不眠

ある歌が最近僕を不眠にさせている。

いやいや、歳のせいもあるかもしれないが、あらぬ時間に眼が覚めて朝まで眠れない。

毎日ではないのでそう大変ではないが。

前置きはともかく、その歌のタイトルは「Hello Vietnam」という。

これはニャンちゃんに教えてもらった歌。

ベトナム行きの飛行機の中でこの歌が流れるそうだ。

特に降り立つ時、この歌を聴くと涙が止まらなくなる、という。

どこかで聞いた話だな…と思ったが、そうだ!スージーさんだ。

何十年も離れていた日本に帰った時、富士山を見て涙が止まらなかった、という話。

彼女の場合は懐かしさと、もうここは自分の帰る処ではない、という寂しさが入り混じっていたのだろう。

さて、この歌はベルギー生まれのベトナム人歌手Pham Quynh Anhという女性が歌っている。( 因みに Johnny Wrightというシンガーが、‘65年に同じタイトルの歌を唄っているが全くの別物 )

内容はこんな感じだ。

「私が生まれた時につけられたこの難しい名前の事を教えてください」というくだりから始まる。

「あなたについて知っていることは、コッポラの映画で飛び交うヘリコプターの轟音。そんな戦争の事だけ」

「いつの日かあなたの土に触れよう。いつの日かあなたの魂を知ろう。いつかあなたに会いに行って言おう。ハローベトナム」

両親の生まれ故郷を知らない難民2世、或いは追われてきた世界中のベトナム人の間で歌われている歌らしい。

どうしても思い出してしまう。

コロンバスデイのお祝いで飛び交うブルーエンジェルスの爆音に、大声をあげ、耳を押さえて震えながら机の下に隠れていた若い男の子。

俺、何のために産まれてきたんだろう、と言い残して死んでいったマイク。少なくとも、故郷で死ねて幸せだったと思う。

ボートでの過酷な思い出を話してくれたヴィンさん。何よりも教育が大切だ、と言っていた。

「I Love You」と「新年おめでとう」のベトナム語を教えてくれたミセズ・ホート。海賊から我が子を守るためには、自らの手で子供たちを殺して海に飛び込む覚悟をもってやって来たという。

スイカだったら、いくらでも食べられる、と言っていたルオンは多分アメリカ生まれ。

映画館で「プラトゥーン」を見ていた時、立ち上がって画面に怒号を浴びせていた若い男の子の集団。

因みに、マイクと喧嘩した時に僕が発した言葉なので何と言っていたのか分かる。

とりわけベトナム人との付き合いが多かった僕にとっては、どうしてもふと思い出してしまって眠れなくなるのも無理ないかな。

なんか羨ましくもある。

故郷を想って涙する。そして、帰りたいという気持ちが一杯湧いてくる。

僕はアメリカに居た時、そんな気持ちになった事が無かった…と思う。

多分それは、いつでも帰れる恵まれた環境に育っていたせいもあるんだろうなぁ。ここでダメだったらもどりゃいいや、みたいな。

「俺はベトナムに産まれた事、後悔していない。どうせ死ぬんだったらベトナムで死にたい。美しい国だぞ」

別れの時そう言った彼の事をどうしても忘れることができない。

今、彼は故郷の土に帰り、この歌を聴いているかもしれない。

今、僕は日本でこの歌を聴いている。

寒波

最強最長寒波というのが来ていたらしい。

確かに寒かった。

歳のせい?とも思ったが、若い人にとっても寒い日々だったようだ。

懐だけではなく、確かに寒かった。

来てほしいのは寒波ではなく、カンパだった…ってもっと寒いですか?

ところが、今年は暖房器具を使いそうにない。

今迄、この最強といわれた寒波の間も一切の暖房器具は使って来なかった。

むかしから寒いのは平気だったので、友人が遊びに来ても「寒い」と言ってすぐ帰る。

それくらいに家の中の温度は低かったようだ。

実際にはある程度の温かさを保った方が体にもいいし長生きする、という話だが、もう充分長生きしている。

「じゅんじ、さむうないか?」という杉田二郎氏の声が聞こえてくるようだ。

省ちゃんも寒がりだったなぁ。

「指先がめちゃ冷えるんや。これタバコのせいやで」と言いながら美味しそうにタバコを吸っていた。

手は確かに冷えるので、鍋にお湯を沸かし、そのお湯で温める。

そうするとけっこう身体も温まるもんだ。

それに室内運動をすればもう暖房は要らない。

しかし、これ、夏になったらそれはそれで死にそうなくらい暑い。

それでも、去年の夏は寝る時以外は冷房も使わなかったなぁ。さすがに寝ている間に死ぬのもなぁ…と思って点けたけど。

そうして考えるとこの国の夏と冬の気温差は50℃にもなるのかな?

人間にも酷だが生身の楽器にも悪影響を及ぼしているんだろう。

食中毒にも気をつけなくちゃ。ま、一年中だが。

幸い、僕はそこにも強いらしい。

以前、同じものを食べたピアニストの小倉超が「城田さん、あんたどういう胃袋しとるん」と言いながら吐いていた。

とにかく、最強寒波というのもなんとなく通り過ぎたようだが、まだまだ2月半ば。

油断大敵だ。

手洗いうがいをしっかりして、沢山着こんで、沢山運動をして、朝と昼はしっかり食べて、早寝早起き…理想的だなぁ。

最強最長カンパというの、どこかから来ないかなぁ…って、まだ言うか!

2025年3月1日

栃木の川俣ぐんじ君に会いに行った。

いや、正確には川俣卓也君だ。

そして更に正確には、彼の主催による2つの会に寄せてもらったわけだ。

午前、10時頃に向かえばよかったものを、例によって早起きして6時頃からそわそわ。

結局、予定よりも一時間近く早く着いてしまった。

ま、遅れるよりはいい。世の中何が起こるか分からないし。

それでも歳と共にその辺の考え方が極端になってくるようだ。

小山に到着して駅前のコンビニでドーナツとコーヒー。

この組み合わせは限りなくグレイハウンドのバスディーポを想い出させる。

この駅では…あれは1972~3年頃だろうか…。

マネージャーの榊原氏と二人、電車に乗り遅れて、駅前のさびれた商店が並ぶ街並みをぶらりぶらり、すし屋に入った覚えがある。

それ以外のストーリーは何も覚えていないが小山というとそのシーンが蘇ってくる。

が、しかし、駅前はかなり変わっていた。

コーヒーを飲み終えると川俣君が迎えに来てくれた。

小山の想い出や、京都産業大学の想い出等を話しながら会場に向かう。

そう、彼もまた京都産業大学ブルーリッジマウンテン・ボーイズの出身だ。

何を間違ったかバンジョーを弾きたくて…いや、勉強も、だろうな。彼の場合は。

省悟と同じ経営学部だったそうだ。

ま、そんな事はともかく、今日は彼のお母さんの1周忌だという事で、お母さんにまつわる様々な思い出の展示の中でコンサートを、という企画。

そうなればやっぱり「母のお墓」だろう。

これをメインにしてほとんど川俣君と二人で演奏させていただいた。

お母さんも宵々山のジャケット写真に写っている(カーターファミリーの時)くらいにナターシャーの事もよくご存知だったようだ。

バンジョー弾きのアリソン・ブラウンとも親交が深かったと聞いた。

川俣君の影響だろうか、はたまたお母さんの芸術的なセンスが彼に影響を与えたのだろうか。

お母さんの様々な作品を見ていると、ふと思い出した。

僕の母親のお母さん、おばあちゃんか…、彼女は草月流の師匠で、なんやらガラスのかけらを固めた綺麗なオブジェのようなものを良く作っていた。

そして母親の影響でピアノを弾き始めた僕だが、川俣君のところもそんな風につながっていたんだろうな、という思いでナターシャーセブンの歌をいくつか唄わせていただいた。

彼のバンジョーもいい感じでサポートにまわってくれて、流石!京都産業大ブルーリッジの後輩!という感じだった。

きっと彼のお母さんも喜んでくれたと思う。

さて、第2部は増茂米店というところだそうだ。

こちらは普通にコンサート形式。

マスターに無理を言って生音でやらせていただいた。

ちょっと難しいかな、と思いながらもギリギリ行けそうなところはやっぱり生音が好きだ。

それでもかなり響いてくれたようだ。

マスターも初めて生音で聴かせてくれたミュージシャン、というような事をコメントしてくれた。

こちらも懐かしい人が一杯で、僕もナターシャーセブンの最後の生き残りとして精いっぱい歌わせていただいたし、多くの人が一緒に歌ってくれた。

そしてこの日、もう一人の京都産業大出身者が登場。

北欧音楽でフィドルを弾いている、という櫛谷結実枝さんという方が一緒に演奏してくれた。

産業大学トリオの演奏もほとんど打ち合わせ無しにしては…って、ことアイリッシュに関しては打ち合わせなど無いといえるかもしれない。

レコーディングでさえ、急に違う曲をやったりすることが良く有ったので。

でも川俣君も櫛谷さんも良いミュージシャンで、そして何よりも素晴らしい人だった。

米屋のマスターも、1部の会場の方達も、みんな川俣君を、そして彼のお母さんを慕っているようだった。

とても良い想い出を有難う。

集まっていただいた皆さんに感謝します。

サウンドタム ソロライブ

何という気候だろうか。

春がやってきたと思ったら、震えるほど寒い日になった。

そんな訳の分からない中で、前後するが、そう言えばサウンドタムでもライブがあったんだ、という事を想い出した。

恐らく、ここしばらく、特に去年いっぱいは、まるで普通の通いのように行っていた処なので、自分の中で当たり前のような感じになっていたのかもしれない。

事実、今年はまたお願いしようかと思っている。

内容に関してはまだまだ練らなくてはならないが、そんな相談も兼ねて考えていたことも有ったのだろう。

すっかりライブの事に触れるのを忘れていた。

今の自分のスタイルとしては1部でバンジョー、2部は歌とギター、というスタイルでとてもシンプルだが、ここではやはりタムちゃんの素晴らしいサウンドとのコラボを楽しめる。

思えば、ここで全くのソロは初めてのことだ。

Englishman in New Yorkも、今日は素晴らしいベースのサポートは無い。

それだけに緊張する。

しかし、たまに緊張するのも良いことだ。

歌う事も緊張するが、僕は譜面台を置くのが嫌いだ。

歌詞カードとか置いていると、せっかちなせいか、先の方を見てしまう。

それに僕の場合全てが歌というわけではないので、できる限り覚えておきたい。

そのためにウォーキングはとても役に立つ。

ブツブツ言いながら、反復しながら2時間近く歩くと、なんとなく覚える…がすぐ忘れることも有る。

そんな日々の連続で歌詞を見なくても何とかなる事もあるし、聴きに来てくれる人にも助けてもらうことも有る。

まだしばらくはそれで行けそうだ。

一応ウォーキングの最中にこけないように、という事だけには留意しておかないと。

歌詞どころか、わたしはだ~れ?とならないとも限らない。

何はともあれ、サウンドタムの日も寒かった。

あの寒さの中、タムちゃんは外で受付をやってくれた。

そして本番が始まると素晴らしい音を提供してくれた。有難う。

夏子さん、お手伝いの田村さん、そして寒い中、足を運んでいただいた皆さん、どうもありがとう。

次は5月24日に会いましょう。

マラソン

先日のぐんじ君主催のコンサートで「京都産業大学トリオ」として一緒に演奏した

櫛谷さんから、琵琶湖マラソンを走ってきた、という便りが届いた。

え?フルマラソン?42・195キロ?

そんな風に見えなかったし、そんな話題も出なかったので全く知らなかったが(いや、少しは話をしたかな。音楽談義の方が盛り上がっていたのかな)おかげでいろんなことを想い出させていただいた。

僕は中学の頃、異様に長距離が得意だったようだ。

駅伝も経験したし、高校では陸上部に入ろうかな、と思いながらも美術部に入った。

そんなことも有り、走ることは苦ではなかった。

省ちゃんなんかは「なんでやねん」と言いながら走っていた。後のタバコの為に…。

ホノルルに行く前に、それぞれの酸素摂取量を計る、という名目で、群馬大の山西先生を訪ね、なんやら酸素マスクみたいなものがついた自転車みたいなもの(固定された機械)に乗せられて、そのペダルを思い切り漕いだ。

省ちゃんは「あのマスクの中に思い切り吐いたら、ハイ、やめー!ってなるんちゃうか」とか言いながら、いやいや漕いでいた。後のタバコの為に…。

そんなこんなでいざ、ホノルルへ。

最初は1978年だったと記憶している。

まだ全然大した人数ではなかったが、確かフランク・ショーターが居たのはその年かな。

僕がまだまだ折り返し地点に程遠いところを走っていたら、向かい方の、言うなれば帰り道を、彼は颯爽と駆け抜けて行った。

太陽が上がると「ハワイ良いとこ、一度はおいで」みたいな流石に美しい景色が広がった。

それはそれで気持ちよかったが、最初のその年は頑張り過ぎた。

確か4時間少し超えるくらいのタイムだったかもしれない。

おかげで、次の日はアラモアナ・ショッピングセンターをニコニコして歩けなかった。

無駄に頑張らなかった省ちゃんは美味しそうにタバコを吸いながら買い物を楽しんでいた。

足を引きずっている僕に多くの人が「どうしたんだ?」と訊くくらい、まだホノルルマラソンがそれほど浸透していなかった。

次の年はその経験を踏まえて、6時間かけて走った。途中で歩いたりして。

そのおかげでアラモアナ・ショッピングセンターをニコニコして歩けた。

42キロはやっぱり長い。

途中で白人の海兵隊員みたいのが「This is crazy!」とブツブツ言いながら走っていた。

確かに35キロ位を越えると膝から笑い声が聞こえてきた。

そんな事はないやろ~。

目から鱗は出ないし、耳にタコは出来ないだろう。

耳にタコが出来たら、今はタコ高いし、良いのになぁ、としょうもない事を言っていないで、

今度、また産業大学トリオが有ったら、マラソンの話をしてみよう。

ホノルルマラソン、一応5回走っているので。

でもしょうもないことしか覚えていないかな。

櫛谷さんは2年くらい前から走り始めたようだが、なにかきっかけが有ったんだろうか。

まだ若いし、間違いなく高石ともやの影響ではないだろう。

それでもぐんじ君から教わった「孤独のマラソンランナー」を口ずさんでいたらしい。

とに角42キロを5時間ほどで走り抜けた、というから大したもんだ。

因みに42キロ、フルで歩いたら約8時間とか…。

あ、もう先も長くないし、それ時間の無駄だ。

友あり遠方より来る NY編

NYからディナがやって来た。

正確に言うと台湾からのフライトだったが。

どうやら今年93歳になる父上の具合が芳しくなく、台湾に里帰りしていたらしい。

彼は本当に僕に良くしてくれたし、台湾にも連れて行ってくれた。

もうそんなに歳取ったんだな、とビックリしたが、もう一つ、ディナがもう50にもなるっていうことも聞いてびっくりした。(この際いいか)

2人で演奏していた頃25歳だったので…そりゃそうか、僕もまだ50歳だった。

Up She Flewをリリースしたのが2000年だったので、あれから25年。

今回は父上のお見舞いと、せっかくなので日本にも、という気持ちで、随分前から「日本に行くけど会える?」と訊かれていた。

久しぶりに会ったが…といえども2017年の8月にキルケニーで会った時が本当に久しぶりだった。

それでももうあれから8年にもなるのか。

ボーフレンドと一緒だったが、二人ともベジタリアン。

前回日本に来た時もディナは肉も魚も食べなかったので、あの当時、日本ではなかなか「それもんのレストラン」を探すのが大変だった。

居酒屋でキャベツでも食べさせておけばいいか、なんて思ったりもした。

今回、二人ともそんな事なのでちょっと僕の処で日本茶を飲んで話をして、少し音楽をやって、苺を食べて。

結局コーヒーもミルクは入れないし、まぁ、それは良いとしても、味噌汁もうどんも蕎麦も出汁に魚が入っているし、本当に困る。

パンは美味しいと言って食べていたが、ミルク使っているんじゃないかな…?

取りあえず、種類豊富な日本のパン屋さんにはほとほと感心していたようだ。

そして、外人あるあるの「渋谷スクランブル交差点を見たい」と意気揚々と出掛けて行った。

「安全な国だけど、人が多いし、スリには気を付けるように」とメールを送ったら

「うん、気を付ける。今ベジタリアンレストランを探している」という返事が返ってきた。

ディナの方は2度目の日本(と言ってもほとんど25年ぶりか)彼の方は初めての日本。

そりゃ、渋谷には行ってみたいかな?

明日から京都に行く、と言っていたが、思い切り楽しんでほしいもんだ。

おかげで、25年来の友人にこうしてまた会えるというのはとてもいいもんだ、という実感が湧いた素晴らしい一日になった。

しかし、日本に来て美味しいとんかつもダメ。美味しい寿司もダメ。美味しいラーメンもダメ、となると、なかなかにリミテッドだ。

埼玉県人と一緒に「その辺の草でも食っておけ!」てか?

