2015年 アイルランドの旅 6

月曜のお昼過ぎ、パディが無事荷物を引き上げて、ダブリンに戻って行った。木曜日にはまたこちらに出てくるので、どこかで飲もうぜ、とこわいことを言ってご機嫌さんですっ飛ばして消えて行ったが、また嵐のような数日間になるのだろう。

さて、今日で6月も最後。去年もここで「一年の半分が過ぎてゆく」と書いたはずだ。

今年は7月に入ると、やっぱり教会での演奏が増えてくる。コーマックからの要請でラインアップされていない日もいくつか空けておいてくれ、ということだ。

そういえばショーン・ギャビンからも連絡があった。またいっぱい飲まされるのだろうか。

それでも上質なセッションには是非参加したいものだ。

ところでもうひとつ“そういえば”。

昨夜バッタリ出会った奴がいる。15年にもなるだろうか。デイナの友達で僕も良く知っていたコルムというシンガーだ。

元々サン・フランシスコにいたが、今はニューヨークに住んでいてバケーションでゴルウェイに立ち寄って、偶然僕を見つけたようだ。

「確かデイナもこの辺に来ているよ。ミルタウン・マルベイに行くっていっていたから」と教えてくれた。

もし会えたらおもしろい。ここに来て、道でバッタリ、セッションでバッタリという再会がいっぱいある。

お互い連絡を取り合って、というのとはまた違った趣がある。

2015年 アイルランドの旅 5

パディが、そこの角にいる、とメールしてきた。結局ダブリンからすっ飛ばして来たようだ。

今後の事等を話しながらコーヒーを飲み、食事をしてから少しセッションでものぞいてみるか、ということになりパブに出かける。

ジョニー・リンゴやブライアン・マグラー、ミック・ニーリーのご機嫌なセッションに僕らは加わり、パディは飲み始めた。

飲み出したら止まらない。もうパイプは置きっぱなしであっちへフラフラこっちへフラフラ。

フィドラーのトミー・マッカーシーがパディと会うためにやってきた。そして新たに飲み始める。

どうやら今日は彼の家に泊まるらしいが、荷物は僕の部屋に置いてある。必要な物は歯ブラシくらいだけど、明日取りにいくよ、と言っていたが、朝起きて「僕の荷物がない???」なんて言いそう。パソコンも入っているのに。

これが、昨日(6月28日)一日のできごと。

相変わらず嵐のような男だ。何時頃荷物を取りにくるだろうか。ここにあるよ、と電話してあげた方がいいだろうか。

まだ朝早いしもう少し寝かせておこう。

2015年 アイルランドの旅 4

日曜日。いい天気だ。今日はパディ・キーナンが会いにくると言っていたが、遠路はるばるなのか、近場から来るのかよくわからないので、時間もわからない。

アンドリューもそうだが、彼らには予定などあってないようなものだ。いや、予定はあくまで「予」なのだから狂うこともあって当然なのかも。A型の僕にとっては時として非常に難解(ホークス)な感覚に陥る事がある。が、しかし、僕にもO型の血がはいっているらしく、甚だ気楽に考える時もある。

こんなことを書くと、決まって「血液型なんて気にするのは日本人だけですよ」と、上から目線で述べる人が出てくるが、そんなこと百も承知。環境や経験も加味される事など百も、いや、千も承知だ。

今日は腕立て伏せを百回やりました、などと言うと、必ず「いや、回数は問題ではない」と言う人が出てくるが、そういった場合は単なる目安と考えているだけで、決して百回やったから素晴らしいと思っているわけではない。

何の話からこうなったんだろう。そうか、一般的アイルランド人の事か。いや、彼らミュージシャンは一般的アイルランド人ともかけ離れているのだろう。

ところで、今日は足の不自由な鳥とロビンがなかよくパンを食べている。そこにロビンの子供らしいのも現れた。とびきり小さくてちょんちょん跳ねている。

この鳥たちにもアイルランド気質というものが備わっているのだろうか。この鳥たちもアイリッシュ・ミュージックを聴いて育っているのだろうか。

話は急に変わって、最近特に思うのだが、僕がタイトルやレパートリーにこだわるのは、この音楽に対する敬意なのだ。

かたくなにトラッドにこだわったり、新しいものを拒絶したりするわけではない。

クラシックの時期も含めて音楽との付き合いも60年を越えた。バッハに憧れ、ナルシソ・イエペスに聴き入り、ラジオで50年代のポップスに照準を合わせ、フォークソングと出会い、ブルーグラスに真剣に取り組み、そのかたわらビリー・ホリデイに耳を傾け、ブルースにのめり込み、いいな、と思うものには見境も無く傾倒してきた。

そんな中で自分が生きてゆく道として何故か深く関わりを持ったのがアイリッシュ・ミュージックだ。

僕らのこの音楽に関しての知識なんて微々たるものだ。こうでなければいけない、などと思ったところで屁のつっぱりにもならない。

が、やはり大切に思い、敬意を忘れてはいけないことは確かだ。少なくとも僕にとっては。

それを単なるこだわり、とみるかどうかは個人の自由だが。

 

2015年 アイルランドの旅 3

今年も鳥達がやってくるかな、と思い、パンを裏庭にまいてみた。もうあれから1年。鳥は3歩歩いたら忘れる、という話もあるので、とりあえずまいておけばまた新しい奴がきて食べるだろう、と思っていた。

が、驚いた事に去年良く来ていた足の不自由な鳥が来て食べていた。それから間もなくしてロビンも来たが、こちらは同じ奴かどうか分からない。

明日、もしかしたらパディがゴルウェイにやってくる。

どうやらフランキーにも明日か明後日には会えそうだ。

ま、なんと言ってもアイリッシュ。仕事ならなんとか時間通り、とはいかなくても約束は約束だが、かるーく会おうか、ということは実現するかどうかわからない。

こっちも気長にいくのがいちばん。

鳥達でも眺めてのんびり行ってみよう。

2015年 アイルランドの旅 2

昨日(26日)アイルランドの国営放送RTEラジオで僕らのCDが流れた。これは決してサプライズではなかったが。

去年、コークで演奏した時に出会ったケビンという人物がCDを欲しい、とメールしてきたのだ。

商売が成立した後、彼から長いメールをいただき、その中にラジオ局に持って行く、というくだりがあった。

そして、26日に1トラック流れる、と言ってきたのだ。その日ならゴルウェイにいる、と返事しておいた。

ところが、ゲール語の放送だ。かろうじて聞き取れるのは知っている人物の名前くらい。

ハリー・ブラッドリーの歯切れのいいフルート演奏が流れ、ジョン・マクシェリーのパイプがモダンなサウンドを作り出している。

そしていよいよ僕らの番だ。名前を言っているのはわかる。トラックは2番目の「Anna Foxe」

と同時にあちらこちらからメールや電話がきた。

「聴いてる?」コーマック・ベグリーが最初だったので「うん・聴いてる。でも何言ってるのかサッパリ分からない」とメールしたら「彼はすごく気に入って今週中にでも別なトラックをかける、と言っている」と翻訳してくれた。

そんなこんなで一日がまた過ぎてゆくが、やっぱり楽器がよく鳴る。建物の造りと空気の乾燥具合だ。

しかし、一日のうちに少なくとも1回は雨が降るのが日常茶飯事。不思議だ。

相変わらず寒い。

2015年 アイルランドの旅 1

6月23日、アブダビ空港。どこもかしこも全く見当のつかない文字が並んでいる。

素朴な疑問。この国で言う「達筆」と、そうでない人の違いはあるのだろうか?だとしたら是非それを見てみたいものだ。僕らでも見て分かるのだろうか。

希花さんも同じ事を考えていたと言うから、日本人の多くは考える事なんだろう。

外はかなり暑いようだが、その分空港内は結構寒い。見るからにインド系やアラブ系の人が多い。そして、その多くは頭からすっぽり毛布をかぶって休んでいる。

やっぱり寒さには弱いのかも。

長い待ち時間を経てダブリンに着いた。長い待ち時間とは言っても、見るもの聞くものが全て珍しく、あまり退屈しなかったことは幸いである。

ダブリンは例によって「晴れ」どうやら先ほどまで雨模様だったようだ。

ここで友人のジョンと会うことになっている。

彼はダブリン生まれのオーストラリア人で、アコーディオン奏者だ。本職はいろんな会社を立ち上げてきたバリバリのエリート・ビジネスマン。

彼のいとこでオールドタイムのバンジョー弾き、ビルと一緒にホース岬のシーフードレストランで食事。

バンジョー談義、そしてアイリッシュ・ミュージック談義に大いに花が咲き、初日が過ぎて行く。10時にもなるのに、日本の夕方くらい。

これじゃみんな今から飲みにいくなぁ。だが、彼らもある程度の歳だし、ほとんど普段から飲まない、というので疲れている我々としてはラッキーだった。

たいした時差ぼけも無く、ゴルウェイに向かう。

きっと11時くらいまで彼らと食事や話に夢中になったことが良かったんだろう。でなければ、着いたとたんにバタン。気がついたら夜。今度は寝ようと思っても眠れない。という悪循環になったのだろう。

そうそう。ダブリンを出るときには、空が厚い雲で覆われていたし、途中、かなり激しい雨がバスの窓を叩いていた。

しかし、ゴルウェイに着くと、これまた快晴。先ずは上々。気温は12〜3℃くらいだろうか。

とりあえず、ここでしばらくゆっくりする。

アイリッシュ・ミュージックと我夢土下座

今年もまた、アイルランド行きが近付いてきた。ゴルウェイの教会でのトラッド・コンサートと、イデル・フォックスとのフィークルでのコンサートが今年のメインだ。

行って色々な人に連絡を取れば演奏の機会はまだまだ増えるだろう。

だが、それよりもなによりも、自然に音楽を奏でることの大切さを身をもって体験できるいつもの夏。そこに価値があるのだ。

フランキーとパディもちょうどその頃はアイルランドにいるし、アンドリューは相変わらずだし、ブレンダンも突然顔を出すだろう。

テリーとコーマックは希花のコンサルティーナ仲間になりつつあるし、マット・クラニッチも手ぐすね引いて待っている。

さて、ここ最近、1971年からずっと一緒に山登りや、川下りや、野球、そして音楽をやってきた我夢土下座との音楽会をやったり、残念ながら他界してしまった笠木氏の歌を唄ってきたりして、更に僕たちのアイリッシュ・ミュージックも力強くなってきたような気もする。

面白いものだ。やっぱりどちらも生活の匂い、人々の心の叫びが音楽になっているんだ、とつくづく感じる。

僕は以前から我夢土下座が大好きだった。そして、ケリーの断崖絶壁から大西洋をながめ、ブレンダンの歌を聴いていたとき、笠木透や我夢土下座を想い出していたのだ。

それは決してイベントもののようなアイリッシュ・ミュージックではなく、人々の歌、そして人々の音楽なのだ。

希花は未だに自分のスタイルを模索しているし、この音楽が20年や30年の経験で語れるような音楽ではないことをよく理解している。

本当はもっと軽い気持ちで楽しめればいい。軽い気持ちで「こんなに楽しいものですよ」と他人に教えてあげられたらいい。軽い気持ちで「今日ライブやりまーす」なんて言えたらいい。

それにしても、他人からお金をいただくのは苦しいことだ。その苦しみの中のほんのちょっぴりの楽しみのために100%の努力をするものだ。そしてそのほんのちょっぴりの楽しみはまた次の苦しみへと発展してゆくのだ。

トラッドを謳って楽しいだけでは、それは一種のお遊びだ。お遊びで他人様からお金をいただくわけにはいかない。

希花は、ここ数年アイルランドで人々の生活の中に溶け込み、一流演奏家の下を訪ね、また、かれらとのステージを経験し、多くのセッションホストをこなし、その上、真の意味でのフォーク・ソングを体験している。

アイリッシュ・ミュージックを演奏しながら、ジョセフ・スペンスやロバート・ジョンソン、スティービー・レイ・ヴァーンを聴き、ブルーグラス・ボーイズを聴き、果ては我夢土下座とまで共演させられてしまう。そこが大きくプラスになっているだろうし、未だに模索をする原動力ともなっているのだろう。

僕もフォーク・ミュージックに関わって50年。未だに模索は続いている。

アイルランドに行く前に本物のフォーク・ソングと再会したことはアイリッシュ・ミュージックをもう一度考えるいい機会になったのかもしれない。

帰ってきてから、またいろんな話ができるといいな。

レコーディング

今、新たなレコーディングに取り掛かっております。

Mareka&Junjiとしての4作目。

勿論、その前に伝説のバンド「Eire Japan」が発売になります。こちらは10月末のツァーに向けての発売。

70年代、80年代に世界中のアイリッシュ・ミュージック・ファンを虜にした2人と90年代のアイリッシュ・ミュージック・シーンで最高のギタリストと評された僕とのトリオ。

今回は内藤も少しではありますが参加しております。

常に時代を意識し、様々な音楽に溶け込んできた彼等ですが、そのうえで、本当の意味でのトラッド・アイリッシュ・ミュージックを演奏できる稀有な存在です。

内藤にとっても未知の世界であったかもしれません。しかしながら、彼らが認めるまでのフィドラーになってきたことは間違いありません。

いわゆる「もの珍しさ」や「人情」では、こと音楽に関しては妥協しない彼等です。

ツァー共々お楽しみください。

話をMareka&Junji4作目に戻します。

アルバム・タイトルは密かに決めていますが、どう変わるか分からないので、まだ伏せておきます。

今のところ2曲の黒人霊歌を含むアイリッシュ・チューンの数々。フィドル、ギター、バンジョー、ハープ、コンサルティーナといういつもの楽器に加え、今回はマンドリンとビオラ、そして12弦ギターをふんだんに使用しました。

音の厚みもかなりあると思います。

しかしながら、またアイルランドで新しいアイデアが浮かぶことも想定内です。なので、まだまだ未完成ともいえますが、12月頃の発売を目指しております。

ロストシティ・キャッツとの再会

  時は2015年、5月9日。今富君のお店、オッピドムにて、もう40年ぶりにもなるだろうか。彼等との再会を果たした。

 まず、ベースの伊藤君が、かなり酔っていたが深々とお辞儀をして出迎えてくれ、お互い元気で生きていることを確認。

 もう本当に40年ほどの月日が流れてしまっているのだ。

次にフィドルの森繁君。確か、くしゃくしゃのカーリーヘアーに口髭、といういで立ちだったと記憶していたが、今ではすっきりとした風貌になっていた。

次にバンジョーの稲井田君。熱くバンジョーについて語り続ける彼は、きっと昔から大好きなバンジョーを片時も離さなかったんだろうな。

そして、今回最も昔のイメージを保っていたマンドリンの井沢君。この4人と我らが敬愛して止まないリードボーカルの今富君。

まぎれもなくロストシティ・キャッツだ。少しだけだったが往年の力強いサウンドも聴くことができた。

1年に1回くらいは集まっているらしいが、今日、僕もここに来ることができて良かった。本当に心からキャッツに乾杯だ。

同じ日、夜からナターシャー・ナイトというのがあって、ナターシャー・セブンの歌を中心に歌うグループが集まった。

皆さんの名前全てが分からないので申し訳ないが、みんなそれぞれに素晴らしい歌と演奏を聴かせてくれて本当に嬉しかった。

この日、なんだか訳もわからず付いてきた希花さん。お疲れ様。

アイリッシュセッション

  今まで数多くのセッションを経験してきた。勿論ブルーグラスもだが、こちらの方は大体ジャムと云われるように、それぞれが腕前や感性を披露するような成り立ちだ。

 ここではアイリッシュのセッションについて書いてみる。

まず、僕の場合はサンフランシスコのプラウ・アンド・スターズのセッションがこの音楽に関わる最初の扉だった。

日曜から木曜まで毎夜行われるセッション。様々なホストが登場していたが、なんといっても地元の老舗バンド、ティプシー・ハウスのセッションは、30人ほどの人が集まり、ぴりぴりした緊張感一杯の上質のセッションだった。

僕もそんな中で若きアンドリュー・マクナマラと出会ったわけだ。やがて、ティプシー・ハウスのメンバーになった僕は日曜と水曜にはセッションホストとして、たまに月曜、火曜には他のメンバーとのセッションホストとして、木曜にはセット・ダンスのミュージシャンとして、金曜か土曜にはステージで、というような毎日をすごすようになった。

セッションをしているといろんな人に会う。グレイ・ラーソンがひょっこり現れたり、クレイ・バックナーもやってきたし。トニー・ファータードも。ピーター・モロイ、チャーリー・レノンなどが顔を出したりすることもあった。

フェスティバルの後は名うてのミュージシャンが大挙押し寄せるし、そんななかで自分なりに腕を磨いていくのだ。

パディ・キーナンやルナサのメンバーと親交を深めたのもそんなセッションに於ける出会いが始まりだった。

セッションでは曲を注意深く聴いて、聴いて聴きまくって、タイトルを訊ねたり、その曲の謂れを聞いたりしながら曲を覚えていき、リズムを叩き込んでいく。

ブルーグラスのプレイヤーが来ると悲惨なことになるのは、以前ジャズ・ギタリストがブルースのセッションに行ったら「帰れ」と云われた、という経験談によく似ている。

彼はアメリカ在住の素晴らしい日本人ジャズ・ギタリストだったが、黒人街のディープなブルース・セッションではそのテクニックは受け入れてもらえなかったようだ。心で弾くことの大切さを教わったよ、と言っていた彼はやっぱりいい音楽家だ。

アイリッシュのセッションでそこまで露骨ではないにせよ、曲をきちんと知らなければ険悪なムードになることがよくあった。いや、充分露骨な態度を取る人も沢山知っているが、みんな根はいいやつだ。

僕にしても、明らかに合わないコードなどを雰囲気だけで弾かれたら、その場から逃れたくなるし、露骨にやめろ!と…云わないが態度で示す時がある。

弾き始めたプレイヤーを制止してその曲のそのパートはこうだ!と言って自分で新たに始めてしまうやつもいる。

確かにセッションはみんなで楽しむものではあるが、そこには最低限のルールと礼儀が必要なセッションも存在する。

 そこをきちんと把握しておかないと、アイルランドでのセッションホストも務まらないだろう。

スタンダードな名曲は少なくとも数百知らないと務まらないし、タイトルを訊かれることもあるので、知らない、忘れた、ではまずい。

ボケている暇はないくらいに、いつもいつも考えていなければいけない。

ティプシー・ハウスのリーダーであるジャック・ギルダーは僕をギタリストに抱えてから、自分の和音感覚に合う人間がやっと現れた、と感じ、次から次へと曲を出してきた。

嫌われようが文句を言われようが、自分がホストのセッションでは自分の納得のいくセットを組み立て、納得のいくかたちで進めていく。

勿論彼は以前から、自宅でも一人こつこつと練習しているようなタイプだったのだが、やはりそんな彼とのセッション三昧が今の僕にもかなり影響を与えている。

しかし、いくら考えてもアイリッシュのセッションというのは独特だ。

Ry Cooder

久しぶりにライ・クーダーをいっぱい聴いた。彼についてはもう、沢山の人達が山ほどの情報を提供してくれているので、今更何も云うことはない。それに僕は彼の追従者でもないし、適当なことも言えない。

だが、結構早いうちから注目していたミュージシャンであることは事実だ。最初のアルバムがリリースされたのが1971年の12月ということだが、その頃すでに手に入れて聴いていた、と記憶している。

何故購入したかはよく覚えていない。ジャケ買い、というほどでもないし…。でも聴いてしびれたことは確かだ。

スライド・ギターの響きや、独特の唄、そのスタイル全てがオールドタイム、ブルースを越えてすでに彼独自の音楽だった。

そして、彼を通してブルース・マンドリンのヤンク・レイチェルを聴き、ジョセフ・スペンスなども聴き始めた。テックス・メックスにも憧れた。

フラコ・ヒメネスのアコーディオンにもしびれたし、グレート・アメリカン・ミュージック・ホールのライブ盤は擦り切れるほど聴き入ったものだ。

それにチャンプルーズの大ヒット曲で聴くことが出来るスライド・ギターにも涙がでるほど感激したものだ。

いろいろ調べてみるとアフリカのマリ出身のミュージシャン、アリ・ファルカ・トゥーレとのアルバムが出てきたが、アリはしばしばブバカル・トラオレと一緒に演奏している。

このブバカルという人。実は僕はカナダで一緒にステージに上がったことがあるのだ。その時はデビッド・リンドレーも一緒だった。リンドレーはライ・クーダーともつながりが深い。

ともかく、ブバカルはフランス語しか通じないので通訳がいろいろ僕に説明してくれた。そして、僕の横でほとんど眠るようなスタイルでギターを弾いていた。彼の連れてきたアフリカン・ドラムの人、それにリンドレーと一緒にやっているワリー・イングラム、ティム・オブライエン、ダーク・パウエル、パディ・キーナンやニーブ・パーソンズもステージ上にいて、もうぐちゃぐちゃだったが。

そう、そこでほとんど眠っていたかと思ったブバカルは、自分の出番が来るとAminorだけで何万人もの人を踊り狂わせた。まるで三上寛だ。違うか…。

そんなこともライ・クーダーを聴いていて思い出したのだが、またしばらく彼の音楽が頭から離れそうにない。

Irish Music その90

O’Mahoney’s/Swallow’s Tail     Reel

  • O’Mahoney’s

“アコーディオン奏者のMartin Mulhaireが1950年代に彼の奥さんCarmel Mahoneyのために書いた、と云われる曲。MahoneyともO’Mahoneyとも、また、作者が付けた最初のタイトルはCarmel O’Mahoneyだった、とも云われている。なにはともあれとても美しい4パートのリール。Breda Smythと一緒によく演奏したが、彼女のホイッスル演奏は耳を疑うほどに素晴らしい。2000年頃、僕が日本に連れてきて、宵宵山コンサートなどで演奏したので、その時聴いた人もいるかもしれない”

 

  • Swallow’s Tail

“最初の頃、教則本で覚えたものだが、Dervishのバージョンとは違うものだった。勿論最初は91年なので、まだ彼らの存在は知らなかった頃だ。彼等自体もまだ形になり始めた頃と言っていいだろう。とに角彼らのバージョンはキーナン・ファミリーがやっていた、トラベラーズ・バージョン、しかもパディのお父さんのバージョンということなのでおもしろい。そして、僕が最初に覚えたバージョンで演奏する人は今ではほとんど聴かない”

 

This is My Love, Do You Like Her?/I Ne’er Shall Wean Her   Jig

  • This is My Love, Do You Like Her?

“有名な曲だが、スライドとして紹介される場合もある。それにI Lost My Love And Care Notという1950年代に録音されている曲はほとんどこれと一緒だと考えられる”

  • I Ne’er Shall Wean Her

“いいメロデイの曲だ。様々なキーで演奏されているが、キーが違うとタイトルが若干変わったりするから面白い。I Shell Ne’er Wean Her となったり。その辺の詳しい事情は分からない”

友あり、またまた遠方より来たる

  サンホセに住む友人のK君がやってきた。去年の僕のバースデー・コンサート以来なので、そんなに長いこと会っていなかったわけではないが、彼が帰国すると大体会うことにしている。

初めて彼と会ったのは、サンタ・クルーズにルナサのコンサートを聴きに行った時のことだと記憶しているが…。

後で彼に尋ねたら、それ以前にプラウ&スターズで会っているそうだ。記憶と云うものもあてにならない。

とに角、それ以来ケルティック・フェスティバルに同行してもらったり、いろいろないい音楽の情報をいただいたりしている。

彼は30年ほど個人事業として、サンホセでピアノの調律の仕事をしている。それも、かなり有名どころの仕事をこなしているようだ。

チーフタンズやチック・コリア、ボブ・ディラン等々、錚々たる顔ぶれだ。そういえば、「アート・ガーファンクルの時は音楽プロデューサーが、あのエリック・ワイズバーグで、音響のチェックの際、大ヒット曲Dueling Banjoを弾いていたことにいたく感動し、それを本番でもう一度聴けたことは今でも鮮烈に思い出されます」と言っているくらい、大のブルーグラス・ファンでもある。

そんな彼の顧客の一部を紹介してみよう。前出の3アーティストの他に、ディブ・ブルーベック、トニー・ベネット、ブルース・ホーンスビー、ノーラ・ジョーンズ、スティービー・ワンダー、ジョニー・キャッシュ、エバリー・ブラザース、イーグルス、BBキング、レイ・チャールス…。

あまり長くやっているので想い出せない人もいるのかもしれないが、この人たちの縁の下の力持ちとなっている彼の実力が伺われる。

彼と長く付き合っている理由のひとつに、彼の音楽体験の豊富さがある。驚くほどに良く知っている。ロックからクラシックからオールド・タイミーまで。もちろんアイリッシュもだ。それも仕事上、というのではなく本当に様々な音楽が好きなのだ。

実際ブリタニ―・ハスの家のピアノを調律していたこともあり、ジャック・タトルからフィドルを習っていたこともあるので、その辺の人脈もかなり広い。

調律師としての感覚もさることながら、その辺の音楽にも精通しているところがかなり面白い人である。

Irish Music その89

Jackie Coleman’s/Moving Bog/Ships are Sailing     Reel

  • Jackie Coleman’s

Jackie Coleman #1としても知られる名曲。ジャッキーといっても決して瀬戸内寂聴さんのことではない。美しいメロディだ。僕は3小節目にEmを弾くか、G6とするか、いまだに悩んでいる。どちらにしても美しい。Emは非常にまともだが、G6はメロディに対して独特な響きを提供する。結局のところメロディをA A’と考えるとEmを弾いておいて次にD onF#からG6にもっていくのがきれいではないか、という結論に最近行きついた。その逆でもいいが、やっぱり曲の成り立ちから考えるとEm/D onF#/Gという並びの方がいいようだ。Em11th Em11th on Bということも考えられるか。そこまで考えなくてもDADGADという調弦で自然にそんな響きを得ることが出来る。たったひとつのコードでもそこまで考えるのがギタリストの役目だ。自分たちの全てのレパートリーについて、これくらいの考えを持つべきだと思う”

  • Moving Bog

“すでに2回も出てきている。その49と、その53だ。何故か変わっていて頭から離れない曲である。最近聞いた話で、希花さんは初期にMatt Cranitchの教則本で学んだそうだが、ある人が(知人ではないが、その人の文章で)Matt Cranitchのお父さんMichael Cranitchから学んだ、と言っていた。偶然で面白い”

  • Ships are Sailing

“特にこれといって情報はないが、古い曲だ。結構初期に誰もが学ぶ曲のひとつであることは間違いないだろう。シンプルで美しいメロディだ。Drogheda Bay(Co.Louth)というBパートが全く同じ(人によりバリエイションが違う場合も当然ながらある)曲があるが関連性はわからない”

 Drogheda Bay    (Reel

  • Drogheda Bay

“ついでにこの曲についても調べてみたが、AndrewMaryのマクナマラ姉、弟がやっていて、そのままMaids of Galwayという曲に入っているのだが、ほとんど同じ曲みたいだ。これじゃぁ、ついでにこの曲に関しても書かなければならなくなってくるが、そこには別にTie the Ribbonsというそっくりなリール(Aパート、Bパート共に少しだけの違いはあるが)も関わってきてしまうしこの辺にしておこう。とに角かなり古い曲であることは確かだし、多分にフルート・チューンと云えることも確かだ”

Tommy Jarrell そしてSonny Terry & Brownie McGhee

  久しぶりに古いTommy Jarrellの演奏を聴いた。YouTubeであったが、何はともあれ、今は亡き人を今一度見られるのはありがたいことだ。

僕は確か、1984年の夏、ヴァージニアのゲイラックスで彼を見たことがある。亡くなったのが85年の1月ということなので、ほとんど直前と云ってもいいくらいだ。1901年の生まれというからそんなに云うほどの歳ではなかったが、僕にとってはとうとう見てしまった伝説の人物という感じだった。

大きな木の下で数人とジャムを楽しんでいた。誰かが「トミーだ。トミー・ジャレルがいる」と言っていたがそれでなければ気がつかなかったかもしれない。

バンジョー弾きとしても有名な彼はノースカロライナの生まれ。アメリカでも最も南部訛りのきついところと言われる。また、アール・スクラッグスの生まれた州なので、5弦バンジョーの故郷としても知られている。

何はともあれ、トミー・ジャレルの演奏に耳を傾けるのは何年ぶりだろうか。それは常に、マイケル・コールマンやジェイムス・モリソンのプレイに耳を傾けるのと一緒のことだ。出来得る限り自分のルーツとなる音楽の先人たちの演奏を聴く。最も大切なことだ。

そんな意味では、今の世の中ありがたいものだ。

ついでに大好きだったSonny Terry & Brownie McGheeも観てしまった。Sonnyは86年、Brownieは96年に亡くなっている。

彼等のアルバムはよく聴いていた。Midnight SpecialPeople Get Ready今聴いてもとことんかっこいい。

ブルーグラスを演奏しているときも、アイリッシュを演奏するときも、ブルースは意識してしまう。

若いアイリッシュの演奏家である希花さんにもこれを見なくちゃ、と言ってB.B Kingから

Johnny Winterそして今回はTommy JarrellからSonny&Brownieまで無理やり聴かせてしまった。

そうこうしているうちにCurtis Mayfieldまでお気に入りになったようだ。

Irish Music その88

The Plains of Boyle/Cronin’s  (Hornpipe

  • Plains of Boyle

“バンジョープレイにもってこいといわれるホーンパイプだ。初心者向きの曲ともいわれるが、たまに思い出してやってみるとそう悪くない。可愛い曲だ”

  • Cronin’s

Paddy Croninの古い録音で聴けるというが、彼の作かどうかはよくわからない。これもかなり最初の頃に習う曲のひとつかもしれない”

 The Mountain Road        Reel

  • The Mountain Road 

“とてもシンプルで初歩的な曲だが、最近注目すべき情報を手に入れた。あまりにポピュラーな曲なので特に気にかけていなかったが、面白いことに6パートもある、という。(普通は2パートで演奏される)。スライゴーのチャンピオン・フィドラー、Michael Gorman(1895-1970)による録音でそれは聴けるが、この人は有名なCooley’s ですら3パート目を作っている。そしてそれはまた別なタイトルまでつけられている。Put the Cake in the Dresserという。こういうことはよくあり、調べれば調べるほど様々な事柄が浮かび上がってくる。きりがないのだが、この音楽に関わってしまった者の宿命ともいえるだろう。こんなどうでもいいことでも、知っていてこの曲を演奏するか、なにも知らずに演奏するか、その辺は僕にとって大きな違いだ。ひとつの知識として”

 Andy McGann’s    Reel

  • Andy McGann’s

“とてもモダンな、いいメロディのリールだ。これも良く分からないが、実際にはJohn McGrathの曲らしい。が、また別の人はSean Ryanの曲だとも云う。Andy McGannという人も著名な作曲家であるし、McGann #42という曲もあるくらいなので、それ以上のAndy McGann’sがあるのだろう。もうよくわからなくなってきたが、とに角できるだけ沢山の情報は得ておこう”   

Irish Music その87

The Galtee Rangers/Swinging on the Gate/The Green Fields of America

  • The Galtee Rangers

“別名Callaghan’sとして知られているとてもシンプルなメロディのポピュラーな曲だ。こういう曲は長いこと演奏していなかったが、メロディがすぐに思い出されるものだ。細かいところはいろいろな人の演奏を聴いてどれがいちばん自分の記憶に近いか、どれがいちばん道理にかなっているか、などを考える。そして、次の曲につなげていく”   

  • Swinging on the Gate

その42にすでに掲載されているが、前の曲とのつながり具合もなかなか良かったので今回はここで使ってみた”

  • The Green Fields of America

“出処はよくわからないが、古いマイケル・コールマンの録音で聴くことができるし、比較的ブルーグラスやオールドタイムの演奏家にも知られている曲ではないかと思われる。3パートある、という人もいるがまだ聴いたことはない。また、The Maid in the Meadowという曲はこの曲のジグ・バージョンだと言われるが、確かにそうかもしれない。更に同じタイトル、The Maids in the Meadow(複数形だが)というリールもよくやっていたことがあるが、それはまた全然違う曲だ。どうでもいいことかもしれないが、面白い。でも、どうでもいいこととしてスルーしてしまうより知っていた方がいいと僕は思うのだが”

桜、桜、桜 そして櫻井ギター工房 Voyager Guitars

  ちょっとした打ち合わせを兼ねて、修善寺へ出かけた。整体師を本職とする旧友のアルマジロ君のところだ。

畑、山、川、そして桜に囲まれたマイナス・イオン一杯の場所を堪能してきたわけだが、今回の目的のひとつとして、いつもアルマジロ君が主催する会で、音響を担当してくれる櫻井君のギター工房を訪ねる、ということもあった。

伊豆半島のほとんど南端、といっていいだろうか。素晴らしい景色を眺めながら、ちょっとアルマジロ君が道を間違えたが、たどり着いたところは、彼の実家。

素敵な作りの家と彼一人が働いている小さな工場。かなり整然としている。以前彼の作ったギターを見せていただいたが、それはオンリー・ワンを目指す職人の創り出すもの、といって間違いなかった。

四国の塩崎君とはまた違ったコンセプトで、自身の特徴を出すべく試行錯誤していくのも大変だろう。

マーティン・ギターというのはもう不動のものだが、そこを研究し尽くすことに生涯を捧げている、といっても過言ではない塩崎君、そして、自分のスタイルを模索していこうと考える櫻井君。どちらも素晴らしい職人である。

彼が初めて作ってみた、というバイオリンも見せていただいた。それも随分前、彼がギター作りを学ぶためにイギリスに住んでいたときの作品、ということだ。

それはちゃんとしたバイオリンだったが、彼は今ギター作りがメインになっているので、第2号はしばらく作らないだろう。

ただ、まだ32歳という若さである。クラシック・ギターにも挑戦している。僕らには音の違いは分かるが、なかなか内部構造の違いまでは詳しくわからない。

低音は今作っている鉄線のギターからの経験でそれなりの音が作れるが、高音の鳴りがなかなか出せない、と云う。内部の細かいところが微妙に違うのだろう。

ここでもクラシック・ギター制作家のドアを叩き、様々な知識を吸収しているらしい。

非常にもの静かな青年だが、16歳からギター作りを目指し、19歳で単身イギリスに向かうなど、その情熱は大したものだ。

彼のギターはVoyager Guitarという。もうご存知の方も多いだろう。でも、もしまだ見たこと、弾いたことがなかったら、是非楽器フェアなどで手に取って確かめて欲しい。

そして、塩崎君と同じく、彼の人柄というものにも是非ふれて欲しい、と思うのだ。

Voyager Guitar  http://voyagerguitars.tumblr.com/profile

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動画配信のお知らせ その2

曲はAnna Foxe.クレアーのアコーディオン奏者ジョセフィン・マーシュの作曲。2013年に希花さんがジョセフィン自身から教えてもらったとても可愛らしい曲だ。

ジョセフィンと僕との出会いは2000年頃。サン・フランシスコ・ケルティック・フェスティバルのハイライト・シーンでミュージック・フロム・クレアーという集いがあった時のことだ。

僕は多くのミュージシャンのアコンパニストを務めた。アンドリュー・マクナマラ&マーテイン・ヘイズとのトリオでも演奏した。メアリー・マクナマラ&キャサリン・マカボイともトリオで。その時にジョセフィンに「あたしたちにも参加して」と頼まれた。メンバーはあとひとり。超絶技巧のマンドリン奏者デクラン・コリーであった。これもトリオで45分のステージを務めた。

それ以来アイルランドを訪れると、必ず声をかけてくれる。そんな中、とあるセッションで彼女が弾いたものを希花さんが習いコンサルティーナでのレパートリーとして加えることになった。

ジョセフィンのセッションには、彼女のその類まれなスタイルのアコーディオン奏法と、誰からも好かれる人柄で多くのミュージシャンが集まる。

なお、この曲は僕らのアルバム「The Rambler」でも録音している。

動画配信のお知らせ

  春もやってきて、それでもやたらと寒かったり急に暖かくなったりと、これからいい季節になる前兆のような今日この頃。

溝の口のコーヒー・ハウス「バードランド」にて、動画を作成しました。藤森さんにも、せっかくのお休みの日、いちにち付き合っていただきました。

撮影はデザイナーの佐谷さん。クエート育ちという変わった人。日本人です。とてもにこやかでやわらかい感じの人なので、出来上がった映像も彼の人柄が感じ取れるものだと思います。

 是非お楽しみください。

M SHIOZAKI Guitar

  その昔、と言っても80年代初期だったろうか。いや、70年代後期だったろうか。とに角、初めてお会いした時、彼(塩崎氏)が手にしていたのは、マーティン・タイプのそれはそれは綺麗なインレイを施したD-45然としたギターだった。

僕と坂庭君が四国ツアーをした時のことだ。

充分注目に値するそのギターを制作したのが彼本人だということを知り、僕らは衝撃を覚えたほどだった。

勿論、当時から様々なギター職人が日本にも存在しただろうし、良い物はさんざん作られてきていたと思うが、これほどまでにマーティン・ギターを再現しているものは、あまり見たことがなかった。

当時、まだ今ほど情報が簡単には手に入りにくく、作り手だけでなく、弾き手も、楽器の細かいところについてはよくわからなかった面がある。

それ以前にはDoc WatsonD-18を持っていれば、比較的安いモデルを買うお金しか無かったんではないか、なんて思ったり、D-21というモデルの存在もよく知らなかった。

D-45は知っていても、D-41のことは全く知らなかったと言っていいだろう。

70年代に様々なギターを見、そしていろんなことが分かってきた80年代初期でも、まだまだ不十分な知識であった。

そんな中にあって決して異色なものを求めるのではなく、ひたすらマーティンを追い続けてきた塩崎氏の熱意は大したものだ。

僕は90年代に入ってマーティン・ギターにほぼ別れを告げた。アイリッシュ・ミュージックとローデン・ギターに出会ったことで。

それは僕がこれから展開していく音楽に最適な“道具”だったからだ。しかしそんな中にあっても機会があるたびに楽器屋さんで、あるいは新聞広告に掲載されているマーティン・ギターを試奏していた。

000-18, 000-28, HD-28, D-18, 00-16など、40年代のものから新しいものまで、中には衝動買いしてしまったものもあった。

当時は多くの手工ギターが世に出始めて、マーティン・ギターの価格も比較的安くなって(感じて)きた頃だった。

だが、それだけではない。やはりマーティン・ギターというのは我が人生の通ってきた大切な道のひとつだったからだろう。

塩崎氏のポスト・マーティン・ギターは僕らの胸を高鳴らせるものだった。シーガルというブランド名で数々の良質のギターを生み出してきた彼は最近、M SHIOZAKIというブランドにネーミングを変更し、奥さんと共に制作を続けている。

彼自身、試行錯誤は繰り返しているだろうが、マーティン・ギターをこよなく愛し、その再現に努める一途の姿勢には頭が下がるばかりだ。

前回の四国ツァーで初めて彼の工房にお邪魔させていただいた。とても大きな立派な工房で「あー、ここでもう何年になるのか、彼はずーっと頑張ってきているんだな」ということをひしひしと感じる場所であった。

彼は過去、僕のために数本のギターを作ってくれた。そのうちの一本は2001年、カナダでステージを共にしたデヴィッド・リンドレ―が「いいギターだなぁ」と言い寄ってきたものだ。

初めて見せていただいた時よりも、また、リンドレーがその存在を認めた時よりも、確実に進歩している彼の作りだす音は、真のマーティン・ギターのノウハウを受け継ぐものとしてこれからもっともっと多くの人に注目されていくことだろう。

そして、なんといっても彼の人柄がいいギターを作りだしている、と言っても過言ではない。

塩崎氏と、彼をサポートし続けている奥さん。お二人の益々のご活躍を願っている。IMG_1895

 

Irish Music その86

 Rathlin Island/Michael Joe Kennedy’s  (Reel

  • Rathlin Island

Josephine Marshのファースト・アルバムから学んだものだが、‘14年のDale Russ来日時、彼もやっていたセットだ。1953年ダブリン生まれのパイパーPeter Browneによって書かれたこの曲、日本ではLunasaの演奏で知られているだろう。またDervishも随分前のアルバムでやっていたかもしれない。北アイルランドBallycastle とスコットランドの間に存在するとても小さな島だ”

  • Michael Joe Kennedy’s

“メロディオン奏者Michael Kennedyによって書かれた曲。希花さん一発入魂のコンサルティーナ・セットだ”

 

The Highlandman who Kissed His Granny/Steeplechase/The Humours of Scarriff/Tone Jacket  Reel

  • Highlandman who Kissed His Granny

“謎多き曲だ。随分昔のスコティッシュ・チューン、それも1760年頃か、とも言われているくらい。その名もRobert Bremner’s Reelと言われるらしいが、O’Neillによると、なんとJolly Sevenと紹介されている、というからもうわけがわからない。確かによく似ているが”

  • Steeplechase

“出処はよくわからないがCarrigalineというタイトルでも良く知られている。この土地名はCo.Corkの2番目に大きい都市として存在する”

  • The Humours of Scarriff

Bothy Bandの演奏でよく知られている。前曲からの繋ぎはTipsy House時代からのものだが、実によくつながっている、と思う。ScarriffCo.Clareに存在する小さな村”

  • Tone Jacket

“作曲者はCo.Corkにある都市 KilnamartyraのフィドラーConnie O’Connellなので、彼のセルフ・タイトルでも知られている。とてもシンプルで可愛らしい曲だ”

 

ローデン・ギターひとり談義

  前回、ローデン・ギターに関して「ローデンにしびれるまで」というレポートを書いた。クラシック・ギターから始まって、国産のどこ製かもわからないギターを質屋で購入したりしながら初めてマーティンD-28を手に入れて…と、60年代、70年代、そして80年代を思いだしてみた。

前回のコラムでは詳しく書かなかったが、ローデンを初めて手にしたのは94年だったかもしれない。

今では存在しないモデルだろうか。スプルース・トップのマホガニー・ボディだった。S-7というラベルが確認できる、ボディの大きい、カッタウェイでないモデルだったが、実に深い低音と、それでいて高音の美しい響きがなんとも言えず豪華なギターだった。因みにこのギターにはピックアップは付けなかった。

記憶ではGryphonというカリフォルニアのパロ・アルトにある楽器屋さんだったと思う。このギターは現在高橋創くんの手元にあるはずだ。

そして、これも恐らくとしかいえないが、それから1年ほどして、ミシガンのエルダリーという楽器屋さんのカタログで中古のローデンLSE-Ⅱという機種を見つけた。

少し小さめのボディが薄く、カッタウェイで、ピックアップ内蔵のモデルだった。しかも破格の値段だった。それも当時だから、ということだが。

僕は現物を見ていないにも関わらず迷うことなく注文した。果たして結果は…ジャカジャン。

そのギターは僕を、アメリカやアイルランドに於けるアイリッシュ・ミュージックのギタリストとして不動の地位へと導いてくれた。

当時、まだジョン・ドイルやドナウ・ヘネシーなどの名前が世に出ていなかった頃、僕はミホー・オドムネィルやザン・マクロード、マーク・サイモス、ダヒ・スプロール、ランダル・ベイズ等のプレイに耳を傾け続けた。

95年の夏にはサンフランシスコのセッションに於ける中心人物として、遠く東海岸、またアイルランドまで名前が知れ渡ってきた。

そこに現れたのがジョン・ヒックスだ。同じタイプのローデン・ギターを縦横無尽に弾きまくっていた。その強烈なキャラクターから生み出される音は未だ健在だ。というよりますます激しくなりつつある。

日本のアイリッシュ、とくにギタリストが彼の存在を認識していない、というのは考えられないことだ。

僕は迷わず彼と交流を図った。彼は自分とは違う僕のスタイルに食いついてきた。そうしてお互いの音楽について語り合い、ツイン・ギターというアイリッシュではあまりないものを楽しんだ。

彼のローデンはシダー・トップでマホガニー・サイド&バックのものだったろうか。そのギターはイタリアでワインを飲み過ぎた後、道で寝ていたらトラックに轢かれてあえなく最期を遂げたそうだ。実に彼らしい。いや、実に彼のギターらしい。今現在は0-32Cを所有しているようだ。

ローデン・ギターとしてはリチャード・トンプソンが弾いていたものも、素晴らしいものだった。

ドナウ・ヘネシーとはよく一緒になったので、大いに語ったものだ。彼はその時点で、すでに5本のローデンを弾き潰した、という噂があったが、それについて確かめるのは忘れていた。

彼の弾き方を見ればそういう都市伝説が生まれるのも納得がいく。

ジョン・ドイルについては、ソーラスを一緒に観ていたスティーブ・クーニーが「あいつは6弦にベースの弦を張っていたけど、いまはどうかな」と言っていた。因みにその時はタカミネをつかっていたようだった。

僕は今現在、LSE-Ⅱ(トップがシトカ・スプルース、サイド&バックがインディアン・ローズウッド)F-32C(シダー・トップ、サイド&バックがマホガニー)O-32C(スプルースとローズウッド)F-32C(スプルースとローズウッド)の4本を所有している。

ローデン・ギターは僕にとってベストではあるが、勿論音の好みやスタイルの好みはある。

ハイポジションの弾き易さのためにはカッタウェイは必須条件だ。ピックアップは内蔵されていればそれに越したことはないが、シダー・トップのF-32には中川イサトさんの紹介で大阪の三木楽器の方に後付していただいた。

後の2本はすべて内蔵されているものだったが、(中古のため元のオーナーが後付したもの)これも購入時に緻密にチェックしないといけない。また、アンダーサドルのものは、各弦のバランス取りが難しい。

僕は必ず後から自分でサドルを作るので、その辺は重要なポイントになる。ローデンのもう一つの選択ポイントは、そのネックの幅だ。ナットのところで45mm。これは僕にとってベストだ。

LSE-Ⅱのネック(S-7も同じく)は45mmだったが、後年ほぼ同じはずのモデルのネック幅が変わってしまった。

これは、ジョージ・ローデン本人が型紙を失ってしまったので、僕の物を彼の工場に送り、彼がそれを基に新たに作ったSE-32というモデルだ。ネック幅は43.5mmに変更されていて、そのわずかな違いが僕にとっては納得のいかないものになった。

きっと、多くのフィンガー・ピッキング・スタイルのギタリスト達から要望があったのかもしれない。

様々なモデルを見たが、今僕が一番気に入っているのはF-32Cということになるだろうか。その大きさ、胴の厚さ、ネックの手触り、表板とサイド&バックの材、全てにおいて完璧と言える。

但し、このモデル、元々ピックアップは付いていないので、付けるか否か、それは自分で選ばなくてはいけなくなるのだが。

他人にとってどうでもいい話ほど長くなりやすいのでこの辺で。

パン派かごはん派か…

 日本食、特にうどんの類を食べると、無性にパン類が食べたくなる。だが、シンプルなお茶漬けも限りなく美味しい。それは明らかに年齢的なものだと、自分でも分かっている。

僕は元来パン派なのだ。ロバのおじさんチンカラリン~♪~

お茶漬けと同じ、シンプルな食パンというのがベストだろうが、総菜パンというのもなかなかに良くできている。

コロッケパン、焼きそばパンはその代表だろう。カレーパンに至っては…!僕より少し上の世代にはメロンパンとアンパンが定番だろう。

僕はメロンパンというものはその良さがよくわからない。アンパンも漉し餡がいいと思うが、つぶ餡でもいい。しかし、餡ドーナツは漉し餡がいい。

と、ここまでくるとなにがなんだか話がまとまらなくなってきた。他人の好みなど、どうでもいいわけで、昨今のネット投稿となんら変わりない。

アイルランドではアンドリュー・マクナマラがいつでも自分で作ったハムサンドくらいしか食べていなかった。自分で作るのは決してそれが好きでやっているわけではない。

安心だし、安上がりだからだ。他人はあまり信用していない。ジャガイモも本物でなければいけないし、海からあがるものは何をたべているか分からない、というのが彼の持論だ。

食べることに時間をかけたくない、という気持ちは僕にもよくわかる。レストランに行ってメニューをよーく見て、ゆっくり食事を、というような感性があまりない。

なのでアンドリューのハムサンドは僕には理解できるのだ。

僕がよく作るのはツナサンド。玉ねぎをみじん切りにして、ツナ缶と黒コショウをふり、マヨネーズをちょっぴりつけて、余裕があればそこにチーズを乗せてトースターで焼くと、ツナメルトの出来上がり。アルファルファがあれば完璧だが日本ではあまり売っていないようだ。

希花さんはツナ缶と玉ねぎだけで食べるらしい。まるで猫だ。曰く「猫は玉ねぎを食べない」そうだ。

とにかく、そんな食事というのが(食事というか、ほとんど非常食)結構好きなのだ。多分レストランでの仕事も経験しているし、外食では、あそこのお客さんが水を欲しがっている、だの、あそこのテーブル、早く片付ければいいのに、だの、そんなことが気になって仕方がないのだ。

そして究極は、これは自分でも簡単に作れる、と思ってしまうことがいけないのだが。

話はそれた。ごはんかパンか、だった。

結局のところ、ごはんにしようと思うと、おかずを考え、味噌汁の具は何にするか考え、白菜でもあれば漬物を作ってみよう、などと考え…そうこうしているうちに、トースト2枚くらいで紅茶でも入れたらそれで満足してしまうところをみると、やっぱりパン派なんだろう。

ここで問題になるのが一日の終わり、そう、晩御飯でもそれでいいか、ということだが、僕の場合それでもいい。

ただしそれが1週間続くと、そのあいだにはご飯を食べたくなるのはやっぱり日本人、という体質がそう感じさせるからだろう。

喫茶店?それともカフェ?

