2014年 アイルランドの旅〜一路ゴルウエイへ〜

6月23日(月) またまた快晴。ゴルウエイに向かうバスの中でテリーから電話がかかる。もうここまで来るとお構いなしに話してしまう。

アイルランドではどこでも携帯の着信音が聞こえてきて、結構な大声で話している人が多い。それにくらべれば僕の声なんて小さい方だろう。一応は気を使っているし。

来月少し時間が出来たらゴルウエイに出てくるということで話を終えた。僕らは彼を日本に呼びたいのだ。コンサルティナの神様のひとりである彼はとても素朴な人で本当の本物のトラッドミュージシャンだ。

日本のアイリッシュ・ミュージック愛好家たちがどれだけ興味を示すか分からないが、彼らが最も聴かなければいけない人のひとりであることは確かだ。

3時頃ゴルウエイに着いた。少し風邪気味なので今日はゆっくり休むことにする。このところ寒すぎる。

30度にもなるところから、夜になると15度を大幅に下回っているだろう場所に突然身を置いているので体が付いて行けないのだろう。やっぱり歳かな、と思いつつも希花さんも風邪っぽいようだ。

無理も無いかもしれない。まぁ、希花さんに診察してもらうよりは、葛根湯でも飲んで早く寝た方がいいだろう。

来月に入ったらいろいろと忙しくなるので今のうちに体力温存で行こう。

 

6月24日(火)快晴。 朝5時をちょっとまわったところ。夕べ10時少し前には深い眠りに就いたので4時頃にはもう目が覚めた。外はもう明るい。そういえば、昨晩眠りに就いた時も明るかった。

少し曇っているようだが、今日の文章の頭の部分にも、快晴、と書けるようになるのか、それとも今日くらいは雨に降られるか…どうだろう。

果たして…快晴。

昼前に楽器屋へ行って5弦バンジョーをゲット。これからの仕事で使えるようにすこし良いものを手に入れたが比較的、いや、かなり安かったので大満足。

それからコーマックと落合って仕事の話をして、なんやかやくだらない話もして、ショッピングストリートを歩いていると、どこかからオールド・タイムが聴こえてくる。

見てみるとフィドル、ベース、ギターのトリオだ。5弦バンジョーもある。ギブソンのスクラッグス・モデルだ。

Nobody’s Businessを一曲聴いたところで尋ねてみた。「バンジョーを弾かせてくれ」快く受け入れてくれたのがいかにもアメリカ人らしい対応だった。バージニアから来ているらしい。

すでに沢山の人が聴いていたが、予想のできない展開で、あっという間に黒山の人だかりができた。

やっぱりブルーグラスはなんとなく陽気で人々の興味を引くらしい。彼らもなかなかに良いグループだった。

さて、この国で晩御飯になにを食べるかということを考えるのは、なかなか難しいことだ。

「美味しかったね」「また来ようね」というような日本のコマーシャルにあるような言葉を交わすことは先ず無いとみていい。

こういう物が美味い、という味覚はいったいどこからくるのだろう、と思わせる料理がほとんどだ。

結局、フィッシュ・アンド・チップスで済ませるのが一番安くてお腹に溜まる。そしてほとんどどこも同じ味だ。

そういえば東京のどこかで「東京一美味しい本場の味」と詠ったフィッシュ。アンド・チップスを出している店があったなぁ。

本場の味ってどんなもんか知らないのかな。

日本の食文化は偉大だ。

 

6月25日(水)曇り。また早く目が覚めたので6時から散歩に出た。少し歩くとGalway Bayに出る。

初めてBreda Smythに連れて来てもらった時も今日のようにどんよりした天気だった。

これから7月に入ると少し雨も多くなるのかもしれない。そして8月半ばにはもう夏が終わる。その頃になると、上着なしでは歩けないこともある。

やはりそういう気候だから、がっつりとしたものを食べなければいけないのだろう。

「旨味」などという概念がないのもうなずける。

午後1時半、アイルランドらしい雨が降って来た。ある意味これでなくちゃ、という感じだ。

びしょびしょに濡れたソフトケースのギターをかついで、走るでもなく行き交う若者、雨にうたれたテイクアウトのピザを食べながら歩いている女の子。どこまでもワイルドだ。

これから先はこんな天気が続くだろう。それでも降ったり止んだりすることがほとんどだ。

通りをぶらり歩いているとアコーディオンが聴こえてきた。覗いてみるとアンダースともう一人、バンジョーの二人だけでやっている。

アンダースは奥さんが「まよさん」という日本人のフィドラーで、今日はいらっしゃらなかったが、奥さんの里帰りも兼ねて日本で演奏したりしている、日本でもよく知られているカップルだ。

アンダースはゴルウエイのセッション・ホストの一角を背負っている。ミュージシャンの数が少ないセッションは、全ての音が聞こえてとてもいい。まだまだ早い時間だったので、それが良かったのだ。

6時〜8時くらいのセッションではそういうことが結構ある。特にギタリストやブズーキ奏者がもうひとりいて、たいして理由の無いコードを感覚で入れられたりするとお手上げだ。

また、そういう人に限ってなかなかやめてくれないのだ。

8時にセッションが終わった。みんなに挨拶をして出てくると、そうだ、思い出した。

すぐ裏手の教会、セント・ニコラス・チャーチでコーマック達がコンサートをやっているのだ。今日は彼を含めた5人のミュージシャンによるライブ・レコーディングが行われているはずだ。

少し覗いてみることにした。

50人ほどのお客さんに囲まれてシリアスに録音している。セント・ニコラス・チャーチは素晴らしく美しい音をプロデュースしてくれる。

ピアノ、コンサルティナ、フィドル、パイプ、そしてブズーキの音が、自然のリバーブでお客さんを包んで、なんとも荘厳な雰囲気だ。

この教会では去年に続き、ぼくらも何度か演奏する予定になっている。

久しぶりに12時をまわるまで徘徊した。

 

 

6月26日(木)朝のうち雨。現在10時。もう晴れて来ているが安心はできないだろう。

外からはかもめの鳴き声がひっきりなしに聞こえる。ゴルウエイもダブリンも同じだ。

街のいたるところをカモメが飛び交い、そして歩道を歩いている。車の行き交う通りを早足で渡るかもめ。変な奴だなぁ。飛んだ方が早いんじゃないかな、と思ったりして。

午後6時。またアンダースの軽快なアコーディオンが聴こえて来た。今日は8時からバージニアの連中の演奏を聴きにいくのでそれまでセッションに加わらせてもらおう。時間的にはちょうどいい。

セッションを終えてコーマックのアパートの隣にあるモンローズというパブに行く。

彼らともうひとつのバンドとのコンサートがここであるのだ。

彼らの演奏はいかにもアメリカらしい、様々な音楽をミックスしたものだった。ブルーグラスあり、スウィングあり、ヨーデルあり、30年代のデイブ・アポロンのロシアン・ラグはなかなかきまっていた。

かなり楽しいバンドだった。

そして、次に登場したグループは5人編成の、これもなんと説明していいだろうか。スライゴーのフィドラーを中心にして、フラメンコ・ギターのスナフキンみたいな奴から、マンドリンを巧に操り、チェロやキーボードを弾く女の子、一見今にも死にそうなギタリスト、それとベース。中近東ものあり、アイリッシュあり、スパニッシュあり、ボーカルもそれぞれ味があって実に上手い。ゴルウエイもさすがに音楽が盛んな都会だ。さしずめボストンのような、と言えるだろうか。

戻って来たのが12時少し過ぎた頃。眠っていたら3時半にジョニー“リンゴ”からメッセージが入った。

明日、いや、もう今日だ。6時からセッション・ホストをやってくれ、という内容だ。去年一緒にやった、Mick Connollyとの4人。もちろんオーケーしたがさすがに眠たかった。

これからはこんなシチュエーションも増えてくるだろう。しっかり健康管理しておかないと身体が持たない。

 

 

6月27日(金)晴れ

6時。セッションがスタートしたが、間もなくしてクリーナ(コーマックの妹)から電話があった。

コーマックが飲み過ぎて演奏ができないから教会でのコンサートを急遽手伝ってくれ、という。

セッションは8時まで。コンサートは8時から。ファースト・ハーフを別なミュージシャンでやってもらって、2部を僕らということにしておけば余裕がある。

1部はコンサルティナの名手、カトリーンだ。ダンスもこの上なく上手い。因に希花がコンサルティナで弾いている「Sunday’s Well」という曲は彼女の演奏から覚えたもので、彼女のオリジナル曲だ。

因に、今回これを希花がフィドルで演奏したことをいたく気に入ってくれたカトリーンが演奏のもようを彼女のフェイス・ブックにのせてくれた。

僕らは2部を30分ほどやって、最後にお決まりのマイケル・コールマンセットで終えた。

50人ほどのお客さんも結構楽しんでくれたようだ。

そのあと、また近くのパブでショーン・トリルのコンサートをやっている。僕は15年くらい前に彼と、パディ・キーナンとで廻っていたことがあるので、挨拶に出かけた。

彼の歌は超一流だ。高田渡か、ギターがもう少し上手い高石ともやというところだ。

一緒にやっていたころ、僕は彼のギタリストでもあった。歌に沿ってギターを弾くのはとても気持ちのいいことではあるが、難しいことでもある。彼は僕のギター・プレイをとても気に入ってくれていた。

クレアに住んでいるとのこと。またフィークルで会う約束をして別れた。帰りしな、コーマックが現れて盛んに「ごめんなさい」といいながら、僕らにビールをおごってくれながら、また飲んでいた。

懲りない若者だ。でもこれくらいの方が面白い。

2014年 アイルランドの旅〜ジョニーの家〜

6月28日(土)晴れ  今日も涼しい風がふいている。昨夜のうちにそこそこ雨が降ったようだ。

今日からしばらくジョニー“リンゴ”マクドナーの家に泊めてもらう。ゴルウエイから車で20分くらい。オランモアーの一角、静かな住宅街に彼の家はある。

今晩はゴルウエイのパブでフィドラーのローナンとバンジョーのブライアン、そしてジョニーと僕らでのセッションをやる。

ローナンも若手の良いフィドラーだし、ブライアンもディ・ダナンのキーボード兼バンジョー奏者として活躍した人だ。

セッションの途中でジョニーに電話が入る。

このセッションの後、10時からスピダルというところでジョニー・コノリーのセッションに来てくれ、という話だ。

ゴルウエイの中心部から西に40分ほどだろうか。ジョニー(リンゴ)は僕らにも誘いの言葉をかけてくれた。

ジョニー・コノリーは有名なアコーディオン奏者で、父親の同じジョニー・コノリーというメロディオン奏者と共に有名な音楽家だ。

少し早い目に9時40分くらいにパブに入る。

小さな街並みの中に4軒ほどのパブがみえる。外はまだ明るい。しばらくするとふたりがやってきた。

ジョニーが僕らを紹介してくれた。今日はジョニーが3人もいてややこしい。もう一人スティーブというアコーディオン弾きも現れた。50代はじめくらいのこの人も普通にアコーディオンを操る。かなり上手い人だ。

そして、ジョニー(息子)の方はかなりのテクニック。目を閉じてひたすら弾きまくる。父親のジョニーはテクニックもさることながら、にっこりしてかなり渋い味を持っている。

超一流のセッションという雰囲気だ。そこに一人ビールを持った老人が来てセッションを聴いている。みんなの知り合いのようだ。

どこかで見たことがあるかもしれない。う〜ん誰だったかな、と思いながら彼らの会話に耳を傾けていると、盛んにチャーリーと呼んでいる。

もしかしたらあの人かもしれない。一度サンフランシスコで顔を見たくらいの感じで会っているあの人かもしれない。

希花に「多分彼はあの人だよ。試しにあれ、やってみてくれ。12PinsとKilty Townのセット」といってみる。何故ならば有名な、あのチャーリー・レノンのセットだからだ。

