2012年アイルランドの旅  ~ダブリン~

7月9日、気温16度、曇り。ダブリンに着いた。今回はスムーズに荷物が出てきた。コぺンハーゲン乗換えという、過去に経験のないルートを使ったため、心配はひとしおだったが、ギターのケースに大きく書いた“ダブリン、アイルランド”という紙を貼っておいたのが利いたのかも知れない。それでも違うところに行くようだったら、この辺の空港職員は日本の政治家並みだ。

なにはともあれ、今日は偶然にもダブリン市内で、クリスティー・ムーアのコンサートがあり、ゲストにマーチン・オコーナーバンドが出る、ということだ。

フィドルとバンジョーにカハル・ヘイデン、ギターはシェイミー・オダウドだ。シェイミーとは彼がダーヴィッシュにいたころから仲が良かった。 続きを読む

2012年アイルランドの旅 ~7月11日 ミルタウンマルベイ~

ダブリンからリムリック/エニス経由で目的地へ。ブレンダンの末娘であるクリーナがモロニーズというパブで待ってくれている、ということだ。沢山の人で埋め尽くされた店の中に入るとまず、12~3人のセッションのかたまりの中に高橋創君の友人、リアムが巨体をゆらしてコンサルティーナを操っているのが見えた。チラッとこちらを見て首を一瞬斜めに倒す。アイルランド人独特の挨拶だ。こちらも同じようにして、挨拶を済まし、さらに奥へと進む。すると、パティオのようになった場所に7~8人のティーンエイジャーのセッションを見つけた。小学生くらいの男の子がアコーディオンを弾いているその隣にクリーナを発見。めでたく再会を果たし、一緒にいたシェーマス・ベグリーの娘のミーブとともにベグリー家に向かった。

街の中心部から車で5分ほどのところにベグリー家がある。途中、牛が並んでこちらを見ていたり、犬が飛び出してきて一緒に走ったり、アイルランドの田舎のどことも変わらない景色を通り過ぎて、広い広いベグリー家に到着。ブレンダンはまだ来ていない。とりあえず荷物を置いて再び街の中心部、セッションで盛り上がっているところに出かけるが、どこもかしこも人、人、人で都心並みだ。 続きを読む

2012年アイルランドの旅 ~7月12日 ミルタウンマルベイ~

今日もどんよりとして寒く、時折激しい雨が降ってはサッと止む。

朝、キッチンに行くとブレンダンがコーヒーを淹れていた。再会を祝し、コーヒーとポリッジでしばし歓談。今日は午前中アコーディオンのクラスがあるので、午後ちょっと先のベルブリッジホテルというところのロビーで待ち合わせることにした。

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2012年アイルランドの旅 ~7月13日 ミルタウンマルベイ~

今日は午後からブレンダンとラジオに出演して演奏することが決まっている。さらに、予てから連絡を取り合っていたジョン・ヒックスともどこかで会えるだろう。そして夜はジョセフィンと一緒。予定が山盛りだ。

ラジオはすべてがゲール語で進行している。僕と希花は何もわからず、ただすわってにこにこしているだけ。ブレンダンが曲目を言ってカウントを取って、Ukepick Waitzをまず演奏し、そしてまたにこにこして、Master Crowleysを演奏して15分の出演が無事終了した。

ブレンダンと別れてまた、ぶらぶらしているとカハル・マコーネルに出会った。少し立ち話をして別れると、通りをにこにこして一目散に渡ってくる奴がいる。その風貌を見て希花が「あっ、ジョン・ヒックス」と叫んだ。

実に17~8年ぶりだ。少しも変わっていない。どこかでやろう、と一緒に引き連れてきた仲間を一通り紹介してくれた。僕のほうも、いつも一緒にやっていて、どれだけ君の事を話しているか…といって希花を紹介。そして場所探しにあるきまわり、あるパブの裏手にあるパティオに落ち着いた。さすがに鼻が利く。

久しぶりに彼の凄まじいテクニックと、えもいわれぬタイミングでぐいぐい押してくる独特のギタープレイに酔った。

しかし、他の音にじっと目をつぶって、真剣に耳を傾ける姿はさすがに一流のプレイヤーである。自分の音だけを押し出してくるわけではない。日本のアイリッシュミュージックファン達が彼のプレイを生で聴いたことがない、というのは不幸だ。いつか是非日本の地を踏ませたいものだ。

4時間ほど彼と一緒に過ごした後、ジョセフィンとの待ち合わせの場所に行った。そして途中少し彼女の家に寄り、相方のミック・キンセラをピックアップして一路キルラッシュへ。すぐ近くよ、と言っていたが軽く一時間ほどすっ飛ばして目的地であるパブに着いた。

地元のフィドラーが3人ほど加わった一番いいパターンの落ち着いたセッションだ。ミックはコンサルティーナを弾きながら、ボブ・ディランのようにホルダーにセットしたハーモニカを吹いて歌を歌ったりする。

それにジョセフィンのアコーディオンが絡む極上の音楽を楽しんでいると、よく知っている顔が入ってきた。もちろん体も一緒だ。そしてその体全身で驚きを示した。こちらに長いこと住んでいるコンサルティーナのウノヒロコさんだ。

コンサルティーナという楽器に惚れて、アイルランドの音楽をこよなく愛し、とうとうアイルランドに来てしまったという、いつもにこやかでパワフルな人だ。

まさか僕らがここに居るとは思わなかったらしい。いい感じのテリー・ビンガム譲りのプレイを聴かせてくれた。

1時をまわったころブレンダンの家に戻ると、15~6人の若者たちが騒いでいた。みんなミュージシャンだ。ほとんどがブレンダンの娘やシェーマスの子供たちの友人や、そのまた友人達。困ったことにケリーから来ているらしい。ケリーの人間は疲れ知らずで朝までどんちゃん騒ぎをする。結局、寝る態勢にはいったのもつかの間、4時ころから一大ポルカ大会に何故か加わっていた。

2012年アイルランドの旅 ~7月14日 ミルタウンマルベイ~

曇っているが時々太陽が顔をのぞかせる。

前の晩からの大騒ぎで少々寝不足気味。ここでケリーの人たちと過ごすのだったら覚悟が必要だ。

今日は前日に会ったウノさんと、大阪の上沼君とでセッションに出かけてみよう、と相談がまとまっていた。

そして、どこに行こうかと話をしているところにジョセフィンから電話が入った。もし暇だったらヒラリーズというパブに行くから是非来てほしい、という。

ジョセフィン・マーシュは以前コラムでも書いたが、実にセンスのいい滑らかな音と抜群のリズム感覚と鋭いコード感覚を持ち合わせたプレイヤーだ。そして小柄でかわいくて、とてもいい人だ。みんなから好かれている。