  喫茶店とカフェの違いなんて、百貨店?それともデパート?炉辺焼き?それとも居酒屋?っていうくらいの「世代の違い」程度のことなんだろうか。いやいや、そうでもなさそうだ。

最近、昭和の香り漂う喫茶店がまた話題になっている、という話を聞いた。それでも僕は喫茶店というものには入らない。

最大の理由は、ほとんどの喫茶店とよばれるところが、たばこの匂いと共に成り立っているからだ。

勿論、分煙がきっちりできている喫茶店もあれば、見た感じおしゃれなカフェでも喫煙可というところもある。

しかし理由はそこだけではない。多分、コーヒーいっぱいで何百円も払えない、という考えからだろう。

カフェでも数百円は当たり前だが、どうもそういったところで落ち着いて何時間も過ごしたりすることができない、という性格なのだ。

コーヒーを飲んでいていちばんそれらしい気持になるのは…例えば、長距離バスのバス・ディーポで飲む安いコーヒーだ。

グレイハウンドの、とても綺麗とは言いがたい発着所で、一杯60セントくらいで“なみなみと”入っている美味しくないコーヒーが一番好きだ、と感じることもあった。

大体、ヨーロッパの人のように紅茶やコーヒーを、多少高いお金を出しても楽しむべきだ、と考えてスターバックスのような店がアメリカにも登場した、ということなので、アメリカ人、イコールがぶ飲みコーヒー、というところは確かだ。

本屋さんにもいつでもただで飲めるようにコーヒー・メーカーがセットされているところもあるし、レコーディングスタジオでは、一日過ごせば10杯どころでは済まない。

コーヒーにまつわる話としていつも思い出すのが、多分6歳か7歳くらいの時だと思うが、父親が喫茶店に行くのについて行ったことがある。その時コーヒーというものを初めて見た。

値段を聞いてぶったまげた。確か50円…だったと思う。そんなに高い飲み物があるんだ。それじゃぁ一口だけ、と言って飲んでみてまたぶったまげた。

まずい。世の中でこんなまずいものがあるのだろうか。しかも、こんなものに50円も払うなんて、大人は変わっている。

これが僕の初めてのコーヒー体験だ。そういえば初めてチーズを食べたときは、間違って石鹸を食べたんじゃないかとおもったこともあった。

そして、いつごろからコーヒーなるものを飲むようになったのか、と考えると、やっぱり60年代後半、大学に入ったころからだろうか。

当時ジャズ喫茶というのが京都のあっちこっちにあった。いまでも多少はあるんだろうけど。

暗い空間で、コルトレーンやマイルスを聴きながら、それこそ、漂う煙草の煙の中でほとんど半日過ごしてしまう、なんていう人達もまわりにはずいぶんいた。

僕もブルーグラスをやりながら、たまにはそんなところに行ってウェス・モンゴメリーやジョー・パス、ビル・エヴァンス、オスカー・ピーターソンなどに耳を傾けていた。

コーヒーというとそんな生活を想い出す。

だが、今は豆さえ買ってくればいくらでも自分でつくれるし、コンビニなら100円でそこそこ美味しいし、よそでゆっくり座っているより、自分なりのことが出来る自分の空間にいたほうが気楽だ、と思ってしまう。

誰か友人が来て、食事以外で会うとしたら、やっぱりミスタードーナツ?マック?スタバはいつも混んでるし、ドトールは煙草が匂うし、と、そこでもまず、喫茶店という観念は生まれてこない。カフェと名の付くような感じのところだったら行くかもしれない。

どこかしら、カフェというのは明るくて、喫茶店というのは暗い。そんなイメージを持っているのだろうか。

場末の喫茶店、というものはあっても、場末のカフェというものはないかな。しかし最近は場末のカフェというのも、その立地条件にも関わらず、マスターの人柄、こだわりなどからコアなお客さんの寄り集まる場所として多く存在しているようだ。(場末という言葉には少し語弊があるかもしれないが)

60年から70年初頭にかけては、いわゆる「カフェ」というもの(言葉?概念?)はなかったんだろうな。少なくともぼくらの周りには。

冒頭に書いたように、最近また静かなブームを呼んでいるらしい喫茶店。多分に昭和というものが遠い昔になってきた、という証かもしれない。あるいは高齢化社会の証か。

因みに僕はどちらかというと、紅茶。そして紅茶より日本茶だ。静岡生まれのせいかお茶にはかなりうるさい。

でも、季節の変わり目、特に春や秋の早朝、どこからともなくコーヒーのいい香りが漂ってくると、ちょっと飲みたくなってくる。

ひとりバンジョー談義

  Allisonというメーカーのバンジョーのことを調べていたら、Rhode Islandにある、Providence Banjo&Guitarという場所にたどり着いた。どうやら正確にはMichael Allisonという人物らしい。

これは、以前にも書いたかもしれないが、ニュー・ヨークのソーホーあたりで見つけ、そして暫くしてカリフォルニアで手に入れたものだった。

アイルランドのロングフォードにおけるバンジョー・フェスティバルでAlison Brownと一緒になった時、彼女も「あ、アリソンだ。Lがひとつ多いけど」と言っていたものだ。

日本では、彼の有田君が「とてもいいバンジョーですよ」と言っていた。坂庭君もいたく気に入って一時期彼が使っていたこともあった。

あまり一般的ではない楽器のルーツを探ることはとても面白い。

しかしそれはバンジョーに限ったことではない。マンドリンでもギターでも、もちろん、僕らにはあまり縁のない楽器でも、それに携わっている人たちの中には、周りの人には理解できないくらいに調べまわったりする人もいる。

つい先日、ギブソンのAタイプのマンドリンA-4をある人が持っていて、それはなんともいえない音色の素晴らしいものだった。

シリアルナンバーを覚えておいて早速調べてみたが、2番違いのものがあった。どうやら作られたのは1911年。こんなことを事細かに分からせてくれるのだから、すごい時代になったものだ。

僕は随分前にスチュアート・マクドナルドの比較的安価なバンジョーを持っていた。ほとんどキットと呼べるものだったかもしれない。しかしながら結構きれいなインレイが入っているものだった。

正確にはスチュアート・マクドナルド・イーグル・キット・バンジョーだったかな。72年ころだった。今になっていろいろ調べてみても同じものは出てこないが、そのディテイルや外観はほとんどよく似ている。

後年になって、京都の占部さんというギター職人(現在はウクレレ製作家として高名)に4弦のネックを作っていただいて、それを装着していたことがあった。インレイは銀杏の葉っぱの形にしていただいた、かなりきれいなネックだった。

グレイト・レイクスのことはもう既に書いているが、当時(70年代)は本当に手に入りにくいものだった。

価値的に、ということではなく、物があまりなかったからだろう。1977年のマッド・エイカーズ来日の際(だったと記憶している)同行していたビル・キースを無理やり連れ出し、彼のリックを探り出し、様々な話を聞かせてもらった。

そこで本題だけど、と切り出し「あなたの使っているバンジョーは?」と訊いてみると「グレート・レイクス・エリート。手に入れるのは困難だよ。もう作っていないし」という旨の答えがかえってきた。

そして彼のそれは、彼好みのトップ・テンションで異常に重たかった。しかしながら、そのデザイン、ネックのフィット感、サウンド、どれをとっても素晴らしいものだった。

僕は、ほどなくして神戸のある楽器屋さんを通してグレイト・レイクスを手に入れたが、それはビル・キース・スペシャルという、エリートのワンランク下のものだった。トップ・テンションではなかったものの(かえって軽いからその方がいいが)それはそれは素晴らしく、僕のメイン楽器となった。

また、79年にアメリカのバークレーで同じくグレイト・レイクスのオープンバック・モデルであるヴァンガードを見つけた。

因みに、ミシガンの公演で制作者と出会った時、持っていたのはこのバンジョーだ。

80年代に入ると、京都でひとり、グレイト・レイクスNo 5というモデルを手に入れた、当時高校生だった男の子がいたが、彼曰く、ニュー・ヨークかどこかで作られたコピーらしい。もしこれを読んでいたら是非またバンジョー談義に花を咲かせてみたいものだが。

90年代後半になると、坂庭君がちょっと変わったスタイルのグレイト・レイクスを手に入れた。

インレイパターンは明らかにビル・キース・スペシャルだったが、ブラケットがテンション・フープの途中で引っかけるという非常に変わった構造だった。

それによく見ると、インレイもどことなく簡素なものであった。が、しかし、彼は気にしてかビル・キース本人にものを見せて確かめたのだ。

その結果「これは本物だ」という答えが返ってきたそうだ。そしてそのバンジョーは坂庭君亡き後、僕の手元にある。

結局、グレイト・レイクスをまともに見たのはビル・キースのもの、僕のもの、そして坂庭君のもの、京都の彼のものはコピーということで外すとして…それだけだ。

そば派かうどん派か

どうでもいいことかもしれないが、よく、どんぶりものを注文するとセット・メニューで、うどんかそばが付く、というのがある。そんな時、僕は迷わずうどんにする。

そばが嫌いなわけではない。ただ単にそばよりうどんが好きなのだろう。

若いころ、そば屋の前を通りかかるとカツオをふんだんに使った「出汁」のにおいがして、それが苦手だった。

考えてみればうどんも同じかもしれないのだが。

思い起こしてみると、大体、そば、うどんのたぐいはあまり食べなかったのだ。

坂庭君はそば、うどんには眼がなく、どこへ行っても食べていた。大体僕らはほとんど全てにおいて逆だった。

僕は洋菓子、彼は和菓子。僕はパン、彼はそば、うどん。僕はフィンガー・ピッキング、彼はフラット・ピッキング。

話はそれたが、どうもざるそばというのは量が足りない。どこか由緒あるそば屋に連れて行ってもらっても、あっと言う間になくなってしまう。

その辺の切なさ、わびさびの世界がいいのかもしれないが、僕にはその感覚があまりないのだろう。

また坂庭君の話だが、彼はよくこう言っていた「いいかじゅんじ、何を食べたかしっかり覚えておかないと、それは食べなかったことになってしまうんや」彼はツァーの最中でも朝、昼、晩としっかり食べるようにしていた。

しかし、それは彼の歯がとても悪かったせいもあるかもしれない。一回、一回の食事は彼にとって物凄く大切だったのだろう。好き嫌いもあったし。

僕の方は、歯医者などという面倒くさいものには関わったこともないし、好き嫌いもないので、いつ何を食べても美味しく、食べるということに無頓着だったのだ。

彼と一緒の最後のコンサート。リハーサルが終えていつも行くうどん屋に行ってカレーうどんを頼んだが、彼は1本しか食べることができなかった。

僕は天丼だったので、のこりのカレーうどんは僕が平らげた。よっぽど具合が悪かったのだろうが僕の方は平静を装って「うまいなぁ」と言って全部食べた。

今でもカレーうどんを食べるとその時のことを想い出す。

うどんのなかでもカレーうどんは好きだ。かきあげうどんもいいかな。しかし、やっぱりそば、というものにはあまり手が出ない。

名古屋に行けば味噌煮込みうどん、四国に行けばぶっかけ。僕もあんまりあれやこれや試さないほうなのでレパートリーは少ない。

もし、どうしてもそばを食べるのなら天ざる、だ。多分温かいそばが苦手なのかもしれない。でもコレステロールのことを考えたら、天ぷらは控えたほうがいいだろう。

そうなると、素うどんか…ざるそばしかなくなってしまう。でも困ったことに僕はそういったものよりもパン類のほうが好きなのだ。

バンジョー談義

先日、木内君とバンジョーについていろいろ話をしていて、5弦のボディに4弦のネック…という話をコラムに載せて、京都のバンジョー博士である(本人は非常に恐縮して、「私は博士ではありません」と、ちいさくなっているが)小野田君にでも訊ねてみよう、と書いたところ、早速小野田君からメールをいただいた。

下記のようなさすがに小野田君、という内容で非常に興味深かった。

 

まず、古い(戦前の)4弦ネックのバンジョーが5弦ネックに換装される例のほとんどがギブソンバンジョーです。そもそも、古いオリジナル5弦ネックのギブソンバンジョーは、4弦のそれと比べても非常に市場価値が高い(数倍)ので、古いオリジナル5弦ネックのギブソンバンジョーが4弦ネックに換装される例はほとんど見られません。なので、高いクオリティで4弦ネックに換装されたものが、正当に評価される機会自体が無かったのではないでしょうか?逆にもし、古い良質の5弦バンジョーが、高いクオリティで4弦ネックに換装されたものは、個々の好き嫌いは別にして、良いものとして評価されるはずだと思います。もっとも、これはあくまで私の私見ですが。

 

以前、某バンジョー・プレイヤー兼コレクターの方の記事で「残念ながら5弦のネックに変えられてしまっている」ということが書いてあり、当時5弦にしか興味がなかった僕にとっては「なんにも残念なことではない」という感覚しか無かった。このことは既に以前のコラムで書いたが。

確かに小野田君の言うようにギブソンがほとんどだったと思う。

さて、アイリッシュを始めて、テナー・バンジョーに興味を持ち出し、古い安価なものをいくつか手に入れた。

Bacon, Vega, GibsonTB-100, Orpheum No1, May Bell, Paramount StyleC StyleF…当時はあまりよく分からずいろいろ試してみた。

サンフランシスコではMaxという人がParamount StyleB  Kerryという人がStyleA

スザンヌという人がParamount Leaderを使っていた。様々なバンジョー弾きを見てみると、圧倒的に多かったのがClifford Essex Paragonだった。後は僕らが大学時代、関西で圧倒的人気だったFramusのテナーが意外と多かった。Mary Shannonはギブソン。アイリッシュに於いては比較的珍しい。

最近、人気を分けているのがClareenとDave Boyleだろう。これらは明らかに5弦とは異なった響きをしている。

僕は常々、同じバンジョーという楽器でありながら、5弦と4弦では全く違う楽器だという考えを持っている。

その奏法、音の出方、ことごとく違うように感じる。僕は一台、国産のあるメーカーが作ったテナー・バンジョーを持っているが、それがどうも5弦のボディをそのまま使ったらしいのだ。弾いてみると、5弦バンジョー独特のサスティーンが、いわゆるアイリッシュのチューンには適していない感じがするのだ。あくまで主観。

これが、もし小野田君の言うように良質のGibsonだったら違うかもしれないが、確かにとても手の出る値段ではないだろうし、わざわざ4弦に換装しないだろう。

さすが博士…おっとまた恐縮してしまうかも。

次に会う機会があったらもっといろいろお話を聞きたいが、僕も‘91年からほぼブルーグラス・バンジョーとはご無沙汰しているので彼の豊富な知識はかなり参考になるだろう。

猫派か犬派か

世の中ではよく猫派か、あるいは犬派か、ということを言う。確かに僕は犬派だった。子供の頃、家には必ず雑種か柴犬がいた。父が犬好きだったせいか…。いや、そういう理由もさることながら、番犬として必要だったのだろう。とに角いつでも犬がいたし、父は毎朝恒例のテニスには必ず一緒に連れて行った。してみると、やっぱり好きだったのだろう。

夏の夕方になると、近くの川に行って洗剤をつけてゴシゴシ洗っていた。沢山の子供がそんな光景を眺めていた。今では考えられないことだ。

でも、猫もいた。猫は勝手気ままに過ごしていたようだ。犬はいつも同じところにつながれていて、犬小屋もあり、散歩も連れて行ったので猫よりも存在が近かったのだろう。

それでも、やはり雑種や柴犬という種類ばかりだったので、いわゆる“お座敷犬”には興味がなかった。そして、それは今も続いている。きれいにカットされて服なんか着せられていると「犬は犬らしくしてろ」と言いたくなってしまう。

朝、走っているとそんな犬をよく見かける。得意気に靴下まではかされてキャンキャン吠えているのを見ると蹴っ飛ばしたくなる。

ところが、先日、いつものように走っていたら、チワワがひとりで座っていた。見るとひもがついていて、いかにも迷子らしく、そして、僕になにかを訴えているようだった。「どうしたんだ?」と訊くと、眼が「迷子になりました」と言っている。そしてぴったりとひっついてくる。本来なら蹴っ飛ばしたくなるが、こいつは違った。

僕は一瞬“とに角連れて帰ろう”と思った。着替えてから新たに飼い主を捜しに出よう、と思ったからだ。しかし途中で糞でもされたら困るな、と思い、交番へ連れて行くことにした。

チワワは従順についてくる。僕の方をチラチラと見ながら。止まると一緒に止まってじっと次の動きを見ている。こりゃ困ったものだ。だんだん可愛くなってきた。

交番を見つけ、お巡りさんに相談してみた。そのお巡りさん「監察はついているだろうか」と手を伸ばしたら、こともあろうに噛みつかれた。そして、僕の後ろで小さくなっている。もともと小さいが…。いや、お巡りさんでなくチワワのことだ。

取りあえず、手続きを済ませて交番を後にしたが、その時もずっと視線を感じた。後になって聞いたが、ほどなくして飼い主が現れて一件落着したらしい。良かった良かった。

これが最近猫派になった僕が久々に面倒をみた犬の話。

そんなこんなもあり、小さい犬でも中にはかわいいやつがいるが、なぜか圧倒的に猫のほうが好きになってきた。

猫を好きになれない人は大体「犬の方が従順でいい」というし、猫を好きな人は「なかなか思い通りにならないところがいい」という。

僕は特にそうは思わない。やっぱり少しは人懐こい猫がいい。だからと言って猫カフェには行ってみようとも思わない。

道を横切ってチラッとこちらを見て、一瞬立ち止まり、なにもくれないと思うや否やサッと逃げていくのがやっぱりいちばん猫らしい。カニカマでも持っていたら食べるかもしれないが、それでもかなり用心深いか、匂いだけかいで逃げるやつもなかなかに猫らしい。

日向で細い目をして丸くなっているときにちょっかいを出すと、迷惑そうに「ニャー」というやつもなかなかに好感が持てる。

そんな感じで、最近はどうやら猫派になってきたようだ。

ま、どちらにしても「The 猫」「The 犬」というやつが好きだ。

友あり、遠方より来る

  高松から木内君がやってきた。京都産業大ブルーリッジの後輩である。上京の目的は初孫との御対面ということ。

写真を見て「目がそっくり」というと「いや、これ眠ってます」…だそうだ。

「孫は可愛い。何と言っても責任がない。泣いてもほっとけばいいから」と、寝ている孫と同じくらいの目をして嬉しそうに話す。

可愛いだろうが、多分木内君の目の中には入らないだろう。

 冗談はさておき、孫から離れたら早速バンジョー談義に花が咲いた。

僕がバンジョーに興味を持ち始めたのは1963年ころ。面白い音の楽器だな、と思いながら、それがなんという楽器なのかまだ分からなかったような時代だ。

 ほどなくしてアール・スクラッグスを聴いて虜になり、その音にのめりこんでいった。当時から、バンジョーといえばギブソン、それもRB-250が自分の中では最もバンジョーらしいバンジョーだった。つい先日も40年近く会っていなかった友人たちとバンジョー談義に花が咲いたばかりだったが。

 古い良質の4弦バンジョーのボディに5弦のネックを付ける、というのは良くあることで、世間一般では良い物として評価されることが多いが、元々5弦用に作られたボディに4弦のネックを付けても4弦バンジョーらしい音にならないのは何故だろう…なんていう話も出た。もっとも、これは僕の意見だが。

 今度、京都のバンジョー博士である小野田君にでも訊いてみよう。

木内君は、オズボーン・チーフとオームを持っているが、「これでギブソンがあれば完璧」と、またまた目を細める。

 バンジョーやギターは金さえあればいくらでも欲しいものだが、バイオリンはそうでもないらしい。

 多分、どれ買っても大体同じ格好しているから、かな?勿論ギターやバンジョーとの値段の違いは歴然としているが、小さいころからバイオリンをやっている人は、ひとえに真面目だから、かもしれない。

 バンジョー好きとしては、宝クジ当たったら取りあえずオール・アメリカンとフローレンタインを買って眺めるか。いや、コレクターになってはいけない。

 いろんな話が飛び出す。

木内君は、その体格からかソニー・オズボーンが好きなようだ。僕はエディ・アドコックか、対局だが、ビル・キース。

 勿論、ふたりともアール・スクラッグスをはじめとして、他にも好きなバンジョー弾きは数々いるのだが。

 なかなか話は尽きないものだ。すっかり孫のこともそっちのけでバンジョー談義に花を咲かせて東京を後にした。

 また、いろんな話に花を咲かせたいが、結局同じようなことを話すんだろうな。ふたりとも歳もいってるし、何を話したか忘れているだろうし。

春。町のあちこちに花が咲き始めた。

木内君、初孫誕生おめでとう。

Irish Music その85

Ballinasloe Fair (Reel

  • Ballinasloe Fair

Michael Colemanの古い録音をはじめ、“その65”に登場したLord McDonaldとカップルでたびたび演奏される。1928年3月のTom Morrisonの録音では何故か「Roscommon Reel」とクレジットされている。John Masterson(1840-1925)というCo.Longfordのフィドラーの曲ではないか、と言われているが、定かではない。また、Leitrim Thrushとも呼ばれている曲とほとんど同じらしい。だが、セッションなどでこの曲が出ると間違いなくみんなBallinasloe Fairだと言うだろう。アイルランドで何度も何度もこの地を通り過ぎるが、そのたびにこのメロディーが浮かんでくる”

 

Miss Thornton’s    (Reel)

  • Miss Thornton’s

“上記のTom Morrisonの録音がこの曲に行っていたのでここに載せてしまった。これもスタンダードな曲だ。Roscommonのフルート奏者、Packie DuignanHouse on the Hillというタイトルで録音している”

 

The Ashplant   Reel

  • The Ashplant

“しりとりみたいになってきたが、上記のフルート演奏はこの曲に行っている。これはNoel Hill Tony McMahonの録音でよく知っていたし、アンドリューともよく演奏したものだ。大好きな曲のひとつ”

 

Black Haired Lass    Reel

  • Black Haired Lass

“ものはついでだが、上記の録音ではこの曲に行っている。僕も特に好きなセットのひとつなのでこのセットでやることもあるが、僕らがよくやっているのは「その32」に出てくるHand me down the Tuckleのセットの頭に持ってくるやり方だ。これもなかなかいいと思う”

 

Jenny Picking Cockles   Reel

  • Jenny Picking Cockles

“もうひとつ、ついでだがNoel Tonyは3曲目にこれをやっている。出だしはほとんどJenny’s Welcome to Charlieと関連性のある曲だと思わせるが、2パートだけだし、その2パート目はD majorなので明らかに違う曲だ”

Irish Music その84

A Fig For A Kiss   Slip Jig

  • A Fig For A Kiss

“とても美しいメロディーのスリップ・ジグ。Kid on the Mountainをつなげる人も多くいるようだ”

A Feg For A Kiss   Slip Jig

  • A Feg For A Kiss

“ここまで来ると、なんだかよく分からない。非常に似ているが違う曲であることも確かだ。ずっと前にBrendan Begleyが演奏していたが、それはそれで聞いたこともないタイトルで、また、聴いたことのない間合いでやっていた。ほとんどジョークの世界だった。しかし、これも美しいメロディーを持っている”

 

Esther’s          Reel

  • Esther’s

Aコードから入りDに行って、BパートはEmという変わった曲。エンディングはDだ。非常にユニークなメロディーだと言える”

 

Kid on the Mountain   Slip Jig

  • Kid on the Mountain

“非常に魅力的なメロディーを持った5パートのスリップ・ジグ。一般的に5パートとして演奏されるが、オニールのコレクションでは最後にもうひとつパートが付いている。そして、それはAndy McGannの古い録音で聴ける。デイル・ラスは6番目のこのパートを3パート目に持ってきている。僕はこのやり方が好きだ。何故かというと、4パート目のメロディーに対して非常に効果があるからだ。ただし、セッションでは5パートで演奏されることが通常である。僕らはアルバムKeep Her Litでデイルのアイデアによる6パートで録音している”

 

Irish Music その83

Pockets of Gold     Air

  • Pockets of Gold

“最近、ひょんなことからこの曲を録音した日本の演奏家のCDを見つけた。そこにはReeltimeというグループの録音から覚えたTradとしてクレジットされていた。僕自身、随分前にこれを録音したことがある。元々、Liz Carrollの1993年のアルバムで、ギタリストのDaithi Sproule(ダヒ・スプロール)が書いたTune For Mairead & Anna Ni Mhaonaigjhという長い、しかも読むのにも難しいタイトルだ。どういういきさつでReeltimePockets of Goldとしたのかはわからない。確かライナーにも書いていなかったと記憶している。1995年のリリースである。僕は当時カセット・テープで持っていた。因みにLiz Carrollの、このアルバムもカセットで購入したものだった。僕はReeltimeの付けたこのタイトルをあまり好まなかったが、なにせ元のままじゃぁ長ったらしくて言えないので、必ず本来は違うタイトルを持った曲ですよ、ということと、作者の名前を言うようにしている。この音楽ではとても大切なことだと思う。でないと、聴いた人は間違った情報を得てしまうからだ。Daithiは最も好きなギタリストの一人だし、彼に対する敬意としてもTrad、とクレジットして欲しくなかったのだが…”

 

Whelan’s Old Sow/Katie’s Fancy    Jig

  • Whelan’s Old Sow

“1930年代、Tommy Whelanによって書かれた曲。とても変わった曲だが、なかなかいい。Rolling Waves 別名 Lonesome Jigともいう曲と、出だしは酷似しているが、なんとも変わったBパートをもっている。因みにSowというのは雌ブタのことである。しかし、何故かCat’s Rambleという別名もある”

 

  • Katie’s Fancy

“この2曲をつなげるやり方は随分前に考案したものだが、だれかがやっていて耳にのこっていたのかもしれない。前の曲の最後の小節を強引に次の曲に挿入していく面白いアレンジでやっている。去年、ショーン・ギャビン(フランキーの兄)に誘われてセッションに行ったとき、彼がいちばん最初にこの曲を弾いていたことを想い出した。3パートの名曲中の名曲だと思う”

久しぶりの出会い

つい先日、とある人から連絡をいただいた。かなり個人的なことなので「とある人」とさせていただくが、僕がサイモン・ラトルと親交が深いということを知ったという連絡だった。

彼は、指揮者の佐渡裕の同級生であり、ベルリンにも出向いたことがある、という話。

ベルリンのサイモン・ラトルと僕が、そして同じくベルリンで指揮をした佐渡裕が頭の中で交錯して僕に連絡をくれたのだ。

事実、彼は佐渡裕のベルリンデビューの時に招待されて行っているらしい。

僕もサイモンから招待された。と、まぁ普通に聞けば自慢話の応酬みたいに聞こえるが、彼から受ける印象は爽やかそのものだった。

といっても、彼と交流があったのは実に37年か38年ほど前。

話によると、12歳か13歳の頃、僕の家に友達と来てバンジョーを教わった、ということだ。そういうことも確かにいっぱいあったが、なんといってもかなり前のことだ。

因みにその時一緒に来ていた友人も近くに住んでいるし、一度会おうということになった。

彼曰く「おっさんになってしもたし、多分顔わかりませんよ。赤いバラでもくわえていきましょうか」

果たして結果は、ジャカジャン!

「あ、なんとなく覚えてる」これが僕の第一声だった。

それから先は音楽談義に華が咲きっぱなし。

彼等は高校時代共にブルーグラスを演奏していた。ナターシャーの昼下がりコンサートに出演したこともあり、当時の写真を持ってきてみせてくれた。

熱い熱い音楽談義。途中から希花さんも加わってB B KingからStephane Grappelli,

Tony Rice David Grisman果てはJohn McLaughlinに至るまで。

そういえば、彼は「佐渡裕を自分の車に乗せたとき、Alison Kraussをかけた途端、大きな反応があった」と言っていた。

すぐに食いついてきて「素晴らしい音楽だ」と絶賛したそうだ。佐渡裕はそれ以来、彼女の大ファンになっているそうだ。

サイモンもAly Bainの音楽について語っていたし、キャパシティの広い人はやっぱり素晴らしい。

話は尽きなかったが、終電もあるのでまた近いうちに会う約束をして別れた。

当時のブルーグラス少年たちは立派な大人となって、今また新たな眼の輝きを見せてくれた。

「何年振りだろう。ギブソンのRBなんていう言葉を発したのは」と言った彼らの笑顔が忘れられない。

フィドルミュージック

1971年アメリカ・ツァーを終えたブルーグラス45のバンジョー弾き、渡辺三郎が、いみじくもこう言った「この音楽、究極、フィドルミュージックやで」

全く同感だ。

あれから45年も経とうとしているが、いまだに心に残っている言葉だ。

今僕はアイリッシュ・ミュージックのギタリストとして、様々なフィドラー(ここではフィドラーに限定しておくが)と関わっている。いや、関わってきた。

マーティン・ヘイズは僕が最初にステージを共にした大物だ。全くセットも決めず、次から次へと繰り出されるチューンの連続。すでにデニス・カヒルとの形が出来上がり始めた時、彼の代役を務めることとなった僕は大好きだったファースト・アルバムから、ランダル・ベイズのスタイルを自分のスタイルに取り入れて挑んだ。

マーティンはのりに乗ってくれた。

フランキー・ギャビンとはグループの一員として何日も一緒に動いた。レコーディングでさえも、突然予定されていない曲に突入する彼のフィドリングは強烈だ。

ジェリー・フィドル・オコーナーもケビン・グラッケンも、デイル・ラスも、ジョニー・カニンガム、そしてトミー・ピープルスも、みんなフィドルの怪物だった。

様々なスタイルのフィドル・プレイを体験してきた。

今、日本でもフィドルミュージックを生活の糧にしている人たちが一杯いるようだが、その多くは、ほとんど本物のフィドルミュージックを体感していないように思える。

特にクラシックからジャズなどを経てこの世界に入った人たちのアイリッシュ・チューンは素晴らしいテクニックに裏付けされ、文句のつけようのないものだと言える。

が、それだけだ。

それでも、残念ながらこの国では耳障りの良いもの、ポップにアレンジされたもの、テレビで流れるものが価値のあるものとして扱われる。

売れれば勝ち、表に出れば勝ちなのだ。

本物のフィドルミュージックに触れてしまえば、そんな日本の現状が如何に価値のないものかが分かるはずだ。

60年代のジャン・リュック・ポンティ、スタッフ・スミスやパパ・ジョン。勿論ブルーグラスではケニー・ベイカーやポール・ウォーレン。彼らを聴きながらもマハビシュ・オーケストラでのジェリー・グッドマンなども聴いていた。

それでも自分でフィドルを真剣に弾こうと思わなかったのは何故だろう。当時はやっぱりバンジョーが全てだったのかな。勿論難しい楽器だった、ということもある。

それでも「フィドルミュージック」という言葉はとても言い当てた言葉であることは実感していた。

フィドルとギターという自分にとっての基本形の中で、どのようにギターを乗っけて行けば一番フィドルにとっていいのだろうかを常に考える。

それは「フィドルミュージック」に対するリスペクトであり、45年にも渡って思い続けていることの証かもしれない。

 

ロストシティ・キャッツと今富秀樹

 今富君との再会から、彼とのツァーを経て、あの伝説のバンド「ロストシティ・キャッツ」のことを想い出すこととなった。

今富君はキャッツ(以下、キャッツとさせていただく)のギター&ボーカル。

キャッツは、神戸の元町にあった、かの有名なるバンジョー弾き、野崎謙治さんのコーヒー・ハウス、ロストシティから生まれた精鋭バンドだ。

ブルーグラス45もここから生まれた、といっても過言ではないかな。僕が高校生で、まだ静岡にいたころからの話だし、その頃は距離的にも東京の方が馴染み深く、関西に関してはあまり情報が得られなかった。

なので、間違っていることもあるかもしれないが、68年、京都に出向いてからのブルーグラス関連のことでは思い出すことがいっぱいある。

当時、どこの大学にもブルーグラスのグループが存在し、京都の烏丸通にあった「アメリカ文化センター」というところで月1回、ブルーグラスのコンサートが開かれていた。

そのころはまだキャッツというバンドは存在していなかっただろうか。その辺は、また今富君にでも訊いてみないとわからないが。

ナターシャー時代、それもかなり初期に神戸のそごう百貨店(だったかな)の特設ステージで、キャッツと共演したことを覚えている。

その頃から今富君のボーカルが冴えていたこともよく覚えている。

彼等のレコードも、「キャッツだドカーン」ともうひとつ、どこかの牧場で撮ったジャケ写のものと、どちらが先だったかは覚えていないが購入した覚えがある。

当時は、ブルーグラス45、三ツ谷君がいたロッコー・マウンテンボーイズ、桃山学院のブルーグラス・ランブラーズ、そして、キャッツ、その他様々なバンドが鎬を削っていた。

もちろん関東方面でも素晴らしいバンドがたくさんいた。

日本のブルーグラスの黄金時代と言えただろう。72年頃からは、ナターシャー・セブンもそこに一役買い、さらに人々の間にブルーグラスが浸透していった。

さて、キャッツの後輩バンドに“ロストシティ・マッドドッグス”というグループもいたはずだ。

確か、僕が産業大学の2回生の頃にギターとボーカルで参加していた藤田君という人は、後にマッドドッグスのリード・ボーカルで活躍したんじゃないかな。この辺のこともかなり前のことなのであまり定かではないが。

長身のハンサムな彼がギターを少し斜めに構えているのを見て、この人はJim&Jessieが好きなんだろうなと思ったら大当たりだった。

あの頃、みんな生で見たことのないプレイヤーに憧れていた。僕はEddie Adcockだったし、今富君は誰だったろう。やっぱりLester Flattかな。

彼の店「オッピドム」に行くと、Bill Monroeとの2ショットでにっこり笑った今富君の写真を見ることができる。

Bill Monroeは勿論、誰もがこの音楽の父として尊敬していた。

今富君は現在、自身の書き下ろした楽曲なども歌い、演奏している。彼の1949年製のマーティンD 28と共に。

それは、ロストシティ・キャッツのリード・ボーカルとしてブルーグラスの神髄を歌い続けてきた彼の別な一面でもある。

今度はもっとキャッツのことや、当時のブルーグラス・シーンのことを彼にインタビューしてみよう。

Irish Music その82

The Bank of Ireland   Reel

  • The Bank of Ireland

“初心者にもよく知られる有名な曲。事実、僕もこの曲は最初の方に習った。でも名曲である。これはどこのBankのことを言うのか、はたまた銀行なんだろうか、と議論が飛び交っている。そういえば、随分まえにアメリカで、Bank of Ireland と名付けたパブが出来たが、アイルランド銀行から“待った”がかかり、結局Irish Bankに名前を変えた、なんていう話があったなぁ。Francis ReynoldsというLongford のフィドラーによって書かれた曲で、

元々はFollow me down to Carlowというタイトルだったようだ”

 

Blackbird/Spike Island Lasses    Set Dance/Reel

  • Blackbird

“何とも変わった曲だが大好きな曲だ。パディ・キーナンとは必ず演奏した。最初はエアーで入り、そのままセット・ダンスに持っていく。Jody’s Heavenでもギター・ソロからセット・ダンスに入る手法で録音したことがある。カナダでパディと演奏した時のこと。彼がエアーで思い切り感極まって演奏している最中に、パイプのチャンターが抜けてしまった会場は一瞬水を打ったように静まり返った。彼はまるで“鳩が豆鉄砲を食らったような顔”をして助けを求めた。僕はそのままメロディをギターで引き継いだ。彼は一生懸命チャンターを差し込んでいた。その後は爆発だ。いい思い出である”

  • Spike Island Lasses

“この曲のBパートは前の曲(The Bank of Ireland)のBパートにそっくりなのであえて同じ場所に載せてみた。しかし、3パート、4パートと進んでいくとそのパートごとのメロディの美しさがなんとも心地よくなって何度も繰り返したくなる。勿論、最初のパートも何だか途中から入るようなメロディでなんとも言えない。やっぱり名曲のひとつだ”

Irish Music その81

Lost and Found/Auld Lark In The Morning Jig

  • Lost and Found 

Paddy Keenanがよくコンサートの最初に演奏したジグ。出だしがいかにも“始まる”という感じのメロディだ。どうやら沢山のタイトルが存在するらしく、いろんなバージョンでいろんな人がやっている。例えばMichael Colemanでは“Coleman’s Maid on the GreenTerry Binghamでは“Tommy People’s”他にも少しずつバージョンの違うものが存在するが注意深く見ていくと、それぞれに違う曲ではないかと思われる。これだからこの音楽はとても面白く、やめられない”

  • Auld Lark In The Morning

Seamus Ennisの素晴らしいパイプ演奏が聴ける。Edel Foxもこのバージョンでやっていたし、結構好きなメロディだ。特にAパートが少しひねったメロディで気に入っている。こちらは2パート。Lark in the Morningをやろう、と言われたら、どのバージョン?と即座に尋ねることが出来るようにしたいものだ”

 

Lark In The Morning   Jig

 ▪ Lark In The Morning

“ほとんど前曲と同じタイトルだが、少し違うところが面白い。80年代、Moving Heartsの録音で聴いていた4パートの美しいジグ。Morning Larkという曲もあり、非常に似ているパートを持っている”

アイルランドから帰ってきました

 1月のアイルランド。ゴールウェイは、ほとんど毎日嵐のような天気でした。

フランキー・ギャビン、そして、パディ・キーナン。共に元気でした。こちらも嵐のようでした。

ボタンズ&ボウズのメンバーであるギャリー・オブリエンの所有する、素晴らしいロケーションにあるスタジオ。

池のほとりで緑に囲まれて、夜になると真っ暗闇になってしまい、車も通らなくなるようなところ。

音が本当に山の中、奥深くまで通り抜けていく。

そんな素晴らしい経験でした。

詳しくはまた後日。何かの機会を見つけて書きます。OLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

Irish Music その80

Seanamhac Tube Station   Jig

  • Seanamhac Tube Station

“僕らはあまりやらない曲。何故かというと、いかにも若者のグループが張り切ってやりそうなタイプのものなので、敢えてレパートリーとしてとりいれようとはしていない。だが、トラッド同様、新しい曲でも常にアンテナを張り巡らしておかないと、引き出しの少ない狭い観点のミュージシャンになってしまう。この曲のメロディ自体は好きなのでここに掲載してみた。この聞きなれないタイトルに使われているのはアイルランドの小さな村の名前だ。だが、そんな小さな村にTube Station(地下鉄の駅)などない。これは一種のジョークであるらしい。そして、作者はJohn Cartyというのが頷けるところだ。ところで、なんと読むのだろう。こんな発音らしい「SHANNAWOCK」”

 

 

The Wren/October Rain   Breton/Jig

  • The Wren

“ブリタニーのグループKornogのアルバムから随分前に覚えた奇妙な曲。またの名をAn-Droという。ティプシー・ハウスのフィドラー、ケビンの大好きな曲だった。大体この手の変わった曲を持ってくるのはケビンか、もう一人のフィドラー、クリスだったが、彼はエジプシャン・ミュージックなどもやっていた変わった奴だった”

  • October Rain

“90年代中期に書いたオリジナル曲。10月のある日、空を見上げていたら、しっとりと冷たい雨が降ってきた。間もなくすると太陽が出てきて辺り一面陽の光に照らされた。まるで山のような天気だったその日にできた曲。坂庭省悟と宮崎勝之もレパートリーの中に取り入れてくれたものだ”

Irish Music その79

Brian O’lynn/Old John  (Jig

  • Brian O’lynn

“これは、かなり初期に覚えたジグ。ハンマー・ダルシマーのロビン・ピトリーとフィドルのスコット・レンフォートと共に録音もしたし、よく演奏したものだ”

  • Old John

“さて、この曲。長いことBrian O’lynnの別バージョンと思っていたが、どうやら違う曲らしい。Old Johnというのはパイパーでフルート奏者のJohn Potts(Wexford)で、Tommy Pottsのお父さんであり、Sean Potts のおじいさんであるらしい。そしてこの曲にこの名前をつけたのはBrendan Breathnachだ、という情報がある。この2曲、出だしは場合によってはそっくりなので注意した方が良い”

Irish Music その78

The Bluemont Waltz   Waltz

  • The Bluemont Waltz

Rodney Miller作のこのワルツ。希花さんがBottons and Bowsのアルバムから見つけてきた。そこで出どころを調べてみたら、Rodney Millerの1987年のアルバムに入っていたものだった。希花さんの生まれた年だ。とてもきれいな親しみやすいメロディを持った名曲だ”

 

Eddy Kelly’s/Moon Coin   Jig

  • Eddy Kelly’s

“別名Meelick Teamという。Eddy Kellyという名前でリールあり、また別メロディのジグあり、なのでこちらの名前で呼んだほうがいいかもしれない。ともかくEddyCo.Galwayで1933年に生まれたフィドラー兼ボックス・プレイヤーだ。20曲のコンポジションがある、と言われているが、これはどうもNo1らしい”

  • Moon Coin

“前の曲とのつながりは結構好きだ。3パートの美しいジグで僕はかなり前からやっていた。20年以上も前かな”

 

Eddy Kelly’s   (Jig

  • Eddy Kelly’s

“もうこうなってくると訳が分からなくなってきてしまうが、これは彼のNo2と言われている。Drumshanboというタイトルでも知られている。Bパートがちょっとつまらないので(あくまでも個人的意見)あまりやらないが、かのジョン・ヒックスがよくやっていたので思い出した。さすがにBパートを少しアレンジしているやり方だったかもしれない。ちなみに、僕らが通常ジグの最中にEddy Kellyと叫んではじめるのはNo1のほうだが”

Irish Music その77

Ceilier/Carraroe Reel   Reel

  • Ceilier

“長いことCalicoでの演奏しか聴いたことがなかったので、彼らの作品かと思っていたが、どうやらEd Reavyらしい。が、それも定かではない。ずっと前によく聴いていたThe Green Fields of Americaのライブ盤にも入っていたようだが、記憶にない。きっとCalicoの演奏が素晴らし過ぎたせいかもしれない”

  • Carraroe Reel

“このタイトルではジグの方が有名だ。勿論その場合The Carraroeとだけ表示されるが。こちらはOisin MacDiarmadaの作品。始まった途端、いかにも彼らしい世界に引きずり込まれるような曲だが、これを2曲目に選んだのは、非常に前の曲とテイストが似ている、という理由からだ”

 

Lady’s Fancy  Reel

  • Lady’s Fancy

“これはSay Old Man, Can You Play Fiddle?という曲をDan Craryがブルーグラス・ギターチューンとしてアレンジしたものだ。もともとの出どころは定かではないが、どうもアイリッシュ・チューンではなさそう。やりかたも人によって全く違うが、最もよく聴いたのはまだ10代後半だったSam Bushがグループ“Poor Richard’s Almanac”で残したものだ。(1969年)それを僕らは更にアレンジしている。アレンジする時も、できる限り多くの録音を注意深く聴くことが大切だ。たったひとつの曲でも実に多くの物語が存在する。そうして考えてみるとこのような音楽を演奏するということは、長い歴史に培われた物語を演奏することにもなるのだ”

Irish Music その76

Da Slockit Light  Air

  • Da Slockit Light

SlocketともSlokitとも書く。この曲を初めて聴いたのは、定かではないが70年代後半に手に入れたThe Fiddle Music of Shetlandというアルバムからだったと思う。真っ白いひげのおじいさんがフィドルを作っている。背後の壁にはいっぱいフィドルが並んでいる。それも白黒写真で、という明らかに“ジャケ買い”といえるものだった。Tom Anderson/Aly Bainというデュオアルバムだった。Aly BainThe Boys Of The Loughでお馴染みだったがTom Andersonとは、まだ誰だか知らなかった頃だ。そのアルバムの中のこの1曲はすぐにお気に入りの曲となった。それこそがTom Andersonの名作だったのだ。後年、僕は故坂庭省悟と共にツイン・ギターにアレンジしてよく演奏していたものだ。最近、クラシック畑の人が“シェトランド・エアー”と名付けてこの曲を演奏していたりするが、どうやら出どころを知らないらしい。Tom は1970年のインタビューでこのように答えている。

「それは1969年の1月の終わりころ、生まれ故郷のEshanessという村で見た光景だった。子供の頃は多くの灯りが灯っていたこの村も、一つ、また一つと灯りが消えていった。そして、それはまるで最近あの世へ旅立った自分の女房の想いでと重なるようだった。その時、古い言葉Slockitという文字が頭に浮かんだのだ。そして、その意味は“消えていく灯り”」彼のこの言葉を知らずしてこの曲を弾くわけにはいかない”

2014年もお世話になりました

  2014年。この年は希花さんにとっては大変な年でした。もちろん、その数か月前から1日のほとんどの時間を教科書との睨めっこに使い、睡眠時間もいつもの半分ほどにして勉学にはげんでいたわけですが、最後の追い込みに入り始めたのはこのころ。さらに睡眠時間は短縮され、ノロウィルスの恐怖からそれまで行っていた図書館にも行かなくなり、一日20時間ほどの勉学に励んでいたようです。

 

そんな中、以前からお話があった、ウィンドⅡ主催によるコンサートの準備も進み、ようやく試験が終えた希花さんも晴れて(まだ結果待ちでしたが)アイルランドの話に華を咲かせることができました。

このコンサートはアイルランドで過去に僕らが撮ってきた写真を見ながら、その風景を楽しんでもらい、そして音楽も楽しんでいただく、という企画でした。

ウィンドⅡには本当にむかしからお世話になっています。これからもお付き合いのほどよろしくお願いします。

 

さて、いよいよ合格発表という頃、ニュージーランドに来ていたコーマック・ベグリーが「桜を見たい」と、のたまってあらわれたのです。

 そして間もなくして発表があり、史上最難関の国家試験に見事合格、という偉業を成し遂げた希花さんも「ようやく寝れる」と言い、今までの生活が逆転。20時間ほど寝たようです。

しかしそうも言っておられず、コーマックとのツアーが始まりました。

大泉、京都、大阪、岡崎、とまわったコーマック。あちこちで桜を見ることが出来て、いたく感動していました。

もちろん富士山もきれいに見えたし、いろいろ味にもうるさくなってきて生意気に「パックのお茶より、葉っぱを買っていきたい」などと言うようになりました。

「彼にはどっちでも一緒だよ」と少し高価なパックのお茶を持たせたのですが、今回アイルランドに行って、ブレンダン(父親)のキッチンを覗いてみると、ちゃっかりそこに置いてあるではないですか。しかも、ほとんど手つかずの状態で。

やっぱり本物の葉っぱでなきゃ、と思ったのでしょうか。彼、意外と分かっているのかな。

とに角、大泉では勿論のこと、京都でもいつもの仲間や都雅都雅、ぴんさん。大阪ではオッピドム、岡崎でもみんなにお世話になりました。

 

4月に入っていよいよ卒業式も終えた希花さん。まだまだよく眠れるようで「春眠暁を覚えず…」とはよく言ったものです。

まだ滞在していたコーマックと、お茶の水のギター・プラネットや、下北沢のラ・カーニャ、そして三島とまわってみなさんにお世話になりました。

コーマックが帰ってから僕らは豊川の里估で極上のホルモン焼き&コンサート。

 

5月には鶴ヶ峰の「陽の当たる道」で、美味しいコーヒーと音楽。そして、初めての試みで、アイルランド文学の栩木伸明先生との「アイルランド音楽とモノ語り」この会は、僕らも勉強になる素晴らしい企画になったと思います。

そして、5月の最後は生まれ故郷、静岡で、多くの旧友たちと音楽に、お話に興じることが出来ました。

 

6月には岡山から四国へ。アイルランド行きをひかえて沢山の場所に行かせていただきました。

京産大の後輩、多くのブルーグラス関係者のみなさん、お世話になりました。

その後、京都法然院での音楽会。大阪での“よいよいよい祭り”それらが終わって群馬県の妙安寺でのコンサート。これは、4月に他界した名マンドリン奏者である宮崎君がずっと大切に続けてきたものだったのです。そこに僕らも参加できたことを彼に感謝。

 

そして、2日後にはアイルランドに向けて旅立ちました。

アイルランドに関してはもうすでに沢山書いてきているので先に進みます。

 

帰ってきたのが9月18日。なんとその2日後には宮津の世屋高原に出掛けました。体内時計は完全にアイルランド仕様になっていたのですが、みなさんにあたたかく出迎えていただいて幸せこの上なかったです。

1週間あとには東京の根津教会で。ここでもセッティングから後片付けまで、たくさんのお客さん(あくまでコンサートを聴きに来てくれている人達)に手伝っていただいて本当に助かりました。

 

10月に入って大泉のスペース結で。そして三島で、久しぶりに金海君との懐かしい曲を演奏。後半には阿佐ヶ谷のバルトでフォークソング中心のコンサート。

 

11月は来日アーティストの世話で明け暮れたような気がします。先ずイデル・フォックス。コンサルティーナ奏者としての実力は言わずと知れたものですが、その止まらないおしゃべりもなかなか楽しいものがありました。

彼女との演奏は、僕らを完全にアイルランドの生活へと戻してくれたような気がします。クレアーのリズムに。

イデルと別れて、僕らは四国、徳島の北島町創生ホールへ。なかなか会うことのできない骨太の達人たちとお会いできたことは大きな収穫でした。

ほどなくしてデイル・ラスがやってきました。越谷のおーるどタイムさん、ありがとう。イデルとは対照的にもの静かなデイル。こうして文字で(カタカナで)書いてみると同じ字が並んでいることに改めてびっくり。なんの関係もありませんが、またデイルは彼らしい誠実なプレイで僕らを、そして皆さんを魅了してくれたと思います。

各地の皆さん、イデル、デイル共々僕らからも「ありがとう」を言わせていただきます。

 

12月に入ってからはまた、栩木先生とのアカデミックな会を開かせていただきました。アイリッシュ・ミュージックを演奏するうえで大切なお話を沢山聞くことができたと確信しています。

 

今現在は12月21日のクリスマス・コンサートと、30日の僕の誕生日、京都の都雅都雅でのコンサートを控えています。

クリスマス・コンサートでは友人がパンを焼いて持ってきてくれます。以前彼女の作ったパンを食べて「これは美味しい。どこで買ってきたの?」と僕もコーマックも驚いて、いくつも、いくつも食べてしまったことがあったので、今回も無理を言って、来ていただける人たちのためにお願いしました。

アイルランドの紅茶と、ちょっと珍しいコーヒー、それと音楽で楽しんでもらえたらなぁ、と思っています。

京都では40年ものあいだ家族のように過ごしてきた仲間のためにも、いいコンサートになればいいな、と思っております。

2014年、もうすぐ終わってしまいます。今年はやっぱり3か月のアイルランド生活で得たものが沢山ありました。この壮大なる伝承音楽を、心から大切に演奏している人たちとの出会いは今一度原点に帰る、いいきっかけになりました。

そして、日本でも多くの人にお世話になりました。4年前に希花が「もう一度音楽をやろうよ。あなたが持っている本物の音楽をみんなに聴いてもらわないともったいないから」と言ってくれた時、多少の迷いはありました。でも、そのおかげで昔の仲間との再会や、新たな素晴らしい人達との出会いを経験しました。

まだまだ僕らにはやらなければいけないことがあるかもしれません。いや、きっとあります。

2015年がいい年になりますように。もちろん皆さんにとっても。

Irish Music その75

The Sligo Maid/London Lasses  Reel

  • The Sligo Maid

“非常に有名な曲。そんな意味でも特に最初の頃に覚える曲のひとつかもしれない。特筆すべきこともないが、コードについては考えてみたいものだ。最もトラッドなやり方はAパートBパート、共にDはじまり(key of G)だろう。何故かというと、パイプのドローンがDの音で鳴り続けるケースが多いからだ。その次はBパートでAmを使うやり方。更にAパートはAmで始まるやり方。こちらは大体の人がBパートもAmでやる。僕のやり方はAパートをAmで入り、BパートにCを持ってくる。Cをもってくることで、メロディとC6の関係を持つことが出来るが、同じメロディが4回出てくるので、3回目をAmでやり、AパートのAmを予感させる。この予感ということを習ったのは、ビル・キースからだ。彼のバンジョーでのリックでは細かいところで7th9thを入れることで、次の音やコードの予感をさせる、という方法。彼がこの方法をたまたまビル・モンローのバンドにいたときに使ったら彼が振り向いた、という話がある。ビル・モンローも流石にハッとしたらしい。1963年頃の話だ。大したことではないかもしれないが、アイリッシュに於いてもギタリストはこれくらい細かいところまで気をくばりたいものだ。相手に合わせる、ということも忘れてはいけないし”

