西尾、そして近江八幡

西尾、そして近江八幡

まず、豊橋から友人の武永さん(通称“たけちゃん”)の車で西尾に向かう予定。

新幹線の中で、たけちゃんからのメールが届いたのが、豊橋に着く30分程前。曰く「小さな垂れ幕を用意してお出迎えいたします」すぐに返信。「どでかい垂れ幕じゃぁないのか」すると、「まことに失礼いたしました。今回はこれしか用意できなかったので、次回は必ずなんとかします」

しまった。言わなかったらよかった。この人本当にやりかねない…。

かくして、無事豊橋に到着。

小さな紙で作った“垂れ幕”を用意したたけちゃんが嬉しそうに待ってくれていた。

「いやぁ、なんでも宣伝ですよ。大切なことです。今日も何人かの人が“何だろう”って覗きこんでいましたから」

多分、その人達は変なおじさんを覗きこんでいたのだろう。

 

 

うどんをごちそうになって、いざ西尾を目指す。この人、美味しいお店のリストを日本全国に持っているが、単なるグルメではなく、明記しないが仕事の関係である。

西尾に着くと昔からの友人である手嶋君(通称“てーのじ”)がきちんと音響を用意して出迎えてくれた。もうひとりの友人、野口君(通称“はとちゃん”)もいる。

みんなを紹介してから、サウンドチェックを始める。

こんな音がいい、ここはこうしてほしい、等、いろんな要望に気持ち良くなんでも応えてくれる“てーのじ”

「できないこともあるけどよォ。おれにできることはなんでもやるからよォ。大丈夫、大丈夫」常にこんな感じで頼もしい人だ。

初対面のまれかにも、「見た感じ適当そうだけど、信頼できるから」と念を押しておいた。

サウンドチェックの最中に、これまた古くからの友人である林くん(通称“日本のブルース・スプリングスティン”)が現れたが、お孫さんがもう大学生になるらしく、すっかり貫禄がついていた。

会場に使わせていただいた音楽衆館MJホールのご主人も、にこやかなお顔で昔からの知り合いのように接してくれた。めちゃくちゃいい人というのが全身からでているような 人だった。

少し時間があったので、有名な抹茶屋さんのかき氷を食べに行った。

連休ともあって、店は大変な混みようだった。かなり待たされたが、やはりたけちゃんの知っているお店だけあって、かなりおしゃれでおいしかった。

コンサートが始まるころには、てーのじと仲間たちが集めてくれたお客さんで会場はいっぱいになった。

初めからみんなの熱気が伝わってくる。

途中、ハープとギターでしんみりと“Mountain of Pomeloy”を演奏していた時、突然、地面がグラッと揺れた。結構びっくりするくらいに…。

「最近、まれかさんもハープに自信がついてきたので」と言って笑いに変えた。

お客さんの中のひとり、岡本さん(旧姓、北さん、通称“めざせ100キロ”)の娘さんがすぐに「震度3だそうです」と教えてくれた。

僕はすかさず「むかしベースを弾いていたのが“しんどーさん”です」といって大爆笑。

でもこれ、震度2だったら使えなかったなぁ。でももし震度4以上だったら別な意味で使えなかったなぁ。

どこにも、何事もなかったようでよかった。もうこりごりです。

コンサートも無事終了して、たくさんの人がいっぱい声をかけてくれました。みなさん幸せそうなお顔をされて帰路に就かれたようです。

貴重な時間を共有出来た思いで、みなさんに感謝します。

 