エディ・アドコック

エディ・アドコックが亡くなった。

多くの人が僕に知らせてくれた。

大学時代の僕は「北白川のアドコック」と呼ばれていたくらい、彼のプレイに惚れ込んでいたからだ。

初めて彼らのライブ盤を聴いた時はぶっ飛んでしまった。

そのライブ盤のジャケットは同じものがドクターサウンドに飾られている。

Goin’ Back to The Blue Ridge Mountain  Goin’ to the Races  中でも特に気に入って弾いていたのがBlue Bell

これには完全にノックアウトされてしまった。

あれだけのプレイをする人なので、さぞ変わった人だったんだろう。

もんつ君が、座頭市を見るとソニー・オズボーンを想い出してしまうらしいが、僕はバック・トゥ・ザ・フューチャーのドクを見るとエディ・アドコックを想い出してしまう。

またひとり消えてしまった。

でも、何故だろう…ここ最近やたらともう一度Blue Bellを弾いてみたくなっていたのだ。

ジョージ・フォアマン

ジョージ・フォアマンが亡くなったと聞いた。

エディ・アドコックに引き続きだ。

だが、全然違うのは、ボクシングには何も興味が無い、というところだ。

では、何故かというと…。

アメリカでテレビを観ているとよく「インフォマーシャル」なるものが目に付いた。

その中で、買おうかな…といつも思っていたのが「フォアマンズグリル」というもの。

肉を焼くハンディなグリルで、傾斜がついているので、そこに余計な脂が落ちる、という一見、健康に良さそうなもの。

ずっと見ていたが結局買わなかった。

ま、こういうものはほとんどの場合、長くて2~3か月もてばいいかな。結局クローゼットにしまい込んで忘れられてしまう運命にありそうな…。

実際、正直なところ、いくつかある。

中には返却したものも有る。

それもやり方が分からなくて、息子に電話してもらって、えらく手間取った。

なので、ジョージ・フォアマンもずっと迷いながら手に入れなかった。

今調べてみるとAmazonとかに出ているなぁ。

でも、もうあんまり肉は食べないしなぁ。

チキンもフライパンで焼いて、キッチンペーパーで油をふき取ればいいし。

なんか話が飛んでいるが、ジョージ・フォアマンというと僕はこのグリルをどうしても思い出してしまう。

結構、欲しかったんだろうなぁ、あの頃は。

4月

あれよあれよと云う間に4月になってしまった。

僕が言うまでもなく、ほとんどの皆さんはそう思っているだろう。

「あれ、人生ってこんなに短かったのか」なんて。

外では桜がほぼ満開。あと何回見ることができるだろう…なんて、かつては絶対に考えなかったことが頭をよぎる。

これ、正しく日本人。

富士山を見て感動し、桜を見て人生を考える。

正月には思い切り伊達巻を食べる…って、これ、僕だけか。

さて、大して仕事もしない議員を3分の1くらいに減らしたら、国民の生活がもう少し楽になるだろうなぁ。

いまだにスマホ見ながら自転車で走っている奴、日本全国で一斉につかまえて罰金3万円くらい取ったら、凄い金額になるんだろうなぁ…なんて日々のウォーキングの最中に考えてしまう。

なんでもかんでも高くなって、もやし、豆腐、納豆くらいしか買えなくなってしまった。

先日アメリカのスーパーの棚の写真が送られてきたが、卵の値段に驚愕。

アメリカでは12個入りが普通だが、安いもので$7.99 オーガニックだと$9.99

それと比べたら日本の卵はまだ安いか。

ま、物の値段は他とのバランスもあるし、一概には言えないが。

外食をすると、少し安い目のランチでも$30くらいは当たり前という事なので、日本の労働賃金がいかに低いかが分かるような気がする。

しかし、本当に食べ物には恵まれた国だなぁ。美味しいもんいっぱいあるもんなぁ。

甘いもの大好きな僕だが、今まで糖質で引っかかったことがない。

体質もあるかもしれないが、それなりに身体を動かしているからだろうか。せっかちだから?

4月はまた京都に行かせていただく。

昼下がりコンサートだ。

少なからず人生の長きに渡ってナターシャーセブンが、どこか心の片隅にあった人達、計らずも、どっぷりつかってしまった人達。

そんな人達と共にこれからも人生をふくよかに、力強く生きていこう、と語りかける「七人の会スタッフ」による昼下がりコンサート。

いい天気になると良いけどなぁ。

春の天気は気まぐれだけど、晴れ男は今年も健在だと、自分にいいきかせて参ります。

円山音楽堂で会いましょう。

2025年4月19日 円山音楽堂 昼下がりコンサート

さぁ、今日も良く晴れたぞ!

おまけに暑いし。

なんでもすでにもう夏日らしい。

まだ4月だぞ!7月、8月には間違いなく連日の40℃超えとなるだろう。

そんなこんなで、取りあえず少し前に京都へ。

友人のお母さんがとうとう100歳を迎えて…また同じ話を聞きに行ったのだ。

そして、夜にはこのコンサートの実行委員会の会合にも出させていただいた。

和気あいあいの中にもみんなの本気度が伝わってくる。

こんなにもナターシャーセブンを愛し、その存在した価値を評価し、そしてその灯が消えないように願っている人たちがいることに感銘を受ける。

そして本番の日。良く晴れて更に暑くなった。

これは7月、8月には50℃目前、と書きかえなくてはならないだろうか。

去年も寄せてもらったが、今年はまた更に円山音楽堂での想い出が深く深く突き刺さってくるような気がした。

それというのも、楽屋には去年にも増して懐かしい顔が一杯現れたからかな。

東さんは益々素晴らしい歌声を聴かせてくれた。

ギターもブルーグラスのツボをとことん得ている。思わず「やっぱりほんまもんや」と言いたくなるような…。

そして何といってもその語りが素晴らしい。

ブルーグラスの成り立ちについて、非常に簡潔に分かり易く語ってくれる彼の存在は貴重なものだ。

今迄知り得なかった…いや知っていたがそこまでの感性と知性を持ちつつ、本物のブルーグラスを魂から歌ってくれた東さん。

もう、かれこれ40年ぶりくらいだったのかな…。

そして、二郎ちゃん。

「じゅんじ、さむウないか…?」と、あの美声がよみがえってくる。

あれは、おぎゃ~と生まれた時からだろうか。

もしそうなら、ご両親、びっくりしただろうなぁ。

楽しいなぁ…楽しいなぁ…と言いながら「なぁ、みんなでやろうや」と、本当に嬉しそうにしていた。

本当にフォークソングが好きなんだろうなぁ。この人。

そんなレジェンドの姿を見ていた小林君に「君が一緒にやったらいいよ」と勧めて、なんとか引っ張り出した。

内心、すごく緊張したことだろう。

しかし、彼の様な若さでナターシャーの唄を、そして歴史を知るような人物は貴重であり、そんな彼と二郎ちゃんが同じ処に立つことは素晴らしいことだと感じる。

それは東さんしかり。

やはりブルーグラスを愛した彼が、また違った意味でのレジェンド東と共に登場することはそれなりに意義があることだ。

今回はそんな事も含めて、また次につながるような素晴らしい会になったような気がする。

アマチュアバンド、といえどもみなさんレベルが高く、こちらも来年呼ばれるように頑張らなくてはいけないな、と感じるほどだった。

みんな、有難う。

そして、スタッフの皆さん、お疲れ様でした。

みんな結構な歳なので、筋肉痛など数日してから出てくるかもしれません。

そう言う僕もかなり疲れていると思いますが、甘いもん沢山もらったし、また明日からウォーキングを始めます。

また来年会いましょう、という事はほとんど生存確認…か?

2025年5月10日 伊豆 夕鶴記念館

僕にとってはかなり珍しく、雨の一日となった。

それでも予報によると、もっと激しく降るような感じだったが、時折薄日がさすような変わりやすい天気だった。

しかし、この夕鶴記念館は緑いっぱいで少しの雨だったら何となく爽やかさを感じる。

その辺は都会の雨と違うところだ。

今日も遠方から駆けつけてくれた人、京都から、山梨から…有難いことだ。

今回は、今まで唄って来なかった唄や、新たなアレンジのものを中心に構成してみた。

下田から櫻井航君が来てくれて、サウンド面で大いに力を貸してくれた。

そのおかげで落ち着いた気持ちのいい音が得られた。

そしてバンジョー。

修善寺の有名なDr.コト―、ことうさんが重いのに2台も持ってきてくれて「どちらでもお好きな方を」と…いやいや、お持ち帰りください、というわけではない。

彼の様な上品なサウンドのバンジョーを使わせてもらった。

と、言いながら、今回はギターと歌、という方が多かったので、ギターは育さんのマーチンを借りて弾かせていただいた。

僕が持っていったのはマンドリン。

これで2曲のメロディーを弾かせていただいた。メドレーというべきだろうか。

育さんのギターをバックにつけてもらい、ちょっとコンサートに花を添えた感じになったかも。

最後に歌わせていただいた「疲れた靴」

そしてアルマジロのリクエストによる「チャプリン・イン・ニュー・シューズ」まで、

今回は懐かしい歌、そして今まで歌ったことのない歌。

ステージの上から見て涙をぬぐっている方が何人か見えて、花粉症かな?なんて思っていたが、いくつかの唄でとても感動した、というコメントをいただいた。

有難うございます。

沢山の人に助けていただいて本当に感謝です。

まだまだ元気であることは確かですが、ま、歳より並といいますか、だんだん移動するのも大変…というか面倒にもなるんだろうなぁ、良くない事だけど、こうして多くの人に支えられている以上、頑張って練習して、今日よりは明日、明日よりは明後日、とそんな風に貪欲に高みを目指して行かなければ、と感じる一日になりました。

それも今日、雨の中を集まっていただいた方達のおかげです。

有難うございました。

またお会いしましょう。

2025年5月17、18日 七色の池コンサート 新潟

朝から雨模様。

晴れ男伝説、またしても…と思われたが、ところがどっこい。

東京を出た時にはほとんど感じない程度の雨。

新潟へ着いてもちょっと晴れ間が見えるんではないか、と思わせるような天気。

主催の佐藤さんと、彼のお店に向かう途中、ふと思い浮かんだ大切な事が有って二人共びっくり。そのことは後で書くことにして、なんか新潟って秘境みたいだ。

ありゃ、こんなところに素敵な店が、とか、宿泊施設も素敵な処だし、集まってくれた方達も「あっと驚く為五郎」だ。

現に佐藤さんが率いる(と言っていいのか分かりませんが)バンドの各人の素晴らしい事。

これはCDを聴かせていただいたのだが、佐藤さんのフィドラーとしての腕前もなかなかのものだ。

音楽に関しての知識も豊富なので話は弾み、会自体も和気あいあい…と言いたいところだったが、やっぱり一人は緊張する。

初めてバンジョーを目にする人、ナターシャーセブンにどっぷりつかって半生を過ごしてきた人、いつもの事ながら、それでもみんなの真剣な眼差しに圧倒されてしまう。

それでも、緑に囲まれた空間で素晴らしい時を過ごすことが出来た。

ところで、先の「びっくり」の話だが。

5月18日は木田高介の命日に当たる日だ。

そして、それだけではなく、彼は新潟のしかも、すぐその辺で生まれている、という話。

なんでよりによってその日になったのか、とても不思議だった。

僕も行くまで気がつかなかったことは不覚だったが。

そんな新潟の2日間、とても良い想い出になった。

お店の安藤さん、お母さんまで連れてきてくれて、お母さんとも話が盛り上がり楽しかったです。

魚沼からはホワイティ白井一派がギターを持ってきてくれたり、歌も一緒に歌ってくれたり。

柴田さんは相変わらずの美声だし、ホワイティのチャップリン・イン・ニューシューズは、まるで自分自身の演奏を聴いているようだったし。

17日もギターをお借りした山田さんご夫妻。そういえば彼ら、昼下がりコンサートにも遠路はるばる来てくれたようだった。

そして、ボタンアコーディオンを演奏してくれた、波多野彩子さん。いい伴奏者を見つけてください。

みんなが素晴らしい演奏を聴かせてくれて、素敵な笑顔を見せてくれて、会話も弾んで本当に幸せなひと時でした。

帰り、新潟駅まで送っていただいたお茶の先生、小川聡子さんは、なんと、素晴らしいバンジョーを持ってきてくれたし「いやいや、ちょっと持って帰るのは重いし…」なんて最後まで冗談を言ってしまったが、素晴らしいバンジョーで、また素晴らしいキャラクター。失礼ながら僕より年上。それも割と…。でも、すごく輝いていました。是非またお会いしたい姉御?です。

本当に皆さんに感謝いたします。有難うございました。

2025年5月24日 サウンドタム35周年

素晴らしい一日だった。

サウンドタム35年、そして40年を見据えた素晴らしい会になったと思う。

僕は朝、5時に起き、空を眺めた。

予報は雨…降ってないじゃん…。

今日は、アリさん、僕、中村哲さん、河合のてっちゃん、そして一際若い一晃君。

一応歳の順に並べてみた。

みんな素晴らしいミュージシャンだ。

僕の方向性とはまた違うが、百戦錬磨の素晴らしい感性と、技術と、知識と、奥の深さを感じさせる4人だった。

サウンドタムはその35年の歴史の中で彼らの様なミュージシャンと、そしてなんといっても、坂庭省悟との関わりがとても深い。

僕自身、エンジニアのタムちゃんは省ちゃんに紹介してもらったと記憶している。

以来、特にここ数年は本当に助けてもらっている。

「あれ、もう俺たち要らないんじゃない?」「いや、あなた達が居ないと、この仕事成り立たないから」

なんて云う会話をしょっちゅうスタジオで交わしている。

僕も迷いが生じると必ず彼に意見を求めるようにしているし、彼は時折、それを察して的確な指導をしてくれる。

そんなタムちゃんの手綱を引っ張っている夏子さんにも、録音中の食事から、カバーデザインの事から、全てお任せしている。

35年、文字通り二人三脚でやってきたサウンドタムが、必ず40周年を迎えられるように祈っている。

その後は…僕らも居なくなるし。あ、一晃は居るか…。

そう言えば、アンコールの花嫁。

これは省ちゃんに捧げる、というか「何故ここに居ないのか、生きていればここに居ないわけがない」という感情がこみ上げてきたうえに、素晴らしいサポートミュージシャンのおかげで、2番が歌えなくなってしまった。不覚だったが、みんなが歌ってくれていたので助かった。

素晴らしい企画を有難う。タムちゃん、そして夏子さん。

集まっていただいた皆さんも極上のひと時を過ごせたことと思います。

また、See You at Tam’s

今年も半分に差し掛かる

5月が過ぎ、6月に入っている。

あっという間にこんなに時が過ぎ、また暑い暑いと言っている間に寒い寒いというようになる。

先日リック・デリンジャーが亡くなったという記事を見た。77歳か…歳取ったなぁ。

Johnny Winter andのライブでのIt’s my own Faultの白熱したプレイは擦り切れるほど聴いた。

Johnny Winterも大好きなギタリストだったので、特にフォローはしていなくても自然と好きなギタリストの一人になっていた。

さて、また政治家が喋り始めた。というより、大声でわめき出した。

そしてまたしても、肉声で動物愛護を訴えている人の横で嬉々としてスピーカーを用意している。

その無神経さに呆れてしまうが、どうにもできない。関わらないのが一番。

しばらく忙しくしていて、少し余裕が生まれたので、次なる企画を考えている。

もう残り少ない人生。ある程度の計画は立てておかなくちゃ。

いよいよ水シャワーの季節だ、と思いきや、急に寒いくらいの日々が続いている。

もう既に何度か水をかぶったが、やはりちょっと寒かった。

気をつけないと心臓が…いや、毛が生えているかもしれないので大丈夫かも。

とに角、来るべきジメジメした梅雨と人類存続の危機に迫る暑さに備えなくてはならない。

皆さんも心の準備を…いや、心だけでは乗り越えられない。

身体もそれなりに鍛えておいてください。

米の話題

アメリカではなく米だ。

日本人って贅沢だなぁ。古いコメでも有難くいただけばいいのに。

味がどうのこうの…とか。

ガザで食料を求めている人たちの事を考えろ!なんて日々思ってしまう。

何だか「動物の餌」とか言った奴がいたが、めちゃくちゃ腹が立った。

小泉君、別に好きではないがあの時ばかりは僕も腹が立った。

案の定「ムッ」とした顔をしていた。

あんな事いうやつ、動物園につないでおけばいい。

なんて政治家ってバカなんだろう。

自分の家には売るほど米がある…って、少しでも「脳〇そ」が有ったら言うか?少なくともこの現状で。

もうみんな忘れてしまっただろうけど、それって結局、あんな奴の言う事よりも、自分たちが日々どうして生きていこうかみんな一生懸命考えている、という証拠なんかな。

国民の政治離れがどうのこうの…ってその状況を作りだしている張本人が言うか?

オー、だんだん自分がみじめになってくる。

いかんいかん!

