2015年 アイルランドの旅 1

6月23日、アブダビ空港。どこもかしこも全く見当のつかない文字が並んでいる。

素朴な疑問。この国で言う「達筆」と、そうでない人の違いはあるのだろうか?だとしたら是非それを見てみたいものだ。僕らでも見て分かるのだろうか。

希花さんも同じ事を考えていたと言うから、日本人の多くは考える事なんだろう。

外はかなり暑いようだが、その分空港内は結構寒い。見るからにインド系やアラブ系の人が多い。そして、その多くは頭からすっぽり毛布をかぶって休んでいる。

やっぱり寒さには弱いのかも。

長い待ち時間を経てダブリンに着いた。長い待ち時間とは言っても、見るもの聞くものが全て珍しく、あまり退屈しなかったことは幸いである。

ダブリンは例によって「晴れ」どうやら先ほどまで雨模様だったようだ。

ここで友人のジョンと会うことになっている。

彼はダブリン生まれのオーストラリア人で、アコーディオン奏者だ。本職はいろんな会社を立ち上げてきたバリバリのエリート・ビジネスマン。

彼のいとこでオールドタイムのバンジョー弾き、ビルと一緒にホース岬のシーフードレストランで食事。

バンジョー談義、そしてアイリッシュ・ミュージック談義に大いに花が咲き、初日が過ぎて行く。10時にもなるのに、日本の夕方くらい。

これじゃみんな今から飲みにいくなぁ。だが、彼らもある程度の歳だし、ほとんど普段から飲まない、というので疲れている我々としてはラッキーだった。

たいした時差ぼけも無く、ゴルウェイに向かう。

きっと11時くらいまで彼らと食事や話に夢中になったことが良かったんだろう。でなければ、着いたとたんにバタン。気がついたら夜。今度は寝ようと思っても眠れない。という悪循環になったのだろう。

そうそう。ダブリンを出るときには、空が厚い雲で覆われていたし、途中、かなり激しい雨がバスの窓を叩いていた。

しかし、ゴルウェイに着くと、これまた快晴。先ずは上々。気温は12〜3℃くらいだろうか。

とりあえず、ここでしばらくゆっくりする。

2015年 アイルランドの旅 2

昨日(26日)アイルランドの国営放送RTEラジオで僕らのCDが流れた。これは決してサプライズではなかったが。

去年、コークで演奏した時に出会ったケビンという人物がCDを欲しい、とメールしてきたのだ。

商売が成立した後、彼から長いメールをいただき、その中にラジオ局に持って行く、というくだりがあった。

そして、26日に1トラック流れる、と言ってきたのだ。その日ならゴルウェイにいる、と返事しておいた。

ところが、ゲール語の放送だ。かろうじて聞き取れるのは知っている人物の名前くらい。

ハリー・ブラッドリーの歯切れのいいフルート演奏が流れ、ジョン・マクシェリーのパイプがモダンなサウンドを作り出している。

そしていよいよ僕らの番だ。名前を言っているのはわかる。トラックは2番目の「Anna Foxe」

と同時にあちらこちらからメールや電話がきた。

「聴いてる?」コーマック・ベグリーが最初だったので「うん・聴いてる。でも何言ってるのかサッパリ分からない」とメールしたら「彼はすごく気に入って今週中にでも別なトラックをかける、と言っている」と翻訳してくれた。

そんなこんなで一日がまた過ぎてゆくが、やっぱり楽器がよく鳴る。建物の造りと空気の乾燥具合だ。

しかし、一日のうちに少なくとも1回は雨が降るのが日常茶飯事。不思議だ。

相変わらず寒い。

2015年 アイルランドの旅 3

今年も鳥達がやってくるかな、と思い、パンを裏庭にまいてみた。もうあれから1年。鳥は3歩歩いたら忘れる、という話もあるので、とりあえずまいておけばまた新しい奴がきて食べるだろう、と思っていた。

が、驚いた事に去年良く来ていた足の不自由な鳥が来て食べていた。それから間もなくしてロビンも来たが、こちらは同じ奴かどうか分からない。

明日、もしかしたらパディがゴルウェイにやってくる。

どうやらフランキーにも明日か明後日には会えそうだ。

ま、なんと言ってもアイリッシュ。仕事ならなんとか時間通り、とはいかなくても約束は約束だが、かるーく会おうか、ということは実現するかどうかわからない。

こっちも気長にいくのがいちばん。

鳥達でも眺めてのんびり行ってみよう。

2015年 アイルランドの旅 4

日曜日。いい天気だ。今日はパディ・キーナンが会いにくると言っていたが、遠路はるばるなのか、近場から来るのかよくわからないので、時間もわからない。

アンドリューもそうだが、彼らには予定などあってないようなものだ。いや、予定はあくまで「予」なのだから狂うこともあって当然なのかも。A型の僕にとっては時として非常に難解(ホークス)な感覚に陥る事がある。が、しかし、僕にもO型の血がはいっているらしく、甚だ気楽に考える時もある。

こんなことを書くと、決まって「血液型なんて気にするのは日本人だけですよ」と、上から目線で述べる人が出てくるが、そんなこと百も承知。環境や経験も加味される事など百も、いや、千も承知だ。

今日は腕立て伏せを百回やりました、などと言うと、必ず「いや、回数は問題ではない」と言う人が出てくるが、そういった場合は単なる目安と考えているだけで、決して百回やったから素晴らしいと思っているわけではない。

何の話からこうなったんだろう。そうか、一般的アイルランド人の事か。いや、彼らミュージシャンは一般的アイルランド人ともかけ離れているのだろう。

ところで、今日は足の不自由な鳥とロビンがなかよくパンを食べている。そこにロビンの子供らしいのも現れた。とびきり小さくてちょんちょん跳ねている。

この鳥たちにもアイルランド気質というものが備わっているのだろうか。この鳥たちもアイリッシュ・ミュージックを聴いて育っているのだろうか。

話は急に変わって、最近特に思うのだが、僕がタイトルやレパートリーにこだわるのは、この音楽に対する敬意なのだ。

かたくなにトラッドにこだわったり、新しいものを拒絶したりするわけではない。

クラシックの時期も含めて音楽との付き合いも60年を越えた。バッハに憧れ、ナルシソ・イエペスに聴き入り、ラジオで50年代のポップスに照準を合わせ、フォークソングと出会い、ブルーグラスに真剣に取り組み、そのかたわらビリー・ホリデイに耳を傾け、ブルースにのめり込み、いいな、と思うものには見境も無く傾倒してきた。

そんな中で自分が生きてゆく道として何故か深く関わりを持ったのがアイリッシュ・ミュージックだ。

僕らのこの音楽に関しての知識なんて微々たるものだ。こうでなければいけない、などと思ったところで屁のつっぱりにもならない。

が、やはり大切に思い、敬意を忘れてはいけないことは確かだ。少なくとも僕にとっては。

それを単なるこだわり、とみるかどうかは個人の自由だが。

 