そんなジョセフィンから再三誘われるということはとても光栄だ。ぼくはみんなを引き連れて一目散にヒラリーズに向かった。

ウノさん、上沼君、そして希花と僕がジョセフィンを囲んで後から数人の人たちが集まってセッションをしていると、またしても見た顔が驚いている。僕も非常に驚いた。その昔、サンフランシスコのプラウ・アンド・スターズのセッションによく来ていた牧師さんであり、フルート吹きのジョン・グリフィンだ。

ミュージシャンとしての付き合いではなく、それでもセッションではよくお話したものだが、そういえば97~8年ころからあまり見かけなくなり、誰かが彼はアイルランドに戻ったよ、と言っていた。

じつに彼ともそれ以来だが、全然変わっていないのには驚いた。めちゃくちゃにいい人だ。沢山のひとが見ている中、日本人4人がジョセフィンを囲んでいる様は他のパブとは異質に見えたのかもしれない。ジョンもそんな光景にふと、足を止めてみたら僕が居た、というところだろう。

嬉しい再会が沢山あったミルタウン・マルベイとも今日一日でお別れ。明日はエニスに向かうのだが、また帰ったらケリーの人たちが大騒ぎすることだろう。

だがそれは、予想をはるかに超える凄まじいものだった。

2時ころからポルカが始まり、数人が雑魚寝していたちょうど僕の枕元で、あれは4時ころだと記憶しているが、激しいステップを踏んでしばらくして出て行った奴がいた。あとで、あれはブレンダンの息子で、コンサルティーナの名手、コーマックだ、と言った人がいたが、彼のキャラではない。絶対にシェーマス・ベグリーの息子の、これまたコンサルティーナの名手、オーインにまちがいない。彼だったらやりかねない。

なにはともあれ、音楽はいくら酔っ払っていても大したものなのだ。ひとりの若者が僕の足元で携帯を握り締めて、そんな大騒ぎの中でいびきをかいている。それをみてもやっぱり白人はタフだな、と思ってしまう。

踊るアホウに寝るアホウだ。

朝方、ほとんど寝ていないはずのコーマックがコンサルティーナを練習していた。何度も何度も同じフレーズを続けていた。その真剣な姿はさすがに27歳という若さでありながら、この楽器のマイスターの一人として名を連ねているだけはあるな、と思わざるを得ない。同時に悪乗りして枕元でダンスをするようなキャラにもみえない。

ミルタウン・マルベイで最後に見た素晴らしい光景はコーマック・ベグリーの真剣な眼差しだった。

2012年アイルランドの旅 ~7月15日 エニス~

7月15日 曇り。

ウノさんと上沼君と希花でエニスへ。上沼君はそのままゴールウェイに向かった。ジョニー・リンゴ・マクドナウにボウランの手ほどきを受ける約束があるらしい。僕らもゴールウェイに行く予定があるので、リンゴとは会うだろうし、日本に帰ったらまた、上沼君とも会えるだろう。

そして、今後はイギリスに住むことになるだろうウノさんとも、どこかでまた会うことができたら嬉しい。

みんなと別れて宿泊先に向かった。今夜はジョセフィンがブローガンズというパブでのセッションに誘ってくれている。

9pm,この人は珍しくほぼ時間通りにセッションを始める。さぁ、始めようとしたときギターをかついだ女性が入ってきて「ジュンジ、久しぶり。ニーヴよ」とおおきなハグをした。「ニーヴ・パーソンズ?」エドモントン・フォーク・フェスティバル以来だ。10年ぶりになるだろうか。

そしてその日、彼女はいっぱい歌を唄ってくれた。パブでは演奏の時には少々うるさくても仕方ないが、歌の時には静かにすることを要求されるし、またそれが礼儀でもある。

グラスを叩いたり、シーッとみんなで言ったりする。それでも気がつかず、あるいはおかまいなしにしゃべっているひとがいることもあるが、その時のニーヴはさすがだった。こう言ったのだ

「大丈夫よ。あたしが歌いだしたらみんな静かになるから」そして、アンディ・M・スチュアートの名曲“Where Are You Tonight”を唄いだした。凄い。一瞬にして騒々しかったパブを別世界にひきずり込んでしまったのだ。

「ジュンジ、一緒にギターを弾いて」と目で合図する。僕も大好きな曲だし、ディアンタというグループのメアリー・ディロンのレコーディングを希花に聴かせてからは彼女のフェイヴァリットソングでもあった。

僕とニーヴの間にはさまれた希花にとっても極上の瞬間だっただろう。

そして、またジョセフィンとミックとのチューンに入る。この日たまたま居合わせたお客さんにも素晴らしいひと時となっただろう。

普段ニーヴがひとりでフラッとパブに現れるなどあり得ない、ということなので、ジョセフィンが僕のために仕組んだサプライズだったのだろう。

感謝、感謝の一日だった。

撮影 ジョセフィン・マーシュ

2012年アイルランドの旅 ~7月16日 エニス~

7月16日 朝からほとんど雨。

朝食を食べていたら、ラジオから聴いたような演奏が流れてきた。どう聴いても僕のギタースタイル以外の何ものでもない

よくよく聴いてみると、先日ミルタウン・マルベイでラジオ出演したときのものが再放送されている。

同じところに泊まり、朝食を共に楽しんでいた人たちにも「これ、僕たち」と思いっきり自慢した。

午後からカスティーズ(楽器屋さん)に出かける。

いろいろと物色していると、希花がコンサルティーナを見つけた。ラチナルというメーカーのセコンドハンドだがソフトでとてもいい音がする。少し触ってみると、かねてから持ち合わせていたコンサルティーナ熱に火がついた。決して安いものではない。それに本当に欲しいタイプのものでもない。が、しかし本当に欲しいものは今目の前にあるものの倍ほどの値段で、しかもオーダーしてから手元に届くまで、最低でも4年はかかる。

いろいろ考えていると、オーナーの一人であるジョンが「2週間持っていたらいい。いろんな人に相談するなりして、それから決めればいい」と、なんと貸してくれるという。

かくして、厄介なものをひとつ抱えてまた旅に出ることとなる。

2012年アイルランドの旅  ~7月17日 エニス~

7月17日 晴れ。珍しく汗ばむくらいの陽気だ。

今日は古い友人のサラ・コリーの家に泊めてもらうことになっている。それがどこなのか分からないが、エニスからそう遠くないところらしい。

夜9時に待ち合わせしているので、かなり時間がある。

去年、トミー・ピープルスに声をかけられたあの場所でバスキングでもして時間をつぶそう、ということになり、始めていると、よっぱらったおじさんが3人現れた。ふたりは楽器を持っている。アコーディオンとフィドルだ。

横に座ってしばらく聴いていると「入っていいか?」と言う。そして矢庭に弾き出すとこれまた単なる酔っ払いのレベルではない。

とことん力強くどぎついリズムでガンガン迫ってくる。フィドルのおじさんは鼻のあたまを真っ赤にして、農作業のあとの楽しみは酒と音楽だ!という、まさに生活に根付いた音を奏でる。いかにも、子供のころ納屋にころがっていたひいおじいちゃんのフィドルを触ってみたら面白かったので、そのままフィドラーになり、フィドルもそのまま使っている、とい感じだ。ただものすごく酔っ払っているので同じ曲を何度もやる。

