Irish Musicその150

Maggie West’s     (Waltz)

何となくいろんなものを見ていて偶然発見した可愛いワルツ。作者はパイプスやアコーディオンを演奏する女性Mairearad Greenということだが、スコットランドのプレイヤーだ。

そして彼女のパートナーであるマルチインストルメンタリストAnna Massieがこれまた凄い。フィドルやテナーバンジョーを演奏するが、ギタープレイに於いてもかなりの腕前で才能をそこはかとなく感じる。

曲の話に戻るが、これは作者のグランマに寄せて書いたということと、何故Westとなっているかは村の西の方の出身だから、ということ。なかなか面白いがとてもいい曲だと思う。

まだこれからレパートリーの1曲に加えるつもりでいる段階だ。

Irish Musicその151

The Old Dudeen   (Reel)

この曲はAndy McGann’s としても知られる名曲。

Danuの演奏で覚えたという希花さん。

僕がDanuをSFで見た時もこれが2曲目に来るセットで始まった。まだデビューしたてのバンドだったが、それはそれは素晴らしいアンサンブルを聴かせてくれた。

後にアンドリューとウォーターフォードのパブで演奏したが、そこはDanuのメンバーの両親が持っていたパブでその時の面白い話がある。

当然バンドのメンバーが数人来ていて(僕はまだ顔と名前が一致していなかった)トイレに入っていたら横に立った男が実に良い声で唄っているではないか。「あんたDanuのキアラン?」と尋ねたら「そうだよ。よろしく!」と言って右の手を差し出してきたので、僕は思わずこう言った「ちょっと待った。手を洗ってからにしよう」

それ以来僕は個室に入るようにしている。

曲とは全く関係ない話。

僕が大好きなのは1949年の秋にダブリンでPaddy Killoranによって演奏されたものをSeamus Ennisが録音したとされているものだ。

この頃の録音物を聴くというのは大切な宝物に出会ったような感覚だが、また、若い人達がその魂を見事に受け継いで演奏している、というのもとても素晴らしいことだ。

Irish Musicその152

The Rose In the Gap   (March)

実に風変わりな曲でどう解説したらよいか分からない。

感じとしてはかなり古い曲だろう、ということが伺える。

25年くらい前だろうか。ジェリー・フィドル・オコーナーとツァーをした時によく演奏したものだ。

彼のアレンジはこれまた変わっていた。まるでドラマのように展開していく感じだった。

結構覚えるのが大変なものであったが、ハマるとそれなりに抜けられなくなるもので、そんんなに前のことなのに頭から離れないでいたので、最近レパートリーに取り入れてみた。

ま、覚えていて損はないだろう。

ジョン・マクシェリーや、ジェリーの息子のドーナル・オコーナーは前出のOld Dudeenとこの曲を巧みに繋げている。

Irish Musicその153

Muireann’s (Jig)

Niall Vallely作の美しいジグ。何と発音するのかみんなの意見を訊いてみると、どうやらMur ― eenではないかということだ。どうも女性の名前らしい。

4パートでとてもシンプルな、それでいていかにも彼らしい曲だ。初めて彼のプレイに触れたのはNomosに於けるスーパープレイだった。おおきな手の長い指がめちゃくちゃ早く動いていたのを良く覚えている。

なので2019年にコークのセッションに彼が現れた時には「似てるけど、えらい静かに弾いているなぁ」と思ったものだ。やっぱり他人のセッションなので、その辺は心得ているんだろうな。

難しそうな人かと思っていたが、話してみると弟のキリアンと同じように人懐っこいところもあるのかもしれない。どちらにせよ兄弟そろってもの静かであることは確かなようだ。

曲に関する情報はあまりないので申し訳ないが。

Irish Musicその154

Mr. O’Connor     (O’Carolan)

彼の作品集では113番目に位置する曲だが、果たして113番目の作曲かどうかは定かでない…と思う。

非常に難解(ホークス)な曲だ。

常識的に考えると理解に苦しむ譜割りだ。もしかしたら、間違えて弾いてしまった音がそのまま伝承されているのではないかと思うほどのいわゆる“字余り”的な…。

しかし、こういうものは古くからのチューンにはよくあることだ。

セットダンスなどはステップから来る余分な小節、というのがあるが。これはダンス曲ではないので、何かの間違いではないか、と思ってしまうのだ。

実に不思議な曲だが、こういうものが意外と癖になったりするから面白いものだ。

ジャッキー・デイリーとアレック・フィンのディ・ダナン時代の録音がとても美しいが、デイル・ラスのフィドルと、自身が弾くギターとの組み合わせもこれまた素晴らしいものがある。

気を抜くと混乱を招くようなこの曲。確かにジャッキー・デイリーの映像をみると余計なことは考えずに一点を見つめて弾いているように見えるが…?