始めようとして、息子のジョニーに曲を告げると、老人の方を向いて「チャーリー・レノンセットだ」という。すると彼は嬉しそうにうなずいた。

チャーリー・レノンだ。間違いなく彼だ。フィドラーとして、ピアニストとして、また作曲家としてアイリッシュ・ミュージックの世界に現存する伝説の一人だ。

希花にとってみても、会うことは叶わなかったかもしれない人物が目の前にいて彼女のプレイをじっと聴いているのだ。しかもかなり最初のほうから。

チャーリーはとても喜んでくれた。やっぱりスタンダードといわれるものをきっちり覚えておくことは大切なことだ。

チャーリーに訊いてみた。「サンフランシスコにはいつ頃行きましたか?」すると彼は「そうだな。随分前だったなぁ。90年代の半ばだったかな」「そのときあなたはプラウ・アンド・スターズに寄りませんでしたか?」「うん、行ったよ。そういえばセッションをやってたなぁ。君か?」

あの時、ジャックがチャーリー・レノンだ!と言った記憶はかなり鮮明にのこっていたのだ。

その時もカウンターでビールを飲みながらにこにこして聴いていた…ような気がする。

今度はどこで、いつ会えるだろう。

家に戻った時には、もう2時を回っていた。しばしジョニーと紅茶を飲みながら歓談し、4時近くになってベッドに入った。

チャーリー・レノンは超大物だった。でも気がつかなければ、少し上品な単なる飲み客にしか見えなかっただろう。

くわばら、くわばら…。

 

6月29日(日)薄曇りながら大体晴れ。 後快晴。

日曜日。8時半までセッションもないので、キンバラという風光明媚な街に行ってみる。

パブの前にジョニー・モイナハンが座っていた。アイリッシュ・ミュージックにブズーキを初めて持ち込んだ人だ。

この街にも有名なミュージシャンが沢山住んでいる。セッションも行われているが、今日はとことんゆっくりすることに決めているので、3人でお茶をのみながら美しい景色を楽しんだ。

10時になっても日本の夏の午後6時くらいかな、まだ明るい。時間の感覚が次第になくなってきている。

 

 

6月30日(月)快晴。気温は20度くらい、とラジオで言っていた。

絶好の洗濯日和だ。

今日は夕方からクレアに行って地元のクレアFMに出演する。ジョニーと、もうひとりConor Keaneというアコーディオン奏者が一緒だ。

彼らは最近新しいアルバムを出した。その宣伝も兼ねてのラジオ出演にぼくらもゲストとして出させてもらう。

Conorとは去年どこかのパブで一緒に演奏しているし、ラジオのパーソナリティとは随分前に会ったことがあるらしい。

クレアにはアンドリューを筆頭に知り合いが多くいて、どこにいっても「よ、久しぶり」と言うような人がいっぱいいる。

お顔は覚えていますが、お名前だけが♪とはよく言ったものだ。

ぼくらが出番を待っていると、ご機嫌なコンサルティナが聴こえて来た。マリー・マクナマラの新しいアルバムがかかっている。

クレアの、タラの景色が浮かんでくる。

僕らの出番がやってきた。まず、彼らのニュー・アルバム“Rough &Ready”の紹介から彼らの生演奏。

Conorは実に良い演奏家だ。ジョニーとはArcadyのころからの付き合いらしい。

素晴らしいリズムがスタジオに充満する。

おしゃべりがあって、ジョニーが僕らをしょうかいしてくれる。ラジオで、あるいは公共の場でしゃべるのは難しいことだ。3〜4分の質疑応答のあとぼくらも1セット演奏した。

そして最後に4人でジグを演奏して無事終えた。

スタジオの外に出るともう夜の9時半過ぎているのに、まだ全然明るい。一路ゴルウエイに向かうが、フリー・ウエイに全く車がいない。

対向車線は時々走って行くが、ゴルウエイ方面には最初の30分位、前を行く車も追い越して行く車もいない。

空がオレンジ色に染まっている広大なクレアの夕暮れを独り占めしているようだった。

明日から友人のアパートに引っ越しだ。ゴルウエイの中心にある便利な場所で、しばらくはそこを拠点にして動く。

2014年 アイルランドの旅〜再びゴルウエイ市内〜

7月1日(火)快晴。気温20度。あまりにいい天気なのでジョニーがコネマラに行こうという。彼はその前に、娘さんがくるのでピック・アップに出かけ、僕らは引っ越しの準備。

荷物を積んでジョニーの17歳の娘さん、ケイティと4人でいざコネマラ・ツアーに出る。

大自然のパノラマ。なかなかアイルランドではお目にかかれないほどの天気(去年もそうだった)で、ここでも晴れ男全開だ。

とは言っても、明日からは少しくずれそうだ。気温も17度くらいらしい。今日はチャンスだった。

久しぶりに早く寝ることにする。ゴルウエイに着いてからきのうまで、ほとんど3時過ぎまで起きている。

今も10時を回ったが外が明るいのでちっとも遅い感じはしない。

でも、眠たくなって来た。

 

7月2日(水)曇り。気温17℃

久しぶりに爆睡。今日は教会でNoel Hillのコンサートがある。それまではゆっくりしよう。

Noelの音は、どこまでも力強い響きであった。やはりコンサルティナのまた別な神様だ。ちょうど元ストックトンズ・ウィングのモーリス・レノンも来ていたので、彼とも再会を果たすことが出来た。

これから先は忙しかったり、何もなかったりするのでしばらく何か特別なことがあったら書くことにしよう。とりあえず…。

 

7月3日(木)曇り。久しぶりに走った。フットボール・グラウンドが4面あるどでかい公園から、海辺を1時間くらい。

気温は15度か16度くらいだろうか。

風が強かった。

2014年 アイルランドの旅〜7月4日から〜

7月4日(金)朝から雨が降っている。いよいよアイルランドらしくなってきた。そんなに強い雨ではないが、これでは走りに行けない。

お茶を飲みながら、何か曲でも覚えるか…。知っている曲でも最後の1小節が定かでなかったりする場合、なんとか見つけ出してクリアーにする。いろんなバージョンがあるので、それに全て目を通した上で、これが一番好きだ、と思うものを覚えることにする。

伴奏者にとってはとても大切なことだ。自分の選ばなかったバージョンで弾く人もいるので、即座に対応できなければいけない。適当に感覚で済ますわけにはいかないのだ。

メロディを常に覚えておかなければいけないリード楽器奏者に対するリスペクトを、きちんと果たさなくては伴奏者として成り立たない、と考えている。

こうして朝、昼、晩を問わず練習するのには雨の日がもってこいだ。といえども、今日はまたセッション・ホストの仕事が入った。6時頃なので充分時間はある。もう少しRainy Dayを楽しもう。

そういえばRainy DayとDown The Broomはよく似ている。Follow Me Down The Galwayというオールド・セッティングもある。

あまり考えすぎると頭が混乱する。

さて、少し晴れて来た。セッションまで海辺を散歩でもしてみよう。

セッションはいつもの通り、ミックがすっ飛ばす。彼も素晴らしいフィドラーだ。

セッションを終えてからスピダルまで行くことになった。この週末はそこで大きなフェスティバルがあるのだ。

まず、アコーディオン奏者のDermot Byrneに出会う。そしてその次にウロウロしていたのはMichael McGoldrickだ。日本のフルート奏者のだれもが憧れる大物だ。気軽に僕らの会話にも加わってくる。Charlie Lennonもいる。もうすでに「ハイ、チャーリー」と声をかける。そして、12年ぶりにHarry Bradleyとも出会った。あの時(アメリカでツアーした)はまだ25歳の若者だった。

沢山の人と挨拶を交わし、街を離れたのが11時過ぎ。西の方の空はまだすこし明るかった。

 

7月5日(土)快晴。

今日の予定は、昼頃からジョニーとスピダルに行って、6時までに戻って、昨日と同じメンバーでセッション・ホストをやる。昨夜は12時頃戻ってからあまり寝れなかったので、今日はセッションが終わったら早い目に引き上げてきたいが、どうなることだろうか。

午前9時半、青空のあいだから突然雨が落ちて来た。しばらく降るだろうか。実にアイルランドらしい。

11時。まためちゃくちゃにいい天気になった。

スピダルに着いた。美しい海で水遊びを楽しんでいる人達もいるが、多分水は冷たいだろう。

チャーリー・レノンがいた。彼が自身のスタジオを見せてくれる、と言う。ぼくらが付いて行くとそれはそれは素晴らしい木造りの広いスタジオに案内された。

オーケストラも小規模だったら入るだろう。

そこでチャーリーがちょっと試しに一緒に弾こうか、と言ってくれた。

これはまたとない機会だ。特にフィドラーにとっては。希花に至っては、まだ生きていたとは知らなんだ(おとみさん、か!)というくらいの人物だが、今、まさに目の前1メートルくらいのところでフィドルを弾いている。しかも二人だけ、という恵まれた条件だ。

しばしスタジオで時を過ごしてから、ゴルウエイに戻り、またセッション・ホストだ。今日1日も矢のように過ぎて行く。因にチャーリーはiPhoneを使っていたがよく見えない、と言って希花に文字の入力を頼んでいた。

 

7月6日(日)快晴。

朝のうち海辺を走る。風が冷たくて気持ちがいい。

今日はジョニーとミルタウン・マルベイに行く。アイリッシュ音楽に関わっている誰もがステイタスのように思っている“ウイリー・クランシー・ウイーク”だ。

今は亡きパイパー、ウイリー・クランシーに因んだこのフェスでは様々なワーク・ショップも開かれ、サマー・スクールという名目でも知られている。

1昨年はブレンダン・ベグリーの家に泊まって、恐るべきケリー集団の洗礼に遭った。

今日は日帰りなので気が楽だ。いろんな人に挨拶だけして帰ってこようと思っている。

夜、ゴルウエイに戻ってからのセッションでショーン・スミスと久しぶりに出会った。

 

7月7日(月)曇り(小雨がぱらついている)

今日は七夕。日本はどんな天気だろう。少し晴れて来たけど今夜、星は見えるだろうか。アイルランドは関係ないか。

5時から7時まで観光客相手のパブで演奏。今日は早く寝れそうだ。

 

7月8日(火)晴

昼からミルタウン・マルベイ。セッションをしたり、こちらに住む赤嶺“フー”さんとお茶を飲んだり。

彼の勧めで、メインストリートでバンジョーを弾いたところ、おおいに受けた。彼はなかなかバイタリティーがあり、思ったことはなんでも実行すべきだし、興味のあることにはとことん食らい付いていく、ということをモットーとしているひとなので、この国で会うべき人としては欠かせない。

希花はそのあと、モーリス・レノンと共にセッションに参加。1曲ごとに希花のロージンを弓に塗りたくる彼にハラハラしていたらしい。

クラシックの人の1ヶ月分くらいを1曲で使うらしく、だいぶ減った、とぼやいていた。

外に出ると、よそ見しながらテレビでも見るような感覚でパイプを奏でる10歳くらいの超絶テクニックの男の子や、それを取り巻く子供達の大集団が次から次へとトラッドを演奏する姿に出会い、あらためて感心。

帰ってきたらもう1時をまわっていた。

2014年 アイルランドの旅〜ブレンダン・ベグリーとの再会〜

7月9日(水)晴

今日は暑くなるようなことを言っていたが、少し暖かいかな、と思う程度だ。昼頃、ブレンダンから電話が入った。

今日はセント・ニコラス・チャーチで彼とのコンサートがある。そしてその前にパブでの演奏もある。

それはセットを決めたり、練習するにはちょうどいいことだ。

1年ぶりに会う彼は、真っ白いヒゲをたくわえ、髪の毛も真っ白いのが少し生えていて、まるで散髪したサンタクロースみたいだった。

力強いアコーディオン・プレイと、ますます円熟味を帯びた歌声はいつ聴いても素晴らしいものだ。

僕と希花が40分のファースト・セットを受け持ち、ブレンダンが30分一人でセコンド・セットを。おわりにUkepick Waltzと、彼の素晴らしい歌声に乗ってのFoggy Dew。最後にPaddy Ryan’s Dream /Moving Cloudのセットで、日本公演の経験もあるダンサーのエマ・サリバン(彼女はこのコンサートの受付も兼ねている)が軽やかにステップを踏む。