三河安城から一路、近江八幡へ。たけちゃんが「途中、アウトレットがあるから、そこで美味しいハンバーガーを食べましょう」と誘ってくれた。

少し雨模様だったが、まだオープンしたばかりの時間帯でも駐車場はいっぱい。連休最後の日だからこんなものだろう。

たけちゃん、すぐにハンバーガー屋さんを探しに走るが、「いやぁ、無かったですよ。夏限定みたいですね。残念だなぁ。なんか別なものにしましょう」

という話だったので、パスタ?ピザ?うどん?お好み焼き?洋食?など、いろいろ見てまわるがなかなか決まらない。

そのうち、まれかが「たけちゃんが無かったって言ったハンバーガー屋さんこれじゃないですか」と目の前の店を指差している。

そのとたんに、たけちゃんがもう並んでいた。「いやぁ。ここは並ぶ価値ありますから。でもおかしいいなぁ、さっきまではなかったんだけどなぁ」そんなわけないだろう。

並んでいると、聴きなれたサウンドが聴こえてきた。どうも館内放送ではなく、バンドが生で演奏しているようだ。

「ドレクスキップだ」とまれかが走りだした。

特設会場で、今日はかれらの演奏があるらしい。サウンドチェックの真っ最中だった。

彼らは珍しい北欧系の音楽をベースに、独特な世界を展開している京都の若者たちだ。30年、40年前の日本にはいなかったタイプのバンドである。

以前、僕とまれかが京都で演奏した時も、本番前に新京極を散歩していたら、偶然彼らが演奏していた。

この次はどこで会うだろう。

美味しいハンバーガーを食べてから、一路、近江八幡へ向かう。道も比較的空いていたのではやく着くことができた。

会場である酒遊館(実際は遊という字は“さんずい”をつかっている)に到着。生音でもできるかなぁ、どうかなぁなどと考えながら、まわりの状況を見て回る。

ふと見ると、横のレストランで借りてきたチャウチャウのように小さくなって食事をしている男がいる。

京都産業大学の後輩、木内君だ。この人、柄に似合わずとても奥ゆかしくて、おとなしい。再会を祝し、またしても彼のバンジョーをもらうことに、いや、貸してもらうことにした。

会場のご主人、西村さんはもう30年以上前からアイリッシュトラッドに精通している人で彼が音響を担当してくれるので、しっかりマイクロフォンも使わせてもらうことにした。彼の息子さんの“かつおくん”も一緒に手伝ってくれている。背の高い好青年だ。

そこに“どん”の登場。清水さんだ。

清水さんは、旧姓、的場さんといって、むかしからナターシャー・セブンのコンサートには欠かせないファンのひとりだった人。

彼女との再会が今回のここでの会に繋がったのだ。非常にパワフルな人で、ご主人をはじめ、子供達もおかあさんの勢いに押されっぱなしでとても微笑ましい光景だった。

こういう人たちと、いろんなところで再会できることは、やっぱり生きてて良かったのかな、ということを再認識させられる。

勿論、まれかのような新たなパートナーを得たことも、そして、彼女も僕を通じて、出会うはずの無かった年代の、出会うはずの無かったかもしれないタイプの人達との繋がりが出来て、僕にとっても嬉しいことだ。

近江八幡に行くなら岡林信康を聴いて行かなくちゃ、と“チューリップのアップリケ”を聴かせた時、まれかが一言「暗っ!!」

随分前に名古屋の若者にボブ・ディランとグレートフル・デッドのコンサートに行くように勧めたことがあった。

帰ってきた彼にどうだったか訊いてみると「いやぁ。すごかった。良かった。でも、あのボブなんたらいうの、あれなにぃ。めちゃくちゃへただぎゃぁ。俺、出てまったがぁ。聴いとられんがね」

いいものはいつまでもいい、ということは分かるが、ある意味、時代の流れというのはなにをもってもどうしようもできないものもある。

さて、僕らのコンサートだが、ここでも沢山の人達に囲まれて、いい音楽会が出来たと思う。

ナターシャー・セブンとしての一時代を築いた僕ではあるが、今の自分を発揮するためには今の形がいちばんいい、と自分では思っている。

もっとブルーグラスを聴きたい、ナターシャーの唄を聴きたい、など様々な意見もあるかもしれないが、今の僕が心から自分の音を演奏できるのは、このデュオの時だ。

音楽的なことでの僕のわがままに従ってくれているまれかにも感謝だし、このデュオを聴いてくれる人にも感謝の気持ちでいっぱいだ。

最近知り合ったとても素敵なベースマンである“天野しょう”さんが言っていた。「音楽ってまじめにやればやるほど売れないね」

僕らはマジにアイルランドのトラッドが好きだし、うわべだけすくいとってやるようなことはしたくない。

でもがちがちにはなれないし、なりたくもない。

いろんな人の意見をききながら、いろんな音楽を聴きながら、いろんな景色をみながら、いろんなものを食べながら、そして、みんなの顔を見ながらいい音楽が演奏できたら嬉しいな、と思っている。

今回の西尾、そして近江八幡でも本当に心から感じたことです。

手伝って頂いた方全てのお名前を訊くことができませんでした。みなさん有難うございました。

そしてコンサートに足をはこんで頂いた皆さんも有難うございました。

追加

近江八幡のコンサートの写真が届きました。撮影は宮部亘君です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追加

西尾からも写真がとどきました。まずは、はとちゃんと3人で。