2016年 アイルランドの旅 1

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6月19日、いよいよアイルランドに向けて、暑い日本と暫しの別れを告げた。今回もアブダビを経由してダブリンに着く予定だ。

フライトも快適、といえども多少揺れたが、これくらいの揺れは空気の中を飛んでいるのだから致し方ない、という程度のものだった。が、しかし「飛行機大好き」という人の気持ちがわからない。

僕はあくまで外観が好きだったのでしょっちゅうプラモデルを作っていたのだ。まぁ時代のせいもあってか、零戦、隼、紫電改などの戦闘機をはじめとして、ドイツ、イギリス、アメリカの飛行機はよく作ったものだ。

だいぶ前に、久々に零戦を作りたいなと思い購入してみたが、最近のプラモデルはあまりにもよくできていて細かすぎるので、全然手つかずで置いたままだ。もう根気もなくなっているし、眼もよく見えないし、何事もあきらめるのが早くなっている。

それはともかくとして、問題なくダブリンに着いた。見たところ、なにも変わっていない。それは嬉しいことだ。

気温は18℃ということだが、今はお昼過ぎ。夕方になったらきっと寒くなってくるだろう。

僕らはそのままゴールウェイに向かった。この辺はもう慣れたもので、こちらも大した問題もなく2時間半ほどで到着。

今回のゴールウェイ滞在は短い。和カフェのオーナーである早川さんに会うのが目的だ。

ぼくら三人は去年の出来事以来、説明のつかない深い絆で結ばれているような気がする。

3日ほどゴールウェイに滞在して早川さんの車でダブリンに向かった。少し用事を済ませて、ラーメンなんかを食べてしまった。

84年にニューヨークでラーメンが結構なブームになり、ラーメン屋さんに入ったことを思い出した。

ナターシャー・セブンのファンの男の子が働いていてサインをお願いされたことがある。

今はそんなことはないが、ラーメンに関してはヨーロッパの他の国で結構流行っていて、それが今、じわじわとアイルランドに来つつあるらしい。

そういえば、先の話に戻るが、和カフェで早川さんとお話をしていたら、日本人の若者が入ってきて「あ、城田さん、内藤さん」とびっくりした様子で直立不動のまま固まってしまった。

なんでも、アイリッシュ・ミュージックが大好きでギターを弾いている、ということだが、初めての海外旅行でアイルランドに来てしまったという。

本場の空気に触れたいという彼は、その行動力と音楽に対する感性でいいギタリストになるに違いない。

古い録音をいっぱい聴いて、機会があったらまたアイルランドに出向いて、独自のスタイルを創って欲しいものだ。

最初の数日はこんな風に過ごし、僕らは今回来たことのないところに来ている。

Muine BheagというCo.Carlowの小さな町だ。

先日来日したCiaran Somersに幾つかのギグをセッティングしてもらっているので、彼に会うためにここに来ているが、これはまた何もないところだ。

とことんトラッド・アイリッシュを肌で感じることができる。

着いてすぐになんだかよくわからないけど、誰かのバースディ・パーティに出かけた。

どこをどう走ったのか、山道を延々と抜けて着いたところは人里離れたようなパブ。

Ciaranと三人で少し演奏しただけで、山のようなサンドイッチや、じゃがいも、ソーセージ、それに勿論ギネス。

まだまだ時差ぼけも抜け切れていない身にとってはなかなかにきつい。やっぱり酒飲みにはこの国はいいだろうなぁ。

10時に出て1時間で帰ると言っていたが、結局パブを出たのが1時過ぎだった。

アイリッシュの見積もりはあてにならない。普段きっちりしている好青年のCiaranでもリラックスするとこんな感じだ。

しかし、このアバウトなところが彼らの、そして彼らの音楽の素晴らしさでもあるのだろう。

ここで全く別な話で申し訳ないが、今日ラルフ・スタンレーの訃報を聞いた。僕が最も好きなブルーグラス「スタンレー・ブラザース」はこれでふたりともいなくなってしまった。

いま、このCarlowの深い緑を見ていて、山々に囲まれた緑のVirginiaを歌い続けてきたスタンレー兄弟に改めて思いを馳せている。

2016年 アイルランドの旅 2

アイルランドに到着して5日目。やっとまともな時間に目が覚めたようだ。

今日も外はどんより曇って寒々としている。まだ夏はやってきていないのだろうが、やっと来たかと思っても1ヶ月ほどで終わってしまう。

しかし、湿度は新聞で見る限り、昨日などは70%以上あったのに楽器の鳴り方が異常にいい。

建物のせいだろう。特にここ、キアランの家は広々として基本コンクリート造だし、周りはどこまでも広がる緑だし。周りは気分的なものだろうが…。

よく、練習はできるだけ響かないところでやったほうが良い、ともいうが、これだけ「いい音」というものを感じると自分自身が楽しめると思う。

確かに自分の技術の範囲をだいたいわかっているのなら、いい響きの所で弾いたほうが面白さを感じることができるだろう。

いわゆる「思わずのってしまった」みたいな。もちろん脱線もあるのだろうが音楽はそのほうが面白い時もあるし、そういう音楽もある。

とかなんとか云って、音楽に関わってからたかだか60数年。人の一生からすると確かに短い時間ではないが、文章ではいくらでも偉そうなことが言える。特に今の世の中、そんな奴が多すぎるから気をつけなくては。

おっと、年寄りの愚痴が始まりそうなので、ちょっと外でも散歩してこようか。

 

久々にパディ・キーナンのFactory Girl を聴いて「おー、コンサートではこれに2番からギターを乗せて、キーを変えて確かMan of the Houseに行ったなぁ」などということを想い出した。

そこで、iTunesで流れるものにギターを乗せていたら、それを動画で録音していた希花が早々とパディに送っていた。すごい世の中になったものだ。

すぐパディから返事が来た。「今日、ニュー・ハンプシャーにフランキーが来ているから見に行くつもりでいる。動画は後で見るよ」

慌てて「そんなにシリアスなもんではないから見なくてもいいものだ」と伝えてもらった。

ふと壁に目をやると、Matt MolloyとSean KeanのContentment is Wealthというアルバムのジャケットが飾ってあるが、同じタイトルのアルバムをアンドリューもリリースしているし、これはEmのジグだ。「たしかこういうメロディだった」

など、ここには多くの資料もあるし、探し出せばいろんな曲を掘り起こすチャンスも出てくるだろう。

午後、天気も良くなったので、キアランと一緒にキルケニーに出かけた。ここはマーブル・ストーンで有名らしい。

そういえばCarrickfergusという歌の2番にこの町の名前が出て、マーブル・ストーンという歌詞につながっていく。

歌の歌詞や曲名からその町を見ていくのも面白い。

キルケニーから戻ってしばらくして、パディからフランキーのソロステージの様子がビデオで送られてきた。パディは自撮りで美味しそうにギネスを飲んでいた。

 

6月26日。昨夜、期限切れのソーセージをキアランが捨てようとしていたので「いや、これくらいならまだいけるだろう」と保存を促した手前上、みんなが寝ている間に12本全てをクックしてみた。

それから保存するなり、細かくしてパスタにいれるなりすればいいだろうと思ったからだ。

しかし、そこはやっぱりみんなに食べさせる前に自分が食べてみなければいけない。犠牲になるのは一人で十分だ。

本当はその行程を昨夜から考えていた。やっぱり料理がすきなのかもしれない。食べ物にはあまり執着がないのに、こういうことは大好きなのだ。

かくして、立派にクックされたソーセージは普通に食べられるので、後でナポリタンもどきでも作ってみるか。

もし、2016年アイルランドの旅がここで終わっていたら、ソーセージのせいだと思ってください。

2016年 アイルランドの旅 3

まだ生きています。

今日は、アイルランド対フランスのサッカーの試合をテレビで見て過ごした。普段サッカーなどには興味がないものの、一応建前でアイルランドの応援をしていたが2−1で負けてしまった。

天気も良くなったので、ちょっと買い物に出かけた。

川のほとりに鴨や白鳥が憩う最高のロケーションであった。

ところで忘れていたが、ソーセージはキアランも食べたが、彼曰く、味がやっぱり違うそうだ。

僕らにはあまり馴染みのないタイプのものだし、彼の意見のほうが正しいかもしれない。

ここで、じゃがいもとアップルパイに次いで、ソーセージの違いがわかる男が登場したわけだ。

おかげで残りのソーセージは敢えなく屑かご行きとなった。だから三人ともまだ生きているのかな。

夜になり、普通なら暗くなっている時間だが、まだ例によって明るい9時頃、町まで歩いて飲みに行く話がまとまり、外へ出た。

ここからはさくさく歩いて20分ほど。ちょうどいい距離だ。

なにもない「奥の細道」のような道路が唯一町へ出ることのできる比較的安全な道だが、結構せまい。車はこんな道を100キロほどのスピードで行き交うので、帰りのことも考え、ライトに光るジャケットを羽織って変な組み合わせの三人が一列になって歩く。