そして、今日一日が無事終えた。ブレンダンとは金曜日にまた一緒に演奏することになっている。

 

7月10日(木) 朝のうち小雨、 後晴れ

今日はフランキー・ギャビンと会う約束をしているので、待ち合わせの場所に行く。

パブのなかで音楽を始めるとやはりただ者でない雰囲気が人々に伝わる。2時間ほど3人で弾きまくって、また会う約束をして別れた。

 

7月11日(金)曇り

今日もブレンダンとの演奏がある。

まず街のパブで。そして教会だ。

来週には僕らと北アイルランドに行くので、とりあえずケリーに戻って行った。いつでもパワー全開の人だ。少なくともアイリッシュ・ミュージックを自分の音楽として位置付けている日本の若者には、是非目の当たりにして欲しいミュージシャンの一人だ。

 

7月12日(土)雨

いよいよ晴れ男としての出番がなくなるアイルランドらしい気候になってきたようだ。

今日も一日ゆっくりできる。

夕方、とはいっても9時半頃だが。天気が良くなったので散歩に出た。川のほとりや公演には多くのひとが、それぞれに美しい夕焼けと心地よい風を楽しんでいた。

極端に広いこの風景の中ではその存在は本当に小さいものだ。

ふと通りに目をやると、見たような男が車の列の先頭を歩いている。コーマックだ。

なんと、ワイングラス片手に千鳥足で車道をあっち行き、こっち行きしている。そのせいで大渋滞になっている。

クラクションが鳴り響いているがお構いなしにフラフラと歩いている。ドライバーも慣れたものだ。結構いるんだろう。そんな奴が。やがて歩行者だけの道の雑踏の中へフラフラと消えて行った。やっと交通渋滞は解消された。彼にとっては始まったばかりかもしれないが。

明日電話してみよう。覚えていないかも。

 

7月13日(日)曇り

今日は、夕方からフランキーの家にお泊まりだ。門から家まで100メートルあろうか。大きな家のバックヤードは充分野球が出来るほどの庭と、大きな湖があり、と一体どこまでが彼の土地なんだろう。

彼が一生懸命ディナーを作ってくれる。

ろうそくの灯りを囲んでワインと彼の作ったパスタで緑に包まれての食事は、いかにもヨーロッパ人の夕食のひと時だ。

そしてもちろん音楽。

毎日が忙しい彼だがいろいろな曲を一緒にやってくれる。

彼のフィドル・スタイルは、あらゆる地方のアイリッシュ・ミュージックを聴きまくり、そして手当たり次第様々な音楽を聴いてミックスしたものだ。

彼のように弾く人はゴルウエイには多いが、この人はやっぱりそういう人達にとっての神様だ。

彼が大きな2匹の犬の世話に手を焼いている、というのはどこか微笑ましい。

 

7月14日(月)雨のち晴れ

フランキーの家から戻り、夕方コーマックに会ったが、やっぱりこの間のことは覚えていないようだった。

 

7月15日(火)晴

午前11時。少し曇ってきたが、今日も雨が降るだろうか。だれかが「もう夏も終わった」と言っていた。「ここでの雨期は1月から12月までだ」と言った人もいた。でも相変わらず楽器の鳴りは良い。

 

7月16日(水)晴れたり雨が降ったり曇ったり

典型的アイルランドの天気。少し暖かいが、海辺を走る風は冷たい。今日も白鳥がいっぱいだ。

それぞれに首を水の中に突っ込んで、藻らしきものを食べているが、首の見えない白鳥は単なる白いかたまりだ。

今夜は10時にショーン・ギャビンと待ち合わせている。ソルト・ヒルというところにあるパブでのセッションだ。

フルートのGary Hastingsがいる。間違いなく良いセッションだ。少し後からWe Banjo 3のDavid Howleyが現れた。まだ23歳の、マルチ・プレイヤーでシンガーの彼も真剣な眼差しでみんなの音を聴く。

それぞれが相手の音を聴き、ゆったりしたペースあり、そこそこに早いものあり、いいチューンあり、沢山のギネスあり、そして、何と言っても静かなパブで本当にいいセッションだった。

帰ってきたら2時をまわっていた。ショーンは車を置いて自転車で帰って行った。

 

7月17日(木)曇り

明日からブレンダンと北アイルランドのCo.Downに出かける。朝早くの出発なので、今日は一日ゆっくりしておこう。

昼からジョニーがTommy McCarthy(フィドル)と演奏するので、近くのパブに聴きに行く。

100人ほどのお客さんの中に、Mairtin O’Connorを発見。この人とは一緒に演奏したことはないものの、いつでも「おー、ジュンジじゃないか」とハグしてくれる。相当前から僕のことをいろんな人を通して知っているらしい。

初めて、ダブリンで会ったときも、随分前から知っている、という感じで気さくに話をしてくれた。

この人はきっとみんなに親切なんだろう。この上ない超絶テクニックを持ったアコーディオン奏者で、この上なくいい人だ。

2014年 アイルランドの旅〜Castlewellan〜

7月18日(金)小雨のち曇りのち晴れ

朝8時、ブレンダンと共に一路、北アイルランドを目指す。今年2回目という新しいフェスティバル、SOMA Festivalに出演依頼が舞い込んだのが約2ヶ月前。

ブレンダンと共にステージ、後は並みいるミュージシャンと共にセッション・ホストの依頼だ。

比較的スムーズに12時半頃、町に着いた。

あたり一面緑に囲まれた小さな町だ。ここにくるまでにユニオン・ジャックをいたるところで見ている。

photo1 (2)

そうだ、ここはユナイテッド・キングダムなんだ。

ハイウエーをおりてすぐに両替もしたし…でも変な感じだ。よその国なのだ。

使い慣れないお金で少しだけ腹ごしらえをしてみるが、よくこんなものをレストランと名のつくところで出すなぁ、と感心してしまう。それどころか、老若男女、結構入っているから驚きだ。

きっと、すしやすき焼きはこの人達にとって美味しくないものになるのだろう。

主催者のひとり、Tionaとすこしだけ打ち合わせをするが、そのラフさ加減にも驚き。

スケジュールもその場で「えーっと」なんて言いながら手書きで書いてくれる。

今日はどうやら8時半まで、宿泊先でゆっくりしていればいいらしい。さっきの口直しにどこかチャイニーズでも食べられるところはないだろうか、と少しの期待をよせて町のガイド・ブックを読んでいると、ありました。ここにも。こんなところにも、というと失礼かもしれないが、チャイニーズ・レストランが2軒も。

そのうちの1軒Ocean Palace Chineseというところで、先ず、こわいのでメニューを見る。

選んだのはチャーハン・シンガポール・スタイル。5ポンドちょっとくらい。どの辺がシンガポールなのか分からないが、カレー味のチャーハンだった。そしてまぁまぁだったので、ほぼ満足。

毎日毎日遅く、今朝も早かったし、今夜も11時半までは決められているし、それで終わりそうにもないので少し昼寝しておく。

途中Dundalkという町を通り過ぎた時Gerry “Fiddle”O’Connorにメール。彼は確かこの町の出身だったような記憶がある。その返事が寝ている間に来ていた。今回は会えないかもしれないが、またどこかで会えるだろう。

9時半、セッションが始まった。ブレンダン、希花、僕を中心に集まったメンバーはフルートが3人ほどいた。中でも「てーさん」に似た顔のおじさんは上手かった。フィドラーも上手いな、と思うひとがいたが、しばらくして、驚くことに彼はDervishのメンバーだったShaneだ、ということが発覚。もう18年くらい前に何度か会っているのだ。

時間が進むにつれて、多くのミュージシャンが現れた。僕らは疲れていたので一応11時半まで役目を果たし、それでも12時半ころに宿泊先に戻った。

結局3時頃までセッションの音が聞こえていた。

 

7月19日(土)一面霧、霧、霧

南ではあまり見かけなかった霧が町をすっぽり覆っている。

目一杯いろいろな種類のシリアルやフルーツが用意された朝食は、どこか他のフェスティバルとは違う。どうやらこのイベントの音楽担当の人達は健康志向らしい。

それはとても助かることだ。朝からソーセージや分厚いベーコンはきつい。

僕らはBBC北アイルランド支局のラジオ出演のため、公園に出かけた。photo6

目の前に広がるとてつもなくでかい自然公園(Castlewellan Forest Park)。そのゲートをくぐると、大広場にいるわいるわ羊の大群。

それぞれ身をよせあってケージの中でメーメー言っている。ここは羊の品評会場も兼ねているらしい。

様々な種類の羊達がそれぞれ沢山のケージに入れられている。数えはしなかったが、300匹はいるだろう。photo1 (1)

足を数えて4で割る、というのが早い数え方だ、という小話があったが、これ全部数えていたら眠れないまま次の日までかかりそう。

 

 

 

僕らが特設会場に着いたら、John McSherryが演奏していた。それぞれに1曲ずつ。間にいろいろな出演者がいてインタビューがあって。さすがにラジオ局ともなるとアイルランド人でも時間は気にする。大きな時計を持ったスタッフが忙しくしている。photo5

しばし羊を見学して宿に戻り、今度はランチだ。僕らはKevin Keegan / Ukepick Waltzを演奏した。

またまた素晴らしい料理に驚き。ベジタリアンのディッシュまで用意されている。

これは主催者の一人、Tionaの計らいだろう。彼女のご主人が何人かのスタッフと共に料理を作っている。

料理は決して本職ではないそうだが、アイルランドで入ったどのレストランよりも美味しい。

食事の楽しみなフェスティバルなんて、今まで経験したことはない。

それと、驚いたことにJohn McSherryはTionaのブラザーなのだ。

ニーブ・パーソンズやシボーン・ピープルスなどと共に食事を済ませ、この日の一大イベント、教会でのコンサートに出かけた。

3人で1時間20分ほど。素晴らしく大きな教会で、素晴らしいサウンド・スタッフ。弾いているこっちまでうっとり。

ブレンダンの素晴らしい歌声が人々を魅了する。この人は絶対に日本に連れて行きたい人だ。力強いアコーディオン・プレイと繊細な歌。そして歴史を語る。真のアイリッシュ・ミュージックとはこういうものなのだ。

そして、夜のセッションでは、本当にトラッドをきっちり勉強してきた若者2人(パイプとフィドル)と僕と希花でホストを務めた。

テクニックも知識も素晴らしい若者達だった。

 

7月20日(日)くもり

来る前に北アイルランドの天気を調べたら3日間雨、と出た。しかし一度も降られなかった。

今こそ声を大にして…いや止めておこう。ここはアイルランドだ。いつ何時その神話は崩れるかわからない。

今日、昼、夜のセッション・ホストを務めれば無事終われる。

バウロン奏者John Joeの、シスターが勢い良く…喋りまくる。ティン・ホイスルもかなりの腕前だが、話も止まらない。

かくして、3日間、絶景に囲まれ、親切な人達と、良いミュージシャンと、素晴らしい料理とに明け暮れた。

僕らをミュージック・パートナーとして選んでくれたブレンダン・ベグリーに感謝だ。

今週末にはまた一緒にWexfordとDublinに向かう。

それまでしばらくお休みすることにしよう。

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2014年 アイルランドの旅〜ゴルウエイに戻ってから〜

7月21日(月)晴れ

ひたすら爆睡。今週からアート・フェスティバル週間らしいが、それにはあまり興味がないのでゆっくりすることにしている。

 

