難い限りです。

ホールは音響も良く、素敵な作りで、ここは何度でも来たいな、と感じさせてくれる処でした。

この日、僕は1966年製のギブソンRB250を持っていきました。ボウタイ・インレイの、おそらく僕らが高校時代から、ギブソン・バンジョーといえばこれでしょ!と思っていたものです。

大学の帰りに楽器屋さんに寄ってはため息をつきながら眺めたのもこれ、坂庭君がやっと手に入れて「花嫁」のジャケットで嬉しそうにもっているのもこのモデル。

僕らの世代ではバンジョーの代名詞になっているようなものです。

それとたけちゃんの20年代ボディに60年代のフライング・イーグルーのネックをつけたギブソン・コンバージョン。名古屋2

思えば、こんなものが二つ揃うなんて、50年前は考えられなかったこと。いい時代になったものだ。

いつものように、(幕は開かないが)僕らは僕らのアイリッシュで、最後は“別れの歌”を歌い、また暖かい皆さんに囲まれて幸せなひと時を過ごすことができました。

いつか手嶋君(いつもはてーさんだけど、一年の締めくくりくらいは本当の名字で)には“恩の倍返し”しなければ、といつも思っているけどいつになったらできるやら。

だから、長生きしてください。もちろんお手伝いしていただいた皆さんも、そして、忘年会やら大掃除で忙しかったこの時期に足をはこんでいただいた皆さんも、名古屋4本当にありがとうございました。

 

 

 

12月22日、一年ぶりの米原へ。最後の宵よい山コンサートで再会できた“おけいはん”こと清水さんの企画で、ずっとやりたかった“レストラン・ベルソー”でのいわゆる“ディナー・ショー”

でも、ここ、ベルソーは格別な場所で、ディナー・ショーなどという、やたら御高くとまった安っぽいものではない。

オーナーの松田さんの娘さんは希花と同い年。お母さんと一緒にこのレストランを創り上げてきた人です。

料理も、細かい心使いも、部屋の隅々までのシンプルな飾りつけも、かれらの内面から溢れ出ているような、そんな場所でいつかは演奏してみたいな、と思っていました。

去年、彼女と希花と僕とで少しだけ相談をさせていただいた時も、やはり“他にないものだから価値がある”という実感がしたものです。

音楽でも、コピーにコピーを重ねて自分自身の音を出していく。料理も基本をしっかり踏まえていきながら、自分を表現していく…若い二人は意気投合して時間のたつのも忘れるくらいにお話をしていた。本当にいいつながりができたな、と感じたものです。

この日、ちょうどフランスから帰国していた弟さんもお料理作りに参加してくれました。そしてお手伝いの方たち。ベルソー2

食事がこんなに素晴らしければ、音楽も素晴らしくなければいけない、というプレッシャーは相当なもんだ。

ま、きっちりしたことは希花さんに任せておいて、でもダジャレはいつもより少なくしなければ、などと考えながら、それでもなんとかいっぱいのお客さんには、音楽も喜んでもらえたようです。ベルソー3

遠方からも随分沢山のひとが来てくれました。敢えてお名前は申しませんがいつもありがとう。予約に間に合わなかった京都の仲間たちも、今回は叶わなかったけどいつも考えていてくれてありがとう。

清水さん、そしてベルソーの松田ファミリー、みんなこの地球上で僕らが心から敬愛してやまない方たちです。

どうか新しい年を健康で、そしてその素晴らしい笑顔で迎えてください。

そしてこの日、ベルソーに集まっていただいた皆さんも、諸々の事情で来ることができなかった方たちもどうかよいお年をお迎えください。

皆さん、本当にありがとうございます。ベルソー1