  • London Lasses (その49参照)

“これも非常にポピュラーな曲だが、BパートはほとんどDバージョンのFarewell to Irelandと同じ展開だ。キーが違うので、こんがらがってしまうことはなさそうだが、それにしてもよく似ている”

 

 

Fraher’s/Frieze Breeches  (jig)

▪ Fraher’s

“非常にシンプルな古いパイプ・チューン。僕はMick O’Connerのバンジョーから習った。Paddy Cartyのフルートアルバムにバンジョー・ソロとして入っていたものだ。先日Edel Foxと演奏した時、彼女が弾いて想い出した。シンプル・イズ・ザ・ベストを絵にかいたような曲だ”

  • Frieze Breeches

“一般的には5パートあるジグだが、いや、8パート、9パートある、という人もいるようだ。特に前の曲と繋げてやらなくても、これ自体で充分に美しく、かつ、長い曲だ”

Irish Music その74

The Sheep in the Boat/The Gallowglass    Jig

  • The Sheep in the Boat

“希花さん、渾身のコンサルティーナ・セット。Junior Crehanの作と言われているが定かではない。悲しくも美しいメロディーが印象的な名曲だ”

  • The Gallowglass

“意味は「外国に雇われた兵隊」ということらしい。スコットランドでの言い方のようだ。Nathaniel Gow’s Lament For The Death of His Brother というタイトルでもある。これも悲しげな美しいメロディーを持った曲だ”

 

Irish Washerwoman   Jig

  • Irish Washerwoman/Rosewood

“おそらく最も有名なメロディーを持った曲だろう。これを聴けば“なんだかアイリッシュみたい”と誰もが思うことだろう。例え一切アイリッシュ・ミュージックと無縁の人でも。それだけにセッションに登場することは皆無といってもいいくらいだ。ところが、去年のフィークルで突然アンドリューが弾き出した。それが、あまりに演奏されない曲なのでかえって新鮮に聞こえたのだ。そうしてみると結構いい曲だ。アンドリューも「みんな嫌うけど意外といい曲なんだな」と笑っていた。多分彼の持っている独特なリズム感が、そう聴こえさせるのかもしれない。ひょっとすると、クラシックの高名な演奏家がバイオリンで弾いたりすると、とんでもなく情けない曲として、僕らには聴こえてしまうだろう。アイリッシュ・チューンの中にはそんな曲がいっぱいあるが、これはその最たる例かもしれない”

 

  • Rosewood

James Scott Skinner作のご機嫌な曲。古くはThe Boys of the Loughのレコーディングで知られているが、4年ほど前のDe Dannanの演奏が素晴らしく、また再発見した曲だ”

 

Irish Music その73

Black Rogue/Wake Up Paddy  jig

  • Black Rogue

“セッションでは、古今東西を問わずよく登場する曲だ。これは先日、栩木伸明先生にお会いして様々な話をしていたところ、翻訳本であるJ.M.Synge Aran Islandsを始め、多くの書物を見せていただいた中に出てきたので思い出して掲載してみた。一般的に良く知られている曲というのはあまりやらなかったりするが、そのせいかタイトルがなかなか思い出せなかったりする。また、逆にメロディがなかなか出てこなかったりする。この曲もそんな一つだ。たまにはやらなくちゃ”

  • Wake Up Paddy

“これはまぎれもなくSyngeAran Islandsに出ていた曲。「起きろパディ」という曲を弾いた、という文章があり、栩木先生に「この曲は?」と訊かれたが馴染みがなかった。帰って調べてみると多分これだろう、と思えるものが見つかった。Paddy Get Upというもの。しかしこれは僕の知る限りJerry’s Beaver Hatという曲と同じようだ。前曲と同じくポピュラーな曲といえるので、これを弾いた、というのはうなずけるような気もする”

 

The Humours of Kilclogher   Jig

  • The Humours of Kilclogher

“ちょっと聴くとスリップ・ジグかな、と感じるメロディを持った不思議な曲だ。デイル・ラスの素晴らしい演奏で聴くことが出来る。Kilclogherという地名はClareLeitrimの両方にあるそうだが、これはClareのほうではないか、と言われている。また、Elizabeth Kellyというタイトルでも知られているようだが、この人はクレアー出身の著名なフィドラー兼コンサルティーナ奏者であるジョン・ケリーのお母さんだそうだ”

Irish Musicその72

Tom Ward’s Downfall/The Reel of Mullinavat   Reel

  • Tom Ward’s Downfall

“すでに、その24に登場している曲だが、最近希花さんが新たにコンサルティーナのレパートリーとして取り入れている。本当は2曲目を先に練習し始めたが、曲のつながりを考えたとき、ふとMichael Colemanの古い録音でのセットを想い出し、この曲を頭に持ってきた”

  • The Reel of Mullinavat

Connemara Stockings(その30に既に登場)によく似ている曲だが、これはこれでとても有名な曲。読み返してみるとその時も今回の逆でこの曲に似ている、と書いていた”

 

King of Fairies    Set Dance

  • King of Fairies

“先日、ある著名な歌手のアイルランド紀行のDVDを観ていたら、ダブリンの街角でストリート・ミュージシャンと出会い、その彼が「アイリッシュといえばこれだ」と言わんばかりに弾いた曲がこれだった。しかしその演奏は、とてもアイリッシュ・ミュージックとはほど遠い感覚で弾かれているものだった。しかしナレーションでは本物に触れた、というようなことを言っていた。確かにこういう著名人のものから興味を持つ人もいるかもしれないので、その存在は貴重であるが、その興味を持った人がこれからそれを、どう消化していけるか、そこが分かれ道でもあると思う。しかし惜しむらくは、もしプロデューサーなり、周りの人間が本質をもっと理解していたら、と思ってしまう。まぁ、僕も含めて誰だって最初は初心者なのだが。それはともかくとして、これはホーンパイプとして掲載されているものもあるが、小節数からみてもセット・ダンスと言えるだろう。とても美しいメロディを持った曲だ”

Irish Music その71

In A Continental Mood/Flatworld  (Waltz

  • In A Continental Mood

90年代初期によく聴いていたイギリスのバンドBlowzabellaのメロディオン奏者であるAndy Cuttingの作。そういえば、と思い立った時、こういったバンドの演奏を再度聴ける、という点に於いてはインターネットの有難さも捨てがたいものだ”

  • Flatworld

“同じく彼の作品。最初こちらを見つけて、とても美しい曲なのでいたく気に入っていたが、前の曲を聴いた時、この組み合わせがベストと感じた。彼の相方であるChris Woodとの録音でも聴くことができる。彼も素晴らしいシンガーであり、フィドラーだ。なお彼ら、ライブではThe Old Queenという曲を間に挟んでいるがとても変わった曲だ。またいつかそのスタイルでやってもいいかな”

 

Farewell to Whalley Range   Slip Jig

  • Farewell to Whalley Range

“いかにも若者好みのメロディだ。Michael McGoldrick作。彼が故郷マンチェスターのWhalley Rangeを去る時に書いた曲だそうだ”

 

Dick Sherlock’s  (Reel)

  • Dick Sherlock’s

“古いフィドル・チューンだが、とても美しい曲でこの後はなんにでも行ける。Jim Kellyというタイトルの他にも多くのタイトルを持った曲で、最初は何という曲だったか判断するのはもはや難しいことのようだが、僕は最初に覚えたときの名前Dick Sherlockで呼んでいる”

Irish Music その70

Across the Fence/The Messenger   Hornpipe

  • Across the Fence

“本当のタイトルはAcross the Fence to the Neighbor’s Wifeというらしい。作者は、かの有名なBrendan McGlincheyだ。3パートのとても魅力的なメロディーだと僕は思う”

  • The Messenger

“既に~その19~に出ている曲だが、前の曲とのタイトルの微妙な、というかバッチリな組み合わせを楽しんでみた”

 

New Century    Hornpipe

  • New Century

“長い間、頭から離れなかった曲。いつごろ誰の演奏で聴いたのが最初だったか覚えていないが、大好きなメロディーだった。もしかしたらDale RussRandal Baysで聴いていたものを、最近になってGerry Harringtonで聴いて、また思い出したのかもしれない”

 

High Level    Hornpipe

  • High Level

“これも長いこと頭から離れなかった3パートの美しいメロディーを持った曲。アコーディオン奏者に最適だと思っていたが、実際にはフィドラーのJames Hillが書いた、とされている。しかも最初はB♭で書かれ、そのうちFで書かれたものが出版された、と言われるが、ほとんどの人はGで演奏しているようだ。最近、アイルランドでJohnny Connolly親子と一緒に演奏した時に思い出した。希花さんはコンサルティーナでトライしている”

ノーベル平和賞

マララさんが17歳という若さでノーベル平和賞を受賞した。僕は彼女が言ったのと似たような言葉を聞いたことがある。それは、このコラムで以前書いた、ベトナム人のヴィンさんが言っていた言葉。

「教育というものが最も大切なものだ。教育さえ行き届いていれば戦争などという手段で自分たちの主張を押し通すことなどしないはずだ。戦争は時として民族の団結というものを絶対的なものにしてくれる。でも他民族に対しても寛容でなくてはならない。それが教育というものなんだ」

いつの世でも課題となることである。

Irish Music その69

Letterkenny Blacksmith/Gneevgullia  Reel

  • Letterkenny Blacksmith

“長年Fisherstreetというタイトルで知っていた曲。僕らはOisin MacDiarmadaのバージョンでやっている。僕はこのバージョンを聴いたことがなかったが、希花がこれを演奏した時どこかで聴いたことがあると思ったものだ。それはまぎれもなくFisherstreetだったがBパートが違っていた。それも少しだけ。しかしOisinはとてもいいアレンジをしていたので今はこちらを選んで演奏している。尚LetterkennyCo.Donegalにある都市の名前だ”

  • Gneevgullia

“これはすでにその32に登場している曲だが、前の曲からのつながりがとてもいいのでこれを選んだ。この曲をアイルランドで演奏した時、周りの人から「なんていう曲だった?」と訊かれたが発音が難しく、とても苦労したが何とか分かってもらえた…ようだった”

 

Derry Craig Woods/Cottage in the grove  (Reel

  • Derry Craig Woods

Father Kellyとしても知られているが、明らかに少しずつメロディーが違う。またこれはMulvihillというタイトルでもよく知られているようだ。このタイトルは元Dervishで活躍していたフィドラーShane McAleerから教えてもらった。尚Father Kelly となるとBパートのメロディーが少しだけ違い、更に3パート目は無くなる。ギタリストはどちらに展開していくのか知るためにどちらも知らなくてはいけなくなってくる”

  • Cottage in the Grove

Tommy Cohen’sとしてもよく知られている曲。その51で既に出てきている”

 

1964年

1964年、15歳、世の中が新幹線やオリンピックで盛り上がっている頃、その少し前にギターを弾き始めた。

家の近所の谷津山という小さな山に友人たちとギターを持って登ると、そのすぐ近くを、開通したばかりの新幹線が走っていくのが見えた。

時は少し進んで‘66年にはビートルズが来て、時事放談(じじい放談)で小汀利得が「世の中でもっともけがらわしいもの」くらいの勢いでけなしていた。

マイク真木が「バ~ラが咲いた♪」と唄ったのも‘66年だったかもしれない。

更に進んで‘69年にはアポロが月に行った。(らしい)西山千さんの同時通訳に聞き入って、こんな職業があるんだと感心したものだ。同じ頃、新宿の反戦フォーク集会に7000人も集まった。

その頃僕は、5弦バンジョーを弾くことに身も心も捧げていた。ピアレスからカスガのバンジョーへと飛躍していった頃だろうか。

とに角当時から他人のやらないようなことをやるのが好きだったのかもしれない。ピアノの楽譜を書きかえていたように、何かとビートルズの曲を弾いてみたり、大好きだった映画音楽を弾いてみたりしたものだ。

勿論、一方では必死になってFoggy Mt.BDDixie BDもコピーしたが、如何せん、映像も教則本もなかった時代では勘しか頼りになるものがなかった。

それでもありとあらゆる手段でコピー、コピーと歩き回った。大学時代には、レコード屋さんで試聴させてもらい、耳に叩き込んできたものを「こうだった…ようだ」と繰り返し弾き、そして次の日も、また次の日も頼み込んでは聴かせてもらったものだ。

今でもよく覚えている。スタンレー・ブラザースがA面、レノ&スマイリーがB面のアルバム。

お金もままならなかった貧乏学生に気持ちよく聴かせてくれたのは、京都の十字屋さんにいた宇野さんという人だった。

彼もまたブルーグラス大好き人間で、そんな必死になって食い下がる学生を大切に思ってくれた貴重な存在だ。

最近オリンピックつながりで1964年の話がいろいろ出る。新幹線のことも。そういえば貿易センターのビルが出来たのもこの年の終わりごろだったかもしれない。ビートルズがアメリカ進出を始めたのも‘64年だったかな。

僕らが、今やっているアイリッシュ・ミュージックの基ともなるフォーク・ミュージックに興味を示し出した頃。もしかしたら僕にとって‘64年というのは非常に意味深い年かもしれない。

同じころ日本全国にやはりそんな風に悪戦苦闘していた(もちろん楽しくて仕方なかったが)人たちは沢山いただろう。

とに角‘64年ころから‘70年に至るその時代のことを今思い出すのはとても面白いし、それなりに意味もあることだ。初心に帰る、ということに於いても。

歳取ると小言が多くなる、というがやはり音楽一つをとってみてもそれは仕方ないことだ。

アイルランドでさえも、彼らの伝統ある音楽を若者たちはいとも簡単に変えてしまう、と嘆くベテランのミュージシャンが多くいる。

やはり、何も情報がなかったところから必死になって見つけ出す苦労とは、何事にも代えがたいものかも知れない。

情報がいくらでも飛び込んでくるこの時代に、僕は相変わらず飛び込んでくる情報以外のところで音楽をやっている。そんな気がする。‘64年、あの頃の気持ちのままに。

もちろんこのご時世、有難く頂戴させていただく情報も沢山ある。

タラ カウンティ・クレア アイルランド フランのパブ

photo (1)今までにもこのコラムで何度も登場しているコアなパブ。タラの村の中にあって、一際ひっそりと佇むところ。

15年前から僕の最もお気に入りの場所。

そこは6~7人の常連が入るともう一杯の、少し傾いたところに建っている。

10時半ころに正装したフランが店を開ける。それを待って中に入るといつもの笑顔に出会うことができる。常連たちが集まって世間話を始める。

そんなフランのパブから写真が届いた。

撮影してくれたのは常連さんの一人、Christy Cleary氏。来年またここで会えるかな?

2014年 アイルランドの旅〜まとめ〜

60年前、ピアノを始めて音楽と親密な関係に陥った。

父は陸軍時代、消灯ラッパと起床ラッパの区別もつかないくらいの、いわゆる“音痴”を絵に描いたような人だったらしく、そのことで悩んでいた母親が、子供には“ああなってほしくない”と教室に通わせた、というのが真相のようだった。

母は草月流の生け花の先生の子供として生まれ、幼少の頃から芸事、特に音楽にどっぷり浸かっていたらしい。

もっとも、戦時中はそんなこともできなかったろうが。

僕がピアノを始めて間もなく、教師から「この子はもしかしたら天才かもしれない」と言われたそうだが、僕はもちろんそんなことは知らない。

ただ、なんとなく覚えていることは、先生が持ってくる楽譜を自分で書き換えては「このほうがいい」と言っていたこと。

小学校にあがる前からずっとピアノの前に座って(ライナスのように)何か弾いていた、ということ。

それと和音に著しく強く、ひとつひとつの音を聴き分け、どんな和音なのかをことごとく言い当てた、ということ。

その辺のことはなんとなく記憶にある。

そして、母親の死によっていったんは離れた音楽と再会したのが14歳くらいの時。

ギターと出会い、ほどなくしてバンジョーに遭遇した。

思えば音楽に関わって60年あまり。

フォークソングの素となるアイリッシュも含めて民族音楽(と呼んでもいいだろう)を始めてから50年あまりが経った。

今、こうしてアイルランドを旅して、ここの音楽を演奏しているが、真面目に考えれば考えるほど深みにはまり、僕らが生まれるよりはるか前に残された音源に胸の高鳴りを覚え、またその時代背景の物語に涙が溢れ、なんという壮大なテーマにぶつかってしまうのだろうと思うことがある。

もっとただ単に楽しめればいいのかも知れないが、されど音楽、である。

僕らが毎回の旅で出会うミュージシャン達は、それぞれが本当の意味で伝統を大切にしている。

僕自身、音楽は芸術だと思っているが、音楽家が全て芸術家だとは思っていない。僕の知る限り、彼ら自身もそうは思っていない。

この音楽は明らかに生活の一部であり、無くてはならないものであり、無くても生きて行けるものでもあるのだ。

No Music No Lifeなどという安っぽい言葉を彼らは持ち合わせていない。音楽というものが自分にとってどういうものか、なんて考えたこともない人達だ。

自分の奏でる音楽には物語があり、捧げるべく山々があり…と、文章で書けば書くほど理屈っぽく、うすっぺらになる。

ただ、日本から来る、或は日本に於けるアイリッシュ・ミュージック愛好家たちの一部はもっともっと彼らの音楽に尊敬の念を抱くべきだ、と思っている。

フェイス・ブックやツィッターなるものが世の中に出現して、ずいぶん素っ頓狂な意見を言う人が増えて来た。

いや、単に目立って来た、と言うべきだろうか。

たかだか10年、20年の経験でこの壮大な音楽を他人に教える人まで出てきた。いや、そういう人の中にも真面目に取り組んでいる人がいることはよく知っているし、彼らもなんとかこの音楽の良さを多くの人に分かって欲しい、という願いでいることだろう。

しかし、先に述べたように、深く掘り下げてみよう、などと思わずに素っ頓狂なことをネットで書きまくっている人が多いことも事実だ。

また、多くの人は当世よくあるバンドのサウンドにしか耳を傾けない。というか、それしか知らない。

本当に難しいのは最低限の楽器でどう表現するか、ということだが、イベントものくらいにしか興味を抱かない人も多い。そういう人達はこの音楽に関わるべきではない。本当に大切なことは何か、ということを知るべきだ。

僕らはアイルランドの旅を通じて沢山のことを学んで来たが、まだまだ奥深く、分からないことだらけだ。でも、それは生きている限り続くことなのだろう。

ただ、さまざまな出会いを大切にし、この伝統に育まれた音楽のひとつひとつの音を、物語を、そして生活をどのように奏でていくか、この国の風景を見ながらゆっくり考えてみたいものだ。

また来年もそんな旅になることだろう。

2014年 アイルランドの旅〜名残惜しい日々〜

9月8日(月)晴れ

ゴルウエイに戻る。早速フランキーと落合って少し仕事の話。

 

9月9日(火)晴れ

テリーが昼にゴルウエイまで出て来てくれた。彼はキンバラという所、ゴルウエイから30分くらいの風光明媚な村に住んでいる。高名なミュージシャンの多くが暮らしたことのある素晴らしいところだ。

むかし、金原二郎ショーという日本テレビの朝の番組にレギュラー出演していたことがあるが…関係ないか。

 

9月10日(水)晴れ

何故か昨日くらいからまるで避暑地のような穏やかな晴天だ。それにやけに暖かい。インディアン・サマーかな。

今日から荷物を少しまとめ始めなくてはならない。長い旅だったが、7月、8月とそれなりに結構忙しかったので、やることはやった、という気持ちだ。

これだけ長く滞在すると、ちょっぴり日本も懐かしくなってくる。

みんなどうしているかな、とも思うし、まだ暑いだろうな、とか、いろんなニュースをみて、大変なこともあったんだなぁ、とか、また政治家が…とか。

そういえば、昨夜ネットでチューリップの安倍君の訃報を知った。

彼とはお互いのバンドの初期の頃から仲が良かった。ただ、この35年くらいは特につながりもなく、インドに在住、ということも知らなかった。

同じ64歳。冥福をお祈りします。

夜8時半、ショーン・ギャビンからセッションのお誘い。10時からセッション。すばらしくトラッドな落ち着いたいつもの水曜日のセッション。

戻ったら2時を回っていたが、帰り道、友達の誕生パーティの帰りだというクリーナに会った。

ケリーの人間らしくいつでもパーティだ。

 

9月11日(木)晴れ

2001年のあの日、あの朝、何も知らずに銀行へ行ったら閉まっていた。普通の日に何故?と思っていたら、通りかかった人が「大変なことが起きているから帰ってテレビをつけろ」と言った。

あれからもう13年?時の経つのは早いものだ。

昨夜のギネスがまだ残っている。実はこちらに来てすぐ、近くのパブでひょんなことから知り合ったおじさんと道で遭遇し、一杯どうだ、と誘われたのが8時頃。それが2杯になったところにショーンから電話だったので、はしごをするはめになってしまったのだ。

あの人達、飲んでも全然変わらないように見えるのに、じゃぁなんであんなに飲むんだろう。

やっぱり少しは気持ちよくなるんだろうか。たまに飲まない日があったりしたら調子悪いんだろうか。謎多きアイルランド人。

 

9月12日(金)晴れ

郵便局から荷物を送る。以外とてきぱき、親切に対応してくれた。

 

9月13日(土)晴れ

6月にここに来てから、雨という字を書いたことが本当に少なかった。異例のことだ。

夜、珍しくTaaffaというところのセッションに顔を出してみた。ゴルウエイに来て最初にアコーディオンのアンダースがいたところだ。

昨日から現ロンドン在住のフルート吹き、織田君がゴルウエイを訪れているので、一緒に出かけてみた、というわけだ。

そこで、マイケル・チャンという中国系のフィドラーに会った。前々から噂を聞いていたし、向こうはずいぶん前から知っていたようだったが会ったことがなかった。ゴルウエイにいて今まで会わなかったのが不思議だったが、僕らがあまりセッションというものに出なくなったので、それは当たり前のことかもしれない。

いろんなレベルの人が交じっていて大勢で、店がうるさかったりすることが多いのでセッションというものからは自然と遠ざかってしまうが、この日はお客さんにもリスナーが多く、フィドル、バンジョー、バウロンと僕、織田君、そして希花というメンバーで質の高いセッションだった。

 

 

 

9月14日(日)曇りのち晴れ

今日はいよいよパッキング。後数日の間でいるもの、そしてもういらないものを分ければいいだけなので多分午前中で済むだろう。

今朝、久しぶりに足の悪い鳥とロビンが来た。しばらく見なかったのはなぜだろう。僕らがそろそろここを出ることを知っているのだろうか。だとしたらこれが本当の超(鳥)能力か。

午後からダブリンのあゆむ君がわざわざ僕らに会いにきてくれる。夜は和カフェの芳美さんと一緒にお疲れ様食事会をすることになった。

僕らのために忙しい中、地元の有名なステーキ・ハウスを予約してくれた。さすがに美味しいステーキだった。

食事の後で、みんなに挨拶するために“チ・コリ”に立ち寄った。本当は1杯くらい飲んで挨拶だけで帰るつもりだったが、リンゴ、ブライアン・マグラー、そして、ミック・ニーリーといった錚々たる面子が「楽器は?」と言うので、すぐ取りに行き、10時半まで演奏。また来年、ということで別れた。

 

9月15日(月)曇り

いよいよ今日、ゴルウエイを去って最終地、ダブリンに向かう。お世話になった和カフェともしばしお別れ。オーナーの芳美さん、本当にありがとうございました。様々な苦難を乗り越えてきたあなたの「ピンチはチャンス」という言葉に感動しました。どうか身体に気をつけて和カフェを盛り上げて行ってください。

あゆむ君がダブリンまで乗せてくれた。どうもありがとう。シェフとしていろんな所で頑張って来た人。いつか日本でお店を出したい、と願っているそうだ。芳美さん同様、この人のバイタリティにも感激。

 

9月16日(火) ダブリン 曇りのち晴れ

今日は空港近くの宿泊所に移動。明朝にはコペンハーゲンに飛ぶ。

 

9月17日(水) ダブリン〜コペンハーゲン 共に晴れ

とうとう最後まで晴れた日が多かった。

みんなに手当り次第“ありがとうメール”を送ったら、次々に“気をつけてメール”をもらった。

持つべきものは友、だ。みんなありがとう。

2014年 アイルランドの旅〜コーク、タラ 最終回〜

9月5日(金)晴れ

いざ、コークへ。鉄道のほうがバスより安いので鉄道を使うことにした。

コークの駅では、フィドラーのMatt Cranitchが出迎えてくれる。マットは名の通ったフィドラーだが、公式に会うのは今回が初めて。

お互いに知ってはいたが、いつも挨拶程度にしか会うことができなかった。

フィドラーを彼と合わせることは僕にとっては大切な使命の一つでもある。

思った通り、彼は、同じ曲でも1921年のマイケル・コールマンの録音と1935年のジェームス・モリソンの録音とを耳を澄ませて聴くべきだ、と力説する。そこにさらに1952年のパディ・クローニンも例に出し、全てのアイリッシュ・ミュージシャンはこれらの事柄に正面から真摯に向き合わなければいけないという姿勢を持っている。もちろん彼は演奏者であるが、博士号を持っている人でもある。

ただ、そうでなくてもアイリッシュ・ミュージックという分野に首を突っ込んだ以上、そこまで向き合う姿勢を持つのは当たり前のことだと僕は思う。

彼が、かなり上級のフィドルの生徒さんにいつもどんな演奏家の演奏を聴いているか尋ねたところ、やはりルナサやソーラスの名前が出てきたそうだ。そしてマイケル・コールマンやケヴィン・バークですら聞いたことがない、というそうだ。

日本にも同じ話しは存在する。

アイリッシュ・フィドラーと自身を詠って他人にまで教えている人達の中には、先に出たような先人達の演奏に耳を傾けたことが無い人もいる。

マットは早速希花の演奏に聴き入り「僕は君に教えてあげられるほどではないけど、いろんな話しを聞かせてあげよう」と言って、自身の勉強部屋で多くの資料を引っ張りだし、貴重な音源を聴かせてくれた。

そしてLord Gordonを一緒に弾こう、とフィドルを持ち出して来た。一通り終えると「誰の演奏から覚えた?」と聞く。「マイケル・コールマン」と言うと「うん、確かにその影響が出ている。素晴らしい」と言う。

こういった経験は今までにもしてきたが、実に大切なことだ。遠くまで来たかいがあった。

夜にはCornor Houseというコークで最も有名なパブでセッション。そこはアンドリューと15年ほど前に一緒に演奏したことがあるパブだ。オーナーも覚えてくれていてにこやかに出迎えてくれた。

そして、コークに住んでいるから来ることがあったら連絡してくれ、と言っていたジョン・ヒックスも会いにきてくれた。

セッションは比較的早い時間だったので、家に戻ってから奥さんの作った料理で話しが弾んだ。そしてまたマットと弾いてその日は過ぎて行った。

 

9月6日(土)晴れ

かわいい猫が2匹、食事を待っている。徐々にみんなが起きてくるまで猫にちょっかいを出して遊んでみた。

ヨーグルトや果物主体の朝食でまた話しが弾み、さぁ、またフィドル談義だ。マットが様々な実例を見せてくれる。それに即した資料も見せてくれる。僕らは3時過ぎの電車でカウンンティ・クレア、エニスに向かうが、それまでたっぷりの講義だった。希花にもとても良い勉強になったことだろう。

奥さんが、土曜日のお昼に必ず焼くというスコーンを紅茶と一緒にごちそうになり、マットが駅まで送ってくれた。

「次はもっと長く滞在するように」と念を押された。こちらとしても願ってもないことだ。ありがとう、マット、そしてリズ(奥さん)。

 

エニス。今晩はアンドリューとパブで待ち合わせ。そこで12時頃までやって、アンドリューの家に泊まる。

12時過ぎ、タラ。僕にとっての故郷だ。いつも行くフランのパブの中から話し声が聞こえる。この時間パブは鍵を閉めて新しいお客さんは入れないようになっている。そう法律で決まっているようだ。

何度かドアをノックしてみる。やっと中から人が出て来た。「毎年ここに寄ってフランの顔を見て安心してから日本に帰ることにしている」と話すとにっこりして中に入れてくれた。

そしてその奥の方、5〜6人の、僕らもほとんどみたことがある常連さんに囲まれて、きちっとスーツを着たフランが座っていた。

もう店は甥に任せて、週末には必ず常連さんのお相手をするために店にいる、というアンドリューの話しは本当だった。

少し話しをしてフランや常連さんたちと別れた。また星降るタラの夜だ。

 

9月7日(日)晴れ

早くに目が覚めたので近くを散歩した。6月下旬、アイルランドに来てから今日まで、ほとんどいい日和に恵まれている。確かに誰もが、今年は珍しいくらい良い天気が続く、と言っている。

思い出に残る雨はフィークルのフェスティバルの時くらいだが、あの時も決定的に困ったことにはならなかった。

アンドリューの家のまわりを歩きながら、様々な思い出に浸る。

初めて来たのは2000年だったと思っていたが、もしかすると1999年かもしれない。どちらにせよ、もう随分前だ。

あの時フランのパブを見つけ、隣にあるインド人夫婦経営のチキン・バーガー屋さんでよくテイクアウトをした。今は経営者がかわり、ケバブ屋さんになっている。

洗濯屋さんも変わらずある。パブも同じ数だけある。たった一軒のスーパー・マーケットも、あの年出来たレストランもまだある。

アンドリューがランチにつれて行ってくれた。2人でポーク・チョップを食べ「チップは?」と訊くと「そんなものアイルランドには無い」と言ったのをよく覚えている。今では場所により置いたり置かなかったり、とその判断も曖昧で、且難しい。

モハーの断崖にも連れて行ってくれた。あの時は広場になっている所に勝手に車を止め、そのまま柵も無い断崖をこわごわ見つめたものだった。

その数年後にユーロ圏になり、入場料も徴収されるようになり、落下防止の柵も出来た。今ではすっかり観光地然としている。

アンドリューとテリーとで作ったアルバムFrom There to Clareでカバーに使った写真の場所を歩く。

ここにも思い出がいっぱい詰まっている。初めて見た緑のトンネルに興奮したものだ。

アイリッシュ・ミュージックを演奏し始めて、アンドリューと出会い、様々な人とのステージを経験して来た。

僕にとっての本当の意味での故郷はやっぱりここかもしれない。

15年前とほとんど変わらない景色が嬉しい。

今回の旅でも多くの人との出会いがあり、また以前からの知り合いにもお世話になった。

僕らはまた来年、この地を踏むことになる。

2014年の旅も素晴らしかったが、来年はさらに素晴らしい旅になるように僕らも頑張って生きて行こう。

月並みだが、タラの景色を見ながらそんな思いでいっぱいになった。

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2014年 アイルランドの旅〜ゴルウエイでゆっくり〜

8月29日(金)雨のち晴れ、それでも時々雨

Wa-Caféで、オーナーの芳美さんが大々的にごちそうしてくれた。すっかりお世話になり、来年からのお互いの仕事の話しの中から共通するものをいくつか見つけ出して、大いに盛り上がった。

苦労してレストランを切盛りして、いろんなことをするためにいろんな分野の人との付き合いを大切にしているゴルウエイのママのような人だ。

彼女のこれまでの人生にはかなり興味深いものがあった。まるで小説の中の出来事のような、そんな経験をいっぱいしてきているようなので、本にしたらいいかもしれない。

すっかり時の経つのも忘れて聞き入ってしまった。

アイルランド、ゴルウエイに来たら是非このWa-Café(和カフェ)に立ち寄ってほしい。

 

8月30日(土)晴れ

特になにもなし。考えなくてはならないことも多いが、ゆっくりしよう。アイルランド人のように。

彼らが急ぐのはパブに入って行く時だけだ。

 

8月31日(日)曇り時々晴れのち雨

天気は書いたような感じだが、結構早くから雨が降って来たので、今日遅くまで寝ていた人にとっては一日中雨、ということになるのだろう。

ころころと天気の変わるアイルランド。早起きするとお天気表示の全てが経験できる。

 

9月1日(月)曇り

今日から9月。もうあと4ヶ月で今年も終わってしまう。そしてアイルランドの旅もそろそろ終わりに近づいている。これから特にどこかへでかける予定もなかったが、昨日急にコーク行きを決めた。そしてそのすぐ後、エニスに寄って2日間、僕のアイリッシュ・ミュージックのルーツである“タラ”で過ごすことにした。

 

9月2日(火)曇り

夜、コーマックが会いに来てくれた。彼は明日朝早くからヨーロッパ・ツァーに出かける。2週間帰ってこないので、もうアイルランドでは会えないかも、と言って来てくれたのだ。

和カフェの食事も目当てのひとつだったが、閉店間際だったのでテイクアウトにして、2階に上がってお茶をのみながら少し話しをすることが出来た。

来年また会おう、と言って別れた。もうこれからは沢山の人に別れの挨拶をしなければいけない。

 

9月3日(水)なんとなく晴れ

インディアン・サマーかな。少し暖かい。

テリーからも電話があった。忙しそうだが。時間ができたら月曜日くらいにゴルウエイに出てきてくれるそうだ。

ここでは教会のコンサートも今日がラストだ。そしてなぜか、僕らがその最後の演奏をすることになった。

なんか申し訳ないような感じだ。トラディショナル・アイリッシュ・ミュージックをアイルランド観光の思い出として持って帰ってもらうのに僕らでいいのかな、と…。

でもお客さんはとても喜んでくれた。

とりあえず、来年またここで演奏することになっている。それまでこの歴史ある美しい教会ともお別れだ。

Tune in the Churchというプロジェクトは、アイルランド音楽、特に伝統をきちっと守ってゆく人達に支えられた本当に価値ある催しだ。

そこにライン・アップされるミュージシャンは有名無名を問わず、まさにこの音楽の歴史のなかの1コマ、そのものだ。

時として、この人はまだ生きていたんだ、なんていうことにも遭遇する。ずっと続けていたら、僕もそう言われるかも知れない。

お昼に作ったフルーツ寒天を食べながらしばし感慨にふけった。

 

9月4日(木)今日もなんとなく晴れ

インディアン・サマーは大体数日続いたりするが、きょうは少し肌寒いような気がする。久しぶりにバード・ウォッチングでもしてみよう。

2014年 アイルランドの旅〜ゴルウエイ〜

8月23日(土)晴れ ひたすら寒い

もう、朝起きるとかなり寒いせいか、鳥も待っていることはなくなった。僕が起きるのが早すぎるのかもしれない。

今週は(来週か)木曜日にパディ・キーナンがやって来て、僕らと、ここゴルウエイでコンサートをやることになっている。

約1ヶ月前、彼にコンサートの話しを持ちかけたところ、ダブリンからアメリカに帰る直前、一日だけ時間を作ってくれた。

木曜までに仮のセット・リストを作っておこう。

たとえ仮のものでも作っておけば、そこから別なアイディアが生まれる可能性もある。

セット・リストというのはプロのミュージシャンにとっては非常に大事なものだ。

デビッド・グリスマンは自分の作ったセット・リストをまじまじと眺め「完璧だ」と自画自賛していた。

高石ともやも「セット・リストが出来たらコンサートもできたようなものだ」と言っていた。

料理に於ける仕込みと同じだ。仕込みさえ120パーセント完璧にしておけば少々のことがあってもこけないで済む。

コンサートの場合、その上で起きるかも知れないハプニングを楽しむ。

パディとのセット・リスト作りは、僕がやっていたことも多かったので、一応作っておこう。

後は、人の多いゴルウエイを少し楽しんでみよう。昨日まで羊しかいなかったから。

 

8月24日(日)曇り

後で晴れてくるだろうという希望的観測は持てないほどの、しっかりした曇り空だ。

今日は珍しく大きなマグパイが来た。思わずChattering Magpieが口をついて出てくる。The Gun In The Thatchというタイトルの方が有名かも知れないがNoel Hillのコンサルティナの音色が聴こえてきそうだ。

ロビンもやってくるが、なかなかに警戒心が強く、すぐに飛んで行ってしまう。

もう明らかに“冬”と言って良い寒さだ。鳥たちも寒いだろう。

因に今朝の気温は8℃だったらしい。そしてやっぱり雨が降って来た。

 

8月25日(月)曇りのち雨、のち晴れ

夜、バンジョーのポラック・マクドナーと近くのパブでセッション。

 

8月26日(火)曇り のち晴れ

パディ・キーナンとのコンサートのポスターを貼りに街中のパブや楽器屋さんに出向く。

 

8月27日(水)曇り

朝から木枯らしビュービューという感じだ。 今日はチャーリー・ピゴットとクレア・ケビルのコンサートを聴きに行った。

 

8月28日(木)快晴 のち嵐

今日、パディ・キーナンがやってくる。Co.Carlowから車を飛ばしてくる。約3時間半。僕らとのコンサートが終わると、ダブリンに行き、すぐにアメリカに戻り、またツァーに出ることになっている。相変わらずとても忙しそうだ。

10年以上も前、そろそろツァーも疲れて来たし、少し仕事を減らしてゆっくりすることを考えなくては…と言っていたが、なかなかそうはならないようだ。

僕らとの演奏が終えた後「ちょっと3人で話しがしたい」というので、何だろうな、と思うと来年のことだ。

今日の演奏で、僕らとのヨーロッパ・ツァーを思い立った“が吉日”という感じだ。

彼はかなり真剣に思ったようなので、来年、日本ツァーも含めて僕らも考えなくてはならない。

今日、彼が来る少し前から雨が振り出し、その後風も強くなって嵐のようになった。文字通り“嵐を呼ぶ男”だ。

「おいらはドラマー、やくざなドラマー♪〜」と希花さんが歌っていた。

2014年 アイルランドの旅〜ディングル〜

8月20日(水)晴れ

いざディングルへ。今日はブレンダンの元の奥さんの車で約3時間とちょっと。ゴルウエイ近辺では慎重に運転していたが、さすがにケリーに入ると自分の庭のような感覚になってか、すっ飛ばし始める。

今日は海辺の崖道を通りましょう、と、僕らにとんでもない景色を見せてくれる。

いたるところ、車がすれ違うことが出来ないほどの曲がりくねった細い道。右側は断崖絶壁。左側は今にも崩れ落ちそうな岩肌の飛び出した崖。そこを慣れた様子で進んで行く。

前から車が来るのが見えたら、ここで待機、と言って突き出た崖の下にもぐりこむ。「子供の頃、おばあちゃんとよくここを通ると、いつ岩がおちてくるか気が気じゃなかったのよ」と言って笑う。

僕らもいつ他の車と鉢合わせになって、いざバック、ということになるだろうか、と気が気じゃない。

実際、ツーリストが入り込んだらかなり怖い思いをする道だろう。しかし風景はこのうえなく美しい。

家に着いてブレンダンと再会。

今日はゴルウエイでも夏の期間に行われているTune in the Churchのディングル版に出演することになっている。

2階席を含めたら100人ほどのキャパシティの教会には、早くから人々が集まって、ほぼ満席になった。

サウンド係の人も、さすがにこの音楽のことをよく知っている人だ。1部にパイパーとギター、2部に僕ら3人だったが、サウンド・チェックの時からこういった音に慣れ親しんでいる感じだ。

多分自分でもこの手の音楽を演奏するのだろう。そういえば、デニス・カヒルもPAを担当していたことを思い出した。

素晴らしい音に包まれて、僕らの持ち時間は45分。ブレンダンの美しい歌声が響き、地元ケリーならではのポルカが鳴り響く。

ちょうど高橋竹山さんを地元、青森で聴いた時のようだ。

この日のために予定を変えた高橋夫妻にも楽しんでもらえたと思うが、遠いところを本当にありがとう。

星が降り注ぐディングルだった。

 

8月21日(木)曇り、時々雨

ゆっくり休んで、昼からブレンダンが使っているキャラバンで食事。彼のお兄さんにあたるシェーマス・ベグリーの家の庭に置いてあるキャラバンだ。

キッチンからトイレまで、それに広いベッド・ルームもある。

見渡す限り山、山、そして草原には羊が。遠くに海。

いつも思うがこういうところで生まれて、こういうところで聴いてきた音楽を子供の頃からやっているのだから、どういう感性で育って行くのだろうと思ってしまう。それはもう、想像の範囲でしか語れないものかもしれない。

ブレンダンが釣ってきたサーモンをまた、スシにする、といって聞かない。冷凍したから大丈夫だ、というが、その前の段階、どんなところでおろしたか、いまから使うまな板(と呼べる代物にはほど遠い)ナイフ、あくまで包丁ではなくナイフ。そしてどこから拾って来たのか、それを研ぐ石。

それらを見る限りこれを生で食べる気にはならない。

それでも彼はスシをつくる、というのでそれは“さしみ”と言うんだ、と言って僕らの分は塩ジャケとして食べた。

勇気を出して一切れだけさしみとして食べた希花が、確かに脂の乗ったおいしい鮭であることは認める、と言っていたが、あくまで一切れだ。

ま、今でもピンピンしているから大丈夫だったようだが、なにはともあれワイルドな食事を済ませてコンサート会場へ。

今日は2年前にも演奏した楽器屋さんでのコンサート。チャンピオン・ダンサーも出演しての素晴らしいコンサートになった。

画家がステージ袖で、演奏している僕らをその場で描く、というパフォーマンスもあり、40人ほどの会場は盛り上がった。IMG_20140821_212341

明日は朝早く僕らはゴルウエイに戻り、ブレンダンはレイトリムに6時間ほどかけて突っ走るので早い目に失礼して帰った。

ケリーの山々を見下ろす暮れかけた空が美しい。

そういえば、朝、散歩をしていると、柵に首を突っ込んだ角の生えた羊が、自分の角がひっかかって四苦八苦している光景に出会った。

助けてあげることも出来ず、頑張れ!頑張れ!と言いながら眺めていると15分ほどしてやっと抜けて去って行った。

羊は必死だったろうが、僕らは面白かった。

 

8月22日(金)晴れ

朝8時過ぎにブレンダンが、向かう方向とは逆に突っ走る。3分ほど走ると朝のお決まりコース、海にドボンだ。

ジャケットを着ていなければ寒いくらいの気候なのに、さっと着ている物を脱ぎ捨て、ドボン。

ブレンダンの今の彼女、オーラは素っ裸になってドボン。あきれて眺めている希花を尻目に二人でシャンプーを楽しんでいる。

大西洋が風呂の代わりだ。

10分ほどであがって来ていざ出発。

僕らはお昼過ぎにゴルウエイでブレンダンと別れた。

強烈に疲れるが、本当の本物のアイリッシュ・ミュージックとは、彼みたいな人が奏でるものなんだ、と思わざるを得ない。

勿論、そこまでワイルドでなくても、そういう本物のミュージシャンが僕らのまわりにいっぱいいて、彼らが僕たちを誘ってくれるのはとても嬉しいことだ。

2014年 アイルランドの旅〜ケリー行きを控えて大人しく潜航〜

8月17日(日)ほとんど快晴

今日はゆっくりしてスライゴー疲れを取る。

日本から来ているハンマー・ダルシマー奏者の高橋夫妻に会うことになっている。

3人とも時差ボケでぐったりしているようなので、食事をして、少しパブを覗いてビールを飲んで、それからお茶を飲んで早い目に別れた。

明日はドゥーラン。モハーに行くそうだ。無事にたどり着けるよう祈っています。

 

8月18日(月)朝のうち曇り、後、晴れ

最近、安いオートミールを見つけたので、それを撒いておくと、特にロビンは好むようで小さい身体であっちこっち向きながら一生懸命食べている。

パンにしか反応しない贅沢な鳥もいるが。

今日、明日とゆっくりして疲れを取ってからディングルに向かおう。

 

8月19日(火)晴れ

じっくりとケリー行きの準備。

2014年 アイルランドの旅〜ゴルウエイに戻る〜

8月11日(月)雨も晴れも曇りも全てが交互に

もう晩秋だ。寒くなって来た。昨夜はエニスでスーパー・ムーンを観測したが、今日も相当月が明るいので、ペルセウス座の流星群を見るのは難しいらしい。

街を歩くと、クリーナ(コーマックの妹)に出会ったり、フランキーに出会ったり、やっぱりゴルウエイだ。

白鳥もすぐ近くによってくる。道行く人が餌にするパンをくれた。多分希花を見て、子供が餌をやりたがっている、と思ったのだろう。10羽ほどの白鳥に混じってカモメが見事なフライング・キャッチを見せる。

こんな光景もやっぱりゴルウエイならでは、だ。

ゆっくり休んでフィークルの疲れを取ることにする。

 

8月12日(火)雨も晴れも全て

朝、起きたら晴れているのにどしゃ降りだ。天気雨、狐の嫁入りなんていうものではない。本降りなのに陽が射しているのだ。そして、あっという間に止んだ。もう青空が出ている。

結局、今日も夕方にはとてもいい天気になった。

鳥達も満足そうに餌に飛びついていた。

 

8月13日(水)晴れ

今日は珍しく朝からよく晴れ渡っている。日本の11月中旬のとてもいい天気の日、という感じだ。

ブレンダンと電話で話したが、今日は比較的電波がよく、また彼も家にいてリラックスしているせいか、分かりやすかった。

いつも忙しく、電波の悪いところから急いで電話してくることが多いので、ほとんど何を言っているのかわからないまま終えることもある。

時々あせってゲール語になったりもする。

今日はこちらもリラックス。晩秋の一日をゆっくり楽しもう。

と思いきや、9時に先日出会ったダーモットがセッションをやっている、というパブを覗いてみたら帰りが午前様になってしまった。

今日は休肝日、と決めていたのにギネスをごちそうになって、しんどい。

ゆっくり寝よう。

 

8月14日(木)曇り

早野先生、古矢先生(彼女達はどちらも教師だ)にいただいた鳥の図鑑で、ここに来ている鳥達の種類が判明。

最初によく来るのがどうやらSong Thrush(うたつぐみ)Starling(むくどり)そしてRobin(こまどり)この3種類のようだ。

教えていただいて感謝です。

今日は、昨夜会った、ミックというおじさんにギターを教えてあげる約束がある。

彼はDADGADも試したことがあるけども、昨夜僕の弾いているのを見て、やっぱり少しこのチューニングも真剣にやってみたい、と思ったらしい。

アイリッシュ・ミュージックにおいてギターはやはり教えるのは難しい。それでも一生懸命ノートに書いて、テープに録って、練習して2週間後にまた来る、といって喜んで帰って行った。

2週間後が楽しみだ。でも、それで全然進歩なかったら教え方が悪いのか、はたまた本人のせいなのか…まるでダイエットだ。

 

8月15日((金)晴れ 気温13℃

今日は69回目の終戦記念日。

僕の父は陸軍少佐として最初、サイパン島にいたそうだが、ほどなくしてトラック島に移った。もしそのままサイパンにいたら僕は生まれていなかった。それこそ南方諸島の状況はかなりひどかったようで、あまり話をしてもらった覚えがない。

終戦記念日になると黙っていそいそと日の丸を掲げる父の姿に、それが軍国主義に基づいたものだ、とか言えるものではなかった。

父が癌で亡くなってからもう30年。戦火のなかで生き延びてきた彼も癌には勝てなかったようだ。

全ての戦没者に黙祷。

さて、今日はアンドリューがオーラ・ハリントンと共に教会のコンサートにやってくる。

オーラもクレアー出身のダンサー兼フィドラーだ。

僕らも少し一緒に演奏した。パブとは違って、じっくりと目をつぶって弾く彼の姿が印象的だった。

オーラがホーンパイプで素晴らしいステップを見せてくれた。本日のハイライトだった。

終わってから少しの間アンドリューと希花と3人で飲んで話しをした。オーラはクレアーに戻り、アンドリューは明日スライゴーに行く。

僕らも先日会った“ピート・シーガー・モデルのダーモットとお昼頃出発してスライゴーに行くことになっている。

 

8月16日(土)曇り

午前11時15分、ダーモットとの待ち合わせ場所に行くと、時間通りみんなが現れた。ダーモットと他友人2人、それに僕らでいざ、スライゴーへ。

アイルランド音楽最大のイベント、フラー・キョール目指して。

10万人はきているらしい、なんていう情報もあるが、1週間以上続けてやるのでトータルで、だろう。

だが、小さな町、スライゴーの通りという通りは人でうめつくされていた。子供達がいたるところで演奏している。

このお祭りについてはネットでいくらも出てくるだろうし、他にもこのために日本から出向いて来ている人も沢山いるので、ここでは詳しく書かないことにする。

しかし、毎年行われるこの祭典のコンペティションで優勝したら、いちやくアイルランド中に有名になることまちがいなしだ。

勿論それでなくても名の出るミュージシャンは沢山いるが。

僕らもそれぞればらばらになって、人をかきわけかきわけいろんなパブをみてまわった。

ここでは、ジェリー・フィドル・オコーナーがフィドル・ショップを出している、というメールがきていたので、そこに行ってジェリーと会うのはひとつの目的でもあった。

小さな町なのでそれは簡単に見つかった。小さな町の小さな店にお客さんがいっぱい。アコーディオン部門はマーティン・クインが担当していた。

忙しそうだったので挨拶だけ済ませて、また通りに出た。

しばらく歩くとDunnesとPennysといういわゆるスーパーマーケットが一緒になっている大きなショッピング・モールがあった。

その中の1店舗であるコーヒー屋さんがMusicians Welcome Free Coffeeという看板を掲げているではないか。

行ってみよう、と希花と2人入って行くとショッピング・モールのいたるところで子供達が演奏している。

目的のコーヒー・ショップはちょうどスター・バックスのようなお店。希花が店員さんに訊きに行った。

「いつでもはじめていいよ。コーヒー持って行くからって言ってる」というが、それぞれに多くの人がくつろいでコーヒーを飲んでいるところで、突然楽器を出して弾く勇気はなかなか無い。

本当かな、と思いながら周りを見回しておそるおそる楽器を出した。少し弾き始めたら店員さんがにこにこしてコーヒー^を持って来てくれた。

どうやら本当だったらしい。そこで1時間くらい弾いているとおかわりも持って来てくれて、沢山の人が喜んでくれた。

このお祭りのために人が集まり、そしてこのお祭りのために街中がミュージシャンをサポートしていることがよくわかった。

ダーモットから連絡が入り、良い場所が見つかったからここで一緒にやろう、と言ってきた。

そろそろ1時間半にもなるので店員さんにお礼を言って店を出た。彼らは口々に「こちらこそ良い音楽をありがとう」と言ってくれた。

それからはダーモットと僕ら、フルート吹き、そして2人の少年バンジョー弾き。後からマンドリンやフィドルなども加わって大セッションに発展。

一人の少年バンジョー弾きの両親がずっと前、ロングフォードで僕を見たと言った。おそらく2002年頃だろう。パディ・キーナンとの演奏だった。そして帰り道、パーキングに向かって歩いていると、懐かしい顔が向かいから歩いて来た。バンジョーのブライアン・ケリーだ。

同じく2002年頃、家に遊びに来て、前の晩全く寝ずに飲み続けていてお腹が減ってしにそうだ、と言ったのでピザを食わしたら、馬のようにがっついて、と思ったらトイレに駆け込んで、吐いて、そしてケロっとしてまた食べたかと思ったらすぐバンジョーを弾き始めた奴だ。

あの時、まだ子供のような風貌で信じられないプレイを見せてくれたが、もうかなり大きくなっている。

YouTubeでみていたので分かったが、それでなければわからないかもしれない。しかし、バンジョープレイはかなりすごい、狂気に満ちたものがある。

少し話しをして別れたが、またいつか会えるだろう。

ゴルウエイに着いたのが9時45分くらい。ダーモットは「さぁ、無事にみんなを送り届けたから飲みに行くぞ」と一緒に行った2人とパブに入って行った。僕らはそこで失礼した。

彼に感謝だ。もし彼に会わなかったらスライゴーには行かなかった(行けなかった)だろう。

2014年 アイルランドの旅〜フィークル〜

8月7日(木)朝のうち雨、のち晴れ

今日からフィークル。久しぶりにアンドリューとの演奏だ。

今日、日本からの早野さんと古矢さん、というお二人がアイルランド音楽の旅の中間地点にフィークルを選んでいるので、レンタカーに便乗させていただくことにした。

さて、ここはフィークル。

すでによく知った顔ばかりで、次から次と挨拶しなければいけない人が現れて、八方美人になってしまう。

アンドリューに電話してみると、向こうの方から電話に答えながらやって来た。1年振りだ。

まだ時間があるのでブラブラしていると、パット・オコーナーがやっていたので30分だけ入らせていただいて、アンドリューとのセッションの場に戻った。

9時からの予定だったので、急いで戻ったが、例のごとく「10時くらいから始めるか」といいながらケタケタ笑っている。

お腹が空いた、と言ったらそこのテントの中になんでもあるから勝手に食べたらいい、と言う。

そこは特設ステージで、客席は100人ほどが収容できるようになっている。本当に食べ物、飲み物はフリーなのか知らないが、アンドリューもマーティン・ヘイズもデニス・カヒルも口を揃えて「タダだ」というので勝手に食べた。

こんなときでもお嬢さんは「虫なんかついてない?」と訊く。「文句言わずに食え」と腹ごしらえ。

確かにラフな食べ物ではあるが、これからに備えて腹ごしらえするには充分だ。ここで食べておかないと、他には何もない。

そこに、希花さんの長年のアイドル、マーク・ドネランを発見。僕は以前から顔見知りだったのだが、なかなか紹介する機会に恵まれなかった。

いつも人に囲まれて忙しそうな人なのだが、この際声を掛けてみよう、と思い切って声をかけてみたが、それもよかったのか後でアンドリューとのセッションに来る、と言ってくれた。

セッションの支度をしているとアンドリューが「希花が会いたがっていたからマークも呼んでおいたぞ」と言ってくれた。ダブルで声をかけたのだ。

果たしてセッションが始まってから30分ほどしてマークがやってきた。希花の横に座ってチューニングを始めた。

マークとアンドリューに挟まれ、おまけにマークのとなりには、アイリーン・オブライエンもいる。

しかも自身がセッション・ホストなのだ。このシチュエーションにはなかなかなれるもんではない。

それからのセッションはもう筆舌に尽くし難い。

とりあえず、今日はゴルウエイに戻るので1時過ぎに失礼させてもらった。

 

8月8日(金)雨のち快晴

今日は教会でブレンダンとのコンサート。パダー・オリアダと一緒だ。歌手のショーン・オ・シも一緒だった。

コンサートが終わるとブレンダンはCo.Mayo目がけて突っ走って行った。

 

8月9日(土)晴れのち、フィークルは大雨のち晴れ

今日からまたフィークル。今晩からはエニスに泊まる。

モロニーズというパブでジョセフィン・マーシュ&ミック・キンセラと待ち合わせ。

9時からということだが、今日は奥でシンギング・セッションが行われている。

予定では6時から9時まで。

シンギング・セッションというのは、自分の得意な歌や地元の歌を各人が数曲ずつ歌ってみんなで聴く、というものだ。

どんなに下手な人でも参加でき、また拍手をして「もう一曲どうぞ」というのが礼儀だ、とも聞く。

そして静かな雰囲気でなかなか終わらないのだ。

ジョセフィンもそんなことは承知なので、9時半頃現れて、まだやってるの?という感じだ。

9時45分頃。奥ではまだ誰かが歌っているが、さぁいきましょう、と突然アコーディオンを鳴らし始める。

彼女はとても人気があるので狭いパブの中は、今か今かと待ちこがれた聴き手と弾き手が素早く反応。全員ですっ飛ばす。もう完全にこっちのペースだ。

そして、3時間半ほどがあっと言う間に過ぎて行く。

戻ったら2時を回っていた。

 

 

8月10日(日)雨が降ったり晴れたり

朝、こちらに住む“フーさん”こと、赤嶺君と待ち合わせしてフィークルに向かう。

途中、日本からやってきた早野さんと古矢さんをアンドリューの住むタラに連れて行ってあげようという話になり、寄り道をする。

僕らにとっても今回初めてのタラ。

何も変わっていない。

アンドリューに電話をして「今、家の前にいる」と言うと、慌てた様子で「ま、待ってくれ。これからシャワーを浴びる」と言うので「心配ない。日本からの人を観光名所に連れてきただけだ」と言っておいた。

しばしブラブラしているとアンドリューが出てきた。訳がわからないままにカメラに収まってくれた。

それじゃまた後で、ということで僕らは一足先にフィークルに向かった。また雨だ。でもあっと言う間に晴れたかと思ったらまた降る。そんなことの繰り返しで、それでも結局あまり困るようなことはなかった。

今日は午後3時からなので早く帰れる。

セッションにはデニス・カヒルも現れ、初めてまともにツイン・ギターも楽しんだ。

アンドリューはやっぱり面白い。良いプレイヤーだし、何と言ってもクレアーの本物中の本物だ。

外にタバコを吸いに出たアンドリューがじいさんをひとり連れてきた。「歌ってくれ」というと、歳の頃は90も近いだろう彼が歌う。

もうこれにかなうものは世の中に存在しないだろう。日本でも地元のお年寄りが歌う民謡にかなうものはないだろう。同じだ。

そしてまたアンドリューが軽快に突っ走る。

早野、古矢組とエニスに戻ってしばし歓談。

彼女たちは明日ダブリンに戻って、その後日本に帰るそうだ。

全く余談だが、お二人のうちのお一人が、ぼくから見ると中井貴一によく似ているのだ。でも、少し前はアウン・サン・スーチーとも言われたそうだ。

そんなことを話しているうちに、スーチーさんはミャンマーの人だったね、ということになりミャンマーはビルマの竪琴だ、という話になり、素晴らしい法則が生まれたのでここで紹介しよう。

 

中井貴一=お二人のうちのおひとり=アウン・サン・スーチー=ミャンマー=ビルマの竪琴=中井貴一

出来過ぎじゃありませんか?