Irish Musicその155

Laura Lynn Cunningham    (Reel)

Phil Cunningham自身のコメントによると彼のシスターの為に書いた曲、ということだ。

とてもキャッチ―なメロディライン。多分Lunasaの演奏で知っている人も多いのではないかと思う。僕自身もよく彼等とは一緒に行動していたので、確かこの曲の前にケビン・クロフォードがJanuary Snowsを演奏していて、それが凄く好きだった。ある時、サンタクルーズのKuumbwa Jazz Centerという処で、彼らが演奏した時、「January Snow絶品だなぁ。それから次の曲に入るところがまたすごくいいなぁ」とケビンに言ったことがあったのを想い出した。

余談だがMy SisterとかMy Brotherとか云われた場合、妹?姉?弟?兄?とどうしても気になってしまうのは日本人だからみたいだ。彼らにしてみれば家族の一員であるため、上だろうが下だろうが関係ないようだ。文化の違いだろうな。

Irish Musicその156

The Cat That Ate The Candle  (Jig and Reel)

このタイトルでリールとジグの両方があるのでこのような表記にした。メロディは全然違うのでその関連性については分からない。ジグの方はまたの名をThe Cow That Ate The Blanketとも言う。また、同じCow…のタイトルで別なリールもある。どちらにせよ、変なタイトルだ。ジグはジョン・カーティとブライアン・マグラ―のアルバムで覚えた。とても単純なメロディだ。リールの方はなかなかに美しいメロディを持っている。フランキー・ケネディの演奏で覚えたものだが、彼自身のノートによると、スライゴーのフルート奏者、Larry McDonoughの演奏から覚えたということだ。

Irish Musicその157

Up Sligo      (Jig)

この曲はおそらく80年代のストックトンズ・ウィングのライブアルバムから覚えたものだと思う。今になっていろいろ見てみると、マイケル・コールマン1891~1945のアルバムでUp Sligoとして2曲がメドレーで演奏されている。だがそれはBasket of Turf / Geese in the bogとしてクレジットされている。確かに2曲目は少しGeese…に似ているがパートが少ない。Old Geese in the Bogと云う人もいる。また、この曲をUp Sligoとする人もいるようだし、UpSigo#2とする人もいる。僕がUp Sligoだと思っていた曲をBasket…だという人もいる。ここまでくるとえーっと何が何だっけ?となってしまう。自分でもなにを書いているのか良く分からなくなってくる。結局僕はこのEmの曲をUp Sligoと呼ぶことにしている。取りあえず「いや、それは違う」と言われた時に「あぁ、そのストーリーも知っているし、コールマンの演奏も聴いている」と答えられるかどうかがこの音楽の演奏者には大切なことだ。

Irish Musicその158

If Ever You Were Mine     (Waltz)

モーリス・レノン作の美しいワルツ。彼とはロングフォードのフェスティバルで初めて会って以来、何度かアイルランドで出会っている。彼の在籍したバンドStockton’s Wingは最もよく聴いたバンドのひとつだった。ムービングハーツ同様、シンセやドラムを起用した斬新な音づくりには興奮したものだ。しかし、ムービングハーツよりはトラッドに近いスタイルを持っていたと感じる。Paul Rocheのフルートとレノンのフィドル、そしてKieran Hanrahanのバンジョーが核となっているので、それなりにトラディショナル・フィーリング抜群の演奏が楽しめるバンドだった。バンド自体は1977年に結成されている、というので、まだナターシャーセブン全盛の頃だ。

Julee Glaub というノース・カロライナ出身のシンガーが歌っているものもいい。タイトルは逆の意味みたいになっているところが面白いが。You Will Always Be Mineというその歌、同じくStockton’s Wing のメンバーであるMike Hanrahanが歌詞を付けている。

Irish Musicその159

The Gentle Light That Wakes Me    (Air)