7月22日(火)曇り 3時頃激しい雨、後清々しい晴れ

まだ疲れが残っている。昼前からショッピング・ストリートに出てみるが、今日はえらく暑い。といえども、これは何度くらいだろうか。多分25℃くらい?でも、めずらしくすごく湿気を感じる。

しかし、6時を回った頃から涼しい風が吹いてきて気持ちよくなってきた。

 

7月23日(水)曇り

今日も珍しい暑さになりそうだ。

このところ、アパートの裏庭にパンをまいておくと、鳥達がやってくるようになった。

詳しい人だったらわかるのだろうけど、いろんな鳥がいる。

なにを考えているのかわからないが、それぞれの動作が面白い。

来る鳥、来る鳥を追い払っている奴がいた。そいつひとりだけ種類が違う。意地悪な奴だと思っていたが、数日前から足の折れ曲がった彼とは違う種類の鳥がやってくると追い払わず、食べているのをじっとみている。

良い奴なのかもしれない。

3種類か4種類の鳥がやってきて、なかなかに飽きない。

今日はひとつセッションを済ませれば休める。それも早い時間なので、週末に備えて身体を休めておこう。

 

7月24日(木)晴れ

気持ちのいい涼しい朝。こういう日に限って後から雨が降ったりするから、洗濯のことを考えるのはむずかしい選択だ。なかなかきれいなしゃれだ。(自己陶酔型)

天気はまぁまぁの一日であった。

明日からの用意をしなくては。

 

7月25日(金)晴れ

ブレンダンと11時半に待ち合わせ。これからWexfordに出かける。

彼はアイルランド人には珍しく時間に正確だ。なので、Wexfordには大体思っていた時間に着いた。

ここでは第23回のPhil MurphyWeekというフェスティバルに出る。

Co.WexfordのCarrig On Bannowという小さな村だ。パブは3つしかない。食事をできるところはMr.Spudsというファスト・フード店だけ。人の行き来するところは200メーターくらいしかない。

フェスティバルの規模は至って小さいがDonal LunnyやMartin O’Connorなどもやってくる。

僕らは明日のコンサートがメインだ。僕らの前にバンジョーのAngelina Carberryも出るようだ。

こんな見渡す限り緑の場所なので、B&Bも広くて気持ちがいい。海も近いのでブレンダンは早速泳ぎに行った。

夜、11時頃から少しだけパブで演奏したが、一体どこから人が湧いてくるのだろう。身動きが取れないほどの人で結構広いパブが埋め尽くされている。

結局戻ったら2時半を過ぎていた。一日が異様に長い。

 

7月26日(土)晴れ

昨日は極端に暑かった。といえども27〜8℃くらいだったろう。今日は昨日ほどでもないが、またしても絶好の天気だ。

晴れ男いまだに全開だ。夜までゆっくりできる。どうせブレンダンはどこかに泳ぎにでも行っているだろう。

朝は思いっきりヘビー級、アイリッシュ・ブレックファーストでお腹を満たした。そうでもしないと他に食べるところがあの、いも男(Mr.Spuds)しかない。

なかなか美味しいが所詮、いもの揚げたものだ。バーガーを食べても同じような味がするから不思議だ。

何はともあれ、コンサート会場に5時頃行ってみたら、サウンド係がいた。どこかでみたことがある男だ、と思ったら、Danuのアコーディオン奏者だ。こんなすごい奴が音響を担当するとは驚きだ。

それに8時からというのにその時点でまだ人もまばら、ミュージシャンも来ていない、ブレンダンはファースト・セットがアンジェリーナ・カーベリーだと知ると、9時頃戻ってくる、と言ってどこかへ行ってしまうし、それも驚きだ。

しかし何事もなかったかのようにコンサートは始まるし、遅れたからといって文句を言う人もいない。

この気の長さはきっと長生きにつながるのだろう。実際、大丈夫かな、と思わせる人が目一杯パブで、しかも夜中まで飲んだり踊ったりしているんだから。

そんなこんなでその日も過ぎて行った。

明日は朝7時に出発なので、終わってすぐ帰ろうと思ったら、ブレンダンが少し飲んで行こうというので1時まではつきあったが、それ以上はやめておいて先においとまさせていただいた。

案の定、2時半まで飲んでいたらしい。

 

7月27日(日)晴れ

ダブリンに向かう。またしても最高の天気。

10時半ころ目的地Howthという町に着いた。ダブリン滞在の折、一度行ったら良いと言われていた風光明媚な町に労せずして来れた。

1914年の7月26日の日曜日に、到着したAsgardという船の記念式典。この船でドイツまで武器の買い付けに行った、ということだが、ぼくらの知らなかった歴史のお話がいっぱいあるようなので、帰ったら栩木先生に訊いてみようと思っている。

僕らの演奏のあと、大統領まで来て、軍関係者から警察まで物々しい警戒の中、見渡す限り日本人は僕と希花だけで、しかもなぜここにいるんだろう、という感じで小さくなっていた。

風光明媚な港町も、あまりに多くのひとでにぎわっているので、僕らも早々に引き上げた。

ブレンダンとはしばしお別れ。僕らは一路ゴルウエイに戻った。

 

7月28日(月)晴れ

ゴルウエイ・アート・フェスティバルも最大の盛り上がりは、多分僕らが外出していた週末だったのだろう。

町も静けさを取り戻したようだ。今日からは特別なイベントはないが、きっと誰かから連絡が入るだろう。

そうでなければ、少しゆっくりしよう。正直、歳も歳だし、ちょっと疲れがたまっているかも。

2014年 アイルランドの旅〜季節はもう秋〜

7月29日(火)曇り

寒い。12〜3℃だろうか。

裏庭の鳥たちの中にもかなり慣れてきて、すぐそこまで来て餌を待っている奴もいる。

僕らがいない間、あるいは帰った後大丈夫か心配だ。

町を歩いていてショーン・ギャビンと出会った。一人でべらべらと嬉しそうにお話して行った。フランキーが帰ってきたら一緒にやろう、ということだった。

夜、パディ・キーナンとスカイプで話したが、いつもよりとても元気そうだった。8月28日にここ、ゴルウエイで僕と希花とパディの3人でコンサートをやることを決めた。マーチン・オコーナーも空いていればくるかもしれないし、フランキーにも声をかけてみよう。

 

7月30日(水)曇りのち晴れ、のち小雨、のち晴れ

朝起きたら、今日も鳥が待っていた。

あと1日で7月が終わる。正月のことは昨日のように覚えているのに、もう8月だ。えらいことです。

7時過ぎショーン・ギャビンから電話があった。9時50分に待ち合わせしてセッションをすることになった。

また、目一杯のギネスとお話とで、戻ったら多分2時くらいだろう。

えらいことです。

いい勘だった。2時15分。ギネスは想像通り目一杯出てきた。えらいことでした。

 

7月31日(木)曇りのち雨、後晴れ、のち曇り

やっぱりしんどい。今度はギネスを1杯で断ろう。

お昼からコーマックと会って、また仕事の話をした。

それ以外の用事は特にないので、ゆっくり休むことにする。いつ雨が降ってくるかわからない天気だし。

 

8月1日(金)晴れのち雨

今日はお昼にコーマックとダンサーのエマと4人、町で演奏と踊りの、いわゆるバスキングをすることにした。

彼らは教会でのコンサートの宣伝を兼ねて、道行く観光客を相手によくやっているのだが、今日は僕らもそれに一役買おう、ということだ。

エマ・サリバンは、日本公演の経験もあり、DVDも出している可憐なダンサーだ。

街角に力強い靴音が響く。

1時間ほどやって帰ってくると少し雨が落ちて来た。やっぱり晴れ男だ。

そうこうしていると、今お世話になっているこちらのレストラン「和カフェ」のオーナーから「誕生日のパーティーをやっているのでもしよかったらハッピー・バースデーを」という要望があった。

勿論オーケーだ。

なんでも16歳になる女の子の誕生日のお祝いらしい。

ドアーを開けて突然乱入。こういう時の白人の若い子たちの反応は実に素直だ。

ざっと見て10人ほどの着飾った女の子たちも、驚いた直後、一緒になって大きな声で歌いだす。

そして1曲“Lover’s Waltz”をやって、さっと引き上げた。これはこれで面白い経験だった。

さて、ちょっと前から気になっていたお向かいのパブに行ってみることにした。どうやら金曜日にセッションをやっているらしい。

入ってみるとベガのロング・ネック・バンジョーを抱えた人がいる。僕が「お、ピート・シーガーだ」と声をかけると、もうそれだけで仲間入りだ。

ここのセッションは歌も沢山歌う。それもいわゆるパブ・ソングではなく、比較的年齢層も高いので、フォーク・ソングや、カントリーが主体だ。

それでもバンジョーを抱えたおじさんの他に、テナー・バンジョーの10歳くらいの男の子と、アコーディオンを抱えた、その妹らしき子供たちが両親と一緒に来ている。

バンジョーのおじさんがアコーディオンに持ち替えてインスト・ナンバーを弾く。テナー・バンジョーの男の子はとても上手い。まだ始めてそんなに経っていないようだったが実にいいタイミングでいい音を出す。

一緒にデユーリング・バンジョーを弾くと、恥ずかしそうに喜んでいた。なんかいい感じだ。将来、良いバンジョー弾きになるだろう。

他にもギター抱えて歌を歌うおじさんが2人ほどいて、サイモンとガーファンクルの曲を歌ったり、それこそピート・シーガーを歌ったり、なかなかこれも良いセッション経験だった。

後で知ったが、彼らはみんな去年から僕らを見ていたらしい。他所のパブで、いつもあまりに人が多かったので声をかけられなかったけど、やっと会えた、と喜んでくれた。

ロング・ネック・バンジョーとアコーディオンのおじさんは、「アンドリューと一緒にやっていたか?君のことはよく知っている。彼は僕の先生だ」と言った。

ゴルウエイでも段々顔が売れて来た…ようだ。

季節はもう秋だ。

 

2014年 アイルランドの旅〜フィークルに備えて、深く静かに潜航〜 

8月2日(土)晴れ のち時々雨

特になし。朝晴れていると後で雨が降る、というのはやはりこの国では常識のようだ。それにしても楽器の鳴りは至って良い。今日も寒かった。

 

8月3日(日)曇り

今日のビッグイベントとしては、夜8時からここ「和カフェ」でミニ・コンサートをやること。

その前に、アイルランド大使館の料理人、あゆむ君がダブリンから夏休みを利用してやってくる。和カフェのオーナー、芳美さんの古くからの友人だ。

あゆむ君の到着と共に、4人で近くのレストランでワインなどを飲みながら食事をして、昼からすっかり出来上がってしまったので、夜に備えて少し昼寝。

8時から、ということだが何せアイルランド。始めたのが8時半頃。それでもだれも文句を言うわけでもない。

和カフェ特製のトロのお寿司や、ゴルウエイの有名な牡蠣、ロブスター、おむすびなどが用意されていて、実に豪華な“ディナー・ショー”となった。

アイリッシュ・ミュージックを知っている人、知らない人、というシチュエーションはよくあることだが、日本人とこちらの人が半々、というのはとても難しい。話すことも、何を言っているのやら自分でも分からなくなってくる。

30分くらいやって、いったん切り上げて食事タイムにすると、それからやってくる人もいるので、また始める。

 

奥さんが日本人という、スペイン人のテナー・バンジョー弾き,Javierも来てくれたので、彼ともセッション。彼の友人の女性シンガーもスペイン語の歌で素晴らしい歌声を披露してくれた。

11時頃、みんなが帰ってから、残った日本人7人だけでまたお話会。あゆむ君も芳美さんも酒にはめっぽう強い。

本人達はそうでもない、というが、全く変わらず、持続性があるようだ。結局眠りに就いたのが2時半頃。

一番疲れたのは芳美さんだろう。おつかれさまでした。明日は従業員の給料計算をしなければいけないらしい。あ、もう今日か。

 