尚、お二人のうちのお一人、としたのは個人情報保護法からです。

 

2014年 アイルランドの旅〜フィークルに備えて、深く静かに潜航〜 

8月2日(土)晴れ のち時々雨

特になし。朝晴れていると後で雨が降る、というのはやはりこの国では常識のようだ。それにしても楽器の鳴りは至って良い。今日も寒かった。

 

8月3日(日)曇り

今日のビッグイベントとしては、夜8時からここ「和カフェ」でミニ・コンサートをやること。

その前に、アイルランド大使館の料理人、あゆむ君がダブリンから夏休みを利用してやってくる。和カフェのオーナー、芳美さんの古くからの友人だ。

あゆむ君の到着と共に、4人で近くのレストランでワインなどを飲みながら食事をして、昼からすっかり出来上がってしまったので、夜に備えて少し昼寝。

8時から、ということだが何せアイルランド。始めたのが8時半頃。それでもだれも文句を言うわけでもない。

和カフェ特製のトロのお寿司や、ゴルウエイの有名な牡蠣、ロブスター、おむすびなどが用意されていて、実に豪華な“ディナー・ショー”となった。

アイリッシュ・ミュージックを知っている人、知らない人、というシチュエーションはよくあることだが、日本人とこちらの人が半々、というのはとても難しい。話すことも、何を言っているのやら自分でも分からなくなってくる。

30分くらいやって、いったん切り上げて食事タイムにすると、それからやってくる人もいるので、また始める。

 

奥さんが日本人という、スペイン人のテナー・バンジョー弾き,Javierも来てくれたので、彼ともセッション。彼の友人の女性シンガーもスペイン語の歌で素晴らしい歌声を披露してくれた。

11時頃、みんなが帰ってから、残った日本人7人だけでまたお話会。あゆむ君も芳美さんも酒にはめっぽう強い。

本人達はそうでもない、というが、全く変わらず、持続性があるようだ。結局眠りに就いたのが2時半頃。

一番疲れたのは芳美さんだろう。おつかれさまでした。明日は従業員の給料計算をしなければいけないらしい。あ、もう今日か。

 

8月4日(月)快晴のち、にわか雨

本当にゴルウエイにいる、ということを忘れてしまうほどの青空。ただ、空気は至って冷たい。

昼頃、コーマックからメールがあって、5時からまたパブで演奏の依頼を受けた。

あゆむ君が帰る前にみんなでピクニック。河辺りに座って和カフェでテイクアウトしたお寿司や焼きそばを食べた。

真っ青な空の下、白鳥やかもめが憩う河を眺め、遥か彼方にひろがる山からそよいでくる冷たい空気を感じながら、時の経つのも忘れるほどだった。

ただひとつの心残りをのぞいては。

僕のお弁当はチキン照り焼きの乗った焼きそばだったが、親心で希花に少し食べさせてあげようと箱のまま渡したら、希花がみごとにひっくり返してチキン照り焼きだけ落としてしまった。

ならば、野菜だけの焼きそばにすればよかったのに…(涙)。

ところでこの日、7時に演奏が終わったのだが、その10分ほど前からとてつもない雨が降って来た。

これは帰れん、と思っていたら、7時5分過ぎくらいに青空が広がった。慌てて帰った。そして、アパートに着いて食事をしてリラックスをしていると8時過ぎ、また雨だ。

あのタイミングで帰ってこれた、ということは…やはり晴れ男…かな。

 

 

8月5日(火)晴れ

今日も鳥が待っていた。どうやら、マグパイとロビンといったところが主体のようだ。

昼からテリー・ビンガムと会って、別れた後雨が降った。幸い洗濯物は取り込んだし、晩ご飯の買い物も済ませたので、雨にも濡れず、無事一日が終わりそうだ。

夜はエマ(ダンサー)にもらった白ワインを1本飲んだ。酔っぱらったので寝ることにした。

 

8月6日(水)晴れたり曇ったり

多分、またどこかのタイミングで雨は降るだろう。

さて、この近くにセント・ニコラス・チャーチ(僕らが出るコーマック主催のコンサートをやるところ)があって、その道脇にマーケットが週末に、あるいは、何かのフェスティバルの期間に出るのだが、ひとつ紹介したい出店がある。

ダニエルという、歳の頃は40前後の見かけの、なかなかかっこいいおじさんがドーナツを揚げているのだが、それが何といっていいのか、美味しいのだ。

由緒ある高名なドーナツなんて目じゃない。どんな秘密が隠されているんだろう、と思うくらいに口の中で溶けてしまう。

カリッ、フワ、モチモチとはこのことだ。信じられないほど美味しいが危険だ。

1個0.8ユーロ、6個買うと4ユーロだが、健康のためには1個に押さえておかなければいけない。

ダニエルに「日本の原宿で冬限定でいいからやってみたらすごいことになる」と誘ってみたが、ここでもかなりの人気なので、あまりすごいことになったら身体がもたないかもしれない。

さて、鳥たちがまた待っているが、そろそろパンの種類を変えてあげようか。だが、ダニエルのドーナツはあげるわけにはいかない。

これからフランキーと会うが、12時15分と言っていた。おそらく1時半は裕に過ぎるだろう。

珍しくほとんど時間通りやって来たフランキーとちょっとお話しして、それから買い物に出た。

今日は、これも珍しく全く雨が降らない。現在夜の7時過ぎだが、素晴らしい快晴だ。

 

2014年 アイルランドの旅〜季節はもう秋〜

7月29日(火)曇り

寒い。12〜3℃だろうか。

裏庭の鳥たちの中にもかなり慣れてきて、すぐそこまで来て餌を待っている奴もいる。

僕らがいない間、あるいは帰った後大丈夫か心配だ。

町を歩いていてショーン・ギャビンと出会った。一人でべらべらと嬉しそうにお話して行った。フランキーが帰ってきたら一緒にやろう、ということだった。

夜、パディ・キーナンとスカイプで話したが、いつもよりとても元気そうだった。8月28日にここ、ゴルウエイで僕と希花とパディの3人でコンサートをやることを決めた。マーチン・オコーナーも空いていればくるかもしれないし、フランキーにも声をかけてみよう。

 

7月30日(水)曇りのち晴れ、のち小雨、のち晴れ

朝起きたら、今日も鳥が待っていた。

あと1日で7月が終わる。正月のことは昨日のように覚えているのに、もう8月だ。えらいことです。

7時過ぎショーン・ギャビンから電話があった。9時50分に待ち合わせしてセッションをすることになった。

また、目一杯のギネスとお話とで、戻ったら多分2時くらいだろう。

えらいことです。

いい勘だった。2時15分。ギネスは想像通り目一杯出てきた。えらいことでした。

 

7月31日(木)曇りのち雨、後晴れ、のち曇り

やっぱりしんどい。今度はギネスを1杯で断ろう。

お昼からコーマックと会って、また仕事の話をした。

それ以外の用事は特にないので、ゆっくり休むことにする。いつ雨が降ってくるかわからない天気だし。

 

8月1日(金)晴れのち雨

今日はお昼にコーマックとダンサーのエマと4人、町で演奏と踊りの、いわゆるバスキングをすることにした。

彼らは教会でのコンサートの宣伝を兼ねて、道行く観光客を相手によくやっているのだが、今日は僕らもそれに一役買おう、ということだ。

エマ・サリバンは、日本公演の経験もあり、DVDも出している可憐なダンサーだ。

街角に力強い靴音が響く。

1時間ほどやって帰ってくると少し雨が落ちて来た。やっぱり晴れ男だ。

そうこうしていると、今お世話になっているこちらのレストラン「和カフェ」のオーナーから「誕生日のパーティーをやっているのでもしよかったらハッピー・バースデーを」という要望があった。

勿論オーケーだ。

なんでも16歳になる女の子の誕生日のお祝いらしい。

ドアーを開けて突然乱入。こういう時の白人の若い子たちの反応は実に素直だ。

ざっと見て10人ほどの着飾った女の子たちも、驚いた直後、一緒になって大きな声で歌いだす。

そして1曲“Lover’s Waltz”をやって、さっと引き上げた。これはこれで面白い経験だった。

さて、ちょっと前から気になっていたお向かいのパブに行ってみることにした。どうやら金曜日にセッションをやっているらしい。

入ってみるとベガのロング・ネック・バンジョーを抱えた人がいる。僕が「お、ピート・シーガーだ」と声をかけると、もうそれだけで仲間入りだ。

ここのセッションは歌も沢山歌う。それもいわゆるパブ・ソングではなく、比較的年齢層も高いので、フォーク・ソングや、カントリーが主体だ。

それでもバンジョーを抱えたおじさんの他に、テナー・バンジョーの10歳くらいの男の子と、アコーディオンを抱えた、その妹らしき子供たちが両親と一緒に来ている。

バンジョーのおじさんがアコーディオンに持ち替えてインスト・ナンバーを弾く。テナー・バンジョーの男の子はとても上手い。まだ始めてそんなに経っていないようだったが実にいいタイミングでいい音を出す。

一緒にデユーリング・バンジョーを弾くと、恥ずかしそうに喜んでいた。なんかいい感じだ。将来、良いバンジョー弾きになるだろう。

他にもギター抱えて歌を歌うおじさんが2人ほどいて、サイモンとガーファンクルの曲を歌ったり、それこそピート・シーガーを歌ったり、なかなかこれも良いセッション経験だった。

後で知ったが、彼らはみんな去年から僕らを見ていたらしい。他所のパブで、いつもあまりに人が多かったので声をかけられなかったけど、やっと会えた、と喜んでくれた。

ロング・ネック・バンジョーとアコーディオンのおじさんは、「アンドリューと一緒にやっていたか?君のことはよく知っている。彼は僕の先生だ」と言った。

ゴルウエイでも段々顔が売れて来た…ようだ。

季節はもう秋だ。

 

2014年 アイルランドの旅〜ゴルウエイに戻ってから〜

7月21日(月)晴れ

ひたすら爆睡。今週からアート・フェスティバル週間らしいが、それにはあまり興味がないのでゆっくりすることにしている。

 

7月22日(火)曇り 3時頃激しい雨、後清々しい晴れ

まだ疲れが残っている。昼前からショッピング・ストリートに出てみるが、今日はえらく暑い。といえども、これは何度くらいだろうか。多分25℃くらい?でも、めずらしくすごく湿気を感じる。

しかし、6時を回った頃から涼しい風が吹いてきて気持ちよくなってきた。

 

7月23日(水)曇り

今日も珍しい暑さになりそうだ。

このところ、アパートの裏庭にパンをまいておくと、鳥達がやってくるようになった。

詳しい人だったらわかるのだろうけど、いろんな鳥がいる。

なにを考えているのかわからないが、それぞれの動作が面白い。

来る鳥、来る鳥を追い払っている奴がいた。そいつひとりだけ種類が違う。意地悪な奴だと思っていたが、数日前から足の折れ曲がった彼とは違う種類の鳥がやってくると追い払わず、食べているのをじっとみている。

良い奴なのかもしれない。

3種類か4種類の鳥がやってきて、なかなかに飽きない。

今日はひとつセッションを済ませれば休める。それも早い時間なので、週末に備えて身体を休めておこう。

 

7月24日(木)晴れ

気持ちのいい涼しい朝。こういう日に限って後から雨が降ったりするから、洗濯のことを考えるのはむずかしい選択だ。なかなかきれいなしゃれだ。(自己陶酔型)

天気はまぁまぁの一日であった。

明日からの用意をしなくては。

 

7月25日(金)晴れ

ブレンダンと11時半に待ち合わせ。これからWexfordに出かける。

彼はアイルランド人には珍しく時間に正確だ。なので、Wexfordには大体思っていた時間に着いた。

ここでは第23回のPhil MurphyWeekというフェスティバルに出る。

Co.WexfordのCarrig On Bannowという小さな村だ。パブは3つしかない。食事をできるところはMr.Spudsというファスト・フード店だけ。人の行き来するところは200メーターくらいしかない。

フェスティバルの規模は至って小さいがDonal LunnyやMartin O’Connorなどもやってくる。

僕らは明日のコンサートがメインだ。僕らの前にバンジョーのAngelina Carberryも出るようだ。

こんな見渡す限り緑の場所なので、B&Bも広くて気持ちがいい。海も近いのでブレンダンは早速泳ぎに行った。

夜、11時頃から少しだけパブで演奏したが、一体どこから人が湧いてくるのだろう。身動きが取れないほどの人で結構広いパブが埋め尽くされている。

結局戻ったら2時半を過ぎていた。一日が異様に長い。

 

7月26日(土)晴れ

昨日は極端に暑かった。といえども27〜8℃くらいだったろう。今日は昨日ほどでもないが、またしても絶好の天気だ。

晴れ男いまだに全開だ。夜までゆっくりできる。どうせブレンダンはどこかに泳ぎにでも行っているだろう。

朝は思いっきりヘビー級、アイリッシュ・ブレックファーストでお腹を満たした。そうでもしないと他に食べるところがあの、いも男(Mr.Spuds)しかない。

なかなか美味しいが所詮、いもの揚げたものだ。バーガーを食べても同じような味がするから不思議だ。

何はともあれ、コンサート会場に5時頃行ってみたら、サウンド係がいた。どこかでみたことがある男だ、と思ったら、Danuのアコーディオン奏者だ。こんなすごい奴が音響を担当するとは驚きだ。

それに8時からというのにその時点でまだ人もまばら、ミュージシャンも来ていない、ブレンダンはファースト・セットがアンジェリーナ・カーベリーだと知ると、9時頃戻ってくる、と言ってどこかへ行ってしまうし、それも驚きだ。

しかし何事もなかったかのようにコンサートは始まるし、遅れたからといって文句を言う人もいない。

この気の長さはきっと長生きにつながるのだろう。実際、大丈夫かな、と思わせる人が目一杯パブで、しかも夜中まで飲んだり踊ったりしているんだから。

そんなこんなでその日も過ぎて行った。

明日は朝7時に出発なので、終わってすぐ帰ろうと思ったら、ブレンダンが少し飲んで行こうというので1時まではつきあったが、それ以上はやめておいて先においとまさせていただいた。

案の定、2時半まで飲んでいたらしい。

 

7月27日(日)晴れ

ダブリンに向かう。またしても最高の天気。

10時半ころ目的地Howthという町に着いた。ダブリン滞在の折、一度行ったら良いと言われていた風光明媚な町に労せずして来れた。

1914年の7月26日の日曜日に、到着したAsgardという船の記念式典。この船でドイツまで武器の買い付けに行った、ということだが、ぼくらの知らなかった歴史のお話がいっぱいあるようなので、帰ったら栩木先生に訊いてみようと思っている。

僕らの演奏のあと、大統領まで来て、軍関係者から警察まで物々しい警戒の中、見渡す限り日本人は僕と希花だけで、しかもなぜここにいるんだろう、という感じで小さくなっていた。

風光明媚な港町も、あまりに多くのひとでにぎわっているので、僕らも早々に引き上げた。

ブレンダンとはしばしお別れ。僕らは一路ゴルウエイに戻った。

 

7月28日(月)晴れ

ゴルウエイ・アート・フェスティバルも最大の盛り上がりは、多分僕らが外出していた週末だったのだろう。

町も静けさを取り戻したようだ。今日からは特別なイベントはないが、きっと誰かから連絡が入るだろう。

そうでなければ、少しゆっくりしよう。正直、歳も歳だし、ちょっと疲れがたまっているかも。

2014年 アイルランドの旅〜Castlewellan〜

7月18日(金)小雨のち曇りのち晴れ

朝8時、ブレンダンと共に一路、北アイルランドを目指す。今年2回目という新しいフェスティバル、SOMA Festivalに出演依頼が舞い込んだのが約2ヶ月前。

ブレンダンと共にステージ、後は並みいるミュージシャンと共にセッション・ホストの依頼だ。

比較的スムーズに12時半頃、町に着いた。

あたり一面緑に囲まれた小さな町だ。ここにくるまでにユニオン・ジャックをいたるところで見ている。

photo1 (2)

そうだ、ここはユナイテッド・キングダムなんだ。

ハイウエーをおりてすぐに両替もしたし…でも変な感じだ。よその国なのだ。

使い慣れないお金で少しだけ腹ごしらえをしてみるが、よくこんなものをレストランと名のつくところで出すなぁ、と感心してしまう。それどころか、老若男女、結構入っているから驚きだ。

きっと、すしやすき焼きはこの人達にとって美味しくないものになるのだろう。

主催者のひとり、Tionaとすこしだけ打ち合わせをするが、そのラフさ加減にも驚き。

スケジュールもその場で「えーっと」なんて言いながら手書きで書いてくれる。

今日はどうやら8時半まで、宿泊先でゆっくりしていればいいらしい。さっきの口直しにどこかチャイニーズでも食べられるところはないだろうか、と少しの期待をよせて町のガイド・ブックを読んでいると、ありました。ここにも。こんなところにも、というと失礼かもしれないが、チャイニーズ・レストランが2軒も。

そのうちの1軒Ocean Palace Chineseというところで、先ず、こわいのでメニューを見る。

選んだのはチャーハン・シンガポール・スタイル。5ポンドちょっとくらい。どの辺がシンガポールなのか分からないが、カレー味のチャーハンだった。そしてまぁまぁだったので、ほぼ満足。

毎日毎日遅く、今朝も早かったし、今夜も11時半までは決められているし、それで終わりそうにもないので少し昼寝しておく。

途中Dundalkという町を通り過ぎた時Gerry “Fiddle”O’Connorにメール。彼は確かこの町の出身だったような記憶がある。その返事が寝ている間に来ていた。今回は会えないかもしれないが、またどこかで会えるだろう。

9時半、セッションが始まった。ブレンダン、希花、僕を中心に集まったメンバーはフルートが3人ほどいた。中でも「てーさん」に似た顔のおじさんは上手かった。フィドラーも上手いな、と思うひとがいたが、しばらくして、驚くことに彼はDervishのメンバーだったShaneだ、ということが発覚。もう18年くらい前に何度か会っているのだ。

時間が進むにつれて、多くのミュージシャンが現れた。僕らは疲れていたので一応11時半まで役目を果たし、それでも12時半ころに宿泊先に戻った。

結局3時頃までセッションの音が聞こえていた。

 

7月19日(土)一面霧、霧、霧

南ではあまり見かけなかった霧が町をすっぽり覆っている。

目一杯いろいろな種類のシリアルやフルーツが用意された朝食は、どこか他のフェスティバルとは違う。どうやらこのイベントの音楽担当の人達は健康志向らしい。

それはとても助かることだ。朝からソーセージや分厚いベーコンはきつい。

僕らはBBC北アイルランド支局のラジオ出演のため、公園に出かけた。photo6

目の前に広がるとてつもなくでかい自然公園(Castlewellan Forest Park)。そのゲートをくぐると、大広場にいるわいるわ羊の大群。

それぞれ身をよせあってケージの中でメーメー言っている。ここは羊の品評会場も兼ねているらしい。

様々な種類の羊達がそれぞれ沢山のケージに入れられている。数えはしなかったが、300匹はいるだろう。photo1 (1)

足を数えて4で割る、というのが早い数え方だ、という小話があったが、これ全部数えていたら眠れないまま次の日までかかりそう。

 

 

 

僕らが特設会場に着いたら、John McSherryが演奏していた。それぞれに1曲ずつ。間にいろいろな出演者がいてインタビューがあって。さすがにラジオ局ともなるとアイルランド人でも時間は気にする。大きな時計を持ったスタッフが忙しくしている。photo5

しばし羊を見学して宿に戻り、今度はランチだ。僕らはKevin Keegan / Ukepick Waltzを演奏した。

またまた素晴らしい料理に驚き。ベジタリアンのディッシュまで用意されている。

これは主催者の一人、Tionaの計らいだろう。彼女のご主人が何人かのスタッフと共に料理を作っている。

料理は決して本職ではないそうだが、アイルランドで入ったどのレストランよりも美味しい。

食事の楽しみなフェスティバルなんて、今まで経験したことはない。

それと、驚いたことにJohn McSherryはTionaのブラザーなのだ。

ニーブ・パーソンズやシボーン・ピープルスなどと共に食事を済ませ、この日の一大イベント、教会でのコンサートに出かけた。

3人で1時間20分ほど。素晴らしく大きな教会で、素晴らしいサウンド・スタッフ。弾いているこっちまでうっとり。

ブレンダンの素晴らしい歌声が人々を魅了する。この人は絶対に日本に連れて行きたい人だ。力強いアコーディオン・プレイと繊細な歌。そして歴史を語る。真のアイリッシュ・ミュージックとはこういうものなのだ。

そして、夜のセッションでは、本当にトラッドをきっちり勉強してきた若者2人(パイプとフィドル)と僕と希花でホストを務めた。

テクニックも知識も素晴らしい若者達だった。

 

7月20日(日)くもり

来る前に北アイルランドの天気を調べたら3日間雨、と出た。しかし一度も降られなかった。

今こそ声を大にして…いや止めておこう。ここはアイルランドだ。いつ何時その神話は崩れるかわからない。

今日、昼、夜のセッション・ホストを務めれば無事終われる。

バウロン奏者John Joeの、シスターが勢い良く…喋りまくる。ティン・ホイスルもかなりの腕前だが、話も止まらない。

かくして、3日間、絶景に囲まれ、親切な人達と、良いミュージシャンと、素晴らしい料理とに明け暮れた。

僕らをミュージック・パートナーとして選んでくれたブレンダン・ベグリーに感謝だ。

今週末にはまた一緒にWexfordとDublinに向かう。

それまでしばらくお休みすることにしよう。

photo2

2014年 アイルランドの旅〜ブレンダン・ベグリーとの再会〜

7月9日(水)晴

今日は暑くなるようなことを言っていたが、少し暖かいかな、と思う程度だ。昼頃、ブレンダンから電話が入った。

今日はセント・ニコラス・チャーチで彼とのコンサートがある。そしてその前にパブでの演奏もある。

それはセットを決めたり、練習するにはちょうどいいことだ。

1年ぶりに会う彼は、真っ白いヒゲをたくわえ、髪の毛も真っ白いのが少し生えていて、まるで散髪したサンタクロースみたいだった。

力強いアコーディオン・プレイと、ますます円熟味を帯びた歌声はいつ聴いても素晴らしいものだ。

僕と希花が40分のファースト・セットを受け持ち、ブレンダンが30分一人でセコンド・セットを。おわりにUkepick Waltzと、彼の素晴らしい歌声に乗ってのFoggy Dew。最後にPaddy Ryan’s Dream /Moving Cloudのセットで、日本公演の経験もあるダンサーのエマ・サリバン(彼女はこのコンサートの受付も兼ねている)が軽やかにステップを踏む。

そして、今日一日が無事終えた。ブレンダンとは金曜日にまた一緒に演奏することになっている。

 

7月10日(木) 朝のうち小雨、 後晴れ

今日はフランキー・ギャビンと会う約束をしているので、待ち合わせの場所に行く。

パブのなかで音楽を始めるとやはりただ者でない雰囲気が人々に伝わる。2時間ほど3人で弾きまくって、また会う約束をして別れた。

 

7月11日(金)曇り

今日もブレンダンとの演奏がある。

まず街のパブで。そして教会だ。

来週には僕らと北アイルランドに行くので、とりあえずケリーに戻って行った。いつでもパワー全開の人だ。少なくともアイリッシュ・ミュージックを自分の音楽として位置付けている日本の若者には、是非目の当たりにして欲しいミュージシャンの一人だ。

 

7月12日(土)雨

いよいよ晴れ男としての出番がなくなるアイルランドらしい気候になってきたようだ。

今日も一日ゆっくりできる。

夕方、とはいっても9時半頃だが。天気が良くなったので散歩に出た。川のほとりや公演には多くのひとが、それぞれに美しい夕焼けと心地よい風を楽しんでいた。

極端に広いこの風景の中ではその存在は本当に小さいものだ。

ふと通りに目をやると、見たような男が車の列の先頭を歩いている。コーマックだ。

なんと、ワイングラス片手に千鳥足で車道をあっち行き、こっち行きしている。そのせいで大渋滞になっている。

クラクションが鳴り響いているがお構いなしにフラフラと歩いている。ドライバーも慣れたものだ。結構いるんだろう。そんな奴が。やがて歩行者だけの道の雑踏の中へフラフラと消えて行った。やっと交通渋滞は解消された。彼にとっては始まったばかりかもしれないが。

明日電話してみよう。覚えていないかも。

 

7月13日(日)曇り

今日は、夕方からフランキーの家にお泊まりだ。門から家まで100メートルあろうか。大きな家のバックヤードは充分野球が出来るほどの庭と、大きな湖があり、と一体どこまでが彼の土地なんだろう。

彼が一生懸命ディナーを作ってくれる。

ろうそくの灯りを囲んでワインと彼の作ったパスタで緑に包まれての食事は、いかにもヨーロッパ人の夕食のひと時だ。

そしてもちろん音楽。

毎日が忙しい彼だがいろいろな曲を一緒にやってくれる。

彼のフィドル・スタイルは、あらゆる地方のアイリッシュ・ミュージックを聴きまくり、そして手当たり次第様々な音楽を聴いてミックスしたものだ。

彼のように弾く人はゴルウエイには多いが、この人はやっぱりそういう人達にとっての神様だ。

彼が大きな2匹の犬の世話に手を焼いている、というのはどこか微笑ましい。

 

7月14日(月)雨のち晴れ

フランキーの家から戻り、夕方コーマックに会ったが、やっぱりこの間のことは覚えていないようだった。

 

7月15日(火)晴

午前11時。少し曇ってきたが、今日も雨が降るだろうか。だれかが「もう夏も終わった」と言っていた。「ここでの雨期は1月から12月までだ」と言った人もいた。でも相変わらず楽器の鳴りは良い。

 

7月16日(水)晴れたり雨が降ったり曇ったり

典型的アイルランドの天気。少し暖かいが、海辺を走る風は冷たい。今日も白鳥がいっぱいだ。

それぞれに首を水の中に突っ込んで、藻らしきものを食べているが、首の見えない白鳥は単なる白いかたまりだ。

今夜は10時にショーン・ギャビンと待ち合わせている。ソルト・ヒルというところにあるパブでのセッションだ。

フルートのGary Hastingsがいる。間違いなく良いセッションだ。少し後からWe Banjo 3のDavid Howleyが現れた。まだ23歳の、マルチ・プレイヤーでシンガーの彼も真剣な眼差しでみんなの音を聴く。

それぞれが相手の音を聴き、ゆったりしたペースあり、そこそこに早いものあり、いいチューンあり、沢山のギネスあり、そして、何と言っても静かなパブで本当にいいセッションだった。

帰ってきたら2時をまわっていた。ショーンは車を置いて自転車で帰って行った。

 

7月17日(木)曇り

明日からブレンダンと北アイルランドのCo.Downに出かける。朝早くの出発なので、今日は一日ゆっくりしておこう。

昼からジョニーがTommy McCarthy(フィドル)と演奏するので、近くのパブに聴きに行く。

100人ほどのお客さんの中に、Mairtin O’Connorを発見。この人とは一緒に演奏したことはないものの、いつでも「おー、ジュンジじゃないか」とハグしてくれる。相当前から僕のことをいろんな人を通して知っているらしい。

初めて、ダブリンで会ったときも、随分前から知っている、という感じで気さくに話をしてくれた。

この人はきっとみんなに親切なんだろう。この上ない超絶テクニックを持ったアコーディオン奏者で、この上なくいい人だ。

2014年 アイルランドの旅〜7月4日から〜

7月4日(金)朝から雨が降っている。いよいよアイルランドらしくなってきた。そんなに強い雨ではないが、これでは走りに行けない。

お茶を飲みながら、何か曲でも覚えるか…。知っている曲でも最後の1小節が定かでなかったりする場合、なんとか見つけ出してクリアーにする。いろんなバージョンがあるので、それに全て目を通した上で、これが一番好きだ、と思うものを覚えることにする。

伴奏者にとってはとても大切なことだ。自分の選ばなかったバージョンで弾く人もいるので、即座に対応できなければいけない。適当に感覚で済ますわけにはいかないのだ。

メロディを常に覚えておかなければいけないリード楽器奏者に対するリスペクトを、きちんと果たさなくては伴奏者として成り立たない、と考えている。

こうして朝、昼、晩を問わず練習するのには雨の日がもってこいだ。といえども、今日はまたセッション・ホストの仕事が入った。6時頃なので充分時間はある。もう少しRainy Dayを楽しもう。

そういえばRainy DayとDown The Broomはよく似ている。Follow Me Down The Galwayというオールド・セッティングもある。

あまり考えすぎると頭が混乱する。

さて、少し晴れて来た。セッションまで海辺を散歩でもしてみよう。

セッションはいつもの通り、ミックがすっ飛ばす。彼も素晴らしいフィドラーだ。

セッションを終えてからスピダルまで行くことになった。この週末はそこで大きなフェスティバルがあるのだ。

まず、アコーディオン奏者のDermot Byrneに出会う。そしてその次にウロウロしていたのはMichael McGoldrickだ。日本のフルート奏者のだれもが憧れる大物だ。気軽に僕らの会話にも加わってくる。Charlie Lennonもいる。もうすでに「ハイ、チャーリー」と声をかける。そして、12年ぶりにHarry Bradleyとも出会った。あの時(アメリカでツアーした)はまだ25歳の若者だった。

沢山の人と挨拶を交わし、街を離れたのが11時過ぎ。西の方の空はまだすこし明るかった。

 

7月5日(土)快晴。

今日の予定は、昼頃からジョニーとスピダルに行って、6時までに戻って、昨日と同じメンバーでセッション・ホストをやる。昨夜は12時頃戻ってからあまり寝れなかったので、今日はセッションが終わったら早い目に引き上げてきたいが、どうなることだろうか。

午前9時半、青空のあいだから突然雨が落ちて来た。しばらく降るだろうか。実にアイルランドらしい。

11時。まためちゃくちゃにいい天気になった。

スピダルに着いた。美しい海で水遊びを楽しんでいる人達もいるが、多分水は冷たいだろう。

チャーリー・レノンがいた。彼が自身のスタジオを見せてくれる、と言う。ぼくらが付いて行くとそれはそれは素晴らしい木造りの広いスタジオに案内された。

オーケストラも小規模だったら入るだろう。

そこでチャーリーがちょっと試しに一緒に弾こうか、と言ってくれた。

これはまたとない機会だ。特にフィドラーにとっては。希花に至っては、まだ生きていたとは知らなんだ(おとみさん、か!)というくらいの人物だが、今、まさに目の前1メートルくらいのところでフィドルを弾いている。しかも二人だけ、という恵まれた条件だ。

しばしスタジオで時を過ごしてから、ゴルウエイに戻り、またセッション・ホストだ。今日1日も矢のように過ぎて行く。因にチャーリーはiPhoneを使っていたがよく見えない、と言って希花に文字の入力を頼んでいた。

 

7月6日(日)快晴。

朝のうち海辺を走る。風が冷たくて気持ちがいい。

今日はジョニーとミルタウン・マルベイに行く。アイリッシュ音楽に関わっている誰もがステイタスのように思っている“ウイリー・クランシー・ウイーク”だ。

今は亡きパイパー、ウイリー・クランシーに因んだこのフェスでは様々なワーク・ショップも開かれ、サマー・スクールという名目でも知られている。

1昨年はブレンダン・ベグリーの家に泊まって、恐るべきケリー集団の洗礼に遭った。

今日は日帰りなので気が楽だ。いろんな人に挨拶だけして帰ってこようと思っている。

夜、ゴルウエイに戻ってからのセッションでショーン・スミスと久しぶりに出会った。

 

7月7日(月)曇り(小雨がぱらついている)

今日は七夕。日本はどんな天気だろう。少し晴れて来たけど今夜、星は見えるだろうか。アイルランドは関係ないか。

5時から7時まで観光客相手のパブで演奏。今日は早く寝れそうだ。

 

7月8日(火)晴

昼からミルタウン・マルベイ。セッションをしたり、こちらに住む赤嶺“フー”さんとお茶を飲んだり。

彼の勧めで、メインストリートでバンジョーを弾いたところ、おおいに受けた。彼はなかなかバイタリティーがあり、思ったことはなんでも実行すべきだし、興味のあることにはとことん食らい付いていく、ということをモットーとしているひとなので、この国で会うべき人としては欠かせない。

希花はそのあと、モーリス・レノンと共にセッションに参加。1曲ごとに希花のロージンを弓に塗りたくる彼にハラハラしていたらしい。

クラシックの人の1ヶ月分くらいを1曲で使うらしく、だいぶ減った、とぼやいていた。

外に出ると、よそ見しながらテレビでも見るような感覚でパイプを奏でる10歳くらいの超絶テクニックの男の子や、それを取り巻く子供達の大集団が次から次へとトラッドを演奏する姿に出会い、あらためて感心。

帰ってきたらもう1時をまわっていた。

2014年 アイルランドの旅〜再びゴルウエイ市内〜

7月1日(火)快晴。気温20度。あまりにいい天気なのでジョニーがコネマラに行こうという。彼はその前に、娘さんがくるのでピック・アップに出かけ、僕らは引っ越しの準備。

荷物を積んでジョニーの17歳の娘さん、ケイティと4人でいざコネマラ・ツアーに出る。

大自然のパノラマ。なかなかアイルランドではお目にかかれないほどの天気(去年もそうだった)で、ここでも晴れ男全開だ。

とは言っても、明日からは少しくずれそうだ。気温も17度くらいらしい。今日はチャンスだった。

久しぶりに早く寝ることにする。ゴルウエイに着いてからきのうまで、ほとんど3時過ぎまで起きている。

今も10時を回ったが外が明るいのでちっとも遅い感じはしない。

でも、眠たくなって来た。

 

7月2日(水)曇り。気温17℃

久しぶりに爆睡。今日は教会でNoel Hillのコンサートがある。それまではゆっくりしよう。

Noelの音は、どこまでも力強い響きであった。やはりコンサルティナのまた別な神様だ。ちょうど元ストックトンズ・ウィングのモーリス・レノンも来ていたので、彼とも再会を果たすことが出来た。

これから先は忙しかったり、何もなかったりするのでしばらく何か特別なことがあったら書くことにしよう。とりあえず…。

 

7月3日(木)曇り。久しぶりに走った。フットボール・グラウンドが4面あるどでかい公園から、海辺を1時間くらい。

気温は15度か16度くらいだろうか。

風が強かった。

2014年 アイルランドの旅〜ジョニーの家〜

6月28日(土)晴れ  今日も涼しい風がふいている。昨夜のうちにそこそこ雨が降ったようだ。

今日からしばらくジョニー“リンゴ”マクドナーの家に泊めてもらう。ゴルウエイから車で20分くらい。オランモアーの一角、静かな住宅街に彼の家はある。

今晩はゴルウエイのパブでフィドラーのローナンとバンジョーのブライアン、そしてジョニーと僕らでのセッションをやる。

ローナンも若手の良いフィドラーだし、ブライアンもディ・ダナンのキーボード兼バンジョー奏者として活躍した人だ。

セッションの途中でジョニーに電話が入る。

このセッションの後、10時からスピダルというところでジョニー・コノリーのセッションに来てくれ、という話だ。

ゴルウエイの中心部から西に40分ほどだろうか。ジョニー(リンゴ)は僕らにも誘いの言葉をかけてくれた。

ジョニー・コノリーは有名なアコーディオン奏者で、父親の同じジョニー・コノリーというメロディオン奏者と共に有名な音楽家だ。

少し早い目に9時40分くらいにパブに入る。

小さな街並みの中に4軒ほどのパブがみえる。外はまだ明るい。しばらくするとふたりがやってきた。

ジョニーが僕らを紹介してくれた。今日はジョニーが3人もいてややこしい。もう一人スティーブというアコーディオン弾きも現れた。50代はじめくらいのこの人も普通にアコーディオンを操る。かなり上手い人だ。

そして、ジョニー(息子)の方はかなりのテクニック。目を閉じてひたすら弾きまくる。父親のジョニーはテクニックもさることながら、にっこりしてかなり渋い味を持っている。

超一流のセッションという雰囲気だ。そこに一人ビールを持った老人が来てセッションを聴いている。みんなの知り合いのようだ。

どこかで見たことがあるかもしれない。う〜ん誰だったかな、と思いながら彼らの会話に耳を傾けていると、盛んにチャーリーと呼んでいる。

もしかしたらあの人かもしれない。一度サンフランシスコで顔を見たくらいの感じで会っているあの人かもしれない。

希花に「多分彼はあの人だよ。試しにあれ、やってみてくれ。12PinsとKilty Townのセット」といってみる。何故ならば有名な、あのチャーリー・レノンのセットだからだ。

始めようとして、息子のジョニーに曲を告げると、老人の方を向いて「チャーリー・レノンセットだ」という。すると彼は嬉しそうにうなずいた。

チャーリー・レノンだ。間違いなく彼だ。フィドラーとして、ピアニストとして、また作曲家としてアイリッシュ・ミュージックの世界に現存する伝説の一人だ。

希花にとってみても、会うことは叶わなかったかもしれない人物が目の前にいて彼女のプレイをじっと聴いているのだ。しかもかなり最初のほうから。

チャーリーはとても喜んでくれた。やっぱりスタンダードといわれるものをきっちり覚えておくことは大切なことだ。

チャーリーに訊いてみた。「サンフランシスコにはいつ頃行きましたか?」すると彼は「そうだな。随分前だったなぁ。90年代の半ばだったかな」「そのときあなたはプラウ・アンド・スターズに寄りませんでしたか?」「うん、行ったよ。そういえばセッションをやってたなぁ。君か?」

あの時、ジャックがチャーリー・レノンだ!と言った記憶はかなり鮮明にのこっていたのだ。

その時もカウンターでビールを飲みながらにこにこして聴いていた…ような気がする。

今度はどこで、いつ会えるだろう。

家に戻った時には、もう2時を回っていた。しばしジョニーと紅茶を飲みながら歓談し、4時近くになってベッドに入った。

チャーリー・レノンは超大物だった。でも気がつかなければ、少し上品な単なる飲み客にしか見えなかっただろう。

くわばら、くわばら…。

 

6月29日(日)薄曇りながら大体晴れ。 後快晴。

日曜日。8時半までセッションもないので、キンバラという風光明媚な街に行ってみる。

パブの前にジョニー・モイナハンが座っていた。アイリッシュ・ミュージックにブズーキを初めて持ち込んだ人だ。

この街にも有名なミュージシャンが沢山住んでいる。セッションも行われているが、今日はとことんゆっくりすることに決めているので、3人でお茶をのみながら美しい景色を楽しんだ。

10時になっても日本の夏の午後6時くらいかな、まだ明るい。時間の感覚が次第になくなってきている。

 

 

6月30日(月)快晴。気温は20度くらい、とラジオで言っていた。

絶好の洗濯日和だ。

今日は夕方からクレアに行って地元のクレアFMに出演する。ジョニーと、もうひとりConor Keaneというアコーディオン奏者が一緒だ。

彼らは最近新しいアルバムを出した。その宣伝も兼ねてのラジオ出演にぼくらもゲストとして出させてもらう。

Conorとは去年どこかのパブで一緒に演奏しているし、ラジオのパーソナリティとは随分前に会ったことがあるらしい。

クレアにはアンドリューを筆頭に知り合いが多くいて、どこにいっても「よ、久しぶり」と言うような人がいっぱいいる。

お顔は覚えていますが、お名前だけが♪とはよく言ったものだ。

ぼくらが出番を待っていると、ご機嫌なコンサルティナが聴こえて来た。マリー・マクナマラの新しいアルバムがかかっている。

クレアの、タラの景色が浮かんでくる。

僕らの出番がやってきた。まず、彼らのニュー・アルバム“Rough &Ready”の紹介から彼らの生演奏。

Conorは実に良い演奏家だ。ジョニーとはArcadyのころからの付き合いらしい。

素晴らしいリズムがスタジオに充満する。

おしゃべりがあって、ジョニーが僕らをしょうかいしてくれる。ラジオで、あるいは公共の場でしゃべるのは難しいことだ。3〜4分の質疑応答のあとぼくらも1セット演奏した。

そして最後に4人でジグを演奏して無事終えた。

スタジオの外に出るともう夜の9時半過ぎているのに、まだ全然明るい。一路ゴルウエイに向かうが、フリー・ウエイに全く車がいない。

対向車線は時々走って行くが、ゴルウエイ方面には最初の30分位、前を行く車も追い越して行く車もいない。

空がオレンジ色に染まっている広大なクレアの夕暮れを独り占めしているようだった。

明日から友人のアパートに引っ越しだ。ゴルウエイの中心にある便利な場所で、しばらくはそこを拠点にして動く。

2014年 アイルランドの旅〜一路ゴルウエイへ〜

6月23日(月) またまた快晴。ゴルウエイに向かうバスの中でテリーから電話がかかる。もうここまで来るとお構いなしに話してしまう。

アイルランドではどこでも携帯の着信音が聞こえてきて、結構な大声で話している人が多い。それにくらべれば僕の声なんて小さい方だろう。一応は気を使っているし。

来月少し時間が出来たらゴルウエイに出てくるということで話を終えた。僕らは彼を日本に呼びたいのだ。コンサルティナの神様のひとりである彼はとても素朴な人で本当の本物のトラッドミュージシャンだ。

日本のアイリッシュ・ミュージック愛好家たちがどれだけ興味を示すか分からないが、彼らが最も聴かなければいけない人のひとりであることは確かだ。

3時頃ゴルウエイに着いた。少し風邪気味なので今日はゆっくり休むことにする。このところ寒すぎる。

30度にもなるところから、夜になると15度を大幅に下回っているだろう場所に突然身を置いているので体が付いて行けないのだろう。やっぱり歳かな、と思いつつも希花さんも風邪っぽいようだ。

無理も無いかもしれない。まぁ、希花さんに診察してもらうよりは、葛根湯でも飲んで早く寝た方がいいだろう。

来月に入ったらいろいろと忙しくなるので今のうちに体力温存で行こう。

 

6月24日(火)快晴。 朝5時をちょっとまわったところ。夕べ10時少し前には深い眠りに就いたので4時頃にはもう目が覚めた。外はもう明るい。そういえば、昨晩眠りに就いた時も明るかった。

少し曇っているようだが、今日の文章の頭の部分にも、快晴、と書けるようになるのか、それとも今日くらいは雨に降られるか…どうだろう。

果たして…快晴。

昼前に楽器屋へ行って5弦バンジョーをゲット。これからの仕事で使えるようにすこし良いものを手に入れたが比較的、いや、かなり安かったので大満足。

それからコーマックと落合って仕事の話をして、なんやかやくだらない話もして、ショッピングストリートを歩いていると、どこかからオールド・タイムが聴こえてくる。

見てみるとフィドル、ベース、ギターのトリオだ。5弦バンジョーもある。ギブソンのスクラッグス・モデルだ。

Nobody’s Businessを一曲聴いたところで尋ねてみた。「バンジョーを弾かせてくれ」快く受け入れてくれたのがいかにもアメリカ人らしい対応だった。バージニアから来ているらしい。