2015年 アイルランドの旅 5

パディが、そこの角にいる、とメールしてきた。結局ダブリンからすっ飛ばして来たようだ。

今後の事等を話しながらコーヒーを飲み、食事をしてから少しセッションでものぞいてみるか、ということになりパブに出かける。

ジョニー・リンゴやブライアン・マグラー、ミック・ニーリーのご機嫌なセッションに僕らは加わり、パディは飲み始めた。

飲み出したら止まらない。もうパイプは置きっぱなしであっちへフラフラこっちへフラフラ。

フィドラーのトミー・マッカーシーがパディと会うためにやってきた。そして新たに飲み始める。

どうやら今日は彼の家に泊まるらしいが、荷物は僕の部屋に置いてある。必要な物は歯ブラシくらいだけど、明日取りにいくよ、と言っていたが、朝起きて「僕の荷物がない???」なんて言いそう。パソコンも入っているのに。

これが、昨日(6月28日)一日のできごと。

相変わらず嵐のような男だ。何時頃荷物を取りにくるだろうか。ここにあるよ、と電話してあげた方がいいだろうか。

まだ朝早いしもう少し寝かせておこう。

2015年 アイルランドの旅 6

月曜のお昼過ぎ、パディが無事荷物を引き上げて、ダブリンに戻って行った。木曜日にはまたこちらに出てくるので、どこかで飲もうぜ、とこわいことを言ってご機嫌さんですっ飛ばして消えて行ったが、また嵐のような数日間になるのだろう。

さて、今日で6月も最後。去年もここで「一年の半分が過ぎてゆく」と書いたはずだ。

今年は7月に入ると、やっぱり教会での演奏が増えてくる。コーマックからの要請でラインアップされていない日もいくつか空けておいてくれ、ということだ。

そういえばショーン・ギャビンからも連絡があった。またいっぱい飲まされるのだろうか。

それでも上質なセッションには是非参加したいものだ。

ところでもうひとつ“そういえば”。

昨夜バッタリ出会った奴がいる。15年にもなるだろうか。デイナの友達で僕も良く知っていたコルムというシンガーだ。

元々サン・フランシスコにいたが、今はニューヨークに住んでいてバケーションでゴルウェイに立ち寄って、偶然僕を見つけたようだ。

「確かデイナもこの辺に来ているよ。ミルタウン・マルベイに行くっていっていたから」と教えてくれた。

もし会えたらおもしろい。ここに来て、道でバッタリ、セッションでバッタリという再会がいっぱいある。

お互い連絡を取り合って、というのとはまた違った趣がある。

2015年 アイルランドの旅 7

今日から7月。日本で大変な事件が起きたことを昨日知った。新幹線でのことだ。5分おきくらいにやってくる新幹線はとても気軽で(ちょっと高いとは思っているが)安全なのに、これからが心配だ。

こんな事がおきると、自分の身の安全をいくら考慮してもどうしようもない、ということを再認識せざるを得ない。

こちらではフランスに熱波、というニュースがあった。そしてそれがアイルランドにもやってくる、ということでみんなびびっているが、その気温の予想がたかだか25℃くらい、と言っているので驚きだ。

そんなことではとても日本では暮らせない。

日本ではもう夏休みに入っているんだっけ。あれ、学生の頃の夏休みっていつからだっけ。

高校時代だってもう50年も前の事。忘れてしまっている。

50年って結構な時の流れだ。

そのむかし、まだ20歳そこそこだった進藤さとひこ君が僕と省悟を前にして「ねぇ、聞いてくださいよ。このあいだ30過ぎのおっさんが…あ、いや、おにいさまが…」と言っていたが、そんな彼も、もう50うん歳。

僕にしても60歳越えた自分なんて想像できなかったものだ。

今年もあと半年。どんなことが待っているだろうか。

そういえば、アイルランド人には来年の話をしても無駄らしい。日本でも来年の話をすると鬼が笑う、というが、この仕事では来年のこともある程度決めておかなくてはならない。

こちらでは“一応頭には入れておくけど詳しい事はもう少し近づいてから。でないと忘れるから”というような感じだろう。

大体“メモする”ということが苦手な人達らしい。

そんなアイルランド人を相手にしているのでやっかいなことも多いが、なかなかに面白い。

今、希花さんに「高校生のころはいつから夏休みだった?」と聞いたら「忘れた」という返事が返ってきた。

こちらもだいぶアイルランド化してきたようだ。

2015年 アイルランドの旅 8

7月に入って少し暖かくなってきたようだ。それにしても一日のうちにあまりに天気が変わりすぎる。

一番困るのは洗濯物だ。乾燥機のないところでは外に干す事になるが、こちらでよく見かける光景は、雨の中で洗濯物がはためいている、というもの。

どうせすぐに止むし、入れてまた出して、は面倒だと考えるのだろうか。

アンドリューの裏庭でもよく、天気雨のなかで洗濯物がはためいていた。それでもあわてないのはひとえに国民性なのだろうか。

彼らがスーパーマーケットで走ったりする姿は見た事が無い。レジでのろのろしている人に文句も言わず、じっと待っている。

よく観察していると、大量の買い物をまず何分もかけて自分の袋に詰めてから、おもむろに値段をみて、それから財布を探し、やっと出て来た財布の中の小銭から勘定し、やっとのことで支払いを済ませる。

レジの人も決して急いでくれという表情をみせない。そんなことをしてもらっても自分の給料は変わらないから、だろうか。

いったいなにを考えているんだろう。おそらくなにも考えていないんだろう。それでも待っている人は嫌な顔もせず(なかにはいいかげんにしろ、という顔をしている人もいるが)ほとんどの人は気長に待つ。

日本にもたまにそんな人もいるが、アメリカでもアイルランドでも圧倒的に多いようだ。

自分があんまり急ぎ過ぎなんだろうな、と反省もするが、同じようにはできない。

洗濯物も入れたり出したり、どうすれば事は早く済むか、などいつも考えてしまっている。

思えば、そのほうが人生は短いのかも知れない。常に自分の中では30分先、1時間先が気になっているのだ。

その予定が狂うと、ことによってはパニックになったりするが、結局たいした違いは無いのかも知れない。

もう少し落ち着いた方が長い人生が送れることは確かだ。気分的に。

今日は晴れ。でもこんな日に限って後からまた雨が降る。洗濯物、どうしようかな…。

2015年 アイルランドの旅 9

コーマックから電話が入った。

急で悪いけど、教会で少しだけ演奏してくれ、と言う。(って言うじゃな〜い、って言う奴いたなぁ。)