アコーディオンのおじさんも眠っていたかと思うと、突然さっきやった曲を弾き始める。1時間ほど一緒にやると「これからすぐそこのパブでやるからかならず来いよ」と言い残してもう一人の友人かマネージャーみたいな人とフラフラ帰っていった。

完全に生活に根付いた音楽を目の当たりにして、さあ、あの酔っ払いたち覚えているだろうか、とパブをのぞくと、いたいた。テーブルには山のようなギネス、ウイスキーが見える。

「おっ!来た来た。なんか飲むか」と言ったかと思ったら、さっき何度もやったリールを弾き出して、早く楽器を出せ、と催促する。

結局、また2時間ほどつかまってこっちも酔っ払いとなったのだが、フィドラーはトニーという名前で、年のころは70半ばくらい。

希花に一生懸命なにか言っていたが、どうも結婚式のギグがあるから一緒に演奏できるか、ということだが、もしかしたら結婚しようといわれたのかもしれない。なんだか電話番号をよこしたが、いかにせん、コネマラというゲール語地域から出てきた半端でない酔っ払いのおじいさん、近くにいたアメリカ人ですらなにを言っているかよく分からないそうだ。

アコーディオンは、どうも“ジョン・キング”という、名のある人らしい。あとで色んな人に話して分かったことだが、とにかくよく飲む、それはアイルランド人ですら驚くくらいよく飲むベテランミュージシャンらしい。

後で会ったテリー・ビンガムが言っていた。「昼からかなり飲んで演奏しているのを見かけたけど、夜中に見に行ったらまだ飲んでいて、次の日の朝まだ飲んで演奏していて、夜、見たらまだ飲んでいて、次の朝まだ飲んで演奏していた。ウオッカのビンとウイスキーがいたるところに散乱していた。ありゃ只者ではない。一緒にいたフィドラーはトニーだろ。あのふたりの体の中身は全部酒だ」

サラと会うのはもう20年ぶりくらいだろう。アメリカ西海岸のバークレイ出身サラは、フィドラーだ。弟のデイブがバンジョーを弾くが、まだ彼らが10代のころから良く知っている。因みに今のご主人であるダミアンはフルート吹きだ。

家はエニスから車で20分ほどのところ、緑に囲まれた雄大な景色が広がる。

ここで2日とめてもらってから“ジェリー・フィドル・オコーナー”が来ているリムリックに行くことになっている。

ここがキッチンでここがシャワーよ、といろいろ説明してもらっているとき、希花がシャワー室にナメちゃんがいる、と叫んだ。

見るとナメクジが2匹ほど張り付いている。よっぽどびびったのか、今日一日だけにして何とか明日中にジェリーに連絡をとってリムリックに行くことにしたいと、懇願する。

ちょうど、サラが午後からリムリックに行くことにもなっているし、それはナメクジに感謝かもしれない。

しかしこれだから温室育ちは困ったものだ。

かくして希花はナメクジの恐怖におびえながらベッドに入った。僕はサラと昔話に花を咲かせてから眠りについた。

2012年アイルランドの旅 ~7月18日 エニス~

7月18日 曇ったり降ったり…晴れたり。

サラと食事をして、庭に飼っているウサギたちを見に行く。12~3匹のウサギがまーるくなっていてとても可愛い。

そして、近くの史跡のような、しかし誰もいない処に散歩にいったら、牛と馬が会話していた。成り立っていたのだろうか。とにかくそんな風にみえた。

 

 

自分が生涯住めるとは思わないが、こういうところに身をおくというのは僕らのやっている音楽にとっても有意義なことだ。僕はナメクジの2匹や3匹、どうもないし…。

リムリックに到着すると早速ジェリーから電話が入り、9時ころにミュージシャン達が宿泊しているところに来い、という。

今、リムリックでは“メヘル”というトラッド音楽のいわゆるスパルタ合宿のようなものが行われていて、ジェリーをはじめ、名のあるミュージシャンが教師として集結している。

そして、アパートの一室で、フルートのアラン・ドハティ、コンサルティーナのエデル・フォックス、フィドルのゾーイ・コンウェイなどとみんなでセッション。エデルはほとんど喋ってばかりだが、弾き始めるとやたらと上手い。当たり前のことだが。とにかくこういう人たちとパブでのセッションではなく、個人的に会えることは希花にとっても貴重な体験になるはずだ。

2012年アイルランドの旅 ~7月19、20日 リムリック~

7月19日 曇り。相変わらず上着が必要なくらい涼しい。

お昼はゆっくりして、夜、ドーランズというパブに出かけてみる。地元の人が薦めてくれた、“音楽だったらここだ”という処。

中に入ると、華麗にアコーディオンを操る若者とフィドラーの女の子がいた。早速自己紹介して座ると、ジェリーからメールだ。「ドーランズというところに行くから来い」すかさず「今来ている」と文章を作った矢先、ジェリー様一行がエデル・フォックスの大きな話し声と共に入ってきた。

それから先は特筆すべきこともない。いつにも増して、ジェリーのフィドルがうねり、エデルの声とコンサルティーナが響き渡りる中、夜も更けていく。

しかし、みんな朝からかなりのスケジュールをこなし、教えられるほうだけでなく、教える側も疲れているだろうに、やはり強靭な体力と、これが生活、人生、その全てなんだろうな、と思わざるを得ない。

 

7月20日 くもり時々晴れ

今日はメヘルの最終日に行われるコンサートにジェリーが招待してくれた。会場では楽器を持った子供たちがいたるところで練習している。

ここで学ぼうとする子供たちはもうかなりの凄腕だが、いつになっても基礎というものを忘れることがない。だからこそ、こうして強化合宿に参加して、他のプレイヤーの演奏も聴き、普段会うことの出来ない伝説的な教師たちの指導を受けることがいかに大切か、ということも分かっているのだろう。

恐るべきガキ共だ。

この日、教師のひとりであるフィドラーのマナス・マクガイヤーを見た(聴いた)。ムーヴィング・クラウド以来の好きなフィドラーだ。

ジェリー・オコーナー、ちょっと体をこわし、大変だったらしいけどいつまでも元気でいいおじさんぶりを発揮して欲しい。

貴重な体験をありがとう。

2012年アイルランドの旅 ~7月21,22日エニス~

7月21日 めずらしくよく晴れている。

リムリックを発ってエニスへ。

バスにフィドルを持った東洋人の女性が乗ってきた。日本人でないことは明らかだが、どこの国の人だろう。むかし、アメリカに住んでいる日本人のフィドラーが言っていた。「僕ら、よく中国人に間違われますけど、中国人は自分の国の文化に誇りを持っているから、他の国の音楽なんかやらないですよ」もしかしたら一理あるかもしれない。