Phil Cunningham作の美しいエアー。かなりゆっくり、ゆったりと演奏すると趣があるし、多分弦楽四重奏かなんかで聴いたらすごくいいと思う。

こんな曲をフィドルとギターだけでたっぷり演奏するのは難しい。決して難しい曲ではないが、それだけに難しい。しかし、彼は実に良いメロディを書く人で、僕らのレパートリーには比較的彼と彼の弟、ジョニーの曲が沢山ある。

Irish Musicその160

Hills of Kaitoke     (Slow Reel)

変なタイトルだが土地の名前や場所の名前はなかなか読めないものがある。これはニュー・ジーランドの地名らしい。Remutaka Range(これもなかなか読めない)という山々が連なるところ辺り。この土地を説明しているものを見る限りカタカナで書いたら「レムタカレンジのカイトーク(クとケの間)」のように聞こえるのであまり考えずにそのまま読んだら良さそうだ。先住民マオリ族の言葉だろうか。

この曲にはハカは合わないが、美しいエアーともいえる曲だ。書いたのはCatherine Fraiser スコティッシュ・フィドラーだ。

ただこの曲、あまりにも雰囲気がダンカン・チザムのFarley Bridgeに似ている。しかも同じEmajorというキーで書かれているので、アイディアとしては、キーを変えたほうが僕らにとっては良いかもしれない。

メロディはそこそこ違うが、これは普通の人が聴いたらどちらがどっち?と区別がつかないだろう、というくらいに雰囲気が似ている。ただ、いい曲だ。

Irish Musicその161

Eochaid     (Slow Reel)

なんとも読めないタイトルだ。調べたところ、日本語表記をするのは難しいようだ。

エチャイド、というものもあるし、エオヒド、というものもある、オーチやイオチェイドと聞こえるものもある。スコットランド人が言うとヨーヘッチとも聞こえる。

いずれにせよケルト神話に登場する人名と解釈してよさそうだ。

書いたのはBeogaという人気バンドのアコーディオン奏者Sean Og Graham

美しいメロディだが、早いテンポで演奏するとどことなくドーナル・ラニーの

Cavan Pothles に似てきてしまうので少しゆっくりめに演奏してみることにした。

彼等も情感の溢れた良いテンポで演奏している。

Irish Musicその162

Lusignac       (Bourree)

どうやらChris Woodの作品らしいがはっきりは分からない。Chris Wood&Andy Cuttingの素晴らしいデュオ演奏から学んだ曲だ。

タイトルはフランスの土地名、リュジニャックという日本語表記を見つけた。

観光ガイドもあるし、いかにもフランスの田舎街というか村と云うか、その昔連合軍やドイツ軍が歩き回ったような感じの処だ。

ブリタニ―では本当にヨーロッパ戦線を彷彿とさせられたが、もし行ったら同じような感覚になるかもしれない。緑がとても深そうでもある。

行ったことは無くても一応沢山のことを調べておけば、曲を演奏するときでも自分なりに景色が浮かんでくるものだ。

そしてもしいつか行くことがあったら「あーこれだ!」と思えるだろう。

Irish Musicその163

All Young     (American tune)

これは出処について確証はないが、アメリカン・オールドタイム・チューンだと云えるだろう。比較的覚えやすく綺麗にメロディック奏法を作れるので僕もクロウハンマーバンジョー教室で教材にさせてもらった曲だ。初めてこの曲を聴いたのは誰の演奏かもう覚えていないが、6分ほどの長さだった。AパートとBパートだが、Bパートの繰り返しは無く、非常にシンプルだ。しかしこれを6分もやっていられるのがさすが白人だ。日本人だったらしらけてきてしまう。なので、この後で何かくっつけたほうが良さそうだ。しかし、オールドタイムではその方式はなかなか取ることは少ない。また、キーはGmなのだが、伴奏はGmajを弾く。これがなんとも気持ちがいい。いわゆるモーダルサウンドの最たる感覚だ。

Irish Musicその164

Kitchen Girl        (New England / West Virginia)

元々はDavid Brombergのギター演奏で覚えた曲。1972年にリリースされたアルバムの中に入っていたもので、省ちゃんと二人でコピーしてよく遊んだものだ。

66年頃採譜されたという話だが、そんなに古い曲ではなさそうだ。

非常にシンプルで覚えやすい、なおかつノリのいい曲でもある。

出処がNew Englandと云う人もいればWest Virginiaと云う人もいる。もともとフィドルチューンなのでオールドタイム・フィドルチューンと言っても大丈夫なのかな。