途中、道がさらに細くなるので、その区間は広い墓場を横切るのが通常の行き方らしい。

サマーズ家代々のお墓に挨拶して墓場を出ると、少しだけ歩道のある道が続く。

やぎの子供達が佇んでいる。普段はやぎのチーズの香りが漂ってくるらしいが、今日はあまり匂わない、ということで僕としては助かった。強い香りのするチーズは苦手なのだ。

しかし、やぎの子供達はかわいい。6〜7匹が一目散に駆け寄ってくる。何を言っているのかわからないが、メ〜メ〜言っている。

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しばし相手をしていたせいか30分ほどで町に到着。お昼はゲームがあったので、さぞにぎやかだったろうが、まだそれでも多くの人が飲んでいる。

小さい町だ。みんながキアランのことは知っているし、キアランも彼らのことは知っている。

あまり飲めない僕にとっては、こうして毎晩のように集まって飲む、という行為がわからないが、これは明らかにこの国の文化だ。

キアランのように、普段からあんまり酒、酒と言わない男でもあっという間に1〜2パイントは終わらせてしまう。そして決まり切ったセリフのように、もう一軒行こうなどと言う。

決して酔った勢いとか、もっと飲みたいから、とかいうのではなさそうだ。

それでも彼、明日の朝は早く出掛ける用事があるので早々と11時頃に二軒目の店を出て帰路に就いた。

西の空がまだほんのり明るい。やぎももう寝ているようだった。暗くなった墓場も広いせいかあまり怖くない。日本のお墓の方が怖いような気がするのは日本人だからだろうか。

この時間になると蛍光ジャケットは効力を発揮する。墓場を出てまたしばらく細い道を歩くと、やぎと遊んでいたわけでもないが足元がおぼつかなかったせいか、30分で家に着いた。

家に着いたら「ワイン飲むか?」というキアラン。どこまで強いんだろう。

一夜明けて朝8時。キアランがシャワーを浴びている。8時半に出ると言っていたのでほぼ時間通りだ。

この男はアイルランド人には珍しく時間に関する観念がしっかりしているようだ。

ちなみに6月27日、カーロー。素晴らしくいい天気だ。

2016年 アイルランドの旅 4

カウンティ・カーローの小さな町に来てから約1週間。すっきり晴れた日はまだ1日しかない。

だが、生い繁る緑に雨が降り注ぎ、遠くに見える丘が美しく、風にそよぐ木々から落ちる水滴がキラキラと光る。

やはり、都会の雨では味わえない趣がある。

昨日は地元の高校生たちの演奏を聴いた。キアランの生徒さんたちだ。

アイルランドのどこでもそうだが、普通に実直なトラッドを演奏する子供たちの表情がとてもいい。

いかにも音楽が特別なものではなく、生活の一部であるということを否応なく感じてしまうのだ。

しばし彼らと紅茶を飲み、マフィンやスコーンをいただいて歓談し、家に帰ってきたらキアラン君がパスタを作ってくれる、と言い出した。

連日の仕事で疲れているだろうに、やる気満々なのでそのままお願いした。

出来上がったパスタは素晴らしく美味しかった。

ギリシャヨーグルトを使ったクリームパスタだ。トマトや玉ねぎ、セロリがふんだんに入った実に味わいのあるもの。レストランで12ユーロは取れるくらいのもので実に満足した。

それから少しお茶を飲んでいたら、カウチに座ったキアラン君から寝息が聞こえてきたので、僕らも少し休むことにした。

ここで急にキアラン君と、君付けにしてよび出したが、彼の兄貴であるデクランは、日本人でも知らない言葉を知っているくらいに日本語が堪能な人物だ。その彼が「キアラン君」と呼んでいたのでいつしか僕らもそう呼ぶようになっている。なので、時々君付けだったりそうでなかったりすると思うがお許しあれ。

今日はもう6月も終わるので、庭の手入れを手伝った。ここの庭は相当広い。都会で育っている僕らにしてみれば手入れはかなり大変な作業となることは間違いない。

ほとんど電動だが、刈り上げたものを捨てる作業は手動でやらなければならない。

キアラン君が芝や木々を刈り上げ、希花がそれを熊手で集め、僕が裏山に捨てに行く、というトリオ編成で行った。

時々芝刈りを交代したり、希花が裏山に捨てに行ったりした。

9時過ぎに作業を終えたが、まだサンサンと陽の光が降り注いでいる。ただでさえも労働の後のビールは美味いだろうが、こう明るかったらやっぱりどこかへ出かけて飲もうというはなしになってしまう。

が、しかし彼らにとっては特別なことではない。

街まで出ると、まだ早いのか、バーには5〜6人のお客さんしかいなかった。なかには推定80代後半と思えるお婆さんもいる。

10時半も過ぎるといつのまにかカウンターが埋まってきて、座りきれない人たちも立ち話に興じる。

これは明らかに文化だ。

日本で例えて言うならば、というような事柄が見つからない。

11時半、パブを出るとやはり西の空はまだ明るい。

夏はすぐそこまでやってきているのだろうが、とてもそうとは思えないくらいに寒い。

パブはもう賑わっている。その賑わいを後に帰路についた。

2016年 アイルランドの旅 5

6月最後の日は1日雨。用事でリムリックとエニスに出かけたが、ほとんど雨の中だった。

7月に入って、朝よく晴れていたが、10時近くになってきたらまた雨が降っている。でもどうせすぐまた止むかもしれない。ありゃ、大雨が降ってきた。あ、急にサンサンと陽が輝いてきた。

天気図も晴れと雨と曇りが一応全部書いてあるし、必ず当たる様に出来ている。アイルランドで天気のことや一年先のことを言うのはナンセンスだ。一寸先は闇か天国か…。

そう思ったら、確かに少なくとも1日の終わりにはギネスでも飲んで、友と語らいに興じたほうが幸せだ。

う〜ん、段々分かってきたぞ。

そういえば面白いことがあった。

「郵便局が閉まる前に行かなくちゃ」と言って振り向いて壁にかかっている時計を見たキアラン君。

だが、その時計、僕たちがここに来た時から止まったままだ。いつから止まっているのかわからないが、時々見ている。

なにか違いがあるのだろうか。謎多きアイルランド人。

因みに今は晴れているので、ミルタウン・マルベイに行く前にまた三人で庭の手入れをする予定になっているが、またいつ降り出すか分からない。

記憶によると、アイルランドの雨は前兆もなにもないことがよくある。

案の定、降ったり止んだりの中で数回にわたって「ティー・タイム」を設けて一応全部済ませた。

これで安心してミルタウンに行ける。

そしてその晩、キアランは地元のミュージシャンたちとのセッション、僕らはホテルでの演奏のギグに出かけた。

この辺で最もファンシーで有名なホテルで、ウィークエンドには必ず結婚パーティが開かれて、レストランもパブも相当賑わうらしいが、今日は比較的静かだった。かえってそのほうがやりやすい。

僕らはそこで2時間ほど演奏して12時頃戻って来た。

やがてセッションを終えたキアランが数人の友達を連れて帰ってきた。見れば普通のおっさんや若者だが、みんなティン・ホイスル、コンサルティナ、バンジョーなど、それこそ普通に演奏する。

そして飲みまくって演奏しまくって帰って行ったのが3時半過ぎ。

明後日にはミルタウン・マルベイに行かなければいけないのに。早起きして用意しようと思っていたのに…と思いながら眠りについた。

外はもう明るかった。

2016年 アイルランドの旅 6 ミルタウン・マルベイ

7月3日、日曜日、いざミルタウン・マルベイ(以下、ミルタウンと省略)に向けて出発。信じられないほどの快晴だ。

途中、バラク・オバマ・プラザという所で軽く食事。ここはオバマ大統領に所縁のある土地らしい。因みにCo.OffelyのMoneygallという所からオバマ大統領の6代祖先がアメリカに移住した、という事実があり、ちょうどCo.Offelyの入り口辺りに位置するドライブインということだ。

様々なファストフード店が並んでいる様子はアメリカでのツァーを彷彿とさせる。決まり切ったハンバーガーやピザの匂い。

来る日も来る日もパディやフランキーと顔を突き合わせ、またこの匂いか、と思ったものだ。

そのときも、ここにうどんやラーメンがあったらなぁとつぶやいていた。

こういうところで一番お得感があって間違いないのはToday’s Soupかもしれない。パンも必ずついているし、アイルランドで美味しくないスープに出会ったことはない…いや、一度あったか。