同じところで降りたので声をかけてみた。

タイ人でニュージーランドに住んでいるらしい。そして友人がやっているアイリッシュにはまった、ビギナーフィドラーだ。

宿泊するところが同じなので一緒に歩いた。僕らは着いたらすぐにカスティーズ向かった。やっぱりあまり長い間コンサルティーナを借りているのは心配なのでとりあえず返すことにしたからだ。

店に行くと、貸してくれたジョンはおらず、イタリア人のパウロというアコーディオン弾きが店番をしていた。

そこで、事情を話し、それでもまだ考えているから、誰か他に欲しいという人が現れたら必ず連絡をくれるように念を押しておいた。ジョンにも話しておいてくれる、ということで、しばしコンサルティーナとお別れ。

夜は久しぶりにケリーズというパブでアンドリューとの演奏を楽しんだ。

 

7月22日 曇り。夜から雨になる。

お昼、ホステルの台所を使って、フレンチトーストを作るが、火は弱いわ、フライパンは引っ付くわで、まるでスクランブルエッグのようなものが出来た。

それでも、アイルランド人の朝食よりはましかもしれない。

それから、近くのスーパーマーケットにでかけると、いたるところにアンドリューみたいな人がいる。

彼は典型的アイリッシュ顔かもしれない。あれもアンドリューみたい、あれもアンドリューみたい、あれ、あそこから歩いてくるのも…といっていたらアンドリューだった。

夜は購入した豚としょうがとしょうゆで“豚のしょうが焼き定食”を作った。あー、なんと素晴らしい味だろうか。しょう油は偉大だ。

ブローガンズというパブでジョセフィンとミックがセッションをするので、8時ころ街にでかけた。

セッションには例のタイ人も来た。やはり日本人の奥ゆかしさと違い、数少ないレパートリーを結構頻繁に弾いたりする。そうして数年後にはかなり弾けるようになるのかも知れないが、知らない曲にまで適当に参加されてしまうと、こちらのコード感覚に支障をきたす。気になって分からなくなってしまうのだ。

その日は、こちらに住む日本人のフルートを演奏する“ユカさん”ともお会いして、話が弾んだ。

ジョセフィンのセッションは彼女の人柄からとても人気があるそうで、僕らにとっても大好きなプレイヤーの一人だ。

2012年アイルランドの旅  ~7月23日 ドゥーラン~

7月23日 朝から雨。

その雨の中、ボー(タイ人の名前)は朝早くからモハーの断崖を見るために出かけて行った。

僕らも同じ方向であるドゥーランに向かう予定であったが、僕らは昼過ぎに着けばいいので、ゆっくり食事をしてから出ることにした。

またコンサルティーナのテリー・ビンガムが待ってくれている。今日はオコーナーズというパブでクリスティー・バリーとのセッションだ。

エニスを昼前に出るバスに乗ると、途中、モハーの断崖を通る。雨と霧と風で一寸先も見えないくらいだ。ふと見ると、ボーが乗ってきた。

どうだった?と訊くと、やはり何も見えなかったので入場料も取られなかったそうだ。僕が初めてここに来たのは、‘99年頃。アンドリューが連れてきてくれた。その時は勝手に空いているところに車を止めて、柵も無い断崖絶壁に恐怖を覚えたものだ。そんな風に普通に立ち止まれる観光スポットであった。

しばらくして、ユーロ圏に変わると入場料(たしか突然4ユーロだったと思う)を払うようになった。御土産屋もできた。柵もできた。そして今は6ユーロらしい。

お金をはらって怖い思いもしたくはないが、天気さえよければたしかに一見の価値は十分過ぎるくらいにある。

ボーは少しドゥーランを歩いてエニスに戻る、と言っていた。僕らはテリーと待ち合わせしてエニスタイモンという近くの町へ買い物に出かけた。

この辺では少し大きめの町なのでなかなかに大きなマーケットがあった。出入りする人がそれぞれに「やー、テリー」と声をかけていく。

いろいろ物色をしていると、とても美味しそうなアップルパイを発見。20cm以上の大きさもあろうパイがわずか2ユーロだ。まよわずそれをカゴの中に入れて他のものを見てまわっていると、希花が「あっ、こっちのほうが美味しそう」と別のアップルパイを見つけて叫んだ。

たしかに形は綺麗で上品だ。少し小さめではあるが同じ2ユーロ。テリーがジッと見つめてひとこと。「いや、こっちは形はいいけどリンゴの量が少ない」かくして最初のほうに決めたのだが、これが大正解だった。

味もよく、あふれんばかりのリンゴが入っていたのだ。アップルパイのちがいが分かる男、テリー・ビンガムだ。

夜、オコーナーズに向かうと、フィドラーのジェリー・ハリントンも来ていた。アメリカであって以来15年ぶりくらいだ。「やぁジュンジ」と独特なかん高い声が響いた。

ジェリーはかなり高名なフィドラーで、そのむかし僕が初めて会ったころには元ディ・ダナンのチャーリー・ピゴットと一緒にまわっていたはずだ。

ケタケタとよく笑う人だが、さすがに一人で弾いたエアーは胸に響いた。本当の本物だった。

2012年アイルランドの旅  ~7月24日 ドゥーラン~

7月24日 くもりのち雨、のち、くもり。大体こんな感じである。

お昼からテリーが近辺を案内してくれた。朽ち果てた教会や、海の見える丘などを見ながらも音楽の話になる。

テリーはやっぱり根っからのトラッド・ミュージシャンだ。心に響いてこないものは音楽とは思わない。彼の音からは確かに人間の息使いが聴こえる。

帰りにすぐ近くのおじさんでコンサルティーナを2つ持っていて、最近、売りたいようなことを言っていたひとがいる、ということで、ある家に連れて行ってもらった。

そこは数多いB&Bのひとつで、なんと僕らが去年、飛び込みで見つけたのだが、部屋が空いておらず、親切にもいろんなところに電話して最終的にすぐ近くの宿を見つけてくれたところだった。

そして奥さんが電話をかけまくっている最中に、だんなさんがコンサルティーナを弾いてくれた、まさにその人のところだった。

テリーがちょいちょいと弾いてくれて、いい物だけど安くはないし(コンサルティーナという楽器自体、いい物はかなりの値段だ)ゆっくり考えたほうがいい、と意見を聞かせてくれた。

アップルパイとコンサルティーナの違いの分かる男だ。

一旦テリーと別れた後、ギタリストでシンガーのナイルからお茶でも飲みに来いよ、と電話が入った。

去年知り合った、日本人の奥さんがいるもの静かでやさしい人だ。ドゥーランの中心部から少し離れた家に着くと、ふたりの子供と奥さんが出迎えてくれた。ひとりはまだ生まれて間もないが、もうひとりはやんちゃ盛りの男の子だ。