蒸し暑くなってきた。

でも、確か去年はもう今頃、水シャワーだったが今年はまだ冷たい。

これ、急にあの信じられない暑さが襲ってくるのだろうか。

今、振り返ってみると確かに、去年は5月下旬から水を浴びていたようだ。

それも9月終わりころまで。

米の話題から飛躍してしまったが、この米騒動、いつになったら収束するのか。

因みに、カリフォルニア米は普通に美味しかったけどなぁ。

カリフォルニア米って因みに、米国米と言うんだろうか。

あれじゃぁ米を食べた気にならない、という人もいるんだろうなぁ。

日本人って贅沢だなぁ…と言いながら、新潟から送っていただいたお米はよく分からない僕でも美味しい!と思わず叫んでしまったのだ。

ちょうど帰国中の息子も「美味い!」とのけぞったくらい。

でも、無い時ぐらいは有難くなんでもいただきましょう。

そして、新たな録音へと向かおうかな。

苦楽を共にしたザ・ナターシャーセブンのメンバーを偲んで。

トイレットペーパー

また無くなるかもしれない。

アメリカがイランを攻撃した。

これは、いくらその筋の学者やコメンテーターが日本の常識を語っても、国連安保理などがテーブル上で言葉を吐いても何の意味もない。

僕にとって、あのジェイミー・フォックスの映画のラストシーンは強烈に残っているが、全くその通りである。

トイレットペーパーが無くなるかも…なんて言っている自分が情けない。

いつミサイルが直撃するか分からないほうが、トイレットペーパーよりも恐怖だ。

話は変わるが、先日スーパーで備蓄米が山積みになっていて、聞いた話では一日に、いや、午前中に400袋も売り切ってしまったそうだ。

レジの子が「腰が痛いよ。明日は200袋来るんだって」と言っていたが、その200も午前中にあっという間に売り切ってしまったようだ。

その次の日も、次の日も…。

でも、見たところ、この界隈に住む外国人がほとんど。

店の前が黒山の人だかり(ブラックマウンテンラグ)と化して、続々と待ち合わせた人が現れ、山のように買っていく。

このスーパー、肉が売り物で「肉の〇〇〇〇」というが、既に「米の〇〇〇〇」と言っても過言ではない。

しかし不思議なのは、この備蓄米、かなり安かったのに、日本人で買っていく人はあまりいない。安かったから?

近所で銘柄米が、それでも今までよりは安いようだったが、この備蓄米の倍ほどの値段で売っている。そして、日本人はそちらに行くようだ。

今は「米の〇〇〇〇」も落ち着いて平和が戻ったようだが、今度は「紙の〇〇〇〇」になるかもしれない。

トイレットペーパーは多少品質が落ちても、日本人は買うだろう。

いや、結論(けつろん)としてはここでも品質に関して…あ、あらぬ方向に向かいそうなのでここらで。

しかし、平和ほど尊いものはない。

暑い!

今年も、というか、年々暑くなっていくようだ。

そりゃぁ、あっちこっちでドンパチドンパチやっていれば暑くもなるだろう。

もちろんそれだけではないことも分かっているが。

そしてこの暑いのに、また暑苦しいのがあちこちで都合のいい事ばかり喋り出した。

当選したらぬるま湯に浸かれる、とでも思っているのだろうか。

それにしても、どこかの市長なんか見ていると、猿以下という振る舞いに呆れてしまう。

ま、そんな奴があっちこっちに居るので…。

トランプにも困ったものだが、面白い話がある。

アメリカ車が売れない、とか言っていたけど、僕らがアメリカ中をまわっていた時、こんな話が有った。

「Fordってどんな意味か知ってる?あれってFix Or Repair Dailyの略だぜ」これなんか日常で使われているポピュラーなフレーズだが、確かにフリーウェイで故障して止まっている車のほとんどはアメ車だった。

それに、アメ車の新車を買った人がボンネットを開けたら中からマリ〇〇ナの吸殻が出てきた、なんていう話。知らんけど!

さて、こんな事ばかりほざいていないで、自分のやるべきことを考えよう。

そんな中、去年からのバンジョー2作品の後、何をやるべきかが見えてきたので、

いつものタムちゃんに相談して、また新たなアルバム作りを提案してみた。

今回は、ナターシャーセブンのトリビュート、というコンセプトで。

1971年の高石氏との出会い、そして木田ちゃん、省悟、高石氏と、僕にとっては最も多感な時期を共に過ごした仲間が逝ってしまった。

1971年2月にザ・ナターシャーセブンとなってからは怒涛の如く過ぎて行った日々だった。

そんな日々の事を想い出しながら、今、僕に出来る事をやってみようと、いくつかのレパートリーを選び出し、第1回目のセッションが終わった。

自分としては、10月の少し涼しくなってきた頃に皆さんに届けられたら良いかな、と思っている。

世界が混沌として来て、自分もいつ終わるか分からない年齢になってきて、急ぐことはないけど、あんまりゆったりしてもいられないな、と感じる。

あまり肩を張らず、良い想い出を皆さんと共有出来たらいいな、と思っています。

また追々…。

騒音

最近、やけに騒音が気になるようになってきた。

あ、いや、選挙の事ではない。

あれは一時的なもので、嘘八百でもなんでも今だけ良い事を言っていれば、あわよくば…

で、終われば静かになるのだが。

今一番うるさく感じるのが、とある駅の、なんだかキャンペーンだか何だかの男女の会話をひっきりなしに流しているもの。

それも結構な大音量。

ただでさえも利用客が多く、雑然としている構内にしょっちゅう鳴り響いている。

僕はここを通らなければならないことが多いので耳を塞いで通る。

以前にも100円ショップで買い物をしていたら、なんだかでかい声でしゃべっている奴がいるなぁ、と思ったらお店の宣伝だった。

会話方式でとてつもなくうるさい。

まるで電車の中、携帯電話を手に大声で喋っているような感じだ。

僕らはまだ一時の事なのだが、お店の人ってどうなんだろう。

先ほどの駅の構内を抜けると、ロータリーの向う側に商店街が有って、その入り口に最近、大きなスクリーンが設営された。

見上げると、その商店街のお店の宣伝や、テレビなどで流れているコマーシャルが映し出されている。

ものによって、飛び上がるくらいの大音量。

昔から、日本人の脳は雑音と音楽とが聴き分けられない、ということを言われてきた。

どちらも一緒、というか聴き分ける脳の構造になっていない、という事らしい。

もちろん諸説あることだが。

そこに来て、本当に五感の鈍い人も多くなってきているんだろうな、と思う。

確かにこちらが年寄りになってきていることも有るだろうが。

それならばもうちょっと聞こえにくくなってもいいはずだし…。

取りあえず、都会と言うものは余計な雑音が多い、

じゃぁ田舎に住んだら?と言われればそれまでだが。

あれも電気代がかかっているんだろうなぁ…出演者にはそれなりのギャラが支払われているんだろうなぁ…なんて余計な事を考えてしまう。

コーヒー

コーヒーの値上がりが凄い事になっている。

僕は朝起きると必ず一杯は飲む。

その時は安物のインスタントコーヒー。

少しだけミルクを入れて苦いやつを飲む。

決して美味しいとは思わないが、なんとなく癖になっている。

そして、時間はまちまちだが、必ずベトナムコーヒーも一度は淹れる。

それで最近気がついたのだが、結構上手になってきたような気がする。

というよりも、その時間のかかり方に対してあまり気にならなくなってきたのかも知れない。

以前はせっかちな僕としては、あれが悪いんじゃないか、これが悪いんじゃないかと、いろいろ気になったが、どうやら慣れてきたのかも。

最近、練乳も自分で作っていたが、よく考えると手間もかかるし、時間だってそれなりにかかるし、なんといってもその間すごく暑いのだ。

夏に焼売なんて作りたくない、と思うのと同じだ。

全然関係ないが、餃子とビールというのは何故あんなに美味しいのだろうか。

もちろん、人にも寄るだろうが。

絶対的に言えるのがやっぱり、コロナビールとメキシコ料理。テカテでもいいか。

これは餃子には当てはまらないだろうな。別に青島でなくてもビールならなんでも美味しい。

テキサスではよく、コルト45を飲んでいた。雰囲気もあるんだろうなぁ。

ピザには絶対赤ワイン。白ではないような気がする。

それにしても、すしバーで寿司を食べながらコーラを飲むアメリカ人の感覚には信じ難いものが有る。

話が飛んだが、ベトナムコーヒーを淹れる事に何もストレスを感じなくなってきたことは大きな収穫だ。

考えたらコーヒーを淹れるのにストレスを感じていたら本末転倒かも。

でも、なんだかんだ言ってやっぱり日本茶は美味しいな。

プロレス

子どもの頃、野球とプロレスはよく観ていた。

なんで急に?というところだが、それは、ハルク・ホーガンが亡くなった、という記事を読んだからだ。

子どもの頃のプロレスといえば「あ、また吉村みちあきがつかまっちゃったよ」「あ、沖しきな。また下敷きになっちゃった」その他、グレート東郷とか…いろいろ居たなぁ。

ブラッシーとか。そうそうデストロイヤーも。

ある日、アメリカで飛行機に乗っていた時の事。

隣に座っていた若い白人の女の子数人が「デストロイヤーって知ってる?あたしたちの学校の体育の先生だったの」

と言っていたことは衝撃だった。

関西では、トイレに行きたい時、特に大きい方だが、子供たちは「猪木ピンチ!」と言ったそうだ。

猪木がピンチになると馬場(ババ)が出る。これ以上の説明は止めておこう。

プロレスはアメリカでも良く観ていた。

いかにもザ・エンターテインメントという感じで結果に一喜一憂するわけではなく、ただ面白くて観ていただけだ。

毎週木曜日。仕事は木曜日が休みだったと記憶している。

だが、ある時、その日の試合が無くなった。

そう、あの9.11だ。

場面にはそれでもリングが写っていた。

そして、各レスラーのコメントを流す。

それは、さしずめ映画スターが語っているように見え、そしてとてもプロレスラーが発している言葉とは思えないものだった。

何処かの国の政治家の原稿棒読みとは雲泥の差であった。

ハルク・ホーガン、トリプルH、アンダーテイカ―、カート・アングル、ザ・ロック…

みんな素晴らしかった。

ハルク・ホーガンの死去、という記事を読んで想い出してしまった。

そう言えば、シアトルの空港で荷物が出てくるのを待っていたら、同じく荷物を待っている人の中にヴィンス・マクマホンが居た。

当時WWEのトップだった人…かな。

思わずサインをもらおうかと思ったが、辞めておいた。

それでもう一つ想い出した。

トニー・マクマホンとツアーしている時「アメリカ人はバカだ!俺の事をマクメンと発音しやがる。俺はマクマホンだ!」と言った。

確かにアメリカでは、ヴィンス・マクメンという発音に近いようだ。

今やもう、プロレスは観ないが、あの頃は木曜日が待ち遠しかった。

いかにも「やらせ」「あ、これ痛いだろうな」いろんな憶測と共に、各レスラーの表情豊かなパフォーマンスも充分楽しめたものだ。

全然関係ないけど、〇〇の市長、そろそろ真剣に入院先を吟味しているかな…。診断書、今度は誰が作ってくれるのかな?

いっそのこと女子プロレスに転向したら…って余計なお世話でした。

リングでの名前だが、英語の剣闘士Gladiatorと、卒業のGraduateをかけあわせて、全くの和製造語だが「グラジュエイター」うん、これで決まりだ…って大きな大きなお世話だ。

それにしても、もうダメか!と思わせておいて、1,2,3で思い切り天井に向かって腕を振り上げる、とか、あのTシャツ破りとか、また観たかったなぁ。トランプの友達っていうのはさておいて…。

人種の壁

あー、またまた解決できない問題を考えさせられてしまった。

100%解決できないであろう事柄については考えない方が良いのだろうが…。

これをまた考えてしまったのは、先日九州の方だったかで起きた事件。

ベトナム人の若い子が犯人だった。

「またベトナム人みんなが悪者になっちゃう」とはニャンちゃんの弁。

でも、こんなことを言っていた。

「日本に来ていろんなところで働いたけど、すごくいじめられたよ。ずいぶん泣いたことも有ったけど、負けちゃいけないと思って日本語を一生懸命勉強した。技能実習で来ている子たちは日本語分からないまま仕事に就く子も多いし、よく怒鳴られたりいじめられたり、という話を聞く。帰りたい、と言っている子もいる…。それでも頑張れる子はいいけど」

多分、帰ることも考えられないんだろうなぁ。兵役もあるし。

言葉の壁もあるけど、ここでの生活は母国に比べると楽なのかもしれない。

アメリカでは朝6時から夜10時まで働いていた中国人のおばちゃんがいた。それも週6日。

ご主人は元学校の先生。英語の本を持っていただけで投獄された、と言っていた。

おばちゃん、「毛沢東大嫌い!」と言っていた。

僕にしても週5日は一日12時間ほど働いた。

でも、それは日本社会みたいな場所だったので、欧米人との繋がりも勿論多く有ったけど、普通に過ごすことが出来た。

前出の話だが、どうも日本人の多くは世界の事を知らなすぎる、と感じる

旅行ではいろんなところに行く人は増えているだろうけど。

先日の選挙の時、一躍話題に登ったのが「外国人問題」外国人受け入れに関することとは充分理解した上だが。

駅前を歩いた時、公然と「中国人を締め出せ」という主旨でわめいている候補者がいた。

これってヘイトスピーチ?と感じた。

子どもの耳を塞ぎながら足早に去っていった中国人の母親がいたそうだ。

確かに観光で来ている人も、住みついている人も、ある一定数は問題行動を起こす人がいるのは日本人でも同じだ。

ここはやっぱり政府にも考えてもらわなければならないだろう。

僕らにはどうしようもできない。

ただやっぱり、多くの子はいじめられて大変、というような話を聞くと、日本人って「いじわる」なんかなぁ、とも思ってしまう。

それに、多分白人だったらいじめられないだろうなぁ、と考えると、やっぱりある種の人種差別意識なんだろう。

文化的な違い…「遅れ」と言っていいのだろうか。文化的に進歩している、というのがどう言う事かもよく分からないけど。

少なくともいろんな話を聞く限りでは50年前の日本、という感じがする。

特に東南アジア辺りは。

日本人が彼らに対して一種の優越感を持っているのは、年寄りの政治家などみれば容易に分かることだ。

かく云う僕だって、愛国心も全くないのに、中国人だけには間違われたくない、なんて思っているのだ。

アメリカでは十把一絡げ、米を食う民族は劣っている、などという考えを持った奴も居る。

でも、中国人の友達も、韓国人の友達も、アラブ人の友達も、僕にはいっぱいいたなぁ。

ベトナム人達はもう家族みたいだったし。

ロシア人の子も居たし、イスラエル人の家族とも親しかったし、そんな意味では人種と言うものは越えられない壁であることも分かったし、全然関係なく付き合えることも分かった。

宗教の違い、文化の違い、風習の違い、そんな事も分かったうえでお構いなしに。

先日、スーパーでアラブ系の子供が二人、客の合間を追いかけっこして走り回っていた。

僕は「走るな!」と言ったが聞きやしない。なので、何語を話すか分からないけど今度は「Hey! Do Not Running! OK?」と怒鳴ってやった。ハッとして止まった。

親がバツ悪そうな顔をしていたが、子どもたちも日本人から怒られたことは初めてかもしれない。

どこの国の人であろうが、悪い事は悪いと正し、良いところは思い切り褒めてあげる。最初から先入観を持ってはいけないのだ。

結局のところ、日本人は他民族と関わるのが下手なんだろうな。

話変わって、このところ異常に暑かった。

ドバイ以来の熱風を肌に感じたが、調べてみると、あちらの湿度は30%程度、こちらは60%ほどもあった。共に40℃という事だが。

ドバイでは、これは神にでも頼らないと生きていけない世界だな、と思ったものだ。

ところで、まだ「デカ盛り」なんていうのやっているんだな。平和というかバカというか。

全然関係のない結末になってきたが、日本、これからどうなるんだろうね。

自民党が選挙での敗北について検証するとかなんとか、そんな事でいちいち涼しい部屋に集まっているらしい…てか、そんな簡単な事が分かっていないのは当人達だけだ。

もっと世界を見て、そして国民に寄り添って欲しいものだ。

金だけが目当てでは大事なことはわからないだろうなぁ。

そんな連中が言葉遊びのように、外国人問題なんて言っていても所詮無理な事なんだろう。

人種の壁どころか、この狭い日本の中でも国民との間に高い壁を作っているのだから。

今日は広島の日。

子どもたちのスピーチは素晴らしかったよ!それにひきかえ…。

2025年8月9日(土)陽のあたる道

次は8月、と聞いた時、「うわ~、暑いだろうなぁ!」と思ってしまった。

事実、ここ数日の暑さときたら、いくら夕方でも歩くのは危険だ、という判断を下していたほどだった。

しかし、そうなると体が鈍る。かと言って危険は避けたい。

そんな数日間だったが、運よく少し気温が下がった。

もう30℃はマシだと思えるようになってきた。

身体が慣れてきたのか、鈍感になってきたのかよく分からないが。

さて、天気も上々。明日から雨になるかもしれない…らしい。

今回はワンさんにお願いして30分ほど早くスタートさせてもらった。

終わってから少しゆっくりみんなともお話したかったので。

皆さん間違う事もなしに時間には集まっていただいたので、更に少し早い目に始めさせていただいた。

ギターは最近気に入っているマーチンの000ジュニアサイズのカッタウエイ。

バンジョーはゴールドトーンの羽毛のように軽いもの。これが意外といい音だった。

朝の雨も久々に歌った。

ドックス・ギターも3段階に分けて速く弾いた。

省悟の唄も歌い、バンジョーは普通のチューニングではなく、ちょっと風変わりなサウンドを、自分自身も楽しんだ。

そして今日はこの近くに住んでいるという、バンジョー弾きの原さとし君が来てくれたので、せっかくのチャンス。ダブルバンジョーで2部をスタート。

弾いていて気持ちよかったのは、彼のセンスと聴く耳の成せる業だ。

いいミュージシャンというのは上手く弾くだけでなく、合わせ上手であることが条件だ、という事を地で言っている人だ、と感じた。

原君に感謝だ。

そして今日は久々にdadgadを数曲弾いた。

ジョン・ウイリアムスのカヴァティーナは僕のアレンジではカッタウエイでないと無理なポジションを使うので、今日はこのギターにしたのだ。

しかし、美しいメロディだ。あの戦争映画を更に感慨深いものにしてくれた大好きな曲。

あと何曲かそのまま弾いて、今日のハイライト。

あの日も今日のように、とHello Vietnamをどちらもアイルランドのメロディをイントロにして歌った。

Hello Vietnamはベトナム難民2世の、未だ訪れたことのない故郷に対する郷愁を歌ったもので、自分の知っている故郷は、コッポラの戦争映画、ヘリコプターの爆音、破壊される村…それだけ、と唄う。僕は、こんなものが歌詞になっていることにとても感動して、ついついウォーキングの最中にも口ずさんでしまっている。