こちらも特に用事はなく、ちょうどいいので即OKの返事をした。

なんでも今日演奏するロレイン・オブライエンがコンサーティナだし、自分もコンサーティナだから、少し違うスパイスが欲しいという事だ。

彼女はクレア・スタイルのとてもいい奏者だ。

今はドニゴールにいる、って言ってたかな。キュートなカーリーの金髪、それにかわいい声で喋る人懐っこい子だ。

まずコーマックがいつものように、アイリッシュ・トラッドについて、また、コンサーティナについての解説と演奏を20分ほど。

それから僕らが15分ほどやって、エマのダンスの伴奏をして1部終了。

2部では落ち着いたスタイルの、いかにもクレアーという響きのコンサーティナ・プレイがふんだんに楽しめた。

終わって後片付けをして外に出たら、3人の男女が歩いて来てそのうちの男一人が「ジュンジ!」と叫んだ。

誰だったかな。見た事があるような気がする。

相手も「俺、誰だか分かる?前はヒゲがなかったんだ」と言うので、彼の顔をじっと見た。

「あっ。コーマック。コーマック・ギャノン」「そうだよ。久しぶり。よくわかったなぁ」

彼はサン・フランシスコの“ギャスメン”という6〜7人編成のバンドでバウロンを叩いていた人だ。

屋根の修理を本職にしている人で、時々一緒に演奏もしたことがあるし、よく話もしたものだ。

実家がこちらにあるので夏には必ず帰ってきている、という。今まで会わなかったのが不思議だが、ここでバッタリ出会ったことも不思議だ。

それに、教会の後片付けもいつもより時間がかかり、済んでからも少しのあいだ立ち話をしていたので、そのタイミングで外に出た、というのも微妙なことだ。

彼らもパブで飲んでいて、出て来たら僕らを見つけた、という。

やっぱりここに来ると多くの再会がある。

ゴルウェイの様々な状況に感謝だ。

2015年 アイルランドの旅 10

今日は珍しいものを見た。

ことの発端は、買い物の帰り、死んだカモメの子供らしきものを見つけたことだ。

かわいそうに。車にはねられたのかな、と思ったが、そんなに激しい損傷もなく、また、歩道の上だったのでどうしたのかな、と気になっていた。

そこから数メートル歩いて来たら今度は全く同じくらいの、やっぱりカモメの子供らしき鳥が、ある家のドアにさしかかる階段のところで右往左往している。

見たところ飛べそうにない。怪我をしているのではなく、まだ飛べそうではないのだ。

このままでは他の動物に襲われるかも…もしかしたらさっきのもそれが原因だったのかもしれない。

もう少し歩けば仲間が一杯いる川縁に着くのだが、子供のカモメには遠すぎるし、車もかなり走っているので危険だ。

僕らは「さて、どうしたもんだろう」と、ちょっかいを出しながら通りに出てこないようになんとか道をふさいでみた。

しかしこのままではラチがあかない。

10分ほど困っていたところに、スペイン語を話す3人の女性が(一人は子供)歩いて来てすぐ状況を察知すると、どこかに電話をかけた。

なんでも友人が動物のレスキューに関する仕事をしている、と言う。だが、電話が通じないといい、そのうちの2人がちょっと行ってくる、と川縁の方まで歩いて行った。

残った一人が「今、レスキューを連れてくるから。親はいないのかしら」と言いながらあたりを見回して「心配しなくても必ず助かるから」とにこやかに話す。

それから10分ほどしてさっきの2人がもうひとりの女性を連れて帰って来た。どうやらその人が彼らの友人のレスキュー隊員らしい。

そして、ものの見事に持って来たコートのようなもので、サット包んでニコニコしながら「これで大丈夫。みんなありがとう」と言いながら去って行った。

クリント・イーストウッドか、古くはアラン・ラッドの後ろ姿を見る思いだった。

何はともあれ、素晴らしい仕事だな、と感激した一日だった。

2015年 アイルランドの旅 11

7月6日、今晩のメインイベントは教会でのコンサートだ。これも2012年から僕らは出演しているが、トータルで6年目ということなので、ほぼ準レギュラーとも言えるだろうか。

僕らもここで数多くのトラッド・ミュージシャンを聴いて来た。一緒に演奏もしてきた。

それはパブでのセッションとは全く違うかたちだ。

今日は1部を若手の3人。パイプとアコーディオンとハープだ。さすがに、ここに出演する人達は本物のトラッド・ミュージシャン。

楽曲の説明に関しても、演奏に関しても筋が通っている。

こんな若者達が国中あちらこちらにいて、みんなが古い録音に耳を傾け、歴史をきちんと学び、真面目に取り組んでいるのだ。

そんな音楽を勘違いイベントにしてはいけない、と心から思う。それは決して安物のこだわりではない。

こういうところで彼らのようなミュージシャンの演奏に触れ、なおかつ世界中のいたるところから来ている人達にこの音楽を紹介するには、それ相当の覚悟が必要になってくる。

僕らが演奏した曲目は、Fear A’ Bhata / Two Days To Go / Once In A Blue Moose これらは1曲目がスコットランドの古い美しい歌。作者は…これがなかなか読めないのだが、Sine NicFhionnlaigh(Jean Finlayson)19世紀の終わり頃のもの。訳すとボート・マン。何故僕が英語に訳しているんだろう、言って笑いを誘う。そのまま続けたのはDiarmaid Moynihanの曲からNiall Vallelyの曲だと説明を加える。

そして、Kitty O’Neill’s Champion Jig これは別名Kitty O’Sheaと言って…これから先は僕がアイリッシュ・ミュージックその91で書いた説明をする。

その後は日本の古い歌と言って「外山節」でクロス・カルチャーを楽しんでもらう。

アメリカから来ている人も数多くいて(昨夜は20人ほどもいただろうか)次はDry And Dusty / Indian Ate The Woodchuckでオールド・タイミー、Foggy Mt. Breakdownでブルーグラス。

コンサーティナでAnna Foxe医学部の学生時代に手に入れて忙しすぎて全然練習する暇がなく、またいつものホスト、コーマック・ベグリーがいたらなかなか弾こうとは思わないけど、今日はいないから弾いちゃいます、と言ってまた笑いを取る。

最後はThrough The Wood /Mamma’s Petで静かに終わる。そしておなじみ、Emma Sullivanによるダンスの伴奏でTrip to Durrowを。

彼女も言っていた。ダンサーズはしっかりと曲を覚えないといけない、と。やっぱり軽い気持ちでは取り組めない音楽だ。

このTune In The Churchに出演するためにはこれからも研究を怠ってはいけないようだ。

2015年 アイルランドの旅 12

Tune In The Church出演の合間をぬって、Miltown Malbayに出かけた。

Willie Clancy追憶のための、アイルランドでは最も大きなフェスティバルのひとつ、と言って良いだろう。

世界中から、この小さな村目がけて多くの人が訪れるので、数多くあるパブは全てが身動きの取れない状況となる。

僕らの目的は、数人の知り合いと会う事。特に先日、日本で一緒だったイデルには、自分の生まれた所だし、クラスで教えているから是非来てちょうだい、と言われていた。

もちろん、僕らも初めて訪れるわけではない。過去にジョン・ヒックスと再会したのもここだ。

とにかく、パブには入る事が不可能なくらいの人が集まっているし、しばし、200メートルほどしかないこの村の道路を行ったり来たり。

ロン・カヴァーナと、それに驚いたことにサン・フランシスコでよく一緒にやったケイティという女の子が声をかけて来た。

彼女、あの時は23歳だったと言っていた。あれからもう15年経つらしい。

キルフェノラの彼女の実家にアンドリューと泊まって、ダブルベッドで夜中までキャッキャッ言って騒いでいたら、彼女のお母さんが「あんたたち、まるで兄弟みたいね」なんて言っていた。