美味しいキャロットケーキと極上のコーヒーでひと時を過ごした。奥さんももの静かな人でとてもお似合いの夫婦だ。

ふたりにお礼を言って別れた後、またテリーとクリスティとセッションに興じて1時半頃に眠りについた。

2012年アイルランドの旅  ~7月25日、26日、27日 ゴールウェイ~

7月25日 晴れ

一路ゴルウェーへ。6時からデクラン・コリーのセッションだが、そのあと、8時からそのセッションのあるパブの裏手にある“セント・ニコラス”という教会でコンサートがあるのだ。コンサルティーナプレイヤーのコーマック・ベグリーがホスト役のそのコンサートは、週3回トラッド音楽が静かな教会の中でじっくり聴ける貴重なものだ。

実際、今回デクランのセッションでも、あまりにモダンでスピードも速く、それが結局はトラッドもよく分からないアイリッシュ音楽ファンに受けるためのものとして、この地でもてはやされているものの大半だな、という気がした。

コーマックは僕と希花をステージに呼び込んでくれた。とても生真面目な青年で彼のプレイからは彼自身の人間そのものが現れてくる。

「ところでコーマック。このあいだ僕の枕元で踊っていたのは君か?」

「いや、僕じゃない。でも全然覚えてない」そんな会話でお客さんも大爆笑。そして僕と希花の“フォギー・デュー”をはさんでジグとリールを演奏した。

そしてその日、コーマックが今オーダーしていてすでに4年経ったドイツ製の素晴らしいコンサルティーナの権利を、希花に譲ってもいいと考えている、という話を彼から受けた。

また、熱が上がった。まだ決まったわけではないが、うれしい悩みが増えたようだ。

 

7月26日 晴れ。

特になし。ただ、パブ“チ・コリ”の前で元ディ・ダナン、いや今の“オールド・ディ・ダナン”のジョニー“リンゴ”マクドナーと会って長話をする。

リンゴは今のディ・ダナンのことを“リアル・ディ・ダナン”と呼ぶ。フランキー・ギャビン以外のメンバーが彼と仲たがいして作ったバンドだ。

明日、バンジョーのブライアン・マグラーと一緒にセッションがあるから是非来ないか、と誘われたので、二つ返事でオーケーした。

明後日、フランキーと会う約束があることは黙っておこう。

 

7月27日 晴れ。窓辺にいると暑いくらいだ。

リンゴから再三電話が入り、6時半からチ・コリでセッション。ブライアンの素晴らしいバンジョープレイと希花のフィドル、リンゴのボウランに僕のギターというシンプルなトラッドセッションだった。

リノさんという名前の日本人の女の子のフィドラーも来た。元々ブルーグラスをやっていたそうだが、この人あとでびっくりさせてくれた。それは後に書くとして。

今日はまたコーマックの会が教会で8時から始まる。今夜はバンジョー弾きのポーラック・マクドナーと一緒だ。

ずっと前、アンドリューがベストバンジョープレイヤーと賞していた人だ。初対面だがとても気さくですぐに一緒に出演することになった。

それからは幾度となく共に演奏することになる。アンドリューとは大の仲良しらしい。

2012年アイルランドの旅  ~7月28日 ゴールウェイ~

7月28日 晴れ。ゴールウェイに来てからはずっといい天気だ。

今日は希花が初体験をすることになっている。生牡蠣を食べるのだ。ゴールウェイに来たらやってみたいことのひとつであったらしい。

僕も決して自分からすすんで食べようとは思わないので、誰かが食べるのなら、ということで付いていった。

5時ちょっと過ぎにマクドナーというかなり有名なレストランに行くと、5時にディナーがオープンしたばかりなのに、もういっぱいだ。

その懸案の牡蠣については希花がまた何かにつけ話をするかブログにでも書くことだろう。

 

食事をしているとフランキーからテキストが入って、7時頃、クレインズというパブで一緒にやろうといってくれた。

忙しく飛び回って時差ぼけが完治しない中、それでも駆けつけてくれることに感謝だ。

 

そしてその日、奥さんであるシンガーのミッシェルも来てくれた。

それに、フランキーのお兄ちゃんであるアコーディオンのショーン・ギャビンも駆けつけてくれて、とてもいいセッションとなった。

ミッシェルの歌声は天使のようだった。

 

そのときの様子がYoutubeにあがっている。

http://www.youtube.com/watch?v=qGh4q-e-z5Y

 

 

 

2012年アイルランドの旅  ~7月29日、30日 エニス~

7月29日 朝のうち少し雨、その後晴れ。

エニスに向かう。

8時半頃から“オキーフス”というパブでセッションがあるらしいのででかけてみた。予定ではフルートのジョン・リンがホストのはずだが、アイルランドらしく、9時をまわっても誰も現れない。

ただ一人だけ暗そうな男がフィドルを持って来たので、セッションがあるのか尋ねると「うん」とだけ答えた。

そうこうしている間に見たことのある人物が入ってきた。ニーヴ・パーソンズだ。そしてニーヴとずっと一緒のギタリスト、グラハム・ダンも一緒だった。

もう一人再会を祝す人物に出会ったわけだ。

またしてもニーヴの素晴らしい歌声に酔いしれた。そして意外にも先ほどの暗いフィドラー(リアムというらしい)はとてもいいプレイを聴かせてくれた。

こういう人がどこにでもいる。一見そうは見えないのに…。アイルランド人にとっては僕らもそうだろうが。

 

7月30日 晴れ。

ジョセフィンから電話で、今日はブローガンズでフィドラーのイヴォンヌ・ケイシーとセッションをやるからおいで、という。

野菜サラダをうんと食べてからでかけた。そろそろ野菜が恋しくなっている。いも以外の。

2012年アイルランドの旅  ~7月31日 ドゥーラン~

7月31日 小雨。

お昼のバスでドゥーランに向かう。またしても雨に見舞われるドゥーランだ。宿泊先のB&Bに着いても誰もいない。

屋根のないところで雨も降るし、お向かいさんのドアを叩き少しの間雨宿りをさせてもらった。

やがて、おばちゃんが帰ってきて一件落着。

今日もテリーとのセッションがある。クリスティ・バリーもいる。そこにちょっとだけ見たことのある人が入ってきた。「やぁ、ジュンジ」まただ。いつだったか、どこでだったか、と思いを張り巡らせていると、テリーが初めて飛行機に乗って西海岸にやってきた時、あれは‘99年頃、アメリカで会っているのだ。

だが、名前が思い出せない。仕方がないので思い切って訊く事にした。「お名前は?」

「バリーだ。ステージネームは“ルカ・ブルーム”」どひゃー、ルカ・ブルーム。信じられない。そんな有名人まで知っていたっけ。

思わず希花に、あのトミー・ピープルズの時のように「おい、大変だ。ルカ・ブルームだって」と言ったが、シンガーとして高名な人で日本のアイリッシュ・ミュージックの演奏者たちにはあまり馴染みが無いかもしれない。