すでに沢山の人が聴いていたが、予想のできない展開で、あっという間に黒山の人だかりができた。

やっぱりブルーグラスはなんとなく陽気で人々の興味を引くらしい。彼らもなかなかに良いグループだった。

さて、この国で晩御飯になにを食べるかということを考えるのは、なかなか難しいことだ。

「美味しかったね」「また来ようね」というような日本のコマーシャルにあるような言葉を交わすことは先ず無いとみていい。

こういう物が美味い、という味覚はいったいどこからくるのだろう、と思わせる料理がほとんどだ。

結局、フィッシュ・アンド・チップスで済ませるのが一番安くてお腹に溜まる。そしてほとんどどこも同じ味だ。

そういえば東京のどこかで「東京一美味しい本場の味」と詠ったフィッシュ。アンド・チップスを出している店があったなぁ。

本場の味ってどんなもんか知らないのかな。

日本の食文化は偉大だ。

 

6月25日(水)曇り。また早く目が覚めたので6時から散歩に出た。少し歩くとGalway Bayに出る。

初めてBreda Smythに連れて来てもらった時も今日のようにどんよりした天気だった。

これから7月に入ると少し雨も多くなるのかもしれない。そして8月半ばにはもう夏が終わる。その頃になると、上着なしでは歩けないこともある。

やはりそういう気候だから、がっつりとしたものを食べなければいけないのだろう。

「旨味」などという概念がないのもうなずける。

午後1時半、アイルランドらしい雨が降って来た。ある意味これでなくちゃ、という感じだ。

びしょびしょに濡れたソフトケースのギターをかついで、走るでもなく行き交う若者、雨にうたれたテイクアウトのピザを食べながら歩いている女の子。どこまでもワイルドだ。

これから先はこんな天気が続くだろう。それでも降ったり止んだりすることがほとんどだ。

通りをぶらり歩いているとアコーディオンが聴こえてきた。覗いてみるとアンダースともう一人、バンジョーの二人だけでやっている。

アンダースは奥さんが「まよさん」という日本人のフィドラーで、今日はいらっしゃらなかったが、奥さんの里帰りも兼ねて日本で演奏したりしている、日本でもよく知られているカップルだ。

アンダースはゴルウエイのセッション・ホストの一角を背負っている。ミュージシャンの数が少ないセッションは、全ての音が聞こえてとてもいい。まだまだ早い時間だったので、それが良かったのだ。

6時〜8時くらいのセッションではそういうことが結構ある。特にギタリストやブズーキ奏者がもうひとりいて、たいして理由の無いコードを感覚で入れられたりするとお手上げだ。

また、そういう人に限ってなかなかやめてくれないのだ。

8時にセッションが終わった。みんなに挨拶をして出てくると、そうだ、思い出した。

すぐ裏手の教会、セント・ニコラス・チャーチでコーマック達がコンサートをやっているのだ。今日は彼を含めた5人のミュージシャンによるライブ・レコーディングが行われているはずだ。

少し覗いてみることにした。

50人ほどのお客さんに囲まれてシリアスに録音している。セント・ニコラス・チャーチは素晴らしく美しい音をプロデュースしてくれる。

ピアノ、コンサルティナ、フィドル、パイプ、そしてブズーキの音が、自然のリバーブでお客さんを包んで、なんとも荘厳な雰囲気だ。

この教会では去年に続き、ぼくらも何度か演奏する予定になっている。

久しぶりに12時をまわるまで徘徊した。

 

 

6月26日(木)朝のうち雨。現在10時。もう晴れて来ているが安心はできないだろう。

外からはかもめの鳴き声がひっきりなしに聞こえる。ゴルウエイもダブリンも同じだ。

街のいたるところをカモメが飛び交い、そして歩道を歩いている。車の行き交う通りを早足で渡るかもめ。変な奴だなぁ。飛んだ方が早いんじゃないかな、と思ったりして。

午後6時。またアンダースの軽快なアコーディオンが聴こえて来た。今日は8時からバージニアの連中の演奏を聴きにいくのでそれまでセッションに加わらせてもらおう。時間的にはちょうどいい。

セッションを終えてコーマックのアパートの隣にあるモンローズというパブに行く。

彼らともうひとつのバンドとのコンサートがここであるのだ。

彼らの演奏はいかにもアメリカらしい、様々な音楽をミックスしたものだった。ブルーグラスあり、スウィングあり、ヨーデルあり、30年代のデイブ・アポロンのロシアン・ラグはなかなかきまっていた。

かなり楽しいバンドだった。

そして、次に登場したグループは5人編成の、これもなんと説明していいだろうか。スライゴーのフィドラーを中心にして、フラメンコ・ギターのスナフキンみたいな奴から、マンドリンを巧に操り、チェロやキーボードを弾く女の子、一見今にも死にそうなギタリスト、それとベース。中近東ものあり、アイリッシュあり、スパニッシュあり、ボーカルもそれぞれ味があって実に上手い。ゴルウエイもさすがに音楽が盛んな都会だ。さしずめボストンのような、と言えるだろうか。

戻って来たのが12時少し過ぎた頃。眠っていたら3時半にジョニー“リンゴ”からメッセージが入った。

明日、いや、もう今日だ。6時からセッション・ホストをやってくれ、という内容だ。去年一緒にやった、Mick Connollyとの4人。もちろんオーケーしたがさすがに眠たかった。

これからはこんなシチュエーションも増えてくるだろう。しっかり健康管理しておかないと身体が持たない。

 

 

6月27日(金)晴れ

6時。セッションがスタートしたが、間もなくしてクリーナ(コーマックの妹)から電話があった。

コーマックが飲み過ぎて演奏ができないから教会でのコンサートを急遽手伝ってくれ、という。

セッションは8時まで。コンサートは8時から。ファースト・ハーフを別なミュージシャンでやってもらって、2部を僕らということにしておけば余裕がある。

1部はコンサルティナの名手、カトリーンだ。ダンスもこの上なく上手い。因に希花がコンサルティナで弾いている「Sunday’s Well」という曲は彼女の演奏から覚えたもので、彼女のオリジナル曲だ。

因に、今回これを希花がフィドルで演奏したことをいたく気に入ってくれたカトリーンが演奏のもようを彼女のフェイス・ブックにのせてくれた。

僕らは2部を30分ほどやって、最後にお決まりのマイケル・コールマンセットで終えた。

50人ほどのお客さんも結構楽しんでくれたようだ。

そのあと、また近くのパブでショーン・トリルのコンサートをやっている。僕は15年くらい前に彼と、パディ・キーナンとで廻っていたことがあるので、挨拶に出かけた。

彼の歌は超一流だ。高田渡か、ギターがもう少し上手い高石ともやというところだ。

一緒にやっていたころ、僕は彼のギタリストでもあった。歌に沿ってギターを弾くのはとても気持ちのいいことではあるが、難しいことでもある。彼は僕のギター・プレイをとても気に入ってくれていた。

クレアに住んでいるとのこと。またフィークルで会う約束をして別れた。帰りしな、コーマックが現れて盛んに「ごめんなさい」といいながら、僕らにビールをおごってくれながら、また飲んでいた。

懲りない若者だ。でもこれくらいの方が面白い。

2014年 アイルランドの旅〜ダブリン〜

6月20日(金)ダブリン到着 午後7時。こんなに都会の飛行場なのに、滑走路をうさぎが走っている。

気温17度。まだお昼のように明るいが、さすがに疲れた。

早いとこB&Bに入って寝るか、と思った通り爆睡。

 

6月21日(土)快晴 同じく17度くらい。

8時からゆっくり朝食を取る。今回はアイリッシュ・ブレックファーストではない。それでもハムやチーズ、それにパン、トマトなど、あとはシリアルや定番のミルクティーでお腹いっぱい。

できるだけ沢山朝のうちに食べておけば節約できるだろう。

今回のダブリン滞在は、今まで何故か素通りしたトリニティ・カレッジの見学を主な目的としている。

やはりアイルランド文学の重鎮、栩木伸明氏の影響であることは確かだ。素晴らしいオールド・ライブラリーとケルズの書、そして最古のアイリッシュ・ハープとされるブライアン・ボルーのハープにため息がこぼれる。このあたりは筆舌に尽くしがたいので、やっぱり一度みておくといい、なんて「今まで素通りしていたのによく言うよ」って言われそう。

楽器屋さんも一応一巡りしてから、ダブリンに住む石川ようへい君と落ち合い、マーケット・バーという素晴らしく広く美しく、それでいてとてもカジュアルなレストランで美味しい食事と楽しい会話に時の経つのも忘れた。

今、そしてこれから自分のやりたいことに真剣に向き合うことを常日頃忘れずに、そして、そのために最大限の努力を惜しまず突き進む立派な若者だ。

彼と別れたのが10時頃。今日は夏至。まだまだ明るい。

 

6月22日(日)快晴

陽に当たると暑く、日陰に入るとかなり寒い、という困った気候。今日はセント・パトリック教会とクライストチャーチの見学。苦労した結果、希花さんの押しの一手でクライストチャーチのミサは見学できた。

そして、もともと西洋人はこういう和声で育って来ている、ということを再認識させられる素晴らしい音楽を聴くことができた。

ダブリンも他にいろいろ観るところがあるんだ、とB&Bの若い兄ちゃんが地図を見ながら事細かに教えてくれたが、何せあとがいろいろあるし、やっぱり観光をする気は起こらない。

それでもいつかはダブリン周辺も見てみたらいいかもしれない。僕らの知らないアイルランドがまだまだあるだろう。

夜、すぐ近くのパブでフィドルとギター・ボーカルのデュオを聴いた。いかにも都会の人達を楽しませる力強い演奏だった。

丸太ん棒のような腕と、ビヤ樽のような体でひたすら弾きまくるフィドラーも実につぼを心得ている良い演奏だ。

弓はプラスティックを使っていると言っていた。彼くらいガンガンに弾くと、いくら毛があっても足りないらしい。

ギターの方は、少し前に見たバンジョーとギターのデュオとあまり変わりはない。上手いが全て同じ感じで弾く。パブというところで飲み客相手にパブソングを歌い、リールやジグを伴奏すると結局そのようになるのだろう。僕の感覚では、それは誰にでもできて、誰とも変わらないサウンドになってしまう。

難しいところだ。しかしなかなか良いデュオだった。自分たちとは違う方法を取るいい演奏家達からも何かしら吸収できるものがあることは確かだ。

明日からゴルウエイ。

まだ雨には降られていないが、西の方はどうだろう。

アイリッシュ・ミュージックのレパートリーについて

しばらくIrish Musicと題して自分たちのレパートリーを、主にセットを中心に書いてきたが、そろそろ何を書いたか記憶が無くなってきた。勿論、調べてみればいいのだが…。それに、単独ではまだまだ多くの曲を演奏している。

が、この音楽でおもしろいところは曲の組み合わせだろう。ティプシー・ハウスで一緒にやっていたジャック・ギルダーはとてもセンスが良かったと思う。よく、ドキッとするような曲の組み合わせを考えてきた。

サンフランシスコの人気バンドであったティプシー・ハウスはダンスの伴奏バンドとしてもよくいろいろな場所によばれて行った。

そんなときも150人を超えるダンサーズから雄叫びが起こったものだ。曲が変わった瞬間に「ワーッ!」という声が起こる。

それは、やっぱりいいセットのなせるところだ。

だが、曲によってはいつ変わったか分からないくらいによく似た曲をセットとして作ることもある。

これはこれで、演奏する側にとっては結構いい感じに乗ってくることがあるものだ。メロディの関連性などを重視することもよくある。

中には昔からこれの次はこれでしょ!みたいに決まっているものもあるので、そのあたりは常に古い録音に耳を傾けている必要がある。

それを知らずに、やれケルティックだ、アイリッシュだ、とやっていると完全に底の浅さが見えてしまう。

先日、高橋創君のお父さんと久しぶりにお会いした。創君の近況も含め、彼のリムリックでの苦労話もいっぱい聞かせてもらった。

特に印象に残っているのは、世界中からアイリッシュ・ミュージックを学ぶために来ている同年代の若者たちが、時間の許す限り古い録音に耳を傾け、彼ら自身の考え方と、先人たちが残してくれたものについて、また、外国人である彼らがなぜここまで来てこの音楽を学ぶのだろう、という悩みも含めて、一日中討論をしている、ということ。

とても興味深く、確かに僕がアメリカで持っていた悩みにも共通するところだったかもしれないからだ。

アンドリューのバンドの一員としてツアーに出ていたときも、また、ケビン・グラッキンに「アイルランド人にアイリッシュのギターを教えてやってくれ」と言われた時も、自分はアイルランド人ではないのに何故ここまで来てしまったのだろう、とよく悩んだものだ。

そんな時やっぱりパディー・キーナンとの出会いがなにかひとつヒントを与えてくれたのかも知れない。

古い古い録音で誰がどんなふうに演奏していたかをしっかりつかんでいたら、後は自分にしか出せない音を出したらいい。

ギタリストというのは、特にこの音楽では新しいものだし、一見トラッドという線からは少し離れているようだが、それだからこそ、いい加減ではいけないのだ。創君もそういう現場で切磋琢磨してこのたび立派に卒業することとなった。

今、かれは自分の音を創り出している。パディーにも「自分にしか出せない音を出すんだ」という助言をもらっていた。あれはもう、4年以上前のことになる。

トラッドを勉強し続けてきた彼も、自分の音を出すミュージシャンになってきたのだ。

まずは卒業おめでとう。先にこれを言わなくちゃいけなかったのに。

アイリッシュ・ミュージックは非常に可能性のある音楽かもしれない。かっこよくすればいくらでもかっこよくなる。取りあえず「恰好」だけは。

僕がかたくなにレパートリーにこだわるのは「恰好だけ」になりたくないからだ。

しばらくアイルランドに行くのでこのコラムはお休みになってしまうかもしれないし、向うで書く時間を見つけることができれば書くかもしれない。

ひょっとしたら明日またとつぜん何か閃いて書くかもしれない。暑さのせいでもないだろうけど、何がなんだかよく分からなくなってきたのでこの辺で終わりにしよう、と思いつつ

とに角、Irish Musicその…は行き詰ったわけではない、ということを言っておこう。

Irish Music その68

 

The Acrobat   Hornpipe

  • The Acrobat

B♭で弾く珍しい曲だ。これもかなり昔から知っていた。たしかナタリー・マックマスターあたりがよくやっていたかも、ということを頼りにした。フルートでの演奏も聴いたことがあるかもしれない。マット・モロイかな。これも希花さんによく合いそうな曲という観点から選んだ”

La Coccinelle   Bourree

  • La Coccinelle

Jean Blanchard作。西海岸では人気の高い曲で、かなり前からダンスの伴奏曲として演奏していたが、こんなタイトルとは知らなかった。とても親しみやすい曲だ”

Crested Hens  (Waltz)

  • Crested Hens

“多くの人はSolasのスロー・バージョンで聴いているかもしれない。いい曲だが同じようにはやりたくなかった。スローだとちょっと演歌みたいに聴こえてしまうからだ。

Gillies Chabenatという人物の作で詳しく言うとワルツではなく8分の3拍子のこれもBourreeということだ。僕はあるていど早いテンポで演奏した方が好きだ。フレンチ・フォークダンスと解釈したらいい”

Mareka&Junjiと栩木伸明さん

読売文学賞の栩木伸明先生とのコンサートが5月23日にある。僕らにとっても新しい試みだ。

栩木さん、と僕らは呼んでいるが、それほどに親しみやすい人で「教授」「先生」「学者」というところとは別に僕らと関わってくれる。

それは勿論、彼がアイルランド文学に精通していながらも、音楽にとても精通しているからだろう。それも僕がよく言う「とことんトラッド」に。

伝承音楽を身体の中に入れてしまった文学者として面白い話、興味深い話がいろいろ聞けるだろう。

でも、あれもこれも話してもらう時間もないだろうし、まず第1回目ということで、次の課題も残しておこう、と考えている。

僕のアイリッシュミュージシャンとしてのキャリアは、あのTullaから始まった。アンドリュー・マクナマラのリズム、彼の家の窓から眺めた緑の大地にシトシトと落ちる雨、小高い丘には沢山の十字架が並び、行きかう人はみな顔見知り。

そんな小さな町から習った音楽の魅力を栩木さんは痛いほど良く知っている。毎年アイルランドに同行する内藤希花も何故かこの音楽に魅せられてしまった一人だ。

Tulla Ceili Band直属のアンドリューと共に過ごし、Mr.Fiddleのフランキー・ギャビン、Mr. Bodhranのジョニー・リンゴと過ごし、Mr.Uilleann Pipesのパディー・キーナンとの演奏を経験してしまったらもう後には引けない。また、Begley一家はこの音楽をどこに向けて演奏するのかを教えてくれた大切なファミリーだ。

僕らはそんな音楽を演奏する。栩木さんはどんなお話をしてくれるか、今から楽しみだ。

ヴァイオリンそしてフィドル

僕らの世界ではその違いと、全く同じものである、という認識はもう当たり前のことである。

が、相変わらずクラシックの世界では全くの勘違い、というか相手にもしていないのか、画一的な認識しか持たれていない。

ずっと前の話になるが、確かナターシャー・セブンのある曲の録音の時に弦楽四重奏の人達を呼んだ。

そのうちの一人が「あー、カントリーね。こういう風に弾くんでしょ」と言って、ヴァイオリンを胸に当ててズーチャカズーチャカと弾いて見せた。

彼にとってのフィドルとはそういうものである。が、あれからすでに40年も経っている。それなのに、なんとか太郎という人が、あるクラシックの専門誌で、アイルランドに行った時の話をしておられて、彼らは顎あてを使わない、てなことを言っていた。

確かに僕もそういう人たちを見ている。テネシーやヴァージニアで90歳を超えたくらいのじいさんが、歌を歌いながら、ステップを踏みながら胸に当てたフィドルをズーチャカズーチャカと弾いていた。

しかしそれだけではない。おそらく日本のクラシックの人達のほとんどは他の音楽分野に極端に疎いのだろう。

マーク・オコーナーやマーティン・ヘイズは人類史上稀にみるフィドラーといえるだろう。また、フランキー・ギャビンの、あの独特な、多分クラシックからは考えられない音色から生み出される、とてつもなく細かい音の嵐はどうだろう。彼自身「楽譜は読めないから歌って覚えた」と言っている。

眼のみえないマイケル・クリーブランドの、握りしめた弓からとんでもなく早いフレーズが限りなく送り出される様はあっけにとられてしまう。

もう、フィドルってこんな感じだよね、なんていってられない。フィドルはブルーグラスにおいてもアイリッシュにおいてもその音楽の核だ。

しかし、僕の使っているピックは100円(108円か)だが、弓は、僕のギターが軽く5本は買えるほどのものから、50本ほど買えるものがあるというから呆れてしまう。

宮崎勝之

宮崎勝之が逝った。僕自身そんなに永く、また深い付き合いではなかったが、二人のあいだに歴史は奇妙な展開を見せてくれている。

僕がバードランドというグループを組んでいた頃(発起人は末松君)80年代中ごろにさかのぼる。

ちょうど僕が抜けた直後、末松君が見つけてきたメンバーが、誰あろう宮崎君だったのだ。なので当時の僕には面識がなかった。

時は経って、90年代も半ば、僕はアイリッシュのギタリストとして、サンフランシスコを拠点に活動していた。

当時、よく通ったレコーディング・スタジオのことは前にも書いたかもしれないが、オーナー兼エンジニアーのデイブ・ウェルハウゼンは元フルタイムで活動していたブルース・ハープの名手。

それがある時、ビル・モンローの歌とマンドリン・プレイを聴いて「これこそブルースだ」と、心にとてつもない衝撃が走ったそうだ。

彼は早速マンドリンを手に入れた。アメリカ人のやる気になった奴はおそろしい。そのブルース・フィーリング溢れるプレイは決してテクニカルではなかったが、とても40過ぎから始めたとは思えないものだった。

僕が坂庭君を紹介した時も、セッションに行こう、と彼を連れ出して夜遅くまでコイン・ランドリーでセッションをやってきた。

僕は行けなかったので「どうだった?」と訊くと坂庭君は言った「デイブってやつは本当にブルーグラスが好きなんだなぁ。歌にもマンドリンにも味があって。よくわからなかったけど、帰り道、盛んにブルーグラスの中のブルースを熱く語っていた」

そんな彼がある日こう言ったのをよく覚えている「ジュンジ、ミヤザキってやつ知ってるか?あいつは相当なもんだな。実にうまい。このアメリカのどのトップ・プレイヤーとも肩をならべてるじゃないか。俺は彼のプレイが大好きだ」

その頃、長年の友である坂庭君からすでに紹介されていた僕にとっても、宮崎君はアメリカでもトップ・マンドリン弾きのひとりである、という認識はあった。

デイブという男はフィーリングをとても大切にする。一番大事なのは心だ。心がどう弾くかで決まるんだ、といつも言っていた男だ。そんな奴が宮崎君のマンドリン・プレイにとことん惚れてしまったのだ。

マンドリン1本というのは移動には便利だろうが、実際にはなかなか難しいものがあっただろう。

そんな中でも日々音楽会のやって行き方を模索していたに違いない。55歳というのは若すぎる。

まだまだ普通に生きることもできただろうし、更に円熟したプレイを聴かせてくれることもできただろう。

彼、ピックくらいは持って行っただろうか。

ザ・ナターシャー・セブン 2014年4月26日

 去年の9月から7か月ぶりのナターシャー・セブン。今回はあの頃のフォークを歌う、という名目だったが、やはり彼はOne and Onlyだ。僕も随分楽しませていただいた…だけではなく、勉強にもなった。

1964年からフォークソングを、バンジョーを始め、71年に彼と出会って、それまでのアメリカン・フォークや大学時代のブルーグラスとは一味違うものを求めていた。

考えれば出会うべくして出会ったのかもしれない。

驚いたことに、初めて買ったレコードが同じ、ピート・シーガーのカーネギー・ホールでのライブ盤だったということもステージ上で判明。

いや、なかなかいないはずだ。

高石さんはますます元気。他人の歌を歌ってもやはり高石さんで、しかもその解釈の多様さ、深さに脱帽だ。

僕も久しぶりに「3つの箱」と「This Island」を歌った。久しぶりに「Dixie Break Down」も弾いた。

最後に本当に久しぶりに「ヘイ・ヘイ・ヘイ」も僕のバンジョー1本で高石さんに歌ってもらった。

基本的に僕は、歌う人やリード楽器の人のために最善の音を出すのが一番好きだ。彼が気持ちよく歌え、お客さんとのコミュニケーションが計れるようにステージを支えていく、それが自分の持ち味だとも思っている。

来年、一応最後と考えている5回目があるはずだ。その時までお互い元気でいよう、ということで別れたが、いつかまたひょっこり一緒にやることがあるかもしれない。

彼のエネルギーは止まるところを知らない。僕も今やっているMareka&Junjiを相方が医者として独立するまではやり続ける。日本やアイルランドで。

それからのことはその時考えたらいいのだ。高石さんはそんなエネルギーを僕にも、そして皆さんにも与えてくれる「最後のフォーク・シンガー」だ。

シェーマス・ベグリー、テレビに出る

“ユーは何しに日本へ”にシェーマス・ベグリーが引っかかった。コーマック出るかな、出るかな、と思って観ていたら、少し前の収録で、こりゃ次回だな、と思っていたらなんと、シェーマスが出た。“しぇー”だ。どこまでも人騒がせな一族だ。

Irish Music その67

The Jig of Slurs     Jig

  • The Jig of Slurs

“古いスコットランドのジグ。キーはDだが、BパートでGに転調する。そしてエンディングはEmだ。相当前から演奏していたが、最近になってまた思い出した”

 

Humours of Kinvara   Reel

  • Humours of Kinvara

“古いスコットランドの曲をPaddy Kellyがとても乗りのよい曲に書きかえたと言われている。Man from Bandoranというタイトルでも知られているが僕らは“その34”にあるWithin A Mile ..の代わりにこの曲からセットに持っていくことの方が最近は多い。基本的にはキーオブDといえるかもしれないがEからスタートする変わった曲だ”

 

Brendan McMahon’s/John McFadden’s Favourite   Reel

  • Brendan McMahon’s/John McFadden’s Favourite

“この曲は様々な伴奏者がどんなコードを弾くか聴いてみたいものである。AパートのスタートはEmしかり、Gしかり、相手の好みに合わせる。しかしながらBパートにいくとどうだろうか。もしAパートをEm中心でいったら、もし、G中心でいったら、どういくのが妥当だろうか。僕はCmaj7/Bm7/Am7/Bm-Emといくが、これは非常に目新しいコードだけに(特にこういった曲には)できるだけ自己主張は避ける。メロディーを引き立たせる、ということだけを考える。勿論、常にそこは最も大切なところだが”

  • John McFadden’s Favourite

“出だしはなんと“その8”のMaudabawn Chapelに似ていることか。多くの人が録音しているが、あまりセッションでは登場しない”

 

The Nine Points of Roguery    Reel

  • The Nine Points of Roguery

“7つの大罪プラス2、という変わったタイトル。曲も変わっている。この後は何を持ってきてもいい。だが、どちらかというとマイナーの曲より明るいもののほうが合っているかもしれない。基本的に3パートだが、いろんなやり方があって、それはそれで面白い。多分に北の方の曲だと思える”

Irish Music その66

 

The Flying Pig/Tell Her I Am  (Jig

  • The Flying Pig

“フィドラーのGerry O’ConnorThe Kingというタイトルで演奏していたが、僕はこのタイトルが好きだ。Slideというグループはこちらのタイトルを使っているようだが。ともかくこのタイトルを見たとき、ピンク・フロイドのコンサートを思い出した。何万人もの観客の上をピンクの巨大な豚のアドバルーンが飛ぶのだ。その昔、彼らのジャケット写真で使用するつもりだったが、風に飛ばされて空港が閉鎖されるという事態に発展してしまった。それでも翌日の新聞記事のトップを飾るなどの一大宣伝効果はあったようだが、結局ジャケットは合成、ということになってしまったそうだ。その豚を会場で使うことを考えたのは素晴らしいことだ。そういえばむかし、宇宙戦艦ヤマトを飛ばしたグループもあったなぁ”

  • Tell Her I Am

“僕らは2人ともあまり好きではない曲だったが、前とのつながりがすごくいいので選んでみた。古い曲で好きな人は多いようなので、知っておく必要は充分あるし、何度も演奏していると、なかなか味のある曲だと思えるようになってくる”

 

O’Carolan’s Ramble to Cashel    O’Carolan

  • O’Carolan’s Ramble to Cashel

“数あるキャロランのレパートリーの中でもかなり好きな曲だ。僕はJody’s Heavenでも録音し、アイルランド移民たちが集まるコンサートでもよく演奏したものだ。勿論、もとはハープの曲だが、これはギターにアレンジするのが良いと考えた。いつごろ、どこで聴いたか全く覚えていない。今ではよくフィドルとの演奏もするが、それでも限りなく美しいメロディだ。希花はハープでも演奏している。Cashelはいろんなところにあるが、これはCo.TipperaryCashelだろうか”

 

Margaret’s/My Bonnie Lies Over the Ocean    Waltz

  • Margaret’s

Pat Shuldham作の美しいワルツ。多くの人はAly Bainの演奏で聴いているだろう。

キーはAがノーマルだがDGで演奏されることもある”

  • My Bonnie Lies Over the Ocean

“世界的に有名なスコティッシュ・フォークソング。ビートルズではじめて聴いたかもしれない”

St Patrick’s Day

  セント・パトリックス・デイでした。絶対にパレードに参加したり、緑の服を着たり、自称アイリッシュ・バーに行ってギネスを飲んだりはしません。アメリカでは毎年、アンドリュー・マクナマラがふてくされて演奏していました。アイリッシュはこの日一段とバカ騒ぎをするもんだ、という勘違いの下に緑のコスチュームで現れるアメリカ人に4文字言葉でつぶやきながら。

あるいはお金持ち相手の大パーティで、ダンサーズやシンガーを交えた演奏。正直、お金にはなったし、1週間でレストランワークの2か月分は稼がせてもらったのでそう悪くはない。

トラッドのミュージシャン達にとってはいつもと変わりない演奏をして、いつもと変わりなく飲んで過ごせればそれでいい。

でなければ、家でゆっくりしているほうが良い。

そんなセント・パトリックス・デイでした。   

Irish Music その65

Colonel Fraser’s    Reel

  • Colonel Fraser’s

“魅力的な曲だが、パイプかフルートに適した曲だ。パディ・キーナンとはよく一緒に演奏したが、これも基本的には5パートからなる曲だ。全ての曲に於いて同じことが言えるが、ギタリストも正確にメロディを把握する必要がある。この曲は極端な話、GDだけでもいける曲なので全ての音使いを明確に区別しておかなければならない。理由のない和音は使いたくない。シンプルなだけにその辺のことをきちんと考えなければいけない曲は他にも無数存在する。Colonel FraserLeinsterにいたイギリス人の地主、ということだ。そして、当時の旅人パイパー(Travelling Piper)にとても親切にしてくれて、あるパイパーに新しいパイプをプレゼントしてあげた。すると彼が感謝の気持ちでこの曲を作った、というストーリーがあるそうだ。Colonel Fraserが馬に乗っている姿を見て書いたと言われている”

 

The College Groves     Reel

  • The College Gloves

“これも上記の曲と同様、魅力的な曲だ。8パートある、と言っていいのだろうか。最初Aパートを繰り返す以外はBCDもすべてのパート、おしりの2小節が違うので、4パートとは言えなかったのだ。ちなみにそのおしりの2小節はB,C.D共に同じメロディだ。これはフィドルにいい曲だと思う。1700年代後期から1800年頃のスコットランド音楽のコレクションに既に登場しているという古い曲だ”

 

Lord McDonald’s      Reel

  • Lord McDonald’s

“有名なMichael Colemanの作といわれる。これは4パートと言えるだろう。そのむかし、ピート・シーガーのバンジョー演奏で覚えた曲とほとんど一緒だ。その曲はLeather Britchesという。既に「その27」で書かれているが、その時はほとんどLeather Britches(Breeches)として扱っていたのでここでも取り上げてみた。尚、コールマン作と言われているが、起源はこれもスコティッシュから来ているらしい。それで、ブルーグラスなどでもLeather Britchesとして演奏されていることに納得がいく。ナイス・フィドル・チューンだ”

 

Stoney Steps          Reel

  • Stoney Steps

“初めて聴いたのはFrankie Gavinの素晴らしくスピード感あふれる演奏だった。キーはDだが、上記の3曲同様、コードは極端にシンプルだ。こういう曲では最も基本的な和音を使いながら、ビートで構築していくべきだろう。合いもしないコードをいろいろ使ってみるべきではない。ベースランは有効に使える”

Irish Music その64

The Hills of Tara   (Barndance)

  • The Hills of Tara

“実に可愛いメロディの曲だが、いろんな謂れがある。またの名をPearl O’Shaughnessy’sともいうが、彼女はスコットランド生まれのフィドラーでPaul O’Shaughnessyの母親だ、ということだ。更にPearl O’Shaughnessy’sというほとんど同じメロディをもった曲もあるが、こちらのほうは4パートあるそうだ。そしてさらに、それは2パートずつに分けて、2曲のセットとして特にDonegalあたりで演奏されることがよくあるそうだ。さらに他のタイトルとして、Fred Pidgeon’s#2というのもあり、彼自身はScotch Polkaとよんでいるというレポートもある。いずれにせよ、事細かにこういうことを調べてくれる人がいることは非常にありがたい”

 

The Flowers of Edinburgh     Hornpipe

  • The Flowers of Edinburgh

“これはホーンパイプだが、なぜかバーンダンスとしても登録されており、そしてリールで演奏する人もいる。確かにどのリズムで演奏してもいい曲だ。メロディも美しい。聞くところによると、スコットランドではリールとして、アイルランドではホーンパイプとして考えられているらしい。1740年頃には記録が残っているというから諸説あるだろう”

 

South Wind   Waltz

  • South Wind

“この曲を美しいと思わない人はいないだろう。ただあまり初心者向きでほとんどやらなくなっている。おそらくギタリストにとって非常に美味しい曲であろう。僕は、長年のアイドルの一人、John Renbournと同じフェスティバルに出ていたとき、この曲を食い入るように聴いた。美しいという言葉以外なかった。作者はFreckled Donal MacNamaraというCo.Mayoの人でホームシックから生まれたメロディ、ということだ。1700年代の話”

 

Josefin’s    Waltz

  • Josefin’s

“日本では、この曲を聴いてアイリッシュに興味を持った人が多くいるらしい。Dervishの演奏で有名になったが、作者はRoger Tallrothというギタリストで、スウェーデンのVasenというグループのメンバーだ。Dervishの録音でも確か一緒に演奏していたんじゃないかな。Dervishは初期の頃から一緒に出演することも多く、この曲もよく聴いていた。Vasenはこの曲以外にも素晴らしい演奏が多く、日本でも沢山のファンがいるようだ。ちなみに、作者は姪の洗礼を祝って書いたそうだ”

「アイルランドモノ語り」栩木伸明さん

 長年にわたり、アイルランド音楽にも鋭い観察力と、深い知識をお持ちの栩木伸明さんが、第65回読売文学賞、随筆・紀行賞を受賞された。

今回、その授賞式にも出席する機会に恵まれ、2次会では、栩木さんの希望もあり、僕と希花でお祝いの演奏をさせていただいた。少しでも栩木さんが、過去数年間に渡って出会ってきた本物のトラディショナル・アイリッシュ・ミュージックの風を、この日のお祝いとして彼に送ることが出来れば、という思いで…。

皆さんも是非「アイルランドモノ語り」を手に取って読んでください。

栩木さん、おめでとうございます。

アイリッシュ・ギター

わざわざこのタイトルにする意味はないのだが、最近いろいろなギターに遭遇する機会に恵まれている。

そのひとつ、ローデン(アイルランド製)のシダートップで、サイドとバックがハカランダ、という素晴らしいものがあった。ハカランダは希少価値だ。

ローデンは‘93年ごろから一番気に入っているものだ。最初に手に入れたものは、大きなサイズのスプルース・トップでマホガニーのサイド&バック。ほどなくして、同じスプルース・トップのインディアン・ローズウッドの物を中古で手に入れた。それが今日までの自分の一番のお気に入りだ。しかし、‘60年代からの憧れは、なんといってもマーチンだった。恐らく僕らの世代はほとんどの人がそうだったろう。

ジャカジャカと弾きたい人はギブソンだったり、他にも、ジョン・デンバーが好きだったらギルドとか、フェンダーに至ってはエレキ以外、ギターとは認められなかった。

どこかの音楽雑誌で、ある人の使用ギターとしてフェンダーのアコースティック・ギターが載っていて「音楽仲間の誰もが欲しがるもの」と書いてあったが、僕らは「金もらってもいらん!」と言っていたものだ。

当時、僕らにとってギター(スティール弦)といえばそれくらいしかなかったのかもしれない。そしてマーチンを手に入れ始めて、様々なモデルを試した。

そして、最終的に‘93年ごろから、もうずっとローデンだ。今回見たものはハカランダなので、非常に高価だ。これでトップがスプルースだったら、もう少し高いかもしれないし、思わず手が出たかもしれない。

しかし、シダーという材質は僕には不向きではないかと感じた。それはやっぱりずっとマーチンで来ていて、スプルースというものの音色に自分が慣れているからだろう。

それと実際に今、シダートップのマホガニーというものもひとつ所持しているが、突き詰めていくとやはり、スプルースとローズウッドというのが自分にとってベストと考える。

ハカランダのモデルを見たとき、ちょうどフィンガー・ピッキング・スタイルを追求している若者が2人いたので、実際に彼らに弾いてもらって、正面から音を聴かせてもらった。

僕にとっての選ぶ基準は、どのようにアンサンブルに溶け込んでいくか。それが最も重要なポイントだ。

彼らに弾いてもらって、このギターは楽器自体、自己主張の強い楽器だと感じた。すごくいい音だし、弾きやすさも抜群だが、ピエール・ベンスーザンをはじめ、彼らのようなスタイルを好きな人に譲ったほうがいいような気がした。

そうして考えてみると、今巷にはフィンガー・スタイルの、いわゆる“アイリッシュの曲もできます”というギタリストのためのギターのほうが圧倒的に多いような気がする。

値段もどんどん高くなって、仕事としてあっちこっち持っていくにはちょっと怖いような物が多い。

結局、コレクターや、家で一生懸命フィンガー・ピッカーのコピーをする人で、更に、お金のある人のところに行ってしまうようにできているのかもしれない。

アンドリュー・マクナマラやブレンダン・ベグリー相手に20時間も弾き続けるにはかなり勇気がいる。ローデンもそんな値段のものになってきている。

アイリッシュではギターというものの演奏価値はほとんどない、といっても過言ではない。

だからこそ、僕は曲目もメロディーもできる限り覚えるようにしている。徹底的トラッド重視だ。そのうえで、自分が体験してきた様々な音楽の要素を取り入れる。

それでリード楽器のトップたちが「じゅんじのギターは他の誰とも違う。彼に任せておけば間違いない」と言ってくれるようになったのだから、結局、価値は自分で創り出したのかもしれない。

それには自分自身の感性を最大限に引き出してくれる“道具”も必要だ。そしてその道具はそんなに高価でなくてもいい。いや、高価でないほうがいい。

昨今のように高価にならざるを得なかった理由の一つは、フィンガー・スタイルの人達のニーズにもよるものだろうか。彼らの要求はとことんシリアスだ。

そして、他の楽器とのバランスは保てなくても、そのもの自体が一発入魂であれば事は成り立つ。

だが、僕の求めているものは、あくまでもアンサンブルに適し、そして、フィンガー・ピッキングでもそれなりの味がでるものだ。

数千にも及ぶ楽曲のそのストーリーを汲み取って、一曲一曲に最適な伴奏が出来るように導いてくれるものだ。また、その要求にも応えてくれるものだ。

また、それが真のアイリッシュ・ミュージックに於けるギター・スタイルだと思うのだ。

あと何年生きるか分からないけど、そのあいだにどれくらいのギターと出会い、今使っているものと同じくらいの素晴らしいギターに出会うだろうか。

ちなみに、先に書いた今使っているものは、ローデンのSE-Ⅱというモデルで、このギターがアイリッシュ・ミュージシャンとしての自分の地位を不動にしてくれたものだ。

そろそろすこし休ませてあげたい気もしてきた今日この頃だ。そうして気を使ってあげれば「いや、俺はまだまだいけるよ」という声も聞こえてきそうな気がして頼もしくなることも事実だ。

Irish Music その63

Music on the Wind/Kerry Jig   Jig/Slide

  • Music on the Wind

“1972年にLucy Farrによって書かれた、というのが有力な説としてあるが、ほとんどの人はArty McGlynnNollaig Caseyの演奏かFisher Streetの演奏でBrady’sというタイトルを記憶しているはずだ”

  • Kerry Jig

“スライドだが、ジグという名称が付いている。書いたのはLucy Farrだ、という説もあれば、もっと古い文献に登場している、という事実もあるようだ。Arty達は上記の曲と共にBrady’s setとして録音を残している”

 

Fairies’ /The Stack of Barley   Hornpipe

  • Fairies’

“この曲もDick Gaughanのギター演奏で覚えた。とても親しみやすく、可愛らしい、題名にぴったりの曲だ”

  • The Stack of Barley

The Little Stack of Barleyというタイトルでも知られている、とてもよく演奏される曲だ”

 

The Liverpool/Dunphy’s      Hornpipe

  • The Liverpool

“これもかなりポピュラーな曲。Bパートのメロディがとても好きだ”

Dunphy’s

“上の曲と同じ、あまりにポピュラーな曲で特筆すべきことはない。これらの曲は基本的に覚えておきたいものである。といいながらそんな曲はまだまだ数知れずあるのだが”

 

 

 Night in That Land   (Waltz

  • Night in That Land

Johnny Cunningham作の美しいワルツ。急に想い出したのだが、彼とステージで一緒にやったことがあった。随分前のことなので、メロディも一部しか憶えていなかったので、一生懸命探しているうちにこのタイトルを見つけた。なんかNightが付いたんじゃぁないかな、という記憶だけを頼りにして。彼が亡くなって、Phil Cunningham主催の、彼を偲ぶコンサートでもこの曲でギターを弾いたが、こんなに美しい曲を想い出して本当に良かったと思っている。尚、この曲はワルツというよりもエアーだと言えるかもしれない。彼が生きていたら「どちらのほうがいい?」と訊いてみたい。僕らはエアーかな”

 

Irish Music その62

Lead The Knave/Alice’s    (Reel

  • Lead The Knave

Arty McGlynnの、素晴らしいサーフ・ギターによる演奏が一際冴えわたる録音が残されている。作者は彼だという人もいたが、1909年にはすでに存在した曲だ、というので、間違いなく彼の作品ではないだろう。The Old Time Wedding というCape Brettonの曲と共通点がある、と言われる。他のタイトルはJohnny From Gandseyと言うらしい。僕らは独自のハーモニーを付けている”

  • Alice’s

Frankie Gavin作の素晴らしく「のり」のいい曲だ。僕らはEmBmのふたつのキーで演奏する”

 

The Plough and The Stars/The Star of Munster      Reel

  • The Plough and The Stars/The Star of Munster

Larry Redican作のこの曲はGmajでやる人とFmajでやる人がいるが、わざわざFmajというキーがあるくらいだし、オリジナルはFmajなんだろうか。ずっと前にSanta Cruzのラジオ局でAndrew MacNamara&Gerry O’Connorと出演した時、この曲をやっている最中にフィドルの4弦が切れ、Andrewはそのまま表情も変えずにアコーディオンを弾き続け、Gerryは、あっという間に張り替えてまた弾いていた。おっと、コラムのジェリー・オコーナーのところでも書いたか。何はともあれ、この曲にまつわる一番の思い出なのである”

  • The Star of Munster

“この音楽を始めた頃のほとんどの人が手掛ける曲だろう。親しみやすく、また、弾きやすい曲の代表格かもしれない。ほとんどはAmで演奏されてきたが、ある時くらいからGmが流行り始めてきた。マーティン・ヘイズあたりの影響もあったのかな。いつごろだったろう、イギリスから遊びに来ていたBrian Kellyという若いバンジョー弾きが、見事にGmで弾いて、今やGmの曲と言ってもいいくらいだよ、と言っていた。前夜、ご飯もたべず、全く寝ずに酒とセッションに興じていたせいか、僕がオーダーしてあげたピザを3人前くらい物凄い勢いで食べたかと思ったら、具合が悪くなってあげてしまったが、顔を洗ってすぐにバンジョーを弾き出した。強烈な印象を残していった若者だった。そんな彼もまだ少年のようだったが、今ではすっかり大ベテランだ。曲の方だがあまりにポピュラー過ぎて、この頃は僕らも演奏することがあまりないが、いい曲であることは事実だ”

Irish Music その61

Butterfly    Slip Jig

  • Butterfly

“初めてBothy BandLPレコードを買った時、なんと悲しげな美しいメロディだろう、と思ったものだ。1975年頃のことだ。whistle playerであるSean Pottsの作だといわれるが、どうだろうか。FiddlerであるTommy Pottsの作ではないか、という人もいる。因みに、彼らは一族であるので、最終的にはSeanの作品(トラッドをベースにした作品かも)にTommyが少し手を加えたのではないか、という見解が一番妥当かもしれない。なにはともあれ、Bothy Bandのアレンジは他に類を見ないほど美しいと僕は思う。この音楽をよく知っている人にも、全く知らない人にもその美しさが胸に響くような曲だ”

 

The Night Before Poor Larry Was Stretched     Slip Jig

  • The Night Before Poor Larry Was Stretched

“なんとも奇妙なタイトルだが、Martin Hayes の演奏まで聴いたことがなかった。そんなにポピュラーな曲ではないようだが、実にシンプルで美しい曲だと思う”

 

The Monk’s     Jig

  • The Monk’s

“またの名をSonny Brogan’s Fancyという。Arty McGlynnの演奏から学んだが、多くの人が録音している、有名な曲だ。僕らはこの後「その59」で出たPaddy Fahey’smajorで持ってきている”

 

The Cuil Aodha/The Piper’s Chair     Jig

★ The Cuil Aodha

“これは随分前から知っていた曲だが、このタイトルでしか知らず、とても読めなかった。どうやらCo.Corkにある地名らしい。Cooleaという村であるらしいのだ。2000年頃、Terry Binghamと録音したことがあるが、とてもいいフレーバーを持った曲だ”

  • The Piper’s Chair

“前の曲とセットでTerryと録音した時、彼は曲目を知らなかったので、クレジットにはGun Ainmと書かせてもらったが、後になってこのタイトルであることを知った。ブルーグラスのマンドリン奏者であり、僕のレコーディングのエンジニアーであったDave Wellhausenはこの曲がすごく気に入っていた。余談だが、Daveは元ブルース・バンドのハーモニカ奏者で、ヨーロッパ・ツアーなどもしていた人だったが、ある時何を思ったか、突然ブルーグラスに魅せられてしまった。特にBill Monroeに傾倒して、ブルース・フィーリング溢れる演奏を得意としていた。もしかしたら、かなりブルージーな曲かもしれない。僕らも大好きな曲だ”      

最終章 アー・ユー・オープン?

日本食、それもすし、刺身に代表されるように、とりわけ生魚を食するような文化に、アメリカの人達が接するようになってから、すでに随分時は経っている。

それでも、何度もいうようだがアメリカという国は想像するよりもはるかに大きい国だ。

テキサス人はナイアガラの滝を見て、これくらいの水道漏れはテキサスじゃぁしょっちゅうだ、なんていうし。ま、これはアメリカンジョークのひとつだが。そういえば、アイルランド人を小ばかにしたジョークにこんなものがあった。

“ある時、テキサスを訪れたアイルランド人(特にケリーの出身)にテキサス人が言う。「どーだ、広いだろう。あの地平線のかなたまで行くのに車で3日もかかるんだぞ」

アイルランド人は胸を張って言う「そういう車だったら俺達も持ってるぞ」

ポーランド人は最後にアメリカに渡ってきた移民として、いまだに「ポーランド人が電球を変える時は6人必要だ。一人が電球をつかんで、残りの5人が彼の乗ったテーブルを回すんだ」などと言われる。ちなみに、このジョークはどこの国の人達にもつかわれているようだが。

日本人の目が吊り上っているのは「Oh,No! Rice again」(またお米?)と、がっかりして頬杖をつくから、らしい。米を食べる民族は自分達より劣っている、ということなんだろうか。

人々がいろんな文化を持ち込んでは、それぞれにアメリカ人となっていく。

それでも、アメリカ人としてひとくくりにはできない文化の違い、しいては価値観の違いというものをいたるところで経験する。

単にレストランという仕事場でも、従業員でいえば、東洋系、ラテン系、南太平洋、その他、お客さん側でいえば、プラス、白人、黒人、中近東など、本当に沢山の異文化と接することになる。

印象深い話をいくつか書いておこう。特にこの文章を書こうと思ったきっかけになったようなお話しから。

ランチタイムが11時半から始まり、お昼休みと同時にまかないを食べた後、店の電気を消して1時間ほど、ほとんどの従業員は昼寝をする。それぞれに、椅子を並べてベッド替わりにして、休むのだ。

ただ、ドアのカギはかけない。何故ならば、そのあいだにも食材の配達が来たりすることもあるからだ。

もし、危険な地区にあるレストランだったら、カギは必ずかけるべきだろうが。

ともかくそんな風に休んでいると、入り口の方で声がする。

Excuse Me, Are You Open?」ふと見ると白人の若い男が立っている。「まだ開いていますか?」と聞いているのだが、はっきり言って“見てわからんか”と思うのだ。

どこの世界に、電気の消えたレストランで、従業員みんなが寝ているままオープンしているレストランがあるだろうか。

多分、日本人だったら状況を見て判断するだろう。ひどいのになると、寝ているのをわざわざ起こし「Are You Open?」なんて言うやつもいる。「クローズのサインが見えなかったのか?」と聞けば「But,Door Is Open」ときたもんだ。こちらも負けじと「お前のためじゃぁない」と言ってしまいそうだが、こんなことでいちいち頭に来ていられないくらい、こういったことが頻繁に起こるので、こっちも知らんふりすることに慣れてしまう。

つくづくよく言われる“Me Firstの国だ”ということを実感してしまう。私がなにをしたいか、私がなにを言いたいか、それがまず第一、と考えるのだ。少なくともアメリカでは。実際、幼稚園などでよく見かける光景だが、ひとりひとりに「今日、あなたはなにをしたいか」と訊く。子供たちもそれに対して、はっきりと自分のしたいことを言うようになるのだ。  いかにもアメリカの教育らしい。 

人種の多様さも類を見ないだろう。

同じジェイウォーク(横断歩道のないところを横切る行為)をしても、前を行く白人はお咎めなしだが、有色人種は罰金のチケットを切られる可能性がある。

ロサンジェルスのロドニー・キングの事件(1991年)を覚えているだろうか。黒人が白人警官にボコボコにされた事件だ。Curfew(戒厳令下の夜間外出禁止)という英語を初めて知ったのもその時だった。

ベトナム戦争から戻って、未だにジャングルでの恐怖から逃れられない、というやつも沢山いた。

そういえば、エディという男がいつも同じところに立っていた。首からぶらさげた大きな紙にはこう書いてあった。

「私はエディといいます。元空軍のパイロットですが、ベトナムから帰ってきて仕事がありません。どうか助けてください」

道の反対側にマイクというやつが立っているが、彼の掲げているボードにはこう書いてある。「僕はマイクといって、エディの弟です。兄貴はベトナムから帰ってきて毎晩うなされています。仕事もできません。どうか兄貴を助けてやってください」

日が暮れると、仲のいい兄弟は集めた小銭を数えてどこかに帰っていく。

いろんな人生があるものだ。

9・11からも随分時が経った。朝、銀行に行って「アー・ユー・オープン」と言っても返事がなく、ドアも閉まっていたので、変だな、と思っていたら大変なことが起きていた。

テレビではアナウンサーが血相を変えて盛んに「カミカゼ攻撃を受けた!」と言っているが、ちょっと違うだろう。日本人としては手っ取り早くカミカゼなどと言ってほしくないのだ。

こちらはこちらで、まだなんの声明も出ていないのに「こんなことするのは中近東のやつに決まってる」と言ってしまう。だがもし、中近東で寿司屋をやっていたら、彼らのうちの誰かは愛すべき常連客だったかもしれない。

そして、冷めた意見を持つ高校生くらいの子供たちは「アメリカが今までに中東にしてきたことを考えれば当然の報いだ」と言う。

中止になったプロレスの中継でも、レスラーがそれぞれ強いアメリカをアピールし、犠牲者を追悼した。彼らはまるで俳優のようだった。

初めの日は、東で起きたことが、会社の休みにつながった、という理由か、公園でバレーボールなどを楽しむ人たちも見た。それだけ広い国なのだ。

しかし、2日、3日と経ってくると、それだけ広い国が全て葬式のように沈黙に包まれた。とにかく多くの市民が死んだ。まぎれもない戦争だった。やがて、道のいたるところに自動小銃を持った軍人や、民間兵が立った。町はまだ静まり返っていた。

そして、もう少し経つとそれは明らかに変わってきた。

「アメリカは屈しない!今こそ立ち上がる時が来た!」フリーウェイにも、バスの車体にも、ビルディングにも、町のいたる所に看板が立てられた。

ヴィンさんの言うように、明らかに人々の結束が高まった。決してすばらしいことではないのだが。

ミネソタの田舎では狭い一本道をアーミッシュが馬車で行き来していた。また、同じ道をヘルス・エンジェルスが隊列を組んで颯爽と走っていた。

そんな、全く違う意識を持った人たちも口々にUSA Stands!と叫んでいた。

そういえば、こんな看板もあった。「America Open Business!