バンジョーはマウンテンマイナーで忠実にメロディを作れる。このひとつ前に登場したAll Youngと組み合わせてもいいかな?どちらもAmで演奏する人が圧倒的に多いかもしれないが、Gmも捨てたものではない。

Irish Musicその165

Leaving of Liverpool     (England)

これはイギリスの古いバラッドだといわれている。ダンスチューンとして演奏されることはまずないが、最近九州の友人が自身のグループで演奏している映像を送ってきてくれたことで思い出した。

彼等のスタイルはブルーグラス。ご機嫌な演奏。そしてタイトルはFare Thee Wellだ。

僕等もフォークソングをやっていた60年代、これはボブ・ディランの作った曲、という認識で唄っていた。MFQが素晴らしいアレンジで唄っていてよくコピーしたものだ。

それが、元々はLeaving of Liverpoolという古いバラッドだと知ったのは後の事だ。

どうやらボブ・ディランは1963年の1月に2週間ほどロンドンに旅した時に仕入れたらしい。

とても美しいメロディだったのでそこに彼なりの詩を宛てたのだろう。元々の詩にも比較的近いものがあるが、リバプールを去ってアメリカ大陸に向かうストーリーに対してディランのものはいわゆるホーボーソング仕立てになっている。

バラッドでは「私はあなたの元を去るのではなく、必ず戻って来る。そしたら一緒になろう」と唄うが、ディランは「あなたのことはずっと想っているけど、いつ帰るかは分からない」と放浪者の心の内を唄っている。

Irish Musicその166

Horse Keane’s     (Hornpipe)

Jimmy Keaneが彼の父の為に書いた、というこの曲。実はもう25年以上前から知っていた曲で、あまり好きではなかったが、最近、ちょっと別な調べごとをしている時に再発見して聴いてみるとなかなか可愛らしい曲で、お、いいな!と思えるようになった。

食べ物の好みと同じで(因みに食べ物の好みは一般的に7年周期くらいで変わるらしい)そういうこともちょくちょくある。

このタイトルの謂れとしては、彼の父は鉄工所か、そういった関係の仕事をしていたらしく、そのあだ名がHorseだった、ということ。多分Iron Horse(1800年代から発達した蒸気機関車)に由来するものだろうと思う。

Mick Moloney、 Robbie O’Connell と共にリリースしたアルバム「Kilkelly」は僕のフェイバリッツアルバムのひとつだったが、この曲には注目していなかった。なので、最近は今一度注意深く聴いている。

Irish Musicその167

An tOileain Aerach       (Waltz)

最近、動画配信したこの曲。昨年希花さんがアイルランドのラジオで聴いて気に入っていたものだが、例によってアクシデンタルに聴いたものなので誰が演奏しているか、またそのタイトルもずっと分からずにいた。

僕も事あるごとに調べていたがあまりにも手がかりが無さ過ぎた。

そんな中、動画を観たBrian McGrathから情報が入った。

Johnny Og Connollyの曲だと思うよ、と言ってきたのだ。

そうか!又か、というところだ。それというのも、以前録音したJoshua’s Dreamも全く同じストーリーだったのだ。CDに収録した後、これは偶然ネットで楽譜を見つけて発覚したが、時すでに遅し、で、すぐ彼に「ごめん、タイトル知らずで録音しちゃった」とメールしたら「とても嬉しい」と彼らしい温かい返事をいただいた。

かくして今回も事後報告になってしまったが「素晴らしい演奏をしてくれて有難う。世界が安全になったらまた日本に行きたいな」という彼らしい返事が戻ってきた。

随分前に「Lord of the Dance」で日本に来たけど忙しくて自分なりの旅を出来なかったので…という事だ。

彼とはスピダルのセッションで、今は亡き彼のお父さんと僕らで演奏したこともあり、とても好青年だったことはよく覚えているので、是非また一緒に演奏したいと思っている。

ところでこのタイトルはゲール語なので、訳すとHappy Isleとなるそうだ。それは彼の父が生まれた島Inis Bearachainの別名でもあるらしい。

もうひとつ付け加えておくと、Joshua…の時に彼が2枚のアルバムを送ってくれた。なんとそのJoshua…の方ではなく、もう一つのSiarというアルバムに収録されていたのだ。