しかしその夜、歌をいっぱい唄ってくれた彼の人柄と力強い歌声に希花も完全にノックアウトされてしまった。

ニーヴ・パーソンズと共に今回の旅の大きな収穫のひとつだ。希花もこうしてどんどんいろんな人に自分の存在を示していけばいい。

因みにルカは、僕らが初日にダブリンでコンサートに行った、あの、クリスティ・ムーアの弟にあたる人だ。

2012年アイルランドの旅  ~8月1日 ドゥーラン~

8月1日 晴れのち雨のちくもり

すぐ隣のホステルの談話室で練習させてもらっていたら、パディから電話が入った。今ディングルからダブリンに帰る途中だけど、僕らがドゥーランに来ているし、久しぶりにドゥーランに寄ってもいいな、と言っている。

是非そうしてくれ、という話になり3時過ぎに来ることが決定。

去年、なかなか連絡が取れなくて、同じ時期アイルランドにいたのだが、会うことが出来なかった。

とても楽しみだ。

3時半。パディから電話がきた。マクガンズにいる、と言う。すぐ近くのパブだ。てくてく歩くと、ちょうど時代劇のさびれた茶屋で浪人が茶をすすっているような、そんな雰囲気でパディが一杯飲んでいた。

見渡す限り広がる山、そして山。その真ん中に一本だけ続く道。遠くには牛や羊が何を考えているのか、ジーッとしているのが見える。

時折通る車、そしてトラクター。店の前に張り出したベンチに腰掛けて、長いコートに帽子といういでたちで佇む男。

どこから見ても絵になる。

再会を祝して、僕らも一杯。その後、何も無いドゥーランだが三人で散歩に出ることにした。

 

 

 

 

 

 

そこで僕は人生初体験をすることになる。

数日前から、とある民家の前庭にロバが佇んでいた。そのロバを入れて写真を撮ろうと、パディがカメラを構え、僕と希花が石塀にもたれかかったその時、突然ロバが僕の腕に噛み付いた。

緑の服を着ていたので草と間違ったのだろうか。ロバは肉食ではないはずだ。結構痛かったが、あまりのおかしさに3人で大笑い。



←いたそう 

 

 

 

まれか大笑い→

青あざは1週間くらい残った。

 

 

夜はマクガンズでパディとセッション。といってもパディはパイプを持って来ず、最近凝っているバンジョーだ。しかし、兄であるバンジョー弾きの、今は亡き ジョニー譲りのいい感じで音を奏でる。

 

9時半過ぎからバンジョー弾きのケヴィン・グリフィンと若いフィドラーも加わった。その後、近くのフィッツ・パトリックというパブでエニスから来ている若者テクニシャン3人が演奏していたことを知っていたので、もうとっくに終わっていることは承知の上でテクテク歩いて出かけた。

ロバはもう眠っているかな。

パブに着くと3人のうちパイパーであるブラッキー・オドンネルが僕らを今か今かと待ち構えていた。

パイパーにとっては神様であるパディーが来ている、という噂は彼らにも届いていたようだ。

さっそくセッションしよう、と、どぎついブラッキーのパイプがうねりまくる。ここではパディもブラッキーのパイプを借りて円熟した音を聴かせてくれた。

 

結局4時まで演奏しまくった。

帰り道、ロバを見たが「あ、俺が噛んだ奴が歩いてる」というような目つきでこちらを見ていた。まだ痛かった。

 

 

2012年アイルランドの旅 ~8月2日 ドゥーラン~

8月2日 曇り時々晴れ、そして時々雨。

午前10時、ダブリンに向かうパディをマクガンズで見送って、少し昼寝。夜はテリーとクリスティとドゥーランから車で30分ほどのリスドゥンバーナでセッション。

また2時頃になる。

2012年アイルランドの旅 ~8月3、4、5日 エニス~

8月3日 曇り

ドゥーランを出てエニスへ。

コンサルティーナをコーマックから買うことが決まったので、その旨を伝えにカスティーズに行ってみると、ありゃ、僕らが一応ホールドしておいてくれ、と頼んだはずのものが無い。

「あれ、売れたよ」と何事も無かったように言うジョン。結果的には問題ないが、僕らはパウロにあれだけ念をおしておいたのに、と取り合えず不満をぶつけた。

日本ではなかなか考えられないことだ。

夜はいくつかのセッションを見学してから、オールド・グランド・ホテルのパブで演奏している、ブラッキーたちのセッションに出かける。

バンジョーのカロル、ブズーキのショニー、フィドルのジョン・ケリーなどと、生きのいいセッションを楽しみ、1時半ころB&Bに戻る。

アイルランドのセッションとしては比較的早く帰れたほうだ。

 

8月4日 曇ったり降ったり。

B&Bで一緒に泊まっているドイツ人、フランス人、アメリカ人などと、ワインを飲みながら一日ゆっくりする。

たまにはこんな日もあっていいだろう。

 

8月5日 曇り時々晴れ。

夜7時からブラッキーのセッションを覗き、久々にブズーキのシリル・オドナヒューにも会い、渋いヴォーカルを聴かせて貰った。

9時からはまたブローガンズでジョセフィンのセッションがある。待っていると、パウロがやって来た。あっ、まずい!と思ったのだろうか。なんとなく存在を打ち消すように

していた。それでもちゃんとセッションには参加していた。

10年以上前にエニスで会った、“フー”こと赤峰君も来ていていろいろ昔話に花が咲いた。アンドリューもカウンターで飲んでいたが、いつの間にか出ていったらしい。パウロもいつの間にか、いなかった。

2012年アイルランドの旅 ~8月6日 タラ~

8月6日 曇り

エニスを出てアンドリューの家があるタラに向かう。ひたすら寒い。そして、何年も変わっていない景色が広がる。

まるで故郷に帰ってきたようだ。僕にとってのアイリッシュ・ミュージック発祥の土地である。

アンドリューが彼のセコンドカーであるメルセデスベンツを軽快に飛ばしながら言った。「今晩ポーラック(バンジョー)がミノーグスで集まろう、と言ってきている」彼の言葉はいつでもセンテンスが短い。余計なことは言わない。