ダブリンの、普通に高めの値段のレストランで頼んだスープは全く味がしなかった。なにか調味料を入れ忘れたのかな、という感じ。

いやいや、一説によると、テーブルに塩や胡椒が置いてあるのはそのためらしい。基本は作ったから後は自分の好きな味に調整してくれ、ということだ。

そんな常識がまかり通るところもまた面白い。「出汁」という観念は全くなさそうだ。

ともあれ、ここのスープはなかなかに美味しかった。満足。

さて、今日はミルタウンでの大事な仕事が控えている。

CDラウンチに参加して、キアランがEire Japanの紹介を、そしてなんと(何故か)僕がキアランのCDの紹介をするのだ。

それも、きちんと設けられた席で5分以内のスピーチを、オーディエンスに対してしなければならない。

これは寿司をつくるためのレクチャーではありません。といってまず笑いを取り、初めて彼の演奏を他のCDで聴いたときの衝撃、本人との出会いのことなどを話して今回の新しいアルバムの話につなげて行って、最後は「これからの人生のパートナーとして是非このアルバムを」と締めくくって終わった。

後でいろんな人から「いいスピーチだった」と言われたけど、なんだかよく覚えていないくらい汗びっしょりだった。

ただ、他にも沢山(20人くらいだったかな)喋ったけど、もちろんみんな英語が達者で、僕のときにはみんなが本当に注意深く、また、興味深い表情で聞いてくれ、最後に「Please get this album for your life partner」と言った途端にさわやかな笑いと拍手が起こったのは覚えている。

会場ではアンドリュー、ミック・モロニー、キャサリン・マカボイ等と再会。緊張したけど楽しいひと時だった。

7月4日、小雨。なのにアパートの向かいのグローサリーのおばちゃんが野菜や果物を外に並べている。

もうしわけ程度のテントはあるものの役には立たないだろう。ま、いいや。そのうち晴れるだろう。

街角で獲れたての鯖を売っているおっさんもいる。モリー・マローンのおっさん版。

お昼になると教室から戻った子供達が街角のいたるところで演奏を始める。4歳くらいから高校生まで。10メートル間隔くらいでおのおの習ってきた曲を演奏しているが、初心者からとても子供と思えない演奏をする子までが街中に溢れている。

このフェスティバルはそういう子供達のためのもの、という認識をある程度持っていないといけないのかもしれない。

ケビン・グラッケンやジェリー・フィドル・オコーナー等とも再会。

夜になるとあちらこちらのパブからいろんな音が聴こえて来る。しばらくはゆっくり休もうと思っていたが、向かいの閉店したグローサリーの前で4〜5人の演奏が始まった。

時間は深夜12時。それが、この世のものとも思えないひどいバンドだった。リズムボックスを鳴らし、バウロンを叩き、エレキ・ベースとマンドリン、時々しかメロディー(らしきもの)がわからない、メチャクチャに吹いているホイスル。そんな奴らにも立ち止まって聴いている、あるいは拍手までしている人がいるのだ。

ストリートで演奏することの無意味さを感じずにはいられない。2時になってやっとその苦しみから解放された。

7月5日、晴れ。今日は7時からRTEのラジオ番組に出演する。そのためにキアラン君と3人で向かっていると、向こうから見た顔が歩いてきた。杖をつき、誰かに介護されているようだったが、すぐに誰かわかった。

「トニー、トニー・マクマホン?」と声をかけると、やにわに「ジュンジ」とハグをしてくれた。

13年ぶりだろうか。今回、ミルタウンに来て本当に良かったことのひとつかもしれない。

「もう、演奏はできない」という彼に「あなたの音楽はいつまでもみんなの胸のなかに残っているよ」と言うと「うん、ハートはまだあるんだ」とにっこりしてうなづいていた。

ラジオではキアラン君があまり喋り慣れないゲール語で話し、パーソナリティもゲール語だけで話し、僕らはちんぷんかん。

2曲演奏している間にも外をニーブ・パーソンズが、メアリー・バーガンが歩きながら手を振る。

無事終わって一杯ギネスを。キアラン君は2杯でも3杯でもいける。

12時、またしてもひどいものが聴こえて来る。たちが悪いことに、たまに何の曲をやりたいのかがわかるのだ。

もとから即興でなにか違うものをやっているのならともかく「ありゃ、この曲だったのか」と思うとまたとんでもないへんてこなものになる。

4〜5人いてまともなのはリズムボックスだけ、というけったいな現象だ。

7月6日、曇り。今日もRTEのラジオ出演。

特に変わったこともなく、キアラン君と飲んで、いろんな人と会って喋って夜中にひどいものを聴かされて1日が終わる。

7月7日、晴れ。朝、スパニッシュポイントまで片道30分ほどを散歩。朝に弱い希花もしぶしぶ付いてきたけど、馬、羊、牛などを見ながら少しは機嫌がよさそうだった。

海辺にボビー・ケイシーの娘さんが住んでいる家がある。

素晴らしいビーチの風に当たってしばしくつろぐ。

そして、今日はゴールウェイから和カフェの芳美さん(早川さん)がやってくる。なんでも、こちらの方面に雲丹を採りに来るらしいのだ。ついでだから来て泊まっちゃおうかな、というので是非そうしてください、と返事した。

実は去年以来、この日には3人が揃わなければいけないような理由があるのだ。あのゴールウェイでの出来事で3人が経験したことは人生における最も貴重なことだった。

本人からもあれから1年、という感謝のメールが入っていた。しかしちょうどこの日にミルタウンに居て、芳美さんもこちらの方面に出向いて3人が揃う、というのも不思議なものだ。

キアラン君とも初めて出会って意気投合。また飲んで過ごした。途中ジョセフィン・マーシュからテキスト「アンジェリーナ・カーベリーとセッションしているから良かったら来て」という。喜んで出かけた。

セッションをしているその場所のちょっと外になっているところにツバメの巣があって、3匹くらいの子供が口を開けてお母さんが餌を運んでくるのを待っている。お母さんは大忙し。そんな光景を見ながらのセッション。うん、素晴らしい。

最後に「Anna Foxe」を一緒に演奏してパブを後にした。11時半くらいかな。外でコーマック・ベグリーやノエル・ヒルとも出会う。

夜中のひどいバンドはどこかへ消えたのだろうか。今日は居なかった。芳美さんラッキー。

7月8日、降ったり止んだり。芳美さんはゴールウェイに戻った。

夜、アンドリューと大騒ぎ。セッションとパブの飲み歩き。もうハチャメチャで帰ったのが1時半。比較的早かったんではないだろうか。アンドリューは4時半くらいだったらしい。

7月9日、快晴。夕方カーローに向けて出発。

その前にキアラン君がスパニッシュポイントやラ・ヒンチに連れて行ってくれた。海辺でランチを済ませ、カーローに着いたのが9時半くらい。

この上なく静かだ。

この約1週間、いろんな人に再会できたのも、芳美さんと7月7日を過ごせたのも全てキアラン君のおかげだ。

彼に感謝。みんなが元気でいてくれたことにも感謝。とても有意義ないい1週間だった。

忘れていたが、ここで一番よく入ったレストランの名前が「コーガンズ」。なんという名前だろうか。キアラン君に日本語では「コウガン」という、と教えたら大喜びしていた。

2016年 アイルランドの旅 7

カウンティ・カーロー。寒くて夜になるとストーブを焚いているが、今頃日本では大変な暑さになっていることだろう

静かな夜。10時過ぎに暗くなってくると雲の切れ目から月が顔を出す。もう近くの牛や羊も寝ているだろうか。

永 六輔さんの訃報を聞いたのはそんな景色の中だった。

永さんと初めて会ったのは、まだ彼が39か40歳くらいの時だったと思うと今更ながら驚いてしまう。

僕はあまり長い文章で「こんなことも、あんなこともありました…」なんて書く気はない。

なので、ただただこのアイルランドからお悔やみの言葉と、ありがとうの言葉を贈りたい。

明日からは2日間だけCo.Sligoに出かけるかもしれないがまだ決めていない。

いろいろやることがいっぱいあるが、とりあえず生かされている以上、一生懸命前を、そして上を向いていくしかない。

ここではまるで時間が止まったような感覚があるが、それだけに一見たっぷりありそうな時間を有意義に過ごしてみよう。

2016年 アイルランドの旅 8  タバカリー スライゴー

カウンティ・カーロー、曇り。ここから約250km離れたカウンティ・スライゴーのタバカリーという町に出かける。

明日には戻らなくてはいけないので大忙しだ。

前回の7では行くかもしれない、ということを書いたが、結局キアランとの演奏が入り、急遽行かなければいけないこととなった。

いろんな街を抜け、途中Roscommonで食事をし、7時頃タバカリーに着いた。キルケニーでちょっとした用事を済ませたり、スライゴーに入る前に美しい虹を見てしばし見とれたりしていたので、全行程5時間ほどかかった。