そして、みんなで「街」を唄って、「陽気に行こう」で原君にまた素晴らしいバンジョーを弾いていただいて、リクエストのあった「チャップリン…」でおひらき。

少し早い目に終わったので、多くの方達とゆっくりお話しも出来たと思う。

ワンさん、どんべぇさん、いつもありがとう。

今日は80年前、長崎に原爆が落とされた日。

昨夜は、何気なしにつけたテレビのほとんどがあの太平洋戦争絡みのものだった…というか僕がそればかり選んでいたのだが。

結局4時ころまで寝られなかった。

人類が存続する以上、戦争はいつどこでも起こりうる。

ナパーム弾だって、枯葉剤だって、原爆だって、みんな同じだ。

この暑さで、世界中の戦争に使う道具が全部溶けてしまえばいいのに。

そんな事を考えながら、南の島にいた自分の父の事を考え、ベトナムの友人たちの事を考え、

そうこうしている間に外が明るくなってきてしまった。

そんな一日をこの「陽のあたる道」で過ごさせていただいたことはとても有意義だったといえる。

今現在、進行中のナターシャーセブンのトリビュートアルバムが出来上がったら、またみんなで歌いましょう。

今日、足を運んでいただいた皆さんに感謝します。

そして、犬飼さんご夫妻、いつもありがとうございます。

80年

終戦から80年。

この日には必ず何か書き残しておかなければ、と思ってしまう。

終戦から4年後には産まれているが、もちろん記憶は全く無い。

物心ついたころにはもう既にかなり復興していたんだろうなぁ。

しかし、凄いもんだ。あれだけボロボロになっても立ち直れるんだ。

個人レベルでは考えられない事だけど、勿論、個人でもそれぞれどんな事が有っても立ち直ることは出来るんだろうけど。

原爆まで落とされても素晴らしく発展していく力を持てるなんて、僕にはなかなか考えられるものではない。

ヴィンさんの言っていた、戦争のある側面「民族の団結力」なんだろうか。

それにしても、いまだに他国を攻撃して嬉々としている脳〇その腐っている奴がうようよ居るんだからたまったものじゃない。

ひとつ間違えば、という綱渡りのような生活を僕らはしているんではないかな、と感じる。

大谷翔平、チャック少年になってくれないかな…なんて。

とに角、今日ぐらいは静かに戦没者に祈りを捧げよう。

嬉々として国旗を立てていた父の事も思い出しながら。

追加:90年目、もしかしたら…いやいや…どちらにせよ100年目は絶対に無いはずだ。なので僕が終戦の日について書くのはこれが最後か最後から2番目か…。

ようこそ常夏の島、日本へ!

こんなキャンペーンが出るのもそう遠くはない将来かな。

道を歩いていると、電光掲示板などに表示されている気温よりは4~5℃高く感じる。

アスファルトからの照り返しだろうな。

猛暑、酷暑、危険な暑さ、災害級…次は何だろう。というか、もうなにも言わなくなるか。

先日、息子がベトナム、カンボジア、韓国と旅をして帰りに3日だけ日本に寄って帰って行った。

カンボジアで食事している、と言って電話してきたが36℃と言うので「暑いだろう」と言ったら「ハノイから来たら寒く感じる」という答えが返ってきた。

マシだ、という言葉が出てこなかったんだろうか。

また、「日本人って暑さに弱いの?」と言うので、何故かな、と思ったら、ハノイで日本人の観光客集団が「暑い!暑い!」とヒーヒー言っていたらしい。

西海岸に戻ってから17℃というメールが来た。同じ日、東京は34℃だった。2倍!

エアコンを使わない爺さんばあさんがよく、自慢している、みたいなことを言われているが、確かに自慢げに言う人もいる。

僕は我慢している。

いやいや、昼はさほど必要性を感じないだけだ。

水を浴びれば良いし、幸いにもこの近くには多くの商業施設、商店が存在している。

なので…いや、流石に夜は使っている。

寝ている時も危ないらしいので。

夕方は必ず、よっぽどでない限りは少なくとも1時間から1時間半はウォーキングをしている。

5時半とか過ぎると少し風も出てくるし、その風が汗に当たるとなんとも気持ちが良いのだ。

持論ではあるが、こうして定期的に身体を動かしていれば、熱中症に襲われることもないんじゃないかな、と思う。

基本的にしっかり食べて、よく寝て、適度な運動、ということが大切だと言われるが、これ、結構すべて当てはまっているかもしれない。

しかし、そんな事も言っていられないほどの気候になってくるんだろうなぁ。

ま、その頃にはもう居ないか。

来年はどうなるだろうか。来年くらいの事はまだ気になるけど…。

New Albumのお知らせ

Back to Banjo , Just a Little Memoryと,

立て続けにバンジョー・アルバムをリリースした2024年。

その最中に、絶対に最後まで残ると思っていた高石さんが逝ってしまった。

そして、それはひとつの時代が終わった事を意味していた。少なくとも僕にとって。

1971年、京都の、とあるマンションの一室で始まった物語、いや、音楽…。

当時の日本に於けるフォークソングとは全く違ったアプローチで、特に音楽評論家などからは冷ややかな眼で見られていた。

しかし、そんな中、やはりフォークミュージックの源流を追求したいという人たちにとっては、ある意味、待ち望んでいた存在だったのかもしれない。

事実、フォークソングの原点を探す旅から戻ったばかりの高石氏にとって、日本の音楽シーン、特にフォークソングの在りかたは疑問だらけだったはずだ。

僕は元々、大学を出てからのことは何も考えていなかった。

ひとつだけあるとしたら、当時おしゃれな仕事と感じていたグラフィックデザイナーになりたいな、と思っていたくらいのことかもしれない。

ただ、もうその日から「あの子のひざまくら~♪」と唄う高石氏の歌に合わせてバンジョーを弾いていた。

そんな風にして始まったザ・ナターシャーセブン。

初代メンバーの金海孝寛はナターシャーセブンの音楽を決定づけるマンドリンのイントロを「わたしを待つ人がいる」でスタジオを歩いてマイクに向かい、見事に弾いた。

そんな彼が逝ってからもう5年?時の経つのは早い。

そして、坂庭省悟。

これはもう説明の必要がない一心同体の存在。

正直、様々な事に於いて趣味趣向がことごとく違うのに、なぜ音楽にも生活にも言葉が要らなかったのかが、いまだによく分からない。

金海氏脱退後、僕ら二人の創り出す音がナターシャーサウンドを決定づけて行った、といっても過言ではないだろう。

そんな坂庭省悟が逝ってからもう早22年?時の経つのは早すぎる。

そして、ひょんなことから加わった大物、木田たかすけ。

ある意味、天才だったのだろう。

しかし、そのキャラクターは3人で充分過ぎるほどに成り立っていたと思われていたグループに見事に溶け込み、そして見事にステップアップを施した。

木田たかすけが逝ってからもうかれこれ45年?本当?

そして高石氏が逝ってからも、もう1年。時はどんどん過ぎていく。

今回、僕がこのアルバムを作る決心をしたのは、そんなメンバーの想い出をひとつの形にしたかったからだ。

か、と言って簡単なことではない。

ただ、自分の出来る範囲で皆さんにナターシャーサウンドを想い出して感じていただけたら、という気持ちだ。

木田氏亡き後のベースマン、進藤了彦が昔の写真を引っ張り出して来てくれた。

彼も最初の頃は僕と省悟に「進藤、あれもってこい!」「はい。進藤、行って参ります!」

なんて使い走りばかりさせられていたが、素晴らしいベースマンとして成長していった。

僕自身は、ザ・ナターシャーセブンといえばこの4人+進藤、迄だと思っている。

実際、僕は84年には抜けてしまったのでその後の事は知らないが、少なくとも高石氏の歌を最大限に生かし、グループのサウンドを不動のものにしたのはこのメンバーだと言えるだろう。

アルバム発売に関する情報はもう少ししたら、城田純二HPの10strings CDsの項目に掲載いたします。

辞任

またまた総理大臣が辞任した。

ま、どっちでもいい。

「石破氏を叩いて笑うアホ集団」

それよりも、女子バレーが気になり、山本があんなに良い内容だったのに、おいおい!後から出てきたピッチャー、ひょっとして八百長にでも加担しているんじゃないか、さもなくばふざけているのか、何やってんだ!みたいな、そんな事の方が気がかりだ。

アメリカに居た時、やっぱり総理大臣がコロコロ変わっていて、お客さんから訊かれた。

「日本の総理大臣ってなんであんなにコロコロ変わるんだ?」

正直、こちらも前は誰だっけ?その前は?そして今は誰?

なので、答えることが出来なかったなぁ。

それって、今訊かれても答えられないだろう。

次はだれなのかも興味はないし、勿論、期待もない。

何か月もつだろうか。

不愉快な顔か、知らない顔しか出てこないし。

O J シンプソンの時は、寿司バーでカリフォルニアロールにオレンジジュースをサービスした。O Jだ。

クリントンの時は、カリフォルニアロールをモニカロールとし、別名Arkansas Troubler  とか言って。

クリントンはアーカンソーの出身、モニカはサンフランシスコだった。

伊東市でもそろそろそれなりのメニューが出てきそうだ。

注文したら19.2秒で出てくる、とか。おー忙しい!

やっと涼しくなってきたかな。とはいえども30℃は超えているけど。

水シャワーが少し冷たく感じる時もあるので、やっぱり秋に近づいているのかな。

夏もそろそろ辞任かな。しかししぶとい夏だ。

もう少しの辛抱ですね。

Keep on the Sunny Side 受付

アルバムの先行予約が始まりました。

皆さん、どうかよろしくお願い致します。

ジャケットの絵は、京都の特徴的な「犬矢来」という物を描きました。

こういう呼び名である事、恥ずかしながら初めて知りました。

考えて考えた挙句ではなく、ちょっとしたひらめきで描いてみました。

でも、何枚も何枚も描いてみました。

ライナーには懐かしの写真(進藤了彦提供)も有ります。

きっと気に入ってもらえると思います。

音楽的にも…って一番大事なところですが。

どうか楽しんで、ナターシャーセブンを想い出して一緒に歌ってください。

時折、省悟の声も聴こえてくるような気がします。

9月  陽気に行こう

9月というのは、秋が近いといえども、まだ多少暑さが残る月、という、今まではそんな感じでしたが、それをはるかに上回る暑さが襲ってきています。

これから蚊が出てくるのかもしれないし、台風だってこれからシーズンになるのかな?

さて、Keep on the Sunny Side順調にすべり出しました。

10月1日発売という事ですが、少し早い目に発送できるかもしれません。

お支払いをしていただいたみなさまをあまりお待たせしたくないし、少し余裕を持たせたのですが、もしCDの到着が早かったら発送を開始いたします。

ご注文まだの方はお早目にどうぞ。

ナターシャーセブンを知る方にとっては貴重な一枚になると確信しております。

また、後日、ライナーに書き切れなかった詳しい情報などをこのページに公開致します。

ついでに、ひとつ前の作品、Just a Little Memoryがまだ少しだけ残っております。

スティングのEnglishman in NYに始まり、録音中に亡くなった高石氏に捧げての歌も収録されております。Back to Banjoが売り切れになった後の、バンジョー第2弾です。

もうすぐ絶版になりますので、こちらの方も合わせてご検討ください。

かなり練りに練った渾身の一枚でした…と自分なりに思っています。

ところで、先日の雨は凄かった。

怒涛の如く、というのはああいうものを指して言うのでしょう。

東京の話ですが、午後3時頃からでしたか、窓を開けて外を見てみたら、なにも見えない。

見えるのは滝のように降り注いで風に煽られている水の塊。

もしかしたら生まれて初めて見たくらいの強い雨でした。

案の定、あちこちで停電と河川の氾濫、道路の冠水…いやぁ参りました。

ちょうど帰宅の時とかで外から高校生の叫び声。雷も凄かったし。

会社務めの人達は電車など、大変だっただろうなぁ。

配達の人も1時間くらいは外に出ることは出来なかっただろう危険な状態でした。

CDの配送も頃を見計らって天気とも相談しなければいけないですね。

出来るだけ配送業の方に負担がかからないように。

それではみなさん、まだ確約は出来ませんが、少し早い目に発送できるかも知れないので、そのことだけお知らせしておきます。

発送の転換

いえ、決して変換間違いではありません。

当初、大事をとって10月1日発売を見込んでおりましたが、

CDが到着いたしました。

多くの方にお申込み、そしてご入金をいただいているので、

できる限り早く作業に取り掛かりたいと思います。

なので、うまくいけば近々発送できると思います。

北海道、九州、そして沖縄からもご注文いただいております。

遠方の方には少し時間をいただかなければならないと思いますが、

しばらくお待ちください。

取り急ぎ連絡まで。

遅れるよりはいいかな、と思います。

ドジャースの試合を見て、なんだよ!また後続のピッチャーが台無しにするのか…

と、ため息をつき、空を見上げて、また今日も暑いなァ、土砂降り、来るのかなぁ…

秋はどこへ行ったんだろう…

等々いろいろ思うところある今日この頃。

それでも朝晩、決定的に涼しくはありませんが、少しは過ごしやすくなって来たような気もします。

そんな折、久々にナターシャーセブンを想い出してください。

とても当時のナターシャーサウンドに近い音を体感できると確信しています。

僕自身、最後の「街」で何度か涙が出てしまいました。

暑かった宵々山コンサートや、みんなのこと、そして皆さんのことを想い出しています。

2025年 9月20日 豊川 「街」

その名前からも分かるように、かなり以前からあるナターシャー基盤のお店。

今日もナターシャー大会、とでも言おうか、そんな会に呼ばれて出かけた。

早朝の、いや、普通そうでもないか…新幹線に乗ったが満席ということ。

そうか、なんか休みがあるのか…そうか、秋分の日か、と納得。

そう言えば指定席を取るとき、混んでいると言っていた。

それにしても「やっと秋」「そして秋」だ。

雨にも降られず、風にも吹かれず豊橋に着くと、オーナーの戸狩さんが迎えに来てくれた。

お店に着き、あれやこれや話をして、あの曲のあの部分はこうやって弾いている、とか、ずいぶん昔の曲についての話などに花が咲いた。

僕も記憶を頼りに、というか、中にはそんなのやりましたっけ…なんていうのもある。

ソーラン節のイントロなどはもう何十年も弾いていない。

ナターシャーの時もジョディス・ヘブンの時もイントロを考えるのは僕だった。

イントロって、出たとたん「あー!それそれ!」みたいな重要なものだ。

三々五々、まだ早いのにみんなが集まってきて、僕はちょっと早いお昼ご飯にお寿司をいただき、

さて、帰ろうか、と言ったところで、おでんが出てきて、サンドウィッチまで出てきて、フルーツまでいただいて、さぁ帰ろうか、というところで会の始まり始まり。

皆さん、本当にナターシャー・セブンを愛してくれているな、ということがよく分かる。

ちょっと難しい曲にも挑戦しているし、お馴染みカーターファミリーソングもブルーグラスも、いっぱい登場。

普段、ナターシャーソングを特にレパートリーに加えていないだろう人も、この日のために歌ってくれていた。

僕は2年位前から、全国に広がるナターシャーチルドレンのために、出向いて行ってみんなと交流する、というようなことを、ま、たまにはしてもいいかな、と考えていた。

そこにきて高石さんまで逝ってしまったので、もうこれはやるしかないかな、という気持ちになっていることも確かだ。

そんなことも今回のアルバム「Keep on the Sunny Side」をつくるきっかけにはなっている。

この日、アルバムが間に合うかどうか微妙だったが、持っていけて良かった。

みなさんいいお顔で歌ってくれていい時間を過ごせました。

そうそう本当に帰る前にカレーライスもいただきました。

これぞ「ザ・日本のカレー」という、今どきはなんだか欧風とかキーマとかタイとかスープカレーとか、いろいろあるが、こういう日本人にとっての「ザ・カレー」もやっぱり美味しい。

ありがとうございました。

結局いただいてからもまだ時間があったので、いろいろ弾きました。

リクエストに答えて想い出しながら。

皆さんもいい時間を過ごせたでしょうか。

戸狩さんとお世話役の女性陣、みなさんありがとうございました。

戻ってから昨夜はぐっすり眠りました。

またお会いしましょう。

ライナーKeep on the Sunny Side

1 陽気に行こう

ナターシャーのテーマ、というのも有りましたが、この歌もある意味、テーマソングみたいなものでしたね。

人生は長いものなんでしょうか。短いのでしょうか。

この歳まで生きてきたら、けっこう長かったのかな?と思いますが。

この歌、なんかステージ上で飛び跳ねているともや氏の姿を想い出します。

やっぱりマンドリン、バンジョーの音色。当時のマスメディアにとっては「なんじゃこりゃ?」だったのでしょうね。

高石さんの眼の付け所、冴えていたなぁ。

ギター、マンドリン、バンジョー、それぞれシンプルなメロディを弾いてみました。

やっぱり基本に忠実に、というのは良いですね。

2 朝の雨

僕と省悟の18番、と言えるでしょう。

このアレンジ想い出せば特に相談もせず、こんな風にしようか?と僕が弾き始め、省悟  

が「それならわしはこう行くわ」という感じであっという間に決まった覚えが有ります。

お互い高校生の頃からフォークソングにぞっこんだったので、そう言う意味ではいわゆ  る、ツーカー、だったんだろう。

コーラスも「じゃぁこう行って」とか全く言う必要が無かった。それが僕らの強みだったのかもしれない。

なんか思い出すなぁ。

コンサートの中でも比較的モダンなスタイルだったので、これが出ると雰囲気がガラッと変わったことを。

その辺もこのグループの強みだったのかも。

3 土の中のビリー

まだ「グループを!」というところまでいっていなかった頃の、これだ!と思った名盤

ニッティ・グリッティ・ダート・バンドのアンクルチャーリーの中から。

擦り切れるほど聴いたものだ。僕らの時代では「A面聴いていたらB面も聞こえてくるでぇ~、」というほどによく聴いた。確か当時、山科に住んでいたわたるちゃん(高田渡)の処でも聴いていたなぁ。