僕も「オーケー」と答えた。

ミノーグスはあの伝統のバンド“タラ・ケイリ・バンド”発祥のパブだ。

8時過ぎ、出かけていたアンドリューから電話が入った。「ポーラックがミノーグスで待っている。おれも後から行く」

店に行くとポーラックがすぐに言った「なんか飲むか?」みんな先ずそう訊く。

僕はカールスバーグ、希花は最近のお気に入り、ホット・ウィスキーをもらった。そして彼が言った。

「もうすぐミーブ・ドナリーもやってくる」

クレアーのフィドラーでアメリカやヨーロッパでもかなり名の通った女性だ。僕も一度

だけアメリカで会ったことがある。

かくしてまたまたセッションの始まり。途中からアンドリューもやってきて1時半過ぎまで続いた。

次から次へと運ばれてくるギネスやホット・ウィスキー、それに大量のサンドウィッチまで。全部オーナーの計らいだ。

アンドリューが言っていた。「最近、ここ10年くらい、このタラですらもなかなかトラッドが聴けないようになって来た。寂しいもんだ」

僕らはこの地に、久々にトラッドの風を運んできたのかもしれない。

2012年アイルランドの旅 ~8月7日 タラ~

8月7日 曇り

今日は一大イベントが待っている。この地に最初に訪れた時から必ず通っているパブ“マッカーサー”通称“フランの店”に行くことだ。

来年になると生きているかわからない高齢のフランが、夜10時半頃開ける店だ。昨夜ミノーグスの帰りに外からフランがいるのは確認しておいた。

法律上12時過ぎに店に新たなお客さんを入れる事が禁じられているので、窓越しに「明日来るから」と言った。

温度差でくもったガラスをゴシゴシしながら合槌をうっていたフラン。ちゃんと覚えていたかな。

「昨日、きてくれたな」ちゃんと覚えてくれていた。まだしっかりしたもんだ。足を痛めて少し入院していたらしいが、相変わらずピシッと決めたスーツがかっこいい。

アイルランド最高のギネスを2杯オーダーした。ここまでギネスは極力控えてきていた。彼の注ぐギネスを今日まで待ちわびていたからだ。

カウンターでお金を払おうとすると「いいから一杯やってくれ」という。僕はとことん希花に自慢して「どうだ。これがギネスだ。他と違うだろう。この道60数年の匠の技が生きているんだ」と言うと、希花も「うん、確かに美味しい」と言って、「でも悪いから何か他のものもオーダーしよう」と言う。

それじゃぁ何か頼んでおいで、と促すと、カウンターの奥でフランがヌッと立ち上がった。

希花が言った「ワン・ホット・ウィスキー」フランがグラスをおもむろに“二つ”用意した。

そして出てきたものがウォッカとウィスキー。

確かに言葉は似ている。しかしフランのホット・ウィスキーは注文があるとおもむろに湯沸かし器に水を注ぎ、じっとお湯が沸くのを待ち、ウィスキーと混ぜて終わりなのでそんなに匠の技は生きていない。

なのでそれはそれでいいとして、希花のおかげでウォッカまで飲むことになってしまった。

来年また来るから元気でいてね、とフランに別れを告げて店を出ると、ほとんど電気の無い広大な土地に沢山の星が降りそそいでいた。

2012年アイルランドの旅 ~8月8,9日 フィークル~

8月8日 曇り。めずらしく暑い。

暑いとは言えども、たかが27~8℃。そんなことでへたっているアイルランド人に比べると、日本人は大したものだ。

一路フィークルへ。今日から5日間、ここでのフェスティバルに参加する。金曜日には、アンドリューとテリーとのギグ。土曜日にはジョセフィンとミックとのギグが控えている。

散歩していると、これから始まるこの村の一年に一度の大イベントのために来ている人達に出会った。

懐かしい人もいれば、初めて会う人もいる。

去年、同じB&Bに泊まっていたイギリス人の夫婦に会った。旦那さんがバンジョーを一日中練習しているのをにっこり見ていた奥さん。

二人ともちっとも変わらず、しばらく立ち話に興じた。最近はフィドルに凝っているそうで、一生懸命希花に質問を浴びせかけていた。奥さんはにこにこして彼を見ていた。

マーティン・ヘイズともしばらく立ち話をし、デニス・カヒルとも挨拶を交わし、道行く見ず知らずの人達ともすぐに友達になった。

とりあえず、今日は軽くセッションだ。ホステルのすぐ近くのパブのひとつ“ショッツ”で10時半頃から2時まで。(勿論、夜)

アメリカ人の若者が、「あっ、ジュンジ。ジョディース・へブンだ。俺の町に演奏に来た時に行ったよ」と陽気に話しかけてきた。驚いたものだ。

彼と、それからドイツ人のかなりの腕前のフルート吹き(クラウス)とのセッションは、パブのオーナーにも随分気に入られ、来年はここで君たちにセッションホストをやってもらう、とまで言ってくれた。

また楽しみが増えた。

ホステルに戻るとポーラックからメッセージが入った。たった今、着いた。ボーハンズ(4軒のパブのひとつ)でやってるから来い。

見ると8時頃入るはずだったメッセージが今ごろ届いている。ここでは電波もゆっくりだ。

僕の返事にしてもいつ届くか分からない。とりあえずメッセージを出して眠ることにした。

 

8月9日 曇り時々晴れ。今日も少し暑い。

結局ポーラックとも連絡が取れた。そして彼が言った。「今晩、アコーディオンのダニー・オマホニーと俺がやるんだけど、ギターを弾いてくれないか?」

勿論オーケーだ。

ペパーズで9時に始まったそのセッションは2時をまわってもますます白熱してくる一方。しかし、どこでも誰でもアイリッシュ・ミュージシャンはタフだ。

僕と希花と、前日に仲良くなったクラウスは3時を少しまわった頃失礼して10分程歩いたホステルに向かった。

あたりは見事に真っ暗だ。でもこんな時間に犬の散歩をしている人がいる。犬にもアイリッシュタイムがしみついているんだろうなぁ。

ホステルのすぐ近くのショッツを覗くと、本当はもう中には入れないはずなのに、店のオーナーである、ジェリーが気前よく中に入れてくれ、ビールをおごってくれた。

彼はいったいいつ眠っているんだろう。そして、後で聞いた話だが、ポーラックとダニーは朝8時頃まだ演奏していたらしい。

2012年アイルランドの旅  ~8月10日 フィークル~

8月10日 晴れ。珍しくまだ暑い日が続いている。

朝、クラウスが、他の奴のいびきがうるさくて、トイレットペーパーを耳に突っ込んで寝たらどうもそのはしっこが詰まってしまったらしい、といって困っていた。

希ちゃん先生の出番である。さすがにドイツ人相手に「バカじゃないの!」とはいわなかったが、覗いても見えなかったので綿棒を渡していた。

昼からのチューターズ・コンサート(ワークショップでのインストラクターによるコンサート)を聴いてから、ブローガンズに寄ると誰も演奏していなかったので、僕と希花の二人で始めてしまった。

そこへ、続々とインストラクター達が入ってきた。

フルートのレオン・アグニューとタラ・ダイアモンド、そしてフィドルのブレンダン・ラリシー。超一流どころが、じっと僕らの演奏に聴き入っている。

そして、是非一緒にやろうじゃないか、と僕らを取り囲んだ。彼らのプレイは本物だが、こちらも百戦錬磨だ。いけ!希花!チャンスだ、と攻め立てる。

彼らは一同にぼくらの演奏を気にいってくれたようだ。3時間ほどのセッションがあっと言う間に終わった。

でも、本当は彼らがホストのセッションがそこで行われる時間だったようなのだ。そんなことになっていようとは知らなかったが、彼らもなにも言わず、僕らの演奏に耳を傾けてくれたのだ。