その虹は、おそらくいままでに見たものの中でいちばん美しかったかもしれない。

緑の大地、少しの太陽が光っている雲の上を、空全体に綺麗な弧を描き、全ての色がまるで濃い絵の具で描いたように綺麗に浮き出ていた。

きっと雨上がり、極上に綺麗な空気に包まれていたのだろう。これだけでも十分来たかいがあったぐらいだ。

町について演奏場所に出かける。9時過ぎからなので十分時間はある。いくつかのパブでコーヒーなどを飲み、ちょっと寄り道もしたが、とても小さい町なので急ぐこともない。それに行き着くところアイリッシュタイムだ。

オシーン・マクディアマダやリズとイボンヌのケイン姉妹も一緒だ。

僕らは3セットほど3人で演奏した。

そしてここではもうひとつ再会の喜びがあった。

2014年に出会ったバンジョー弾きの少年が、今年はタバカリーに来ているのでミルタウンには行かない。どこかで会えたら嬉しい、と少し前にメールをくれていた。

その時はまだタバカリーに行く事は考えていなかったので今年は会えないかな、と思っていたが、僕らの演奏の会場に来てくれたのだ。

2年前は小さな少年だったが、会ったら分かるだろうか。いや、少なくとも向こうは分かるだろうし問題ないだろう。

オシーンの演奏をドア越しに見ているとお客さんの中の一人の少年が恥ずかしそうにこっちを見てにっこり微笑んでいる。彼だ。

13歳から15歳。すっかり大きくなった彼がいる。

演奏を終えてすぐ、控え室に来てくれた彼はもう少しだけ見上げるくらいに成長していた。

お父さんも嬉しそうに横にいた。

ところでこの2年間、彼の名前が「リアム」だと思っていたが実はお父さんが「リアム」で少年は「ダラウ」という名前だと初めて知った。

いままでずっと少年だと思ってテキストを送っていた。そんな話も交えて、夜どこかでセッションをしよう、という話になり、彼らと落ち合った。

町のメインストリートは、ほんの200メートルほどだ。

その中にいくつものパブがある。

その一箇所で初心者から中級者まで、他のメンバーもいたが、彼と演奏する事ができた。

いちばん嬉しそうだったのは彼のお父さん、リアム。彼は終始恥ずかしそうにニコニコしていた。

彼のような子には本当にいい伴奏者が付いていれば、もっともっと成長することができるだろう。そんなことを一番よくわかっているのはひょっとしてお父さんかもしれない。

是非、僕らの町に来て一緒に演奏してほしいと、強く言われた。実現するかわからないけど、すごく熱心な父親だ。今年は無理でも次の機会を見つけて何日か一緒に過ごしてみたいものだ。

ともあれ、まだまだこれからが楽しみだ。

宿泊場所に戻ったのが2時45分くらい。ギネスでお腹がいっぱい。ま、アイルランドでは良くある現象だ。

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2016年 アイルランドの旅 9

7月14日。京都では祇園祭が始まろうとしているのかな。蒸し暑い円山音楽堂が懐かしい。

ここ、カーローは快晴。気温は少し高めの22℃。

朝から芝刈り機を動かして、裏庭の大掃除をして大忙し。

なかなか日本では考えられないくらいの広さがあるので、これを一人でやっていたら大変だろう。

そう考えると少しはヘルプになるかな。「田舎に泊まろう」みたいなものだ。

しかし、今日はキアラン君のグループ「パイパーズ・ユニオン」のコンサートがキルケニーである。

なのでキアラン君、考えなくてはいけない事、やらなくてはいけない事が頭の中をぐるぐるしているようだ。

メンバーはキアラン君のフルート、イーリアン・パイプス、他にデビッド・パワーがイーリアン・パイプスやホイッスル、ちょっとマンドリン、それからドーナル・クランシーがギター、ブズーキ、ボーカルだ。

ドーナルは僕が4年前のコラムで「アイリッシュミュージックに於けるギタープレイの真髄」という項目を書いたときに影響を受けたギタリストとして名を挙げている人物だ。

先日タバカリーで、ある若者が「君のギターはドーナル・クランシーを思い浮かべるプレイだな」と言っていた。

「会ったことないけど明後日、初めて会うことになっている」と答えたが、この時に彼の名前が出るとは。とても不思議な感じがした。

さて、コンサートが始まる少し前からお決まりの雨。あれだけいい天気だったのに、と思うが誰も気にしていないようだ。

会場はキルケニーでも1、2を争うホテルの中にあるすばらしい作りの、日本で言えばライブ・ラウンジといったところだろうか。

ぼくらは受付を手伝った。最後のほうにゲスト出演も頼まれている。

日本とはシステムも違うし、みんな考えているようでぜんぜん“あちゃらか”だし、金の絡んだことなのでもうちょっときちんとできないのかなぁと、ついついぼやいてしまうが、なかなか面白い経験だ。

そういえば最近の(僕らが知らなかっただけかもしれないが)アイルランドではお釣りは四捨五入だと聞いた。なので、多くもらえたり少なかったりすることがある。

これはもちろんスーパーのレジなどでの小銭の話だが。そんなところもとてもアバウトな国だ。

コンサートは、三人が歌もコーラスも演奏も、それぞれの持ち味を生かして、なかなかアレンジも決まっていた。

いい組み合わせだ。イーリアン・パイプスを二つ使うというのもあまり無いことで面白い。ドーナルのギタープレイも思った通り素晴らしい。歌も親父さんゆずりでとても良かった。

最後に3曲、バンジョーとフィドルでゲスト出演して締めくくり。

終了したのがほぼ11時。始まりは8:30となっていたが、ここも例によって9:00。お客さんはここでも結構飲んでいるが、またこれからパブにでも行くのだろう。

今日のところはデビッドとドーナルとは別れ、静かな家に戻って、アメリカのユタ州から来ているマークというパイパーと1時間ほどビールやブランデーを飲んで語らいの時を過ごした。

 

2016年 アイルランドの旅 10

7月も後半に入ろうとしている。今日からキアラン君はブリタニーに向けて旅立つ。

数日前からその用意で大忙し。というか“ワクワク”なのだ。今回は彼の面白い行動を書いて終わりそうだが、本人はいたって真面目だ。いや、だから面白いのかも。

やらなくてはいけない事を紙に書き出して「これでオーケー」と大満足したが、前日の朝に「どれが済んだ?」と訊いたら14項目のうちの2つくらいなのだ。

4日ほど前に書き出したのだが、キャンプをしたいからと言って、6年も出していないテントを引っ張り出してきて庭に張ってみたりしているのだ。

6年も出していないのだから一応隅々まで見てみないといけないことは確かだ。

もちろんギグで行くのだから泊まる所はあるが、時間が多少あるので外で寝たいそうだ。

めでたくなんの問題もなく張れたテントを嬉しそうに眺め「ちょっと来て寝てみろ。いいだろう。ワクワク」
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車の中、マットなどを引っ張り出して大掃除。

コインや食べ物のかす。わけのわからない紙切れの数々。掃除機を出してきて、ぼくらも手伝って大掃除。

希花さん曰く「どうせまたこんなんになるのに。意味無くない?」本人は「おー、綺麗になった。ワクワク」

なんだか布団を引っ張り出してきて「見て見て。雨がふったらこうして車の中でも寝れるんだ。ワクワク」

他にもやることがいっぱいあるだろうに嬉しくて仕方ない様子だ。

とはいえ、9時過ぎても日本の夕方くらいに明るいので時間はいくらでもあるような感じがするのだろう。

実際、飲みに行こうか、というのも10時過ぎくらいからだ。この立て込んだ時でも「町まで行っていっぱいやろうか」というので「いや、君には時間がない」というと「あ、そうだった」と言ってなんだかまたごそごそ動き回っている。

「ちょっと見てくれ。こんないいものがあるんだ」と言って持ってきたのは、ごく普通の両面テープ。

「ここを切ってまず貼ってからこうやって剥がす。素晴らしいだろ。ワクワク」

「そんなもの100円ショップ行きゃ腐るほどある」というとさすがにがっかりしたのか、すぐにしまっていた。なんとも可愛いところがある。

前日(18日)に彼の友人の母親が亡くなったのでそのお葬式があった。彼も友人たちと、音楽で故人を見送ったようだ。

全てが終わった後、友人たちを家によんで紅茶をのみながらしばし時を過ごした。

こんなに忙しい時でも時間を気にしている様子も無く、みんなと一緒の時を大切にする。事が事だけに尚更そうだが、どんな時にでも友人や家族との時間を大切にするのは素晴らしい事だ。

だからどんなに忙しい時でもパブに行って飲む時間だけは作るのだろう。そこには必ず友人たちとの語らいの時があるのだ。

それは彼らにとって、いや、ひょっとしたら僕らにとっても、何ものにも代え難い大切なものなのかもしれない。

かくして、車への積み込みは昨夜行うつもりがこれから。まだ寝ているけど大丈夫だろうか。

そういえばこんなことも言っていた「明日は出かける前に美味しい昼飯を作るぞ。ワクワク」実際けっこう料理好きらしく、なかなか素晴らしいパスタを作ってくれるのだが、いかんせん時間が…。