ニッティ・グリッティ・ダート・バンドは僕らの目標のグループだった。とことんトラッドもやり、新しいものにも挑戦する、といった…。

4 海の嵐

いつ頃だったか、かなり初期の頃という事は覚えているが「あなた、これ唄ったらいいですよ」と高石さんから勧められた歌。

非常に単純な歌なのでかえって難しい。

少しのアレンジも考えたが、この手のものは元歌に忠実か、かなり近くか、どちらにしてもシンプルに徹した方がいい、と思う。

5 柳の木の下に

本来、省悟の「し~だれ柳が~♪」という声が必要だが、それももう叶わない。

そして、今回はこのメロディーラインを採用してみた。

リッキー・スキャッグスとトニー・ライスが1980年に残した録音で、省悟がかなり気に入っていたものだ。

しかし、あいつ、声高かったなぁ。

自分でも良く言っていた「し~だれ…♪と歌い出すと脳天がプツンといきそうや」

6 兵士と娘

これは大好きな歌。メロディがなんとも言えない。

「兵士と娘に会ったのは~♪」というところでA7th のメロディ、そこに当てはまっているコーラスパートが9thにいく。

これでA9thの…こんな細かいところ、当時の人って別に考えなかったんだろうけど、こんなところが僕にとっては非常に大事。

ここでGのコードに行く人もいるけど、その感覚は僕には無い。

おそらく省悟にもその感覚は無かっただろう。

昔の録音では高石さんとのデュオだった。

7 レッドヘアード・ボーイ~ジューン・アップル

1曲目は元々アイルランドの歌。演奏ではホーンパイプとして扱われることが多いが、ブルーグラスではホーンパイプというものは極めて速く演奏される。

今回、ブルーグラススタイルではあるが、少しテンポを落としてみた。というか、もうあんなに速くは弾けない…かな。

ジューン・アップルの方はおそらくアメリカン・チューン。ノース・カロライナともバージニアの南西部あたりの曲だろうとも言われているが、こちらもとてもポピュラーなもので、こういった曲は楽器を持てば必ずと言っていいほど、始まってしまうものだった。

8 今宵恋に泣く

これは大学時代から慣れ親しんだ歌だ。

スタンレー・ブラザースのえも言われん絶妙なコーラスが大好きだった。

少し、カントリーチックなギターブレイクを考えたので、本来はカントリーバンドと一緒に歌ったりしたら気持ちいいのかな。

9 君眠る丘

カーターファミリーの中でもとても好きな歌だし、また高石さんの訳詩が素晴らしい。

僕も少しアレンジしてみた。

しかし、考えてみると彼、お墓の歌がけっこう多かったような気がする。

この録音ではマンドリンの音色で風を表現してみたかった。

それでもあくまでシンプルをモットーに構成してみた。

10 そして秋~この世の果てまで

この歌はやっぱり高石さんならでは、というところだろう。

なので、インストとして演奏してみたが、メロディが美しく、これが良いかな、と感じた。

このイントロも当時僕が考えたものだが、イントロとかはとても大事だ。

あ、それそれ!みたいな、最初の数小節で世界を作ってしまうような…。

そして、この曲を弾いていて、突然次の曲が思い浮かんだ。

こんな遊び、とも言えることをよく二人で演奏したもんだ。

11山と川

これは笠木さんの詩で、ナターシャーセブンを知る人は誰しもが口ずさみたくなる歌だと思う。

このイントロは録音の数時間前に突然頭に浮かんだもの。

12

さぁ、いよいよ出ました。これがないと始まらないし、終わらない、というほどの名作だと思うし、でも、今までに自身で歌ったことはないし、さて、どうしたもんかと考えている最中に何となく浮かんだのが、マウンテンズ・オブ・ポメロイのメロディ。

学生時代から住んでいた京都の街を想い出しながら、そこにアイルランドのメロディを重ねていく。ひょっとしたら、これは僕にしか出来ない事ではないか、と感じるが、いかがなものだろうか。

そういうことがある意味最も大切な部分かもしれない。

ここでは、イメージ的にみんなで歌う、プラス、女の子の声と言うものが必要だな、と考え、スタジオの近く(比較的)に住み、薬剤師の仕事をしながら、歌っているエリカさんにお願いしてみた。

一番が終わった直後のコーラスではなんか省悟の声が…というか、この録音の随所で省悟の声が聞こえてくるような気がする。

そして、13 として街をブルーグラススタイルで。ここでは敢えてライブ感を出すために非常にラフに録音。緊張と熱気の中、チューニングを直す暇もなかったような、どこか、宵々山コンサート終了後の興奮冷めやらぬ中「さぁ、みんな気を付けて帰ってください!また来年会いましょう!」という永さんの声が聞こえてくるような…。

そして、みんなの笑顔が見えてくるような…。

この街が好きさ~君がいるから~

  この街が好きさ、君の微笑あるから~♪

みんな有難う!!

皆さん、ありがとう。

皆さんのおかげで順調なすべり出しです。

生きている間にこのアルバムを作ることができて良かったなぁ、なんて思っています。

さて、秋らしくなってきましたね。

でも、天気予報では10月にも30℃になる可能性がある、とも言っていますが…ま、それが何日も続かなければ耐えられるかな。

冬はかなり寒くなる、とも言っていました。

なかなかに忍耐力の必要な国になってきました。

面白いですね。一日2時間のスマホ条例。

あんなこと、いい大人が税金使ってみんなで涼しいところに集まって真剣に(でもないのかな)話し合うんですね。

一日一度は笑おう、という条例もありました。

笑かせてくれました。そしてスマホ条例でも。

そのうち一日一度は〇便をしよう、とか、一日一度は鏡を見よう、とか、一日一度はコメを食べようとかいう条例も出てきそう。

罰則はありませんって…。

ところで、総理大臣のこともあるんですね。

全く興味がないのですっかり忘れていますが、あれが嫌い、これが嫌い、とか言う以前に興味がないのです。

どうせ数か月たったら何もしないうちに変わるんじゃぁないの?とか思ってしまうんです。

国民の暮らしなどには全く無関心で、金と権力にしか興味がないんだから仕方ない、と思ってしまうんです。

一日一度は総理大臣のことを考えよう条例。罰則あり。どうやって調べるんだろう。

調べる、といえば国勢調査ってあるんですね。

友人の一人が調査員というのをやらされている(?)らしく、お宅にもだれか行くかもしれないのでよろしく、なんて言っていました。

僕はこう答える、と言いました「国の勢いなどまるで感じない」

Keep on the Sunny Sideの勢いは感じます。

ナターシャー・セブン、そしてみなさんありがとう。

一日一度はナターシャー・セブンを聴こう、という罰則付きの条例でも発しようかな…。失礼!

質問


この場を借りて質問をするしか方法がないので申し訳ありませんが、

もしお心当たりがありましたらお知らせください。

9月23日に¥3150円をご注文時と違うお名前でご入金された方。

カタカナで〇〇〇〇ファミリーです。

一応、くまなくメールアドレスなども調べましたが、手がかりがありません。

ご入金時にはご注文された時と同じ名前でご入金ください。

もしくは事前に連絡してください。

とにかくこのままではどこに送ったらいいのか分かりませんので。

もしこれを読んでいたら、ということですが。

そして秋…?まるで夏?


朝晩はめっきり涼しくなってきたと思っていたら、お昼には30℃にとどくほどの暑さ。

ま、一時期のような酷さはないけど。

久々に朝のウォーキングをしました。

どっちがいいんだろう。

実際には夕方がいい、とされるようだが。

夏だと18時過ぎくらいでないと無理だし、汗びっしょりになるし、それからのビールは最高だし…。

でも、もう今からはそんなこともないし。

この季節は朝がいいかな。

未だに給湯器は点けず、水浴びだけど、さすがにちょっと冷たく感じるようになってきた。

風邪ひかないようにしなくちゃ。

そういえばここ数年風邪もひいていない…と思う。

去年だったか、一昨年だったか、これが熱中症かな?と思った症状はあったが、一日で回復してしまった。

相変わらず歯も痛くならないし、これだけ歩いていても膝が痛い、とか無いし。

腰も痛くないし、眼もちゃんと見えているし、耳も聞こえている…と思う。

記憶力もそんなに落ちていないようだし(自己診断)…。

あ、最近初めて「ばね指」というものを経験した。

事なきを得たが、こういうのって癖になるのかな、と思うとちょっと怖い。

確かにバンジョーアルバムからこの3作のためにはかなり練習したが、やっぱり歳なのかな…?

そんな今日この頃、おかげさまで今回のアルバムも好調なすべり出しです。

高石さん、省ちゃん、木田ちゃん、七人の会のみんな、円山公園に何日も並んでくれた君たち、

みんなのおかげで出来たアルバム。

ある人は、友也さんが最後に残っても様々な理由でナターシャーのトリビュートアルバムは作れなかったでしょう…と言っていましたが、確かにそうかもしれない。

省ちゃん、木田ちゃん、友也さんが天国から城田さんにこのミッションを託したのでしょう、と。

そんなこと思いもしなかったけど。

なんか秋の夜長にもってこいのアルバムに仕上がったような気がする。

少しだけひんやりと感じる風に当たりながら、そうだな、ウイスキーでも…お好きでしょう♪なんて、関係ないか。

僕はジンが良いかも。どうせ弱いので氷をいっぱい入れて、小さな小さなグラスで、最後は氷水飲んでいるくらいで。

秋は一番好きな季節なのにめちゃ短い。

もう少し秋を堪能してみたいものだ。

この街がすきさ~♪なんて一緒に歌いながら…。

10月

ひとつ前に魚について書いたが、本当は「もう10月?」ということを書きたかった。

でも、なぜか今朝ちらっと耳にしたサンマの豊漁というニュースを想い出したとたんに「魚」と書いてしまったのだ。

そう、驚くべきことにもう10月だ。

すぐに年末がやってくる。なんと短い人生なんだろうか…。

いやいや、そんなこともないが。

しかし、市長ってそんなに美味しい仕事なんだろうか。

市民からどれだけ苦情が来ようが、嘘八百を並べ続けようが、どうしてもしがみつきたい仕事なんだろうか。

結局、金だろうな、ということは100パーセント明確だ、と思わざるを得ない。

伊東に比べれば前橋なんかかわいいもんだ、という気もするし、沖縄は、また昭和のおやじがやっちゃったよ、くらいの程度だ。

本当に日本ってこれからどうなっちゃうんだろうね。

日本沈没は地理的な問題だけではなさそうだ。

世界沈没もありそうだし。

トラとネタのツーショット、キムと習とプーのスリーショット。

おぞましすぎて…。

次は日本の誰とトランプのツーショットが見れるだろう。

ま、それもどうでもいいか、という、僕にはどうしようもないことだし、生きている間、元気な間にもう一作品作っておこうかな、と考えている。

僕は止まっていられないのだ。マグロのようだ、とよく言われる。

そうこうしている間に10月も終わるんだろうなぁ。

毎年作り続けている手描きのカレンダー。

また描かなくてはならない季節がやってくる。

ベトナムカレー

作ってみました。

チキン、サツマイモ、玉ねぎなど…オクラとかパプリカを入れたら綺麗。

う~ん、でもタイカレーとどこが違う?ココナツミルクも入るしなぁ…。

これはバインミーと食べる、と言われた。

そこで謎…。

これはかなりリッチな食事になる。

バインミーとカレー、日本でいえばかつ丼とすきやき…?おー、何と言おうか。

そしたら、どうやらバインミーはパンのこと。

ベトナム語ではバインミーがパン…おいおい、ちょっと待って!じゃぁあのサンドウイッチはなんていうんだ?

訊くと、バインミーだと答える。

近くのベトナム食品の男の子が一生懸命サンドウイッチの中身を教えてくれる。

いや、それは知ってる。僕も良く知っているから。

だからそれに使うパンはなんていうんだ?と訊くと「バインミー」

ということは、バインミー買ってきて、と頼まれたら僕だったらあのサンドウイッチを買って来るが、かれらはそういう間違いはしないのだろうか。

寒天買ってきて、と言われたらみつ豆買ってきて、いやそれじゃなくて…というような。

他にあるだろうか、日本語でそういうの。

インド料理店に行って注文したら「ナンにしますか?」「あれ、今オーダーしたけど」…とはまた違うか。

今調べたらやっぱりバインミーの後に短い言葉で「挟む」とか「肉」とかいうのが本場では付くらしいです。

なのでサンドウイッチが欲しかったら「バインミーなんたら」と言うんだ、ということが分かった。

ま、話の成り行きで分かるのかも。

どちらにせよ、タイカレーとのちがいはよくわからなかった。

タイのグリーンカレーはまたちょっと違うか。

あれ、結構好きだなぁ。

やっと秋

店頭に柿や栗が並ぶと、あ~やっぱり秋なんだなぁ…と感じる。

もう35年ほどまえの話だろうか。

ナッシュビルからカリフォルニアに遊びに来た友人が「柔らかくなった柿を冷凍にしたら美味しいよ」と教えてくれたが、確かに柿シャーベットという感じでとても美味しかった。

今は結構ポピュラーなものになっているみたいだけど。

柿は固めのほうが好きという人と、グジュグジュに柔らかくなったのが好き、という人と2極に別れるようですね。

梨も美味しいけど、果物も高くて買えたもんじゃない。

この物価高はどうなっていくんだろう。

さて、話変わって、おかげさまでナターシャー・セブン・トリビュートも順調に皆さんのお手元に届いているようです。

なので今年中にはほぼ完売というところまでこぎつけそうです。

本当は皆さんの街に出かけて行って、直接お手元に届けたくもありますが、なかなか出不精になってきて、そういうわけにもいきません。

でもいくつか音楽会は有ります。

11月22日には大森の「風に吹かれて」そこでナターシャー・セブンを歌おう、という皆さんの会に誘われておりますが、こちらはもう満席かな。

同じく11月の29日には、東京のグッドストック・トウキョウ。

12月7日にはサウンドタㇺ。

あと12月は今年も年末に静岡のセレンディピティと京都の都雅都雅。

来春は昼下がりコンサートも4月にあるし、ナターシャー・セブン発足から55年。

そんな意味でも今回のトリビュートアルバムは作るべき時が来ていたんだなぁ、と感じています。

最近、美味しい日本茶が本当に美味しい、と感じ、月見団子を買ってきて、トリビュートアルバムを聴きながらゆったりと秋を楽しんでいます。

というようなこともないか。

相変わらずせかせかと動き回っています。

やっと早朝にウォーキングができる気候になってきたし、今ならまだ朝から水浴びできるし、結局落ち着いてゆっくりできない秋を過ごしているうちに冬が来るんだろうなぁ。

やっと秋、なのに。

ノーベル賞

トラがノーベル平和賞を自分が取れなかったら、なんといってノーベル賞委員会を攻撃(口撃)するんだろう。

まるで、ダダをこねてプレゼントをねだっている子供のようだ。

もし取ったりしたら…。

今までに取った人すべてが返還したら面白いのになぁ。

もうこの世界の政治に関わる人間の程度が地に落ちていることを感じる。

いったいいつからこうなってしまったんだろう。

今まで気が付かなかっただけかなぁ。

これが当たり前だったのかなぁ。

とにかく、困った世の中になったもんだ。

素晴らしい!と感動するような話(人間性)は政治の世界からは100%見受けることはできない。

全世界でその現象が起きているような気がする。

話変わって、先日、友人がブルーベリーをたくさん送ってくれた。

こりゃ、ジャムでも作るか、と早速用意。

適当に作ったが、これがまた絶品だった。

ジャムってあんまり食べないが、ブルーベリージャムがこんなに美味しいものとは…と感動。

マーマレードもずいぶん作ったが。

そういえば、アイルランドでブラックベリージャムを作った。

アンドリューのお母ちゃんが美味しいと褒めてくれた。

ブルーベリーは眼に良いらしいけど、すごく沢山あったので、もしかしたら千里眼になったかもしれない。

因みにまだ眼鏡をかけなくてもそこそこ見える。

早朝のスマホはちょっと厳しいかな。

えーと、今日のタイトルはなんだっけ…あ、ノーベル賞か。

最後に一言。

トラよ、ノーベル賞なめたらあかんでぇ!飴でもなめとき!