8月4日(月)快晴のち、にわか雨

本当にゴルウエイにいる、ということを忘れてしまうほどの青空。ただ、空気は至って冷たい。

昼頃、コーマックからメールがあって、5時からまたパブで演奏の依頼を受けた。

あゆむ君が帰る前にみんなでピクニック。河辺りに座って和カフェでテイクアウトしたお寿司や焼きそばを食べた。

真っ青な空の下、白鳥やかもめが憩う河を眺め、遥か彼方にひろがる山からそよいでくる冷たい空気を感じながら、時の経つのも忘れるほどだった。

ただひとつの心残りをのぞいては。

僕のお弁当はチキン照り焼きの乗った焼きそばだったが、親心で希花に少し食べさせてあげようと箱のまま渡したら、希花がみごとにひっくり返してチキン照り焼きだけ落としてしまった。

ならば、野菜だけの焼きそばにすればよかったのに…(涙)。

ところでこの日、7時に演奏が終わったのだが、その10分ほど前からとてつもない雨が降って来た。

これは帰れん、と思っていたら、7時5分過ぎくらいに青空が広がった。慌てて帰った。そして、アパートに着いて食事をしてリラックスをしていると8時過ぎ、また雨だ。

あのタイミングで帰ってこれた、ということは…やはり晴れ男…かな。

 

 

8月5日(火)晴れ

今日も鳥が待っていた。どうやら、マグパイとロビンといったところが主体のようだ。

昼からテリー・ビンガムと会って、別れた後雨が降った。幸い洗濯物は取り込んだし、晩ご飯の買い物も済ませたので、雨にも濡れず、無事一日が終わりそうだ。

夜はエマ(ダンサー)にもらった白ワインを1本飲んだ。酔っぱらったので寝ることにした。

 

8月6日(水)晴れたり曇ったり

多分、またどこかのタイミングで雨は降るだろう。

さて、この近くにセント・ニコラス・チャーチ(僕らが出るコーマック主催のコンサートをやるところ)があって、その道脇にマーケットが週末に、あるいは、何かのフェスティバルの期間に出るのだが、ひとつ紹介したい出店がある。

ダニエルという、歳の頃は40前後の見かけの、なかなかかっこいいおじさんがドーナツを揚げているのだが、それが何といっていいのか、美味しいのだ。

由緒ある高名なドーナツなんて目じゃない。どんな秘密が隠されているんだろう、と思うくらいに口の中で溶けてしまう。

カリッ、フワ、モチモチとはこのことだ。信じられないほど美味しいが危険だ。

1個0.8ユーロ、6個買うと4ユーロだが、健康のためには1個に押さえておかなければいけない。

ダニエルに「日本の原宿で冬限定でいいからやってみたらすごいことになる」と誘ってみたが、ここでもかなりの人気なので、あまりすごいことになったら身体がもたないかもしれない。

さて、鳥たちがまた待っているが、そろそろパンの種類を変えてあげようか。だが、ダニエルのドーナツはあげるわけにはいかない。

これからフランキーと会うが、12時15分と言っていた。おそらく1時半は裕に過ぎるだろう。

珍しくほとんど時間通りやって来たフランキーとちょっとお話しして、それから買い物に出た。

今日は、これも珍しく全く雨が降らない。現在夜の7時過ぎだが、素晴らしい快晴だ。

 

2014年 アイルランドの旅〜フィークル〜

8月7日(木)朝のうち雨、のち晴れ

今日からフィークル。久しぶりにアンドリューとの演奏だ。

今日、日本からの早野さんと古矢さん、というお二人がアイルランド音楽の旅の中間地点にフィークルを選んでいるので、レンタカーに便乗させていただくことにした。

さて、ここはフィークル。

すでによく知った顔ばかりで、次から次と挨拶しなければいけない人が現れて、八方美人になってしまう。

アンドリューに電話してみると、向こうの方から電話に答えながらやって来た。1年振りだ。

まだ時間があるのでブラブラしていると、パット・オコーナーがやっていたので30分だけ入らせていただいて、アンドリューとのセッションの場に戻った。

9時からの予定だったので、急いで戻ったが、例のごとく「10時くらいから始めるか」といいながらケタケタ笑っている。

お腹が空いた、と言ったらそこのテントの中になんでもあるから勝手に食べたらいい、と言う。

そこは特設ステージで、客席は100人ほどが収容できるようになっている。本当に食べ物、飲み物はフリーなのか知らないが、アンドリューもマーティン・ヘイズもデニス・カヒルも口を揃えて「タダだ」というので勝手に食べた。

こんなときでもお嬢さんは「虫なんかついてない?」と訊く。「文句言わずに食え」と腹ごしらえ。

確かにラフな食べ物ではあるが、これからに備えて腹ごしらえするには充分だ。ここで食べておかないと、他には何もない。

そこに、希花さんの長年のアイドル、マーク・ドネランを発見。僕は以前から顔見知りだったのだが、なかなか紹介する機会に恵まれなかった。

いつも人に囲まれて忙しそうな人なのだが、この際声を掛けてみよう、と思い切って声をかけてみたが、それもよかったのか後でアンドリューとのセッションに来る、と言ってくれた。

セッションの支度をしているとアンドリューが「希花が会いたがっていたからマークも呼んでおいたぞ」と言ってくれた。ダブルで声をかけたのだ。

果たしてセッションが始まってから30分ほどしてマークがやってきた。希花の横に座ってチューニングを始めた。

マークとアンドリューに挟まれ、おまけにマークのとなりには、アイリーン・オブライエンもいる。

しかも自身がセッション・ホストなのだ。このシチュエーションにはなかなかなれるもんではない。

それからのセッションはもう筆舌に尽くし難い。

とりあえず、今日はゴルウエイに戻るので1時過ぎに失礼させてもらった。

 

8月8日(金)雨のち快晴

今日は教会でブレンダンとのコンサート。パダー・オリアダと一緒だ。歌手のショーン・オ・シも一緒だった。

コンサートが終わるとブレンダンはCo.Mayo目がけて突っ走って行った。

 

8月9日(土)晴れのち、フィークルは大雨のち晴れ

今日からまたフィークル。今晩からはエニスに泊まる。

モロニーズというパブでジョセフィン・マーシュ&ミック・キンセラと待ち合わせ。

9時からということだが、今日は奥でシンギング・セッションが行われている。

予定では6時から9時まで。

シンギング・セッションというのは、自分の得意な歌や地元の歌を各人が数曲ずつ歌ってみんなで聴く、というものだ。

どんなに下手な人でも参加でき、また拍手をして「もう一曲どうぞ」というのが礼儀だ、とも聞く。

そして静かな雰囲気でなかなか終わらないのだ。

ジョセフィンもそんなことは承知なので、9時半頃現れて、まだやってるの?という感じだ。

9時45分頃。奥ではまだ誰かが歌っているが、さぁいきましょう、と突然アコーディオンを鳴らし始める。

彼女はとても人気があるので狭いパブの中は、今か今かと待ちこがれた聴き手と弾き手が素早く反応。全員ですっ飛ばす。もう完全にこっちのペースだ。

そして、3時間半ほどがあっと言う間に過ぎて行く。

戻ったら2時を回っていた。

 

 

8月10日(日)雨が降ったり晴れたり

朝、こちらに住む“フーさん”こと、赤嶺君と待ち合わせしてフィークルに向かう。

途中、日本からやってきた早野さんと古矢さんをアンドリューの住むタラに連れて行ってあげようという話になり、寄り道をする。

僕らにとっても今回初めてのタラ。

何も変わっていない。

アンドリューに電話をして「今、家の前にいる」と言うと、慌てた様子で「ま、待ってくれ。これからシャワーを浴びる」と言うので「心配ない。日本からの人を観光名所に連れてきただけだ」と言っておいた。

しばしブラブラしているとアンドリューが出てきた。訳がわからないままにカメラに収まってくれた。

それじゃまた後で、ということで僕らは一足先にフィークルに向かった。また雨だ。でもあっと言う間に晴れたかと思ったらまた降る。そんなことの繰り返しで、それでも結局あまり困るようなことはなかった。

今日は午後3時からなので早く帰れる。

セッションにはデニス・カヒルも現れ、初めてまともにツイン・ギターも楽しんだ。

アンドリューはやっぱり面白い。良いプレイヤーだし、何と言ってもクレアーの本物中の本物だ。

外にタバコを吸いに出たアンドリューがじいさんをひとり連れてきた。「歌ってくれ」というと、歳の頃は90も近いだろう彼が歌う。

もうこれにかなうものは世の中に存在しないだろう。日本でも地元のお年寄りが歌う民謡にかなうものはないだろう。同じだ。

そしてまたアンドリューが軽快に突っ走る。

早野、古矢組とエニスに戻ってしばし歓談。

彼女たちは明日ダブリンに戻って、その後日本に帰るそうだ。

全く余談だが、お二人のうちのお一人が、ぼくから見ると中井貴一によく似ているのだ。でも、少し前はアウン・サン・スーチーとも言われたそうだ。

そんなことを話しているうちに、スーチーさんはミャンマーの人だったね、ということになりミャンマーはビルマの竪琴だ、という話になり、素晴らしい法則が生まれたのでここで紹介しよう。

 

中井貴一=お二人のうちのおひとり=アウン・サン・スーチー=ミャンマー=ビルマの竪琴=中井貴一

出来過ぎじゃありませんか?

尚、お二人のうちのお一人、としたのは個人情報保護法からです。

 

2014年 アイルランドの旅〜ゴルウエイに戻る〜

8月11日(月)雨も晴れも曇りも全てが交互に

もう晩秋だ。寒くなって来た。昨夜はエニスでスーパー・ムーンを観測したが、今日も相当月が明るいので、ペルセウス座の流星群を見るのは難しいらしい。

街を歩くと、クリーナ(コーマックの妹)に出会ったり、フランキーに出会ったり、やっぱりゴルウエイだ。

白鳥もすぐ近くによってくる。道行く人が餌にするパンをくれた。多分希花を見て、子供が餌をやりたがっている、と思ったのだろう。10羽ほどの白鳥に混じってカモメが見事なフライング・キャッチを見せる。

こんな光景もやっぱりゴルウエイならでは、だ。

ゆっくり休んでフィークルの疲れを取ることにする。

 

8月12日(火)雨も晴れも全て

朝、起きたら晴れているのにどしゃ降りだ。天気雨、狐の嫁入りなんていうものではない。本降りなのに陽が射しているのだ。そして、あっという間に止んだ。もう青空が出ている。

結局、今日も夕方にはとてもいい天気になった。

鳥達も満足そうに餌に飛びついていた。

 

8月13日(水)晴れ

今日は珍しく朝からよく晴れ渡っている。日本の11月中旬のとてもいい天気の日、という感じだ。

ブレンダンと電話で話したが、今日は比較的電波がよく、また彼も家にいてリラックスしているせいか、分かりやすかった。

いつも忙しく、電波の悪いところから急いで電話してくることが多いので、ほとんど何を言っているのかわからないまま終えることもある。

時々あせってゲール語になったりもする。

今日はこちらもリラックス。晩秋の一日をゆっくり楽しもう。

と思いきや、9時に先日出会ったダーモットがセッションをやっている、というパブを覗いてみたら帰りが午前様になってしまった。

今日は休肝日、と決めていたのにギネスをごちそうになって、しんどい。

ゆっくり寝よう。

 

8月14日(木)曇り

早野先生、古矢先生(彼女達はどちらも教師だ)にいただいた鳥の図鑑で、ここに来ている鳥達の種類が判明。

最初によく来るのがどうやらSong Thrush(うたつぐみ)Starling(むくどり)そしてRobin(こまどり)この3種類のようだ。

教えていただいて感謝です。

今日は、昨夜会った、ミックというおじさんにギターを教えてあげる約束がある。

彼はDADGADも試したことがあるけども、昨夜僕の弾いているのを見て、やっぱり少しこのチューニングも真剣にやってみたい、と思ったらしい。

アイリッシュ・ミュージックにおいてギターはやはり教えるのは難しい。それでも一生懸命ノートに書いて、テープに録って、練習して2週間後にまた来る、といって喜んで帰って行った。