僕らはしばし、比較的広くて空いているレストランに入って(基本的にレストランではセッションは行われていないので)時を過ごす。

イデルも忙しい中、顔を出してくれるが、すぐまた行かなくてはならないから後で連絡してね、と、相変わらずニコニコしていた。

そのうち、もうひとり連絡を取り合っていたジョセフィン・マーシュが駆けつけてくれた。

さぁ、やりましょう、と早速アコーディオンを出す。

お店の人も大歓迎だ。

近くにいた小さな男の子(10歳くらい)もアコーディオンで加わるが、真面目な顔をして、限りなく本物のトラッドを演奏する。彼の演奏と表情からも、この音楽に対する敬意が感じられる。やがて彼の妹もコンサーティナで参加。素晴らしいセッションとなる。

ジョセフィンと1時間ほど一緒に演奏をして別れた後、イデルから、彼女が全ての仕事を終えて、家族で食事をしているから、そこに来てちょうだい、と連絡が入った。

そして、レストランのオーナーがここでやってもいいって言っているから一緒にやりましょう、と促され中に入る。

これがベストだ。地元の名のあるミュージシャンと共に静かなところで、ちゃんとした音楽ができる。

ともすれば騒がしいパブでは聴き取れない音がきちんと聴こえる。

彼女も30分くらい、と言いながら止まらない。

日本に来た時仲良くなった“たけちゃん”の写真を、家族や友人達に「この人最高に面白かったわよ。すごくいい人」と言いながら見せて回っていた。

どこまでも明るくていい子だ。

結局1時間ほど一緒に演奏して別れた。

今回のMiltown Malbayの目的は、ジョセフィンと会う事と、イデルと会う事だったのだが、その両方とも果たされたわけだ。

僕らを、中継地EnnisからMiltown Malbayに連れて行ってくれたアイルランド在住の赤嶺“フー”さんに感謝。

2015年 アイルランドの旅 13

こちらでは特に変わった事はないが、日本では東京が38℃になる、と聞いた。先日、北海道ですら35℃になったというし、大分で震度5、なんていうニュースをみるたびに日本は大丈夫かな、なんて心配になってしまう。

アイルランドは相変わらず肌寒い。

去年、この時期にやはりゴルウェイにいたのだが、今年は去年より寒いような気がする。歳のせい?いやいや、若い人もそう言っているのでやはり本当なんだろう。

今日のようなどんよりとした肌寒い日はなぜか“追憶の日”という感がある。以前も確かダブリンかどこかで同じような日に“思えば…”に始まって、自分が関わってきた音楽の思い出を書いた事がある。

そう言えば、北海道にはよく出かけたが、同じような気持ちになったことがあった。

秋の夕暮れの函館あたりで電車を降りると、とたんにセンチメンタルになってくるから不思議だが、ここはやはり北海道に似ているような気がする。

函館は僕の一番好きな街だったが、転勤族の子供だった希花さんが、自分の故郷と呼べるのは函館かもしれない、と言うのには不思議な共通点を感じる。

特にこのゴルウェイという街は、坂はないけど函館に近い、という気がしてならない。

そう言えば、中標津というところはよく覚えているが、今思えばカウンティ クレアみたいだった…かもしれない。

そう言えば続きで申し訳ないが、先日またラジオから僕らの演奏が流れて来た。前回のお約束通りThe Ramblerからもう1曲。

今度はClinch Mt. Back Stepだった。きっと変わっていて面白かったんだろう。

というところで空を見上げると、うん、晴れて来た。

今日はいい天気になるかもしれない。

今日からアート・フェスティバルが始まるらしい。街が騒がしくなる。

急にアンドリューから電話。フィークルでまた一緒にやろう、と言って来た。こちらの人間は日にちを言わず、曜日で言ってくる。

もちろん彼の言うのはフィークル・フェスの間の事だから、間違いはないのだが、一応日にちで確認をする。

突然といえば、アイルランドでは(特に西)突然天気が変わったりするので、1週間先のバーベキューの予定などたてられなく、やるなら今でしょ!ということになるらしい。あくまでたとえ話としてだが。

なので、あれよあれよ、という間に物事が進むことがよくある、という。

本当に最後の最後までつかみどころのない変わった民族だ。案外向こうもそう思っていたりして。

とはいえ、10カ国以上の人達と仕事をしてきた僕にとっては大した問題ではないが。

弟分のアンドリューとの演奏、楽しみだ。

2015年 アイルランドの旅 14

今日は7月15日。ゴルウェイは快晴だ。

日本には台風が来ているらしく、祇園祭も大変だろうな。そして、それにつれて自然と宵々山コンサートの事などを思い出している。

せみがうるさかったなぁ、暑かったなぁ…みんな若かったなぁ…。会場の周りに何日もかけて並んで、みんな友達になる。まさに青春だったんだろうな。

そのころからずっと応援してくれている、もう家族みたいな京都の人達。遠いところから今でも駆けつけてくれる人達。

みんな青春時代を僕らとともに過ごしてくれて、今も変わらず青春を楽しんでいる。素敵な人達に感謝。

あれ?晴れていてもセンチメンタルになるのは歳のせい?かな。

さて、快晴のゴルウェイでは、今日また、教会で少しだけコーマックと演奏をすることになっている。

それというのも、僕らがお世話になっている詩人の佐々木幹郎氏が、イギリスでの仕事の帰り、何年かぶりにゴルウェイを訪れているので、コーマックが教会に来てもらって、ここ、ゴルウェイで一緒に演奏しているところを見てもらおう、と言ってくれたのだ。

いつものようにコーマックのソロ演奏から入り、僕らがステージに上がって3曲ほど一緒に演奏。そして、エマ・サリバンのダンスと共にファースト・ハーフを終えた。

気がついたら今年はまだコーマックと演奏していなかった。

やっぱり素晴らしいコンサーティナ奏者だ。

セコンド・ハーフはBryan O’Leary & Colm Guilfoyle というSliabh Luachra出身の若い二人。アコーディオンとフルートの演奏だ。

いかにも出身地らしいポルカとスライドのセットが続く。

トラッドを継承する二人の真面目な若者。こういう若者を多く見て来た僕にとって、あぁ、ここにも素晴らしい演奏家がいるな、と思わざるを得なかった。

日本の、特にアイリッシュ音楽を語る人達は彼らのような、一見地味かも知れないけど、本当の本物に多く触れた方がよい。

やはりTune in the Churchに身を置く事はトラッド演奏家としてこの上ない幸せな事なのかも知れない。

21歳と27歳のこのコンビとは、またいつかどこかで会うだろうが、彼らからも先人たちの演奏について様々な見解が聞けそうだ。

2015年 アイルランドの旅 15

今日、またしても迷子のカモメの子供を発見。

そこで、先日見たレスキューのまねをしてみたが、これがなかなか難しい。傍目に見れば、いじめているように見えるかも知れない。

というのも何度も何度も持っていたジャケットをかぶせようとして失敗するからだ。

その度に必死に逃げようとする。こちらの気も知らないで。

だが、やっとの思いで捕まえた。

そして、抱きかかえたがこれがなかなか怖い。噛まれたらロバより痛いかもしれない。

ちょうど一緒にいた和カフェのオーナー、早川さんが顔を覆えば暗くなるから騒がなくなる、と(彼女、烏骨鶏を中国から連れて帰って来た事がある)教えてくれて、確かに少し静かになった。