昨夜も2時近くまでソワソワあっちいったりこっちいったり。

「新しいブレットンの曲を覚えなくちゃ。全くどこも同じようなメロディで困っちゃうよ。ワクワク」

もう心はブリタニー。なんだか可愛らしい。お、シャワーを浴びている。良かった、起きたようだ。

 

2016年 アイルランドの旅 11

キアラン君、無事ブリタニーに着いたらしく、ワインで乾杯の写真をフェイスブックで確認することができた。

最も、その前からワクワクメールがフェリーを降りた直後くらいから数回送られてきていたが。

彼はこのところブリタニーの音楽を盛んに取り入れているので、どうしてもその音楽が生まれた背景を肌で感じたいのだろう。

テントを持って行ったり、自転車を持って行ったりワクワクしているのはそんな気持ちの表れなんだろう。

40歳手前、これからもいい音楽をたくさん演奏していくことだろう。そういえば、12月に一ヶ月くらい日本にやってくるのだ。

みなさん、よろしくお願いします。

さて、昨日、彼の友人のバンジョー弾きであるジョンが突然やってきて、なんととても新鮮な鮭と鱒を持ってきてくれた。

「君たち日本の人は魚が好きだろう?」といって結構大きいピースを僕に渡して、にこにこして帰って行った。

ジョンはテナー・バンジョーを弾く。プロのミュージシャンではないし、決してすごい腕ではないし、曲も多くは知らないが、なんともいい音を奏でる。

真面目に楽曲に取り組んでいるのがよく分かる。

先日、キアラン君がワクワク大忙しのときになぜかジョンひとりがキッチンでバンジョーを練習していた。

彼もすごく忙しかったらしい。例のお葬式があった日だ。やっと落ち着いて少し気も紛らわしかったのだろう。

僕も2階にいたのだが、ご機嫌なEileen Curranが聞こえてきたのでギターを持ってキッチンに降りた。

見るとワインを嗜みながら老眼鏡をかけて自分の作ったノートとにらめっこしている。

僕を見ると嬉しそうに「ワイン飲むか」とグラスを用意する。

僕もご相伴にあずかりながら「Eileen Curranいい曲だね。今はAmでやっていたけど多くの人はGmで演奏するよ」「へぇ、そうなんだ。でもGmは僕には難しいなぁ」なんていう会話をしながら次から次へと嬉しそうにいいペースで弾いている。「伴奏がいいと、こんなに弾きやすいもんなんだ。ワクワク」

こちらもワクワクおじさん。おっとキアラン君はまだお兄さんかな。ジョンは56歳。彼もキアラン君が日本にいる間に一週間ほど日本を訪れたいと言っているが、こんなに何もないところから、東京なんか行って大丈夫だろうか。

そんなジョンが持ってきてくれた鮭をまず、こんがり焼いて鮭茶漬けにしていただいた。

日本人にしか分からない至福のひと時かもしれない。明日は鱒をムニエルにでもしようかな。

2016年 アイルランドの旅 12

7月下旬、Muine Bheag Co.Carlow今日もなかなかにいい天気のようだ。この様子だと25℃くらいにはなりそうだ。

昨夜も時おり霧雨のようなものが降っていた。この国が緑で覆われているのは、どんなにいい天気でもサーッと通り雨が降ることがよくあるからだろう。

毎日何気なく過ごしているが、この辺は空気が美味しい。

朝のコケコッコ〜で眼が覚めた後、広いキッチンでコーヒーを飲む。木立が美しく光っている。

どこからか野うさぎが出てきて庭で佇んでいる。

ロビンをはじめ、小鳥たちもなんかつついている。

晴れている日は、東からおもいきり陽の光が差し込んでいる。

もちろん日本でも経験できるものだが、大きく違うのは“時間が止まっている感覚”かもしれない。

アイルランド人特有の「2 seconds」「2 minuites」「~ish」に始まって、この人たちには、例えば9時から9時半までの間に存在する時間というものがないのだろうか、と思ってしまう。

そんなことは友人とパブで語らう“時”に比べたら大した問題ではないのだろう。

ここで正確な時計を見たのは放送局だけだった。どの家の時計もあらぬ時間をさしたまま止まっていることが多く、バスの車内の時計も飾る程のものでもないが、単なる飾りでしかない。

ある意味ここにいたらそれでいいような気もする。一大事でない限り時間に追われるのは楽しくない。

そういえばコケコッコ〜。この頃はあらぬ時間にも鳴いている。こちらもさすがにアイルランドの鶏。いや、因みに鶏はどこの鶏でもあまり時間に関係なくコケコッコ〜を発するらしい。

さて、最初に25℃くらいにはなりそうだ、と書いたが、ところがどっこいすっとこどっこい、今は寒いくらいだ。

何から何までアイルランド。

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2016年 アイルランドの旅 13

土曜日。今日はここから車で30分ほど北へ行った町、カーローで毎週開かれているフード・マーケットに連れて行ってもらった。

アイルランドのどこの景色とも同じように、またまた牛や羊を見ながら予定どおりカーローに着いた。

決して大きなマーケットではないが、オーガニックの野菜やスウィーツ、パン、はちみつ、ハーブ類、魚等いろいろある。

僕らはミックスサラダの大きなパックを買った。日本の半分以下の値段だが、オーガニックだし、ひょっとすると3分の1位の値段なのかもしれない。

あとは立派なネギ。九条ネギのような感じ。美味しそうな玉ねぎ。

オリーブオイルもなんだかすばらしそうだったが、買いすぎるのも何だし、やめておいた。

目を引いたのはスコーンやスウィーツを売っている屋台。(こんな書き方でいいのだろうか)

ここで特大のスコーンを2個と、これもなかなかに大きいピースのオレンジケーキとチョコレートケーキ、しめて6ユーロを購入。

日本ではこの大きなスコーンと紅茶で600円が妥当な値段だろう。

全てに材料費が高すぎるのかな。希花さんですら、アイルランドにいると気軽にお菓子でも作ってみようかな、と思うらしい。

つい先日もクッキーらしきものを焼いていたが「あー、先にオーブンをあっためりゃいいのに。あー、今のうちにそのボウルを洗っておけばいいのに」なんてついつい口に出しかけたが、怒られると困るのでやめておいた。

それでも出来上がりは上々。本人曰く、日本ではお金がかかりすぎて作る気にならないそうだ。

ともあれ、帰ってから早速サラダを食べてみたが、こんなに美味しいサラダを食べたのは初めて、というくらい美味しかった。

かくしてサラダの違いがわかる男の出現。

有意義な1日を過ごさせていただいたのは、なんと偶然にもこのCo.Carlowに、それも近くに住んでいるレイコさんのおかげ。

覚えておられる方もいるかもしれないが、パディ・キーナンが2010年に日本にやってきたときに東京のワークショップで通訳を担当してくれた女性。今はこのカーローでフェルトのお店を持ち、世界的に活躍している人だ。

2016年 アイルランドの旅 14

今日はバンジョー弾きのジョンがどこかに連れて行ってくれるらしい。

少し小雨が降っているが、さすがにジトジトした感じの雨ではないので、庭のウサギも同じところで佇んでいる。

時折ピョンと跳ねるが、その時、おしりのあたりが白くてとても可愛らしい。耳が綺麗にピースサインのようになっている。

そんなウサギの観察をしているとジョンが来てくれた。10時半。ほとんど正確だ。

今日はドライブがてら、友人のギター&バンジョー作りの工房につれていってくれるということだが、「連絡がつかないんだよねー」と言いながら走る。そしてまた走る。

ひたすら走ってカウンティ ウィックローに入る。景色がガラッと変わる。

実際、どこもかしこも緑、そして緑なのだが、ここはその緑の深さがまた違う。きれいにトンネル状アーチになった木立を抜けると、荒涼とした大地も見えてくる。

ジョンが「800年の終わりころバイキングがこの土地を開拓して町をつくったんだ。それから…」とニコニコしてこの土地の歴史のことを細かく説明してくれる。

この国では沢山の人が自分の生まれ育った場所以外についても、その歴史や文化のことをよく知っている。それとよく訊かれるのは日本の人口だ。

そのつど、あー正確に覚えておかなくちゃ、と思うのだがついつい忘れる。

途中、カフェでコーヒーをいただく。空もすっかり晴れ渡っている。晴れ男全開。

ところでここまで約2時間。すごい勢いで走り続けているが、友人とはまだ連絡が取れないらしい。

「たぶんバケーションにでも行っているんだろう」とのんびりしている。よくよく聞くと、別な道を通ればもっと早く彼の工房には行けるらしいが、僕らにウィックローの景色を見せてあげたかったらしく、遠回りをしたみたいだ。