秋の夜長に

一日中雨だった。シトシトと冷たい雨。

子連れ狼が出そうな雨。

寒いというほどでもなく、冷たい雨はやっぱり秋を感じさせる。

ほんの少しの間…。

何気なし、ここしばらくのアルバムを聴いてみた。

Back to Banjo けっこう練習したなぁ。

約30年近く、ほとんどこういったものは弾いていなかったので。

それでも最後の方、フォギーのセットなんかは鬼気迫るものを自分でも感じる。

産業大学のあの坂道をバンジョーを持って歩いた事。

暗くなってから二軒茶屋の駅までバンジョーを持って歩いた事。

あの頃はまだ軽かったなぁ。

いや、バンジョーも安物で軽かったのかも。

そしてJust a Little Memoryもついでに聴いてみた。

最初のトラックで、よくこんなものバンジョーでやってみようと思ったな、と今更ながらに感じる。

でもやっぱり、多くの移民に囲まれていろんな人生をみてきたこと、苦しかったこと、楽しかったこと、その全てが後押ししていることも感じる。

僕はなぜ日本に生まれたんだろう。

マイクはなぜベトナムだったんだろう…なんて答えのない疑問が頭の中に湧いてくる。

そして、アルバムの最後、疲れた靴を聴いていて、なんだかとても感傷的になってきた。

71年、ともや氏との出会い、名田庄村、その前にマネージャーだった榊原氏。

まだ21歳、大学には行っていたけど、本当に行っているだけだったかも。

バンジョーを弾きに行っていたのかも。

下宿先の、最初は下鴨だったかな、そして一乗寺?その後、岡崎?そんな事も想い出し、感傷に浸ってしまった。

出会いがあり、別れがあり…疲れた靴の後のヘイヘイヘイを聴いていたら、今度は無性に次へ進みたくなった。

Keep on the Sunny Sideへ。

我ながら、なんかすごいストーリーを感じている

いや、ストーリーがすごいのではなく、すごく感じているのだ。

あのヘイヘイヘイは予定になかった。

でも、高石さんと最後に一緒にやったとき、アンコールで「僕バンジョー弾くからあなた歌だけ歌ってください」と、ステージのそでで言ってそのまま出て行った事を想い出していた。

なんか、秋の夜長かなぁ。

こういうの、俗に言う「夜中のラブレター」って言うのかな。

夏なんか暑すぎてちっとも感傷的にはならないのに…。

そしてまた秋

何だか西の方は今日でも30℃くらいのところが多くあったようだ。

東京も蒸し暑さは少し感じたけど、半袖のTシャツで涼しさを満喫できる、もってこいの日和だった。

さすがの僕も、もう水浴びではちょっと寒い。

でも、朝早くに歩いた後は思い切って水を浴びている。でもあと数日だろうな。そんなこと出来るの。

なんかシャキッとするのだ。

そしてコーヒーを飲む。

秋はコーヒーの香りが増すような気がする。

空気の中を漂う香りが夏と違って軽いんだろうなぁ。爽やかなんだろうなぁ。

そして、流石に今日から薄い掛け布団を用意しようかと思っている。

ここ数日、夜中に目が覚めて、おや?なんか寒いかも…と感じたからだ。

寒いのは平気だが、やっぱり寝ている間は冷えるのかな。

夏は暑さで寝ている間の危険度はアップするけど、冬も危険度は高いんだろうな。

気が付けばもう10月も半ば。

気が付けば米を食べたのは一回だけ。

やっぱりパンが好きなようだ。って自分で言うのもおかしいが。

でも、昨日友人が畑でとれた里芋を送ってくれた。

そこで、先日安く買ったごぼうがあり、人参があり、冷凍室にシイタケと鶏さん、レンコンはないけど、筑前煮?がめ煮?ま、そんなものを作ろうと思い立って朝から作った。

普通もう少し時間がかかるのかもしれないけど、あ、こんにゃくだけ買ってきた。

こんにゃくのあく抜きをしている間に全ての野菜を用意し…僕にとっては至って簡単。

そして味もいいものができたが、これで白米とも思わない。

さすがに、パン、とも思わないが。

お茶を淹れて、それで十分。

コーヒーとパンも良いが、たまには和食も良い。

とにかく、やっぱり秋は何気なし何か食べたくなる季節なのかも。

夏には絶対に作りたくなかったシュウマイも再開しようかな。

来週あたりからもう少し秋が深まってくるかも。

もう少し長い間大好きな秋を堪能させてほしい。

皆さんも、束の間かもしれないけど、秋を楽しんでください。

そして、すぐに寒い寒いと言う季節がやってくるでしょう。

記録

ドクターサウンドの小林氏からこんなメールが送られてきた。

「10月14日は重要な日だったようです」と。

記録によると、カーターファミリー最後のレコーディングが行われたのが、1941年10月14日。

それから34年後の10月14日に、ナターシャーセブンは録音のために箱根のロックウェルスタジオに移動。

それも、107ソングブックシリーズの最初、オリジナル・カーターファミリーをお手本に、だった。

因みに1941年は高石氏の生まれ年。

様々な記録を調べてみると35年後の1976年だったのではないか、という疑問も生まれてきたが、その辺は今、ここではどうでもいい。

今日は10月15日。「わたしを待つ人がいる」を録音したのが10月15日となっている。

またまた因みに、Foggy Mountain BDが録音されたのは1949年12月11日。

この年の19日後に僕が生まれた。

記録というのは見返してみると面白い。

あ~そうだったんだ!とか計算が合わないなぁ…とか。これ写植ミスじゃねぇ?とか。

どちらか、小林氏を上まわるナターシャー記録係の方がいらっしゃたら、また興味深い記事を送ってください。

検証すべき事柄がいろいろ出てくるかもしれません。

テレビ

ほとんど見ることはない。

ニュース、ドジャース、良い映画、興味のあるドキュメンタリー。

なので朝、起きたときに天気予報を見て、たまにBSのワールドニュース。夜はほとんど点いていない。

点けても、なんか芸能人とやらのバカ騒ぎの声がするのですぐ消すが、最近、別にもすぐ消す番組が現れた。

政治に関することだ。

政治家の顔が出てくると不愉快になって慌てて消す。

チャンネル変えても出ているし。

しかし、国民の政治離れというよりも、政治家の国民離れと言ったほうが当たっている。

映画では久々にETをやっていたので見始めたが、あまりに短く編集されているので興味を削がれてしまって途中でやめて寝た。

Field of Dreamsは何度見ても良い映画だ。また泣いてしまった。

American Sniperも最近やっていた。

民放はコマーシャルの多さに驚くことがある。

今、トイレ行ったら始まっちゃうかな…と考え、待っても待っても始まらないし、えい!行ってしまおう、とトイレから帰ってきてもまだコマーシャル、ということがよくある。

なんだ、悩むことはなかったじゃん、と。

ドジャースは久々にしびれた。

ドジャースの試合の後はほとんど必ずと言っていいほど、こーちゃん(ロッキード)と電話で話をする。彼の野球に関する眼力は凄いものがある。

佐々木、全然だなぁ、と言うと「いや、あんなもんじゃないで。そのうちやるで!」

大谷も当たらんなぁ「ダメやなぁ、確かに。それでもなんかやってくれるで、きっと。ピッチャーであんだけ投げていたら大したもんやで。手術までして」

「ベシアもスネルも、ホンマはトライネンかて、ええピチャーや」

大体、彼の言っていることは当たる。

むかし、脚立から落ちて、手を捻った時の医者に対する第一声が「野球できますか?」だったそうだ。

僕と同じ歳の兄がいたが、兄弟で凄かったようだ。

こーちゃんに言わせると「わしなんか問題外や」というほどの兄。

ある時、みんなで野球やっていて彼がセンターを守っていた。そこへライナーが行き、バックホームのために思い切り投げた。

ちょうどセカンドに高石さんがいた。

おもいきり投げた球が思い切り高石さんの頭に当たって思い切り天高く跳ね上がった。

みんな驚いた。

硬球だったらえらいことだったが、高石さん苦笑いして立っていた。

こーちゃんが「そんなとこに立っているからや。センターに球が飛んだらしゃがまにゃいかん」

あれ、テレビの話がいつの間にか野球の話に…。

ま、しばらくの間はまたドジャースでテレビにはお世話になるかもしれない。

それ以外はほとんど静かに鎮座しているが。

ヤジ

見ても聞いてもいなかったので、何とも言えないが、前々から気にはなっていた。

国会のやじの話。おやじではない。

今回の首相所信表明というもの。

その際の「ヤジ」というのが酷かったらしく…いや、何度か見たこともあるが、結果、こいつらは勘違い集団、脳無し集団…他に言い当てる言葉があるだろうか…という風にしか見えない事が多々あった。

誰だか「聞く耳を持つ」とか言って全く聞かなかった奴がいたけど、別にわざわざ言わなくても基本的なことだろう。

いつも同じことを思うが、肉声で動物愛護を訴えている人のすぐ横で、マイク片手にギャアギャア言っている政治家。

騒げば良いって言うもんじゃないことくらい考えなくても分かるはずだと思うが。

「ヤジは国会の華」とか言う言葉があるらしいが「ヤジは国会の恥」だ。

これを擁護する低俗な考えが僕にはよく分からない。

そりゃあ、いろんな考え方があることは分かるが「他人の話を聞くよりも自分の言いたいことのほうが大事」という考え方は、どう考えてもよく分からない。

音楽をやっていると、音楽は対話だ、ということがよく分かる。

それは他者との対話でもあり、聴く人との対話でもあり、そして音楽そのものとの対話でもある、と感じる。

こういうのってわざわざ言葉で書くと薄っぺらく感じるが、本当にそう思っている。

なので、なおさら人が話しているときにギャアギャア言う政治家というものに辟易してしまう。

そんなことより、大きなレタスが安かったので買ってきてテーブルの上に鎮座していた。

さて、これどうしようかな、と、ふと考えた。

お、冷凍庫にチキンがあった。人参も冷蔵庫にあった。なんかはるさめの残りもあったかも…。

ショウガもあったし、これ鍋に入れて、先ずごま油で炒めたら中華だしで味付けしてスープにして、そこにレタスでも思い切り入れてみようかな。これだったら沢山使えるんじゃないか、と。

むかし、一緒に働いていた日本人のシェフが、白菜のかわりにレタスをすき焼きに入れていた。

白菜が無かったので仕方なしだったが「レタスのすき焼きかぁ…まじいだろうなぁ」と宮崎弁で言い放ち、クッククック笑いながらレタスを切っていた。

「どうせアメリカ人には分かりませんよ。でも…まじいだろうなぁ」とも言っていた。

しかしながら、この中華味スープとはかなり相性が良かった。

レタスは見事にこの料理と対話していた…って無理やりそこに持っていくか?

これまた全然関係ないが、子供のころ父親が「耳なし芳一」という紙芝居をよくやってくれて、それが滅法怖かったのを想い出した。

サンドイッチのパンを「芳一パン」と呼んでいたのは僕と省ちゃん。

寒くなってきました。

いえ、本当に寒くなってきました。風邪ひかないように。

11月

さぁ、11月だ。

ついこの間まであんなに暑かったのに。

今日は10月の最終日。ハロウィーンだ。

アメリカではバスのドライバーとかも、いつもと違うコスチュームだった。

僕は家の灯を全部消して誰も来ないようにしていた。

そして、9、11の年のハロウィーンは静まり返っていた。

いったい、いつごろから日本でバカ騒ぎをするようになったんだろう。

まぁとにかくこれで10月も終わり。なんか早かったなぁ。

まだ総括するには気が早いけど、これ、ひょっとすると、あっという間に年末、そして正月がやってくるだろう。

毎日毎日、普通に暮らせていることは本当に有り難い。

ウクライナとかガザとか、他にもとんでもないことが続いている所があるかと思うと、そろそろ地球自体リセットが必要なのかな、と思ってしまう。

たかが数人のバカのせいで。

今年はあんまり台風も来なかったような気がする。

もちろん、僕にとってなので、東京では、ということだが。

たまに大雨の危険を感じたり…それも1回だったか?

ミサイルも飛んでこないし、蚊も飛んでこなかった。

今の脅威は「熊」か。

あれ見ていると、あんなのが出てきたらもう何にもできないだろうな、というのがよく分かる。

いまだに役所に「熊がかわいそう」という電話があるんだろうか。

住所と名前訊いて、捕まえたやつ宅急便で送ってあげたら、って、宅急便の人嫌だろうな。

そのうち渋谷のスクランブル交差点に熊出没なんて…いうことはないか。

それにしても、なんとかその辺りに住んでいる人たちの身の安全を確保してあげたいものだ。

いくら考えてもどうしようも出来ないようなことが多すぎる。

そうして一生が終わるのかな。

とりあえずこのまま平穏無事に終わってほしい。

いや、まだ終わりそうもないが。

今朝は調子が良かったし、天気もそれほど寒くなくそこそこ良かったので朝っぱらから20000歩も歩いてしまった。

正直なところ「しまった」と思ったが、特に疲れてはいないし、明日は雨っぽいので今日のうちにこれだけ歩いておいて正解かな?

正解は省ちゃんとよく「三好青海入道」と言ったものだった。

11月、というタイトルには沿っていないが、なんか気ぜわしくなってきた。

そんな気がするのは僕だけだろうか。

実はもう次のアルバムを考え始めています。

Keep on the Sunny Sideがおかげさまでかなり少なくなってきたので…というか、すでに計画にはあったのですが、もう次で最後かな?なんて思って…。

指も身体も動くうち、頭もなんとか考える力があるうちに。

ウォーキングは様々な事を考えられてとても良い。

思い起こすこと。想い出すこと。今現在の事。そしてこれから先の事。

1時間半も歩いているとたまにはいいアイデアも浮かんでくるし。

11月はさすがに少し寒くなってくるので防寒対策はしっかりしなくちゃ。

それではみなさん、Happy Halloween !!

11月も1週間…

このところ、毎回こんな風に始まっているような気がする。

そんな中、突然、電子レンジが壊れたみたい。

いろいろ試したが、どうも寿命かもしれない。

あんまり使わないが、やっぱり無いと不便な事も分かっている。

出費がかさむなぁ、と思いながらも、幸いすぐ近くに大手の量販店があるので出かけてみた。

立派な機能がいろいろ付いているものはかなり高額だが、どうせそんなものは要らない。

最低、物が温まればいい。

なので、最高の値段の物には眼もくれず、最低の物から当たってみた。

そういえば、こんなことがあった。

昔、東芝でレコーディングの最中「ウナギでも食べよう」とディレクターやエンジニアー、そしてスタッフたちと有名店に出かけた。

あれは箱根のスタジオにいた時だった。

なので、三島まで出かけ、僕でも知っているくらいの有名店に入った。

みんなでメニューを眺め、それぞれ「僕、最高のやつ!」なんて張り切って言いながら、一番高いやつを意中に収めた。レコード会社の支払いなので…。

そこで、あまりウナギが好きでない省ちゃんが言った。

「僕、最低なやつ」

後ろの席で、その「最低なやつ」を食べていたおばちゃんがずっこけていた。

ま、そんな話はともかく、僕は最低から2番目のものを買った。

機能的にもそれで十分だったし。

それで、若い店員の男の子に「すぐ近所だし、持って帰りますよ」と言ったら「え?大丈夫ですか?14㎏ありますよ」とちょっと驚いていた。

が、彼の手厚い梱包のおかげで、こりゃ行ける、と思った。

が、言われた通りなかなかに重い。

電子レンジってこんなに重かったっけ、と…こりゃバンジョーどころではない、と。

結局、歩いて3~4分の距離、なんとか無事持って帰ったが、どうやら古いものも引き取ってくれる、という話だったので、空いた箱に入れた。

そこで不思議に思ったのが、古い物のほうが少し大きくて機能もそこそこ付いていたのに、こちらのほうが軽い。

15年も使ったからかな?いや、なんでやねん!

ま、とにかくそれを持ってまたすぐに出かけて行った。

先ほどの若い男の子が「あ、もう持ってきてくれたんですか?きれいに箱に入れて。ありがとうございます」などと言って、にこにこ応対してくれた。

疲れたが彼のおかげで気持ちのいい疲れで済んだ。

結局はこれから先、何年使うかわからないし、いろんな機能は使いこなせないし、スマホもPCも自分の度量に合わせたもので十分。

なんて言いながら100まで生きてしまったら、あと2回くらい電子レンジを買わなくてはいけないかも。

そしてもう持って帰るのは不可能になるかも。

なんて思いながら新しい電子レンジを眺めている秋の夜長です…にしてはちょっと寒い。

因みに、オーブンレンジだ。

朝のウオーキング

やっぱり季節は大きく変化している。

そろそろ手袋の準備をしなくては…「手袋さんよ、手袋さん~♪」

汗もかかなくなってきているのでシャワーも必要ない。

そんな中、今朝、いつものコースで病院の前を通りかかった時の事。

救急車が今まさに到着。病院の前に停車しようとしている。

とても丁寧なアナウンスで「右側に寄せて停車いたします」と言っている。

ゆっくりと入口に近づいている。ピーポーピーポーは鳴っている。

その前を普通のOLっぽい子が歩いている。

ゆっくりと。

あれ、気が付いていないのかな、と耳元を見るが、なにも耳には装着していない。

ならば、気が付いているけどお構いなしなのか。

僕は心の中で「轢いてしまえ!」と叫んでしまった。

アメリカのレストランにいつも魚のデリバリーに来ていた、どこからみても普通のアメリカの若者という感じの子がいた。

「What’up Dude! Sushi Dude!」と、いつもニコニコして、ロックスターのような風貌の若者だった。

そんな彼がある日言った。

「俺、救急車のドライバーになりたいんだ。そうすりゃ駐禁とられることもないし、邪魔なやつはバンバン当てていけばいいんだし。気持ちいいぞ、どけどけ!この野郎ども!ってサイレン鳴らして走るんだ」

しょっちゅう何枚もの駐禁チケットを持って裁判所に出向いていたらしい彼は、今頃どうしているのかな。

今、読み返してみたら、2021年に「緊急車両」という項目で彼について書いていた。

話を戻して、

どうもいろいろ見ていると人間の感覚が鈍ってきているようにしか思えない。

なんでも世の中が便利になって、自ら考えなくても、自ら足を運ばなくても良くなってきて、周りも気にしなくてもいいように常になにか聴きながら歩き…等々。

街を歩いていると本当にそういったことが目につく。

なんとか党の党首が逮捕されたが、あの動物は世の中に要らんやろ、と僕は思っている。

ま、地球以外の星に行ってギャアギャア言っていれば良いのではないか、と。

急に話が飛んだようにも思えるが、結局、ああいう動物が増えてくると、人間として本来あるべき姿というものがだんだん薄れてくるような気がしてならない。

せめて自分としては、いろいろ周りに眼をくばりたいものだが、それだから気になってしまうのかな?