それでも僕のジャケットの中で“もそもそ”している。道行く人達が不思議そうな顔をして見ている。

なんとかここなら、という川沿いのところで放してみたが、希花さんがもっと仲間が沢山いる所のほうが良い、というので、また捕り物帳の始まり。

でも今度は少し慣れたせいか、ほどなく僕のジャケットの中に収まった。

かくして、仲間の多くいる場所へと移動。

とりあえず“鳥”は長い“捕”物帳の末、そんなに“取り”乱す事もなくセーフであった。

2015年 アイルランドの旅 16

一日中雨が降り続きそうな予感。今日はフィドラーのBrid Harperがゴルウェイにやってくる。

ドニゴール出身のベテランフィドラーだ。

日本から来てアイリッシュ・ミュージックに関わろうとしているのだったら、日々のセッションもいいけど、こういう人達の演奏に耳を傾けることも大切だ。

相方のギタリストも結構イケイケだったが、変なコードは使わず、実につぼを得ていた。ティン・ホイッスルもなかなかの腕前、そのうえ饒舌で(ちょっとうるさかったかな)、でもBridが淡々と曲の説明をするので、コンサート全体を通していい感じだった。

親子連れで来ていた子供達も真剣な面持ちで聴いていたが、ここで、実に何年ぶりになるだろうか、Breda Smythに再会した。

僕が宵々山コンサートに彼女を呼んだのは2000年?それから1回アイルランドで会ったかな。

いつだったかSean SmythからBredaに子供が産まれたという話を聞いたが、その息子もすっかり大きくなって、やっぱりティン・ホイッスルとフィドルを演奏するそうだ。

希花さんは、医者でもある彼女からアイルランドの病院事情について、次回ゆっくり話を聞く事にしたみたいだ。

今日の収穫はBrid Harperの素晴らしいフィドリングを聴けた事と、Bredaに再会できた事だ。

 

2015年 アイルランドの旅 17

セント・ニコラス教会でのコンサート出演もすっかりレギュラーになってしまった。

ホスト役のコーマック・ベグリー欠席時の代理として、必ず僕らがファースト・ハーフを担当することになったからだ。

今夜のセコンド・ハーフはアコーディオンがColm Gannonその奥さんで、コンサーティナ奏者のKelly Gannon

淡々とトラッドを演奏する姿は、ショーとして見るのではなく、本当にアイリッシュ・ミュージックを愛していて、本気で聴く人にとっては素晴らしいものだ。

この教会で、静かにトラッドを聴け、本物のオールド・スタイルのダンスが見れるというのは価値のあることだ。

そして、月曜日に続く、水曜日のセコンド・ハーフはパイパーのMick O’Brienと彼の娘さんであるフィドラー。名前が聴き取れなかったが、オール・アイルランドを獲得した人だ。

Mickはさすがベテラン。最後はエマのダンスと共に有名なマイケル・コールマンのTarbolton setで。

小さなステージ上、4人で立って演奏。あまりにステージが狭いのでミックの前に僕が立ち、娘さんの前に希花が立つ。彼女も180センチくらいありそうなので、もし希花が後ろに立ったらすっぽり覆われてしまう。

「あんたが前に行きなさい。それでないと全然見えないから」と言われていた。演奏が終わると4人並んで深々とお辞儀。もっとお辞儀しよう、とミックが促す。

心地よいパイプの響きが忘れられない日となった

2015年 アイルランドの旅 18

今日、またしても迷子のかもめの子供を見つけた。一体川っぷちからどうやってここまで来るのだろう。

距離にして300メートルくらい。交通量もかなり多い。まだ飛べないので、歩いて来ているのだろう。

よく車に轢かれないものだ。こいつはジョナサンだろうか。

とにかく、また助けなくてはならない。

着ていたジャケットを脱いでサッとかぶせた。もう慣れたもんだ。一発で決めてやった。

くるっと包んだつもりだったが、顔が出るとやっぱり暴れる。

ちょっと噛まれた。というよりつつかれた。ロバに続きカモメにも。

だが、なんとか希花さんに顔を覆うように頼んで、川っぷちまで運んだ。

かもめはそのままチョイチョイと歩き始めた。

一体何度こんなことをするんだろう。もうすでに3匹、いや3羽目だ。それにしても、いちばん最初に見た死んだ子はかわいそうだった。

仕方が無いのでこれからも見つけたら助けてあげよう。もう段々“こつ”もつかめて来たから。

2015年 アイルランドの旅 19

久しぶりにショーン・ギャビンとセッションをした。だが、彼の持ってきたアコーディオンはE♭。ギターはチューニングを上げるか、あるいはカポ位置をずらすとかで対処は簡単だ。その場合、ちょっと視覚的には混乱することもあるが。

しかし、フィドルの場合は半音上げてチューニングをしなければならない。こんな場合はほぼ100パーセント、いや100パーセントのフィドラーはそうするはずだ。

だが、希花さんが厄介に思うのは曲が半音上がったことで、通常のキーで演奏されているものと同じ曲に聴こえなくなる事なのだ。

それならばと、通常のチューニングで半音高いポジションで弾いてしまおう、と考える。

普通は無理だ。1曲2曲だったらいけるかもしれないが、10曲20曲どころではない。次から次へと繰り出される曲を見事に半音上がったポジションで弾きこなしていく。

これにはさすがのショーン・ギャビンも舌をまく。さすがにフォギー・マウンテンをG♯で弾けるだけのことはある。

フィドル界広しといえどもあまりいないだろう。

おかげでセッションも無事終えた。

そしてその日、1年ぶりの友人に出会った。去年知り合ったアンガスという男と、名前を聞き忘れたのだがその兄弟、もの静かな音楽通だ。

彼が音楽通ということは会話からも分かるように、クラシックからジャズ、ワールドミュージックに至るまで、幅広く聴いて、その分析たるやその辺の音楽評論家もかなわないくらいの鋭い感性を持っている。

実際、セッションを見ながら飲んでいる人達の中で唯一、彼だけが運指を変えている希花さんのプレイに気がついていたのだ。

音楽だけではなく、広い分野で様々な知識を持った男だ。

そんな彼と、兄弟のアンガスが明日、山に上りに行くけど一緒に行こう、と誘ってくれた。

Croagh Patrick(クロッグ或はクロー パトリック)という聖なる山で頂上に教会があり、360度のパノラマで全てが見えるんだ、と、ギネス片手に熱く語る。

あまりに熱心に誘ってくれるので、一応オーケーしたが、そのための靴も服も持っていない。さて、どうしたもんだろうか。

2015年 アイルランドの旅 20

さて、次の日。
昨日は清々しい青空で、やっと好天に恵まれたと感激したものの、今日は一変して小雨がぱらつき、空はどんよりした雲に覆われている。

これじゃ山は無理だろうと思いきや、朝、早速メールが来た。

「俺たち今から支度するから20分くらいで迎えに行く」登る気満々だ。

実際、彼ら曰く、300メートルくらいの山で、老若男女がこぞって登るらしい。

信仰深い人達は裸足で登る、とも言っていた。

彼らはしっかりしたブーツを履き、ダウンジャケットに身を包んで登場。一応僕らのために同じようなジャケットは用意して来てくれたが、今日は天候もそんなに良くないし、山だけ見て君たちはウェストポートにでも行っていたら後でピックアップしてあげるよ、と言う。