すっかり忘れていた。不覚だった。という事もあり、是非彼との演奏を再び、というところだ。

Irish Musicその168

Stephen’s         (Waltz)

ひょんなことから見つけた可愛いワルツ。ちょっと158にあるモーリス・レノンのワルツと似ているが、これはこれでなかなかいい。

作者はコンサーティナ兼ピアノ奏者のJack Taltyだ。

シンプルにギターとコンサーティナで演奏するととてもいい感じの曲。

コーマック・ベグリーとのCDやノエル・ヒルとの関係も深く、僕等にもとても近い存在の人でクレアの出身。

演奏家としてだけでなく、プロデューサーとしてもエンジニアとしても、この音楽に欠かせない人物の一人である。

ところでこのStephenが誰であるかの情報は無いので、僕は勝手に詩人のStephen James Smith だと解釈している。彼らが音楽とポエトリーのショーをやっているので。

でも、ちゃんとしたことは次に会う機会があったら訊いてみることにする。

Irish Musicその169

Midnight on the Water   (Waltz)

この曲は特にレパートリーとして取り上げているものではないが、オールドタイムの演奏家たちには最も良く知られた曲のひとつなので、ここに取り上げてみた。

デヴィッド・ブロムバーグやケイト・ウルフなどでも知られている古いフィドルチューン。

テキサス・スタイルのフィドラーLucas(Red Luke) Thomassonの作だが、実際に出版したのは彼の息子Benny Thomassonとなっている。

ほとんどの場合、のんびりとした「たるい」ともいえるテンポでゆったりと演奏されることが多い。

僕は1975年のデヴィッド・ブロムバーグのアルバムから覚えた。

Eliza Cathy & Norma Watersonのアルバムでは歌が入っているが、Martin Cathyによるとこの歌詞を書いたのはRon Kavanaということだ。時々アイルランドのあちらこちらで出会って挨拶を交わす仲だが、いつ頃から知っていたのかよく覚えていない。

話はそれたが、ケイト・ウルフのものと同様良い歌詞が付いている。ただ、メロディは別なもののようだ。基本、フィドルチューンとして紹介されている。

Irish Musicその170

Maurice Lennon’s Tribute to Larry Reynols  (Reel)

モーリス・レノン作の、速く演奏しても少しスピードを落としてもいいメロディラインを持った曲だ。何からでもいける可能性はあるが、なんにせよセットの最後が良さそうだ。

この手の曲はどうしても知らなければいけないものでもないので、少し手掛けてすぐにあまりやらなくなるので忘れる可能性が高い。

1000曲もの曲をやっているとそれは仕方のないことだろう。

ところでLarry Reynoldsは、ゴールウエイ育ち、ボストンベースのフィドラーで、80歳で亡くなったとても高名な人物だ。

Irish Musicその171

Temple Hill   (Reel)

別名Sweetheart Reel とも呼ばれるその名の通りスイートなメロディの曲だ。

いかにもクレアあたりの曲のような気がするが、本当のところは分からない。

1855年の文献には既に存在しているというから、古い曲であることは確かなようだ。

普通3パートのバージョンで演奏されるがLunasaは2パートだ。でも、僕は3パート目が好きなので、僕らは3パートで演奏している。

Percy GraingerがMolly on the Shoreとしてピアノ曲にしているのが非常に興味深い。

Irish Musicその172

Desaunays   (Hornpipe)

アコーディオン奏者のJohn Whelanによって書かれた可愛らしい曲だ。

彼自身のノートによるとフランスのメロディオン奏者Serge Desauneyの為に書いた、ということだ。

非常に面白いことに途中で1小節だけ2分の3拍子なんていうのが入るが、彼曰く、Desaunayがこんな風に弾いたので、同じように録音した、という話。

1987年にリリースされたアルバムFresh Takesに収録されている。

フィドラーはEileen Iversだった。なお、このアルバムから僕はギタリストのMark Simosに注目するようになった。僕にとってはアイリッシュミュージックの世界に入り始めた頃によく聴いたアルバムのひとつだろう。

Irish Musicその173

Beautiful Lake Ainslie  (Air)