終始にこにこしてバンジョーの話に夢中になったり、いろんな説明をしてくれるジョン。一緒にWicklow Hornpipeを歌う。

結局3時間くらいの行程で「またいつか来よう。今日はそれより家でバーベキューでもしようか。そして夜はセッションだ」

なんだかとても嬉しそう。

さて、ジョンの家だが。

素晴らしく広い緑に囲まれた、素晴らしいデザインの家。自分たちで建てたというがこの人のセンスがうかがわれるものだ。

裏庭ではポニーが草を食べているし、隣の家では緑の大平原のような広さの庭に羊たちがくつろいでいる。

ジョンの家も坪数にしたら…う〜ん、よくわからないけど800坪ではきかないだろう。庭に咲き乱れるラベンダーからもいい香りが漂っている。

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これだけ広大な土地にガラス張りの大きな部屋がいくつもあって、どこの部屋も綺麗にしてあって、時計も正確な時間を指していて(この人がいつも時間通りに現れる理由がわかった)等…それでいてとても質素な暮らしをしているようでどこまでも好感の持てる人だ。

肉や野菜が焼けるまでちょっと弾こうか、とバンジョーを出すジョン。今日は家族がみんな出かけているので、ひとりでバーベキューもバンジョーもこなす。

ワインを飲みながら、羊やポニーを見て、広大な緑と爽やかな風に当たって、すっかりできあがって、さぁセッションに出かける。

ジョンも飲む気満々で、タクシーを呼んで一路カーロー方面へ。僕らもさっぱりどこに連れて行かれるのか分からないけど、ここはジョンに任せるしかない。

着いたところは、ちょっと見、コミュニティーセンターっぽい見かけだが、中がパブになっていてそこにすでに数人の子供や大人がいた。

ここでは地元の子供達が集まってセッションをする場を提供しているようだ。もちろん大人も参加するのだが、子供達がなかなかに可愛い。

6歳くらいのアコーディオンを抱えた男の子や、そのお姉ちゃんらしき10歳くらいのフィドラーの女の子。フルートもいる。4歳くらいの女の子がハープをたどたどしく弾いた。

こんな風に、練習してきた曲を披露する場所があり、大人たちが「なんか弾いてごらん」と促すと、とまどいながらもジグやリールを弾き出す様はこの国独特の光景かもしれない。

3時間ほどここで過ごし、帰りのタクシーの中で「もう一軒セッションがあるけど行くか?」と言う。

そこは帰り道だからどちらでもいいよ、というが、こうなったら“のりかかったタクシー”だ。

もう一軒は僕らもキアラン君に紹介されてよく知っている人のパブ。どちらかというとシンギング・セッション。

おじさん、おじいさん、おばさん、おばあさん。その数7〜8人。

マギーという推定80歳くらい(間違っていたらごめんなさい)の女性が歌を歌う。朗朗と歌うその様は僕たちに、随分ディープな場所に来ている、ということを実感させてくれる。

いくつかのチューンも演奏したが歌の伴奏で5弦バンジョーも弾いた。なんとなくクランシー・ブラザースのようなサウンドに地元の人たちも大喜び。

久々にフォークソングのようなバンジョーを弾いた。

Inisheerで希花さんが一発入魂のフィドルプレイを披露すると、周りから感激の大拍手。

僕らもすっかり打ち解け、彼らともすっかりひとつのグループのように歌い、演奏して帰路についたのが12時頃。

帰りのタクシーにはマギーも乗り合わせたが、彼女と運転手の会話、英語だったようだが、なにを言っているのかひとつもわからない。

特にマギーのほうは独特なアクセントだ。それでもジョンにはわかるようなのでそれが不思議だ。当たり前か。

でも、僕は高橋竹山先生がなにを言っているのかよくわからなかったが。

とりあえず今日も無事に終わった。

14時間ほどの貴重な経験。ジョン、どうもありがとう。地元の子供達も大人たちもみんな素晴らしい笑顔でした。ありがとう。

2016年 アイルランドの旅 15

もうすぐ7月も終わる。日本では記録的な長梅雨だということを聞いた。

僕らは来週から、ゴールウェイ、フィークル、ブリタニーと出かけ、またカーローに戻り、そしてゴールウェイに戻り、とかなりあっちこっち動きまわる。

その間にエニス、コークなどにも会いたい人たちがいるが、予定をすり合わせてみても無理かもしれない。

ここでもずいぶんたくさんの人に良くしてもらった。たくさんの地元のミュージシャンとも知り合えた。

80年代、カーター・ファミリーと過ごしたバージニアの世界とこことは本当に共通したものがある。

だいぶ前(70年代だったかな)スタンレー・ブラザースがどんなところで育って、その環境が彼らの音楽にどれほどの影響を与えたか、というようなことをある本で読んだ。

ジョー・カーターと山へ山菜を採りに行き、谷間に群がるカラスにジョーが彼らの鳴き声を真似ると、みんなこちらに向かって一目散に飛んできた。

鬱蒼とした山路には、南北戦争の時代の薬莢や、先住民が残していっただろう石の道具のかけらなどが落ちていた。

そんな山歩きや、川での夕食用のなまず釣り。それはまるで、あの本で読んだスタンレー・ブラザースの生活と同じものだったかもしれない。

そして、それらはここでの生活とあまり変わりはない。

ましてや、一仕事終えてからの音楽は全く一緒だ。ただ、あそこでビールなどを飲んだ覚えがないが、それは彼らの宗教的なものだったのだろうか。

いずれにせよ、あまりにディープな世界に入ってしまうと、かえって「これはこの人たちの音楽なんだ」ということを明確に感じてしまう。

だからこそ、きちんと取り組みたいと思うのだ。

そんな気持ちを再び確認しながら、フィークルでの演奏に向かいたい。

今年はCD (Through The Wood) のラウンチをやらないか、という打診が主催者からあった。

あといくつかのセッションホストの仕事。またまた眠れない日が続きそう。

体調をしっかり整えておかなくちゃ。

昨日、ジョンがまた鮭を持ってきてくれた。鮭茶漬けを食べればまた元気百倍かな。

このカーローにも素晴らしい人たちがいた。

素晴らしいお仕事をされているレイコさんとそのお友達。2mは優にあるチェコから来ているお姉さん。オーストラリアから来て、沢山の車と動物とで、とんでもなく広い空き地みたいなところに居を構えるヒッピーのようなお姉さん。フランキー・ギャビンの近所で育ったという、何から何まで気配りの素晴らしいお兄さん。

元気いっぱい、親切いっぱいのジョンとその仲間たち。

僕らに演奏の場を与えてくれたホテルの支配人、ジェームス。

そして、キアラン君とそのご家族。

カーローは確かに人里離れたようなところかもしれないけど、ここには温かい人たちがいっぱいいました。

2016年 アイルランドの旅 16 フィークル

今年もフィークルにやってきた。相変わらずの景色が嬉しい。今日から2日間弟分のアンドリューと演奏する。

ここにある4つのパブのうち、一番奥(反対から来れば入り口)に存在する、ペパーズ。そこが今日のアンドリューとの演奏場所だ。

フィークルも、2011年から必ず二人で来るようになっているせいか、行き交う人々への挨拶に忙しい。

ヨーロッパ各地や、もちろん日本からも沢山のひとが訪れる。が、しかし、今年はエニスでフラーキョールがあるのでさすがに遠い日本からここと両方に来る人は少ない。

アイルランド最大の音楽フェスティバルだが、それだけに半端ではない人の数で、ぼくらは東京の電車で十分経験しているので、もういい。

てなわけではないが、小さなエニスの街は大混乱になるだろう。ジョセフィン・マーシュも、その期間家に泊まったらいい、と言ってくれているが、ま、そのときに考えることにしよう。

とりあえず、ペパーズのオーナーと話をまとめて本日の宿泊地に向かう。今回はミュージシャンのために特別に個人宅が用意されていた。

といっても、ほとんど通常のB&Bと変わらない感じで、「朝はフル・アイリッシュ・ブレックファーストでいい?紅茶?コーヒー?何時がいい?」と矢継ぎ早に質問が飛んでくる。

「この前はジョニー・マッデン(言わずと知れたチェリッシュ・ザ・レディースの)が泊まっていたし、ミュージシャンがよく泊まるのよ」とニコニコしてお話ししてくれる彼女の子供たちも、まだ小さいのに荷物を一緒に運んでくれたり、本当にいいファミリーだ。

しばし、緑に囲まれた素晴らしい家で景色を楽しんで演奏場所のペパーズに向かう。

珍しくアンドリューも時間までには来ていた。が、始めるまでにかなりの時間を要する。

まず、飲み物を僕らの分も含めてオーダーし、椅子を並べ替える。完全に自分のお気に入りのミュージシャンで自らが囲まれるようにする。

僕、アンドリュー、希花の順に座ると「後でアイリーン(オブライエン)が来るから椅子をひとつ残しておく、と誰も座らないようにしておく。

ピリピリしたセッションだが、やっぱり彼に認められた者でないと、このセッションにはなかなか参加することができない、というのもひとつのセッションの形であるのかもしれない。