実際、ウェストポートを抜けて更に15分ほど走ると山の麓に到着する。ゴルウェイから2時間ほどドライブして、ウェストポートに到着。更に15分ほど走ってまたウェストポートに戻り、僕らを落としてくれて、山に戻るという。

彼らにとっては大した距離ではないのだろう。

山は確かに荘厳な雰囲気を漂わせ、子供から老人まで多くの人達が登って行くのが見えた。

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Croagh Patrick

 

雨も上がってきたようだが、霧がたちこめている。

ウェストポートで僕らを落とした後、そんな山を目がけて兄弟仲良く意気揚々と出かけて行った。

一方、僕らはしばしこの可愛らしい小さな町を散策する事にした。

ここには、有名なMatt Molloyのパブがある。言わずと知れたチーフタンズのマット・モロイの店だ。

そこだけでなく、パブは数限りなくこの小さな町に存在するが、そのどこでもLive Trad Musicという看板を掲げている。

お腹も空いてきたので、食事をすることにしたがちょうどお昼時を少し過ぎたくらい。

どこも家族連れや旅行者で盛り上がっているように見える。おしゃれな店も随分多い。

沢山見て回ったが、Mill Times Hotelというところが目についた。どうやらベストフードのアワードを何度か取っているらしい。

おそるおそるメニューをチェックするものの、そんなにべらぼうな値段ではないようだ。

アイルランド人の言う“ベストフード”というのも怪しいものだが、とりあえずお腹も空いているし、あまり高くないので入る事にした。

僕がシーフード・チャウダー、希花さんがチキンのホワイトミートをベーコンで巻いたものにグレイビーソースがかかっているものをオーダーした。

やがて隣の老夫婦に運ばれて来たディッシュを見て「おっ。あれはなんだろう」と思ったが訊いてみるわけにもいかない。僕一人だったら訊いたかもしれないが、見た感じ奇麗に盛りつけられてあり、とても豪華だ。

しばらく待っているとチャウダーが登場。これが実に美味しそうで量も決して少なくない。パンも美味しそうだ。

ほとんど同時にチキンもやってきた。隣の老夫婦と同じディッシュだ。

こちら、もう中川イサト師匠化して、ついつい写真を撮りまくってしまった。

そして、その味はさすがにベストフードと言われるだけのことはあった。珍しくアイルランドの外食で満足のいくものに巡り会え、大感激。

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デザートまで頼んでしまった。

後はまた町を散策して待ち合わせのパブに入り、ギネスを飲んで彼らを待つ事1時間程。あまり食事が美味しかったこともあり、3時間近く食事と周りの料理の見物で1カ所に留まってしまったのだが、退屈もしなかった。

彼らは6時頃戻って来た。山に登り始めたのが2時頃なので、大体彼らが言っていた時間通りだった。

アイルランド人としては珍しく時間に正確な人達だ。

山は霧がたちこめて寒かったらしいが、二人とも大して疲れた様子もなく、非常に清々しい顔で「今回は天気もあまりよくなかったし、それに今度はちゃんと着るものを用意して一緒に登ろう」と言ってくれる。

是非そうしたいものだ。彼らに感謝。

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2015年 アイルランドの旅 21

ついに4羽目のカモメを助けた。車に轢かれている同じくらいの年齢(?)のカモメを見たそのすぐ後だったこともあり、手早くサッと包んでまた同じ所に放しに行った。

昨日の事。しょっちゅう雨が降っては晴れる。風が吹いては雨が降り、そしてまた晴れるといった一日。

久しぶりに、ゴルウェイの名物アコーディオン奏者、アンダースと日本人の奥さん“まよさん”のセッションに顔を出してみた。

最近女の子が誕生したらしく、いつもにこやかなアンダースがさらにデレデレになっているようだ。いい男だ。

まよさんも赤ちゃんのこと、気がかりだろうが力強いプレイを展開する。彼らはゴルウェイを代表する夫婦演奏家だ。

パブを出る頃には美しい空がひろがっていた。8時、陽はまだ高い。

彼らはベビーシッターに預けた赤ちゃんのことが気になるらしく、急いで引き上げて行く。

アンダースの何とも言えず嬉しそうな後ろ姿。母親らしく落ち着いた振る舞いのまよさん。何とも言えず好印象の夫婦だ。

 

さて、一日経って、今日はいい天気だった。そろそろ7月も終わるが、今年のアイルランドには夏が来ないのかもしれない。

日本はかなり暑そうだが、ここは17℃くらいだろうか。午後になればもう少し気温が上がるだろうけど。

2015年 アイルランドの旅 22

夕食後、あまりにいい天気になったので、近所の散策を楽しんだ。

老若男女、子供達、みんな太陽の光を楽しんでいる。もう夜8時になるが気持ちのいい夕方だ。

それでも日陰は風がかなり冷たい。

セント・ニコラス教会の横を通り過ぎたら、見た事のある人が電話をしている。

フランキーだ。

3ピースのスーツに身を包み、あっちへウロウロ、こっちへウロウロしながら話している。

電話が終わるのを待ち、声をかけてしばらく立ち話をしているとショーン(兄)が現れた。

実は10時からのセッションに誘われていたがちょっと遅いし、ギネスも半端じゃなく飲まされるし、と思い、今日は辞退しようと考えていたのだ。

そこに会ってしまい、再び一生懸命誘ってくれるので結局行く事になった。

さて、このセッションだが、本当に行ってよかった。

と言うのが、アコーディオン奏者、マーチン・オコーナーがひょっこり現れたからだ。

アイリッシュ界のアコーディオン弾きの中でも特別な存在だ。そのテクニックたるや、おそらく世界のアコーディオン弾きとしてもトップクラスのひとりだろう。

また、その上めちゃくちゃにいい人だ。

誰に対しても礼儀正しく、にこやかに人の話を聞き、そして静かに話す。

アコーディオンを弾き始めたらスラスラと多くの音が飛び出し、その全てがとても心地よい響きを持っている。

一流中の一流だ。

結局戻ったのは午前2時半。それでも本当に忘れる事ができない夜になった。「何度か会っていたけど、一緒にやったのは初めてだったな。すごく良かった。またやろう」と、にこにこして帰って行ったマーチン。本当にいい人だ。

この日の他の参加者は ギャリー・へスティング、デシ・ウィルキンソン、共にフルート、それにケビン・ホークがギター、珍しくフィドルが希花一人。

Jewish Reelをマーチンとふたりで演奏した時は往年のDe Dannanサウンドそのものだった。

あまりに強烈だったせいか、デシ・ウィルキンソンが喜んで動画を撮っていた。

誘ってくれたショーンに感謝。

ところでこの夜はお茶をメインに飲み、ギネスは1杯だけにしておいたので比較的楽だった。

これからこれでいこう。

 