とても美しいカナディアンチューンだ。

元々、ティム・エディの何とも言えない美しいギタープレイで覚えたものだがCape Breton Fiddler のElmer Briand(1922-1992)が書いた曲で、

Jerry HollandやAshley MacIsaacなどでも知られているようだ。

Cape Breton島にある美しい湖の名前、ということ。

Irish Musicその174

Londonderry Air    (Air)

今回は、このあまりにも有名な曲に付いて書いてみる。Danny Boyと云う方が人々には知られているタイトルだろう。

また、イギリス嫌いの人達にとっては、Londonとついているのが気に入らず、Derry Airと云う人も多い。実際、元々はDerryが正式名称(1613年まで)だったのをイングランドがLondonを引っ付けたらしいのでそれは許せない人も多く居て当たり前だろう。

さて、曲について面白い話がある。作者と云うのは不明、となっていることが多いようだが、あるストーリーを読んでみると Rory Dall O’Cahanの作ではないか、ということだ。

彼が飲み過ぎて川のほとりでこけて、持っていたハープを落としてしまってからそこで寝込んでいる間に妖精が彼のハープを弾いていて、目を覚ましてからそのメロディの美しさを想い出した。そしてすぐに彼のパトロンの下に行き、まだ誰も聴いたことのないそれを弾いた。その時点ではO’Cahan’s Lamentと呼んでいたらしい。

彼が生まれたのはアイルランドCo.Antrimで1580年頃、1653年頃にスコットランドで亡くなっている。

そのだいぶ後、1800年代中ごろに人々に知られるようになったという事だ。

それは、Jane Ross という女性が北アイルランドで聴いたハープ奏者の演奏を楽譜に起し、アイルランド音楽を研究する人物Dr George Petrieに送ったことに始まった。

彼がその曲をLondonderry Airと名付けたようだ。

そして最終的には1910年、弁護士であるFred Weatherlyという人物が詩を書いた。

それがDanny Boyだ。

なお、Jane Rossにその曲を聴かせた人物は盲目のフィドラーJimmy McCurryということだが、よくそんな記録が残っているものだ。

ただ、Jane Rossが聴いたのはハープによる演奏だったという記事もあり、良く分からないことも多いはずだ。

Irish Musicその175

Catherine Ogie  (Air)

ひとつ前のDerry Airの作者Rory Dall O’Cahanの作品。

彼の作品はしばしばO’Carolanの作品と思われていることが多い。

93に登場したGive Me Your HandはいまだにO’Carolanの作として認識されているようだが実際はO’Cahan,アイリッシュではO’Cathainと表記されている彼の作品だ。

O’Carolanは彼O’Cathainの死後17年の1670年に生まれている。

Irish Musicその176

Bonaparte Crossing the Rhine    (March)

この曲に関しては完全に違うメロディが2種類存在している。

僕がよく聴いていたのは別名Battle Called of the Fianna或いはThe Battle of Waterlooともいわれるものでマイナー調のもの。トニー・マクマホンの素晴らしく力強い演奏で覚えた。

もうひとつのDメジャーで演奏されるものはオールドタイムの人達に馴染みが深いかもしれない。別名The Braes of Dungevan March或いはDurham Rangersというバーンダンスとも云われている。これはどちらも完全にスコットランド音楽の形式だ。

その昔、Foggy Mt, BoysのPaul WarrenがDurham’s Bull という勢いの良いフィドルチューンを弾いていたがそのDurhamはノース・キャロライナの土地名だろう。イギリスにもあるようだが。

Irish Musicその177

Penny Candle / Red Tom of the Hills (Reels)

最初の曲はPaddy O’Brien次がEd Reavyという2大コンポーザーのメドレー。

これは、サンフランシスコのPlough and Starsの為に世界のアイリッシュミュージシャンが作ってきた映像のうちのジョディース・ヘブンが担当した曲。

ちょっと前に僕がアンドリューから受け継いでEaster Snowを弾いたが、その後、ジャック・ギルダーに渡して、それならばジョディース・ヘブンで、ということになり、デイル・ラスにも参加してもらった。

基本Plough,,,に出演していたミュージシャンが、これからもPlough,,,を応援し続けよう、と発足したもの。

僕にとってもホームグラウンドであった、そしてアイリッシュミュージックとの出会いの場所でもあったPlough and Starsがいつまでも継続してくれることを願うばかりだ。