もちろん、ここにやってくる人はそれなりのレベルの人から初心者まで、多種多様であるが、なかにはそれなりのレベルを装って、実際には早くいなくなってほしい人が現れるケースもある。

そんなときにはハッキリとそう言える人が必要かもしれない。

夜も更け、だんだん参加していた人間が消えていくと、ますます激しく「のりにのった」演奏を展開する。

もうこうなったらアンドリューの独壇場だ。だが、こちらもそれを盛り上げるだけのものは持っている。

ほとんど僕ら三人の趣味の世界に達しているところにアイリーンの登場だ。それでさらに激しさも増す。

希花にとっても数年前は恐れていたアイリーンだが、完全に一目置いてくれている様子がわかる。

僕らにとってもアイリーンとアンドリューという組み合わせは極上だ。

気がついたらとっくに2時半を回っている。5時間が経過しているわけだ。これがフィークルの初日。

目の前に置かれたありあまる量のグラスとアンドリューの笑い声、どこまでも力強いクレアのリズム、それが僕にとってはこのペパーズ、強いて言うならばフィークル、そのものだ。

2016年 アイルランドの旅 17 フィークル#2

フィークル2日目。

今日はペパーズ裏のステージでの演奏と、またしてもアンドリューとのセッションがある。

十分な休憩を取っておかなくては、と思い、朝から「フルアイリッシュ・ブレックファースト」を食べて、もういちど寝ることにした。

午後、子供達が水泳教室から帰ってきてしばらくしてから庭で彼らと遊んだ。

ちょっとした日本の公園くらいの広さのある緑の庭、遠くには小高い丘が広がっている。

こんなところで毎日走り回ることができる子供達や犬は幸せだろうな、とつくづく思ってしまう。

水泳教室にしてもプールではなく、自然の湖で行われているらしい。なかなかに面白い。

しばし子供達と遊んでシャワーを浴びて、いざ出陣。

ステージでの演奏は7時半から。でも何分くらいやるのか、どういう順番なのかも知らされていない。

とにかく居ればいいのだ。音響のおじさんもたいしたものだ。さっと用意して素知らぬ顔をしている。慣れたもんなんだろう。特にこの音楽には。

僕らはフォギーでデニス・カヒルに友情出演してもらうことにした。彼も「お、面白そう。いいよ」とやる気満々。

最後の2セットほどはアンドリューとのトリオもやった。

このクレアでクレアのミュージシャンとステージを作る。それはこの音楽に関わってきた数々のシーンのなかでも最高の瞬間であることに間違いない。

約20分のステージを終えて、最後はTulla Ceili Bandの演奏だ。

だが、僕らは次なるセッション・ホストの仕事。アンドリュー、そしてアイリーンと一緒だ。

その夜、帰ったのは4時にもなろうとしていた。アンドリューはまだまだ飲む気満々のようだったが、とても付き合えない。

フィークル2日目の夜もそろそろ明けそうだ。

2016年 アイルランドの旅 18 フィークル#3

今年のフィークルでは久しぶりにパット・オコーナーとのセッション・ホストも入った。

彼と初めて会ったのはいつだったろう。‘98年くらいだっただろうか。

その時のことは2011年のアイルランドの旅で既に書いているし、Irish Music その45ではパットの子供の頃のフィドルの練習の様子なども書いた。

愛すべきクレアの筋金入りフィドラーだ。

この日、夏の恒例の行事と言っていいだろうか、古矢、早野コンビがはるばる日本からフィークルめがけて来ていた。

彼女たちはアイルランド音楽を演奏している僕達よりも、よっぽどこの国のこと、特に文化や芸能に詳しい。

そんな彼女たちにとっても、このフィークルは特別な場所だ。そしてできれば僕らが演奏している時に、このクレアの音楽とギネスビールに浸っていたい、と考えている。

そんな彼女たちと一路フィークルに向かう。

パット・オコーナーとのセッションは9時半からの予定だが、彼はすでにその前に別なところでやっているので、そんなに遅くまではやらないだろう、と思いきや、例によってとどまるところを知らない。

ゴールウェイのセッションとは違って、淡々と、そして徐々に気分を高揚させていくような味わいの深さを感じる。

ゴールウェイはあまりに観光客向けになってきてしまっているのだろうか。いいミュージシャンもいっぱいいるが、聴く側の姿勢もやはり普通の観光客と、この音楽を求めてきている人では、それは違って当然かもしれない。

アンドリューもちょっと顔を出すが、“ごきげんさん”でしばらく聴いて「明日9時からペパーズに来い。待ってるぞ」と勝手に言って“ごきげんさん”のままどこかへフラフラ出かけて行った。

結局パットとのセッション、1時過ぎまで職務は果たしたが、パットはケロっとして、もう少しみんなのおつきあいをするよ、と言っていた。

パットを取り囲んでいる人たちはなかなか帰りそうにない。

この日の「困ったちゃん」は希花さんの横でフィドルを弾いていたおじさん。なんか偉そうにしているが、全く曲を知らないらしい。指だけは動かしている“よう”に見えるが実際は全然違うものを弾いている。

希花さんも初めて「出て行ってくれない?」と言いたかったらしい。そんなやつに横で弾かれたら確かに困るのだ。

僕の方までは聞こえてこないくらいの音量だが、横の者はたまったもんじゃない。

しかし、「出て行け」というのはキャサリン・マカボイかアンドリューでないとなかなか言えない。

いや、アンドリューは態度でガンガンに攻めまくるタイプかな。やはり、どんなセッションにも礼儀は必要である。

それにしてもパット・オコーナー、素晴らしいフィドラーだ。

さて、アンドリューが言っていた次の日のこと。まぁ、これでしばらく彼とも会えないかな、と思うとやっぱり行くしかないと思い、また出かけて行った。

古矢、早野コンビもその晩のタラ・ケイリ・バンドの伴奏によるダンスを楽しみにしているし。

こちらのセッションではアンドリューも大活躍。カレン・ライアンや、キーボードのピートも一緒だ。

アンドリューは僕らを見つけると、嬉しそうに「ここはじゅんじ。ここはまれか」と他の人が座らないように椅子を用意する。

彼の大活躍はそこから始まるのだ。いつものように自分のお気に入りのミュージシャンをできる限り自分の周りに固める。

“困ったちゃん”の付け入る隙を与えないのだ。そして大爆発。

この日、もうひとりの大爆発はシェイマス・ベグリー。酔っ払いの困ったちゃんではあるが、さすがにいい歌声と、クレアとはまた違うリズムで聴くものを魅了する。

ケイト・パーセルもいい歌声を聴かせてくれたし、驚いたのはランダル・ベイズが現れたことだ。

向こうもさぞ驚いたことだろう。もう、18年ぶりくらいだ。

アンドリューのおかげでそんな再会も果たせた。

そして、なにより古矢、早野コンビにも感謝。

残りの旅、どうか安全に楽しんでください。そしてたくさんのおみやげ話を持って帰ってください。

僕らは明日からしばらくブリタニーに行くので、コラムはちょっとの間お休みになるかもしれません。また帰ってきたら報告するつもりでいます。

2016年 アイルランドの旅 19 ブリタニー

8月9日、ブリタニーに向かう。もうすでに先乗りしているキアラン君と、彼の元生徒さんたち、ブライアン(コンサーティナ)キリアン(パイプス)共に25歳、そして21歳になったばかりのブライアン(フィドル)この三人の若者を含めての珍道中がこれから始まるのだ。

目指すところはGuemeneという小さな村。ここで彼らと落ち合うわけだが、ここはキアラン君曰く、ブリタニーの最もブリタニーらしいところのひとつであり、ここに来なければブリタニーに来た、とは言えないくらいの