2015年 アイルランドの旅 23

久しぶりにアンドリューとのセッションだ。メンバーはアンドリューと僕ら、そしてアイリーン・オブライエン。

フィークルのおなじみのパブ“ペパーズ”だ。

初めてアイルランドを訪れた時のこと。アンドリューとふたり、長靴をはいて(長靴といってもゴム長)野原を歩いた後、アンドリューは自分だけちゃっかり靴を履き替え、僕はそのままパブに入って行ったら、みんなが大笑いしていたのを覚えている。

ここは今でも昔のままの景色だ。勿論ほとんどの場所が同じ景色を保っている。そんな国だ。

セッションはいつものように僕とアンドリューが大笑いしながら進めて行く。となりの部屋ではマーク・ドネラン達がやっている。

困った事におそくなればなるほど盛り上がってくる。名うてのミュージシャン達が次から次へと来てなかなか帰してくれない。

ゴルウェイに戻ったのが2時半過ぎ。彼らはまだやっているだろうし、ひょっとするとこれから更に盛り上がるかも。

そして翌日、再びフィークル。どちらかというと、この日のほうがコンサート出演ということで先にきまっていた。

去年、一緒にツァーしたEdel Foxとのトリオ。その後Ivonne Kane Eileen O’brien Tara Diamond等とのセッションホスト。

フィークルとは来年、もっと関わっていたらいいかもしれない。

思えば2011年にはずっとフィークルに泊まって夜な夜なセッションホストをしては全てのパブを巡ったものだ。

去年からは仕事のある日だけ出向いていたが、来年はアンドリューの家にでも泊まらせてもらってもいいかも。

今年も日本から早野さん、古矢さんの名コンビがここに合わせてやってきてくれた。遠いところをありがとうございました。

2015年 アイルランドの旅 24

フィークルから戻ってすぐに、今度はショーン・ギャビンから電話。なんでもショーンの息子がやっているバンドで5弦バンジョーを弾いて欲しい、ということだ。

その日はベネフィット・コンサートでセコンド・ハーフにDe Dannan、その前に彼らが演奏する、という。

どんなバンドか訊いてみると、完全なアイリッシュ・ロックだ。

U2 , Pouges , Bruce Springsteenをはじめとして、ブルースやロックン・ロールを歌う5人編成のバンド。

ギター&ボーカル、カホーン、スネア&ハイファット&ボーカル、ダブル・ベース&ボーカル、そしてショーンの息子である、ショーン(ややこしいが同じ名前)のフィドル&ボーカル。

コーラスはなかなかに決まっている。ただ、演奏する曲は全部で10曲。そのうち知っている曲が2曲。後は彼らのオリジナル曲だったり、聴いた事の無いポップス系のものばかり。

だが、ほとんどはブルース進行で歌われる。

全員、25〜6歳の若者でトラッドなど知らないが、Michael ColemanやTommy Peoplesの存在は知っている。

随分前にかまやつさんと沖縄に行って、コンディション・グリーンと演奏した時のように、取りあえず相手の出方を見ながらやっていけばいいのだが、彼らも気に入ってくれたのか「ここはバンジョーソロでいこう」などと言い始める。

アカペラのコーラスになると、バンジョーだけが伴奏にまわるといったアレンジも突然思いついたり。

だが、なかなかコーラスがパワフルで良いので、こちらもガンガンいける。

結局全ての曲で弾きまくって無事終了。

セコンド・ハーフのDe Dannanもゆっくり楽しむことが出来た。

希花はこの日、同じ時間に教会でCo Mayo 出身のShane Mulchrone というバンジョー奏者のコンサートにフィドラーとして参加。バンジョーとフィドルのデュエットで演奏していた。

こちらは純粋なトラッド・アイリッシュ。後でDe Dannanを聴くために合流したが奇妙な一日だった。

2015年 アイルランドの旅 25

今日はリムリックに行く。因に8月8日の土曜日。天気はまぁまぁ。やっとアイルランドにも夏がやってきたかな、と思えるこの数日間だが、やはり風は冷たい。

ブレンダンと待ち合わせして一路リムリックへ。

着いた所はMilk MarketというところにあるMari’s Cheese Shopというお店。

とても感じのいいオーナーと、いかにも外国のコーヒー店らしく、美味しそうなチーズやサンドウィッチ、パウンド・ケーキなどが並ぶ、狭いが素晴らしくアット・ホームなお店だ。

着いたとたんにお店の中で買い物袋をぶらさげたまま、お客さんのなかにまじっているおじいさんが、座ったまま誰に聴かせるでもなく歌を唄っている。

歌詞を語り、メロディーに戻って好きなように唄っている。お店のお客さんもごく自然にコーヒーを飲み、サンドウィッチを食べ、みんなが美しい昼下がりをごく自然に楽しんでいる。

その一角での演奏。2時間ほどだったが、地元のパイパーが現れ、隣でコーヒーを飲んでいたおじさんが、突然アコーディオンを弾き始め、10代の少年が恥ずかしそうにティン・ホイスルを吹きにきたり、通りがかりの女の子がフィドルで参加したり、大丈夫かなと思うくらい太った7〜8歳の男の子が台の上に乗っかって歌ったり、楽しいひと時を過ごした。

因に最初に居たおじいさんは演奏が始まる前に、自分の出番は終わった、と思ったか、じゃ後は任せたぜ、と言わんばかりに帰って行った。

マーケットではあらゆるものが売り出されていて大賑わい。食べ物から着るもの、装飾品。

随分前にリムリックに来たとき、中に入った事はあった。でも、その時は週末でもなかったし、もう終わりの時間だったので全くイメージは違っていたのだが、今回はいろんなものを見て楽しむ事が出来た。

ドゥーランから早野さん、古矢さんコンビも寄り道して、そのままケリーに向かって去って行った。

僕らがゴルウェイに着いたら、しとしとと雨が降って寒かった。また夏がどこかへ行ってしまったようだ。

2015年 アイルランドの旅 26

まだまだ忙しい日が続く。今日はこれからタラに向かう。

タラというとほとんどの場合Taraと勘違いされる。「風と共に去りぬ」で有名なHills of Taraだ。

なので、どちらかと言えば“トラ”に近い発音で言わなければ分かってもらえない。そこにカウンティ・クレアも付けても知らない人が多いくらいの何もないところだ。

1999年、僕は初めてアイルランドの地を踏み、アンドリューに迎えにきてもらって、マクナマラ家に2週間ほどお世話になった。

お姉ちゃんのマリーさんがシチューと、慣れないご飯を炊いてくれて、珍しいお客に会うためにお母さんまで手ぐすね引いて待っていてくれた。

その時に見つけたパブがフランのパブだ。

この村にある4つのパブの中でダントツに小さく、静かでアットホームな隠れ家的存在で、中に入るのにはある意味、抵抗がなかったと記憶している。

確かにドアを開けた瞬間、多くの目にさらされるか、数人だけかは…う〜ん、どちらがいいだろうか。

とにかく3〜4人の人がいたと思う。

多分その中にいただろう、クリスティという男の人が今回僕らをタラに呼んでくれたのだ。勿論アンドリューも一緒になって計画してくれた。

だが、オーナーのフランはもういない。

去年の冬に85年の生涯を閉じた。この村を訪れる度に必ず会っていたフラン。そして“彼を慕って毎晩のように来ていたお客さんみんなで彼を偲んでお話をしたり演奏したり、歌を歌ったりしよう。ジュンジとマレカが居るうちに”