2週間後が楽しみだ。でも、それで全然進歩なかったら教え方が悪いのか、はたまた本人のせいなのか…まるでダイエットだ。

 

8月15日((金)晴れ 気温13℃

今日は69回目の終戦記念日。

僕の父は陸軍少佐として最初、サイパン島にいたそうだが、ほどなくしてトラック島に移った。もしそのままサイパンにいたら僕は生まれていなかった。それこそ南方諸島の状況はかなりひどかったようで、あまり話をしてもらった覚えがない。

終戦記念日になると黙っていそいそと日の丸を掲げる父の姿に、それが軍国主義に基づいたものだ、とか言えるものではなかった。

父が癌で亡くなってからもう30年。戦火のなかで生き延びてきた彼も癌には勝てなかったようだ。

全ての戦没者に黙祷。

さて、今日はアンドリューがオーラ・ハリントンと共に教会のコンサートにやってくる。

オーラもクレアー出身のダンサー兼フィドラーだ。

僕らも少し一緒に演奏した。パブとは違って、じっくりと目をつぶって弾く彼の姿が印象的だった。

オーラがホーンパイプで素晴らしいステップを見せてくれた。本日のハイライトだった。

終わってから少しの間アンドリューと希花と3人で飲んで話しをした。オーラはクレアーに戻り、アンドリューは明日スライゴーに行く。

僕らも先日会った“ピート・シーガー・モデルのダーモットとお昼頃出発してスライゴーに行くことになっている。

 

8月16日(土)曇り

午前11時15分、ダーモットとの待ち合わせ場所に行くと、時間通りみんなが現れた。ダーモットと他友人2人、それに僕らでいざ、スライゴーへ。

アイルランド音楽最大のイベント、フラー・キョール目指して。

10万人はきているらしい、なんていう情報もあるが、1週間以上続けてやるのでトータルで、だろう。

だが、小さな町、スライゴーの通りという通りは人でうめつくされていた。子供達がいたるところで演奏している。

このお祭りについてはネットでいくらも出てくるだろうし、他にもこのために日本から出向いて来ている人も沢山いるので、ここでは詳しく書かないことにする。

しかし、毎年行われるこの祭典のコンペティションで優勝したら、いちやくアイルランド中に有名になることまちがいなしだ。

勿論それでなくても名の出るミュージシャンは沢山いるが。

僕らもそれぞればらばらになって、人をかきわけかきわけいろんなパブをみてまわった。

ここでは、ジェリー・フィドル・オコーナーがフィドル・ショップを出している、というメールがきていたので、そこに行ってジェリーと会うのはひとつの目的でもあった。

小さな町なのでそれは簡単に見つかった。小さな町の小さな店にお客さんがいっぱい。アコーディオン部門はマーティン・クインが担当していた。

忙しそうだったので挨拶だけ済ませて、また通りに出た。

しばらく歩くとDunnesとPennysといういわゆるスーパーマーケットが一緒になっている大きなショッピング・モールがあった。

その中の1店舗であるコーヒー屋さんがMusicians Welcome Free Coffeeという看板を掲げているではないか。

行ってみよう、と希花と2人入って行くとショッピング・モールのいたるところで子供達が演奏している。

目的のコーヒー・ショップはちょうどスター・バックスのようなお店。希花が店員さんに訊きに行った。

「いつでもはじめていいよ。コーヒー持って行くからって言ってる」というが、それぞれに多くの人がくつろいでコーヒーを飲んでいるところで、突然楽器を出して弾く勇気はなかなか無い。

本当かな、と思いながら周りを見回しておそるおそる楽器を出した。少し弾き始めたら店員さんがにこにこしてコーヒー^を持って来てくれた。

どうやら本当だったらしい。そこで1時間くらい弾いているとおかわりも持って来てくれて、沢山の人が喜んでくれた。

このお祭りのために人が集まり、そしてこのお祭りのために街中がミュージシャンをサポートしていることがよくわかった。

ダーモットから連絡が入り、良い場所が見つかったからここで一緒にやろう、と言ってきた。

そろそろ1時間半にもなるので店員さんにお礼を言って店を出た。彼らは口々に「こちらこそ良い音楽をありがとう」と言ってくれた。

それからはダーモットと僕ら、フルート吹き、そして2人の少年バンジョー弾き。後からマンドリンやフィドルなども加わって大セッションに発展。

一人の少年バンジョー弾きの両親がずっと前、ロングフォードで僕を見たと言った。おそらく2002年頃だろう。パディ・キーナンとの演奏だった。そして帰り道、パーキングに向かって歩いていると、懐かしい顔が向かいから歩いて来た。バンジョーのブライアン・ケリーだ。

同じく2002年頃、家に遊びに来て、前の晩全く寝ずに飲み続けていてお腹が減ってしにそうだ、と言ったのでピザを食わしたら、馬のようにがっついて、と思ったらトイレに駆け込んで、吐いて、そしてケロっとしてまた食べたかと思ったらすぐバンジョーを弾き始めた奴だ。

あの時、まだ子供のような風貌で信じられないプレイを見せてくれたが、もうかなり大きくなっている。

YouTubeでみていたので分かったが、それでなければわからないかもしれない。しかし、バンジョープレイはかなりすごい、狂気に満ちたものがある。

少し話しをして別れたが、またいつか会えるだろう。

ゴルウエイに着いたのが9時45分くらい。ダーモットは「さぁ、無事にみんなを送り届けたから飲みに行くぞ」と一緒に行った2人とパブに入って行った。僕らはそこで失礼した。

彼に感謝だ。もし彼に会わなかったらスライゴーには行かなかった(行けなかった)だろう。

2014年 アイルランドの旅〜ケリー行きを控えて大人しく潜航〜

8月17日(日)ほとんど快晴

今日はゆっくりしてスライゴー疲れを取る。

日本から来ているハンマー・ダルシマー奏者の高橋夫妻に会うことになっている。

3人とも時差ボケでぐったりしているようなので、食事をして、少しパブを覗いてビールを飲んで、それからお茶を飲んで早い目に別れた。

明日はドゥーラン。モハーに行くそうだ。無事にたどり着けるよう祈っています。

 

8月18日(月)朝のうち曇り、後、晴れ

最近、安いオートミールを見つけたので、それを撒いておくと、特にロビンは好むようで小さい身体であっちこっち向きながら一生懸命食べている。

パンにしか反応しない贅沢な鳥もいるが。

今日、明日とゆっくりして疲れを取ってからディングルに向かおう。

 

8月19日(火)晴れ

じっくりとケリー行きの準備。

2014年 アイルランドの旅〜ディングル〜

8月20日(水)晴れ

いざディングルへ。今日はブレンダンの元の奥さんの車で約3時間とちょっと。ゴルウエイ近辺では慎重に運転していたが、さすがにケリーに入ると自分の庭のような感覚になってか、すっ飛ばし始める。

今日は海辺の崖道を通りましょう、と、僕らにとんでもない景色を見せてくれる。

いたるところ、車がすれ違うことが出来ないほどの曲がりくねった細い道。右側は断崖絶壁。左側は今にも崩れ落ちそうな岩肌の飛び出した崖。そこを慣れた様子で進んで行く。

前から車が来るのが見えたら、ここで待機、と言って突き出た崖の下にもぐりこむ。「子供の頃、おばあちゃんとよくここを通ると、いつ岩がおちてくるか気が気じゃなかったのよ」と言って笑う。

僕らもいつ他の車と鉢合わせになって、いざバック、ということになるだろうか、と気が気じゃない。

実際、ツーリストが入り込んだらかなり怖い思いをする道だろう。しかし風景はこのうえなく美しい。

家に着いてブレンダンと再会。

今日はゴルウエイでも夏の期間に行われているTune in the Churchのディングル版に出演することになっている。

2階席を含めたら100人ほどのキャパシティの教会には、早くから人々が集まって、ほぼ満席になった。

サウンド係の人も、さすがにこの音楽のことをよく知っている人だ。1部にパイパーとギター、2部に僕ら3人だったが、サウンド・チェックの時からこういった音に慣れ親しんでいる感じだ。

多分自分でもこの手の音楽を演奏するのだろう。そういえば、デニス・カヒルもPAを担当していたことを思い出した。

素晴らしい音に包まれて、僕らの持ち時間は45分。ブレンダンの美しい歌声が響き、地元ケリーならではのポルカが鳴り響く。

ちょうど高橋竹山さんを地元、青森で聴いた時のようだ。

この日のために予定を変えた高橋夫妻にも楽しんでもらえたと思うが、遠いところを本当にありがとう。

星が降り注ぐディングルだった。

 

8月21日(木)曇り、時々雨

ゆっくり休んで、昼からブレンダンが使っているキャラバンで食事。彼のお兄さんにあたるシェーマス・ベグリーの家の庭に置いてあるキャラバンだ。

キッチンからトイレまで、それに広いベッド・ルームもある。

見渡す限り山、山、そして草原には羊が。遠くに海。

いつも思うがこういうところで生まれて、こういうところで聴いてきた音楽を子供の頃からやっているのだから、どういう感性で育って行くのだろうと思ってしまう。それはもう、想像の範囲でしか語れないものかもしれない。

ブレンダンが釣ってきたサーモンをまた、スシにする、といって聞かない。冷凍したから大丈夫だ、というが、その前の段階、どんなところでおろしたか、いまから使うまな板(と呼べる代物にはほど遠い)ナイフ、あくまで包丁ではなくナイフ。そしてどこから拾って来たのか、それを研ぐ石。

それらを見る限りこれを生で食べる気にはならない。

それでも彼はスシをつくる、というのでそれは“さしみ”と言うんだ、と言って僕らの分は塩ジャケとして食べた。

勇気を出して一切れだけさしみとして食べた希花が、確かに脂の乗ったおいしい鮭であることは認める、と言っていたが、あくまで一切れだ。

ま、今でもピンピンしているから大丈夫だったようだが、なにはともあれワイルドな食事を済ませてコンサート会場へ。

今日は2年前にも演奏した楽器屋さんでのコンサート。チャンピオン・ダンサーも出演しての素晴らしいコンサートになった。

画家がステージ袖で、演奏している僕らをその場で描く、というパフォーマンスもあり、40人ほどの会場は盛り上がった。IMG_20140821_212341

明日は朝早く僕らはゴルウエイに戻り、ブレンダンはレイトリムに6時間ほどかけて突っ走るので早い目に失礼して帰った。

ケリーの山々を見下ろす暮れかけた空が美しい。

そういえば、朝、散歩をしていると、柵に首を突っ込んだ角の生えた羊が、自分の角がひっかかって四苦八苦している光景に出会った。

助けてあげることも出来ず、頑張れ!頑張れ!と言いながら眺めていると15分ほどしてやっと抜けて去って行った。

羊は必死だったろうが、僕らは面白かった。

 