「アー・ユー・オープン?」と聞く必要はなさそうだ。

 

すしの話から始まって、様々な民族にまつわるほんの少しのストーリー、そして、アメリカという国のほんの一部を書いてみた。

 

 

「アー ユー オープン?」第11話 宮崎県人

 お客さんも従業員も、多国籍で、毎日同じ仕事をしているレストランに於いても、日々様々なことが起きる。

 ニュー・ヨークから流れてきた、ある日本人シェフ。宮崎県出身だが、もうアメリカがかなり長いせいか無国籍人という感じ。

 彼は自分のことをこう言っていた「わたし、ニュー・ヨークで交通事故やっちゃいまして、その時しこたま頭を打ったせいか、あれから変になりました」

 そうでなくても十分変わった人だった。アメリカが長い、といえども宮崎弁は全く抜けていない。なのに、語尾にOh Yeah!などと付く。

 久しぶりに日本に電話して友達と話しても、宮崎弁の中にOh Yeah!を連発してしまうそうだ。

 レストランという仕事は一日がとても長い。それだけに彼の信条は“できる限り早く帰る”ということだ。

 お客さんが次から次へと入ってこようが、お構いなしに片付け始める。閉店15分前にはもうほとんど片付いている。

 しかし、それも段々エスカレートしてきて、気がついたら30分前には大体の掃除も終わってほとんど片付いている。

 「さぁ、とっとと帰りましょう。こんなところに長い時間いたら、ますます頭がおかしくなりますよ」

 10時閉店のレストランの料理人が10時15分には店を出る、なんていうことはありえないことだ。しかし、それは非常に嬉しいことなのだ。

 ほとんどのレストランでは10時から後片付けを始め、それから食事をして…というのが当たり前で、店を出るのはどうしても11時をまわってしまう。それを彼は「時間の無駄だ」という。

 カレーなどを作っても、どこかのこれ見よがしのレストランのように、何時間も煮込んで、などと言うのはガス代と時間の無駄だ、と切り捨てる。「こんなものは30分で充分ですよ」とことん陽気な慌て者である。

 昼寝中に火事のサイレンが聞こえたりすると、脱いでいた靴をしっかり両手に握りしめて一目散に出ていく。そして暫くすると「いやー、ちょっと遠いからやめておきました」なんて言いながら戻ってくる。

 ちょっと暇になると「さぁ、みんなでベトナム踊りを踊りましょう」と言ってわけのわからない創作ダンスを踊り出す。マイクがいやそうな顔をして見ている。

 トイレから出てくると、なぜか長く切ったトイレットペーパーを両方の手で振りながら「チャイニーズ・ダンスです。さぁみんなで踊りましょう」と言う。ハリーがいやそうな顔をして見ている。

 彼はしかし、とても頭がいい。おかしくなったといえども、素晴らしく才覚がある、と思われる。抜群の英語力で、業者とのやりとりも流暢だ。Oh Yeah!も堂にいったもの。一応日本における英語教師の資格をもっている、と聞いた。

 そんな彼が作る“まかない”がこれまたユニークだ。3日に一度は“ひやじる”。初めて見たときは“猫のごはん”かと思ったが、これがなかなか美味い。

 しかし他の従業員からはかなり評判が悪いときている。彼がひやじるの用意を始めると、他の従業員達はあわてて自分で何かを作り始める。それが、ウエイトレスやウエイターでさえも。

 ある日、閉店間際になって“すきやき”の注文が入った。「ありゃー、めんどくさいですねー。せっかく片付けたのに。あっ、白菜がない。ちょっと冷蔵庫行って持ってきてください」

 誰かが叫んだ「白菜、もうありませんよ」彼が言った「えーい、それじゃぁレタス持ってきてください」

 目の前に出てきたレタスをザクザクと切る彼は、笑いを抑えきれない様子でこう言った。「レタスのすき焼きかぁ。まじーだろうなぁ。クックック」

 アメリカが長くなるとこんなものだ。

 お客さんにも変なのがいっぱいいる。「今日は野菜のやきとりにしようかしら」串に刺さっているものは全部やきとりだと思っている。これなんかは勘違い、覚え違いだが、こんな人もいる。「酢の物ちょうだい。あ、わたし海藻嫌いだからわかめは入れないで」そういう彼女の箸には食べかけの海苔巻が挟まっている。

 「日本人の舌は特別です。これだけ繊細な味覚を持っている民族は、地球上どこを探してもいないですよ。だけど、ここはアメリカなんだから、ある程度の基本的なことさえ押さえておけばどんなに改良してもいいんです。なにもここで頑なに伝統を守る必要はありません。臨機応変、それが一番大切です」

 宮崎弁で熱く語る彼。今頃どこかで新メニュー“レタスのすき焼き”なんていうのを売り出しているかもしれない。ひょっとすると“ひやじる”も。

 

「アー ユー オープン?」第10話 スージーさん

 スージーさんというのはアメリカ人ではない。生粋の日本人だ。長崎で生まれ、アメリカ兵と結婚して渡ってきた人だ。

だが、もう国籍はアメリカなので「アメリカ人ではない」というのは間違いだ。

戦後間もなくのアメリカと日本の両方を見てきた人だ。特にアメリカで苦労を重ねてきた、と言えるだろう。

彼女は、いい時代のアメリカのことも良く知っている。「ダウンタウンを歩くと、男の人はみんな帽子をちょこっと外して挨拶する。あの頃はそれが普通だったのよ。今のアメリカにそんな人はいない。国をあげてよその国のお節介ばかり。自分の国が唯一の正義だと思っている。結局、自分たちが作り上げた難民を沢山受け入れてこの有様よ」

彼女はもう20年以上日本に帰っていないらしい。ここで犬と暮らして充分幸せだけどいよいよ歳がいったら故郷の長崎に帰ろうと思っている、とも言っていた。

そういえば、あの日、疎開先で木登りをしていたら物凄い閃光を見たそうだ。それが原爆だったなんて、後から知ったらしい。

本当なら被爆者として扱われてもおかしくないはずだったのに、戦後のどさくさの中でアメリカ兵と一緒になってしまった、と言う彼女の話の数々は、俗にいう戦争花嫁(あまりいい表現ではないが)の真実に満ち溢れていた。

やがて、離婚後に知り合い、ずっと人生を共にしてきたブラッキーさんとの死別(カナダ国籍の元軍人)、そして最愛の“はじめちゃん”(愛犬。弟さんの名前を付けたようだ)との別れ、そんな辛い時を経た後、意を決して日本を訪問することを決めた。なんでも25年ぶり、ということだ。さぞ、胸が高鳴っただろう。

「東京に着いて、飛行機を乗り継いで、ちょうど朝日に輝く富士山が見えた。とても美しかった。思わず涙がこぼれたわ。あー、わたしの故郷だ。本当に戻ってきたんだ、という実感がわいてきたの。でもそれと同時にこれから先、もし日本に帰って来ても、もう自分の居場所は無いような気がした。多分富士山を見るのもこれが最後。やっぱりわたしはアメリカで死んでいくのかしら」

久しぶりの彼女の日本訪問は、祖国への別れの挨拶となったようだ。

「アー ユー オープン?」第9話 勘違い、そして聞き違い

  先に登場したケンの場合もそうだが、聞き違いや勘違いと言うものは、移民には避けては通れない道だ。しかしそれも勉強のうち。

 笑える話もあるが、笑えない話も、いや、時が経てば大抵のことは笑えることなのだが、悲惨な結果を招くこともある。

 ここでは笑える話だけを…。

 フランス人のお客さんが来て「サヴァ」これはフランス語での挨拶なのに、早速“サバ”を握って出してしまった寿司職人。

 日本で「はぃ、すみません」と言ってすしを出してきた寿司職人。常に「ソーリー」といいながら出していた。

 ある日のこと、お客さん同士が喧嘩を始めてしまった。仲裁に入った女性も手に負えなくなったのか、急いでキッチンに駆け込んできた。そして言った。「Call Cop!」(警察を呼んで!)ちょうど日本から来たばかりのウエイターが一目散に奥からあるものを持ってきた。「はい、コールド・カップ」よく冷えたグラスだ。

 女性はしばらくポカンとしていたが「Forget it!」(忘れてちょうだい)と言って出ていった。

 日本から若い女の子が寿司職人を目指してやってきた。彼女も英語は苦手だったが、実戦で鍛えようと、自らすすんでカウンターに立った。

 そもそも彼女が来た理由は、この店に長くいた日本人の「のりさん」が他の店で働くことになり、その後釜として、ということだった。

 ある日、よく来るゲイのカップルがカウンターに座った。ふたりとも50代半ばくらい。ちょうど彼女の真ん前あたりに座ったその二人。カリフォルニア・ロールを作る彼女の動作を、寄り添って穴のあくほど見つめていた。

 カリフォルニア・ロールは裏巻きだ。まず海苔いっぱいにしゃりを乗せ、パッと裏返す。そうすると海苔が上に来る。そこにカニとアボカドを乗せ、くるりと巻く。巻かれた表面はもちろん、しゃりとなる。海苔が隠れてしまう。これが裏巻きだ。

 それを見たカップルが目をまん丸くして言った「Wow! Where Is Nori」(海苔はどこにいったの?)

 彼女が慌てて答えた「Nori working another Restaurant」(のりさんはよそのレストランで働いている)

 カップルはキョトンとしていた。

 Salmon Roeというものも結構聞き取りにくい。鮭の卵だから「いくら」なのだが、サーモンを巻くのか、Salmon Rollだと思ってしまうことがある。

どうしても知っている日本語を使いたがるお客さんが、「いくら」と言うので「いくら」を出すと、お勘定だったり、英語は英語で「How Much?」と言えば「ハマチ」と聞き違えたり、鯖は英語で「Mackerel」(マカローというような発音)マグロに聞こえたりもする。

日本語を無理に使いたがったり、すこしは知っているというところを見せたい人もたまにいる。

あるおじさん。入ってくるなり、まずすんなり座らずに、ネタケースを端から端まで見つめて歩く。

そしておもむろに座ってこう言う「ヒリャーメ ウスジュクーリ」ヒラメのウス造りか。なかなかできるやつだな、と勘繰る。

その“ヒリャメ”を一口頬張り、満面の笑みで言う「ウ~ン、オイシーイ」更にネタケースを眺め、今度は「タイ ウスジュクーリ」ほう、なかなか詳しいじゃないか。白身はウス造りに決めているらしい。

再び一口頬張り「ウ~ン、オイシーイ」半分ほど平らげ、そしてまた一言。

「マグロ ウスジュクーリ」」

多分、魚と言うものは、特に刺身は根本的に口に合わないのだろう。彼らにはやっぱりハンバーガーの方が口に合うはずだ。

人生最後に何が食べたいか。おそらく彼らはステーキか何かだろう。決して刺身ではないはずだ。

こんな話もある。

営業が終わって店を出ると、一人の黒人が立っていた。見るからにホームレスとわかる男だった。そして、弱弱しい声でこう言った。「Help me please, I’m hungry」本当にお腹が空いていそうだった。そこで、持って帰るつもりだった余った寿司(海苔巻の類だったが)を見せてあげた。男は箱の中を覗き込み、また弱弱しい声で、しかしきっぱりと言った。「Oh!No Thank You,Man」これは勘違いでも何でもない。明らかに食文化の違いだ。

「アー ユー オープン?」第8話 ケンとトム

ケンとトムは兄弟で、ベトナム生まれの中国人だ。とても良く仕事をするこの二人、ケンはすし職人、トムはウエイターだ。

トムはウエイターという仕事を得たが、ベトナム語と中国語以外は分からない。しかし、ほどなくして“ウエイターの鑑”とまでいわれるようになるのだ。天性のものを持っていたのだろう。

手際の良さ、接客態度、すべてに抜かりがない。言葉が分からないのに、人々の求めているものが何であるか分かるのだから大したものだ。

同じようにケンもだれにでも好かれる男だったが、こちらのほうはベトナム語と中国語のほかに英語もそこそこ達者だ。気遣も素晴らしく、この兄弟はどういう育ち方をしてきたんだろう、と思わせる。

それでも他のベトナム人の例と同じ、大変な苦労を強いられてアメリカに渡ってきたに違いないのだ。

国境を渡って中国からやってきた、という話も聞いたような気がするが定かではない。いずれにせよ、そんな苦労に比べたら、アメリカで慣れない仕事に従事することくらいなんともないのだろう。

ケンの英語はそこそこだと言ったが、中国人独特の発音で何度も聞かなければわからない時がある。

おそらく、ネイティブな人達には想像がつくのかもしれないが、それはたどたどしい日本語で話しかけられた時の我々と同じことだ。

「ケン、ヘレンは元気か?(ヘレンはケンの女房)」するとこんな返事が返ってくる。

「ヘレンはチポエで働いている」

チポエというのはどこかのレストランかと思い、どこの何料理を出す店か再三問いただしてみるが一向にらちが明かない。

そのうち、その“チポエ”なるものがTriple A(トリプル・エー)という保険会社であることが判明。かかること5分ほど。

「ソシェカップ」「ケン、サケカップならウエイトレスに言ってくれ」お酒のおちょこのことを酒カップと呼んでいたが、ケンはそれを求めているように聞こえた。

そして、何度も何度も「ノー、ノー。ソシェカップ」と言う。更によく聞いてみるとこう言っているのだ。

Soft Shell Crab」これは殻がやわらかい脱皮したばかりの蟹のことで、フライにして食するととても香ばしくて美味しい。

中国人の英語というのは分かりにくいと思うが、我々のも大したことはない。英語圏の人からすれば同じようなものかもしれない。

中国人の素晴らしいところは臆面もなく言葉を発するところだ。そこに躊躇する気持ちは全くない。

ある意味アメリカ的だ。いや、大陸気質と言えるだろうか。

ある時、お客さんが尋ねた「ドゥ ユー ハブ エダマメ?」しばらく迷ってケンは答えた。

「ノー、バット ウィー ハブ アマエビ」当時まだエダマメをおいていなかったレストランでケンが絞り出した答えがそれだったのだ。彼にとっては発音が似ていたのだろう。とに角答える、という姿勢は素晴らしいものだ。

トムのたどたどしい英語と一生懸命笑顔で応じる接客態度、ケンのひたむきな頑張りは誰からも好かれていた。

 

 

「アー ユー オープン?」第7話 ユーセフ

  ある日、モロッコ人の若者、ユーセフという男が仕事を求めてやってきた。非常に感じのいい青年だが、経験は全くない、と言う。そのうえ、英語は全く話せない。フランス語だけ。

 取りあえずキッチンに案内して、いろいろな作業をやらせてみることにする。見た感じに違わず、とても真面目な態度だ。

 ところが、未経験ということもあり、包丁の持ち方すらわからない。もちろん菜箸などというものにお目にかかったこともないらしい。

何故、そういう人がレストランでの仕事を求めるのか理解に苦しむところだが、その昔、誰かの書いた本で、正確には覚えていないが「全てはディッシュ・ウオッシャーから始まった」という、移民の話があった。レストランというのが一番手っ取り早いことは確かだ。食事も付いているし、特に言葉というものの壁がある場合には。

 いくつかの調理場における基本的な仕事で彼を試してみるも、まるで話にならない。皿洗いもやらせてみるが、来年までかかりそうだ。(因みにその日は大晦日ではない)仕方がないので、ダイニングへと彼を連れて行った。

 言葉がダメなので、ウエイターは無理だ。残るはバス・ボーイ(テーブルを片付ける役)しかない。

 比較的楽な仕事なので、少し説明して後は任せておいたが、これが悲惨な結果を招くこととなる。

 ほどなくして、ウエイトレスがすっ飛んできた。そして「お客さんが怒って帰っちゃった」と言う。その理由を聞くと驚愕の事実が浮かび上がった。

 ユーセフがテーブルの上のお客さんの食べ残しを食べながら片付けている、ということ。さすがに驚いて、彼を呼び注意するも「Why?」の連発。

 Whyはフランス語でSorryではないだろう。

結局、彼には何が悪いのかわからないようだったが、もしかしたら彼の生まれた国では普通に行われている行為なのかもしれない。しかしいい加減な憶測は誤解を呼ぶ。彼が特別だったのかもしれないのだ。

 とにかく即刻辞めてもらったが、次の朝、またやってきて「Help Me」とくいさがった。その気丈な姿勢はとても大切だが、自分に向いている仕事を探す努力を惜しまないことも大切なことだ。 

「アー ユー オープン?」第6話 ハリー

 とにかくよく働くハリーは中国人のおばちゃん。本名は難しいが、シト・ビクシャというような発音をする。シトは司徒と書くらしいが、ビクシャというのは美になんだか見たことがない漢字がついていた。あまり、聞いたことのない名前だ。陳さんとか、廣さんとかいうのはよく聞くが。

それはともかく、40キロに満たない華奢な体で重いものでも「エイヤー」と持ち上げる中国雑技団みたいな人だった。

 ご主人はどこかのチャイニーズ・レストランで働いているそうだ。元は学校の先生だったが、文化大革命の最中、英語の本を持っていたことを理由に投獄されたことがある、と聞いた。

 見るからに頭の良さそうな、そして人も好さそうな初老の男性だ。中国人を絵に描いたようなルックスにも何故か好感を覚える。

 毎日、小さな赤いオンボロ車でハリーを迎えに来る。彼も疲れているのだろう。大体は車の中で静かに目を閉じている。

 そこに仕事を終えたハリーが乗り込む。ご主人はむっくり起き上がって、おもむろにカセット・テープをセットする。ボリュームを上げ、自分が指揮者になったようなつもりで両手を高々と上げ愛する女房に向き直り「いいだろう、この音楽」しかしハリーの反応は冷ややかだ。「そんなことどうでもいいから、早く車を出してちょうだい。私は疲れてるの」

 ご主人は隊長にでも怒られたかのように慌ててエンジンをふかす。

 確かに彼女は疲れているはずだ。聞いたところによると、朝7時から朝食を提供するレストランで働き、10時から2時までここで働き、2時半からチャイナタウンで働き、6時にはまたここに戻ってきて10時まで働く。それを週に6日。掃除、洗濯は夜12時から、残った家事は日曜の午後。晩には家族のために晩御飯もちゃんと作るそうだ。それに、驚いたことには、日曜の朝ならまだ働きに出てもいい、と考えているらしい。

 彼女に限らず、中国人の、特に女性はよく働くようだ。知る限り、男性はわりと多趣味だったりして、生活をエンジョイしている人も多いが、女性はかなり現実的で、働けるだけ働いてお金を作る、ということを人生の目的としている人が多い。(ような気がする)

 だが、決してつらいとは思っていないのだろう。働くことを楽しんでいるようにもみえるのだから。

 わき目もふらず働く彼女にマイクや他の従業員はよくイタズラをしたものだ。

 ランチタイムの一番忙しい時間に、親子丼、かつ丼など、丼もののために用意されている卵をすべてゆで卵にしておく。3つも4つもいっぺんに入るどんぶりのオーダー。

 ハリーは一目散に作り始め、頃を見計らって卵を割る。「Oh My God!」という声がキッチンに響き渡る。2回も3回も続くと叫び声が変わる「アイヤー」「アイヤー」

 いい加減に気がつけばいいものをあまりに一途過ぎてなかなか気がつかない。

 彼女は真っ赤になって怒っている。卵に向かって。

 ある時、近くの空き地で煉瓦を拾った。それはすり減った砥石を修正するのにちょうどいい、もってこいの大きさだ。

 いつも砥石を水につけてあるバケツの中に一緒に入れておいたが、ハリーが一生懸命、その煉瓦で包丁を研いでいた。あまりの一途の姿になにも言えなかった。

 ハリーはよく言っていた。日本人は刃物を研ぐのが好きなのか?と。彼女は言う。「昔、日本兵がそうやって刀を研いでは中国人を試し切りしたものだ。日本兵のことを“鬼子”と言うの知ってる?(“こいつ”と発音する)私のおばあちゃんは日本兵に捕まって金歯をむりやり抜かれた」

 彼女は思うに中国人の代表のような存在だった。

 まず、けたたましく、やかましいのだ。それも広東語の独特の響きなのかもしれないのだが。

確かに中国人のおばちゃんと携帯電話というのは地球上最悪のコンビネーションだ、といわれていた。特に広東語。

 そのあまりにも周りを気にしないおおらかさ(?)は中国4000年の歴史の重みから来るのだろうか。

 同じ中国語でも北京語は少しソフトに聞こえる。中国には数知れないほどの言語がある、と言われているが、中国人向けのテレビを見ていると確かに、必ず字幕が漢字で表示されている。

 大きく分けても広東語と北京語では、書き方は同じでも読み方は全く違うのだ。そこに更に台湾語や上海語などがあるし、もしかしたらまだ発見されていない言語も存在するかもしれない。

 ハリーに訊いてみた「日本人は漢字を忘れたら平仮名っていうのを使うけど、中国人の場合はどうするの?」彼女、胸を張って「私たちは忘れない」中国4000年の歴史の重みだ。

 地球を滅ぼすことのできるのは中国だ、と言った人がいた。もし中国人がみんなで手をつないで一斉にジャンプしたら地軸がゆがんで地球はお終い、らしい。

 なんの根拠もない説だが面白い。最近の中国に於ける大気汚染を見る限り、もしかしたら、という気になってくる。

 そんな事とは関係なく、今でもハリーは中国人代表として働き続けていることだろう。あるいは、さすがにもうリタイヤして、チャイナタウン辺りで麻雀でもやっているか。

「アー ユー オープン?」第5話 再びマイク  

 さて、またマイクの話に戻るが、ある日のこと仕事が終わると玉突きに行こう、と彼が言う。 

たまにはいいか、と思い、いざダウンタウンへ出かける。彼がよく出入りしているバーなんだろう。入り口に玉突き台があり、10人ほど腰かけられるカウンターがその横にあり、奥のほうにテーブル席が3つか4つ。よくある“どうでもいい”ようなバーだ。客はそこそこ入っているが、ほとんどが東洋系だ。

 マイクは、フィリピン人が溜まっている玉突き台を意気揚々と目指してハスラー気取りで歩いて行った。やがて相談もまとまったらしく彼らは仲良くゲームを始めた。…かのように見えたが、ほどなくしていやな予感が的中した。

 マイクが相手のフィリピン人に激しい言葉を浴びせている。相手も声を荒げた。と、次の瞬間、マイクが手に持ったキューを高々と振り上げた。

 相手もすかさず応戦。仲間も加わる。瞬く間にバーの中は西部劇で良く見かける乱闘シーンさながらとなる。ただ違うのはカウボーイ同士ではなく、フィリピン人と居合わせたベトナム人の壮絶な殴り合いだ。

 誰かがフラフラとジュークボックスに近寄る。そして意を決したようにコインを入れた。流れてきたのは、イーグルスの“Take It Easy”実にぴったりだ。

 ビールを片手に観戦するのに出来すぎているシチュエーションだ。気がつくとマイクは店の外、大通りの真ん中でフィリピン人に馬乗りになられ、しこたま殴られている。

 そこに警察の登場だ。15~6人の屈強そうな警官がワゴンから連なるように飛び出してくる。

 マイクを殴っていたフィリピン人はすでにどこかに消えてしまっている。警官が横たわっているマイクを蹴飛ばしている。もちろん右手は腰の拳銃をいつでも抜くことができるように用意されている。

 しばらく警官に問い詰められていたマイク。顔は血だらけでかなり腫れ上がっているが、顔見知りとの単なる喧嘩だ、と作り笑顔で答えている。

しかし、驚いたことに店にはもう新しい客が来て、酒を飲んでいる。すでに営業が再開されているのだ。

 窓は割れ、椅子の破片などが散乱しているのに。こんな場所ではよくあることなんだろうか、店も慣れたもんだ。

 帰りのタクシーの中でマイクが泣きながら言った「俺はフィリピーノが大嫌いだ。やっとの思いでフィリピンに着いた時、あいつらに牛か豚のように扱われた。あいつら俺たちのことを人間だと思っていないんだ」

 やっとのことで彼のアパートに戻った時、時計の針はもうすでに3時を回っていた。泣きながら眠りについたマイクに何が起ころうと、ベトナムで何人死のうと、時は流れていく。

 やがて、マイクの体に異変が起きた。

 ほどなくして、食道がんの診断を受けることとなり、レストランの近くにある大きな病院に入院することが決まった。

 見舞いに行くと、マイクではなく本名で入っている。フン・タン・ウィンはどうスペルするのか、正確にどう発音するのか、こちらも受付嬢もわからない。

困っていたところに点滴を引っ張ったマイクが、トイレに行きたかったんだろう…フラフラと歩いてくるのが見えた。そしてやっとのことで、無事彼の病室に入ることが出来た。

「どうだ?」と尋ねた後、彼が言ったことを生涯忘れることができない。

「ベトナムじゃ毎日のように俺の目の前で沢山の人が死んだ。小さな子どものころから人間の頭が吹っ飛ぶのを見た。内臓が飛び出しているのにまだ生きて助けを求めているやつもいた。そんなこと、どうってことなかったんだ。おれは死ぬなんてこと何とも思わなかったはずなのに、今はなぜかすごく怖い。できれば助かりたい。今にも死にそうなやつをさんざん見殺しにしてきた俺でも助けて欲しいと思ってるんだ。

俺、なんのために生まれてきたんだろう。でも、ベトナムに生まれたこと、決して恨んではいない。すごく美しい国だ。帰りたいなぁ。どうせ死ぬんだったらベトナムで死にたい。そうだ、俺が帰ったら遊びに来いよ。楽しいぜ。毎日釣りして、酒飲んで。いろんなところに連れていってあげるよ。必ず来いよ。約束だ」

「わかった。お前も必ず良くなれ。約束だぞ。でも、もう玉突きには行かないぞ」

そう言って別れてから2週間ほどして彼がフラっとやってきた。そして本当に嬉しそうに言った「ベトナムに帰るんだ。もう発つから。いろいろ有難う。遊びに来いよ。いいな?」

抱きしめた彼の体は驚くほど小さくなっていた。

それから2か月ほどしたある日、ベトナムから手紙が届いた。マイクの姉からだった。それは、彼とはもう2度と会うことが叶わない、という知らせだった。

 

「アー ユー オープン?」第4話 ヴィンさん

もうひとりベトナム人のお話し。

 やはり50代半ばの彼は唯一の楽しみが“宝クジ”。毎週2回ある当選者番号の発表時間が迫るとそわそわしてくる。

 それは午後8時だ。5分ほど前になると「さぁ、写真を撮ってくれ」と言って、天ぷら鍋の前、エビを高々と菜箸で持ち上げ、腰に手を当て、胸を張ってポーズを取る。そしてこう言うのだ。

「ノーモアてんぷら!さよならレストラン」それから、ポケットに入っていた宝クジを握りしめ、全神経をラジオに集中させる。

 だが、数分後にはうなだれていつものようにてんぷらを揚げる彼の姿がそこにある。愛すべき人だ。

彼は言う。「私は子供4人と女房を連れて、横になるスペースも無いボートに乗ってきた。それはそれはきつかった。私たちは、弱って死んでいった奴を海に放り投げた。できることはそれしかなかったんだ。だんだん人が減っていって、やっとスペースが出来た頃、フィリピンに着いた。あの戦争で全てを失ったけど、幸いにも一番大事なもの“家族”だけはかろうじて残った。ひどい経験だったけど、私はこう思うんだ。戦争は悪いことと決まっている。それは誰もが知っていることだ。でも、時として戦争というものは民族にパワーを与えることになる。日本人からは民族の結束が感じられないし、なんとしても生き抜くだけのパワーも感じ取ることができない。車や電化製品は素晴らしいけど。

ベトナムではああして戦争が起きて、おせっかいなアメリカが首を突っ込んできてあんなことになったけど、おかげで私たちはなにものにも屈しない精神を持つことになった。

 それと、もうひとつ。本当に大切なのは教育だ。教育さえちゃんと行き届いていれば、もしかしたら戦争じゃなく、もっと他の方法で民族の真のパワーを示すことができるかも知れないんだ。私はこれから学校に通って勉強しようと思っている。いくつになっても勉強はしなくちゃぁな」

 ヴィンさん、当分宝クジは当たりそうにないが、それでもそれなりの幸せは自らの手で勝ち取っている人だ。

「アー ユー オープン?」第3話 フン・タン・ウィン

ベトナムからやってきた男、マイク。本名はフン・タン・ウィン。年齢不詳、彼自身にもわからないようだが、多分25歳くらい。

 小さな漁村で生まれ育った彼にはベトナム戦争のさ中、何の苦労もなく育っていた日本の若者たちとは全く違う人生があったようだ。

 ある日、彼が子供の頃、ベトコン(ベトナム・コミュニスト)が来て、村の大人たちを彼らの目の前で殺していった。彼ら子供を広場に集め、大人たちが次から次へと撃たれていくのを見せられた、というマイク。

 彼の唯一の楽しみはギャンブル。負けても負けても懲りずに続ける。一晩で1か月分の給料を使い果たしても、借りたお金でまた出かけていく。

 彼はまた、よくベトナム料理のお店にも連れて行ってくれた。それも、いわゆるレストランと呼べるようなところではなく、屋根はあれど、壁はあれど、ほとんど屋台に毛が生えた程度の(もちろん毛は生えていないが)ところだ。

 ベトナム語以外は全くと言っていいほど通じないだろうおばちゃんたちが、何やら甲高い声で話しながら料理をしている。

 「彼女たち、北の出身だ」マイクは言う。なんでも南の人のほうが低い声でソフトに喋るそうだ。

 そして、出てきた料理は確かに、これぞベトナム料理、といえるものだった。いくつかのベトナミーズ・レストランにも出向いたことはあったが、そんなところのものよりも見た目は悪く、量も多く、しかし味は良かった。

 はっきり言って、ベトナム料理の味が分かるのか?と言われれば、そこはそれで微妙だが、マイクに言わせると、これこそが真のベトナムの味、いわゆる家庭料理ということだ。

 ここで料理を作っているおばちゃんたちにも、僕ら戦後生まれの日本人には想像できないほどの強烈な体験があるのだろう。

 当時「プラトゥーン」という映画が来ていたが、ここのおばちゃんたちはみんなその映画に出てくる農村の人達のようだった。

 しかし、どこの国でもおばちゃんというのは強いものと決まっている。

マイクにとっては、ここのおばちゃんたちと会話して、彼女たちが作った料理を食べて、ビールを飲んでいる時が本当に平和なころの故郷にいるような感覚になれる時間なんだろう。そんな幸せな時間は彼には沢山はなかったのだろう。

 マイクがベトナムを出てきたときの話

 「俺たちは漁師だったから海に出るのは簡単だった。いつものように漁に出かけるふりして舟を出したんだ。やつら(ベトコンの沿岸警備兵)気がつかずに手を振っていた。あいつらはトビウオと同じくらいバカだ。そして、俺たちはフィリピンを目指した。ところがとんでもないミスを犯したことに気がついた。水だ。水を積んでくるのを忘れたんだ。おれたちもトビウオ並みだった。フィリピンまで5日間。喉がカラカラだった。もうちょっと長くかかっていたら、多分ダメだったなぁ。水は本当に生きていくために必要なものだ」

 彼らはそれでもやっとの思いでフィリピンに到着。そしてアメリカに来ることができたそうだ。

 そして更に「初めてニュー・ヨークに着いて、ある看板を見つけた時には一目散にその店に入って行ったよ。Hot Dogって書いてあったんだ。おなかの空いた俺達にとっては、やったぁー、犬が食えるぞ、ってね。それくらいの英語は読めたからさ。でも実際に出てきたものは見たこともない奇妙なものだった。そういえば、キャット・フードの缶詰をそうとは知らずに食って、アメリカにはまずい食べ物があるなぁ、と思っていたころもあった」

 マイクの話の全てが、戦後の復興も進んでいた日本に生まれ、なんの苦労もしなかった身にとっては驚きの連続だった。

 マイクの他にも、コト(あるいは、ホトと発音するのか)という名のベトナム人がいた。彼はマイクよりも更に若く英語はまるきりダメだった。

 マイクが聞いた話によると「あいつのボートではみんなが死体を食べていたらしい。あいつは食ってないっていったけど、じゃぁどうやってここまで生き延びてきたんだろう」

 日本の大学生たちが反戦歌に耳を傾け、戦争反対!と大きな声を出してみんなで歌っていた頃、僕らよりずっと若い彼らはそれどころではない、壮絶な経験をしていたのだ。

 もう一人、年老いた皿洗いのおじさんがいた。

 南ベトナム解放軍の兵士だった、という彼。全くしゃべることがなかったので名前も知らなかったが、長い間ジャングルの中で数々の戦闘場面を潜り抜けてきたらしい。鋭い目をしていた。

 他にも、みんながミセス・ホートと呼んでいた、元はサイゴンのお金持ちだった、とても教養のある50代の女性がいた。

 マイクを自分の子供のように思い、自分たちの家の一部屋を彼に与えていた。

 本当の名前は“キム・チー・リー”というが、フランス語とベトナム語しか喋らないご主人、ミスター・ホートが、彼女よりも一足先に働きに来ていたとき、彼女の名前を尋ねたが、一向にらちがあかないので、ま、いいや、ミセス・ホートでいこう、という話になったのだ。    彼らは、アメリカ兵とベトナム人との間に生まれた孤児を養子にすることで比較的スムーズにアメリカに渡ることができたそうだ。

 この人からも想像をはるかに超えた話を聞くことが出来た。

 「私たちのボートは迷うことなく目的地(おそらくフィリピン)に着けたけど、そうでない人達は何日も漂流する。そこへ出てくるのが海賊。だいたいタイの漁師だけど。そうなると悲惨ね。まずわが子を殺して海に放り込む。あいつらに連れていかれて売り飛ばされるよりはまし。それから自分も死ぬ。私たちもそれなりの覚悟はできていたけど、幸運だったわね」

 同じ時代に生まれた、同じ人間なのに、どうしてこの人たちはこんな経験をしなければならなかったんだろう、と思わざるを得なかった。

「アー ユー オープン?」第2話 フェルナンド

彼の名は、フェルナンド・カサレス・ロハス。カビアが連れてきた若者はまだあどけなさが残る17歳の少年だった。

カビアとは正反対でおっとりした性格、日本語はまるきりしゃべらないし、英語もほとんどダメなのだが、どこか好感の持てる少年であった。

やはり第一印象というのか、それは大事だ。しかし、この一見おっとりした少年は、充分第二のカビアとしての素質を持っていることに、後から気付くこととなる。

他にもラテン系としてはグァテマラ人やエル・サルバドル人などもいたが、みんな真面目だった。

カビアの穴埋めというのは彼にとっても容易なことではなかったはずだ。

しかし、そんな彼もやはり天性のものを持ち合わせていたのだろう。徐々に頭角を現すまでになっていく。

スペイン語まじりで少しだけ知っている英語を駆使して一生懸命に訊ねてくる彼に対して、日本語まじりのスペイン語で答える。とても奇妙な師弟関係だ。

言葉が通じない、というのも悪いことばかりではない。何故ならば無駄話の時間が減るからだ。

フェルナンドもだいぶ慣れてきたころ、日本からとても大きなニュースがとびこんできた。

昭和天皇が危ないという、そう、あの昭和の最後のころだった。

日本人の従業員たちは、来る日も来る日も一様に新聞を読んでは、いったいどうなるんだろうか、下血というのはなんて読むんだろうか、などと話し合ったものだ。

そんな日本人たちのやりとりを見ていたフェルナンド。てんぷらを揚げる手を休め「アミーゴ、いったいどうしたんだ?」と訊いてくる。

このメキシコの片田舎の少年に、日本の天皇陛下のことを話しても無駄ではないだろうか。しかし彼も興味津々だ。

意を決して訊いてみた「Do You Know Japanese Emperor?」すると彼がきょとんとした顔をして答えた「てんぷら?」

説明は必要ないだろうが、敢えて言うと「エンペラー」と「テンプラ」の発音が彼には区別がつかなかったのだろう。

なんともかわいいやつだったが、そんなフェルナンドも結婚を機にやめていった。

カビアやフェルナンドとはそれからも個人的によく会っていた。

カビアは、いったんメキシコに戻ったが、風の便りでふたたびアメリカに潜入した、と聞いた。潜入とは一般的に不法入国のことだが、彼らにとっては当たり前のことらしい。よく聴いていた“ロス・ディアブロス”というグループの歌で突然叫び声から始まる歌があった。何と言っているかといえば「移民局に気を付けろ!」だそうだ。

そんな歌、日本には無いはずだ。

また、カビアはこう言っていた「本当に怖いのは移民局のパトロールではなく、森を抜ける時に出くわす蛇だ。パトロールなんて、捕まれば追い返されるだけ。またいつでもチャンスはある。でも蛇はマジやばい」

ある日、新聞にとても興味深い記事が載っていた。

“メキシコからの不法移民の、とある事柄が今、問題となっている。彼らは何人かがまとまってアメリカのハイウェーを渡る。それはほとんど夜も更けてからであることが多いのだが、必ずといっていいほど最後尾の数人が車にはねられる。それは彼らのほとんどが田舎の、それも極度に貧しい地方の出身者で、アメリカのハイウェーでのスピード感覚を理解していないからだ”

そんな記事だったが、カビアたちは若いし、もう慣れたものでちょっとしたピクニック気分だったようだ。

生まれたところ、住むところが違えば苦労の種類も本当に違うものだ。

ところで、ある日、フェルナンドには日曜の朝、黒人街ちかくの、とある公園に行けば会える、という情報を手に入れた。

彼はそこで仲間たちとバスケットをやっている、という話だ。行ってみると、まるで映画のシーンのように、ラテン系や黒人の少年たちがサンサンと輝く太陽の下で遊んでいる。そして、その中に女房らしき女性と抱き合っている彼を発見。相変わらずトロ~ンとした眼で女房を紹介してくれた。「ロサ・マリアだ。アミーゴ」16歳だという。

彼らの生きていく“力”はストリートから生まれるのだろう。英語のスラングでいう

Street Cred”という、学校で学ぶことのできないものだ。

彼らがよく言う「アミーゴ」という言葉。直訳すれば“友達”“同志”みたいな意味だが、彼らは、会った時、別れる時、また、それ以外の時でも必ずと言っていいほどこの言葉を口にする。

それは民族同士のつながりの深さを感じさせるものだ。いいものだな、と感じる面もある。日本人だったらいちいち「おはよう、友達よ」「また明日、同志よ」なんて言わないだろう。

ちょっと話はそれるかもしれないが、黒人がよく「man」という言葉を語尾につけているのを聞くことがある。

それは彼らの奴隷制度時代の経験からきている、という説がある。彼らの祖先が奴隷としてアメリカに連れてこられた頃、どんなに大人の男であろうと、ひとりの男として、しいて言うならば人間、あるいは人類(mankind)として認識されなかった。一般的に“boy”と呼ばれていたそうだが、青二才、若造、ましてや未熟者などという意味もある。

そんなことから「我々も人間である。一人の男だ」という意識が生まれ、お互いを「man」と呼び合うようになった、という。

いずれにせよ、民族のつながりというものは、その民族が他からの強烈な抑圧を受けたり、なんらかの、自国がひっくりかえるような出来事があればあるほど強くなるような気がしてならない。

そして、そんなことを強く感じさせてくれる人たちがまわりに沢山いたことも事実だ。

「アー ユー オープン?」 第1話 カビア

多くのレストランにおいて、営業時間の設定としては午前11時半オープン、ランチタイムを経て午後2時に一旦クローズ、そして午後5時に再びオープン、午後10時まで営業、というのが普通だ。

もちろんお店の諸事情や、ロケーションなどにより、多少の違いはあるが、ほとんどの日本食レストランがそのようになっている。

 従業員(料理人)は仕込みのために10時までには店に入るが、その瞬間から多種多様、大小取り混ぜた問題が起こる。

 「アミーゴ、かあちゃんが病気だから今から国に帰る」たしかこの間かあちゃんが死んだって言ってたけど。

急に、というのは困るが、しかし、これなどまだましなほうで、何も連絡がないまま消えてしまうメキシコ人(何もメキシコ人に限ったことではないが、圧倒的にメキシコ人に多い)それも、若い子に多い。その多くは友達からの情報で、もっと給料のいいところがみつかったとか、あるいは仕事に飽きたり、とかいう理由だ。

まぁ、日本の若者にも起こり得ることかもしれないが、それでも日本人の場合は突然消えるというケースはまず無いと見ていい。

あとは、移民局の強制検査が入って、有無を言わせず連れていかれる、というケースもあるだろう。

あるいは、賭け事に負けた金がたまりにたまって払えなくなり、殺されないために姿をくらます、といったケースもある。

これなどは中国人やベトナム人に比較的多い。

とにもかくにも、ここでは一人のメキシコ人の若者を紹介することにしよう。

カビヤ・ロドリゲス・ゴメスという25歳の男。入ってくるなり「おはよーございます。カビアと申します。仕事を探しているのですが。おにーさん、仕事ありますか?」

それはそれは驚くほど流ちょうな日本語をしゃべる。

因みに、カビアという名前。実際には「カ」と「ハ」の中間の発音だ。Javierと書く。「日本の方にはとても難しい発音だと思います。だからどちらでもいいです」と、更に流ちょうな日本語が続く。

日本食レストランでの経験も豊富で、会話の端々にその働きぶりを伺わせる言葉が飛び出す。

「冷蔵庫見せてください。えーっと…。はい、わかりました。ランチタイムのコンビネーション、こちらでは何のすしを付けますか?刺身はナンカンデスカ?一番忙しい時で何人ぐらいのお客さんが入りますか?-あぁ、それなら私ひとりでも大丈夫です。100人くらいなら問題ありません」

実際、よく働く男、カビヤ。

メキシコ人のよくあるパターンとして、友人あるいは親せき縁者一同が狭いアパートに同居し、先に仕事を見つけた奴が同じ店にそのうちの一人を紹介する、というのがある。これも労働条件が良ければ、の話だが。カビアのアパートにも7~8人いたが、名前がほとんど“ホセ”だった。

それはともかくとして、店の経営者には気を付けなくてはならないことがあるのだ。それは、そのようにして、次から次へと同じ民族で固めていくと、それが例え友達同士、親戚同士でなくても、やめる時には一斉にやめてしまう、という現象だ。

そうなると残された人は悲劇極まりない。しかし、そんなことは日常茶飯事、どこのレストランでも一度や二度は経験していることだろう。なかにはしょっちゅうそんな目にあっているレストランもあるが、その場合、店側になにか問題があるのかもしれない。

カビヤは遅刻もせず、せっせと働いたし、仲間を引き入れることもなかった。

当時ちょうど、リッチー・バレンスを題材にした映画「ラ・バンバ」が上映されており、1時間に一度はラジオから「パラバララ・バンバ~♪」と、陽気な音楽が流れてきていた。

 彼らのヒーローだ。ラジオのボリュームを最大限に上げ、大きな声で一緒に歌いだす。そして「さぁ、おにいさんも一緒に歌いましょう」しまいにこちらまで歌詞を覚えてしまう。

また、それだけではなく、一緒に出掛けることも度々あった。

一旦レストランがクローズした昼休み、彼らの聖地である、通称“ミッション・ディストリクト”めがけて。日本人向け観光ガイドブックには絶対に近づかないように注意書きがなされているところだ。

どこの町にも、ある一定の民族が多く固まって暮らしている地区がある。ここはラテン系の地区だ。バスの中はスペイン語しか聞こえてこない。

まして、2時を少しまわると、子供たちの学校が終わる時間になる。小・中・高生たちがなんの秩序もなしにがやがやと乗ってくる。

ダブダブのジーンズにダブダブのTシャツ、顔のいたるところにリング、そんな男の子や女の子たちをいっぱい乗せたバスは奥地へ奥地へと進んでいく。

やがてひときわにぎやかなバス停に降り立つとそこはもうメキシコさながら。歩道の脇にはウイスキーの瓶と一緒に寝転がっている人。他人の車の上に乗ってチェーンを振り回して遊ぶ不良少年たち。

ソンブレロを被りギターを抱えた少年たちもいる。彼らはレストランに入って行って、歌を唄いながら小遣い稼ぎをしているのだ。日本でいう“流し”みたいなものだ。

「ここには俺だって夜は来ないぞ。いつ何時ピストルの弾が飛んでくるか分からないし、ディスコなんて行けば絶対喧嘩になる。喧嘩になったら間違いなく銃だ。命がいくつあっても足りゃしない」

地元の人間でないと足を踏み入れることができないような、小さなメキシカンのファスト・フード店で、タコスとハラペーニョをあてにコロナビールをラッパ飲みしながら彼が言った。

そんなカビアも、いったん国へ帰ることになった時、彼は律儀にもひとりの若者を紹介してくれた。

 

~プロローグ すし、そして寿司職人~

プロローグ  すし、そして寿司職人。

  すし、それは日本の食文化を語るうえで、その中心ともなり得るものだろう。しかし、専門的、学術的な見地からの解説は、その筋の専門家の方々にお任せすることにして、ここでは、海外に存在する日本食、あるいは日本食を提供するレストランに従事する人たちに関する、日本では、まず遭遇することがないような様々なお話しを書いていきたいと思う。

また、日本食なるものに馴染みのなかった人たちが、いかに日本食レストランでふるまうのか、非常に興味深いお話も出てくる。

今や、日本食も世界各地に浸透している。それが「まさかこんなところですし?」と思わざるを得ないところであっても。

殊に、これから語ろうとしているアメリカでの日本食は、すでにブームというものも通り過ぎ、深く庶民の間にまで根付いている部分もある。

日本食については、様々な書物でも紹介され、各メディアなどにも露出度は高く、俳優、歌手などの、いわゆる外タレさんたちも「日本食はお好きですか?」と問えば必ずと言っていいほど「Oh!yeah,I love SUSHI!」または「Sake!my favorite」というようなお決まりの台詞が返ってくる。

もちろん「嘘でしょ」というつもりもないし、確かに彼らにとっても、そして、かくなる僕たち日本人にとっても、すしや刺身というものは特別に魅力的な食べ物であることは否定できないだろう。

しかし、ものによってはもう芸術の域を超えている感もあるほど、どこか敷居が高く、あまり軽々しく語れないものである、というような思いも多少は持ち合わせている。

そして、それは事実、長年アメリカという国で寿司職人として従事したことによって更に気づかされた一面でもあるのかもしれない。

アメリカでは、多少素人でも立派に寿司職人としてまかり通ってしまうことも決して不可能ではない。

それでも、人々の健康にまで影響する仕事。それなりの注意と努力は必要だ。

話題のレストラン、ということで参考のために出向いた寿司屋では、若い白人のおにいさんが、今でいう「イケメン」でしょうか、アロハシャツにブルージーンで「らっしゃ~い」と、いいながら不器用な手つきで、すし(みたいなもの)を握っている。

どこかしら「スシドナルド」といった感じだ。

フロンティア精神というものを充分理解しているつもりだったが、なぜか「すしをなめてかかっているんじゃないだろうか」と、心の中で疑いを持ってしまう。

そうかと思えば、入った途端に、何か異様とも思える緊張感と重圧を感じる寿司屋もある。そこには、その筋の人も顔負け、というような風貌の職人が(もちろん日本人)黙々と握っている姿がある。

この人、なぜアメリカで寿司屋なんかやっているんだろう?と首をかしげたくなってしまうのだ。

でも、東洋の神秘みたいなものが好きそうな白人にはいかにも受けがよさそうなのも否めない。

又、中国人経営の食べ放題を売りにしているレストランでは、さまざまな国籍の老若男女が、皿の上にすしを乗せ、その上から焼きそばを盛り、さらに焼き飯や鳥のから揚げなどを乗せてあっちへ行き、こっちへ行きしている。もはや、すしは潰れて原型をとどめていない。

そんな不届き千万なお店も大繁盛なのだ。

このようにして、今やアメリカのどこへ行っても日本食を食べることが出来…と言いたいところだが、実際はとんでもなく広い国。すし、刺身などという言葉すら知らない人たちがいることも忘れてならないことなのだ。

特に南部の奥深くではそんなことは当たり前のことだが、大都会ですら、黒人の子供たちの「すしってチャイニーズ?」「うん、そうだよ」というような会話も耳にしたことがある。

想像をはるかに超えた広い国である。

寿司職人としてアメリカに渡った人は数知れずいる。また、アメリカでの生活手段として寿司職人になっている人もいる。そのほうが圧倒的に多いかもしれない。

頭は角刈り。一見渋い菅原文太みたいな寿司職人。コムデギャルソンのロングコートに身を包み、ブランド物のバッグを大事そうに抱えてオープン前のレストランに入っていく。

あのバッグの中身はやなぎ刃と出刃かな、なんて思うと笑えてくる。

向うは向うで、あいつも流れの寿司職人か、という顔をしてチラ見していく。

外国人の寿司職人(と呼べるのかどうかわからないが)も多少はいる。前出の白人の若者しかりだ。

単にお金になるから、とか、もてる、とか、理由は様々だ。

知る限り、中国、韓国、インドネシア、ベトナム、モンゴル…他にもいたかもしれないが、やはり顔は東洋系か、全くかけ離れた白人か、だろう。

中近東、アフリカ系はちょっと躊躇してしまう。人種に対して差別意識は全くないが、やっぱりその辺は難しい。

アメリカという国では、人種によってものの考え方、価値観の違いというものがどんな時でもついてまわる。

体験しなければ理解できない話、思わず笑ってしまう話、涙なくしては語れない話、そんな人々との出会いの話をこれから少し書いてみたいと思う。

Irish Music その60

Glen Road to Carrick/Pipers on Horseback/McGovern’s Favorites   Reel

  • Glen Road to Carrick

Donegalの曲だ。僕は初期のセッションで覚えた。僕らは6パートで演奏するが5パートの人もいるようだ。その場合最後の2つのパートはよく似ているので、6パートのうちの5パート目を省き、僕らがやっている6パート目を最後の5パート目にして演奏するようだ。あー、ややこしい。セッションで出たら要注意だ”