そんな計画を練ってくれていたのだ。

クリスティとの夕食後、まず彼が僕らをフランのお墓に連れて行ってくれた。

アンドリューの家の前、通りを渡って坂を登った高台にある墓地。初めて来た時もアンドリューとここを散歩した。

朽ち果てた教会の跡がわずかに残り、本などでよく見る形の十字架が並び、四方に緑の大地がひろがり、山々が遠くに佇んでいる、なんとも寂しく、そして荘厳な気持ちになる場所。ここにも必ず散歩に来ていた。

僕らはフランが安らかに眠るようにお祈りをした。そしてパブへ。

今は彼の甥がここを継いでいる。

「良く来てくれた」と、まずギネスを注いでくれる。ブレンダン・ハーティがいた。アンドリューと一緒に演奏していて昔から良く知っているギタリストだ。間もなくしてフィドラーのアイリーン・オブライエンもやってきた。

希花が初めて会ったとき、怖そうなおばさん、と思ったそうだが、もう今ではいい友達のひとりだ。

アンドリューもやってきて奥の部屋でセッションの始まり。11時頃になると知った顔、知らない顔が次々と現れてにぎやかになってきた。

それでも他のパブのようには騒がしくならない。ちょっとゴルウェイのパブの騒がしさから遠ざかりたいこの頃だったので、とても心地よい。

そうしてフランを偲んで良い時間を過ごす事ができた。

1時過ぎ、みんなに挨拶をしてパブを出ると、いつものように満天の星空。

それから朝6時過ぎまでアンドリューとアイリーンが大騒ぎ。

アンドリューのお母ちゃんも病院だし(フランと同じ歳)彼も大好きなブルースやロックンロールを大音量でかけて大はしゃぎ。

お母ちゃん子のアンドリューも、さぞ心配だろうけど、ずっと面倒をみてきているので来るべき時の覚悟はしているだろう。

今のうちに大騒ぎ…かな。

そんなことを考えながら、4時頃には僕らは眠りに就いた。キッチンから盛んにアンドリューが「ジュンジ!」と叫んでいた。アイリーンの笑い声。ミシシッピ・デルタのどぎついブルース…。

最初のうちは僕も答えていたが、そのうち段々呼び声も遠くなり、そのまま爆睡。

翌朝、11時過ぎのバスでゴルウェイに戻ったが、エニスのバス発着所で「また来年もやろう」と眠たそうな目をして去って行ったアンドリュー。

その後、エニスの病院にいるお母ちゃんに会いに行っただろうか。

フラン、クリスティ、クリスティの奥さん、フランの甥のリチャード。みんなに感謝。

 

2015年 アイルランドの旅 27

大体のイベントは終わったが、まだまだ細かい事が残っている。いつもそうだが、帰る2週間前くらいから急な用事が入ったりしてバタバタと忙しくなるのだ。人生もそんな感じかな。

歳がいってからのほうが時の経つのは早い…ような気がする。でも、これも結構みんなが言う事なので、なにを今更、という感じかも。

今年の旅は僕らにとってある意味忘れがたいものになった。

このコラムをどれだけの人に読んでいただいているかわからないが、おそらく僕らはこの世界で最も尊い事柄に遭遇した。

今回のアイルランドにはなにか強い力で呼ばれてきたのかも知れない、と思えるほどの体験だったが、それは決して音楽との繋がりだけではなかったところがまた面白い。

いくつかのライブでお話しするつもりでいるのだが、先ずは東京の神楽坂にあるThe Greeというところが単独のライブになる。

後はまた故郷の静岡に行くし、名古屋にも行くかもしれない。

とにかく暑そうだし、体調の管理を心がけなくては。ここは相変わらず20度もないし。

また来年ここに来るつもりでいるが、今度はどんな事が待っているだろう。

2015年 アイルランドの旅 28

セント・ニコラス教会での最後の(僕らにとって)コンサートも終えて、また来年の話も出た。

その日のセカンド・ハーフはダブリンからやって来たパイパー.Maitiu O Casadeという若い、希花より年下の男の子。

彼もまた、きっちりとトラッドを演奏するミュージシャンだった。

ここに出演することがなければほとんど会う事がなかっただろうミュージシャン達との出会いはとても貴重なものだ。

勿論日々のセッションでも、ひょっとすると前回のマーチン・オコーナーのような人と会える事はあるが、それくらいの人物になるとあまり観光客向けのようなセッション、あるいはラフなオープンセッションには顔を出さないのが普通だ。

来年はこのセント・ニコラス教会でどんな出会いがあるか楽しみだ。

 

2015年 アイルランドの旅 29

そういえば、鳥たちについてしばらく書いていなかった。

相変わらず、いつもの3羽は仲良く現れるが、最近もう1羽増えた。

鳩だ。どうも“ハト”というのはいつだったかの総理大臣以来、印象が極端に悪い。おっと!

ともあれ、こいつは人慣れしているせいか、かなり近くまでやってくる。そして長居するのだ。

昨日、試しに部屋の中にパンを置いてドアを開けてこっそり見ていたら、少しのぞいていたが、ちょんちょんと中に入ってきて食べていた。

それも結構長い間、そして奥のほうまでやってきたのだ。

他の鳥では決してそんなことはない。

ちょっとばかし図々しいといえばそう言えないこともないし、他に比べて図体がでかいので、もしかしたら他が恐れて出てこなくなるかもしれない。

しかし、餌をまけば必ずどこからともなくやってくるし、完全にこの場所を覚えてしまったようだ。

来年もやってくるだろうか。とっつかまえて目印でも付けておこうかな…なんちゃって。

そう思っていたところにまた別な鳩もやってきた。ところが元からいた鳩がそいつを追っかけ回して追っ払う。

気まぐれかな、と思いきやそんなことが何度も繰り返される。俺が見つけた貴重な場所だ、とでも言いたいのだろうか。

やっぱり部屋の中までおびきよせ、とっつかまえて「こりゃ大変」と思わせてみようかな。

それでもいつもの3羽は代わる代わる出てきて平和に共存している。鳩も彼らには敵対心は抱かないのでこのままにしておこう。

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2015年 アイルランドの旅 30

いよいよ最終回。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

最後の方はなんかバタバタとして、たいした報告はできなかったけどなんとか楽しんでいただいたでしょうか。

トラッド・アイリッシュは真剣にやればやるほど日本では相手にされなくなってくる。

かといって、かっこよく見せる事や、トラッドとしてのかたちを崩していくことには興味が無い。と言うよりも自分の主義ではない。

勿論、ナターシャー・セブン時代から面白い事や、新しい事には節操無く飛びついたものだが、それも古いものをきちんとフォローし続けて成り立つものだ。

僕らは、このままトラッドを愛しつつ、こちらのミュージシャンにも恥ずかしくないものができるような存在でありたいし、それでいて視野の広い、スケールの大きいミュージシャンでいたい。ここがとても大切なところだ。

まだまだ模索は続いていくのだろう。

2016年 アイルランドの旅、というのはどんなコラムになって登場するだろうか。