8月22日(金)晴れ

朝8時過ぎにブレンダンが、向かう方向とは逆に突っ走る。3分ほど走ると朝のお決まりコース、海にドボンだ。

ジャケットを着ていなければ寒いくらいの気候なのに、さっと着ている物を脱ぎ捨て、ドボン。

ブレンダンの今の彼女、オーラは素っ裸になってドボン。あきれて眺めている希花を尻目に二人でシャンプーを楽しんでいる。

大西洋が風呂の代わりだ。

10分ほどであがって来ていざ出発。

僕らはお昼過ぎにゴルウエイでブレンダンと別れた。

強烈に疲れるが、本当の本物のアイリッシュ・ミュージックとは、彼みたいな人が奏でるものなんだ、と思わざるを得ない。

勿論、そこまでワイルドでなくても、そういう本物のミュージシャンが僕らのまわりにいっぱいいて、彼らが僕たちを誘ってくれるのはとても嬉しいことだ。

2014年 アイルランドの旅〜ゴルウエイ〜

8月23日(土)晴れ ひたすら寒い

もう、朝起きるとかなり寒いせいか、鳥も待っていることはなくなった。僕が起きるのが早すぎるのかもしれない。

今週は(来週か)木曜日にパディ・キーナンがやって来て、僕らと、ここゴルウエイでコンサートをやることになっている。

約1ヶ月前、彼にコンサートの話しを持ちかけたところ、ダブリンからアメリカに帰る直前、一日だけ時間を作ってくれた。

木曜までに仮のセット・リストを作っておこう。

たとえ仮のものでも作っておけば、そこから別なアイディアが生まれる可能性もある。

セット・リストというのはプロのミュージシャンにとっては非常に大事なものだ。

デビッド・グリスマンは自分の作ったセット・リストをまじまじと眺め「完璧だ」と自画自賛していた。

高石ともやも「セット・リストが出来たらコンサートもできたようなものだ」と言っていた。

料理に於ける仕込みと同じだ。仕込みさえ120パーセント完璧にしておけば少々のことがあってもこけないで済む。

コンサートの場合、その上で起きるかも知れないハプニングを楽しむ。

パディとのセット・リスト作りは、僕がやっていたことも多かったので、一応作っておこう。

後は、人の多いゴルウエイを少し楽しんでみよう。昨日まで羊しかいなかったから。

 

8月24日(日)曇り

後で晴れてくるだろうという希望的観測は持てないほどの、しっかりした曇り空だ。

今日は珍しく大きなマグパイが来た。思わずChattering Magpieが口をついて出てくる。The Gun In The Thatchというタイトルの方が有名かも知れないがNoel Hillのコンサルティナの音色が聴こえてきそうだ。

ロビンもやってくるが、なかなかに警戒心が強く、すぐに飛んで行ってしまう。

もう明らかに“冬”と言って良い寒さだ。鳥たちも寒いだろう。

因に今朝の気温は8℃だったらしい。そしてやっぱり雨が降って来た。

 

8月25日(月)曇りのち雨、のち晴れ

夜、バンジョーのポラック・マクドナーと近くのパブでセッション。

 

8月26日(火)曇り のち晴れ

パディ・キーナンとのコンサートのポスターを貼りに街中のパブや楽器屋さんに出向く。

 

8月27日(水)曇り

朝から木枯らしビュービューという感じだ。 今日はチャーリー・ピゴットとクレア・ケビルのコンサートを聴きに行った。

 

8月28日(木)快晴 のち嵐

今日、パディ・キーナンがやってくる。Co.Carlowから車を飛ばしてくる。約3時間半。僕らとのコンサートが終わると、ダブリンに行き、すぐにアメリカに戻り、またツァーに出ることになっている。相変わらずとても忙しそうだ。

10年以上も前、そろそろツァーも疲れて来たし、少し仕事を減らしてゆっくりすることを考えなくては…と言っていたが、なかなかそうはならないようだ。

僕らとの演奏が終えた後「ちょっと3人で話しがしたい」というので、何だろうな、と思うと来年のことだ。

今日の演奏で、僕らとのヨーロッパ・ツァーを思い立った“が吉日”という感じだ。

彼はかなり真剣に思ったようなので、来年、日本ツァーも含めて僕らも考えなくてはならない。

今日、彼が来る少し前から雨が振り出し、その後風も強くなって嵐のようになった。文字通り“嵐を呼ぶ男”だ。

「おいらはドラマー、やくざなドラマー♪〜」と希花さんが歌っていた。

2014年 アイルランドの旅〜ゴルウエイでゆっくり〜

8月29日(金)雨のち晴れ、それでも時々雨

Wa-Caféで、オーナーの芳美さんが大々的にごちそうしてくれた。すっかりお世話になり、来年からのお互いの仕事の話しの中から共通するものをいくつか見つけ出して、大いに盛り上がった。

苦労してレストランを切盛りして、いろんなことをするためにいろんな分野の人との付き合いを大切にしているゴルウエイのママのような人だ。

彼女のこれまでの人生にはかなり興味深いものがあった。まるで小説の中の出来事のような、そんな経験をいっぱいしてきているようなので、本にしたらいいかもしれない。

すっかり時の経つのも忘れて聞き入ってしまった。

アイルランド、ゴルウエイに来たら是非このWa-Café(和カフェ)に立ち寄ってほしい。

 

8月30日(土)晴れ

特になにもなし。考えなくてはならないことも多いが、ゆっくりしよう。アイルランド人のように。

彼らが急ぐのはパブに入って行く時だけだ。

 

8月31日(日)曇り時々晴れのち雨

天気は書いたような感じだが、結構早くから雨が降って来たので、今日遅くまで寝ていた人にとっては一日中雨、ということになるのだろう。

ころころと天気の変わるアイルランド。早起きするとお天気表示の全てが経験できる。

 

9月1日(月)曇り

今日から9月。もうあと4ヶ月で今年も終わってしまう。そしてアイルランドの旅もそろそろ終わりに近づいている。これから特にどこかへでかける予定もなかったが、昨日急にコーク行きを決めた。そしてそのすぐ後、エニスに寄って2日間、僕のアイリッシュ・ミュージックのルーツである“タラ”で過ごすことにした。

 

9月2日(火)曇り

夜、コーマックが会いに来てくれた。彼は明日朝早くからヨーロッパ・ツァーに出かける。2週間帰ってこないので、もうアイルランドでは会えないかも、と言って来てくれたのだ。

和カフェの食事も目当てのひとつだったが、閉店間際だったのでテイクアウトにして、2階に上がってお茶をのみながら少し話しをすることが出来た。

来年また会おう、と言って別れた。もうこれからは沢山の人に別れの挨拶をしなければいけない。

 

9月3日(水)なんとなく晴れ

インディアン・サマーかな。少し暖かい。

テリーからも電話があった。忙しそうだが。時間ができたら月曜日くらいにゴルウエイに出てきてくれるそうだ。

ここでは教会のコンサートも今日がラストだ。そしてなぜか、僕らがその最後の演奏をすることになった。

なんか申し訳ないような感じだ。トラディショナル・アイリッシュ・ミュージックをアイルランド観光の思い出として持って帰ってもらうのに僕らでいいのかな、と…。

でもお客さんはとても喜んでくれた。

とりあえず、来年またここで演奏することになっている。それまでこの歴史ある美しい教会ともお別れだ。

Tune in the Churchというプロジェクトは、アイルランド音楽、特に伝統をきちっと守ってゆく人達に支えられた本当に価値ある催しだ。

そこにライン・アップされるミュージシャンは有名無名を問わず、まさにこの音楽の歴史のなかの1コマ、そのものだ。

時として、この人はまだ生きていたんだ、なんていうことにも遭遇する。ずっと続けていたら、僕もそう言われるかも知れない。

お昼に作ったフルーツ寒天を食べながらしばし感慨にふけった。

 

9月4日(木)今日もなんとなく晴れ

インディアン・サマーは大体数日続いたりするが、きょうは少し肌寒いような気がする。久しぶりにバード・ウォッチングでもしてみよう。

2014年 アイルランドの旅〜コーク、タラ 最終回〜

9月5日(金)晴れ

いざ、コークへ。鉄道のほうがバスより安いので鉄道を使うことにした。

コークの駅では、フィドラーのMatt Cranitchが出迎えてくれる。マットは名の通ったフィドラーだが、公式に会うのは今回が初めて。

お互いに知ってはいたが、いつも挨拶程度にしか会うことができなかった。

フィドラーを彼と合わせることは僕にとっては大切な使命の一つでもある。

思った通り、彼は、同じ曲でも1921年のマイケル・コールマンの録音と1935年のジェームス・モリソンの録音とを耳を澄ませて聴くべきだ、と力説する。そこにさらに1952年のパディ・クローニンも例に出し、全てのアイリッシュ・ミュージシャンはこれらの事柄に正面から真摯に向き合わなければいけないという姿勢を持っている。もちろん彼は演奏者であるが、博士号を持っている人でもある。

ただ、そうでなくてもアイリッシュ・ミュージックという分野に首を突っ込んだ以上、そこまで向き合う姿勢を持つのは当たり前のことだと僕は思う。

彼が、かなり上級のフィドルの生徒さんにいつもどんな演奏家の演奏を聴いているか尋ねたところ、やはりルナサやソーラスの名前が出てきたそうだ。そしてマイケル・コールマンやケヴィン・バークですら聞いたことがない、というそうだ。

日本にも同じ話しは存在する。

アイリッシュ・フィドラーと自身を詠って他人にまで教えている人達の中には、先に出たような先人達の演奏に耳を傾けたことが無い人もいる。

マットは早速希花の演奏に聴き入り「僕は君に教えてあげられるほどではないけど、いろんな話しを聞かせてあげよう」と言って、自身の勉強部屋で多くの資料を引っ張りだし、貴重な音源を聴かせてくれた。

そしてLord Gordonを一緒に弾こう、とフィドルを持ち出して来た。一通り終えると「誰の演奏から覚えた?」と聞く。「マイケル・コールマン」と言うと「うん、確かにその影響が出ている。素晴らしい」と言う。

こういった経験は今までにもしてきたが、実に大切なことだ。遠くまで来たかいがあった。

夜にはCornor Houseというコークで最も有名なパブでセッション。そこはアンドリューと15年ほど前に一緒に演奏したことがあるパブだ。オーナーも覚えてくれていてにこやかに出迎えてくれた。

そして、コークに住んでいるから来ることがあったら連絡してくれ、と言っていたジョン・ヒックスも会いにきてくれた。

セッションは比較的早い時間だったので、家に戻ってから奥さんの作った料理で話しが弾んだ。そしてまたマットと弾いてその日は過ぎて行った。

 

9月6日(土)晴れ

かわいい猫が2匹、食事を待っている。徐々にみんなが起きてくるまで猫にちょっかいを出して遊んでみた。

ヨーグルトや果物主体の朝食でまた話しが弾み、さぁ、またフィドル談義だ。マットが様々な実例を見せてくれる。それに即した資料も見せてくれる。僕らは3時過ぎの電車でカウンンティ・クレア、エニスに向かうが、それまでたっぷりの講義だった。希花にもとても良い勉強になったことだろう。

奥さんが、土曜日のお昼に必ず焼くというスコーンを紅茶と一緒にごちそうになり、マットが駅まで送ってくれた。

「次はもっと長く滞在するように」と念を押された。こちらとしても願ってもないことだ。ありがとう、マット、そしてリズ(奥さん)。

 

エニス。今晩はアンドリューとパブで待ち合わせ。そこで12時頃までやって、アンドリューの家に泊まる。

12時過ぎ、タラ。僕にとっての故郷だ。いつも行くフランのパブの中から話し声が聞こえる。この時間パブは鍵を閉めて新しいお客さんは入れないようになっている。そう法律で決まっているようだ。

何度かドアをノックしてみる。やっと中から人が出て来た。「毎年ここに寄ってフランの顔を見て安心してから日本に帰ることにしている」と話すとにっこりして中に入れてくれた。

そしてその奥の方、5〜6人の、僕らもほとんどみたことがある常連さんに囲まれて、きちっとスーツを着たフランが座っていた。

もう店は甥に任せて、週末には必ず常連さんのお相手をするために店にいる、というアンドリューの話しは本当だった。

少し話しをしてフランや常連さんたちと別れた。また星降るタラの夜だ。

 

9月7日(日)晴れ

早くに目が覚めたので近くを散歩した。6月下旬、アイルランドに来てから今日まで、ほとんどいい日和に恵まれている。確かに誰もが、今年は珍しいくらい良い天気が続く、と言っている。