でも、せめて疑わしいものには引っかからないように、よく考えるようには心がけている…なんて、そういう人間が引っかかったりしたら笑い者になってしまう。

あ~、面倒くさい世の中になってきたもんだ。

外交

中国との会談で、あのポケット外交(正式な呼び名ではないので是非ここは突っ込まないように)

を見て、ちょっと思い出してしまったことがある。

レストランにいたころは本当に多くの民族と一緒に居た。

それもほとんど一日中といっていいくらい。

その中でもベトナム人、中国人、メキシコ人とは、すぐやめたやつも含め、かなり仲良くしていた。

やっぱりベトナム人がいちばん分かり合えたかもしれない。

いや、他があまりにも違ったのでそう感じたのかも。

何が悪いわけでもなく、ただそのように生まれ、そのように育てられてきたのだろう。

それだけの話だ。

ある日中国人のおばちゃん、ハリーさんが言った。

「日本人はペコペコお辞儀ばっかりする。みっともない」

確かにハリーさんはいつも、なにがあっても頭を下に下げることはなかった。

中国何千年かの歴史に誇りを持っているようだった。

時には鼻につくくらいに自信にあふれていた…ように見えた。

あのポケットに手を突っ込んでいたやつのおばちゃん版だ。

そして僕らはあの日本から出向いて行った人のようだった。

聞くところによると、偶然、通訳の言葉を注意深く聴いていたところを切り取られたようだが、日本人のそういった、ある種、きちんと相手を立てる仕草なんておおよそ関係ないのだ。

中国人はある意味、非常にアメリカ的だ。

日本人には良くも悪くも「恥」とか「外聞」とか、そういうものがある。

なので多くの中国人は平気で「ハウ・ヨー・ドーイン!」といった中国アクセントで大声であいさつする。

「881」なるスラングはサヨナラの意味。

「ババイ~」聞こえようによってはあの爆発音のごとく「パパイ~」に聞こえるので、中国語の「8」と「1」でそうなっているのだろう。

ま、とにかくこれからどうなっていくのだろう。

すぐ収まるだろう、と思っていた日本政府はちょっと甘いのかも。

しかし、それにしてもかなり子供じみている、という印象だ。

北のあの国も、やれ汚物だ、大音量だ、ってまるでピンポンダッシュ。小学生以下。

どちらにせよ、国民の中にはそれなりの分別がつく人間も沢山いるとは思うが、政治に関わっている連中にはそんなものはまるっきしなさそうだ。

どの国もそうだが。

そのうち中国から黄砂に混じってなんか飛んでくるかも…。

日々の天気予報にも新たな注意報が流れるかも。

ところで、あのポケットの中。

殴りかかりたい感情を抑えるべく、固くこぶしを握りしめていたんだろうか?

外交も難しいもんだなぁ。

小さなレストランでさえ、多民族の考えの相違が日々発生しているんだから。

大森 風に吹かれて 2025年11月22日

ほぼ一年前 11月2日だったが、あれからもう1年。早いもんだ。

あの時は少しだけ雨が降っていたようだ。

今回は素晴らしく良い天気だった。

あれ、曇っていたかなぁ…昨日の事を忘れる、というのは…。

いや、でもとりあえず雨は降らなかったし、何を食べたかも覚えている。

キリンさんの企画で、また沢山の人が参加してくれた。

お顔は覚えていま~すが♪

いつも長丁場で金谷さんはじめ、お店の人が一番大変だろう。

ここは料理もなかなかに美味しい。

とはいいながら、ゲストとして呼んでもらっているので、みんなの前で食べるのもなぁ、と思ってしまうが、もちろん以前にも個人的には来たことがあるので知っている。

お料理のスタッフに感謝。

終了後もちょっとしたレクチャーも含めセッションで盛り上がり…と、いつもの事だが。

これがなかなか終われないのだ。スタッフに申し訳ないが。

いや、終わらないのだ。

みんな終わりたくないし、僕も終わりたくない気分にさせられてしまうのはみんなのおかげだ。

そして更に、ナターシャーセブンのトリビュートアルバムを出して間がないので今回は特別な気持ちもあった。

このアルバムは本当に作って良かったと思っている。

この日のように、こんなに多くの人がナターシャーサウンドを愛してくれている、ということを再認識させられるし。

一人で歌っていてもみんなが一緒に歌ってくれるし、歌詞を忘れたら教えてくれるし、ありがたいの一言に尽きる。

幾人かの方とはまた来年の昼下がりコンサートでお会いできるだろう。

みなさん、お疲れさまでした。


トラディショナルとコンテンポラリーの狭間に

たまには音楽の事も書いてみようかな。

政治に対する疑問をぶつけても仕方ないし。

何が「メンタルの強さ」だ。ただ、悪いことをしても悪いと感じないだけだろう。

恐ろしい動物が市の長になっていたもんだ。

そういう意味では、クマと変わらない。

おっと、また始まってしまいそう。

仕切り直して。

なぜか急に自分の音楽の原点を考え出してしまった。

もちろんわかっていることだが。

多分、バンジョーの2作品、そしてナターシャーのトリビュート、この3作品を作ったことで、なお深く様々な事を思い出したり考えたりしたんだろう。

とにかく、かなりの神経を使ってきたことは確かだ。

楽曲に関する記憶を辿り、指使いに関する記憶を辿り、そして新たな指使いを創り出し…。

そんな中で自分の音楽として歩んできた道を考えていた。

ピアノは本当に好きだったようだ。シュローダーみたいに。

高石さんと出会ったのも必然的だったのだと思う。

さぁ、ヒット曲を作って…というものではなく、原点から自分たちなりのものを創り出していく、という姿勢は僕にとってぴったりだった。

そして、省悟が加わり、ここにナターシャーサウンドの基本が生まれた。

コーラスも楽器の絡みも、その基となるものは僕と省ちゃんによって作られたものだ、といっても過言ではない。

そこにきて、僕の、特にトラッドをより深く知ろうという姿勢が高石さんと酷似していたのかもしれない。

それは僕がアイリッシュを始めたころのジャックとの出会いと同じものがある。これも必然だったのだろう。

音楽はただ好きでやっていても決して悪くはないが、僕らのような音楽をやっているのならば、そのもととなるところに最低限のリスペクトは必要になってくる。

そのうえで、常に思っていることだが、バッハからロバート・ジョンソン、果てはブラックピンクまで聴くことを常に心がけている。

しかし、あの「アーパツアパツ…」というのはよ~分からん??が、ひたすらキャッチーであることは確かだ。

常に若い人の意見も尊重し、古いものに対するリスペクトを忘れたくない。

音楽に限らず、全てに言えることかもしれないけど…。

2025年11月29日 グッドストック東京

良く晴れた、11月の終わりにしては暖かく、それでいて空気はひんやりとした理想的な日和になった。

良かった。まだ晴れ男健在だ。

今日もベースのてっちゃんと一緒だ。

ナターシャー・セブン、トリビュートアルバムの発売記念。

実はこの場所、グッドストックがこのアルバムを作るきっかけのひとつになっている。

それというのが…。

ここは受付のスペースに多くのLPレコードが置いてある。

いろんな分野のアーティストのものが。

前回お邪魔させていただいた時、始まる前になんとなくそれらを一枚一枚見ていた。

山崎ハコ…お~懐かしい。けっこう好きだったなぁ…。

かぐや姫の最初のアルバム…。

浅川マキ…。昔、省ちゃんと楽屋に行ったら「あたしが化粧落とした顔を見たのはあんたたちが初めてよ」と言われてビビったことがある。にっこりしていたが、ビビった。

そんな中、沢山のナターシャー・セブンのアルバムも出てきた。

それらを見ていた時、ふと「想い出の赤いヤッケ」のジャケットが眼に入った。

いや、そんなものは眼に入るわけがない。

つまらないことは言っていないで、そのジャケットをしばらく見ていた。

それは、ぼくらメンバーがそれぞれの自画像を自分なりの手法で描いたものだった。

ずっと見ていた時、すでに分かっていることなのに何故か「あれ、みんないなくなっちゃったじゃん…」と心の中で呟いてしまった。

そんな気持ちがこのアルバムをつくる決心を固めさせたような気がする。

してみると、このグッドストックは重要な位置にあると言えるだろう。

事実、ここのオーナーである新見さんは、若かりし頃、ナターシャー・セブンコンサートのお客さんであった、という人だ。

そんな意味でも今日のコンサートでナターシャー・セブンを歌う、というのはひとつの使命、とも言えるだろう…って大袈裟か。

ギターソロから入って、歌って、ちょっとバンジョーを弾いて、てっちゃんを呼んで、一緒に歌って、2部ではてっちゃんのソロから僕が是非彼に歌ってほしかった「ランブリングボーイ」

これ、凄く彼が歌うのに良い、と思ったが、ぴったりハマったし、新たなフォークデュオ、とも言える感じに仕上がったような気がしたが…どうだっただろうか。

「朝の雨」も「山と川」もすべてハモってくれて、新曲もきっちり安心感のあふれるベースを弾いてくれてとても良い音楽会になったような気がする。

集まってくれた人たちも沢山歌ってくれてとても嬉しかったし。

てっちゃんの専属整体師の女性も僕の「甘いもん好き」を良く知っていて、すばらしい大福と栗羊羹を持ってきてくれたし…もちろん始まる前にペロッといただきました。

美味しゅうございました。有難う。

音響の吉田さんはブルーグラスマンドリンプレイヤーで本職は靴屋さんだそうだ。

今では下駄や草履などトラッドなものを作っている、と言っていた。

良い音を有難う。

足を運んでいただいたみなさん、有難う。

もう12月です。

暖かくしてあと少しの2025年を楽しくお過ごしください。

2025年12月7日 サウンドタㇺ

お馴染みのサウンドタㇺ。

今回はお馴染み、河合徹三氏に加え、歌い手の脇山えりかも登場する。

そう、トリビュートアルバムの「街」にコーラスで花を添えてくれた人だ。

朝から抜けるような青空が広がり、またしても天気は上々。

スタジオに着くと、甘いもの好きの僕のために大きなおはぎが用意されている。

更に、えりかさんが僕の大好物「アンドーナツ」の絶品を購入してきてくれた。

更に、誰かが持ってきてくれた赤福…どうする?

僕の父も確かに甘いものが好きだった。

朝から大福なんか食べていたし。

お昼ご飯にパンを買って来る、と出て行って、袋にこれでもか!というくらいのアンパンを買っていたっけ。

その血を引いているんだろうなぁ。

さて、リハも3人で順調に終わり、いよいよ本番。

今回もありがたいことに席は全て埋まっている。

久しぶりに「別れの歌」なんか歌って、それも1部の頭の方。

もう終わり、みたいけど、皆さんのお顔を見たらこれを歌いたくなったのだ。

事前に用意してはいたのだが、ちょっと最初の方からじゃなぁ…と危惧していた。でもみんなも歌ってくれて良かったと思う。

てっちゃんと数曲やって、そうそう、「君眠る丘」はGでやるはずが、なんとなくFで入ってしまって、一番を歌ってハーモニーに来ると、なんかてっちゃんが歌いにくそうだったので、何故かなぁ?と思いながら「あ、FじゃなくてGじゃん」と言ってパッとカポをずらしてGに行った。

しかし、流石だ。

突然のFにもベースはしっかり対応していた。大したもんだ。

ま、ナターシャーでもたまにはあったことだが。

そしていよいよえりかさんの登場!

要望により僕は久々のDADGADで伴奏をする。

透きとおった声はやはり場を変えてくれる。天使が舞い降りたように。

彼女のオリジナル「サンフラワー」と「海原」で素晴らしい歌声を聴かせてくれた。

現在、アルバムを製作中だが、良いものを作ってくれるだろう。期待している。

あとはてっちゃんと僕とで、ほとんどフォークデュオ。

てっちゃんの「Rambling Boy」は、これから彼の18番になるかも。

「街」に達すると、多くの人が涙…また涙で、一層みんなの歌声が響く。

若いえりかさんにとってはまた別な世界だが、このレコーディングで、しかも「街」一曲だけに彼女を起用したことは大成功だったと思うし、Mountains of Pomeroyと組み合わせたことも他に類を見ないかたちで大成功だったと確信している。

そういえばえりかさんの「サンフラワー」には間奏にスコットランド民謡の「Loch Lomond」を挿入した。

これも僕でなければ出ないアイディアだろう。

そして、最後は「陽気に行こう」をみんなで。そしてフォギー。

今回は明るく終わってみた。

いままでのコンサートの中でも一味違った、そして落ち着いた中でみんなも歌い、そして泣き、そして笑い…なんかとても良いコンサートだったような気がする。

てっちゃん、えりかさん、たむちゃん夫妻、そして寒い中を駆けつけていただいた皆さんに感謝。

京都や大阪、そして三重県からも…遠いところ有難う。

歌で恩返しができたかもしれない…と勝手に思っております。

どうかみなさん、体に気をつけて良い年の瀬を迎えてください。

またまたゴールデンレトリバー

驚いた。

今朝ウォーキングをしていたら、見たところまだ子犬という領域のゴールデンレトリバーに遭遇した。

そして、示し合わせたようにすごく喜んで飛びついてきた。

飼い主さんが申し訳なさそうに「すみません」と言っていたが、なぜかこの種の犬は僕には限りなく相性がいいのかもしれない。

2013年の6月に同じくゴールデンレトリバーのことを書いたが、今回のはまだ子犬であり、あの時のとは違うはずだ。

なんか前世にあったのかなぁ。

僕がゴールデンレトリバーだったのかも。

ゴールデンレトリバーが僕だったのかも…同じか。

しかし、あの時、アメリカでの犬は明らかにニコニコしていた。

それは、ともすれば人間に見えるくらいクリアーにニコニコしていた。

それも僕を見るなり。

それまで普通に歩いていたのに突然僕に向かって走ってきたのだ。

今日の子犬もそれに近かった。

前世は決して信じないわけではないが、そう信じているわけでもない。

しかし、こんなことがあると、やっぱりそれってあるのかな、と思わざるを得ない。

ずいぶん前に、これもアメリカでの話だが、えらく長いことリスについてこられたこともあった。

あのリスもなんか不思議だった。

さすがにニコニコしていたかどうかは分からないが、止まって振り向くとむこうも止まり、また歩き出すとついてくる。

しばらく続いてどこかへ行ってしまったが。

こういうことってよくあることなんかな?

それにしても不思議だ。

2025年12月15日

またこの日がやってきた。

この日を「饅頭の日」と定めようか。

しかし、このごろ甘いもんオンパレードで少々危険を感じている。

君が居れば手伝ってもらえたのになぁ。

歯は悪かったけど、饅頭やお団子、ゼリーやババロアだったら食えるだろう。

僕は若い時には絶対ケーキ(洋菓子)だったけど、彼は絶対和菓子だった。

もし今居たら逆転しているかも。

「げんをかついでケーキがええで!」なんて言いながら。

京都ではよく清水さんに食べに行った。

あの有名なかさぎ屋さんだ。

亀山をいとおしげに楽しむ様はいまだによく覚えている。

話変わって、

今年のトリビュートアルバムで、多くの人が君の声が聴こえた、と言っている。

確かに僕自身も驚いた。

なにも意識はしていないし、質も高さも全く違うのに、ふとした拍子に「あれ?」と、いまだに感じている。

不思議なもんだ。

今日はまたそれでも聴きながら饅頭でも食べるか…。

饅頭にはお茶だよな。

むかし、静岡生まれの僕が一発入魂の緑茶を淹れてあげたら、口に含んで「ブクブクブク」と。

「お前!」

なんていう事もあったなぁ。

よし、饅頭買いに行こう。

美味しいお茶を淹れて、君にはパックのお茶だ。

パンダ

日本からパンダが居なくなるらしい。

いつだったか上野動物園に見に行ったことがあった。

いや、特に興味があったわけでもなく、ただ単に時代の波に流されていただけだが。

万博もそうだったと思う。もちろんあの70年代の。

まだ行動力も世間一般の出来事にも興味を持つ意欲が有り余っていたころだ。

しかし、今回のパンダのニュースを見ると、老若男女、泣いている人もいる。

それはそれで素晴らしいことだ。

パンダが居なくなったって…なんて思っているが、悲しむ人も沢山いるんだなぁ。

僕にとっては餃子が無くなるほうが悲しい。

あれは中国の生み出した物としては最高傑作だと思う。

焼売もしかり。

街から中華料理店が消えたらそれはそれでパンダより困る。僕としては。

街中華、なんて言っている場合ではない。

家でこっそり餃子作っていたらスパイだと思われるかも。

僕は酢をいっぱい入れて結構「スッパイ」タレが好きだ。なんじゃそりゃ。

パンダのぬいぐるみはどうなるんだろう。

日本から撤退、なんて。

以後、パンダのデザインがついたものは一切売ることが出来なくなったりして。

クマがかわいそうって言っている人にとっては、クマもパンダも一緒なんだろうな。

確かに熊猫なんだが。

ところで、レッサーパンダも居なくなったりして。

ドジャースのバンダは最初パンダだと思った。なんちゅう名前や!と。

だんだん話がまとまらなくなってきたのでこれで失礼。

クリスマス

子供のころ、クリスマスになると聖歌隊がやってきて玄関先で歌って行った。

あれは、母がよく近くのルーテル教会に行っていたからだろう。

それにお隣さんはカナダ人の宣教師さんだったし。

母は、仏教のあの暗い雰囲気が嫌だ、と言っていた。

確かに教会に比べてお寺って暗い感じはする。

讃美歌とお経を(比べるものではないが)どちらがより音楽として捉えられるか…なんて。

ピアノは母の影響だったし。

そんなんで、僕も訳の分からぬままに近所の聖母幼稚園という所に行っていた。

入り口にマリア様の像があったことは覚えている。

そのほかの事はほとんど覚えていない。

でも、あの聖歌隊は母が通っていたルーテル教会から来ていた人たちなんだろうなぁ。

起床ラッパと消灯ラッパの区別がつかなかった父も聴いていたんだろうか。

以前書いた、渡辺さんのクリスマスケーキも想い出深いものだが。

さて、でも子供心に不思議に思ったことがある。

母が亡くなった時、お坊さんが来ていた。

父は、というか家はどうやら浄土真宗だったようで、母の教会通いはあくまで好みの範ちゅうだったようだ。

それで僕は、なんか一生懸命教会に通っていたのに、死んだらお経で…ってどうよ?