ディープな場所だ。

その言葉どおり、景色はどんどん今まで見たこともないものに変わっていく。

実際、飛行機から見た海岸線はまるで映画「史上最大の作戦」を見ているようだった。それもそのはず。そこはノルマンディーだったのだ。

それはともかくとして、まず道沿いのお菓子屋さんに立ち寄ると美味しそうなカスタードケーキが目に入った。

日本で売っているものの三倍くらいの大きさで、値段は3分の1くらいだ。思わず「これとこれ」と言いそうになるが、そこは抑えてひとつにした。

これが実に美味しかった。たくさんのひとがフランスパンを抱えて店から出ていくのを眺めながら青空の下でコーヒーとケーキ。

そしていよいよ村に入っていく。なんか連合軍とドイツ軍が市街戦をやっている光景が目に浮かぶような建物が並んでいる。

キアラン君が夏の間にブリタニーで過ごすために借りているアパートに着くとすぐに始まるセッション。

皆それぞれにトラディショナルをこよなく愛し、追求している若者たちだ。プレイにも熱が篭る。

そして、若いのによく飲む。若いからかな。

そして、ここでは当然ワインだ。

フランスはワインが安いと聞いていたが、それは驚きの1ユーロもしないものから始まる。

平均的なそこそこいいものでも2ユーロか3ユーロくらいでひと瓶買えてしまう。なのでアパートでも次から次へとワインボトルが空になっていく。

外に出てみるとこの小さな村にいくつかの商店が並び、パブのようなものとレストランがいくつかある。

ブリタニーはクレープ(ガレット)で有名らしい。こんなことは日本の人の方がよく知っていることだろう。

早速みんなでワインとクレープ。

別な場所に行ってワイン。また別なところでワイン。隣のよろず屋さんのような、何でも置いてある店に入っても、奥からおやじさんがワインを持ってきてくれる。

ちょっとしたワイン責めだ。

でも今回のブリタニーはワインを飲みに来たわけではない。

僕にとっての大きな目的はギタリストのNicholas Quemener(以下ニコラ)に会うことだ。

キアラン君のソロアルバムでもギターを弾いていたが、そのプレイにはだいぶ前から注目していた。

いわゆるアイリッシュ・ミュージックに於けるギターというよりも、もっとブリタニーの音楽、ブレットンの独特な響きを持っている人なので、あえていままで名前は出していなかったが、とてもいい音を出すギタリストだ。

彼に会ってさらにその素晴らしいプレイに魅了されたが、彼がDADGADを使っていることは意外だった。

その響きはDADGADに聞こえない、言葉で表すことはむずかしいが、彼の醸し出す独特な音だ。

また、彼の住んでいるところはほとんど森で、その広さは京都で言ったら…「平安神宮」くらいの広さは優にあるだろうか。

そんな中でテーブルを囲んでみんなでまたワイン。

まさにこの景色から彼の音が生まれてきているんだな、と思えるような空気と時間が流れている。

今回の旅についてはまたコンサートなどでお話しするので、あまり長い文章は書かないが、希花さんがワインの飲み過ぎで赤い顔をして、いい写真をいっぱい撮ってくれたのでそれをいくつか載せてみることにした。

というよりもちょっと飲み疲れて横着をさせていただこうと思って……。

ニコラと

ニコラと

みんなとワイン

みんなと

GuemeneIMG_4943

 

2016年 アイルランドの旅 20 ちょっとだけエニス

あと2週間ほどでアイルランドに別れを告げる。

昨日僕らはエニスに出かけた。テレビ番組の出演依頼がきていたので(とは言っても、ほんの数分。少しのインタビューとセットをひとつ)朝早くから出かけて行ったのだが、これがなかったら行かなかっただろう。

すぐに帰ってくるチョイスもあったが、いろんな人に連絡を取ってみて会えるようなら少しゆっくりしてこようかな、とも考えた。

前にも書いたが、今年はフラーキョールがエニスで開催された。今回の番組もその中のひとつだった。

この祭典はそもそも、地元ののど自慢や腕自慢、そしてこれから巣立っていく若者や子供達のためのコンペティションがメインで、特別な出演依頼でもない限り音楽で生活している人はあまり行かない。

まして近年、人がたくさん集まりすぎてなんだかよく分からなくなってきているので敬遠するミュージシャンも多いようだ。

一応、楽器も持たずにうろうろ飲み歩いているアンドリューとパディには会えた。これで充分。

あと一人、どうしても会いたかったのが赤嶺フーさん。何とか連絡を取ったら会うことができたので、結局彼とは食事をしたりお茶を飲んだり、ちょっと演奏したりで4〜5時間一緒に過ごすことができた。

アイルランドではとても頼りになるアイルランド在住の…すみません。なんのお仕事をしているのか結局よく聞いていなかったのですが、少しだけ(本人談)ミュージシャンも兼ねて生活している人だ。

エニスはほぼ一日中シャワー程度の雨。ずっと僕らに付き合ってくれたフーさんに感謝。

2016年 アイルランドの旅 21

ここまではカーローでののんびりした生活も含め、沢山の目新しい経験で埋め尽くされてきた。

ネット世代でもない僕にとっても、まるでWiFiなどというものに無縁の土地にいると結構困ったりもしたものだ。

今、少しの期間、住み慣れたゴールウェイに身を置いている。

2014年から書いてきている鳥たちのこと。

あんなに警戒心が強かったロビンは、朝早くから餌をもらえるのを待つようになった。

チュンチュンと鳴き声がするので餌をまくと喜んで(だと思うが)飛んできて、しばらくつついてまたどこかへ飛んで行く。

前に見たのと同じ奴だという証拠はないが、去年、一昨年とよく来ていた足の不自由な鳥、今年は現れない。

8月もあと5日ほど。今日もいい天気だ。

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2016年 アイルランドの旅 22最終回

今年も無事9月を迎えた。帰国まであと1週間ほど。厳密にはあと5日でアイルランドを離れる。

思えばここの音楽の世界にどっぷり浸かってから25年。希花とこの地に来て演奏を始めて6年。様々な経験をしてきた。

僕はこの音楽をこよなく愛し、できる限り伝統を重んじてきた。それはギタリストという立場において、本当は難しいものだがとても重要なことだ。特にこの音楽では。

しかし、クラシックからフォーク、ブルーグラス、そしてアイリッシュと進み、その間にも様々な形態の音楽を経験してきた僕にとっては、ギターでこの音楽に関わっていく上で何を重んじていくか、ということがよく分かった。

とにかく1曲1曲正確に覚えていくこと。楽器で弾くこともさることながら、歌って覚えること。

そこにどんな和音を当てはめていくか、その最適な道を見出すこと。

それは様々なシーンで経験を積んできた僕にとってはそんなに難しいことではなかった。

しかし、ずっとこうしてやってきて思うことは、これは究極アイルランド人の音楽。どれだけ確実に演奏しようと、どれだけ認められようと、僕らの音楽ではない、ということ。

外国の音楽を演奏している人はどの世界にもいっぱいいるし、そんなことは当たり前のことだが。

また、このようなコアな(言うなれば)音楽に関わっていることであまり頑なになってはいけない。

「こうでなくてはいけない」というところと「これでもいい」という部分が必要だ。

簡単なことのようだが、これが意外に難しい。特に「これでもいい」という部分は人それぞれ違うだろうから。

そこを理解するには幅広い音楽の経験が必要となってくる。

毎年Tunes in the Churchのレギュラー演奏者として迎えられることはとても名誉なことだが、どこか申し訳ないような気持ちも存在した。

最初はセッションに参加することや、いわゆるバスキングもやった。

そのうち、あまりそこには重要性を感じなくなってきた。特にバスキングに関しては。

セッションは、いいセッションであればいくらでもそこに居られるのだが、ちょっとなぁ、と思うところはできるだけ避けたほうがよい。

みんながどれだけ聴く耳を持っているかはセッションの重要なポイントだ。

いや、セッションだけではない。それはどんな音楽に関しても、また、どんな場面に際しても最も重要なことかもしれない。

いろんなところに行って、たくさんの人にお世話になった。宝くじでも当たったらみんな日本にも呼んであげたい。でも買わないので当たるわけも無い。

なので、せめてこの音楽に対してのリスペクトだけは忘れずにいたい。そうすることでくらいしか恩返しができない。

Tunes in the Churchのシーズンラストの演奏も無事終えた。

Cormacは今ダブリンの方で、同じTunes in the Churchのプロデュースをしている。

この企画自体も既に7年目になるらしいが、これも継続するのは結構大変そうだ。来年は果たしてどうなっているだろうか。

僕も、2017年アイルランドの旅というものを書いているのかどうかはわからないけど、なんとか健康で居れたらいいかな、と思っている。

帰ってみなさんのお顔を見るのが待ち遠しいです。

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2016年 アイルランドの旅  番外編

10月にNoel Hill が日本にやってきます。初めての日本ということにはちょっと驚いています。

これだけの名演奏家が日本にやってきていないというのも意外なことなのですが、昨今の来日アイリッシュ・ミュージシャンの誰もが聴いてきた人物です。ただ、日本ではバンド・ブームのようになってしまって、この音楽もイベントのための音楽みたいに考えられている筋があります。

なので、先のFrankie Gavin & Paddy Keenan同様、名前すらも知らない若い人がいることも事実です。

彼がゴールウェイの雨の中、アパートにやってきて「なにやろうか?」とおもむろにコンサルティナを抱えると、飛び出してくる音はまるで嵐のようです。

15〜6曲、軽くリハーサルをして、帰って行きました。

本人も相当楽しみにしているようです。多分「寿司」を食べるのを。

日程に関しては別な案内で確認することができます。

初来日です。また来るかどうかはわかりません。

この機会を逃すとアイリッシュ・ミュージックの一角が抜け落ちます。(あくまで僕の独断と偏見に満ちた言い方)

しかし、ぜひ足をお運びになることを勧めます。