  • Pipers on Horseback

The Fare-haired Lassというタイトルのほうが有名だろうか。あるいはMick’s Jig Away The Donkeyか”

  • McGovern’s Favorites

“終わりの部分が少し変わった譜割りになっている。いろんなやり方があるだろうが、僕らはPaddy Killoranの古いNY録音から学んだ”

 

The Connaught Heifers/Corney is Coming    Reel

  • The Connaught Heifers

“僕はこのセットをSeamus Ennisの録音から学んだような気がする。耳にしたのは初期の頃San Joseに住むパイパーのDave MacCortからかもしれないが。ちなみに彼と、スコット・レンフォートとの3人でSilver Spireというバンドを組んでいたこともあった。庭でトウモロコシやじゃがいもを栽培していたが、何故かキノコだけは食べたくない、と言っていた。あれは一種の“カビ”だと力説していた。曲は、単純だが、とても印象深いメロディだ”

  • Corney is Coming

“この2曲はパイプ・チューンと言えるかもしれないが、単純でありながら、いわゆる「らしい」と言えるメロディで大好きだ。このセットは通常のリール・テンポよりも少しゆったりしたほうがいいだろう”

 

Her Long Dark Hair Flowing Down Her Back  Hornpipe

  • Her Long Dark Hair Flowing Down Her Back

Junior Crehanの作だが、本当のタイトルを書くべきかどうか悩んでいる。とりあえずこれだ。Flowing Down Her Back and the Colour of Her Golden Hair was Blackという、とんでもなく長いタイトルだ。しかし、こんな風に言う人はいないだろう。非常にトラッドの香りがするいい曲だ”

Irish Music その59

Leaving Brittany/George Peoples’     Waltz/Reel

  • Leaving Brittany

“これは素晴らしい曲だ。作者はJohnny Cunningham。彼の死には本当に驚いた。確かに体はどこか悪そうだったが、たかだか1時間弱のリハーサルでも強烈な印象を残し、本番ではそれに輪をかけてエネルギッシュな演奏を展開した。作曲者、編曲者としても一流であり、また、誰からも好かれる人だった”

  • George Peoples’

Seamus Gibson作、ということだが、ほとんどSharon Shannon以外では聴いたことがない。素晴らしくドラマチックな曲である。僕らは初期の頃からこのセットをよくやっている”

 

Paddy Fahey’s/ Rakes of Clonmel/Princess Nancy      Jig

  • Paddy Fahey’s

“これはMajorでもMinorでも演奏されるし、Martin Hayesと初めて演奏した時には、どちらもごちゃ混ぜにしてやっていた。3度さえ抜いておけばこちらはどうってことないが。いずれにせよ、どちらで演奏してもきれいなメロディだ。このセットでは、僕らはMinorでやっている”

  • Rakes of Clonmel

“2パート?または3パート?本当は3パートらしいが、僕らは2パートでやることが多い。これは僕の意見だが、3パート目はなくてもいいメロディのような気がするから。おそらくFrankie Gavinもそう思って2パートにしているのだろう。いずれにせよ、3パート目もある、ということは覚えておいたほうがいいことだ。セッションで出た時も、どちらでやるかあらかじめ訊いておいたほうがいい、と思うし”

  • Princess Nancy

Liz Carrollが、友人であるNancy Leoniのために書いた、とされる曲。美しく、親しみやすいメロディだ”

Irish Music その58

Finberr Dwyer’s/Dr.Gilbert/Malbey Shuffle    Reel

  • Finberr Dwyer’s

“若いアイルランドのバンジョー弾きの演奏で覚えた曲。彼はKevin Griffinから習った、と言っていたが、もともとはFinberr Dwyerの作と思われる。彼のアコーディオン演奏では聴いたことがあるのだが”

  • Dr.Gilbert

“とても美しいメロディの曲だ。有名でセッションでも度々登場する。元はフレンチ・カナディアンの曲をMichael Colemanがこの名前で録音したそうだ”

  • Malbey Shuffle

Diarmaid Moynihanの作。この曲を初めて希花に教えたとき、「あ、これ好き」と言ったのをよく覚えている。実はこの曲は僕も大好きだ。非常に単純なメロディだが音の進行がとてもいい。この人はCalicoのパイパーで数多くの名曲を書いている”   

 

Callaghan’s/The Flowing Tide   Hornpipe

  • Callaghan’s

“あまりポピュラーな曲ではなさそうだが、AパートもBパートもいいメロディだと思う。ティプシー・ハウスでも長いこと演奏してきたが、他の人で聴いたことはほとんどない”

  • The Flowing Tide

“僕はDick Gaughanのギター・アルバムから習ったが、かなり有名なホーンパイプで演奏している人も多い”

 

Celanova Square      Jig

  • Celanova Square

“またしても、Diarmaid Moynihanの作。これは実に単純だが、たまらなくなるようなメロディの曲だ。どう説明したらよいかわからないくらいに、同じようなメロディが繰り返し演奏されるが、気持ちが高揚するような曲である。コード楽器の人のセンスが問われるものでもあると思う。F#mの曲だが、Dmaj7しかり、Bmしかり、でもF#mでありたい、というような、気持ちの中で「このコードを使うのは今でしょ!」という強い気持ちと「今じゃないでしょ!」という強い気持ちと、「何故今使うのか。何故今使わないのか」という理屈がきっちりしていないと、単なる無意味な伴奏になってしまう危険性がいっぱいの曲だ”

Irish Music その57

Julia Delaney’s/Bobby Casey’s/Mother’s Delight/Glencolmcille    Reel

  • Julia Delaney’s

“これもある意味、初めのころに習う曲の一つかも知れない。とてもいいメロディだし、いろんなテキスチャーを組み込める曲だ。パイプ以外の楽器にはもってこいだ、と言われている”

  • Bobby Casey’s

Port Hole in the KelpともFarewell to Camden TownともいわれるBobby Caseyの数ある作品のひとつ。とても親しみやすいメロディだ”

  • Mother’s Delight

“いろんなキーで演奏する人がいるかもしれないが、僕らは基本的にDmだ。最初のコードはF。この曲で思い出すのは2013年の夏、Galwayでバッタリ再開したKyleが、その昔、どういうコードを使ったらいいか訊きに来たことがあったが、その時、この曲の分析についていろいろな話をしたことだ。「AパートはFからC,Fに戻ったら今度はC7、勿論Cでもいいがその7thの音はともすれば大切な響きをもたらす。気がつく人は1000人に一人くらいだけど。そしてBパートはセクシーな感じを出すために思い切り切なく弾く」こんなことを話したことがある。とてもいい曲だ”

  • Glencolmcille

“前の曲からこの曲につなげるやり方はJack Gilderから頂いたが、数あるセットの中でもとびぬけて優れているチェンジだと思う。前の曲のテキスチャーを損ねずに突然世界観が変わる、なんとも心憎いメドレーになる。いつだったか、フィークルで結構凄腕の、北からやってきたフィドラーがこの曲を弾いて、希花が後を追いかけた。終わってからおじさんが「なんだっけ?これ」希花が「Glencolmcille」おじさん「おー、そうだ。そういえばGlencolmcilleだ。良く知ってるなぁ。あんまり弾くやつはいないぞ」確かにあまり聴くことはないが名曲だと思う。ちなみに、聞きなれない名前だが    Co.Donegalにある小さな村、といっていいのかな、町といったほうがいいのかな。とに角ここから先は大西洋が広がっている「北の果て」といえるかもしれない”

Irish Music その56

White Petticoat      Jig

  • White Petticoat

“とてもモダンなメロディだが曲は古い。ただし、Solasがやって有名になったかもしれないので尚のことモダンに聴こえるのだろう”

 

Stan Chapman’s     (Jig

  • Stan Chapman’s

“ケイプ・ブレットンのフィドラーJerry HollandによってStan Chapmanのために書かれた曲”

 

The Miller’s Maggot   Jig

  • The Miller’s Maggot

“ここまでは3曲別々に書いてみたが、これらはSolasのファースト・アルバムのセットからだ。かなりいいセットだが、このままやるとSolasになってしまうので敢えてばらして書いてみた。他にいいセットを組んでみよう。3曲ともいい曲だ”

 

The Lark on the Strand/The Humours of Glendart Jig

  • The Lark on the Strand

“僕はだいぶ前にDaleから習ったが、希花もよく知っていたので、時々弾いている”

  • The Humours of Glendart

“映画「ハリー・ポッター」でもウエディングのシーンで使われていたほど有名な曲だ。決して素晴らしいものでもないし、初心者向きでもあるが、ある意味乗りやすい曲かもしれない。僕にとっては‘70年代初期のPlanxtyの演奏が印象深い”

 

The Humours of Ennistymon     Jig

  • The Humours of Ennistymon

“すでに「その46」のLuck Pennyのところでタイトルだけは書いているが、特別には触れていなかったのでここで。またの名をCoppers and Brass(2パート)という。2012年にフィドル講師のBrendan Larrisseyが「タイトルを忘れた」と言っていたが、すかさず僕が「エニスタイモンじゃないか?」と言って驚かせたのを今でも覚えている。そんなことがよくあると、歴戦の勇者である相手にも認めてもらうことができる”

WIND 2 (ウィンドⅡ)主催コンサート

ウィンドⅡと聞いて随分懐かしいと思われる方もおられると思います。僕と坂庭君との音楽会の企画をはじめ、ずっと僕らの支援に、わが身の忙しさも顧みず、走り続けてきてくれた人たちです。

色々な別れもあり、現在残っているお二人、古川さんと村松さんが今回、大宮にてコンサートを企画してくれております。

 当日は、僕らの音楽の大きな幹となっている、アイルランドの風景をみながらのお話しを一部に、そして2部に演奏を、というちょっと変わった企画です。

 国の歴史や政治的背景などの話は、その筋の専門家に任せて、僕らは地元の演奏家、そして地元から世界に飛び出していった演奏家、そしてその家族や、彼らの生活そのものを見てきた、そんなお話を沢山するつもりでいます。

 普段の音楽会とは一味違ったものになるでしょう。また、終了後、皆さんと一緒に軽いお食事をする時間も設けてあります。お時間の許す方たちの御参加をお待ちしております。

2014.3.9(日) Open13:30 Start14:00
大宮「清水園(しみずえん)」2F 『ベルディ』 http://www.shimizuen.co.jp/
【さいたま市大宮区東町2-204】JR 大宮駅東口より徒歩 10 分。駐車場有。
前売 ¥3,500 当日 ¥4,000

Irish Music その55

 

The Blarney Pilgrims/Helvic Head   Jig

  • The Blarney Pilgrims

“パディ・キーナンが必ずやっていた曲だ。映画「タイタニック」でも演奏されていたかな。有名なトラッド曲である”

  • Helvic Head

“5パートあるこのジグ。Yellow StockingともThe Kittenともよばれるスリップ・ジグによく似たメロディが存在する。そのメロディはどちらかといえば「その4」で登場したThe Humours of Whiskeyのほうが似ているだろうか。しかし、ところどころこの曲に近いのだ。なのでどちらかというと“構成が”というべきだろうか。Jody’s Heavenでも録音したことがあるが、大好きな曲だ。ギタリストにとっても5パートというのは、非常に考えるに値する”

 

Sliabh Russell    Jig

  • Sliabh Russell

“確かパディはこの曲から上記の    The Blarney Pilgrimsに行っていたかもしれない。Amで演奏されるとてもいい曲だ”

 

The Butlers of Glen Avenue  (Jig

  • The Butlers of Glen Avenue

“これは曰くつきの曲だ。タイトルは多くの人がChristy Barry’s#2ということで覚えている。確かKevin Crawfordがそのタイトルで録音していた。ところが、作ったのはバンジョー弾きのTony Sullivanということだ。Christyとのセッションに向かう途中、テリー・ビンガムにこの曲のことを話したら「その曲はやらないほうがいい。沢山の人がChristyと一緒になるとこれをやりたがるけど、書いたのはTonyだ。非常に複雑だ」と言っていた。#2というくらいだから#1があるのだが、あまり好きな曲ではないので省略する。この辺は希花とも意見が合う。そして#1だがこれもChristy Barryとして伝わっているが、やはり他で演奏されているのを‘79年ころに聴いたことがある、という人もいる。その人曰く…Mary Begleyという人から習ったが、彼女はSean Coughlanというアコーディオン弾きからこの曲を習ったそうだ。SeanChicagoに住んでいたことがある。ChristyChicagoにもNew Yorkにも、アメリカのいたるところをツァーしているので、彼からSeanが学んだことも考えられるし、またその逆もあるだろう。この答えはもしかしたら、Seamus BegleyBrendan Begleyが知っているかもしれない。こんなことばかり調べていると頭が痛くなるが、とても面白い”

ちょっと一休みして食べ物の話

食べるもので、基本的に好き嫌いは無い。よっぽどの“ゲテモノ”か、そこまでいかなくても生の肉とかは嫌だが。魚醤も少しなら入っていても大丈夫。フォアグラは食べない。馬刺しには手を出さない。生ハムにも手が出ない…してみると結構食べないものもあるなぁ。  

家では子供のころから、白米には必ず麦が入っていたし、週の半分くらいは玄米だった。それでは聴いてください「麦と兵隊」(何それ、という冷ややかな声)

なので、今も玄米は大好きだ。野菜も何でも食べる。基本的に歯が丈夫なせいか、なんでも美味しく食べることが出来るのは本当に有難いことだ。

大学の時は合宿中に(産大ブルーリッジ・マウンテン・ボーイズ)朝からお茶碗10杯のごはんを食べた記憶がある。

よく食べたほうかもしれないが、若いときには誰でも結構食べることができただろう。とに角、何を出されても失礼の無いように少々味の合わないものでも食べることが出来た。

今でもそうだが、いかんせん、量は減った。当たり前のことかもしれないが、打ち上げでせっかく美味しいものを出してもらっても「あ~、あと35歳若かったらなぁ」と思うことがよくある。

人間は食べずに生きていくことが出来たらどんなに楽だろう、と思うことがよくあった。そうすればトイレも必要無いし…てなことを真剣に考えたこともあったが、親せきや友人が集まったら「何食べよう」ということはとても大事なことなので、やっぱり人間の最大級の欲求であり、楽しみなことなのだろう。

書くほどのことではないくらいに当たり前田のクラッカーだ。(再び何それ、と冷やかな声)

料理の世界も少しは経験した。生魚ってあんまり好きではなかったが、寿司シェフもやった。

そんな僕なので、アメリカ人は基本的に生魚なんて好きではないはずだ、ということがよく分かる。「今日は暑いから素麺。今日は寒いから鍋にしよう」おせち料理から始まり、七草粥を食べたり、季節や催事ごとでそれぞれ工夫を凝らした食べ物を食べるのが日本人。

「おい、今日は暑いからホットドッグとビールだ。今日は寒いからホットドッグとビールだ」というアメリカ人とはわけが違う。

どこで覚えたのか鯛もヒラメも「薄じゅく~り」なんて言い、果てはマグロまで「薄じゅく~り」なんていう人たちだ。

「ケッパ巻き。海苔抜き」「うなぎ、皮抜き」なんじゃそりゃ。

きっと生魚は彼らの味覚の中にはないはずだ。僕らでもホットドッグやハンバーガーが1週間、朝、昼、晩と続くとワンとかモーとか、いや犬ではないか。

結婚式のギグで、どんなに素晴らしいケータリングが来ていても、結局家に帰ればお茶漬けを食べてしまう。

料理が素晴らしければ素晴らしいほど…。

そんな風に、歳と共に日本人としてのベーシックな食べ物をよく食べるようになってきた。漬物や味噌汁、魚も刺身でも、焼いても、そして煮ても。若いときは絶対にすき焼きだったが、今は水炊きのほうがいい。

それでも、まだ相変わらず結構な頻度で食べられるものもある。あんどーなつやビーフシチュー、正月の伊達巻。あーもう終わってしまった。

おせちには、栗きんとんと伊達巻だけあればいい。毎日が正月だったら伊達巻が毎日食べられる。

なんだか言いたいことがなんなのか自分でもわからなくなってきたが、とに角好き嫌いを言うのは良くない、ということ、なんでも美味しいと思っていただきましょうということ、それから、少々無理しても出されたものは有難く平らげるくらいの強靭な精神力と胃袋を持ちましょう、ということです。

皆さんもLDLコレステロールには十分気を付けながら、楽しい食生活を送ってください。なんかまた伊達巻が食べたくなってきた。子供の頃は「イタチマキ」だと思っていたけど…。

Irish Music その54

Drowsy Maggie/Farewell to Ireland  Reel

  • Drowsy Maggie

“これはアイリッシュ・ミュージックを始めた人なら必ず最初のころに演奏するものだ。そのうち、あまりポピュラー過ぎて、3年もするとほとんど演奏しなくなるだろう。もちろん人によって違うだろうが。例えば、「アイルランドの洗濯娘」とか「ケッシュ・ジグ」とか、同じような曲が存在する。セッションでもテリー・ビンガムやクリスティ・バリーが、そんな曲を書いたリクエストの紙を丸めて捨てていた。この曲も間違いなくそんなうちのひとつだ。映画「タイタニック」でも3等船室で演奏されていた。僕らの感想は「あ、やっぱりこれかよ」だ。そして、面白い話がある。

以前一緒にやっていたフィドラーのローラ・リスクがジョン・ウェイランのバンドでどこかの大きなフェスティバルに出演したとき、タイタニックで演奏したあのバンドも出演していたそうだ。ローラ曰く「今までに聴いたバンドの中でも最も下手くそなバンドだったのに、CD売り場には長蛇の列が出来ていた。あたしたちなんて見向きもされなかった。じゅんじ、どう思う?」そんなもんだ。分かるような気もする。

話はそれたが、この曲、いろいろなバージョンがある。普通は2パートで演奏されるが、ティプシー・ハウスではJoe Cooleyが創ったと言われている3つ目のパートを演奏していた。AパートはEmBパートはD、そしてCパートでBmにいく。これで演奏している人は他に知らない。Joe Cooleyは一時、サン・フランシスコに住んでいたので、ジャックはそこから学んだのだろう。もしかしたら偶然にも気まぐれに一度だけやってみたのかもしれないが、なかなかいい。尚、Drowsy Maggieとしてもうひとつ明らかに違うメロディが存在する。明らかに違う、と言っておいて何だが、これはほとんど曲の進み方が同じだ。Donegalバージョンと言えるだろうか。因みに2パートだ。ところで、最近になって3パート目を創った人物はJoe Cooleyではないという有力な話を知った。1931年にFrank O’Higginsという人物が既にこのパートを録音しているらしい”

  • Farewell to Ireland

“これもややこしいものだ。よく演奏されるFarewell to Erinとは違う曲。ただし、このErinとはアイルランドのこと。そちらはAmで演奏される。「その40」にすでに登場している。こちらはDで演奏される全く別なメロディだ。さらに調べていくと、同じDの曲で少しメロディが違うFarewell to Irelandも見つけることが出来るが、こちらはバージョン違いだろうか。それにしてはだいぶ違うような気もするが”

Irish Music その53

Sailing into Walpole’s Marsh/The Duke of Leinster Wife   Reel

  • Sailing into Walpole’s Marsh

“なんとも厄介なタイトルだ。それに、出だしがCastle Kellyという曲にそっくりなため、よく聴かないとこれを演奏しようとした人の気持ちを台無しにしてしまう。Castle Kellyと大きく変えるためには、ギタリストが頭をD7に切り替えることかもしれない。もちろんAmでもいいが、この曲に関してはCastle Kellyとほとんど同じメロディ(Aパートの最初の4小節だけ)でスタートするので、僕はD7にしている。このようにそれぞれの曲がよく似ていてもキャラクターが違うのだ。だからこそギタリストも何百通りもの組立が必要になってくる”

  • The Duke of Leinster Wife

The Ladies Pantalettesというタイトルのほうが一般的かもしれないが、僕は長いことこちらのタイトルで知っていた。1856年には採譜されているというクレアー・チューンだ。尚The Duke of Leinsterという曲もとてもシンプルで有名だが、これとは全く違う。「その49参照」

 

The Moving Bog/The Green Fields of Rossbeigh   reel

  • The Moving Bog

“こちらも「その49」に単独で登場しているが、とても面白い曲だ。何かの後でひっつけても、突然出てもなかなかに味のある曲”

  • The Green Fields of Rossbeigh

Kerry Reelとも呼ばれている、セッションでもよく登場するポピュラーな曲だ。RossbeighというところはCo.Kerryの美しい海岸線として有名であり、ディングルの対岸に位置するところだ”

 

King of The Fairies     Hornpipe

  • King of The Fairies

“とても美しいメロディで、単独で演奏してもいいかな、と思う。そんな意味では、「その18」にあるThe Rights of Manと同じテイストの曲だ”

 

Taylor’s Twist/Lad O’Beine’s     Hornpipe

  • Taylor’s Twist

“あまりポピュラーな曲ではないかもしれないが、いいメロディだと思う。Tommy PeoplesLiam O’Flynnの演奏で知られる”

  • Lad O’Beine’s

“これはEd ReavyLadのために書いた、とされるが、彼のつけたタイトルはO’Beine’sではなく、O’Beineだという人がいる。この辺になるとESLEnglish Second Language)の我々にはその違いは大きいのか小さいのかわからない。メロディは大好きだ”

Irish Music その52

The Killarney Boys of Pleasure/The Reel With The Birl    (Reel

  • The Killarney Boys of Pleasure 

“そのむかし、僕が加入する前のティプシー・ハウスのテープで聴いたのが最初なので、おそらく‘91年くらいだろう。彼らはスロー・リールでやっていたが、確かに通常のリール・テンポで演奏するよりも趣がある”

  • The Reel With The Birl

Aパートは有名なDrowsy Maggieによく似ているが、Bパートにくると明らかにメロディが変わる。確かFrankieがこの曲をDrowsy Maggieとして録音していたが”

 

The Ruined Old Cottage in the Glen/Miss Ramsey  Reel

  • The Ruined Old Cottage in the Glen

“オニールのコレクションによるとLovely Mollyという曲がこれに当たる。ずっと前にどこかでマット・モロイとアーティ・マグリーンの演奏を聴いてからずっと気になっていた曲。AパートとBパートのテキスチャーの違いが大好きな曲だ。

  • Miss Ramsey

“僕らはCalicoというバンドの演奏から学んだ。かれらは独特なバージョンで演奏しているが、いや、パートの順番が独特であって、メロディは、ほぼくずしていない。落ち着いたいいメロディの曲だ”

 

The Whistler of Rosslea/The Road to Glountane      Reel

  • The Whistler of Rosslea

Martin Hayesの演奏で知った曲だが、Ed Reavyの古い曲だ。とても好きだった曲なので、マーティンと初めてのステージでこれが出た時には気持ちが高揚した。何も言わず突然これを弾き出した時のことはまだ覚えてる。そのまま、今僕らがやっているのとは違うConner Dunn’sという曲に入った。それはCDと同じだったが、いよいよ乗ってきて、そのまま何も言わずBoys of Ballysadareに突入。あまりに乗りすぎたので、珍しく弓を滑らせて、僕のほうを見て「しまった!」という顔をして笑っていた。だが、このセットが終わるとショーの途中にも関わらずオーディエンスが全員立ち上がったくらいの白熱した演奏だった”

  • The Road to Glountane

Terry (Cuz)Teahan’sとしても知られている。長いことホーンパイプだと思っていた。少しゆっくり目にやるといい感じの曲だと思う。そんなことでホーンパイプだと思っていたのかもしれない。彼は幼くして父親を亡くしたが、残されたフィドルやフルートを姉たちが演奏しているのを聴いて育った、という、いかにもアイルランドの家族らしい話も、彼のチューン・ブックのなかで知ることができる”

Irish Music その51

The Bunch of Green Rushes    reel

  • The Bunch of Green Rushes

“とても変わった出だしの、特徴のある曲だ。2パートの場合もあるが、おそらくは後からもう一つパートが付け加えられたのだろう。古い曲だ。29で登場したKylebrackのセットの3曲目に持ってくるといいかもしれない。

Derry Craig Woods/The Cottage in the Glen    Reel

  • Derry Craig Woods

Father Kelly’sとも呼ばれるこの曲。これだからアイリッシュ・ミュージックはやめられないという代表のような曲だ。初めてやった時のこと。2パートめに差し掛かった時、待てよ、どこかで聴いたことがある、と思った。Father Kelly’sと呼ばれる2パートの違う曲に2パート目がほとんど一緒なのだ。でもGから演奏すると片方はAmになるのに対してこの曲はAmajorでないといけないのだ。ほとんど同じメロディだが、C♮かC♯の違いだ。全然違うのだ。そして更に3パート目がやってくる。まさにこういう曲に初めて出会ったとき、ギタリストはどう反応するか…腕の見せどころではある。因みにNollaig Caseyはこの曲でもAmにしている。そんなこともあるのでギタリストとしてはまず、3度を無視してみるのも方法のひとつだ。僕は初めての人と演奏するときには常に相手の出方を伺ってきた。相手が一番気持ちよく演奏できる方法を選ぶのがコツだ。当たり前のことだが。

  • The Cottage in the Glen

“またの名をTommy Cohenともいい、Coen’s Memoriesともいう。Emの美しい曲だ。

初めて聴いたのはDe Danannだったかもしれない。それならばもうずいぶん前、70年代かな。人によってAm Gmの演奏もある。どのキーでもメロディの美しさが十分引き立つ名曲だ。

ブルーグラスとアイリッシュ、新年の雑談

  少し前から、ブルーグラスとアイリッシュは本当に似て非なるものと実感している。

文献によると、ブルーグラスとは、アメリカのアパラチア南部に入植したスコッツ・アイリッシュ(現在の北アイルランド、ウルスター地方にスコットランドから移住した人たち)の伝承音楽を基盤として1945年にビル・モンローが創り出した音楽、とされている。

確か、彼のブルーグラス・ボーイズが初めて来日した時のこと。ショーも半ばに差し掛かり、何かリクエストがあるか?と彼が言った。

日本の人たちは奥ゆかしいので、僕の聞く限りではだれも何も言わなかったのだ。すると彼が計ったように「Oh!Danny Boy…. Danny Boy!… Good」といって勝手に歌い始めた。

元々北アイルランドのデリー州の曲だし、彼の歌いたかった歌であったのだろう。

又、彼のペンになる曲には、その名もズバリ「Scotland」という曲もある。僕は常々、ブルーグラスは多くの面においてアイリッシュよりもスコティッシュに近いな、と思ってきた。もちろんスコットランドとアイルランドの音楽には類似点も多いが。

技術的にではなく、ブルーグラスとアイリッシュの違いを一番顕著に感じたのは、なんといっても初めて接したセッションでのことだろうか。

ブルーグラスのセッションは雰囲気がとことん明るく、アイリッシュのそれは、これでもかというくらい暗かった。というかシリアスだった。

ブルーグラスでは歌の間奏で自分の番がまわってきたら、どんなリックを弾こうかと考え、インストではどんなふうにアレンジするかを常に考える。今度は君の番だよ、みたいな譲り合いの明るさがセッションにはある。そして、この音楽はひとりでは成り立たない。最低4人いる。ま、グリーン・ブライヤー・ボーイズは3人だったが。

アイリッシュは一人でも成り立つ。ギターの場合はギタリストにとっては美味しいエアーやジグ、ホーンパイプなどのセットや少しのリールを弾けば、それはそれで成り立つ。他のリード楽器において伴奏は必要ない、ともいえる。

勿論、一人だけのシンガーとしても成立する。そんな意味ではやっぱりこれは民族音楽そのものだ。ブルーグラスはひとつの音楽形式といえるだろう。

更に、ここ数年のブルーグラスには、ジャズやスウィングの要素と、特にフィドルはひたすらブルース・フィーリングが要求されてきた。スタッフ・スミスやパパ・ジョン・クリーチ、果てはジャン・リュック・ポンティなども随分ブルーグラスに影響を与えてきた。そういう意味でブルーグラスのセッションではテクニックを学ぶ、歌を歌う、コーラスを付ける、ということが目的となる。

勿論そこにはプレイヤー同士の情報交換もある。そこら辺はアイリッシュのセッションでもただひたすら暗いわけでもない。

話し合いも大切な要素であるし、歌も物凄く大切だ。

問題は楽器演奏。ここにブルーグラスのプレイヤーが入るとお互いに悲惨なことになる。そのことはさんざん書いてきている。

アイリッシュのセッションでは知らない曲が出たらひとつひとつの音を注意深く聴く。そして地方によってバージョンもリズムの取り方も変わってくる。そして合奏し、また学ぶ。   

ブルーグラスでは知っている限りの音楽要素の中から特別なリックを展開する。僕が最近注目していることはブルーグラスという音楽の難しさと、アイリッシュの一見、だれにでも出来ますよ、という雰囲気だ。本当は何百年もの歴史のなかで生きてきたとんでもない音楽なのだが。

先にブルーグラスにはジャズやスウィングの、そしてブルースの…ということを書いたが、もちろんアイリッシュでもそれらの知識はないよりもあったほうがよいだろう。

ところが、アイリッシュでは(特に日本では)クラシック的要素があまりに強すぎる。クラシック畑の人達が、美味しそうな曲を選んでは、「アイリッシュの…」と言って演奏する。僕にしてみればとてもアイリッシュとは言えない。単なるバック・グラウンド・ミュージックか、いわゆる勘違いだけなのだ。

また一方、すぐにドラムスやキーボードと共にアイリッシュ的、という雰囲気だけで演奏をしたがる人がいる。

メロディ、フォーム、和声、リズム、全てを無視したものをアイリッシュと称し、単なるイベント音楽と勘違いする人もいる。

そういう人たちの中に、純粋にトラッドをしっかり踏まえている人がなかなかいないのは、日本では仕方のないことかもしれない。

ブルーグラスはたかだか70年くらいの歴史のなかで、アメリカでも日本でも(もちろん他の国でも)飛躍的発展を遂げてきている。

僕の知る限り、ブルーグラス・ボーイズからフォギー・マウンテンボーイズ、バンジョーでは、スクラッグス・スタイルの確立、ドン・レノやエディ・アドコックに代表されるシングルストリング奏法、ビル・キースのメロディック奏法、ジェシー・マクレイノルズのマンドリンでのクロス・ピッキング、クラレンス・ホワイトに代表される、ブルージーでロック・フィーリング溢れるギター奏法、そして、70年初頭のニュー・グラス。この辺からスゥイングやジャズ、また、ロックの影響をごく普通に取り入れるミュージシャンがたくさん出てきた。

そして、過去に聴いたことのなかった音楽、デビッド・グリスマン・クインテットの出現はショッキングな出来事だった。

フィドルも大きく分けてテキサス・スタイルとヴァージニア・スタイルからジャズやオーケストラとの共演までもブルーグラス・プレイヤーがやるようになってきた。

それも、どうみても田舎から出てきて、そんなに多くの音楽知識を得られる環境に育たなかっただろう人まで、実に多くの演奏者たちが素晴らしい音を奏でている。

初めてJ.D.Croweが来日した1975年、一緒に来ていたジェリー・ダグラスのことはまだ知る人も少なく、トニー・ライスが盛んに「ジェリーに拍手を」と言って彼を盛り上げていた。確かにドブロが入っていることでセルダム・シーンのようなサウンドだったような記憶はあるが、その彼が今では一流プロデューサーであり、超一流ドブロ奏者だ。あの時彼はまだ19歳であり、トラッドをしっかりと追従する若者であった。

ブルーグラスにはあまり馴染みのない人達にも是非クリス・シーリーのマンドリン・プレイは聴いてほしいし、マーク・オコーナーの美しすぎる心のこもったテクニックを肌で感じてほしい。

マイケル・クリーブランドの強烈なプレイはクラシックのバイオリン奏者の耳にどう聴こえるのだろう。

ブルーグラスのフィドラーにマーティン・ヘイズやフランキー・ギャビンのプレイはどう聴こえているのだろう。

平塚研太郎がマーティン・ヘイズを見て、ボウイング(弓使い)がことごとく逆でなんだか気持ち悪いくらいだった、と言っていた。

アイリッシュのテナー・バンジョーを見た古橋一晃君が「僕はギターを始めたころ、ピッキングがよくわからなくてこんな風に弾いていたけど、ブルーグラスとは全然違うんですね。あのままやっていたら、もしかしたらアイリッシュ・ミュージシャンになっていたかも」といっていたことと共通しているようだ。

アイリッシュは様々な観点から特殊な音楽だ。セッション自体にしても、生活、文化そのもの、といえるかもしれない。ブルーグラスはアメリカという“ごちゃ混ぜの国”で発展してきた独特な音楽のひとつ、といえるだろう。

どちらも日本では、ケルトっぽいとか、カントリーっぽい、という表現でそれなりに重宝されているようだ。

随分前に、有名な“つんく”がブルーグラスのことを「日本人にはとても難しい音楽です」と評していたが、この人意外とよくわかってるじゃん、と思ったものだ。

最後に、ノエル・ヒルの有名な言葉を書いておこう。

「アイリッシュ・ミュージックには全てがある。エアー、ジグ、ホーンパイプ、リール。音楽に必要なもの全てが揃っている」

2013年 年末、年の瀬、師走

いろいろな言い方がありますが、とに角今年一年、お世話になった皆様に感謝いたします。

 

正月を京都で過ごした2013年。今年もあまり力まず、今まで通りにやっていこうと、特に心に誓うこともなく、京都の冷たい空気を体に受けていた。あの時から、もう1年が過ぎようとしているなんて。

 誰もが言うように「歳取ると時間が早く過ぎていく」というのは、どうやら本当のようだ。おそらく、希花さんと僕では3倍くらい違うのだろう。

 聞くところによると、彼女は15時間くらい眠れるらしい。それにひきかえ、僕は6時間がいいところだ。朝、4時、5時には眼が覚めてしまうことがよくある。

 それで結局、昼寝はするのだが。(しかし、希花さんの場合は15時間寝ても昼寝はするそうだ)

 そのうえ、歳取るといろんなことに文句が言いたくなってくるらしい。 携帯を見ながら歩いているやつには「前を見て歩け」と言いたくなってしまう。

 自転車がすぐ横“すれすれ”をなにも考えずに通り過ぎていけば、こけろー!と念力を送るが、なかなかこけてくれない。

 国会に高価な吉野家ができたと聞けば、お前らそんなところでこれ見よがしに食ってる場合じゃないだろう、と言いたくなるし、その借用書は…と見るもの全てに文句が言いたくなるのは歳のせいもあるだろうか。

 どうせ何も変わらないだろうし、と言って選挙に行かないのもよくないだろう、と思って投票してみれば、なにも変わらないどころか悪くなる一方だ。

 なにかあって今の地位を追われても、どこかにぶらさがっていれば何もしなくても十分お金は入るし、都合よく目立たなくなる。

 おっと、これからはあまりこういうことを言っているとやばくなるかもしれない。放射能はコントロールされている、と言っているが、本当にコントロールされているのはアホな国民だ、と独裁者は考えているようだし。

 

話は変わって、来年早々3月末頃にコーマック・ベグリーがまた来たいと言っている。前回見ることができなかった桜を今回は期待しているようだ。

 あとはジョニー・リンゴとアンドリューが一緒に来たがっている。この夏、クレアーとゴールウェイで一緒にギグをした。

 弟分のアンドリューはさらに磨きがかかってきたようだ…いろんな意味で。リンゴは愛すべき好人物だ。

 彼らのことも考えてみたいが、こちらもアイルランド行きは真剣にかんがえなくてはならない。

 91年のアンドリューとの出会い、マーティン・ヘイズとのギグ、トニー・マクマホンとのツァー、フランキー・ギャビンとパディ・キーナンとのトリオによるツァー、それらの集大成をまたやってみてもいいかもしれない。

 時代は変わったし、ギタリストもいろいろ多彩になってきている。しかし、まだまだ僕自身のスタイルは、それはそれで成り立っているということがここ数年の間で実感できた。と同時にこれからのMareka&Junjiの活動のことも考えなくてはならない。他にないものを創り上げていくために更に努力していかなければ。

 基本的に、アイリッシュ・ミュージックの知識を広げていきながら、自分達なりの音を創り出していく考えは変わらないし、そんなにいろいろなことができるわけでもない。

今年は、自分たちのレパートリーを整理、確認するうえでIrish Musicというコラムで演奏曲目を掲載してみた。豊富なレパートリーと、各曲目に関する歴史的背景などを模索することは大切なことの一つであるし、アイルランドのセッションに於いても一目置かれる存在となりうる。そのうえで、それまで演奏されてきたものと一味違うものを出すことが僕の信条だ。

2014年はどういう年になるだろう。

ありちゃんも、イサトさんも「64歳って体の調子の分かれ目だよ」と言っていた記憶がある。

健康には気を付けているつもりだし、うるさいのが近くにいるので、大丈夫だとは思うが、なんとか元気でいたいものである。

皆さんもどうか元気で新しい年を迎え、元気で新しい年を過ごしてください。

また、どこかでお会いしましょう。

 

追伸:2013年初頭のMusic in the Airそして10月発売になったThe Rambler.これらのCDをご購入下さった方々に感謝いたします。

なかなか各地に出向いていくことが出来ず、ネットでの販売も多くありました。中には返信がうまくいかずに御迷惑をおかけした方もおられると思います。また、ご注文されてから音沙汰がなく、こちらからご案内のメールをお送りしても連絡がつかなかったケースもございます。僕自身コンピューター世代ではないのでよくわからない部分も多々あります。

もしかしたらメールが届いていないのではないか。迷惑メールに入っているのではないか。あるいはライブ会場で購入されるチャンスもあったので、もうネット上では必要なくなったのではないか、返信は不必要とお考えになっているのではないか、等々いろいろ考えてしまいます。

しかしながら、これからもネットでのCD販売を続けていくことに変わりはありません。不具合が生じることもあるかもしれませんが、そんな時にはご一報下さるとありがたく思います。

勿論、ライブ会場でもご購入いただけます。お気軽にお声をおかけください。

おかげさまでThe Ramblerも好評発売中です。重ねてお礼を申し上げます。

Irish Musicその50

Casadh An Tsugain  (Set Dance

  • Casadh An Tsugain

    An Suisin Banという曲だが訳すとWhite Blanketとなる。最初この曲を見つけたとき、どこかで聴いたことのある曲だと確信した。そこで思いだしたのが70年代によく聴いていたBothy Bandのレコードだ。Micheal O’Domhnaillの何とも言い難いほどの素晴らしいボーカルで聴いていたものだ。しかし、セット・ダンスとしてはあまり馴染みがなかった。どこかで聴いたような気もするが。そこで、僕らは彼のボーカルのスタイルからセット・ダンスに持っていこうと考えた。スローで演奏すると、とても美しいメロディがひきたつし、そのあとのセット・ダンスもうんと可愛らしく聴こえてくる”

 

The Coolin/An Chuilfhionn March  Air/Polka

  • The Coolin

    “古いエアーで元々ハープ曲らしいが、僕はBreda Smythから習った。確か、元の大阪サンケイ・ホールの楽屋で急に「これやろうよ。とても有名な曲で、最近みんながやっている」と言って弾き出した。出番の5分ほど前だった。フィドルで弾いても、ギター曲にアレンジしても素晴らしい曲だ。有名な曲なので僕もメロディは知っていた。彼女はこの後The Boys of Malinに持っていった”

  • An Chuilfhionn March

    “多くの人の間で、MarchなのかPolkaなのかが討論されている。僕は多分Tina LechからPolkaとして習った、という記憶がある。もちろんMarchとして演奏する人もいる。メロディはとても可愛らしく、どちらのリズムで演奏しても楽しくなるような曲だ。

    これは、まさしくThe Coolinのメロディをもじったものである。Coolinのアイルランド語表記もAn Chuilfhionnである。もちろん多くの例にもれず沢山の別なタイトルも存在するが”

 

Above and Beyond/Mickey Callaghan’s Fancy    Slow Reel/Hornpipe

  • Above and Beyond

    Diarmaid Moynihanが両親のために書いたとされる非常に美しいリール…と呼ぶよりエアーといったほうがいいかもしれない。彼はCalicoというグループのメンバーであり、又いい作曲家でもある。彼らのCelanova Squareというアルバムは僕のお気に入りの一枚だった。日本のわらべ歌にも通じるところがあるような抒情的なメロディだ”

  • Mickey Callaghan’s Fancy

“この曲はアンドリューのお姉ちゃんであるMaryさんがよくやっていた。僕らもFでやったりGでやったりするが、CalicoのセットとしてやるときはGで演奏する”

Irish Music その49

前回と同じコンセプトでKey of GReelを掲載してみる。

The Swallow’s Nest

  • The Swallow’s Nest

    Paddy O’Brien作のとても美しいメロディを持った曲だ。僕は若いフルートとフィドルのデュオで聴いてからとても好きになった”

London Lassies

  • London Lassies

    “またの名をLondon Lassesといい、フルート奏者に好かれる曲だと言われている”

The Moving Bog

  • The Moving Bog

The Moving Bog of Powelsboro という曲らしい。普通、僕らはThe Moving Bogと呼んできたが、同じタイトルで、もう少し有名な曲がある。これは魅力的なメロディを持った曲だがあまりポピュラーではなさそうだ”

Maud Millar

  • Maud Millar

    “これも同じタイトルで違う曲がたくさんある。こちらのほうはI Wish I Never Knew Youというタイトルのほうで知っている人のほうが多いかもしれない”

Flagstone of Memories   

  • Flagstone of Memories

    Galwayのフルート奏者Vincent Broderickの作。Paddy Keenanのスピード感溢れる演奏が耳に残る”

Ladies Pantalettes

  • Ladies Pantalettes

    “とても古いCo.Clareの曲で、またの名をThe Duke of Leinster’s Wifeといい、長いことこちらのタイトルで知っていた。これはなにかの後で持ってくるほうがいいかな。僕らはSailing Into The Walpole’s Marshという曲の後で演奏する”

Garrett Barry’s

  • Garrett Barry’s

    “これはFで演奏する人もいるようだ。アコーディオン奏者John Williamsのアルバム中、Eoin O’Neillのブズーキ・プレイが印象的で大好きな曲のひとつになった”

The Morning Star

  • The Morning Star

    “これは‘92年のMartin Hayesの印象が強すぎる曲だ。Fで演奏する彼のスタイルが官能的すぎる。もちろん70年代のBothy BandにおけるPaddyのパイプから始まるセットも魅力的だが。とても美しいメロディだ”

Miss Johnson

  • Miss Johnson   

    “これは有名なリールだが、Miss Johnstonとも呼ばれる。またMiss Johnstone’sというジグもあり(詳しくはHop Jig だという人もあり、Slip Jigだ、という人もいる)メロディはとてもよく似ている。どういう経緯でそうなったのかはよくわからない。元々はスコットランドの曲らしい”

Trip to Birmingham

  • Trip to Birmingham

    “またの名をJosie McDermottというが、僕はこちらのタイトルで覚えていた。おそらく‘91年ころにDavey McNevinの演奏で聴いたものだろう。それから何回か、クレアーのケイリ・バンドで聴いた。あまりやる人はいないようだが、結構有名だし、いい曲だと思う”

Irish Music その48

今回はkey of DReelを何曲か取り上げてみる。他の曲とのつながりとしては、いろいろと考えられるが、取りあえず単独でメロディを知っているものの中から。セットとして「これしかないでしょう」というものもあるし、差し替えてもいいものもあるし、たまには気分を変えるために別な曲を頭に持ってきたり、様々なやりかたで練習をする。なかには、知っているけど好みの関係上レパートリーには入れていない、という曲もあるし、やたらと羅列したりはしないつもりだ。

Love at the Endings  (Reel

  • Love at the Endings

    “比較的遅い時期のEd Reavy Tuneということだ。僕はよくアンドリューと一緒に演奏した。覚えやすいいいメロディだ”

Jim Kelly   (Reel

  • Jim Kelly

    “この曲は長いことDick Sherlock’sというタイトルで知っていたものだ。他にもいろいろとあるが、A Night in EnnisというタイトルでバンジョーのKevin Griffinが録音している。このタイトルはいいなぁ”

The Cameronian     Reel

  • The Cameronian

    “これは元々key of Fで書かれたThe Cameronian RantというScottish Tuneだと云われている。セッションなどでも好まれるいいメロディの曲だ”

Lucy Campbell’s     Reel

  • Lucy Campbell’s

 “これも、元はScottish Tuneということだ。StrathspeyMiss. Lucy Campbellとも呼ばれる。Campbell Soupというのはアメリカのニュージャージー州にあるが、もとはスコティッシュ系の人が立ち上げた会社だろうか。僕はその本社があるカムデン(キャムデンと呼んでいた記憶がある)という街でコンサートに出演したことがある。Mick Moloneyと一緒だったと記憶しているが”

Jenny’s Wedding   Reel

  • Jenny’s Wedding

    “素晴らしくスピード感あふれる曲だがBパートがどこにでも存在しそうなメロディで時々わからなくなりそうだ。パディ・キーナンの演奏がすきだ”

The Trip to Durrow   Reel

  • The Trip to Durrow

    “僕は本当に初期のころにこの曲を一生懸命覚えた記憶がある。そういう意味では比較的初心者でも取っつきやすい曲かもしれない。Durrowは、ちょうどアイルランドの真ん中あたり、Co.Offalyにある小さな村のことだろうか”

Irish Music その47

The Scotsman Over the Border/Paddy Fahey’s   Jig

  • Scotsman Over the Border

    “キーオブDのとてもいいJigでティプシー・ハウスでもよくやった曲だ。希花もずっと前から知っていたようなので急きょレパートリーに取り入れた”

  • Paddy Fahey’s

    “数ある彼の作品の中でもあまり知られていないかもしれないが、ストックトンズ・ウィングがよくやっていた記憶がある。特にBパートのメロディが美しくて好きだ。僕らはこの後で「その3」にあるMcIntyre’s Fancyを持ってくる”

 

Log Cabin/Shoemakers Daughter/The New Copperplate/The Old Copperplate  Reel

  • Log Cabin

    “いい曲だが、意外と録音している人は少ないようだ。僕はDe Danannの古い録音から学んだ。The Little Thatched Cabinというタイトルで録音を残している人もいる”

  • Shoemakers Daughter

    “これは有名なEd Reavy の曲だ。ジョディース・ヘブンでも録音した。

  • The New Copperplate

    “特になんの変哲もないような曲だが、やり方によっては趣のある曲だ”

  • The Old Copperplate

    “これはほとんどの場合前曲とセットで演奏されるが、このタイトルでありながら、こちらのほうが後からできた曲のようだ”       

 

今回はこれだけ。そろそろ今年も終わりなので、大掃除もしなければいけないし、なんとなくせわしくなってきた。因みに、僕は「お掃除フェチ」かもしれない。いつも思うが掃除機のコードをしまうと何故途端に残ったごみを発見するのだろう。それはまるで、自分の並んだレジだけがいつまでも進まない、ということによく似ている。さっきまでスイスイ進んでいたのに、なんて。

そんなことを僕はJapanese Murphy’s low(マーフィーの法則)と言っていた。別に日本に限ったことではないが、僕がアイリッシュ・ミュージックをやっていることを知っている白人たちには結構受けたものだ。寿司を食べているとシャリだけが醤油にボトンと落ちる様なとき、そんなことを言っては笑わせた。この法則のことを知らない方はネットなりで調べてみると面白いかもしれない。

何はともあれ、いろんなことをしなくてはならないので、少しペース・ダウンするかもしれないし、何故か急に書き始めるかもしれない。年末とはかくも忙しいものか。

Irish Musicその46

Palm Sunday/Merrily Kissed The Quaker    (Slide)

★  Palm Sunday

“この曲をJigと考えるかSlideとするかでとても悩んだのだが、結局Slideとして載せた。おそらくメロディ・ラインが非常にSlideっぽくて、少し早めに演奏すればそう聴こえてくるだろう。Slideは、またの名をSingle Jigともいう。普段僕等がJigと呼んでいるのがDouble Jigと、まぁ、この辺はダンスをする人のほうが詳しいかもしれない。勿論スピードも、拍の取り方なども違うものだ。PolkaやSlideは僕等のレパートリーとしては非常に少ない。だが、Kerryに行けば否応なしに演奏することになる。ベグリー家の生活のリズムはまぎれもないPolka&Slideだ”

★  Merrily Kissed The Quaker

“この曲はJigだと思っている人も沢山いるだろうが、実はSlideなのだ。Andrewにいわせたら「どっちでもいい」かもしれない。確かに彼はダンサーズが要望すれば、どんな曲でも頼まれたリズムで弾く。とことん知っていて、そのうえで遊び心満載の彼のプレイがとても好きだ。それはさておき、この曲は、たしか‘81年頃に誰かが僕に、あるテープをくれたことがあって、その中に入っていた記憶がある。それはPlanxtyの演奏だった。以来お気に入りの曲ではあったが、一般的に初心者受けする曲、というイメージが強くあってあまり演奏したことは無い。果たして前曲との組み合わせもいいかどうか分からないが、僕等のレパートリーとしては数少ないSlideを取り入れてみた。…Quaker’s Wifeというタイトルでも知られている”

 

The Luck Penny   (Jig)

★  The Luck Penny

“上記のセットのPalm SundayをJigと捉えたら、次の曲はこれでいってみようか、と思ったもの。3パートのとてもいい曲だが、Humours of Ennistymonまたの名をCoppers and Brassという曲にメロディも構成もよく似ているので、時々頭が混乱する。余談だが2パートだとCoppers…3パートまでやるとHumours…という話しだ”

 

 

Ned of the Hill/Munster Bacon/Scully Casey’s  (Waltz/Jig)

★  Ned of the Hill

“これは、Sinead Lohanの唄で聴いて、長い事大好きだったメロディだ。コンサルティーナを手に入れた希花にちょうどいい曲だと思ったのでJigのセットのあたまに持って来た。Bパートになると、どうしてもHector the Heroのメロディが浮かんできてしまったが、それもその筈。今一度Sinead Lohanを聴き直してみると、この歌がそのままHector…に入っていたのだ。確かに良く似ている”

 

★  Munster Bacon

“可愛いメロディの曲だ。僕はGearoid O’hAllmhurain(彼をステージ上で紹介した時、何と発音したらいいか分からず困ったものだ)の演奏で長い間気にいっていた。Munster Grassというタイトルでも知られている。因みにJody’s Heavenはこのタイトルを使っていたかな”

★  Scully Casey’s

“1981年のKevin Burke & Jackie Dalyのアルバム「Eavesdropper」に入っていた美しいジグ。僕はこのLPレコードを古着屋さんのレコード・コーナーで「1ドル」で買った記憶がある。中には「その11」に出てきたBlackbird(Hornpipe)も入っていて、シンプルで素晴らしいアルバムだった。AmのJigこれも希花のコンサルティーナのレパートリーになっている”