と思ったわけだ。

その時、10歳にしてすでに、結局、宗教って死んだときに何で送られるかだけ考えておけば良いのかな。なんか不本意だったんじゃないか?なんて思ったりもした。

でも、東京から大阪に行くのに、新幹線を使うか、飛行機で行くか、車か、在来線か、バスか…いろんな手段があるように、人間死んだら全て同じところに行くのかもしれないし、それぞれ方法が違うだけの話かな、とも思った。

なんか10歳のころの疑問だけど、いまだによくわからない。

母は棺の中で「違うんだなぁ~」と思ったかもしれない。

僕と省ちゃんみたいにハモっていたかもしれない…アホな!

あれは12月の中ごろ。すぐにクリスマスがやってきたが、聖歌隊は来なかったような気がする。

覚えていない。

12月は自分の生まれた月でもあるし、そんな事も経験した月だ。

クリスマスが過ぎるともう今年も終わりですね。

あ~忙しくもいないのに、忙しい…???

2025年12月28,30日 静岡、京都

今回の静岡は28日、日曜日のお昼。

27日に静岡入りして旧友の家へ。

昔だったら夜に何処かへ出かけて、ちょっと飲んだり食べたり…だが二人とも年取ったのかな?

家が一番、ということで近所のスーパーで買い物。

因みに彼とは中学、高校と同じ学校。

高校時代にもうひとりの、彼は一学年上だったが、その彼と3人でThe Roversというフォークグループを結成していた。

当時はフォークブーム。といえども静岡では先陣を切っていたかも。

ま、そんな感じでたくさんの昔話をして、早い目に休んだ。

いつものセレンディピティで今回はお客さんの中でもナターシャー・セブンの歌を歌いたい人にも歌ってもらい、みんなでそれなりに演奏する、などという企画で進めていった。

みんな好きなんだなぁ、音楽が。そしてナターシャーが。

この土地に生まれ、この土地でフォークソングを始めた僕にとっては何とも言えない感情がこみあげてくるのは当然の事だろう。

そして、こちらは第2の故郷。いや、もう此処も同等だろう。

京都。

前日入りして昔からの仲間と食事。こちらはまだパワー全開。少し僕らより若いから…だろうか。

みんな新たに始めた昼下がりコンサートの強力なスタッフだ。

沢山飲んで、沢山食べて、沢山お話して、いつものNさんの家に着くと、100歳のお母さんが出迎えてくれる。

今回も同じ話を何回も聞いたが、その中で「まぁ、良い人生やった…」というフレーズに誰もかなわぬ説得力を感じた。

是非150くらいまでいってほしいが、そうなったらほぼ間違いなく僕らがいないだろう。

200まで…モーゼもびっくり!

そして当日は僕の76歳誕生日コンサート。

もちろん今回はナターシャー・セブン、トリビュートアルバム記念コンサートだ。

そして嬉しいことに進ちゃんがベースを持ってきて一緒に演奏してくれる。

僕も勝手に「これやろう、あれやろう」と注文つけて大変だったかもしれないけど、改めて彼の素晴らしいミュージシャンシップを垣間見ることができた。

やったことのないものでも実に上手くツボを抑えてくれるし、なんといっても寄り添ってくれるのだ。

僕はこれが最も大事なことだと思っている。

シンガーの、あるいはリードしていく相手にどれだけ寄り添った演奏が出来るかは、普段の生活の中でも生かされているんだろう。

彼の音楽に対する姿勢からそんなことも感じることができた。

僕も気持ちよく歌えたし、バンジョーを貸してくれた猪間君にも感謝。

素晴らしい音を作り出してくれた澤くんにも感謝。

僕の京都入りからCD販売、その他なんでも面倒を見てくれる、もうかれこれ50数年にもなる仲間たち、七人の会の元スタッフ、そして都雅都雅の広瀬さんとそのスタッフ。

ここもやっぱり静岡と同じ故郷だ。

打ち上げはいつものラティーノ。

ほぼ毎年、隣のテーブルにやはり12月30日の誕生パーティをする人たちがいて、なんと今年は67歳だったらしく、ちょうど良かったので僕のために使った76のローソクをあげた。

オーナーの川端さんも元気いっぱい。

また来年同じ仲間と同じ場所で会えるだろうか。

1年か…いや、すぐ来るよ、きっと。

それまで皆さん元気で。

静岡のお客さんもスタッフも旧友も、京都のお客さんも家族のようなスタッフも、そして101歳を迎えるお母ちゃんも、みんなみんな元気でいますように。

良いお年を。

あと3時間ちょっとで新年。

2026年 1月1日

やれ誕生日だ、やれ大晦日だ!と言っている間にもう年が明けてしまった。

そうこうしている間に1月が終わり、2月はあっという間に過ぎ、春かと思えばやたらと暑い日が続き、そうしていよいよこのまま死ぬのではないかと思わせる猛暑、酷暑の長い長い夏を生き延び、秋の気配を少しだけ感じた後、また一年が終わってしまう。

ま、考えようによってはそうして無事1年が過ぎてしまえば、それはそれでそれに越したことはない。

政治の世界はなにか変わって、国民目線で考える人がひとりくらい出るだろうか?

米の値段がいくら上がっても、物の値段が軒並み上がっても、結局は他人事でしかないんだろうな。彼らにとっては。

国民はそんな彼らに美味しい飯を食べさせてあげるためにあくせく働いている。

この構図にはもう慣れっこになってしまった。

スポーツや芸術の世界では尊敬できる人はいっぱい出てくるけど、政治の世界には誰一人として出てこないのは何故だろう。不思議だ…?

さて、よく今年の抱負は?とか言うことを聞くが。

ま、このままとりあえず健康体を保って過ごすことができればいいかな、と思っている。

無理のない程度に身体を動かして。

音楽では一昨年から立て続けにアルバムをリリースして、さぁこれで終わり、というわけにいかなくなってきた。

なぜならば、まだ生きていかなくてはならないので。

いや、それだけではない。

今まで支えてくれた人たちのためにも。

そんな意味ではナターシャーのトリビュートアルバムは大きな意義があった。

正直、録音に関してはそんなに苦労はなかったが、そこにたどり着くまではずいぶん試行錯誤を繰り返した感がある。

頭もだいぶ使った。

料理もけっこう頭を使うけど、音楽も頭を使う。良いことだ。

いやいや、自画自賛している場合ではない。

そこで次を考えている。いや、すでに動き始めている。

因みに、トリビュートアルバムはもうすぐ完売になるだろう。

本当に皆さんには感謝しかない。

そしてナターシャー・セブンのメンバーに。

今年は進ちゃんも時間が出来たようだし、ちょっと一緒にやろうか、なんていうことも彼と話し合っている。

ナターシャー・セブンの残した功績はまだまだ色あせることなく、それどころか更に濃くなっているようだ。

昼下がりコンサートがいい例だ。今年は更に盛り上がりそうだし。

この会のスタッフたちには足を向けて寝ることができない…ってどうやって寝たらいいんだろう。

さてさて、みなさん良い一年にしてください。

良い一年になることを願っています。

寒い!!!2026年1月

比較的寒さに強い僕でもさすがに寒い。風がかなり冷たいようです。

そんな中、皆様のおかげでそろそろJust a Little Memory & Keep on the Sunny Side

ともに完売が見えてきました。

再プレスは行わない予定でいます。

それよりも次!と考えるほうが妥当ではないか、という判断です。

本当に皆様には感謝あるのみです。

3日間ほどまたサウンドタㇺに行ってまいりました。

いろいろ考え、いろいろ相談して方向性を探りました。

そして、今回は、珠玉のインストルメンタルをメインにとにかく美しいメロディーを集めてみようかという結論に達しました。

と言えども、今やCDの時代でもない、という風潮もある中、しつこく制作に取り掛かかったわけです。

そして、前3作とはまた違った味わいのものができると確信しております。

5月の連休の後には出来上がることを目指しております。

当初の話題に戻って…とにかく寒いですね。

みなさん風邪ひかないように。

Keep on the Sunny Sideに関して

皆様、有難うございます。

もう少ししたらここでの販売が終了いたします。

今現在、すでにご注文されている中で、まだご入金の無い方も多くおられますが、

後からのご注文でも先にご入金された方が優先となりますので、売り切れとさせていただくこともご了承ください。

このトリビュートアルバムは自分にとっても有意義なものとなりました。

今、また新たな録音に向かっていることはもうお知らせしておりますが、次は「音楽の持つ美しさ」

を追求したもの、という取り組みをしております。

メインはギターのアンサンブルで、今までに出会った曲の中からそのひとつひとつの音使いの繊細な部分を大切にしようかと思っております。

さて、ここからはタイトルとは全く関係ない話。

2026年になったかと思ったら、早くも1か月の半分が過ぎてしまいました。

新年早々、面白かったことは、あの市長の再選かな。

僕はあの市長、元市長か…に比べればかわいいもんだと思っていたので選ばれてしまうんだろうな、とは予測していました。

あの元市長は態度が悪すぎる。

嘘のつき方が度を超して気持ち悪かったし、面構えも気持ち悪かったし…そんな風に思ったのは僕だけではないと思うけど。

片やこちらの市長は嘘をついているんだろうけど「みえみえ」という感もあってどうでもいい、と…

もちろん他県の事だし、ま、自分のところでも特に影響はないし、なんて考えてしまった。

本当にどうでもいいことですね。

どうしても政治に携わっている輩で支持してもいい、と思える人物は一人として居ない。

なんだろうね、これは。

山火事も困ったものだし、雪も大変、クマに関してはどうなんだろう。

また少し暖かくなったら大変になってくるのかも。

そしてまた、ひたすら耐えなくてはならない中東も東南アジアも顔負けの暑さがやってくる。

果たしてこのまま2027年というものを迎えることは出来るんだろうか…。

完売のお知らせ

皆さん、有難うございました。

この度CD「 Keep on the Sunny Side」をこのHP上での完売、とさせていただきます。

そこで、去年の12月より前にご注文されて、そのままになっておられる方々には申し訳ありませんが、キャンセルという判断をいたします。

それ以後の方々に関しては今月(1月)中にお振込をよろしくお願いいたします。

再プレスの予定はありません。

お買い上げいただいた皆さんには本当に感謝いたします。

力不足ではありましたが、それなりに過去のメンバー達、そして長きにわたって支えていただいた皆様に喜んでいただけたと思っております。

なお、ただいま次のアルバムの制作中です。

ギターのアンサンブルをメインにしたものになりますが、こちらの方は5月中ごろの発売を目標にしております。

世間はもうCDの時代ではない、ということを感じながらも、こうして皆様にあたたかく迎えていただけることを重ねて感謝いたします。

また「Just a Little Memory」においても近日中の完売となる可能性があることもお伝えさせていただきます。

2026年1月20日

年が明けたと思っていたらあっという間にもう3週間も経ってしまう。

そして今年もまた誕生日がやってきた。

そして、シマエナガの日。

今日の甘いものは何がいいだろうか。

このごろ甘いものを食べ過ぎている自覚があるので君の分だけ…ってな具合にはいかない。

とにかくなんか考えよう。

お茶はパックでいいか。

君が逝ってからも世の中ではいろんなことが起きている。

なかなか面白いことから、全く困った問題まで。

この地球はいちどリセットしないとやばいかもしれない、というところまで来ている…と感じる。

政治家や金持ちだけが生き残るのはシャクだし、いっそのこと全部無くなってしまったほうがすっきりするのかも。

なんて考えながらも明日に希望を持たなければ、と思ったりもしている。

この日が来るたびに君が生きていたらなんて言うだろうな、という事を考えてしまう。

よく言っていたなぁ、「如何ともしがたい」って。

「おしなべて…」という言葉もよく使っていた。

ま、普通に健康に過ごせて、普通に美味しいものを食べて、普通に仕事もして、等々、それで「おしなべて良し」という事になるのかな。

僕の場合はまだ少しそうして生きている可能性がある。

なのでやっぱり我慢せずに、せっかくの日なので甘いものを買って来よう。

いや、作るか。

くちなしの実もまだ残っているし、きんとんか。

いや、餅もあんこもきな粉もあるし安倍川餅か。

生きている、ということはやっぱり幸せなんかなぁ…。

正義のゆくえ

ハリソン・フォードの映画のタイトルだ。

原題はCrossing Over

ずっと前にも観たことがあって、なんか「ずしん」と来た覚えがあった。

アメリカのいろんな不法移民、すでに法的に認められている移民、そしてその家族、友人などの人生を描いた、とても重い内容の映画だったが、何故いまこれだったんだろう。

ひょっとすると最近アメリカで起きている移民局の強制捜査が関係しているのかな。

副題にICE特別捜査官、とあるし、正にそれだ。

もしこのタイミングでこれを放映したとしたら、アホなTV界にも少しはまともな人がいるのかな?

しかし、この映画はほとんどの日本人にはピンとこないだろう。

2009年の映画らしいが、アメリカでもあまり評価されなかったようだ。

9・11のことも絡んでいたし、もちろんイスラムの家族もずたずたに引き裂かれ、韓国人の家族の悩みも、そしてメキシコ人の家族も登場する。

それぞれは全く無関係なままドラマは進んでゆくが、これはアメリカで暮らした経験が無いと、少し理解に苦しむ映画かもしれない。

映画の終わりは、冒頭に登場したメキシコ人の若い母親がアメリカとの国境近くで…おっとネタバラシになってしまうのでやめておこう。

沢山のメキシコ人と仲良くしていて一日中一緒に働いていたので、彼らの事もよく分かる。

何度も何度も懲りずに国境をすりぬけてくる。

そのたくましさには本当に驚かされた。

この映画では韓国系の少年も出てくるが、あ~一歩間違えばこういうやつもいたなぁ、というものだった。

ベトナム人はみんな難民だったが、メキシコ人はそのほとんどは不法だったんだろうなぁ。

ホセ…ホセ…ホセ…部屋の奥から次々に出てくる若いメキシコ人、ほとんどがホセだった。

日本人では「マサ」というのが圧倒的に多かったが、今では「ショウ」かな。

僕が居たころはベトナムから10年とちょっと。

ちょうどアメリカのベトナム介入について、いろいろとその悪い部分が語り始められたころかもしれない。いや、もうちょっと前からかな。

ベトナム戦争の映画はとても多かった。

そしてそのほとんどが、ソンミ村のことからヒントを得たようなアメリカ軍の悪行を映し出したものだった。

また最近のICEの悪行が取りざたされるのは何年先になるのだろう。

しかし、普通に忘れ去られていくんだろうな。

2026年 昼下がりコンサート

今年も昼下がりコンサートが開催されます。

4月19日(日)14:00開演。

これについての「ぶらさがり会見」はありません。

しょうもないことを言っていないで、みなさん楽しみにしていてください。

スタッフはハードワークをものともせず、そこに楽しみを見つけながら、それぞれが助け合い、手分けして推し進めてくれています。

ミーテイングも複数回開き、意見を出し合って知恵を絞っています。

時折感じてしまうのです。演ずる者が一番楽だと。

どうか皆さん、是非、そんな彼らの情熱を共有してみてください。

どんな政党よりも「やることはやる」「やると言ったことはやる」という誠意を感じる彼らです。

なお、自分の事ですが、ここで完売になりました「keep on the Sunny Side」ほんの少し京都に残っております。10枚もないと思いますが、これが無くなったら本当にもうありません。

そして「Just a Little Memory」もほんの少しだけあります。どちらも再プレスはいたしません。

更に、どちらもこの昼下がりコンサートで最後のお目見えになるのではないか、と思っております。

という、こちらの方もついでにお知らせしておきます。

この混沌とした世界の中で、ありきたりな音楽イベントとは一味違うこの昼下がりコンサートを是非楽しんでください。

僕らもみなさんの笑顔に会えることを楽しみにしております。