思い出に残る雨はフィークルのフェスティバルの時くらいだが、あの時も決定的に困ったことにはならなかった。

アンドリューの家のまわりを歩きながら、様々な思い出に浸る。

初めて来たのは2000年だったと思っていたが、もしかすると1999年かもしれない。どちらにせよ、もう随分前だ。

あの時フランのパブを見つけ、隣にあるインド人夫婦経営のチキン・バーガー屋さんでよくテイクアウトをした。今は経営者がかわり、ケバブ屋さんになっている。

洗濯屋さんも変わらずある。パブも同じ数だけある。たった一軒のスーパー・マーケットも、あの年出来たレストランもまだある。

アンドリューがランチにつれて行ってくれた。2人でポーク・チョップを食べ「チップは?」と訊くと「そんなものアイルランドには無い」と言ったのをよく覚えている。今では場所により置いたり置かなかったり、とその判断も曖昧で、且難しい。

モハーの断崖にも連れて行ってくれた。あの時は広場になっている所に勝手に車を止め、そのまま柵も無い断崖をこわごわ見つめたものだった。

その数年後にユーロ圏になり、入場料も徴収されるようになり、落下防止の柵も出来た。今ではすっかり観光地然としている。

アンドリューとテリーとで作ったアルバムFrom There to Clareでカバーに使った写真の場所を歩く。

ここにも思い出がいっぱい詰まっている。初めて見た緑のトンネルに興奮したものだ。

アイリッシュ・ミュージックを演奏し始めて、アンドリューと出会い、様々な人とのステージを経験して来た。

僕にとっての本当の意味での故郷はやっぱりここかもしれない。

15年前とほとんど変わらない景色が嬉しい。

今回の旅でも多くの人との出会いがあり、また以前からの知り合いにもお世話になった。

僕らはまた来年、この地を踏むことになる。

2014年の旅も素晴らしかったが、来年はさらに素晴らしい旅になるように僕らも頑張って生きて行こう。

月並みだが、タラの景色を見ながらそんな思いでいっぱいになった。

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2014年 アイルランドの旅〜名残惜しい日々〜

9月8日(月)晴れ

ゴルウエイに戻る。早速フランキーと落合って少し仕事の話。

 

9月9日(火)晴れ

テリーが昼にゴルウエイまで出て来てくれた。彼はキンバラという所、ゴルウエイから30分くらいの風光明媚な村に住んでいる。高名なミュージシャンの多くが暮らしたことのある素晴らしいところだ。

むかし、金原二郎ショーという日本テレビの朝の番組にレギュラー出演していたことがあるが…関係ないか。

 

9月10日(水)晴れ

何故か昨日くらいからまるで避暑地のような穏やかな晴天だ。それにやけに暖かい。インディアン・サマーかな。

今日から荷物を少しまとめ始めなくてはならない。長い旅だったが、7月、8月とそれなりに結構忙しかったので、やることはやった、という気持ちだ。

これだけ長く滞在すると、ちょっぴり日本も懐かしくなってくる。

みんなどうしているかな、とも思うし、まだ暑いだろうな、とか、いろんなニュースをみて、大変なこともあったんだなぁ、とか、また政治家が…とか。

そういえば、昨夜ネットでチューリップの安倍君の訃報を知った。

彼とはお互いのバンドの初期の頃から仲が良かった。ただ、この35年くらいは特につながりもなく、インドに在住、ということも知らなかった。

同じ64歳。冥福をお祈りします。

夜8時半、ショーン・ギャビンからセッションのお誘い。10時からセッション。すばらしくトラッドな落ち着いたいつもの水曜日のセッション。

戻ったら2時を回っていたが、帰り道、友達の誕生パーティの帰りだというクリーナに会った。

ケリーの人間らしくいつでもパーティだ。

 

9月11日(木)晴れ

2001年のあの日、あの朝、何も知らずに銀行へ行ったら閉まっていた。普通の日に何故?と思っていたら、通りかかった人が「大変なことが起きているから帰ってテレビをつけろ」と言った。

あれからもう13年?時の経つのは早いものだ。

昨夜のギネスがまだ残っている。実はこちらに来てすぐ、近くのパブでひょんなことから知り合ったおじさんと道で遭遇し、一杯どうだ、と誘われたのが8時頃。それが2杯になったところにショーンから電話だったので、はしごをするはめになってしまったのだ。

あの人達、飲んでも全然変わらないように見えるのに、じゃぁなんであんなに飲むんだろう。

やっぱり少しは気持ちよくなるんだろうか。たまに飲まない日があったりしたら調子悪いんだろうか。謎多きアイルランド人。

 

9月12日(金)晴れ

郵便局から荷物を送る。以外とてきぱき、親切に対応してくれた。

 

9月13日(土)晴れ

6月にここに来てから、雨という字を書いたことが本当に少なかった。異例のことだ。

夜、珍しくTaaffaというところのセッションに顔を出してみた。ゴルウエイに来て最初にアコーディオンのアンダースがいたところだ。

昨日から現ロンドン在住のフルート吹き、織田君がゴルウエイを訪れているので、一緒に出かけてみた、というわけだ。

そこで、マイケル・チャンという中国系のフィドラーに会った。前々から噂を聞いていたし、向こうはずいぶん前から知っていたようだったが会ったことがなかった。ゴルウエイにいて今まで会わなかったのが不思議だったが、僕らがあまりセッションというものに出なくなったので、それは当たり前のことかもしれない。

いろんなレベルの人が交じっていて大勢で、店がうるさかったりすることが多いのでセッションというものからは自然と遠ざかってしまうが、この日はお客さんにもリスナーが多く、フィドル、バンジョー、バウロンと僕、織田君、そして希花というメンバーで質の高いセッションだった。

 

 

 

9月14日(日)曇りのち晴れ

今日はいよいよパッキング。後数日の間でいるもの、そしてもういらないものを分ければいいだけなので多分午前中で済むだろう。

今朝、久しぶりに足の悪い鳥とロビンが来た。しばらく見なかったのはなぜだろう。僕らがそろそろここを出ることを知っているのだろうか。だとしたらこれが本当の超(鳥)能力か。

午後からダブリンのあゆむ君がわざわざ僕らに会いにきてくれる。夜は和カフェの芳美さんと一緒にお疲れ様食事会をすることになった。

僕らのために忙しい中、地元の有名なステーキ・ハウスを予約してくれた。さすがに美味しいステーキだった。

食事の後で、みんなに挨拶するために“チ・コリ”に立ち寄った。本当は1杯くらい飲んで挨拶だけで帰るつもりだったが、リンゴ、ブライアン・マグラー、そして、ミック・ニーリーといった錚々たる面子が「楽器は?」と言うので、すぐ取りに行き、10時半まで演奏。また来年、ということで別れた。

 

9月15日(月)曇り

いよいよ今日、ゴルウエイを去って最終地、ダブリンに向かう。お世話になった和カフェともしばしお別れ。オーナーの芳美さん、本当にありがとうございました。様々な苦難を乗り越えてきたあなたの「ピンチはチャンス」という言葉に感動しました。どうか身体に気をつけて和カフェを盛り上げて行ってください。

あゆむ君がダブリンまで乗せてくれた。どうもありがとう。シェフとしていろんな所で頑張って来た人。いつか日本でお店を出したい、と願っているそうだ。芳美さん同様、この人のバイタリティにも感激。

 

9月16日(火) ダブリン 曇りのち晴れ

今日は空港近くの宿泊所に移動。明朝にはコペンハーゲンに飛ぶ。

 

9月17日(水) ダブリン〜コペンハーゲン 共に晴れ

とうとう最後まで晴れた日が多かった。

みんなに手当り次第“ありがとうメール”を送ったら、次々に“気をつけてメール”をもらった。

持つべきものは友、だ。みんなありがとう。

2014年 アイルランドの旅〜まとめ〜

60年前、ピアノを始めて音楽と親密な関係に陥った。

父は陸軍時代、消灯ラッパと起床ラッパの区別もつかないくらいの、いわゆる“音痴”を絵に描いたような人だったらしく、そのことで悩んでいた母親が、子供には“ああなってほしくない”と教室に通わせた、というのが真相のようだった。

母は草月流の生け花の先生の子供として生まれ、幼少の頃から芸事、特に音楽にどっぷり浸かっていたらしい。

もっとも、戦時中はそんなこともできなかったろうが。

僕がピアノを始めて間もなく、教師から「この子はもしかしたら天才かもしれない」と言われたそうだが、僕はもちろんそんなことは知らない。

ただ、なんとなく覚えていることは、先生が持ってくる楽譜を自分で書き換えては「このほうがいい」と言っていたこと。

小学校にあがる前からずっとピアノの前に座って(ライナスのように)何か弾いていた、ということ。

それと和音に著しく強く、ひとつひとつの音を聴き分け、どんな和音なのかをことごとく言い当てた、ということ。

その辺のことはなんとなく記憶にある。

そして、母親の死によっていったんは離れた音楽と再会したのが14歳くらいの時。

ギターと出会い、ほどなくしてバンジョーに遭遇した。

思えば音楽に関わって60年あまり。

フォークソングの素となるアイリッシュも含めて民族音楽(と呼んでもいいだろう)を始めてから50年あまりが経った。

今、こうしてアイルランドを旅して、ここの音楽を演奏しているが、真面目に考えれば考えるほど深みにはまり、僕らが生まれるよりはるか前に残された音源に胸の高鳴りを覚え、またその時代背景の物語に涙が溢れ、なんという壮大なテーマにぶつかってしまうのだろうと思うことがある。

もっとただ単に楽しめればいいのかも知れないが、されど音楽、である。

僕らが毎回の旅で出会うミュージシャン達は、それぞれが本当の意味で伝統を大切にしている。

僕自身、音楽は芸術だと思っているが、音楽家が全て芸術家だとは思っていない。僕の知る限り、彼ら自身もそうは思っていない。

この音楽は明らかに生活の一部であり、無くてはならないものであり、無くても生きて行けるものでもあるのだ。

No Music No Lifeなどという安っぽい言葉を彼らは持ち合わせていない。音楽というものが自分にとってどういうものか、なんて考えたこともない人達だ。

自分の奏でる音楽には物語があり、捧げるべく山々があり…と、文章で書けば書くほど理屈っぽく、うすっぺらになる。

ただ、日本から来る、或は日本に於けるアイリッシュ・ミュージック愛好家たちの一部はもっともっと彼らの音楽に尊敬の念を抱くべきだ、と思っている。

フェイス・ブックやツィッターなるものが世の中に出現して、ずいぶん素っ頓狂な意見を言う人が増えて来た。

いや、単に目立って来た、と言うべきだろうか。

たかだか10年、20年の経験でこの壮大な音楽を他人に教える人まで出てきた。いや、そういう人の中にも真面目に取り組んでいる人がいることはよく知っているし、彼らもなんとかこの音楽の良さを多くの人に分かって欲しい、という願いでいることだろう。

しかし、先に述べたように、深く掘り下げてみよう、などと思わずに素っ頓狂なことをネットで書きまくっている人が多いことも事実だ。

また、多くの人は当世よくあるバンドのサウンドにしか耳を傾けない。というか、それしか知らない。

本当に難しいのは最低限の楽器でどう表現するか、ということだが、イベントものくらいにしか興味を抱かない人も多い。そういう人達はこの音楽に関わるべきではない。本当に大切なことは何か、ということを知るべきだ。

僕らはアイルランドの旅を通じて沢山のことを学んで来たが、まだまだ奥深く、分からないことだらけだ。でも、それは生きている限り続くことなのだろう。

ただ、さまざまな出会いを大切にし、この伝統に育まれた音楽のひとつひとつの音を、物語を、そして生活をどのように奏でていくか、この国の風景を見ながらゆっくり考えてみたいものだ。

また来年もそんな旅になることだろう。