夜は9時からアンドリューとペパーズでセッションだ。今朝テリーから電話で、どうしてもダブリンに行かなくてはならないから、希花と3人でセッション・ホストをやってくれ、という旨の連絡が入った。

アンドリューは生粋のタラ・ケイリ・バンドのメンバーだ。この音楽のリズムを体で覚えるのには最適の相手の一人だ。

耳からやっとトイレットペーパーが外れたクラウスも希ちゃん先生にお礼を言ってフルートを気持ちよさそうに吹いていた。

またまたアンドリューが大爆発。

ホステルに戻ったら3時を少しまわっていた。

2012年アイルランドの旅  ~8月11日 フィークル~

8月11日 曇り。いい風が吹いて涼しい。

ホステルのキッチンを使って豚の生姜焼きを作ってみた。醤油とはなんと偉大な調味料だろうか。

ごはんも炊いた。納豆でもあったらもっといい。

若い頃、初めてアメリカへ行った時には、2週間毎食ハンバーガーでもなんとも思わなかった。でも、40歳もこえた頃からやっぱりごはんが食べたくなった。

結婚式の仕事に出かけた時などは、どんなに手をかけたケータリングの食事よりもお茶づけが食べたかった。

そんな話をしながら食事を済ませ、9時からのジョセフィンとのセッションのために少し昼寝をすることにした。

これじゃあ太るだろうなぁ。

彼らとのセッションはいつでも楽しい。ジョセフィンはセンスがとてもいい。口でなかなか説明できないので、いつか日本に呼べたらな、と思っている。

終わってショッツで飲んでいると激しい雨が降ってきた。やっぱりアイルランドだ。でもあと少しでお別れかと思うと寂しい。

ジェリーがにこやかに言った。「忘れるなよ。来年は君達ふたりがここのセッションホストだ」

少し小降りになったので、ジェリーに別れを告げて店を出た。雲の切れ目から少しだけ星が顔をのぞかせていた。また3時過ぎていた。

2012年アイルランドの旅 ~8月12日 フィークル~

8月12日 曇り

とうとう、かなり疲れてきたみたいだ。昼過ぎまで寝てしまった。散歩しようと表に出ると、ジョン・キングとバッタリ。飲んではいるようだが、まだまだギネス50杯くらいだろう。会話も成立したし、しっかりしたもんだった。

空が暗くなってきた。ポツポツときた、と思ったら、次の瞬間バケツどころか海をひっくり返したくらいの雨になった。ほんの2~3秒だ。もし外で楽器でも弾いていたら片づける暇はなかっただろう。

ジョニー“リンゴ”から電話がかかった。フィークルに来ているんだけど、どこかで一緒にできないか、という。

雨も手伝って殆どのパブはもう人でいっぱいだし、セッションもホストが決まっていてなかなか場所がない。

ふとみると、モロニーズという、昨夜ジョセフィンと演奏したパブの裏庭なら屋根もあるし、今のところ空いているようだ。

すぐにリンゴに電話をすると、日本人の女の子を2人連れてきた。そのうちの一人は、ゴールウェイで出会ったリノさんだった。

彼女がおもむろに言った「すみません。神戸でバンジョーを弾いていた、三津谷って覚えてますか」

「あー、勿論。ロッコーマウンテン・ボーイズだったかな。当時評判のバンジョー弾きだったよ。すごく上手かった。どうして彼のことを知っているの?」

「あたし、三津谷の娘です」本当に驚いた。僕は多分、大学時代から知っていたはずだ。「たしか“三津谷組”っていうファミリー・バンドやってたよね」

「そうです、フィドルをやってました」

早速、希花と“ジェルサレム・リッジ”のデュエット。

三津谷君、またどこかで会えたら嬉しいな。

ホステルに戻ると、フィドラーのブレンダン・ラリシーから、また会いたいから連絡をくれ、とメッセージが入っていた。

明日エニスに戻るので、そこで会うことにしよう。

フィークル最後の晩、ショッツでゆっくりビールでも飲もうと出かけてみると、数人がセッションをしていた。

結局つかまってしまい、セッションに加わることになり、また3時過ぎに戻ることとなった。

 

2012年アイルランドの旅 ~8月13日 フィークル、エニス  最終回~

8月13日 (最終回)  晴れて涼しい。

いよいよフィークルともお別れだ。そして僕らの旅もここが終わればもう終わったようなものである。

ホステルを出て、エニス行きのバス乗り場まで行く途中、ジョディス・ヘブンを見た、というアメリカ人の若者“ブレイク”と出会った。いかにもカリフォルニアの若者で、とても陽気な男だった。

去年、会った犬もいた。

コーマックとポーラックが千鳥足で歩いてきた。「今からペパーズでやるぞ。来るか?」さんざんやってきただろうに、場所が変わればまた別物なんだろう。

「いや、僕らはエニスに行くから、また来年やろう。元気でな」別れはつらいものである。

 

ジェリーも通りかかった。

フェスティバル自体も今日で終わりだ。また明日からは、みんな普段の生活に戻り、村は静かになるだろう。

しばし感傷に浸る…。

エニスに着くとブレンダン・ラリシーが待っていた。彼は僕らとちょっとしたビジネスの話もしたくて、なんか高級そうなホテルのラウンジで食事をすることにした。

ランチでサーモンのディッシュがあったのでそれにしたが、タルタルソースの乗ったサーモンは美味しかった。が、しかし、サイドにはマッシュポテトとフレンチ・フライ、そしてパテになったじゃがいも。それもすべて山のように付いている。もう、いもはこりごりだ。

ブレンダンは素晴らしいフィドラーであると同時に、音楽プロデューサーとしても高名なひとだ。

僕らが常日頃言っている、「何をやっても自由だが、基本、トラッドを大切にしなくてはこの音楽を演奏する資格は無い」という姿勢を僕らの演奏から感じ取ってもらったことは本当に嬉しい。

彼とのビジネストークはここでは書かないが、これからもいろんな意味で彼と関われたらそれは素晴らしい事だ。

日本に帰ってからも連絡を取り合う約束をして、僕らはそのままダブリンに向かった。

ダブリンには帰りの飛行機の関係上寄るのだが、いくつかの都会らしい音楽に触れることはできるだろう。

しかし、僕らはやっぱりシンプルでも心温まる田園風景が、羊が牛が、そしてロバが見えてくるような、そんな音楽に恋をしてしまう。

そして、そういう人達が世界中からやってきて、言葉も生活環境も全く違うのに、共に音を紡ぎだしていく。出会いと別れの真ん中に音楽がある。

今回の旅で出会った全ての人に感謝すると同時に、みんなが幸せに暮らしていって、またどこかで会えたら、それがなにより嬉しい。