Irish Music その45

Sweeney’s Wheel/The Otter’s Holt (Reel

  • Sweeney’s Wheel

Jackie Daly作のこの曲は長い間知っていたけど、すっかり忘れていた。ひょんなことからPatrick Streetの昔の録音物で見つけ、思い出したものである。この音楽に詳しい人なら、いかにもJackie Dalyらしいと思える作品だ。オリジナル・キーはBm

  • The Otter’s Holt

Junior Crehanの作。彼の母親が庭でコンサルティーナを弾いていたら、小川から、かわうそが出てきて聴いていた、という本当の話を題材にして作られたらしい。そういえば、ずっと前、フィドラーのPat O’Connorが自分の生い立ちを話してくれた時もそんなことを言っていた。彼の場合は、月夜の晩にフィドルを弾いていると、野うさぎがいっぱい出てきて聴いていた、というセロ弾きのゴーシュみたいなお話しだった。いずれにせよ、この音楽はそういう音楽である。20年ほど前に、バークレイのソングライター兼シンガーである、ダニー・カーナハンが見事に10拍子にアレンジして一躍西海岸で大流行したものだ。ダニーは僕と組んでいたハンマー・ダルシマーのロビン・ピトリーの元旦那で、グレイトフル・デッドのナンバーを巧みに生かしたアイリッシュ・スタイルのバンド「Wake the Dead」のリーダーであった人だ。尚、僕らはこの曲の代わりに「その34」にあるTear the Calico/Longford Tinkerのセットを持ってくることもある”

 

The Geese in the Bog/Gander in the Pratie Hole/Cook In the Kitchen    Jig

  • The Geese in the Bog

“このセットはティプシー・ハウスから受け継いでいるものだ。キー・オブCの珍しいジグで、これは3曲がストーリーとして組まれている。先ず「沼地のがちょう」だ”

  • Gander in the Pratie Hole

Ganderはやはり「がちょう」だが、この曲での真意はわからない。“間抜けもの”という意味もあるので、なんとも言えないが、「がちょう」とすると、なんとなく沼地にいた「がちょう」が穴に逃げ込んだ、というストーリーが作れる”

  • Cook in the Kitchen

“そして、結局捕まって料理された、という独断と偏見による解釈が成り立つ。あくまで作り上げたストーリーなのであまり真面目に反論されても困るのだが、いいセットだと僕は思う”

Irish Music その44

Tone Jacket   Reel

  • Tone Jacket

“作曲者についてはこのようになっている。Connie O’Connell, a fiddler from Kilnamartyra, Co. Cork. 非常に美しい、しかも覚えやすいメロディーライン持った曲だ。僕らはこの曲を「その32」で掲載したGneevgulliaの前に持ってくることもある”

 

London Lasses (Reel)

  • London Lasses

 “この曲はTone Jacketの次の曲として持ってきて、2曲だけのセットとしてもいいかもしれない。セットを考えるのもなかなか難しい。この2曲は出だしが似ていて、音の進行に関連性があるので選んでいるが、たまに度胆を抜くような曲のチェンジも面白いことがある。と同時に全く合わない曲というのもあるから尚面白いのだ”

 

Sligo Maid/Silver Spear  Reel

  • Sligo Maid

“これは有名な曲のひとつだ。ギター・コードについていろいろ取沙汰されているが、僕はAmから入り、BパートでCを頭に持ってくるやり方が好きだ。実際にはメロディーとの組み合わせでC13thになるが、もしかしたらD7でもいいかもしれない。しかしかなり違う趣になる。ギタリストは要注意だ”

  • Silver Spear

“これも超有名な曲だ。出だしのメロディーはちょっと「お馬の親子」に似ているが、そうならないように演奏することを心掛けなくてはならない。もっともアイルランド人はそう思っていないだろう”

 

Irish Musicその43

Humours of Castlefin/The Templehouse   (reel)

★  Humours of Castlefin

“このセットはTony MacMahonとNoel Hillのアルバムで1曲目に入っていたもので長い間お気に入りだった。まだトニーがアンドリューの伯父さんだということを知らなかった頃からだ。今でも覚えている。彼がバーのカウンターでギネスを飲みながら「トニー・マクマホンのプレイはどう思う?」と訊いてきたので、僕はすかさず「ノエルとのアルバムで聴いている。素晴らしいプレイヤーだ」すると言葉少ないアンドリューがこう言った。「My Uncle you know」

後にトニーとツアーをするようになったのはアンドリューが彼に「ギタリストが必要だったらじゅんじに頼め」と推薦していたからだと知った。さすが親族だけあって性格もよく似ているし、どちらも超Aクラスのアコーディオン奏者だ。曲の方はEagan’sとも呼ばれているが、どのEaganだろう。彼等はダブルでやっているが踊りの為だろうか。普通はシングルみたいだ。でも僕等はダブルが気に入っている”

★  The Templehouse

“この2曲を演奏していると、本当にクレアーの景色が浮かんでくる。トニー、そしてノエルとの演奏、アンドリューとの日々、朝から晩までクレアーのリズムをアンドリューの家で体に入れていたこと。朝起きると咳が聞こえてきて、飲みに行くか、というお誘いがかかる、そんな日々が走馬灯のように浮かんでは、また消えていく。僕の大好きなセットを今、希花が弾いている。きっと彼女にはあの、辺り一面真っ暗な村に夜10時半過ぎると、ポッと灯りが灯るフランのパブが見えているだろう。あの傾いた狭いパブが。このようなトラッド・チューンがこの上なく好きなのだから困ってしまう”

彗星

今年は彗星の当たり年だった、ということで、つい最近もいくつかの彗星が観測できたようです。

そこで思い出したのが「百武彗星」

1996年の3月(調べてみてわかったことですが)、僕とジャックとデイルの3人、そうです「ジョディース・ヘブン」でストックトンという街に演奏にでかけました。

ストックトンはジャックの生まれ故郷。サン・フランシスコから東へ約130キロ離れた小さな街です。

因みにストックトンは静岡市と姉妹都市関係にあるそうです。お茶とみかんはないだろうけど。

その街にあった、これも小さな「Blackwater Café」そこで僕は「ティプシー・ハウス」のメンバーとして‘95年の確か9月にデビューしたのです。1曲目は「Providence」だったと記憶しています。

それからほとんど月に一回のペースでこの小さな街に出かけ、この小さなコーヒー・ハウスで演奏して来ました。

‘96年の3月はシアトルからデイルを迎えての、この地区での初めてのジョディース・ヘブンのお披露目だった、と記憶しています。

9時から始めたライブを11時頃終え、ジャックの古いボルボに乗り込んで帰路に着きました。

その時だったか、彼らの会話に吹き出しそうになったのを覚えています。

ジャック「お米を美味しく炊く方法を知ってるか?」

デイル「さぁ、知らないな」

ジャック「米を洗うんだって」

デイル「へー」

僕「はっはっはっ(笑っている)」

二人「何がおかしいんだ?」

僕「だって、当たり前すぎて」

そんな会話から、今日のあの曲は…などの話し、次はあれやろう、これやろう、とわいわい言いながら、真っ暗な田舎道を走っていました。

田舎道というよりも山道と言った方が妥当かな。とにかくその日、百武彗星が最も地球に接近する、などと言う事はとっくに忘れていました。

カフェを出てから1時間ほど経った時。突如として目の前が明るくなりました。真っ暗な丘とも山とも言えるその陰から百武彗星が顔を出したのです。

尻尾がキラキラと輝いて、とてつもなく大きな光の塊がゆっくりと動いています。「ジャック、山の上に登ろう!」僕とデイルが叫びました。

ジャックも一目散にアクセルを踏みます。

彗星はいつものジャックくらいゆっくりと動いています。そしてジャックよりも大きな体で沢山の子分の星を引き連れて、悠々と空の散歩を楽しんでいるようです。

僕等はしばし、誰もいない真っ暗な山の上から宇宙の神秘を見つめていました。時間にして20分くらいだったかな。

そして、段々小さくなっていく彗星の後を追うようにして帰路につきました。

これが、僕にとって今まで見た一番大きな星でした。おそらくこれからもあれだけ大きな彗星を見ることはないかもしれません。

Irish Music その42

The Humours of Tulla/ Skylark/ Roarin’ Mary/ Swinging on the Gate/

Rakish Paddy/The Chicago/The Gooseberry Bush/Janine’s/

Richard Dwyer’s/Dougie MacDonald’s/Kit O’Connor/Tommy Peoples/

Tom Ward’s Downfall/Hunter’s Purse/Dinny O’Brien/Fox Hunter’s  (Reel)

 

この長いセットはずいぶん前に冗談のようにして作ったものだ。これだけの曲を途切れなしにリールのセットとして考えてみた。

やってみたらなかなか繋がりが良かったような気がする。

★  The Humours of Tulla

“僕はBattlefield Bandの演奏からこの曲を知ったが、後にアンドリュー・マクナマラとよく一緒に演奏したものだ。このあとの2曲共にタラ・ケイリ・バンドのおきまりセットである”

★  Skylark

“メロディが美しく大好きな曲のひとつだ”

★  Roarin’ Mary

“大体これまでの3曲はセットで演奏されることが多い。ジョー・クーリーをはじめ、クレアーのお決まりでもある。僕はアンドリューからとことん仕込まれたリズムが大好きだ”

★  Swinging on the Gate

“Katherine Brennan’s Favoriteという同じメロディを持ったホーンパイプがあるが、僕はずいぶん前にブルーグラス・バンドで聴いたことがあったが、それはリールだった”

★  Rakish Paddy

“ずいぶん有名な曲で、映画「タイタニック」の中でも主人公達が急いで船に乗り込むシーンなどにふんだんに使われていた。元々はスコティッシュ・チューンで3パートのものあり、4パートのものあり、挙句の果てに6パートのものも存在するらしいが、僕は2パートで充分のような気がする”

★  The Chicago

“この曲も80年代からストックトンズ・ウィングでよく聴いていた曲だ。ただ、メロディラインがあまり好きなタイプの曲ではないが、非常にポピュラーだ”

★  The Gooseberry Bush

“この3パートのリールは大好きだ。ギタリストにとってもなかなかにおもしろい。それぞれのパートに深い味わいがある”

★  Janine’s

“Jim Sutherlandよって書かれたGmのエキサイティングな曲。僕はDeclan Coreyから習った”

★  Richard Dwyer’s

“これは別なタイトルもありそうだが、僕はブリーダ・スミスに教わったこのタイトルを使っている”

★  Dougie MacDonald’s/Kit O’connor/Tommy Peoples

“この3曲はすでに「その38」に掲載されている”

★  Tom Ward’s Downfall/Hunter’s Purse/Dinny O’Brien

“この3曲も「その24」に掲載されている”

★  Fox Hunter’s

“これは「その20」で出ているが、このセットを考えた時にはGで1回、Aで1回、Gに戻って1回、さらにAで2回やった。これはアンドリューお得意のやり方だ。このセットで最初からFox Hunter’s以外の曲を2回づつやると、約22分になる“

Irish Music その41

今回は、僕等が練習している時、わざとよく似たものをセットとしてではなく、ただくっつけて弾いてみたりする曲をいくつか載せてみた。適当に崩すわけにいかない厳しさを覚えるために、僕等はよくこういうことを練習の時にやってみたりする。あんまり似ているのでギターも気を付けて弾かないと違いが出ない。

まずキーオブDのポピュラーな曲3曲から。

Providence    (Reel)

★  Providence

“Michael ColemanとLad O’Beineがロード・アイランドからニュー・ヨークに向かう汽車のなかでこのメロディが浮かんだという。ちょうどプロビデンスに差しかかった時、あるいは目的地がプロビデンスだったか。しかしこの曲を書いたのはCo.Mayoのフィドラーで殆どをニュー・ヨークで過ごしていたJohn McGrathだ。そしてもともとは彼の出身地であるRossportの名前を付けてRossport Reelと呼んでいたそうだが、コールマンが付けたこのタイトルのほうが有名になってしまった”

 

Dowd’s No9     (Reel)

★  Dowd’s No9

“SligoのフィドラーJohn O’Dowdの作品といわれている。他に8作品あるかどうかは定かでないらしいが、この9番は有名だ。DervishのSeamus O’Dowdはひ孫に当たるということだ”

 

The Cedars of Lebanon    (Reel)

★  The Cedars of Lebanon

“Sean Ryan(Offaly)の作。ずっと好きな曲だったが、タイトルを忘れていたところ、Doolinのセッションで最初にテリーが弾いたことによって、全てが蘇った”

 

 

Ah Surely!     (Reel)

★  Ah Surely!

“Seamus Tanseyのライナーによると、かなり古い曲で、書いたのはSligoのフルート奏者Willie Sneeという人物らしい。この曲はGで演奏されるのでまだこんがらからなくて済むが、前の3曲とひっ付けたりすると、時々Bパートがどうなるか忘れてしまいそうになる。多分“その13”に登場したGeorge White’sあたりと一緒にやると、もっと分からなくなる危険性もある。他にもすでに登場しているBucks of OranmoreとLast Night’s Fanなんて一緒にやったら分からなくなりそうだし、そういう曲は数限りなくあるので、それはそれで面白い”

サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

奇跡の再会から2年。今回はメールで数回のやり取りをしていたので、20日午後5時に会場であるミューズ川崎に向かう。

サイモンは僕と希花に大きなハグをしてくれて「よく来てくれた。今からリハを見てくれ。君たちの席も用意してあるぞ。ところで元気か?」と本当に気さくに接してくれる。

僕みたいに昔から気軽に付き合ってきた人間とは気楽に話せるのだろうか。いや、彼は誰にでも愛嬌があって結構気を使わせない人なのかもしれない。

しかし希花にしてみたらこれは夢のようなことかもしれないのだ。ベルリン・フィルのリハーサルを、しかもサイモンが「僕についておいで。どこに座ってもいいぞ。全部君たちの席だ」と笑いながら言ってくれる。そんなことが実現するなんて考えてもみなかったはずだ。

コンサートはやはり素晴らしかった。隣には彼の奥さんと8歳の男の子。客席の人達は誰もが陶酔して聴き入っている。とはいっても僕はあんまり詳しくない。オーケストラの指揮者ってよくわからないのだ。

演奏者たちの素晴らしさはわかる。

ともあれ、指揮棒を振っているサイモンを見るのは初めてだった。すしを食べながら無邪気に遊んだり、僕のギターやバンジョーに合わせて机を叩いたりしている姿くらいしか知らなかったのだ。

希花はさすがにオーケストラ経験があるだけに、サイモンの素晴らしさが良く分かるようだ。勿論団員たちの素晴らしさも。

サイモンは夜の飛行機でバケイションに飛び立って行った。その前にありがとうを言って、再会を約束した。

「今度はもっと時間をつくってゆっくり会おうな」サイモンはそう言って沢山の人に囲まれて去っていった。

「クラシックをやっていたら叶わなかったようなことがアイリッシュをやっていてどうして…?」と前回そう言った希花の言葉が蘇った。

 

Irish Music その40

Cooley’s/Bantry Bay (Hornpipe)

★  Cooley’s

“Paddy O’Brien作のホーンパイプだがJoe Cooleyがとても気に入って演奏していたのでこう呼ばれている。とてもいい曲で僕等のお気に入りでもある”

★  Bantry Bay

“The Little Stacks of Wheatと呼ばれることもあるが、それはそれでちがう曲が存在する。それというのもPaul BradyとAndy Irvineのアルバムでこうクレジットされているから、らしい。まぁそこそこあることではある”

 

Tom Billy’s/The Castle/The Cliffs of Moher/Farewell to Erin  (Jig/Reel)

★  Tom Billy’s

“De Danannの演奏で70年代から大好きだった曲。3パートをどういう風に弾き分けるか、ギタリストにとっても非常にきめ細かい神経が必要なおもしろい曲だ”

★  The Castle

“Sean Ryanというタイトルのほうが一般的かもしれない。前の曲からこの曲にチェンジする時がとても好きだった。De Danannのセットだ”

★  The Cliffs of Moher

“クレアー・スタイルの有名な曲。一時リールとして演奏することが流行ったりしたこともあった。

★  Farewell to Erin

“僕等はここからリールに突入。名曲中の名曲かもしれないが、ギタリストが最も気を付けるべき曲のひとつではないかと思う。4パート全てが違うのだ。いや、ほとんど同じだ。だからこそ違うのだ。なんだか「バカボンのパパなのだ」みたいだが、こういう曲でギタリストがどう弾くかを聴いてみると、その音楽に対する理解度が解ってしまう。全ての音の進行、そしてリズム、どこをとっても興味深い、やりがいのある曲だ。長い曲だが、もし4回、5回やるとなると、どうするか…。マーティン・ヘイズと二人で5回以上やったことがある。彼が異常に乗ってきて止まらなかったからだ。そのようにリード楽器奏者を高揚させていくのも面白い”

 

追加:The Castleの後でThe Nightingaleという同じくSean Ryanの曲を持ってくるのが一般的でポピュラーなセッションでのやりかたかもしれない。そんなことも知っておくと便利だと思う。

アイリッシュ・ミュージック ギター・スタイル 代理コード

日本語でいうと代理コードとなるがsubstitution chordといわれるもので、この音楽ではあまりいい意味では使われない。

メロディをよく聴かずに自分のためにだけギターをかき鳴らすタイプの人達がよく犯す間違いだ。

ジョン・ヒックスくらいでないとなかなか言ってくれないが、もし良く分かっていないのなら、アイリッシュ・ミュージックに関わるべきではない。

リード楽器の演奏を注意深く聴きながら、この音に対してはこの和音を使うべきではない、これは許されるだろうが彼(彼女)は好きだろうか、などと考え、相手の出方を見る。

先日、久々にデイル・ラス、そしてトム・クリーガンのトリオで演奏したが、半分ほど知らない曲や、聴いたことはあるけどやったことが無い曲、というものがあった。

そんな時はひたすらよく聴くのだ。例えばAパートを聴きながら彼らのリズムと音の進行を聴く。もし、聴いたことのない曲だと、Bパートで5度にいく可能性もあるし、更にCパートもDパートもあるかもしれない。とても危険だ。

ただほとんどの場合Bパートを聴けば、その次にどういうメロディがくるかの予想はつくが、多くの人はこういう時、訳も分からず代理コードを使ってみたりする。

和音(コード)は、使ってみたりしてはいけないのだ。

そこに確固たる理由がなければいけないのだ。

僕はKid on the Mountainという曲の4パート目にAmを使う。キーはEmだ。これは普通のチューニングでは得られないDADGAD独特の響きを利用する。

しかし、今回のトリオではパイプがいる。その場合ドローンが存在するから、もしかしたらAmが邪魔になるかもしれない。ただ、ここでAmを使うことで4パート目からぐっと違う世界に持って行くことができる。もしここでEmを使うならばビートの打ち方を変えたほうがよいかもしれない。その方が曲にメリハリがつく。

そんなことをこの曲が始まった時から考える。

僕はほとんど全ての曲でこんなことを考えている。

今回のMorning DewではA7(代理コード)は使わなかった。いつもは3回目に使うが、このトリオには合わないかもしれない。そう思ったら自分の満足のために使うべきではないのだ。

とことんEmで彼等と共通の世界を創り出す。そのことに専念すべきだ。

日本で人気のあるギタリストはジョン・ドイルとドナウ・ヘネシーだろう。彼等はとてもいいギタリストだが、なぜか彼らをフォローしている人達の多くが勘違いをしている。

彼らのスタイルは決して代理コードいっぱいの適当ギターではない。ひたすらかっこいいが、実によく計算されている。

ギタリストはギターを置いて、今一度Michael Coleman  James Morrison  Seamus Ennis  Patrick Touhey  Paddy Killoran  Joe Cooleyなどの演奏に耳を傾けるべきだ。

Irish Music その39

Paddy Mills’ Fancy  (Reel)

★  Paddy Mills’ Fancy

“この曲にもいろいろなタイトルが付いているが、どれも彼の名前から始まる。それはDelightだったりSpecial Dreamだったり、そんな意味ではまぎれもなく彼の作品だ。なんかいいメロディ、ついつい弾きたくなるような曲だ。僕等はよく「その26」に登場したThe New Mown Meadowの前にやっている”

 

My Love is in America/Heathery Breeze  (Reel)

★  My Love is in America

“とても古い曲で、かつ、とてもよく知られた曲だ。2002年くらいにMick Moloneyとのコンサートで演奏したことがあったが、これとColliersという曲とは余りにもよく似ているのでわざと二つを一緒に演奏した。その時はダブル・バンジョーだった”

★  Heathery Breeze

“元々のタイトルはHeathery Braesではないか、と言われる。Braesは丘や堤の斜面、あるいは側面、という意味がある、主にスコットランド地方で使われる言葉らしい。

僕はこの後で「その12」に登場したCongressを持ってきて録音したことがある”

 

The Long Drop/The Guns of the Magnificent Seven   (Reel)

★  The Long Drop

“シアトルのフィドラーRichard Twomeyという人によって書かれた曲、ということだが、僕はRandal BaysとJoel Bernsteinの素晴らしい演奏でよく聴いていた。Joelは「その19」に登場したThe Messengerの作者。JoelとRandalは共に僕の大好きなミュージシャンだ”

★  The Guns of the Magnificent Seven

“これは言わずと知れた(と言っても、僕等の世代には)荒野の7人という映画のタイトルだ。ジョン・スタージェス監督の名作で、元々はクロサワ作品「7人の侍」を真似て作った映画だ。いつも、7人は誰が演じたかな、と考えてしまっていたけど、今のネット社会なら何の問題も無く解決してしまう。だから良くないのだろう。一生懸命探しに出かけたり、考えたりしなくてもいいわけだ。曲の方は映画とは無関係だがFintan McManusというフルート奏者によって書かれている。尚、このタイトルを付けたのはSeamus Eganだという説があるが、彼のバンジョー・プレイは絶品だ”

Dale Russ Tom Creegan Junji Shirota

Dale Russ  Tom Creegan  Junji Shirota

3人による関東での演奏が終わりました。下北沢ラ・カーニャ、越谷おーるどタイムに出向いていただいた皆さんに感謝いたします。

60年代、この目でみることが叶わなかったミュージシャンたちが来日すると、学校を休んでまでも並んで見に行った。聴きに行くというか、見に行くというか…。

70年代でもそうだった。刺激を受けたかった。自分の求める音楽を少しでも体に感じたかった。

今、海外からミュージシャンが来てもよほどコマーシャルに乗っていない限りなかなか集まってもらうのが難しい。

そういえば今、ポール・マッカートニーも来ているし、来週はサイモン・ラトルもやって来る。

デイルはやっぱり素晴らしいフィドラーだ。ジョディース・ヘブンで一緒に回っていたころを想い出す。

トムとはシアトルで一度会っただけで、一緒に演奏したことはない。だが、僕にとってはそんな経験は当り前のことだった。

二人はサファリング・ゲールで長いこと一緒にやっているので、そのサウンドに合わせていけばいい。そんな気持ちで挑んだ。

奇しくも横浜でフィドルを持ったひとりの男性が僕を呼びとめてこんなことを言ってくれた。

「まるで会話をしているようにギターを弾くんですね。こういう演奏を聴くのは初めてだった」

それこそが僕の求めるアイリッシュ・ミュージックに於けるギターの当然の役割である。

初めて一緒に演奏するトムの紡ぎ出す音の一つ一つ、体から生まれるリズムを感じながらどんなコード、どんなビートで彼の世界を共に表現するか、そして時として聴こえない音を創り出す、時として勝負を挑む。デイルとトムとの音楽による会話、というものが少しだけでも出来たことが、今回僕にとって嬉しい事だった。

ラ・カーニャの岩ちゃん、それからおーるどタイムの椋野さん、企画をしてくれた高橋さん御夫妻、ありがとう。

Irish Musicその38

Dougie MacDonald’s/Kit O’Connor/Tommy Peoples’  (Reel)

★  Dougie MacDonald’s

“多くの人はSolasで覚えた曲だろう。その昔James KellyとZan MacLeordのアルバムにも入っていたそうだが記憶にない。それくらいSolasの演奏が印象深いものだったのかもしれない。作った本人はBroadcove Bridgeとよんでいたそうだが、何故か彼の名前がタイトルとして浸透している”

★  Kit O’Connor

“この曲に関してはなんの情報も得られなかった。ただかなり前からアメリカの西海岸では演奏されていたもので、ティプシー・ハウスのレパートリーでもあったものだ。確かにみんなこのように呼んでいたが、それも明確なことではないかもしれない。とてもいい曲だが、以後誰かが演奏しているのを聴いたことが無い”

★  Tommy Peoples’

“トミー・ピープルスという名が付いているが、彼の作品ではないそうだ。アイリッシュではよくあることだ。Jenny Nettle’s FancyとかPaul Montague’sとも呼ばれている。 Bmで始まるAパートが特に美しい”

 

Cape Breton Fiddlers’ Societys’ Welcome to the Shetland Islands/The Contradiction/

President Garfield’s (Reel)

★  Cape Breton….

“いい加減にしてくれというくらいのタイトルだ。それにいい加減にしてくれというくらい別なタイトルも存在する。Shetland とCape bretonが逆になったものもある。作者はShetlandのWillie Hunterだ。70年代に持っていたスコティッシュ・フィドル・オーケストラのアルバムでよく聴いていた曲”

★  The Contradiction

“とても歴史の深い、そして超絶テクニックが必要な曲だ。1800年頃William Marshallによって書かれた、とされている”

★  President Garfield’s

“元々はホーンパイプ。だが、前の曲からのチェンジがとてもかっこいいのでこれを持って来てみた”

 

Irish Musicその37

Miller of Droghan/ Music in the Glen  (Reel)

★  Miller of Droghan

“スロー・リールという感じで演奏しても趣のある美しい曲だ。僕らはGで演奏するが、僕は敢えて2フレット目にカポをして弾いている。そうすることによってサビのEmが俄然生きて来る。コードに含まれる音の配列を考慮に入れてみるとそういうことがよくみえてくるはずだ”

★  Music in the Glen

“セッションでもよく登場するポピュラーな曲。前の曲同様にスロー・リールとして演奏しても趣がある”

 

The Hawk/MacArthur Road/Sitting on the Throne (Reel)

★  The Hawk

“これはもともとホーン・パイプとして知られているが、Beginishの録音ではリールとして演奏していた。それがずっと頭から離れなかったので、いつのまにかリールだと思ってしまった。更にShetland Fiddlerという曲がソースになっていると思われるので、その辺からも混乱していたのだが。どちらにせよBパートのメロディが印象深く、どうしてもレパートリーに取り入れたかったものだ”

★  MacArthur Road

“Dave Richardsonのペンになる曲。この人Key of Eの曲が好きなのかな。因みにCalliope Houseがそうだ”

★  Sitting on the Throne

“James Kellyのペンになる非常にエキサイティングな曲。出だしから他とは少し違うテキスチャーをもった面白い曲だ”

 

Dublin Reel  (Reel)

★  Dublin Reel

“セッションでもよく登場する人気の高い曲。3パートで一般的にはKey of Dだが、Gで演奏する人達もいるようだ。この曲を僕等は34で出たGlass of Beerの前に演奏することもあるので、敢えて1曲だが載せておいた”

 

Irish Music その36

Pigeon on the Gate/Trim the Velvet (Reel)

★Pigeon on the Gate

“Kevin Burkeで聴いて以来、何故かこの音楽の代名詞的な曲だと感じてしまうくらい大好きな曲だ。この曲に関してはギターはあまり小細工せず、メロディーに忠実に伴奏したいと思ってしまう。何度も登場するが、東京のフィドラー“モハーさん”が久しぶりに見せてくれたKevin Burke とMicheal O’DomhnaillのOhio Universityでのライブは穴のあくほど見つめたもので、この曲から入る最初のセットで、もう胸が締め付けられ、身動きができなかったほどだ“

★  Trim the Velvet

“なんといってもMichael Colemanの演奏だろう。個人的に好きなのだが、決してスーパー・プレイではないし、どう聴いても上のCのノートは可哀そうなくらいに外れている。しかし彼のプレイを聴いてニュー・ヨークのアイルランド移民たちが涙を流したということがよく分かる。僕らでさえ涙なくしては聴けないものだ。希花にもずっと弾き続けてもらいたい曲のひとつだ”

 

Flatbush Waltz/The Shepherds Dream/Onga Bucharest  (Waltz/Reel)

★  Flatbush Waltz

“ブルーグラス・マンドリンの異端児Andy Statman作のいかにもユダヤ音楽らしいメロディだ。彼はクレズマー音楽の管楽器奏者でもあり、また、普通のブルーグラス・マンドリン奏者が使わない、ティアー・ドロップ型の丸穴タイプを使っていたが、その独特な音色と独特なリックは言葉で表すことが難しかった。マイナーの美しい抒情的なメロディをもった曲だ”

★  The Shepherds Dream/Onga Bucharest

“De DanannがJewish Reelとして演奏していたものだ。2曲セットなのでこのように表示したが、これもAndy Statmanの曲らしい。1987年のDe Danannの録音では正式なタイトルは記載されていなかったが、その演奏は凄まじいものだった。僕は1986年にアメリカで彼らの演奏を見ているが、その時にも既にレパートリーに入っていた最も印象深かった曲のひとつだ。マーチン・オコーナーのアコーディオンとフランキー・ギャビンのフィドルが強烈にすっ飛ばす。僕等は多分、2011年の10月くらいからこの曲をレパートリーに取り入れ出した。二つの楽器が絡む様をフィドルひとつで表現してくれ、というのは無謀ではあったが、見事に自身のレパートリーとして成り立っている。これにはメアリー・シャノンも、張本人であるフランキーも度肝を抜かれたようだ。You Tubeに初めて希花とフランキーをひき合わせた時にこの曲を演奏している画像がのっているが、フランキーも久しぶりなのに、強烈なハーモニーですっ飛ばしてくれた。この曲をフィドルだけで弾くのは希花くらいだろう。アイルランドでも他の人の演奏で聴いたことは無い”

Irish Music その35

March of The King of Laoise  (Jig)

★ March of The King of Laoise

”そんなによく演奏する機会はないが、希花のハープに於けるレパートリーのひとつだ。スコットランドが起源の曲。僕はよく結婚式で、ハーピストやフルート奏者、パイパーなどと一緒に演奏した。単純だが、美しい子守唄のようなメロディで少し眠たくなるような曲だ”

 

Chanter’s Song/The Maids of Mitchelstown  (March/Reel)

★ Chanter’s Song

”ずいぶん前にKim Robertsonのハープ演奏で聴いたことがある。幻想的なメロディのとても好きな曲のひとつだ”

★ The Maids of Mitchelstown

”この曲はなんといってもThe Bothy Bandだろう。初めて彼らのアルバムを手にした頃から、完全に彼らの世界に入り込んでしまった珠玉の演奏だった。普通はリールとして捉えられるのだが、彼らはスロー・リールにアレンジしている。そしてそのアレンジが他に無い斬新なものであり、また素晴らしいものだった。あまりに彼らのイメージが強すぎて普通に演奏しても他の曲に聴こえてしまうくらいだ”

 

John Nee’s/The Gravel walks  (Reel)

★ John Nee’s

”またの名をHarvest Moonといって、Paddy O’Brienによって書かれた曲だ”

★   The Gravel Walks

”おそらく最も有名なセッション・チューンのひとつだろう。初心者にもそんなに難しい曲ではないと思うし、非常に”のれる”タイプのものでもある”

 

The Golden Keyboard/The Reel of Rio/Dublin Porter  (Reel)

★   The Golden Keyboard

”Martin Mulhaireの作。よくジャック・ギルダーがフルートで吹いていたので、なんとなくフルートにぴったりの曲だな、と思っていたがフィドルでもバンジョーでもとても奇麗なメロディが引き立つ曲だ”

★ The Reel of Rio

”Sean Ryan作のポピュラーなセッション・チューン。リオはリオ・デ・ジャネイロのことらしい”

★    Dublin Porter

”ダブリンに着くとついつい口から出てしまうのがこの曲。でもアイルランドのポーターなんて、どこに荷物を持って行かれるか分かったもんじゃない。何はともあれ、むかしから大好きだった曲。随分古くからあるメロディだと思うが”

Dale Russ&Tom Creegan来日

Dale Russと Tom Creeganがやってきます。

関東ではギターを城田純二が担当します。

 

Tom  Creeganとはシアトルで数回会った記憶があります。個人的に良く知っているという仲ではありませんが、イーリアン・パイプスの名手として西海岸を中心に、長年に渡り活躍している人物です。

Dale Russはご存知、僕とともにJody’s Heavenで活動。97年に全世界アイリッシュCD製作部門に於いて3位を獲得しました。

彼が元々ブルーグラスのギタリストであったことも、僕にとっては偶然の一致でした。

アメリカで最も素晴らしいアイリッシュ・フィドラーの一人、という彼とグループを組んでいた僕にとっても、懐かしい音を紡ぎだせそうです。

また、長きにわたって活動を共にしているDaleとTomのコンビも聴きのがすことができません。

詳しくはこのホーム・ページのLive Sheduleをご覧ください。

Irish Music その34

Brown Coffin/Rodney’s Glory  (Hornpipe)

★  Brown Coffin

“1898年出版の書籍にはThe Factory Smokeというタイトルで掲載されている、ということだが、Martin HayesはこのBrown Coffinというタイトルを使っていた為に、多くの人はこのタイトルで知っている”

★  Rodney’s Glory

“古くはディビッド・ブロンバーグのギター演奏で覚えたホーンパイプ。セット・ダンスというカテゴリーにも入ると思う。前の曲とのつながりは、ちょっと似すぎていて混乱の素となる可能性があるが、どちらも美しいメロディだ”

 

Tear The Calico/The Longford Tinker   (Reel)

★  Tear The Calico

“Rip The Calicoともいう曲。いいメロディを持ったスピード感あふれる曲だ”

★  The Longford Tinker

“ほとんどJenny Dang The Weaverというスコットランドの曲と一緒だ、という説がある。確かによく似ている。このセットはティプシー・ハウス時代によくやったものだ”

 

The Green Groves of Erin/The Jolly Tinker  (Reel)

★  The Green Groves of Erin

“ボシー・バンドの幻想的なキーボードのイントロが好きで、1975年くらいから大好きだった曲”

★  The Jolly Tinker

“5パートあるこの曲はギター奏者にとっても考えるのにもってこいの曲だ。各パートごとに独特なテキスチャーがある素晴らしい曲だと思う”

 

Within A Mile of Dublin/The Glass of Beer/Dick Gossip’s  (Reel)

★  Within A Mile of Dublin

“やはりBarney McKennaの演奏が最もよく聴いたものだろうか。フランキー・ギャビンが猛烈なスピードでやっていたものもあった。東京のフルート奏者Mr.Slainteはこの曲の後にTyrone Ashplantを薦めている。確かに一理ある”

★  The Glass of Beer

“僕等は敢えてこれをもってきたが、これはとても楽しい曲だ。多くの録音が残されているが、僕はストックトンズ・ウィングのライブ盤でよく聴いていた”

★  Dick Gossip’s

“これも僕等は敢えてBパートから入っている。そうすることによって前の曲とのつながりがとてもエキサイティングに聞こえる。これは見事なチェンジだが、このアイディアはジャック・ギルダーからいただいた。因みにタイトルだがThe Castleとしても知られている”

Irish Musicその33

The Mullingar Races/Maple Leaf/Five Mile Chase  (Reel)

★ The Mullingar Races

”思えば、希花に最初に教えたセットかもしれない。この曲の出だしのメロディが好きで、よく頭に浮かんでいたからだ。ずっと前、Mullingarを通過した時もついつい口からこのメロディがでてきたものだ。トラッドらしい大好きな曲のひとつだ”

★  Maple Leaf

”Darach De Brunという人物が、自身の結婚式の為に書いた、という曲。ダブリンのMaple Hotelで行われたので、この名前にしたそうだ。Aパートは美しい。Bパートは単純といえば単純だが、このEmで始まる曲、ほとんどEmでしかないのだが、BパートはAm始まりでもいいのではないか、と思う。ただし同じAmでもこのコードの響きはDADGADでないと出ないものかもしれない”

★  Five Mile Chase

”1886年頃のコレクションにも登場するくらい、古い曲だと言われる。この3曲のセットは昔から好きでよくやっていたものだが、希花ならすぐ把握できるだろうと、これを選んだ。とにかくトラッドを沢山覚えて欲しい、という僕の願いの最初のセットだったが、これから先が希花にとって大変だっただろう”

 

The Cat in the Fiddle Case/Gypsy Princess (Barn Dance)

★  The Cat in the Fiddle Case

”次のアルバムのタイトルはこれで決まり…かな。The Sessionのサイトにコメントを送っている、Mr.Gian Marcoの作。本名かペンネームかはわからないが、彼にお礼を言いたいくらいにとてもかわいらしい曲だ”

★  Gypsy Princess

”コーマック・ベグリーがよく弾いていた曲。もともとニュー・オーリンズあたりのケイジャン音楽だという説もある”

Irish Music その32

Hand Me Down The Tackle/Cooler’s Morning Dew  (Reel)

★ Hand Me Down The Tackle

”初めて聴いたのは、もしかしたらNoel Hillの演奏だったかもしれない。アルバムではPure Dropとクレジットされていた。他にもTom Steeleというタイトルで知られている。結構気持ちよく音が飛んでいて、いい曲だ。僕らはこの後に以下の曲をもってきたが、その音のつなぎがとても気に入っている。確かアコーディオンのJohn Williamsがライブで、別な曲だったが同じつなぎをやっていた”

★ Cooley’s Morning Dew

”これは有名なMorning Dewと考えていいだろう。変な言い方だが、Morning Dewという曲自体、様々なやり方がある。Bパートから入るのが非常におしゃれな時もある。このCooleyのバージョンはそれに似ている。いずれにせよこの上ない名曲で、どのようにもアレンジでき、またかっこよくすることができる。多分若者達はこういう曲にパーカッションやチョッパーベース、キーボードなどが入ればもっとかっこよくなる、と思うだろう。しかしこのようなシンプルで美しい曲をまず、いかに基本的に演奏するかがとても大事だと僕は思う。機会があれば、ケビン・バークとミホー・オドンネルの演奏を聴いてみるといい。胸が痛くなるほどの感動を覚えるはずだ”

 

The Maid Behind The Bar/Gneevgullia/Miss Brady’s

★ The Maid Behind The Bar

”ブルーグラスでもたまに演奏される。70年代によく演奏したBilly in the Low Groundはほとんど同じ曲ではないか、と思われる”

★  Gneevgullia

”変わったタイトルだが、Co.Kerryにある小さな村の名前らしい。非常に美しいメロディの3パートのリールだ。アイルランドでもよくセッションで登場する。またThe Pride of Rathmoreというタイトルでも知られているそうだが、こちらもRathmoreというちいさな場所の名前であり、双方はとても近いところに存在するということだ ”

★ Miss Brady’s

”コードはAから入り、すぐにDにいき、そしてBパートはEmになる。こちらのパートを先にもってくる人もいる”

Irish Music その31

Faymoy Lasses/Bunker Hill/John Dwyer’s (Reel)

★  Faymoy Lasses

“誰がいつ頃書いた曲かはっきりしたことは分からないが、1907年にはすでに楽譜として出版されているので、トラッド扱いにしてもいいだろう。AパートはEm BパートはGで、特に出だしは“3連符の天国”といわれる”

★  Bunker Hill

“これも前の曲と同じく1907年には採譜されているものだ。このセットはDale Russが好んで使っていた。

★  John Dwyer’s

“前の曲とのつなぎはAndrewから頂いた。とてもつながりが良く、彼のいたずらっぽい顔が目に浮かぶようだ”

 

Drunken Sailor  (Hornpipe)

★  Drunken Sailor

“美しい5パートのホーンパイプだ。昔からとても好きだったので、希花が大好きな曲だと聞いた時には驚いた。それなりに弾くにはとても難しい曲だと思う。テクニックではどうにもならない曲のひとつだろう”

DADGADはレイジー・チューニングか?

DADGADのことをLazy Tuningと呼ぶ人が多くいるようです。特にアイリッシュの伴奏としての使用に限ってですが。

ピエール・ベンスーザンやアル・パトゥウエイ(日本語表記はわからないが、ワシントンDCではよく彼と一緒にステージをやったものだ)等の演奏には当てはまらない言葉です。

なにはともあれ、初めてランダル・ベイズに会った時、彼が冗談でLazy Tuningだよ、と言っていました。しかし、彼のギター・プレイにおける余りにも美しい音使いを聴く限り、それは謙遜による冗談でしかない、ということはすぐにわかります。

マーティン・ヘイズとランダル・ベイズによる‘92年のファースト・アルバムは今でも僕のフェバリットのひとつです。もちろんケビン・バークとミホー・オドネルも。

たまにリード楽器の人がギタープレイヤーに関してLazy Tuningの使用者として揶揄するのには勿論ギタリストの方にも責任はありますが、おそらくそのようなリード楽器の演奏家たちの音楽知らず、というところによるものでしょう。

確かにギタリストにとって、アイリッシュ・ミュージックに於いては、いくつかのノーマルなコードさえ知っていればカポタストを使うことによって、大体の曲は解決できてしまう部分もあるでしょう。

多くのDADGADによる伴奏者を聴いてきました。そんな中で、本当に音楽を理解している人が少ない事には驚きます。教育的なことだけではなく、感覚的な事に於いても、ですが。

勿論、音楽理論というものはある程度必要だと思いますが、それを大きく膨らませる感性というものが絶対的に大切なことだと思います。

何千という曲の伴奏をする時、その感性というものが必要不可欠なものとなります。

僕が初め、セッションにバンジョーを持って参加していたころ、数人のギタリストがいました。たまにはギタリストがいないこともありました。

そんな時は「ここでこういう風にベースが動いて行って、次の曲に行った時に気持ちを開かせるといいな」などと思いました。

また、ギタリストがいる時には「そこでその和音はないだろう。その3度の音はミュートした方が効果的だろう。ここで分数コードからルートのベースに持って行ったらいいのに」などと考えだすと、メロディが弾けなくなってしまうのです。

そこで「…なら僕が責任を持ってギターを弾こう」と思い立ったのがきっかけでした。最初の頃、ジャック・ギルダーがあらゆる曲を弾いて(吹いて)僕を試しました。よく覚えているのがPinch of Snuff Party Version,Curlew,Old Road to Garry,など。どれも当時はあまり聞き覚えのない曲ではありましたが、注意深く聴いていると大体の予測はついたのです。

これが、いわゆる理論と感覚の両方を目いっぱい使う、ということだと思います。すでにDADGADを使っていましたが、ジャックはそれまでのギタリストでは聴いたことのないコード感覚に惚れ込んでくれたようでした。

今でも覚えています。彼の家に招待されて「ジャニス(彼の奥さん)これこそ俺が見つけた今までで最高のギタリストだ」と嬉しそうに語る彼を。ジャックはクラシックからエジプシャン・ミュージックなどを経験し、少しだけジャズ・ピアノもたしなむような男でした。

アイリッシュ・ミュージックに於いては再三登場しますが、意地悪なくらいきっちりしています。

そんな彼だからこそ、音楽というものをよく捉えて僕のギタースタイルを受け入れたのだと思います。

このようにリード楽器を演奏していても、常に注意深くその和音の構成などに耳をかたむけることはとても大切です。

リード楽器奏者にそれだけのふところがないと、ギター奏者の音を聴きわけながら演奏するなどということはできないだろうし、結局そういう人達が「ギターは楽だ。曲を知らなくてもなんとかなるから」などという、頓珍漢なことを言ってしまうのだろう。

ギタリストが音楽をよく理解していないと、単調なものになってしまいます。そしてとことんトラッドに精通している必要もあります。勿論バウロン奏者も。伴奏というものはそういうものです。

Irish Music その30

Humours of Tullyknockbrine/Maire Breathnach/A Punch in the Dark  (Reel)

 

★   Humours of Tullyknockbrine

“De Danannがずいぶん前にThe Rat in the Thatchというタイトルでやっていたが、いかにもフランキーが好きそうで、彼の音が聞こえてきそうな曲だ。

★    Maire Breathnach

“僕等はSolasの演奏で覚えたが、彼らはAパートとBパートを逆さにして録音したようだ。確かにそのアレンジは一理あるような気がする。また、タイトルだが、Branohmという登録もある。ただし、このタイトルで少なくとも2曲あるし、#1#2とよんでもいいのかも知れない。本人に会った時、訊いてみればよかったが、こちらは本人とは認識せずに一緒に弾いていて、上手い人だな、と思っていた。失礼”

★    A Punch in the Dark

“BanjoのGerry O’Connorが書いた曲。ずっと前、Lunasaと一緒にフェスティバルに出ていた時、彼らがメドレーでこの曲に入った時、ギターのDonoghが絶妙なコードを弾いた。それは多分にベースのTreverとの音の組み合わせだったかもしれないが、とても印象的な音使いだった。後年、彼に会った時、その話をしたが、彼のコード・ワークにも独特なものがある。Donogh と僕、そしてDennis Cahillはいつもフェスティバルで一緒だった。Gerry O’Connorとも一緒になり、両親を紹介してもらったりしたもんだ”

 

 

Johnny When I Die /The Humours of Lissadel/The Connemara Stockings (Reel)

 

★   Johnny When I Die (Bury Me in Kerry)

“Jody’s Heavenでもずいぶんやった曲だ。Johnny When You Dieとも言うし、ここに書いたようにBury Me in Kerryが付いたりもするし、全然違うタイトルで呼ばれることもある。しかし、実際にKerryにいるとその気持ちは分かるような気がする”

★   The Humours of Lissadel

“前の曲との繋がりがすごくいい。Dale Russから習った”

★   The Connemara Stockings

“この曲は The Reel Of Mullinavatという曲にとてもよく似ているが、あまりそれについて語る人はいない。僕の知る限りでは東京のフルート奏者Mr.Slainteくらいかな”

Irish Music その29

John Brosnan’s/The Crock of Gold  (Reel)

★   John Brosnan’s

“Co.Kerry 出身のアコーディオン奏者John Brosnanが1974年に書いた曲。コーマック・ベグリーが彼のアパートのキッチンで練習していた時に曲名を尋ねた。BパートがちょっとCongressのAパートに似ているが、さほどにこんがらからないのはBパートがお互いにそっくり、というわけではないからだろう”

★   The Crock of Gold

“1920年にCo.Galwayで生まれたフルート、パイプ奏者Vincent Broderickによって書かれた曲とされている。シングル・リールという人もいるが、ダブルで演奏する人も多い”

 

Up Sligo/The Golden Stud   (Jig/Reel)

★   Up Sligo

“80年代、よくStockton’s Wingで聴いていたセットだ。驚いたことにCape Breton

のフィドラーMike McDougallという人の書いたIngonishという曲らしい。Michael ColemanやKevin Burkeの演奏でもよく知られている。

★   Golden Stud

“Maurice Lennon作のスロー・リール。Paul Rouchが書いたという人もあれば、同じグループのKieran Hanrahanが書いた、という人もいる。いずれにせよ、シンプルで美しいメロディを持った曲だ。僕等はこの後、Morning Dew/Jenny’s Chickenをひっ付けて最近レパートリーに取り入れている”

 

The Kylebrack Rambler/Paddy Fahey’s#1 (Reel)

★  The Kylebrack Rambler

“Finber Dwyer の作になるとても魅力的な曲だ。かなり前ティプシー・ハウスのフィドラーPaulがよくやっていたのを覚えていた”

★  Paddy Fahey’s#1

“数多い彼の作品のなかでも、最も有名な曲かもしれない。前の曲との繋がりはスムーズ過ぎて変わったことが分からないかもしれないが、テンポが絶妙に合う”

瀬戸内寂聴さんと会う

突然ですが、9月15日、寂庵に於ける寂聴さんの法話を聴いて、そのあと僕と希花とで少しだけ演奏させていただきました。ぼくら二人合わせた年齢よりも多い、という寂聴さん。声の張りもさることながら、お話も面白く、お元気そうで驚きました。

衝撃の出会いでした。嬉しかったので、まーるい頭をなでなでさせていただきました。有難うございました。

Irish Music その28(27の続き)

★  Miss MacLoeod’s

“これはひょっとすると、高校時代から知っていた曲だ。多分ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズが演奏していたものを聴いたのだろう。フォークソングをやっていたあのころは、勿論キングストン・トリオや、ブラザース・フォア、ピーター・ポール・アンド・マリー、その他あらゆる情報にアンテナを張り、そのルーツなどを紹介する、ニュー・ポート・フォーク・フェスティバルの録音などにも興味を持った。ドック・ワトソン、クラレンス・アシュレィ、モリス・ブラザース、カーター・ファミリーなどに加え、ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズは衝撃的だった。彼らのレパートリーに多く、アイリッシュやスコティッシュの曲が含まれていることはまだ知る術もない時代だった。Miss MacLeod’sはもともとスコティッシュ・チューンのようだ。そちらのバージョンは確かにアイリッシュで弾かれているものよりアメリカで聴かれるバージョンに近い。アンドリュー・マクナマラはジョー・クーリーから習ったバージョンを弾いている。1923年のTom Ennisの録音では既にアイリッシュでよく聴かれるバージョンになっている。こんなことを頭に入れながら弾くのと、ただ弾くのとでは全く違う、と僕は思う。伴奏者も知るべきことだ”

★  Rickett’s Hornpipe

“Bill Keithのバンジョー演奏で70年代からよく知っていた。別名Manchester Hornpipeというもので、ほとんどアメリカン・チューンといってもよさそうだ。この手の曲は沢山ある。Fisher’s,Sailor’s,Soldier’s Joy,などアメリカで創られたものか、もともとあったものかを調べるのはおもしろい。尚、これらの曲をアイリッシュ・ミュージシャンが演奏することはまず無い。多分嫌っているのだろう。イギリス方面の曲だから、ともいわれているし、聴くに堪えないつまらないものだ、と酷評する人もいるくらいだ。そこら辺が特にアイリッシュ・ミュージシャンからすると、ブルーグラスなんてやっていられない、という話しにつながってくるのだろう。30年ほどもブルーグラスに関わってきてアイリッシュに移行した僕にとっては分からないことでもないが、スタンレー・ブラザースなんかを聴くと、アイリッシュと同じように胸が熱くなることも事実だ。

★  Mason’s Apron or Devil’s Dream

“驚いたことにDevil’s DreamはHornpipeとしても記載されている。勿論「Reelだと思った」という意見もあるのは、普通ブルーグラスではかなり速く弾かれることが多いからだろう。一方Mason’s Apronは2パートだけの場合もあれば、7つものパートを演奏する場合もある。ほとんどバリエーションとも言えるが…。とりあえず最初の2パートはほとんど一緒だと言える。ブルーグラスでは2パートだけで、それぞれが自分のソロが回ってきた時点でバリエーションを展開する。どちらにせよ、出どころはスコットランドだろうか。